はてなキーワード: 世界の警察とは
今はてブトップの保育園落ちたが共産党のやらせだったって言うの見て。
基本的に党派性関係なく意見が一致できそうな話題なのに、共産党のやらせだからダメだそうな。(いや、やらせの是非について言ってるんじゃないですよ勿論)
今こういう人たちってネット上に結構入るけどもしかしてこの流れってまずいんじゃないかなぁ。
トランプは言っていることは過激だけど、TPP脱退、累進課税の強化等々経済政策に関してはサンダースさんと似通ったところがあるらしいそうな。
ただ、以前はそうではなかったらしいとの情報もあり、明確なことはいえない。
でも、そのように考えると、トランプの言動には明確な方向性があって、それはアメリカの労働者層や下流中間層の気持ちを代弁するポピュリストであるという点なんだよね。
上記の左派的な経済政策や移民・難民排斥、日中への口撃や、世界の警察の役割をやめるという発言やメキシコに壁を云々は、実際イスラム過激派のテロも多発していると考えるなら、やはりいってしまえば内向きの、アメリカにもともと住んでいた特に労働者の気持ちを代弁していると考えるべきだよね
そこにはポピュリズムはあるがイデオロギー的なものは存在しないと思う。
そのように考えるなら、日本でトランプに相当するのは同じくポピュリストの橋下さんといえると思う。橋下さんはトランプみたいに差別発言はしないから橋下さんには失礼だけど
彼がいつも言ってるのは既得権益の打破で、トランプもイラク戦争を明確に批判しててそんなのに金をかけずにインフラ整備とかやるべきだったと言ってて従来のエスタブリッシュメント層の政策への批判という点では一致している。(だから従来の共和党支持者からは受けが良くないらしい)
翻って安倍さんだけど彼の経済政策って別に左派的じゃないよね?
それなのにとても富裕層とは言えない、彼の政策で首が絞めれるかもしれない人たちが彼を支持してて、彼を批判する野党やメディアを叩いて回ってる。
なんかこの紅衛兵とかナチスの親衛隊みたいに取り巻きが血眼になって反対者を攻撃する感じ?
いや、こういうのがこのくらいで収まればいいんだけどたまーに現実世界に影響与えちゃうこともあるじゃん
あまり言いたくないけどこういう日本みたいな首相への個人崇拝みたいなのって、他の民主主義の先進国でも見られることなのかな
見られないとしたらほんとに怖いなぁ
遅ればせながらゴジラを見てきた。作品の感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由を自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦・反核のメッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間がコントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。
人類が調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。
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ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素を破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器を若い科学者が発明。
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しかし博士はその兵器が戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。
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ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力を研究対象にするべく生かすのか? 議論が割れる。
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結局、オキシジェンデストロイヤーでゴジラ死亡。博士は兵器の悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。
ゴジラは60年前から反戦・反核のメッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストでゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学の呪縛から逃れられない人類を象徴的に描いている。「人類が核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後のセリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。
ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然や神様といった人間にとってアンタッチャブルな概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様が世界と人類を想像したというキリスト教的な欧米の世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界のスタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド(人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。
その点、日本では不可侵な存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類ともののけの人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命を10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震や台風が発生するときは容赦なく発生するのと同じこと。つまり、本来自然や神様は人類の都合など考えない、極めて不条理な存在であるわけだ。
もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球を破壊」「寿司がまずかったら地球を破壊」「ジャンケンに負けたら地球を破壊」といったセリフのオンパレードは、神様の不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。
そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本の原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端な社会派作品に堕してしまっている。
一つ興味深い点を挙げれば、人類がゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラが人類に撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪な宇宙人も自然災害も撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察を自称して世界中に西欧的価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家が共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋人である渡辺謙が発した「愚かな人間は自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然や子どもは管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッド版ゴジラは反戦・反核のメッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカの外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。
率直に言って、軍拡を目指す方針であればあるほど、核武装論を捨て、平和憲法を維持すべきだ。
「不可侵」「世界の警察」「大国への対抗」それらしい綺麗事こそ、軍拡の隠れ蓑に必須だ。
9条も、軍拡の極北として提示される核武装も、「~さえすれば攻められない」という観点では同じだ。
絶対に攻められない保障はない、というなら、軍縮でも軍拡でも核武装でも同じだ。
この中で、どれが最も対抗手段として有効か、と考えれば軍拡だと思うのではないか?
9条という題目を維持して地味な軍拡や、食糧・原料の保障の拡充を図るのが最も現実的ではないか。
一体誰がどこでいつどうやって核を運用するのか、方法が確立されない限り、核で実動兵器には対抗できない。
アメリカさえ民間人や自国民の犠牲で批判を浴び、無人偵察機やピンポイント攻撃に腐心している。
厳罰化・厳格運用するが、刑罰自体からは恣意運用や主観に関わる要素を排除する。
軍拡・タカ派外交を行うが、軍隊自体からは大量破壊兵器を削減する。
これらは本来セットで語られるべきものだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1762959.html
俺の居る世界線では常に中国の人権弾圧は非難され続けてきていたので
「人権屋はこれをスルーする癖に日本の過去事例に口をはさむな」
ちょっと調べてみたらつい先日(現地時間 2013/05/20)世界の警察気取りの国は当然のように中国の人権侵害を非難していた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130521/amr13052108290003-n1.htm
アムネスティにしろ、World Uyghur Congressにしろ、中国の人権侵害に取り組んでる組織も
探せばすぐに見つかる。
彼らの中では「自分が知らなかったこと=世界中が見過ごしていること」なんだろうか?
それとも「国連人権理事会」が世界唯一の人権侵害認定組織なんだろうか?
何言っても無駄だとは思うんだけど一応書いてみた。
イデオロギーが強いっていうか、イデオロギーにすがってるなあとかは思う。思い込みが強めっていうか。いやそういうのをイデオロギーが強いっていうのか。
実質はイデオロギーがまずあってそのために何かするっていうより、(自国の損を避けるために)何かするためにイデオロギー使ってるだけだよね。
ちょっと鶏卵っぽいところあるけど、でも「世界の警察だから!」とかもはや言い訳でしかないっしょ。
ああ、なるほど。しっくりきた。
いやーそうするとより一層ブーメランですねー政府の介入で生き延びた金融機関関係の裕福層殿?
みたいな気分になってきてより微妙ですね。いや知らんけど、金融機関職員の人種的な人口比とか、富裕層の金融機関関係者の人口比とか。
「無心だぜ」という奴の大半は、宗教を批判し近代を信じているという矛盾。
何も信じていないんだって豪語するなら、貨幣で物が買えることも疑わなきゃダメでしょ。ったく、口だけヤローの多いこと。
「金だけを信じる」の方が、まだしんに迫った感じがする。
「誰も信じていないんです!!」
って涙目の奴は、そのセリフを口に出す相手を信じきっている矛盾。
「あっそー」
とでも言い返せば「ほら、やっぱり誰もわかってくれない。信じられない」って、どうすりゃいいんだよ。
宗教批判する奴の多くが滑稽なのは、自分が正義の味方になったつもりで「科学的でないものを信じることの不毛さ」と説く点で、お前は西洋かよ、世界の警察アメリカかよ、啓蒙してんのか?
無信仰である理由を答えられない私は時々クリスチャンと話していて啓蒙される。一方で「宗教について勉強している」と言うと同じく無信仰の人から「宗教の非科学性」と啓蒙される。
身近な戦争。でも、この戦争は大きな戦争に繋がるわけで、何を信じていきているのかっていうのは、結構面倒くさい問題をはらんでる。
そんな中「たちあがれ日本」が発足して、何が「日本」だよいいかげんにしろよ、と勝手ながら思ってしまった。俺は「国家」を信じていないのかな。
もう「日本」を強くするとか、個人的にはどうでも良くて、日本らしさや世界の中の日本もどうでも良くて、そういう国民性云々よりは、「個人」を強くして世界の中の「個人」である方向へ教育していくべきなんじゃないか。
日本語が美しい言語であることとか実はどーでも良くて、何かの言語を世界共通のものにした方が単純にスムーズなんじゃないかと思う。
ビッチ憧れの金髪の白人とも結婚しやすくなるぞ!(言語や価値観による差異がなくなると、より一層「見た目」で
というわけで結論としては、言語の統一(日本における共通語が新語のように、既存の物に手をくわえて新たに作ればいーじゃない)、貨幣に変わる価値の創造(ここが難問)、国家単位での教育の廃止(新しい価値観とそれを実現させる方法を考えねーとな)
そーなると競う気がなくなるから国が滅びる??
競うって発想がすでに近代的なんだよww
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アフガニスタンの大統領選挙、投票率38%(前回は70%)、開票がおくれ、投票から一ヶ月以上が経過したのに、まだ当選が決まらない。
おそらくカルザイ大統領の再任となるだろうが、評判が凄まじいほどに悪いのは何故か。言うまでもなく汚職、諸外国からの援助の私物化。一族だけを要職に就け、利権を独占していることへの国民多数派からの怨嗟である。そのうえ部族対立というアフガニスタンの社会構造の揺るがぬ基層がある。
英米は反ソ戦争で80年代に「北部同盟」を支援した。この縁が重なって北部同盟の本質であるタジク人優先構造が尾を引く結果となった。タジク優先に反対するタリバンの多くはパシュトンと見られるからだ。アフガニスタンはパシュトンが半数近く、タジクは二割いるか、いないか。残りはウズベク、ハザラ人ほか多数の少数民族からなる。
たとえばアフガニスタン軍の構成である。副大統領候補のファヒム将軍はもっとも評判が悪いが、マスード司令官の後継と目されたこともあるタジク人だ。彼が退いてもタジク人の部下らが国防省を牛耳ることにかわりがない。軍幹部の殆どはタジク人(北部同盟)が掌握し、軍人の70%がタジク人で成立している。
「もしカルザイが再選されたら、躊躇なくタリバンに走る」と選挙中、南部を取材した欧米ジャーナリストやNGO関係者が証言している。カルザイはパシュトンだが、タジクの軍事力を計測し、かれらと妥協して政権の綱渡りをしているに過ぎない、と。
そればかりではない。『アフガニスタンの闇』を書いたセリグ・ハリソンに依れば、「軍のみならす警察、検察、司法もタジクが牛耳る。だからタリバンというのは反米の神学生と定義するのは危険である。そうではない。パシュトンで反カルザイ、基本に流れるのは“反「北部同盟」感情”だ」。
現場から帰ったアメリカ人の証言も出そろった。「失業が最大のポイントでタリバンやアルカィーダは失業の若者に一日八ドルで即席兵士を雇用している。つまり”フリーターのタリバン!”(ラルフ・フォペズ「NGOアフガンに職を!」の創設者)。目前の小銭で俄兵士が調達できる。そんなのを相手に米国は年間500億ドルを費消している。
▲行政が機能していないのに「機能している振り」を演じているカルザイ大統領
アフガニスタンの大統領選挙はむろん不正が横行し、十八歳以下でも年齢をいつわって投票した。南部ではタリバンは投票をボイコットしたが、「カルザイ一族が任命した教師は、生徒全員にカルザイと書かせ、十八歳以下を大量に動員した。もっとも戸籍がない国だから投票なんてどうにでも操作できる。五年前にはイランとパキスタンに逃れた難民にも投票権があった。今度は投票できなかった」(ハジナ・シージャン、NGO「アフガンに学校を」の代表、在米)
ましてカブールのインテリは殆どが棄権した。インテリ層と学校卒の若者はパキスタンやイランへ就労の機会をもとめ、アフガニスタンを去った。
「選挙は舞台裏で『ボス交』があり、はじめからカルザイにきまってら。選挙は茶番さ」(ミルワザ・アーマドザイ、「人権監視団体」幹事)。
アフガニスタン政府というが「政府」は名前ばかり、やっていることは汚職、利権あさりと権力の乱用。西側の援助はどぶに捨てるのと同じであると現場をみてきたアメリカ人は言う。「カルザイ政権と連立する政党、団体をのぞけば、残りはタリバンだ」(ジョセフ・キーンズ・グッドウィン前NATO特別補佐官、ヘラルドトリビューン、9月17日)。
政府なるものは行政的にまったく機能しておらず、「学校も道路も病院も、そのための援助が来ているのに巨額は闇に消えていつまで待っても学校も道路も出来ないのさ」と農民も失業者も口を揃えてアフガニスタン政府を批判している。それを支えてきた英米を暗に非難している。
▲泥沼から米国は這い上がれるのか?
アフガニスタンは人口3300万人、このうち300万前後がイランとパキスタンに難民として住み着いている。アフガニスタンは34県、398郡、34000の村々から成立する部族国家。それこそ村が違えば、おなじ言語体系でも方言が違い、行政単位の郡が違えば民族が混在し、県が違えば民族が違うから言語が根本的に違うモザイク状態。識字率は世界最低レベル。
それでも大部隊増派を謳うオバマ米国大統領は日本の鳩山某と同じで国際情勢に殆ど無知のようである。なぜか。戦略的にみれば、米国は01年911のテロ事件いらい、イラクを含めての『反テロ』戦争に年間7000億ドルを国防費に回してきた。従来の平均が年間4000億ドルだから、過去八年で余計な金を年平均3000億ドルとおおざっぱに捉えても、合計2兆4000億ドル使った計算になる。
つまりそれだけ赤字国債が増え、それを中国と日本とサウジが購入してきた。そして米国は経済のみかわ軍事力を弱体化させ、精神を萎縮させた。
これで米軍が世界の警察官として、アジアに自由に展開する軍事的余裕がなくなれば、アジアで確実にヘゲモニーを掌握するであろう中国は、タリバン様々というパラドックスになる。
中国はタリバンにミサイルを売り、98年と01年の米艦からアルカィーダ軍事基地へのトマホーク攻撃の時は不発弾のトマホークをタリバンから買い、タリバン統治下では軍の光ファイバー通信網の工事を請け負い、そして現在の戦争事態もなんのその、アフガニスタン最大の銅鉱山開発に乗り出した。
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通巻第2717号
そして樺美智子さんの死から49年が経った
日米安保条約の空洞化、日米同盟の軽量化、来年は改定から半世紀
昭和三十五年六月十五日。アンポ改定に反対するデモ隊が国会をとりまいた。
樺美智子さんが死んだ。デモの隊列にあって、群衆に巻き込まれて圧死したのだ。左翼はこれを権力の謀殺と宣伝したが、だれも信用しなかった。この鮮烈な記憶があるのも、いまでは還暦をすぎた世代だろう。
昭和四十三年十月八日、佐藤首相のベトナム訪問に反対する左翼学生が騒ぎ、羽田で京大生山崎某が仲間の運転した車に轢かれて死んだ。機動隊は二十数名が瀕死の重傷だった。
昭和四十五年、安保条約の改定から十年が経って「70年安保決戦」が叫ばれた。前年の東大安田講堂と新宿騒乱で前哨戦が消え、左派の分裂は決定的になり、「革命ごっこ」は意気消沈していた。
70年は平穏に幕が開け、左翼は内ゲバに熱狂し、組織は壊滅に瀕し、窮状に陥った日本赤軍派のハイジャック事件と三島由紀夫の憂国の諌死事件で終わった。
いわゆる「80年アンポ」は左右対決の政治状況にはなく、あらかたは体制保守か革命の唄も謳わないサヨクに転じており、サヨク全学連OBは「同窓会」を、そして日米安保二十周年記念の日米シンポジウムが東京で開催され、ゲストのフォード元大統領が来日して「安保改定」を示唆した(筆者はそのおり、会場のホテルに泊まり込んで裏方。広報担当だった。シンポジウムの記録は『日米同盟の二十年』、自由社)。
60年安保の象徴だった唐牛健太郎氏は死去し、西部邁氏は保守の側にあり、江田五月氏は国会議長となり、清水幾太郎は「核の選択」を主張した。
情勢はめまぐるしく変わった。東西冷戦の終結は、なにを意味したか?
日米安保はソ連、中国、北朝鮮を仮想敵に防共の軍事同盟ではなかったのか?
ところが主要敵だったソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構は消滅し、NATOは性格をかえて、イランを囲む新型の防衛機構に早変わりし、中国は時代にふさわしい<?>「上海シックス」を主導して米国の金融秩序へ挑戦を始めた。
▲戦後秩序は劇的に風化した
英米同盟は軽くなり、NATO五十年式典は独仏国境で開催されたが、オバマが出席したものの、興奮状態にはなく、むしろチェコで『核廃絶』を訴えた。
ロシアはNATOのチェコとポーランドのレーダー基地化に反対を唱える。しかし、グルジア、アゼルバイジャン、ウクライナのNATO入りが時間の問題となっている。
イラク戦争のおりに、ロバート・ケーガンは「ネオコン」の論理を代弁し、世界の警察官としての軍事力にひいでた米国の一極体制が復活する。世界秩序は保たれると言い、ホッッブスの説いた「リバイアサン」という怪獣の「力と畏怖」のイメージに世界新秩序の基軸を置いた。
しかし現在の世界は、イラク戦争、アフガン空爆で復活した筈の米国リバイアサンが衰退し、G2という不思議な時代にはいった。
米国はこれまでの国家の性格をおおきく変貌させようとしている。もっと言えば、米国みずからがリバイアサンを峻拒し、「普通の国」になろうとしているかのようだ。
NATOの運用比重を独仏英主導に移管しつつあり、G2時代の到来は、次の日米関係を曇らせる。
こうした歴史のパラダイムのなかで、平成22年(2010)は、安保条約の改定から半世紀を迎える。日本の生命線と言われた日米同盟だった。生命線?
安保議論は風化し、「事前協議」条項はかるがると無視され、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も、戦争地域に向かった。
そればかりか日本の自衛隊は「集団安全保障」「極東条項」の議論を忘れたかのようにPKOはカンボジア派遣から開始されて、いまではイラクのお隣、ゴラン高原、モザンビーク、スーダンへ向かった。役割を分担しながらも、陸海空全軍が出動した。
日米安保条約は風化した。というより事実上、性格を変えている。日米同盟の存在意義は、鰹節よりも軽くなりつつある。
吹き飛ばそうとしているのは日本ではなく米国である。アメリカは中国重視にかたむき、ヒラリーもガイトナーも中国に揉み手して、{G2}と言いだし、日本が期待した北朝鮮へのアプローチは曖昧、投げやりとなった。アメリカはこの問題から逃げた。
拉致問題に積極的ではなくなり、「それは日本の主権の問題であり」、北朝鮮の核武装は容認し、中国の出方をひたすら待つ。
これがオバマの米国、衰退途次の米国の姿である。(http://anond.hatelabo.jp/20090615232944に続く)
「他国の政治に首つっこむ」って感覚はどうなんかね。独裁者がいたら政治介入したらダメなんかね。
「関係を維持できないから、民主主義政府以外と外交はしません」というのはもちろん一つの見識。だけど、「迷惑」と言われるのでない限り原理的には他国の政治家を陥れる権利は誰にだってあると思うしそんなものを「他国の内政に首ツッコム」とか言われたらたまったもんじゃないのであります。
「他国の内政に首ツッコムな」とかそういうこと言う国際社会つーのは、アレかね、世界の警察つーのは本質的にだらしなくて国連にでもいれて囲っておかないと信用のおけない犬同然の生きもの、という認識しかないのだろうか。ヒドイ話だなあ。世界の警察が自国との国際関係をきちんと大切にしてくれるだろうという確信も持たず自信も持てないわけだ。やれやれ。どちらかというとそこにまず問題がある気がするね。逆に、紛争現場に踏み込んで「うちの油田に手を出すなんてこの泥棒猫!」とか叫ぶ独裁政権も同じで、そういう独裁政権は、自分にとって油田なんて台所にしまっておいて後で美味しくいただこうと思っていたアジの開きぐらいの価値しかないのだ、ってことを自ら認めちゃってるのだよ。要するに相手が一個の独立した政体であり政体と政体の関係というのはモノとの関係と違って常に不定であり、従って「同じ場所にいるためには常に走り続けていなくてはならない」ということを忘れ去っているんだと思う。国を侮蔑し世界をダメにするものの考え方だと思うよ。