はてなキーワード: 不愉快とは
1. あなたの心はどんなときに快楽を感じますか?いつ不快を感じますか?いつ苦しみを感じ、いつ喜びを感じますか?つまり、感じたことに気づいてください。
2. その感情は、なぜそう感じますか?原因はなんですか?あなたをそのような感情にさせる経験に心当たりはありますか?
例えば、目の前の人が包丁を握って玉ねぎを切っていたとします。私が後ろから声をかけると、その人は振り向く。そして包丁の先も一緒に私の方を向いた。キラリ。
私は不快を感じるでしょう。関係性によっては、それを口にするかもしれません。
ですが、重要なのは不快を感じたことに気づくこと、そしてなぜ不快を感じるのかということです。考えてみましょう。
これを探るためには、感情が成立しない条件を挙げるとわかりやすいです。
例えば、もし包丁が視界の外にあれば、包丁の先を向けられた事による不快は感じなかったでしょう。つまり、それを認識したから不快になった。
例えば、包丁が何なのか知らなければ、不快は感じなかったでしょう。つまり、包丁が固く、鋭く、そのようなものは人を傷つけると私は学習していて、だから不快になった。
例えば、より遠くの位置関係であれば、不快は感じなかったでしょう。それはなぜ?
私は思い返してみます。あのとき何を感じたのか。ゆっくり、スローモーションで。
包丁に気づき、その後、包丁の先が向けられていることを認識します。
そして……想像したことに気が付きました。その先が自分に突き刺さる事故を。人間の本能的な予測衝動に従って。
そして、想像によって私は架空の痛みを感じ、それが真実の恐怖になったことに気が付きました。突然の恐怖は、驚きの発生に繋がります。
人間はそのように驚かされると、その事自体を不愉快に感じるものです。自分が攻撃を受けている(と錯覚する)からです。
そして、怒りが訪れます。攻撃には、報復を。おお、驚嘆するほど一瞬の、精緻で語り難い、複雑で出来事です。人間の妙。
私が包丁を向けられ、不快になり、ひとこと言いたくなったのは、このようなメカニズムが私の中で働いていたからでした。一件落着。
…というのが、私の言う「心の観察」です。
自分ではない人間として自分を観察し、どのように感じるかを理解することが、まず一歩。
これを無意識にできるようになると、自然と相手の心の動きにも目が行くようになります。
これが、言葉ではない話し合いの一歩、心を聴くということへの手がかりです。
ただし、他者の心の機微を知ることは、ご存知のように大変難しい。
いろんなものを見せてみましょう。いろんなことを言ってみましょう。そして観察するのです。目線、表情、呼吸、声色、仕草……
話を聞いてみてください。相手の前に立つのではなく、横に立って同じものを見てください。相手が何を想像しているかを知る必要があります。
ひとつひとつの出来事は一面しか表しませんが、百回行えばその人の百面が見えます。知りましょう。
自分を知ることも、人を知ることも、実験と観察の繰り返しです。
あなたの言う問題というのも、その延長線上で観察する必要があります。あなたに起因するのか、相手に起因するのか、どちらもなのか。あなたとその人の間に、何が起こっているのか。
何をして、何のリアクションがあって、それが起こるのか。因果を観察し発見してください。因果のない出来事は存在しません。
問題というのが何のことか、具体的には書かれておりませんので、具体的なことは申し上げられません。
ただ、まず観察の手段、知ることの正しい手段を取ることが重要だと私は主張します。
知れば、道が見える。
人の世は複雑です。だからこそ答えは観察からしか得られません。そして、人は道理と因果を見つけたなら、干渉できます。
そのときようやく、あなたは、あなた自身の力によって、問題を解決できます。
未熟な私から申し上げられることは以上です。
( ^ω^ )
「私は思うのです
いなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
胸をなで下ろしています。
私は子供が嫌いだ
ウン!
あるでしょうか
いいえ 子供は常に私達 おとなの足を
ひっぱるだけです。
身勝ってで “足が臭い”
嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ
何でも食う子供も嫌いだ。
スクスクと背ばかり高くなり
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
目が不愉快だ。
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ
何が星目がちな つぶらな瞳だ
そんな子供のために 私達おとなは
何にもする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで
これだけ子供がいながら ひとりとして
だったらいいじゃないですか
それならそれで けっこうだ ありがとう ネ
私達おとなだけで せつな的に生きましょう ネ
離せ 俺はおとなだぞ
誰が何といおうと私は子供が嫌いだ
私は本当に子供が嫌いだ」
「検索避けしてください!」
「R18を投稿するなら鍵かけてください!」
女オタク界隈には実に様々な内輪のルールが敷かれており、それを逸脱した人間は仲間内で晒し上げられ叩かれることになっている。
その内輪ルールは決して明文化されたものではない。公式の声明や各投稿サイトの規約にも書かれてはいない。
女オタク個々人の中でなんとなく醸成されたマナー、その最大公約数的な「空気」によって非常に曖昧に定められたものである。
男性オタクから見ると奇っ怪としか言いようのない女オタク界隈の内輪ルール。
この奇習は一体どのようなものなのか。どういう理屈でなぜ作られたのか。
・「検索避け」
・「カップリングの明記」
要は、「そのコンテンツを見て不快になる人に配慮しよう」という大義名分のもと様々なルールが敷かれているわけだ。
これだけ聞くと「良いルールじゃん」などと思うかもしれないがそうではない。
彼女らのルールは各サイトの規約等の上位として界隈内で君臨している。
Twitter上で成人向けコンテンツを投稿する際、投稿主は鍵垢でなければならないという内輪ルールだ。
男オタク諸兄は信じられないと思うが、女性向け界隈は「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎ルールに支配されている。
これは本当である。
絵に心得のある男オタクは、試しにディズニーツイステッドワンダーランドのエロ絵を描いてTwitterに投稿してみると良い。
「主人公(女)✕適当なキャラ」のエロ絵をそのキャラ名のハッシュタグを添えて投稿すると、すぐにお局腐女子オタクの襲撃を受けることができるだろう。
言うまでもなく、Twitterの規約上「エロ絵を投稿するときは鍵垢にしなくてはならない」などというルールはない。
しかし女オタク界隈ではそんな規約は無効とされ、「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎の因習が一般常識として語られる。
このとき、イラストのタグに「刀剣乱舞」と入れた場合、晒されて叩かれるおそれがある。
「なんで刀剣乱舞の二次創作で刀剣乱舞ってタグを入れちゃいけないの?」と。
だが、女オタク界隈には公式タグ、原作タグを使用してはならないという因習があるのだ。
刀剣乱舞の例では、BLに関しては「刀剣乱腐」、夢女子向けのものでは「刀剣乱夢」といったタグが使われる。
そもそも検索避けせずに原作名を書き入れることすら忌避されているのが現状だ。
Twitterにおいて刀剣乱舞のBL語りなり夢語りなりをしたい場合、「と/う/ら/ぶ」等といった形で表記しなければならない。
先に上げたディズニーツイステッドワンダーランドでは「twst」といった隠語が使われる。(淫夢語録かな?)
「原作者の目に触れないようにするため」
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
以下、男性オタク諸兄が思うであろう疑問、反論を代わりに書いておく。
「原作者の目に触れないようにするため」
・そもそも原作者だって自身の作品を検索したとき二次創作が表示されるのは織り込み済みなのでは?
・自分の作品のBLなりエロなりが見たくないならセンシティブ除外等の設定をして検索するのでは?
・自分の作品でエロ二次創作を作られたくないというなら二次創作の規約で禁止すればいいだけの話なのでは?
・それでもまだエロ絵が投稿されるなら通報すればいいだけの話なのでは?
・いずれにせよ原作者が二次創作についてどう思ってるかもわからないんだから勝手に作者の気持ちを忖度して意味わからんルールを敷くのは意味不明では?
・そもそもBLやエロが苦手ならそれらをマイナス検索すればいいだけの話では?
・マイナス検索の利便性の観点から言えば検索避けなんて逆効果にしかならないのでは?
・ネット検索したら不愉快なコンテンツを目にする可能性があるってのは常識では? みんなそれを了承したうえでネットを使ってるのでは?
・Twitterの規約には「不快なコンテンツに触れる可能性があることを了承してね」とあるんだしBLやエロを見て不快になりたくないならTwitterやめればいいだけの話なのでは?
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
・原作名で検索したとき公式以外のコンテンツも表示され得るなんて常識なのでは?
・検索する側もファンアートが出てくる可能性なんてわかっているのでは?
・仮にわかっていない奴がいたのだとしたら単にそいつが情弱のバカってだけの話であり配慮するに値しないのでは?
・そもそも今のGoogleの検索アルゴリズムから言って単語の合間に「/」や「.」を書いて検索避けしても意味ないのでは? 普通に検索にヒットするのでは?
「苦手な人に配慮しよう」というのは創作者側個人が勝手に判断するべきことであって、他人に強要できるルールではない。
女オタク界隈の「検索避け」「原作タグの不使用」「エロ絵の鍵垢化」等のルールは、他人に押し付けられるだけの理屈を伴っていない。
それはなぜなのか__。
「自分の好みでないカップリングの作品にうっかり触れてしまった」
「BLを漁っていたらうっかり自分の苦手な夢女子向けコンテンツに触れてしまった」
そんな状況のことを「地雷を踏む」などと言う。
まともな人間なら地雷を踏んでも見なかったことにして終わりだろう。
例えば「純愛もののエロ漫画を漁っていたらうっかり陵辱ものに触れてしまった」なんていうとき、男オタクの大半は好みでない作品をスルーしてさっさと好みの作品を漁る作業に戻るはずだ。
大半のオタクは多少傷心するだろうが「変わらずに推し続ける」「推し変する」といった選択肢をとって終わりだ。
無論、発狂して醜態をさらす過激派オタクもいるが、こういったキ◯ガイはTwitterにスクショを貼られて周りから馬鹿にされるのがオチだろう。
女オタクの中には「自分の好みの作品以外に触れてしまった」という程度のことで発狂し暴れまわるやつが非常に多い。
男オタク界隈でそんな醜態を晒せば当然Twitterにスクショを貼られて馬鹿にされる流れになるだろうが、女オタク界隈ではそうならない。
むしろ、「気の毒に」「わかる」「辛いよね」などといった同情と共感の声が寄せられるのだ。
そして「地雷持ちにも配慮があって当然」「傷ついている人がいるのだから配慮すべき」等の言説が優勢を占めて因習村ルールに繋がっていく。
そう、女オタク界隈には繊細厄介クレーマーを許容する土壌があるのだ。
「男オタク界隈は羨ましい。あんなふうにもっと伸び伸び創作活動をしたい」
最近、特に若年の女オタクがこんなことをつぶやいているのを目にするようになった。
女オタク界隈の因習を規定しているのは全体の1割の繊細クレーマーだ。(1割でも多すぎるほどだが)
そして2割の女オタクはこの繊細クレーマーを眺めるうちに「創作活動では他人に配慮しなければいけない!」などといった意識を内在化してしまったかわいそうな人たちだ。
そして6割の女オタクは内心繊細クレーマー共をめんどくさいと思いつつ叩かれるのは嫌なので渋々界隈のルールに従っている人だろう。
では残りの1割は?
実は最近、女オタク界隈でも「因習めんどくさい!」「明文化されてもないルールを破ったら晒されるとか頭おかしいのでは?」といった真っ当な声が聞かれるようになってきた。
これはおそらく、女オタクの地位が向上したことと無関係ではないだろう。
30代以上のおばさん腐女子は「BLは隠れて楽しむもの!」「夢創作は隠れて楽しむもの!」などといった「オタク趣味は隠れてやるべき論」を聞きながら育ってきた世代だ。
ネットサーフィンをしていれば女の欲望だだ漏れな女性向けエロ漫画の広告が普通に流れてくる世界になったのだ。
自身がオタクであること、腐女子であることを打ち明ける女性芸能人も数多くいる。
女オタク因習村の謎ルールは「オタク趣味は隠れてやるべき論」を背景に育ってきた。
そこに時代的な女オタク特有の要素__つまり、自己肯定感を育てられなかったかわいそうなカースト底辺女が、大人になってから「〇〇ちゃんが買い食いしてました!よくないと思います!」といった、あの頃のカースト上位女の真似事をして自尊心満たしたいという欲望__が悪魔合体して育まれてきたのだ。
だが、今ではオタク趣味は一般化しており、クラスのカースト上位者が腐女子でオタク趣味をやっているなんてことも珍しくない。
そんな抑圧のなくなった世界で生きてきた若い女オタクから、ついにこの奇っ怪な因習を打ち破ろうという意識が現れてきた。
10年後の女オタクは今のオタク事情を見て腹を抱えて笑っているかもしれない。
「え、検索避けとか馬鹿じゃん笑」「原作タグ入れないと検索のとき不便でしょ」
そんな真っ当で当たり前の声が大勢を占めていることだろう。
逆にいうと、この女オタクの因習も滅びゆく定めであるかもしれないのだから、堪能するなら今しかないという考え方もある。
なんというか、説明が難しいんだけどさ。
たとえば、会社のプロジェクトで影でコソコソ動いていて、それが課長にバレたりしたときに「(その話を聞いて)まあ◯◯部長も気持ちよくはないわなあ」とかいうじゃない。
でもこの場合、仮に影でコソコソ動かなくても部長が気持ちよくなるわけではないじゃん?「その行動によって発生した不愉快な気分がなかった」ぐらいなもんじゃん?だったら「まあ◯◯部長もそれを知ったら不愉快になるよ」ぐらいの表現でいいはずだよね。
そういう表現を集めたい。あらかじめ言っておくと、「ぞっとしないねえ」は「感心しない」の言い換えだから、上記の例とはちょっと違う。
何か思いついたら教えてくれ。
常にあり方を変えてくれるナニカを求め続けている。
知らなかった頃は、愛がそれかと思った。今も彼女のことを心から愛している。最初に会った時には、ここから人生が動き出すのか、己の人生もようやく灯ったか。
本心から期待を抱いた。淡かった。私をただ認めてくれる人間の存在は、確かに助けにはなったのだが。
人は人生の問題が一つ解決しても、それだけで全て救われるものではない。
浅ましいこと限りない。どれだけ欲張れば気が済むのか。渇愛の念は弱まり、自責の念だけが残る。素晴らしい彼女からの素晴らしい愛によって、生きる理由が一つ増えた。それでも、自分にとって自分は不愉快なままだった。
生きる理由が増えたことは、生きたい理由が増えるということではないらしい。
また一つ、希望が消えた。一般的に生きる理由とされるもの。年を重ねるごとに、生きる理由の心当てが無くなっていく。私は変われないのだろうかと不安になる。
負の感情を抱くことは、それ単体で生きたくない理由になる。生きる理由のストックが減り、生きたくない理由の不良在庫だけが着々と積み上がっていく。
ここまでの思考すらも負の感情足り得る。人に救われたい。でも救われたくない。
進めないまま、ここで立ち止まって生きるしかないのか。嫌だ。苦しい。
両親は善人だ、友人は善人だ、社会に生きる人間は、随分と楽しそうに生きている。
知能も、身体能力も、感情の抱き方も、愛も、信頼も、社交力も、努力も。
社会で必要だとされているものが、全て中途半端。全く持っていなければ諦めもつく。
諦めるには惜しいだけの要素が揃い、上を目指すことだけはできる立場にある。立場上は。
周りの人間は私に期待してくれる。過剰な評価だ。根拠が弱い、そうあって欲しい願望だ。
死ぬこと自体ももちろん難しいことだ。完遂できる自信は、はっきり言ってない。
私を生かすために私以外の人間が捧げたものを返すまで、死ぬことは許されない。
現世こそ、真に無間地獄のように思う。
現代日本における強者って女性のお気持ちなんだから、そりゃ権力者が敵視する萌え絵と水着が表現の自由の話題に偏るのは当然だろ
というジョークもほどほどにして、所謂「エッチで不道徳で気持ち悪い」みたいな表現こそ、表現規制の最前線だから、防衛戦の死守にみんな必死なんだよ。チャタレイ事件しかりね。
私は偉そうな奴らに「お前の発言は不適切だ」なんて上からジャッジされて口塞がれるのが死ぬほど不愉快だから、選挙候補者の表現の自由について確認するほど気にしてるかな。
日本は2023年の「インターネット上の自由度」ランキングで7位を取るほど自由な国だから忘れがちかもしれないけど、自分の思ったことを言えないって辛いよ。
収賄や裏金づくりなどの犯罪において、責任を秘書になすりつけようとした政治家をちゃんと裁け、という主張だってのはわかるよね?
つまり、秘書ではなく政治家自身に収監などの罰を与えろ、イコール自由を制限しろと主張しているわけだ。
大谷の件も全く同じ。
逮捕しろ、罰を与えろ、ってのは他人の自由を制限しろっていう主張なの。
それを信じる自由はあるけど、表明するのはかなり大きな責任を伴う。
表現の自由に関して、「自分の意にそぐわないもの、不愉快なもの、観たくないものは排除していい」と本気で思っている人がいるように見える。
俺自身も見て不愉快になる表現はたくさんあるが、それを排除しろと言い出そうとは思わない。
表現の自由は重要だと思うから、というのもあるが、まずそもそも自分の快不快の感覚、基準に自信がないからというのが大きい。
自信がないというのは、つまり多くの共感を得られるという自覚を持てないということだ。
ではなぜいわゆる“規制派”は自分の感覚にそこまで自信を持ってしまえるのか。
感覚というのはつまるところ“好き嫌い”であり、それを基準に他者とやりとりするのが難しい個人発行の通貨のようなものだ。
それをSNSで表明し、SNSならではのエコーチェンバーで自分の感覚が世界と完全一致しているかのような感触を経験し、結果として極度に謙虚さを失って「自分の感覚=世界の常識」という結論に辿り着いてしまう。
もちろん感覚というのは大切で、個人的な判断をする上では欠かせないものだ。
ただそれを世界中に敷衍できる一般的なものだと思い込むのは危険だ。
そんなことはわかっている?
だとしたらなぜ「すべて秘書のせい」という政治家の言説には「信じられない」と言い、
「通訳が一人で勝手にやったこと」という野球選手の言葉を盲信できるんだ?
ただ、「好き嫌い」で人を法的に裁くべきかどうかの判断をするのはおかしい。
スーーーーッてスピード出して通路を突っ切って来るんだけどマジ迷惑
前から向かってくる時はこっちも気付いて避けられるけどジジイはなぜか周りが避けて当然って顔してて不愉快だし、後方から来られたら見えるわけないのに大して広くもない通路で真横を通り抜けられると危ないんだよね
遭遇する度にヒヤッとさせられる
電動車椅子(シニアカー?)の最高速度は6km/hくらいで大人の早歩き程度らしいし、自分だって車椅子の人がいたら道を譲るとか何か困ってたら親切にしようとかそれくらいの善性は持ってるつもりだけど
でも狭い道で他人にぶつかりそうになろうとお構い無しでツカツカ真っ直ぐ早歩きしてくる人がいたら頭おかしい人にしか見えないじゃん
あの電動車椅子ジジイのやってることってそういうおかしな人そのものだと思うし、ジジイを見かけたらなるべく離れるようにしてる
正直納得がいかない。
「トイレの使い方が汚い」事を注意するのは、そこまでデリカシーが無い事なの?
汚い話だが、便座や便器を汚すだけならまだ良い。掃除すれば良いだけだから。
妻は何度注意してもサニタリーボックスが一杯になって中身溢れ出てる状態で放置してる。
「後で片付けようと思ったのにー!」
「大事なゴミ箱なんだからあなたは触るな!」と怒りだすから、片付けるのも出来ない。
女性は雑な男と違って綺麗好き、なんて話は良く聞くが、汚物がこびり付いた状態で放置する人間が綺麗好きなのだろうか?
トイレで読んでいたであろう本がそのまま置いてある事もあたりまえ。
家の掃除は全て俺の担当なので、誰が片付けると思ってるんだと言いたくなる。
自分だってアラフォーになる妻に、「トイレの使い方が汚い」という小学生レベルの注意はしたくない。
今日は雑誌を壁に投げて叩きつけて自分の部屋に戻っていったよ。
一体どちらがデリカシー無いのだろうか……
妻は数年前に、当時勤めていた会社をクビになった。
何でも仕事中にスマホでSNSやり過ぎてて以前から問題になっていたらしい。
「そのくらいでクビにしなくても…」って泣いてたけど、妻の言う通り『そのくらい』ではクビにはならないと思う。
それ以来「(障害があるんだから)しょうがない」といった感じで開き直っている様に見える。
トイレの使い方も家にずっといる様になって、目につく様になったし悪化したとも思う。
何度も何度も注意すると、その時は一応反省はするものの、本当に反省「だけ」はするけど、すぐ忘れるし気にもしなくなる様で、また同じ事を繰り返す。
大の大人がだらしないのを放置する訳にもいかないから、注意しても今日みたいに逆ギレされたりして、かなり疲弊している。
人前の、特に男性の前では取り繕っているだけで、実際はこんなものだと。男も似たようなものでしょ?と。
男性率が高い職種の仕事だが、妻並に酷いのはそうそう遭遇した事が無い。
しかし妻以外の女性を知らない為、妻の言う事を100%否定出来ない自分がいる。
家にいて実質専業主婦状態だが、特に家事をやる訳でも無く、日中はスマホゲーをやるかYoutubeを観ているかだ。
在宅勤務中に結構な音量でぎゃーぎゃー喚き「キエエェェ~~~~~~~~~~~~~」「はじけろ、青春んぅぅぅ」などと気色悪い声で叫ぶだけの醜悪なゲーム実況?を流しててうんざりする事もよくある。
それでも妻からすれば自分は「すぐに細かい事で注意する、デリカシーの無い!」男らしい。
これが女性の『普通』で、自分はデリカシーが無い側の人間なのだろうか?
気持ちが沈んでどうしようもなくなって苦しい。
ワイが子供の頃に友達にゲーム貸したらセーブデータ消されたんよ
当時すでにカセットじゃなくてメモリーカードだったから故意にやらないとデータ消えないからワイは怒った
友達とケンカしてしばらく後になって、家にその友達の親父が突撃してきて
不機嫌丸出しの態度でガキのワイを詰めてきた
その親父は不愉快そうに金払えば良いんだろいくら欲しいんやみたいなこと言ってきて、
ワイはガキやったから気圧されて1000円って答えたら千円札財布から出してワイに握らせて帰ってった
ガキのワイはゲームのセーブデータぐらいで友達とケンカしたのが良くなかったのから怒られたのかな
書き出す場所がないのでここに書く。
今年の頭に結婚したんだけど、職場で根掘り葉掘り聞いてくる年上同期がいる。
元々サバサバしている事を売りにしているようで、他の人の容姿をいじったりしている。
本人にその気は無いらしいが言われた人はへこんでいた。
(私も顔を見られシワがある!と言われた。失礼この上ない)
諸々の関係で旧姓で働いているが、事あるごとに新しい苗字の話をしてくる。声が大きいので他の課の人にも丸聞こえだし、とにかく結婚生活のことを聞かれる。
ただ小さい会社の同じ課なもんで、なかなか相手を無碍には扱えない。めんどくさくて適当に流していたら付けていた指輪に対して「そのブランドは良くない」など色々ケチをつけられた。
ありえないだろ頭悪いんか。
年上同期は10年以上付き合ってる相手がいるけど結婚はしていないようだ。
話を聞いていると、お互い性格がアレなのでお似合いだなぁと思う。ちなみに彼氏側も私の指輪のことについてなんか色々言っていたらしい。
気持ち悪っ
多分だけど、この同期は私の事は気に食わないんだろうなぁ。
パフォーマンスで仲の良さを演じているなってのをちょこちょこ感じる。
文句は書き出したらキリがないので書かないが、職場の人に対する態度、発言ではない。
当初、私自身に落ち度があった可能性も考えた。なので仕事の話のみ、不要な接触は避けていたが避けるたびに凄く近付いてくる。そして仲がいいアピール。何がそうさせるのか。
今まで3.4社で仕事をしてきたが、職場にこんなに生理的に無理な人はいなかった。
今までが恵まれていたのかもしれない。