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はてなキーワード: 不動産とは

2024-03-21

不動産屋や派遣会社社員が、対面で説明に来るけど

会議室に案内されて襲われるリスクは考えてないの?


重要事項説明リモートでいいよ

2024-03-20

anond:20240320144528

その損ってのは弱い立場の人に押し付けられたものそもそも平等じゃないからな

 

高学歴生活技能スキルが高い暇人仙人気取りだけがホームレスやってるなら、

軽犯罪法不動産侵奪罪でしょっ引けばいいだけなんですけどね

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

法人タクシー運転手だけど迷惑暴露YouTuberになろうかと割と本気で思ってる

酔っ払い、あるいはシラフでも性格に難アリな客からハラスメントされることがある。

例えば、車に乗り込んでまだお尻が席につくかどうかのタイミングで突然

「オラ早く西麻布行けよ殺すぞ!!!

我慢ならないという感じでブチギレながら行き先を告げるサラリーマンとか

(ちなみにこいつ、普通にタバコ吸い始めたから降ろそうとしたら揉めて警察沙汰になった。後日会社に対していかにもこちらが真っ当ですって感じの慇懃無礼ホワイトカラー仕草クレーム入れてきた。もし今後、令和関東大地震起きて何もかんも失って裸一貫にされたら断片情報頼りにこいつ探し出してカタワにしに行く23区の旅始めるかもしれん)。


自分西麻布六本木渋谷というキチガイが好むエリアをメインに営業していて、しかナイトなので、客から暴言乱暴狼藉は週1ペースで食らうんだけど、そのなかには超有名人(俳優アスリート率高し)や超一流企業勤務の人(チケットだったり深夜帯に本社ビルから乗ってきたりとかでほぼ確でわかる)もぶっちゃけ結構いたりする。

(余談。

一流企業のなかで明らかにキチガイ客が多いのはマスコミ不動産商社

酔ったマスコミ人は言行が極端でどうにも見た目と比べてチグハグしており様になっていないタイプの暴れ方する連中が多く、平成大学生みたいな人種だなといつも思う。

不動産はカタギという安全地帯にいる身分タカくくって反社マネして荒ぶりすぎ。運転手が元極道だと知らず後ろから運転席蹴り飛ばしまくった結果泣いて土下座するまでボコされた話とか改元以降でも聞いたぞ。

商社マンはてめえが逐一指示する道をこっちは仰せのまま走ってるのに「またメーター上がった…これ機械正しいんですか?」とか「僕の想定だとこうなるはずないんやけどなあ」とかずーっと狂ったようにぶつくさ文句言って最後釈然としない感じで運賃を支払うくらいヤバい。こっちが思わずもしかしてこの人、過労や飲酒起因の神経症なのでは?』と疑ったレベル)



どうも、このご時世でもまだ世の中が

タクシー車内でのハラスメントはご愛嬌暴行器物損壊までなら文句言うな♡♡♡』

って認識でいるらしく、

例えばこっちがその場で救急車呼ばないとあかんレベル怪我したとか、防犯板やガラスぶっ壊されたとかインパクトある被害でも食らわない限り、迷惑客のほうは無罪放免普通に社会生活送れるケースが多いんだよね

(ぶっちゃけ暴行受けた運転手泣き寝入りをよしとせず事件化に向けて決然と動いた場合警察署員や自分会社運行管理者ガチで一気に冷たくなるし、なんなら敵に回るまである)。


目的地着いて客から

「今所持金ゼロから!家にもたまたまねえのにどうやって払えっつんだよ!(激怒)」

と開き直られるなどして、そのまま車から降ろさず警察署直行して訴えかけても、客が女だったり、いかにも体育会系って風情のホワイトカラーだったりしたら警察マジで

「住所や連絡先訊くから後で払ってもらう感じでいいでしょ?」

事件化をめちゃくちゃ渋るよう圧かけてくる

(ちなみにこの手の迷惑客の大半は後日でも料金を払おうとしないし、電話口で半ギレ気味にウンザリした様子で対応してくる。なお、仮に踏み倒し客がヨレッヨレの服着た老人とかだったら警察は大張り切りですげえ厳しく対応するからこいつらマジで気分で仕事してるし普通に公共の敵)。



なので、

何かあったとき、その映像が保存されてるドラレコSDカードを自宅に持ち帰ってコピーし(少なくともうちの会社ガバガバ管理だとこの冒険が余裕でできる)、その映像ネタを専門に取り扱う迷惑暴露YouTuberにでもなろうかなと思ってるんだけどどうなると思う?


もちろん迷惑客にはモザイクボイスチェンジャーなんぞかけないし、個人情報はたとえ勤め先だろうが住所だろうが電話番号だろうがこっちが知りうる限りのもの訴訟上等で全て晒していく。


個人的にはタクシー会社いつクビになっても構わないんだけど、これまで不当に背負わされたクソな思いを換金して報われたいという思い、

そしてクソ客が不法行為をやっても

タクシー運転手と客ってそういうドタバタつきものでしょ?」

で甘く済まされてた世の中に対して顰蹙モノだが確実にインパクトのある暴露という行為によって一石投じたいという思いがある


あーあと都心の有名高級タワマンの住人でとんでもねえのゴロゴロいるかそいつらも晒す

圧倒的ステータスのタワマン住んでるなんて準公人みたいなもんだろ

高輪の某有名タワマン住んでるお前、自分の親くらいの年齢のおじいちゃん運転手いじめ楽しいか?

トランプ氏、制裁金支払いの保証書「確保不能」-現金担保差し出せず」のコメント

https://news.yahoo.co.jp/articles/ec5e090ca27b6f2cca25d086bf44fb3cc4c4e218

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-03-18/SAK7CZDWLU6800

nin*****

このニュース重要ポイントは、トランプ不動産評価額の水増しで融資を詐取した詐欺容疑で訴えられていることと、その上でトランプ司法省のどちらかを信じるかは金融機関自由であることだ。

本当にトランプの主張する通り、詐欺事件がバイデン陰謀保有不動産に本当に額面通り価値があるなら金融機関は金を貸せば大儲けできる。逆にトランプウソをついていたら金融機関は大損する。

そういう取引、そういう前提だ。

そして実際に「トランプを信じるか信じないか、お前の金を賭けろ」という選択を迫られた金融機関30社は、その全てが「信じたら損するからヤダ」と言ってきた。

共和党がどれだけギャオろうが、Qアノンがどれだけギャオろうが、テメーのカネで直接損得が発生するならみんな正直にぶっちゃけものである

nin*****

というか裁判所が上手いんですよねこれ。いかにもアメリカ的な金融工学的な頓知いいますか。

トランプが「俺の出した評価額ウソはない。この評価額銀行から融資を受けるのは正当な行為だ」と言い張ったのに対して、裁判所は「じゃあ保証金はその金額にするから、今から銀行行ってその土地で実際に金借りてみせて」って返したんですよね。

もちろんトランプウソ付いてなければ(1割や2割盛ってる程度なら)金融機関も利息ウハウハですから余裕で借りられるわけですが、既に何倍も盛っていることが金融機関にもバレていて金融機関独自調査で裏を取ってますからまあそりゃ絶対貸すわけがない。

ほんとこういう状況になると金は正直です。

ヤフコメはそのうち消えるので備忘録として

anond:20240320010125

何度も書かんでいいぞ

酔っ払い、あるいはシラフでも性格に難アリな客からハラスメントされることがある。

例えば、車に乗り込んでまだお尻が席につくかどうかのタイミングで突然

「オラ早く西麻布行けよ殺すぞ!!!

我慢ならないという感じでブチギレながら行き先を告げるサラリーマンとか

(ちなみにこいつ、普通にタバコ吸い始めたから降ろそうとしたら揉めて警察沙汰になった。後日会社に対していかにもこちらが真っ当ですって感じの慇懃無礼ホワイトカラー仕草クレーム入れてきた。もし今後、令和関東大地震起きて何もかんも失って裸一貫にされたら断片情報頼りにこいつ探し出してカタワにしに行く23区の旅始めるかもしれん)。

自分西麻布六本木渋谷というキチガイが好むエリアをメインに営業していて、しかナイトなので、客から暴言乱暴狼藉は週1ペースで食らうんだけど、そのなかには超有名人(俳優アスリート率高し)や超一流企業勤務の人(チケットだったり深夜帯に本社ビルから乗ってきたりとかでほぼ確でわかる)もぶっちゃけ結構いたりする。

(余談。

一流企業のなかで明らかにキチガイ客が多いのはマスコミ不動産商社

酔ったマスコミ人は言行が極端でどうにも見た目と比べてチグハグしており様になっていないタイプの暴れ方する連中が多く、平成大学生みたいな人種だなといつも思う。

不動産はカタギという安全地帯にいる身分タカくくって反社マネして荒ぶりすぎ。運転手が元極道だと知らず後ろから運転席蹴り飛ばしまくった結果泣いて土下座するまでボコされた話とか改元以降でも聞いたぞ。

商社マンはてめえが逐一指示する道をこっちは仰せのまま走ってるのに「またメーター上がった…これ機械正しいんですか?」とか「僕の想定だとこうなるはずないんやけどなあ」とかずーっと狂ったようにぶつくさ文句言って最後釈然としない感じで運賃を支払うくらいヤバい。こっちが思わずもしかしてこの人、過労や飲酒起因の神経症なのでは?』と疑ったレベル)


どうも、このご時世でもまだ世の中が

タクシー車内でのハラスメントはご愛嬌暴行器物損壊までなら文句言うな♡♡♡』

って認識でいるらしく、

例えばこっちがその場で救急車呼ばないとあかんレベル怪我したとか、防犯板やガラスぶっ壊されたとかインパクトある被害でも食らわない限り、迷惑客のほうは無罪放免普通に社会生活送れるケースが多いんだよね

(ぶっちゃけ暴行受けた運転手泣き寝入りをよしとせず事件化に向けて決然と動いた場合警察署員や自分会社運行管理者ガチで一気に冷たくなるし、なんなら敵に回るまである)。

目的地着いて客から

「今所持金ゼロから!家にもたまたまねえのにどうやって払えっつんだよ!(激怒)」

と開き直られるなどして、そのまま車から降ろさず警察署直行して訴えかけても、客が女だったり、いかにも体育会系って風情のホワイトカラーだったりしたら警察マジで

「住所や連絡先訊くから後で払ってもらう感じでいいでしょ?」

事件化をめちゃくちゃ渋るよう圧かけてくる

(ちなみにこの手の迷惑客の大半は後日でも料金を払おうとしないし、電話口で半ギレ気味にウンザリした様子で対応してくる。なお、仮に踏み倒し客がヨレッヨレの服着た老人とかだったら警察は大張り切りですげえ厳しく対応するからこいつらマジで気分で仕事してるし普通に公共の敵)。


なので、

何かあったとき、その映像が保存されてるドラレコSDカードを自宅に持ち帰ってコピーし(少なくともうちの会社ガバガバ管理だとこの冒険が余裕でできる)、その映像ネタを専門に取り扱う迷惑暴露YouTuberにでもなろうかなと思ってるんだけどどうなると思う?

もちろん迷惑客にはモザイクボイスチェンジャーなんぞかけないし、個人情報はたとえ勤め先だろうが住所だろうが電話番号だろうがこっちが知りうる限りのもの訴訟上等で全て晒していく。

個人的にはタクシー会社いつクビになっても構わないんだけど、これまで不当に背負わされたクソな思いを換金して報われたいという思い、

そしてクソ客が不法行為をやっても

タクシー運転手と客ってそういうドタバタつきものでしょ?」

で甘く済まされてた世の中に対して顰蹙モノだが確実にインパクトのある暴露という行為によって一石投じたいという思いがある

あーあと都心の有名高級タワマンの住人でとんでもねえのゴロゴロいるかそいつらも晒す

圧倒的ステータスのタワマン住んでるなんて準公人みたいなもんだろ

高輪の某有名タワマン住んでるお前、自分の親くらいの年齢のおじいちゃん運転手いじめ楽しいか?

日銀アベノミクスマイナス金利を手放す

2016年マイナス金利黒田総裁設備投資などを後押しする名目で導入したが、銀行は儲からいから、結局、預金貸出率が良くなることはなかった

アベノミクス目的は「国民資産を」、証券不動産へ回すことだったので、銀行保険商品への預入金をNISA証券口座に移すことが推奨された

部分的に16年間で5倍の成長率

NISAプロジェクトの結果、2008年恐慌とき8000円台に下落した株価が、2024年に4万円になった

一方賃金は5倍にはならなかったから実質で下落

投資家労働者を茹でガエルにした形だ

インフレ達成

円安インフレは達成したが、景気が良いわけではない

  

まり2016年アベノミクスは「部分的な」高成長と、「好景気原因ではない」インフレを達成した

もちろん「〜の名目でやった」「〜するつもりはなかった」ということだが

 

8年間冷凍されていた肉まんを美味しくリサイクルできるのか?という問題になる

一方、リサイクル活動の一環としては、英語版ウィキペディア経団連企業など支配組織不祥事史を書くことが、密かに流行っている

日銀アベノミクスマイナス金利を手放す

マイナス金利黒田総裁設備投資などを後押しする名目で導入したが、銀行が儲からないんで、結局、預金貸出率が高くなることはなかった

アベノミクス本来目的は「国民資産を」、証券不動産へ回すことだったので、銀行保険商品への預入金をNISA証券口座に移すことが推奨された

部分的に16年で5倍の成長率

NISAプロジェクトの結果、2008年恐慌とき8000円台に下落した株価が、2024年に4万円になった

一方賃金は5倍にはならずむしろ下落

インフレ達成

円安インフレは達成したが、景気が良いわけではない

部分的な高成長率と、好景気が原因ではないインフレ、を達成したのがアベノミクス

「〜の名目で」「〜するつもりはなかった」

2024-03-19

長年投資をしていると、株高で利益が出ている時の方がストレスを感じない?

今は、円安&株高&不動産高で、何を買うにしても割高に思えて、買う楽しみが無くなってしまったし、アセットアロケーションのためには株や外貨建て資産を売った方がいいのだろうけど、買うより売る方がストレスを感じる。

で、マイナス金利が解除するとどうなるわけ?

銀行個人に貸すより日銀に預けた方が良いか貸し渋りが起きるようになって企業倒産したり不動産が買えなくなるの?

そしてお金を借りる必要が無い人は国債買ったりしてますます儲かるの?

こう単純じゃ無いと思うけど俺の知らないところではみんな金持ちになって物価上昇に対応出来てるのかな?小売もボーナスステージ

anond:20240319144616

軽犯罪法第1条第22項によって禁止されており、拘留科料対象

あと不動産侵奪

 

でも原状回復が容易ならあたらないって判決もあるけどな

anond:20240318143150

不動産投機売買の抑制

失われた何十年がまたやってきそう。

2024-03-18

父が亡くなった際の手続きなど

https://www.ht-tax.or.jp/sozoku-guide/procedure-schedule

ホットエントリーにあったので、実際11月に父を亡くした際のことを書こうと思う。

項目は上記サイト記載されているものを中心に書く。

また、相続人は母(配偶者)、同居の子(同子)、別居の子(別子)の3人。

能動的にやった手続き

年金受給者死亡届

父は共済年金受給者だったので、そちらへ連絡。

一応国民年金の方にも知らせておいてください、とのことだったので年金事務所へも行ったが、そこで具体的な手続きはなし。

世帯主の変更
保険関係手続き
葬祭費申請

父が世帯主だったので、稼ぎのある同居の子へ変更。

国保介護保険ありで障害者手帳持ちだったのでまとめて返却。

母と同子も国保世帯主が変わったので、そちらの手続きも行った。

葬祭費もあわせて申請

ここは役所の同じフロアで同日に行えた。

名義変更と解約
口座の凍結連絡

電気水道ガスNHKネットその他の名義人を同子へ変更。

またクレジットカード携帯電話も解約。

死亡届提出前に普通口座から葬儀費用として全額引き出し(が、足りずに別子が立て替え)

確定申告

年金以外に僅かながらも収入があったので発生(再雇用シルバーセンターの間くらいの仕事

確定申告と同じくe-Taxで行う。

相続関係

急激に体調が悪化して亡くなったので遺言書はなし。

相続するもの現金土地家屋車。これらについて同子別子は相続放棄をして全て母が相続をすることに。

その旨を記載した遺産分割協議書を作成し、印鑑証明登録してある印を用いて3枚に割印。

不動産名義も母へ変更。びっくりする金額を取られた。

また保険金がみなし相続財産となるので相続税の対象となる。

保険金は受取人が母のみのもの、受取人が母・同子・別子でドル建てのものフラグ

受動的にやった手続き

死亡診断書の受け取り
高額療養費の請求

死亡診断書入院先で亡くなったので病院の方で精算とあわせて出してくれた。

高額療養費は元から免除みたいなものなので手続きはなし。

死亡届の提出
火葬許可証の取得
埋葬許可証の取得

死亡届を葬儀会社の人が提出してくれて、そこで火葬許可書を貰ってくれた。

埋葬許可証火葬場で骨壺と一緒に入れてくれた。

まだの手続き

相続登記

円安のおかげで想定より多くなった保険金の所為で子二人に相続税がかかることになった。

書類自分達で作成した為、間違いなどないか相談をしたかったのだが。

確定申告があるので四月以降におねがいします」

となって宙ぶらりん状態

使ったツールなど

役所無料相談

主に必要手続きなどの確認とやり方について。

この後相続登記の方でもお世話になる予定。

書類テンプレート

主に遺産分割協議書の書き方の参考にしました。

ネットにあるものを大体まるまるコピペ

おい!そこの!

子供部屋を家具パーティションで仕切って半個室として使えますよ。」とか言ってる不動産屋!お前だお前!

「仕切りでも十分プライベートが保てますよ」

じゃねえんだわ

聞いてんのかオイ

オナニーする時に困るやろが!!

つん這いでケツにバイブ入れてるときに弟が帰ってきたらどうするんや!

ちゃんと考えてモノ言えよ

わかったな

2024-03-17

車いすを押してきた人間として、いま複雑な気持ちでいる

俺は、爺さんと親父と2人の車いすを押してきた人間として、映画館対応炎上している今の騒動を複雑な気持ちで見ている。

少し愚痴書き込みたい。

単純な話として、もし自分の働いているところにああい車いすユーザーが来たら、表面的な対応は別としても内心では腹が立つ。これはもうしょうがない。

クソみたいなクレーマーは多いし、ちょっとこっちが仏心を出すとそこにつけこむクソ客も多い。

とりあえず言ってみて通ればめっけもん、一度通ればそっからはソコを最低ラインとしてさらに言う、対応できなきゃ文句を言う。対応する側としてはクソ客以外の何物でもない。

ただ、そういう対応する側からすると速やかにおかえり願えないかなと思うようなゴリゴリ押してくる車いすユーザーが先陣を切ってくれなければ、変わらなかっただろうな、とも思う自分が居る。

爺さんの時は、俺も車いすを押したが、主に調べたのは親父やおふくろだった。

何を調べたか?外出する際のすべてだ。

移動手段から、途中の休憩所、行く店や行きたがりそうな店、レストラン喫茶店、経路上にある公園トイレに至るまで全部だ。

そんなん普通にしてれば良いじゃんって思うかもしれないけどそうじゃない。

車いすを押す側としては、車いすユーザーって言うのは、おおむね3つのパターンがある。

  • 支えられながらなら自分で立って数歩なら歩ける
  • 支えながらなら乗り換えできる
  • プロがいないと降りられない

爺さんは、2番目の支えられながらなら乗り換えできる、だった。いわゆる介助が入ればベットから車いすへ、車いすから椅子へ行けるってやつだ。

それでも、爺さんのころは相当面倒だった。

今回の件で多少は周知されたようで何よりだが、車いすにとって段差は割と致命的だ。

出張で使うようなキャリーケース、無理したら行けるような段差があると思う。アレが致命的なレベル

想像してほしいのは、女性だと両手で押して限界って感じの巨大なスーツケースだ。アレに近い。段差即詰んだって感じ。

それでも、先人のおかげで都内ならかなり自由がきいた。事前に連絡しておけばバスJR問題ないし、問題がある場合エレベーターが無いとか乗り換えが面倒とか)でも教えてもらえた。

店もまあまああったし、爺さんが好きな美術品なんかも、まあ結構柔軟に対応してもらえるところは多かった。やはり大手に限られるけど、飛行機もなんとかなった。

とはいえ、気苦労は多かった。昔の人に比べたら事前準備さえすればできることは格段に多いとはいえ家族としてはやはり一大イベントにならざるを得なかった。

これが、まあ平成後期や令和になってからの親父の時は、相当に楽になった。

例えば行きたい美術館が車いすOKって書いてあったら、特に調べず一発行ってみっかで行って詰むことはほぼ無くなった。

流石にバスタクシーの時は事前に確認の連絡を入れたが、親父の時は車のトランクに入る折り畳みの車いすを使っていたこともあり、何だったら普通タクシーでも捕まえれば乗れたりした。

JRなんか事前連絡なしで行っても対応してくれることが多かったように思う。爺さんの時には考えられないスムーズさで対応してもらえた。

チェーン店レストランなんかだと、よっぽどのことが無い限り車いすでも特に問題無く食事できるようになった。ホテルレストランだと親父の時に断られた記憶は一度もない。

からすりゃ面倒が増えたんだろうけど、こっちが事前連絡なしでいきなりいっても対応してくれる場所や店は相当多かった。

親父は最終的には3番の、車いすからプロに頼まないと(家族であっても)乗り換えできないようになった。

なんかゲーミングチェアーに自転車の小径車タイヤが付いた装甲車みたいなゴツイ車いすに、酸素ボンベと薬を積んで、きつかったらボタン押して薬が自動で入る、みたいな状態でも出かけた。

これは、相当に制限がかかる。移動はほぼ専門の介護タクシーを呼んでなんか自動エレベーターで後ろに積み込まれるみたいな状態でないと難しかった。

それでも、だ。

そんな折り畳み車いすの何倍もでかい状態であっても、結構場所には行けたし、なんだったらレストラン食事もできた。

まあ流石に予約するとき車いす結構デカめなんすけど、みたいな話はするが、サイズを伝えて問題になることはほぼなかった。

驚くなかれ、博物館美術館だと、事前に確認さえとっとき普通に行けることもあった(さすがに特別展かにはいかなかったが、常設展だと普通に行けることが多い。ただ流石にこれは個別調べてくれ)

で、こっからが本題だが。

くだんの映画館の件は、まああり得ないだろう。善意にフル乗っかりした上で、責任取れないんでムリっすって言われて逆ギレしてるようにしか見えない。

ただ、だ。

あいう、もークソ客きたよめんどくせぇなーと俺が思うようなユーザーがいないと、商業施設なんか一ミリたりともお金出して改善する気が無いのも確かだ。

いま、都内大手映画館で、車いす席がないシアターは無いと思う。これは俺からすれば画期的だ。正直な話親父とも何度か映画は観に行った。普通に行けたし苦労もなかった。

(まあ、さすがに初回は調べて問い合わせは入れるし、パンフを買う時に親父にはちょっと待っててもらって俺が並んで買ってくる、みたいなのはあったけど)

そしてたぶんだけど、ああいう(もし俺が対応するとしたら内心思う)しちめんどくさい客がいないと、車いすの客が使えるようなプレミアムシートとかアップグレードシートっては、未来永劫設置されない。

ギリギリまで車いすで移動して、あとは家族が介助してなんとか歩けて椅子に座れるって状態なら、飛行機ビジネスだって乗れるこのご時世に、映画館プレミアムシートはやたら階段を昇った先にしかない、とかは普通にある。

(ちなみに、探すと車いすギリギリまで移動して家族が介助すると座れるプレミアムなシートがある映画館存在はする。主にゆったりできるって理由階段で移動しなくて良い場所たまたま設置されているからだが)

この辺は、車いすユーザーを通常より優遇すると悪さする奴も出てくるんで、多少難しいところはあると思う。

海外なんかだと、車いすユーザー+介助者1名だけは別ルートで入れてくれるけど、それ以外の家族別に並べ、みたいなところは結構あった。まあこの経験は爺さんの時なんで今は違うかもしれんが。

そういう意味で、爺さんは海外では車いす特権じゃないがプレミアム体験を親父としてたりした(なんなら家族の俺もその恩恵にあずかることもあった)が、国内では優遇されてやっと普通と同じ、という感じではある。

複雑な気持ちなんでまとめようもないんだが、まあそういうことだ。

労働者としての俺は、ああいう客が来たらほんっと勘弁してほしいと思うし、心底はよ帰ってくれんかなーと思う。

また、将来的に車いすユーザーになる可能性が高いだろう俺は、車いすに余計なヘイトをかってくれるなよ、とも思う。

ただ、わがまま放題で主張しまくりで、いわゆる健常者が出来てるプレミアム体験を俺にも寄越せ!と叫ぶ先駆者がいてくれないと、変わんねえだろうな、とも思ってる。

まあそういう意味ではね、プレミアム車いす置き場と介助者シートを作って、倍の値段で予約してくれれば良い体験映画見れまっせってのは、都内ならたぶん予約途切れないと思うんスよ、どうスか?

くらいが関の山ではあるんだよね。実際、マジでめんどい客がいてくんないと世の中変わんないからなー

俺が今回の件で、自分の目の前に来たら正直クソ客帰れよと思ってしまうのと同じ心が、あんまり叩いてくれるなと強く思うのは、これって尊厳死消極的安楽死から一歩踏み出す時にすごく怖いからなんだよな。

いるじゃん。医療の補助なしで命が繋がらないならそりゃもう寿命なんだって言うヤツ。アレ嫌いなんだよね。爺さんも親父も医療の補助無しならもっと早くに何もできずに死んでた。

間違いなく爺さんも親父も、五体満足で生きてる人に比べれば、社会リソースに余分な負荷をかけていってみりゃ娯楽だの余生の楽しみだの、別に本人が望みさえしなきゃかけなくて良い負担社会に強いてたわけだよ。

でもよ、いやじゃん車いすになったとたんに、趣味だった美術館巡りがさ、常設展のこの区画ならお楽しみいただけますが、車いすの方はこちらの別館はちょっと……みたいな状態はさ。

そういう時にさ、なんだよ健常者様ならプレミアムなシートで映画見られんのに我々車いすユーザーは端っこで見ろってのか!って激昂する人が一定数いてくれるとさ、声上げてくれる人がいるとさ、助かるわけよ。

繰り返しになるけど、俺ですら目の前に来られたら嫌だよそんな客。でもさ、そういう人がいてくれるからこその、今、とも思うんだよね。複雑な気持ちよ。

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(ココから追記

ただの愚痴を思ったより読んでもらってありがとう

少し話題が落ち着いてきたみたいなので、追記しておきます

X(旧Twitter)上で、車いすユーザー問題じゃない、いや障害者問題ですらない、彼女自身問題だ、みたいなポストを見ちゃって流石にちょっとそれはと思ったんで記録がてら追記しに来た。

まず想像してほしいんだけど、彼女が五体満足で「プレミアムなシートで映画見まーす。イエーイ」みたいな投稿するクソ陽キャだった場合なんだけど、炎上はしないと思うんだよね。

毎回プレミアム映画鑑賞かよクソが、と、俺は思うかもしれないけど、それぐらいなんだよね。

からこれはまごうことな車いすユーザー問題なわけよ。車いすのクソビッチプレミアムなシートで映画を見ることが出来ないという問題車いす専用スペースはあるけどプレミアムじゃない。

ほんで、あんま主張するのが得意じゃない車いすユーザーだった俺の親父とかは、映画スムーズに見られるだけで感動して、席次(?)に文句を言うようなことは無かったわけよ。実際ありがたかったし。

でもさあ、もしプレミアムなシートでも映画観られますよっていわれたら、そっち選んでたと思うわけよ。やっぱいい席で見て欲しいじゃん。

まあわかるのよ、まったく同じにはならんだろうってことは。俺だって普段労働者側じゃん。身内にいて苦労した経験があったとしても俺が対応するとしたらゲェって思うわけよ。

でもこれもさ、過去映画観るのは遊興なんだから車いすユーザーはそこまで求めるの贅沢じゃね?」みたいなのを乗り越えてきてくれた人がいたからこそ、スムーズに親父は映画を観られたわけよ。

だってさ、不要不急かつ生存必要なわけじゃないじゃん。代替手段として例えばいまならストリーミングサービスとかもあるわけだし。

でも、車いすユーザー映画館映画が見られる。どっかで引かれてたラインが、良い方に移動したわけよ。

で、こっから重要なんだけどさ、わかるよ、正しいルートで正しい手順を踏んで、ちゃんと段階を踏んで法律とか条令とか、企業努力に訴えかけたりメリットを訴えるって方法があるのは。

でもさ、ほんとは高校デビューしてアタシもビッチとして青春謳歌してみたかったなみたいな、世間一般で言うところの常識的車いすユーザーとかさ、その後ろにけっこうな数いるわけよ。いやすんごい良くなってるのよ世の中。

でも、車いすだっていうだけで、できないことがあるのは事実なのよ。正規の手順で正規ルートで訴えていくことが出来る中学生がいたとして、彼ら彼女らの青春が終わる前にプレミアムなシートで映画体験できるようになりますか?という。

から、俺個人としては止めて欲しい、もし自分が同じ立場だったら申し訳ないんですが車いす専用スペースで見てくださいプレミアムなシートは席のご用意が無いんですスミマセンスミマセン上に要望は上げるんで、という感じになると思うのよ。

それをぶっ飛ばして、いやプレミアムシートの下の段に自力スロープで上がるんで、介助者連れてくるんでええやん、みたいな人が居てくれるとさ、いやーそれはどうなんだろちょっとのもの相談しますね、みたいになると思うのよ。

それがさ、もしかすると、今回の件で、介助者がいて避難誘導時に介助者が誘導補助をするなら、通路に面したシートに普通に座っても良いですよ、となる可能だってあるわけじゃん。

その結果、車いすユーザーを含む高校生活を楽しむグループが、横一列で映画館映画を観ることが出来るかもしれない。そういうのがあると良いな、と思うわけよ。

あと見かけたのでは、リソースが有限だからっていう理屈。俺は嫌いだ。

健常者が普通に出来ることが、障碍者なんだから制限受けてん当然、みたいなの、俺は嫌なのよ。

災害時にリソースが足りないのはわかる。避難所では人工透析が出来ないです、インスリン注射補給できないです、車いすユーザー車いすを館内に入れないでください。ある程度制限がかかるのはしょうがない。

でもよう、労働者としての俺がさ、いやだってキミ英語中国語も喋れないじゃん、リソース有限なのよわかる?英語も喋れないようじゃ家は買えないよ常識的に考えてとか不動産から急に言われるのとか嫌だよ。

外部環境に左右されるリソースって単語で、日常生活制限かけられるのは、やっぱ嫌だよ。

車いすユーザーあんありがとうとか言わないよな、ありがとうっていうだけでそんな大変?ってのはなー

まれ育ちや頻度にもよるから何とも言えないんだけど、五体満足である俺ら側が許容してあげる度量は持ちたい。

俺は一回爺さんに言われてやってみたことがあるんだけど、右足と左足を動かすたびに、心の中でいいから右足と左足にありがとう、助かったよみたいに声をかけてあげるの一週間やってみてくれよ。

あ、いま右足で体重支えてくれてありがとう階段上ってくれてありがとう。止まれて助かったよ。ドア閉めてくれてありがとう、踏ん張ってくれて助かった、立ち上がってくれてありがとう靴下はくとき位置移動してくれてありがとう寝返り打てたよありがとう

俺は3日でギブアップ。確かにこの頻度や感覚ありがとうを言わないといけないんだぜって言われると、それはしんどい。だからしてもらって当然と無感覚なっちゃう人がいてもしょうがないと思う。

あ、見てて気の毒なくらいありがとう、ごめんなさいねっていう人もいるよ。それはいるって。

あと、俺の書き方に配慮が無かったって話(大意)。それは申し訳ないことをしたと思う。

例えば、そもそも配給会社に言うしかないタイプ障害を持ってる人がいるのも知ってはいたけど書かなかった。

その結果、心無い言葉に触れてしまった人がいたのはほんと申し訳なかった。

例えば、 映画みにいこ! ってサイトがある。

https://www.bfeiga.net/

視覚障害がある人が映画を観るときに使う音声ガイドがある映画とか、

聴覚障害がある人が映画を観るときに使う字幕メガネ貸し出しの映画館とか、

そういうのがある。

映画は何も晴眼者で健聴者であるものけが楽しむ娯楽じゃない。でもそこが十分にフォローされてるかっていうと、たぶんされてない。

そういう意味で、車いすユーザーはある程度わがままを言っても身の危険を感じることが少ないっていうのは、確かにそうかもしれない

最後になんだけど、俺はそういうクソ客はクソがと思うし、めんどいと思うし、俺の目の前に来たらやっぱ嫌だと思う。

あと、法律はそうなってないとか、車いすの作りがそうなってないとか、そういう対応コストがかかるとかも、わかる。

ハイ今はそういう意味じゃないしそうなってないでーす、バーカバーカじゃなくてさ、

じゃあそれは良い方に変わったら良いね、という風に思ってはくれないだろうか。

車いすユーザープレミアムシートで楽しめると良いね、ただクソビッチはむかつく、という風に分けて考えてくれないだろうか。

でもたぶん分けて考えるの難しいよなあとも思って、複雑な気持ちは今も変わらない。

結婚する時相手資産って開示すべきなの?

婚活出会った女性結婚を考えているんだが、結婚する時に自分資産を開示したほうがいいのだろうか?

婚活ときはあまり年収が高すぎても良くないみたいな話もあり、年収800万で活動していたので、彼女年収800万だと思ってるはず

でも実際は年収が1200万くらいあって、不動産と金融資産が合わせて10億くらいあって不労所得が2000万くらいある

ただ親族がなくなったら相続税等を払わなければいけない予定もあるのであまり裕福だと勘違いされても困るなとも思っている

後は親戚付き合いしてるとどうしてもどこかで不動産持ってることとかバレるよなとも思ってる

どうするのが良いのだろうか

anond:20240316193836

結婚法的効果相互扶助義務相続権日常家事代理。あとついでに貞操義務とか。嫡出推定は子を産めない夫婦には関係無いな。

ホモがよく気にするのは医療同意本来医療同意権は法律上夫婦どころか後見人にも無いので法的な要請では無いものではある。ただ、医療機関等の「キーパーソンシステム(キーパーソン同意を得ておけば本人の同意が無くても事後的に問題になりにくい、という脱法的な事業上の知恵)は、法的親族関係を他の親族への説得材料に使ってるので、法律婚していてくれればキーパーソン扱いが通りやすくなって好都合ではある。

ただ相続はわりと重要で、共同生活者の一方が急死したとき特に居住不動産まわりの処理をスムーズに回すには相続権があった方が良い。

そういうわけで、ホモ病院大家は、同性婚を認めてもらった方が好都合ということで利害が一致する。

2024-03-16

俺も高齢者になりたい

若者

どんなに働いてもお金は貯まらないが将来まで年金制度が維持される確証はなく資産形成を促され、それでも昔よりも多く税金社会保険料が取られて、昔より少ない手取りで、平日は全く休めず、昔よりも厳しい規制モラルコンプライアンスが求められてストレスを溜め、昔より高い物価不動産価格の中で生活していて、都心近くは高くて住めないか職場から遠くに毎日時間をかけてかけて帰る。

高齢者

若い頃に何も考えず散在してても、物価上昇に合わせて調整された年金が貰え、保険適用してくれる整体マッサーシを受け、暇つぶし病院に行って談笑しながらついでに無料に近い薬を貰って、税金から補助が出る平日限定無料イベントを楽しみ、イライラしたら適当な店に入って店員を怒鳴りつけてスッキリして、今より最大五分の一も安い時期に買った都心に近い家に帰る。

まじでG〇〇gle終わるかもしんない

ChatGPTをはじめとするAIの「サービス一貫性」「誠実性」は、孫さんも言うように人類の第5波のイノベーションになりうる。

G〇〇gleはいわば「個人不動産大家さん」という感じであり、AIAirBNB?とかウーバーとかの「集合知」であり多数の集合体である点が違う。

個人サービスなら、次のようなことが許されるわけだ。

「あ、今日からルール変えました。理由はとくにないっす」

「あ、デザインいじりました。気分が変わったからっす」

「あ、情報ぶっこぬいときました。金のためっす」

「あ、アクセスできないようにしときました。都合が悪いからっす」

どっちが永続するか。あとはわかるね?

anond:20240316123411

やっすい築古物件買いなよ

suumo見るだけでたくさんあるよそういうの

仕事してるうちなら、やっすい住宅ローン簡単に組めるから今のうち

ガチって探すなら不動産屋のサイト見なきゃだけど

2024-03-13

家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策趣味レベルなのか、微妙分からんレベルの規模のやつが。

繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中から田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎から全然文明のある方だろと言われそうな東京西部郊外だ。

道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。

それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。

そんな光景中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。

今やその手の地域ヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。

お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きからいかはともかく。

中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。

逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。

夢なんて大体理不尽不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。

夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地電波塔送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。

住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特にまり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。

そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。

大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい

それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原トランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるか分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽マジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。

大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色マイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。

畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。

施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。

カーテンも張られていないガラスから工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想まりだけれど。

つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。

件の公園日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。

それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。

平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。

おれは地域ヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。

そうは言っても都会なら都会なりに、田舎なら田舎なりに土地が育む心の特定の部位みたいなのはあるのかもしれんなって思った。

結局コロナが明けたら観光運送不動産も安泰だった

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