はてなキーワード: 上品とは
そうしたら目の前に豚汁もあるよ!のポスターが貼ってありまして、
ちょっと欲張りではありますが今回いただいたロースかつ定食のお味噌汁を豚汁変更にいたしたく給仕の方にお願いしようといたしましたら
そしたら給仕の方曰く、
あんた本当にこれ頼むのかい?(量が多い的な意味で)ってご忠告を受けてしまいましたわ。
お相撲さんが優勝したときに飲む大きな盃みたいな豚汁が来るわけでもありませんでしょうが、
本当に通常サイズの豚汁はフードファイターばりの人でしか挑戦権がないのでしょうか?
それが気になって仕方ありませんわ。
本当にお相撲さんが優勝したときのような盃の大きさの豚汁なのでしょうか?
とても気になりますわ。
ただわたくしとて
ちびっ子大相撲小学校6年生女子部門で優勝した自負がございますので、
昔とった杵柄ですのよ。
おほほ。
でも、
お餅はつきませんわ。
お餅はつきませんわ。
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、……
しかし、高校の古典の授業に登場する清少納言の随筆は読んでいてよくわからないものばかりだった。
途中までは理解できるのだが、思っていた方向とはまったく違う結論で締めくくられる。
「清少納言は嫉妬深く自慢好きで、他人に厳しく自分に甘い人間だ。自慢か嫌味か愚痴で締めくくられると思って読め」
なんと、読める。
教科書はそれを「ありのままの気持ちを描いている」「赤裸々な思いを綴っている」等とできるだけ肯定的に表現するが、
改めて読んでみると、清少納言の随筆の結論は以下のようなものばかりだった。
「即興で和歌詠んだだけなのに偉い人にめっちゃ褒められたwww適当に考えたのにwwwまああたし才能あるのかもねwww」
「なんか他人の歌が褒められてた。全然センスないのに。調子のってて呆れるわ~」
逆に言えば、初めて触れる清少納言の随筆では、嫌味な結論を予想しながら読むと、大変理解しやすい。
受験生は参考にしてほしい。
いや育ちがいいって裕福だってことを言うんじゃなくて
物腰や態度、考え方が品がいいってことね・・・
品性の品ね
金持ちなら誰でも品がいい、育ちがいいと言われるわけではないんやで
2ちゃんねる開設当初1999年から成人済みでネットにいたおばさんが来たよ
・今5ちゃんねるしかないのに2ちゃんねる風といっているということは「今はもうないサイトを見てる気持ちにさせる懐かしの作風」ってことだよ、女性蔑視もリアル味を出したスパイスです。よくある攻めちゃんや受けちゃんに現パロコンパで粉かけるモブ女性社員とおなじやろなぁ(猛虎弁)。
・「ネットでは男子にあらずんば人にあらず」は間違いだよ。2ちゃんねるにも801板(腐女子の場所)や鬼女板(既婚女性の場所)があって
メーテルになりきった貴腐人たちが上品なエロ会話をしたり狼板と喧嘩していたよ。
猛虎弁の男ヲタとおもっても中身おばさんということもよくあるよ
ですので
①「こんなクソアフィサイトなんか当てにならない!真に受けるだけ損!!」 ←アフィサイトだけじゃなくてネット全体に信用したらあかんよ
②「まとめサイトって面白い!もしこんな風に私の好きなキャラを語ってるスレがあったら楽しいかも!!」 ←まあ本当におもしろいネタは転載禁止なので、おもろいネタまとめてる時点で転載禁止守らないダメサイトですので早晩訴えられて消える運命やでそれ
③「男オタクは女オタクを差別してるんだ…悲しいな…。」 ←男オタクが、ではなく人は人を差別するもんやで、いろんな理由でな
でもまぁそうやって喜怒哀楽うごかせたらページビューがかせげていい鴨なので一度ワンピネタでページビューのカウンターがまわったら同じ風味のを量産されるんやろな。
若い人はスマホ入手してもライン程度にしておこうな。怒ったサイトがあったら仲間に知らせないこと。スクショとったあとは二度と見ずに自分で墓に埋めろ。こんなんで怒っちゃった自分どうかしてたなくらいにおもえたらまた言ってもいいし反論もできるだろう。
はじめに、これは母親と娘(私)の話です。ブログを書くことが本当に久しぶりなので、元々文才の無い自分が書くとさらに読みづらいと思います。すみません。
母親との関係に悩みが尽きないと感じるようになったのは、ここ最近のような気がしていた。
ずっと、"それ"は繰り返されていた。
諦めのような、虚無感を含んだったこの感情は、幼い時から繰り返し感じていた。
私は"それ"を知っていた。
いつも走っていて、時々転んでは汚れた服のまま、また駆け出しているような子だった。
あまり記憶が鮮明ではないが、おそらく仲の良い友人に彼が気になると話していたのだろう。
母は、私が彼を好きなことをいつの間にか知っているようだった。
ある日、お迎えに来た母に「〇〇くんはどの子?」と聞かれたのだ。
私は無邪気に指をさして母に教えた。
その時、左斜め下から見た母の顔を覚えている。
眉をしかめて、口を少し開けたまま、「そう。」とだけ呟いた母は、明らかに嫌悪を私に示していた。
悟った。ああ、母の機嫌を損ねてしまったと。
母の機嫌を損ねることは私にとって何よりの恐怖だった。
おそろしいことに、それは今でも。
小学生の頃、着て行く服は母が全部選んでいた。
天気、気温、行事、学校帰りの習い事。あらゆる条件をクリアする服装を毎日ぴったりと揃えて準備してくれる。
私は母の選ぶ服が好きだったし、母曰く「上品で程よくキュート」な洋服を友人に「似合っているね」と優しく声をかけられた日はとても嬉しかった。
きっと忙しい日もあったのに、毎日毎日準備をしてくれたことに感謝している。
ただ、一度私が着たいと思った服を「似合わない」と言われた時に、私はとても怖くなった。
可愛いな、と思って店内で無邪気に手にしたそのワンピースを「変よ」と一言、それだけで怖くなった。
「いいね」と言って、母もこちらに寄ってきて一緒にその服を手にしてくれると思っていた。
でも違った。
文章にしてみると、ただそれだけのことなのに、私は自分の感覚すべてが間違っている、と強く思った。
中学、高校は制服があったので母が毎日服を選んでくれる習慣は無くなったが、例えば友人と出かける時に服を選ぶと必ず私は母に「どうかな、この組み合わせ」とつとめて明るく聞いた。
「似合わない」「違うと思う」と言われたらどうしよう。
「いいと思う」と言われる日もあったし、「スカートの丈がおかしい(母は膝が見えるスカートのことをおかしいと言う)」とそっぽを向かれる日もあった。
たいていの場合、バツをつけられたアイテムはすぐに他のものに変更していたが、どうしてもそれを着たかった時、別の組み合わせでプレゼンする。
初めて言われた時、殴られた方がマシだと思った。
10代の私にとって、大きな壁を作られたような、それはそれはとても恐ろしい体験だった。
すぐにすがった。「やっぱそうだよね。どこかで見た感じをまねしたかったんだけど、違うよね」「やっぱり私センスないから、これやめるね」と。
ただ、ここで母の機嫌は元に戻らない。
もう、こちらの声は聞こえていないのだ。
ツーン、と。こちらの顔を全く見ない母の"それ"は大人になればなる程長くなる。
大人になると「もうその服は年齢的にきついと思う」とよく言われる。
気に入った服、お金を貯めてえいっと気合を入れて買った服、家族には話せていない思い出がつまった服。
みんな色がなくなったみたいにして、ゴミ袋に入っている。
私が些細と思っているだけで、母には大きな出来事かもしれないが、私にとってそれは静電気くらい、突発的にパチッと起きる。
金曜日、帰りにこれを買ってきてほしいと頼まれて、無事購入し帰宅してみると頼まれたものが冷蔵庫に入っていた。
「これ買ってきたよ?」と購入品を見せると、「たまたま出かけることになったから私が買っておいたの」と言う。
ここで、「そうなんだ。ごめん、私も買っちゃったから冷蔵庫いっぱいになっちゃうね」と謝るべきだった。
だけどその日ひどく疲れていた。
「連絡してくれたら買ってこなかったのに」と言ってしまった。
アウトだった。
この会話で、私は週末ずっと脅えながら過ごすことが決定した。
普段はテーブルにランチョンマットかお盆を置いて食べる夕飯時、私がそれらを準備する前に母はドン、と音を立てて食器を置く。
高校生の頃突然のことに驚いて何も言えず、立ち尽くす私に目もくれず、母は不機嫌をアピールするように食べ始めた。
時々、はあと大きなため息や、小さな舌打ちが聞こえる夕飯は心臓が苦しいだけだ。
「いただきます」と合掌しなさいと叱っていた子どもの前で、何も言わずに食べ始めた母は5分も立たずに完食し、「ごちそうさま」も無く、大きな音を立てて席を立ち、自分の使った食器を洗い始める。
私は一人静かに、なるべく音をたてないようにして夕飯を食べる。
こういう流れになったとき、自分で食事をつくると悪化するので、静かに皿の真ん中をみつめて、吐き気におそわれながら食べ進める。
リモコンを触ってチャンネルを変えると負けなのか、誰も見ていない番組が延々と流れる。
父の仕事の関係で、夕飯はいつも母と二人だったので夕飯時は好きなドラマや映画を見ることも多かったのに、あまり馴染みのない番組をBGMに冷たい時間が流れる。
そして、食後に甘いものを食べたり、一緒に片づけをする時間はもちろん無く、
食後に片づけを終えた後、私はすぐに歯を磨き、眠る準備を整え、頭を深く下げて「おやすみなさい」と伝えてから自室へ向かう。
しかし、いつもこう言われるのだ。
「何が?」と。
喧嘩ができない。
投げても返ってこない。
この冷戦期間、母がいるかもしれないリビングにはなかなか行くことができないので、薬が必要な時に飲めるように常備薬は自分の部屋に常に置いている。
自室へ行く前にコップかマイボトルに水を入れていくことも忘れないようにしている。
慣れてしまった気もしている。
気持ちが落ち着く香りがするものや好きな飴を自室にこっそり置いて、少しでもこの小さな部屋で快適に暮らせるように試行錯誤してきた。
でも、何度経験しても突然こちらを向いてくれない、口をへの字にした母の表情には慣れない。
おそろしいことに、アラサーになった今でもこわくてこわくて仕方がない。
こわがっていることが情けない。
でも、こわいのだ。
ずっとこわいなら、すぐに家を出ていたかもしれない。
でも気づいたら、大学も就職も県内で、はじめからそれ以外の選択肢は無かった。
母に「A大学へ行け」と言われたわけでも、「B社に就職しろ」と言われたわけではない。
それは多分、ずっとこわいわけではないからだと思う。
母はほんとうに優しい。
優しく、ときどきユーモアがあって、音楽が好きで、海外の映画が好きだ。
ごはんもとても美味しい。
私が作るごはんもすごく褒めてくれる。
働き始めて家にお金を入れる度に「自分の好きなものを買っていいのよ」と言った後、ありがとうと優しく受け取ってくれる。
優しい母が好きだ。
愛してもらった自覚がある。
あらゆるものから守ろうと、常に私のことを気にかけてくれたことに感謝している。
話は変わるが、通帳をしばらく紛失したことがあった。
仕事が忙しく、それどころではなかった時期なので、「家の中でなくしたのだからいつか出てくるだろう」としばらく放っておいた。
ある日、通帳がどうしても必要になり、家中を探した。どこにも無かった。
そんなはずはないと連日通帳を探す私を家族は心配そうに見ていた。
仕事に関して抱えている不安と、見つからないものへの不安がごちゃまぜになって、まるで狂ったかのように家中を探していた。
仕方ない、半休を取って通帳の再発行に行こうと思い、心配してくれた母にも報告した。
銀行に行き、「〇週間ほど、通帳を探したが見つからないので再発行したい」と伝えた。
対応して下さった行員の方の言葉に、私は鈍器で頭を殴られたかと思った。
おととい、つうちょうをつかっておかねをひきだされていますよ。
頭が真っ白になった。
何行かにわたって記された数字を見る。残高はほとんど無かった。
あまり覚えていないが、「勘違いかもしれない、すみません」と怪しまれる前にとにかく銀行を早く出たかった私は多分適当な言葉を並べて足早に去った。
私はまっさきに思った。
話してくれたら、いくらでも使っていいのに。
当時、あることでお金が必要だということはうっすら雰囲気で感じていた。
でも「私出すよ」と娘である私が言うと偉そうなのかもしれないと思っていたし、両親がそういうタイプの人間だと知っていたので、必要ではあるけど足りないという話はしていなかったこともあり、能天気に流してしまっていた。
いくらでも、あげる。
今までたくさんもらってきた。
私も参加させてほしい。
銀行の近くの本屋でなるべく人の少ない階の隅の椅子でこっそり泣いた。
立っていられなくなった。
あと少しで仕事に行かなければならないことと、家に帰ってどんな顔をすればいいのかわからないことで頭がぐちゃぐちゃだった。
話したらお金を出してくれない娘だと思われていたのか。
だから隠し続けたのか。
必死に探している時、不安でいっぱいな私をどういう気持ちで見ていたのか。
学生の時、同級生とのあるやりとりについて注意されてから、携帯のメールや通話履歴は見られるものだと思って使っていた。
話せないまま、外出が急に増えたことを不自然だと問い詰められる前に別れてしまう。
気になる人ができても、母に紹介する時のことをイメージしては〇か×を考えてしまう。
もう、こわい。
母ではない。
こわがっている自分がこわい。
今日も、"それ"は起きました。
来週、とても緊張することがあるから今週はとてもおだやかにすごすつもりでした。
そうしないと乗り越えられない気がしていたからです。
そのことを思うと怖くて眠れない毎日だったから、なんとか心のバランスをとって生きた今月でした。
でもだめでした。
私は家に帰り「言ってくれたらよかったのに」と言ってしまいました。
でも疲れていたのです。
言い訳かもしれませんが、ほんとうに心も体もふらふらだったのです。
ゴミ袋に入った気に入った自分の服を見て涙があふれてきたので、取り繕うこともできませんでした。
帰宅する旨の連絡をした時に返信で教えてくれたら助かりました。
もしくは「ごめんごめん」と笑って流してくれたら、もっと助かりました。
流れず、返されず、そっぽを向いて投げられたボールをずっと追いかけて走っています。
走る私の背中を監視するような目でずっと見ていますね、わかります、感じています。
だんだんと体が冷えてきました。
窓の外は本当に真っ暗で、でも部屋も真っ暗なので、まるで境がありません。
どちらが暗いのか、もうわかりません。
ほぼ完全に在宅ワークで2回目の冬を越すのかと思うと、真冬の室内の寒さを思い出す。温度管理が行き届いたオフィスビルと違って、自宅で働くなら室温と体温の管理は自分でやらなくてはいけない。
それで、厚みがあってガッチリしたセーターを手に入れようと思ったけれど、どうしたらよいのかわからない。
大手のアパレルとか無印良品で見つかるのは、薄手の、上品な、スッキリしたセーターばかりだ。これならスーツのジャケットの下に着ても大丈夫だ。
インバーアランというスコットランドのニットウェアメーカーで売っているやつがイメージに近くてよさそうだけれど、なかなかお高い。最低でも2万はする。
今までの人生でそんなに立派なセーターを買ったことはない。学生時代から洗濯の技術がちっとも進歩していないから、縮ませて駄目にしてしまいそうで、踏み切れない。
そもそもこういうセーターはあんまり洗濯をしないものだという話を読んだこともあるけど、じゃあどうやってメンテナンスすればいいのだろう…
海外メーカーのやつ以外に、日本国内のニットメーカーで出している、厚手のちょっといいセーターは、どこで売っているのだろう。
筒状のクッキーとかラングドシャとか、色々ある。とてもおいしい。
シガール(筒状のクッキー)を咥えて吸う空気、とてもおいしい。
ほろほろ、さくさくで、あまくて、おいしい。
一番好きなのは、ラングドシャをさらにチョコでコーティングした冬季限定のビエ オゥ ショコラオレ。
ちょっと上品で、お高くて、デパ地下とかで売ってて、退職する職場の人とかから貰うヨックモック。
人から貰うものと認識して20数年生きてきたので自分で買うという選択肢がそもそも頭の中になかった。
ふと、ヨックモックのオンライン通販で買えることに気づく。いや、普通に考えれば買えるんですけど。
買ってみる。家にヨックモックがある。
しあわせ〜
ヨックモック柄のランチョンマットがついてくる商品が出る。買う。おいしい。ランチョンマットはかわいい。
ヨックモック柄のコースターがついてくる商品が出る。買う。おいしい。コースターはかわいい。
夏季限定シガールのアイスが出る。買う。おいしい。(今年は出なかった。さびしい。)
クリスマス限定の缶、お正月限定の缶、いつもお菓子が入ってる缶もかわいい。
もっと昔からヨックモックのこと好きだったけど、最近もっとヨックモックのこと知ってもっと好きになった。
もっと昔からヨックモックのこと知ってれば、昔の限定商品も逃さず食べられていたのかな。そんな嫉妬と後悔を胸にまた新しい商品を買う。自然と商品名も覚えてきた。
ヨックモックさん、いつもおいしい商品をありがとうございます。オンライン販売限定のカカオ シガール オゥ ショコラ、爆買いしたいので単品で売ってください。
Xiaomiは新進気鋭のスマホメーカーとしては一番ガジェオタ受けするメーカーだからね。
界隈の国内外のブログ・動画レビューとか見てればそのモノづくりや理念に対して好印象持つようになるのは自然なんよ。
無知で国粋主義にまみれてるせいでそういう視座がない人の目には盛り上がりが異様に映るのは仕方ないかもしれんが、スパイ呼ばわりするのはアルミホイル巻いた方がいいですわ。
中国というだけで確かに色々ほじくられて悪く言われることも多いし、社員の中には反日な人もいるかもしれん、文化の違い的な意味で失敗もするかもしれんけど、企業としてはちゃんと国際的なポリコレ感覚に沿った正しい対処をしてるよ。若いベンチャーだったのは少し前の話、今やFortune500に載る大企業だからね。企業自体が邪悪なことをしている明確な証拠は一度も挙がってない。ゴシップみたいなサイトに惑わされんでほしいね。
Xiaomiは中華イヤホンで言うKZ……いやTFZ……いやもうちょっと上品にMoondropか……あたりの、中華ゲーム開発で言うならmiHoYoあたり、OppoはYoster、みたいなさ。Huaweiは民間企業と言い切れん立ち位置特殊枠だから除外してね。
要するにそのへんのマニアは一目置くブランドなんだよ。中華の中にも、洗練された優れたものはあるし、そうではないものもある。そういう部分がマニアには見えてるわけよ。
Twitterのスペースにハマってしまった完全オンライン世代の大学生。
人と話すのなんて勘弁願いたい。
スペースなんて陽キャの集まりで、やっても仕方ないと思っていた。どうせ他愛もない話をずっとしてるんだろう。
ある日の夕方、一人で夕飯を食べる虚しさに耐えきれなくてスペースに入ってしまった。あんなにバカにしてたのに…
初めてのスペースは正直しょうもない話が延々流れてくるだけだった。
くだらないと思った。そしてすごい楽しかった。
世の中には「実りのある話」が流れてくる。
そんな話、本当はちっとも好きじゃなかったことに気づいてしまった。
賢くて上品な話が好きな人になりたかったんだけど、どうでもいいしょうもない話を聞きながら泣いてしまった自分がいる。
そういえば、スペースで知り合った人たちと遊んでみた。今までの自分なら鼻で笑っていたようなことをテノヒラクルーでやってみたら超楽しかった。相手方も楽しんでくれているといいが。
人間関係に対して卑屈でひねくれている見方しか出来なかった自分だけど、少しずつ改善していこうと思う。なんかアドバイスがあったら聞きたいです。