はてなキーワード: 三面とは
「ひとまず見守ればよろしいのでは」
「自分の身内が良く分からないものに入れ込んでいて、何も言わないってわけにもいかないだろ」
「信仰心がなくとも、相容れずとも、敬虔であることは矛盾しません」
「弟はそういうレベルで放っておけないんだよ」
別に“ああいう”のが悪いとまでは言わないが、それの良い面だけ無闇に信じているのがマズいんだ。
サンタは良い子と悪い子を区別してプレゼントを配ったりはしないし、俺たちはプレゼントの中身を選択できない。
ああいう自己啓発に容易く食いついてしまっている弟が、そのギャップに耐えられるとは思えなかった。
あそこで語られたハウツーの効果が、実際どれほど効いているかなんて分からない。
多少は関係あるかもしれないが、他の様々な要因が絡み合って、たまたま運が良かっただけってこともあるだろう。
大した根拠もなく「こうすればいい」だとか「これのおかげだ」と吹聴し、他の人にも伝染させるのは危険だ。
「まともな六面サイコロは、三面を見ただけで全ての数字が分かる。だが、それが本当にちゃんとしたサイコロかを確認するには、結局は転がして見なきゃあ分からないんだ」
「えっと、ごめんなさい。その例えはよく分かりません」
「……つまり弟には、もう少し冷静になってほしいってことだよ」
弟は、あの自己啓発をどんどん吸収していっている。
「仮に弟くんがそれを信仰しているとして、直ちに問題というわけでもないでしょう」
絶対的な根拠があるわけじゃないが、あいつはどこかで躓くという予感があった。
今のままじゃあ、いずれ盛大な転び方をするだろう。
まだまだガキの弟が、周りをちゃんと見ないで走れば大抵そうなる。
弟にその危機感と、転んだときに耐えられるだけの柔軟さがあるかというと疑問だった。
「そうですねえ……対策をしたいとお考えなら、やれることはあるでしょうね」
「何か方法があるのか?」
俺の意志が伝わったのか、ここに来て教祖は“とある案”を匂わせた。
しかし匂わせておきながら、随分と歯切れが悪い。
「いや、そこまでではないんですが……私の立場で、こういうことを口添えしていいものか。明日は我が身かもしれませんし……」
強制的ではないが、あまり“良いやり方でもない”ってことなんだろう。
「とりあえず言えよ。それを実行するかは別の話なんだし」
「うーん、では言いますが、やるというのなら私の顔は思い出さないでくださいね」
そう断りを入れてきたが、教祖は語りだす。
「新興宗教の多くは最初の数年で躓きます。自己啓発が信仰体系の一種だとするならば、それらの過去を顧みて応用が可能でしょう」
だが、そのままズバリ答えを言ったりはせず、迂遠な言い回しでヒントを出した。
「つまり、どうすればいいんだ」
「『生活教』をやっている身として、これ以上は踏み込んで言えません」
あくまで俺自身が考えて、行動するかどうかを決めろってことらしい。
責任がとれないし、とりたくもないので、そういう体裁が欲しいのだろう。
更に、その中から俺が出来ることで限定するならば、必然的に答えも導き出される。
そして、それは予想外に単純なものであり、予想通り良いやり方でもなかった。
当時はYahoo!ジオシティーズが全盛で、自分もやってみたかったのがきっかけだった。
幸いにして父のPCには Photoshop 5.5 があり、マウスで描いた絵を投稿したり、日記を書いたりした。あとは当時流行っていた RPGツクール 2003 で簡単なゲームを作ったりしていた。絵は下手だったしゲームは何度もエターナったが、それでも本当に楽しかった。やるたびに世界が広がっていくような実感があった。
当時の自分はあまり版権モノに頓着しておらず、二次創作文化にはあまり触れることがなかった。
ただ、描く習慣はつけたかったので、日記では鉛筆の落書きをアップし、カラーの絵は毎月必ず更新されるトップ絵という形で描くようにしていた。今考えると大したペースではないが、年に必ず12枚は本気のカラー絵を投稿する習慣があったのは良かったと思っている。
しかし3年が経って高校生になり、いよいよ絵に注力したいと思った僕は、漫画研究部に入った。思ったよりもちゃんと描いてるサークルで、僕は安心した。ここなら楽しく創作できそうだ、と思った。
しかし漫研に入った最初の夏に、僕は3年続いたイラストサイトをいきなり閉鎖した。
高1の期末試験が終わり、明日から夏休みが始まろうという日だった。
部誌に描くマンガのネタに悩みながら、自分は帰り道ゲオで漫画を買い、長い道草を食った後に最寄り駅についた。
最寄り駅と言ってもそれなりに家までは歩くので、母親との都合があう日は車で迎えに来てもらって買い物しながら帰るということが多かった。その日もそんなつもりで家に電話をした。
母が電話に出た。電話口の母親は、力のない声で「今日は歩いて帰ってきて」…と言ってきた。具合でも悪いのか、聞いてもよく分からなかった。僕はそのまま歩いて帰った。
家のドアを開けると、同じく早く帰ってきてたらしい妹の泣く声が聞こえた。また母親と喧嘩でもしたのかと思ってリビングに上がると、母親がなぜか正座をして迎えてきた。なんだなんだと思っていたときだった。
援助交際だった。いわく相手が未成年であることは知らずに行為に及んだようだが、相手方の少女が家族にバレたらしく、その相手だった父が捕まった。僕の高1の夏休みはこうして始まったのだった。
いきなりのことで不安なことはいろいろあったが、まず気になっていたのは、こういう事件がどのくらいニュースとして広まるものなのか分からない、というものだった。
もし地方局レベルでもTVで流れてしまった場合、あっという間にいろんな人にバレるだろう。大げさな話、名前を変えて隠れて生きなければいけないんじゃないか?とか当時は本当に心配してた。今思うと無知だったとも思う。
結局、幸いにして(?)、事件そのものは地方紙の三面に小さく載った程度だった。父の名前は出ていたが、何気なく新聞を見ていて気づく確率はそんなに大きくないだろうと安心した(母はそれでもダメージを受けているようだった)。
父も一ヶ月拘置所に入る程度で済み、一旦家族はもとに戻った。8月の後半だった。7月のトップ絵は更新できなかった。
イラストサイトの方では、自分の個人情報はそれほど晒していなかった。住んでる地域ぐらいなら日記を見てれば分かるだろうが、管理人の本名と紐付けること、ましてやそれが地方紙の三面に報道された事件の容疑者の息子だと知ることなど、到底できそうには思えなかった(もし当時Twitterがあったらどうなっていたか分からない)。
にもかかわらず、報道に怯えている間、インターネットで自分を晒しているということが次第に怖くなっていった。隠れて生きなければならないかもしれないのに、どうして自分のサイトを運営などできようか?
そうして僕は、父が逮捕された日にサイトを閉じた。一ヶ月後、新聞の小さな記事を見て後悔した。この程度なら続けていても良かったじゃないかって。
しかしこれは家族にぶつけてもしょうがない怒りだった。父が捕まったことは家族以外には内緒だったので、結局誰にもこれを相談することはできなかった。
サイトを閉じた後に一人Skypeで心配して声を掛けてくる人がいたのは嬉しかった。サイトのバックアップを取らずにジオシティーズのアカウントを消したのでそのまま復活させることはできなかった。しょうがなくブログという形で活動を再開していたが、その時にはもう色んな気力が萎えていた。
貧困の本質とはモノやお金がないことではなく、先行きが見えないことだと言われることがある。僕の実家は別に貧乏でもなかったが、それでも先行きがずーっと見えなかった。
三年間続けてきたコミュニティとの縁を何も言わずに切ってしまった。下手でも続けていた絵を投稿する習慣が途切れた。漫研にいたので絵そのものは続けていたが、よほど張り合いがなかった。インターネットで活動する場所がなくなり、やることがあまりなくなっていった。
pixiv に登録したり、mixi でかつてのサイト仲間とマイミクになったり、なんとかやり直そうとしていたが、そもそもあの時サイトを消すことなんて無かったんじゃないか、という気持ちがずーっと消えなかった。そんなこんなの間に受験が来て進学した。
大学入学前後の時期、僕は人生で一番絵を描いていた。とにかく遅れを取り戻したかった。が、二ヶ月もするとすべてが辛くなってしまった。入学後に始めたTwitterアカウントはどんどん病んでいき、またインターネットをやめた。
もうおしまいだと思った。
創作自体はしているが、もう誰も知らない、ずっと細々としたものになっていた。
あの時サイトをやめていなければ、自分はそのまま楽しく創作を続けていたのだろうか。
きっと順調に進んでいたとしても何らかの挫折はあっただろう。
創作にはそもそも挫折はつきものだし、反応がなくてやめてしまうケースなど珍しくはないと思う。
しかし、それはまだ「正しい挫折」じゃないか、とつい思ってしまうのだ。
幸福な人生とは、つらいことがない人生ではなく、つらい出来事があってもそれにちゃんと意味のある人生のことだ。それが努力の結果の挫折なら、それはちゃんと存在意義のあるつらさだ。自分が一番不幸だとは考えないが、自分の不幸が一番無意味だと考えてしまうのはいかんともしがたい。
自分の当時の苦しみにはまったく何の意味もなかった。そもそも創作とは何の関係もない出来事をきっかけに、まったくの非合理な思い違いから、ただ間違ったつらさだけが残った。どうせ理想がかなわない人生になるとしても、せめて後者の意味では幸福でいたかった。つらいことがあるにしても、存在意義のある苦痛だけを背負って生きたかった。
角部屋三面採光なんだな、これが
私はモンスターが描けない。ドラゴンやオーガ、ロボットのような複雑なものも、ゴブリンや妖精のような比較的簡単なものでもとにかく描けない。ただでさえ人並み以下の絵しか描けないのにそれらを描こうとしたら尚更だ。普通なら「でも別に無理して描くものでもなくない?」と思われるだろうし実際そのように考える方が大多数だろう。もし絵で仕事をしたい、と考えるならなるべく描けないものは無い方が良いだろうけれど、別に趣味の範囲なら本当に気が向いたら…で良いんじゃないかという事を何度か友人に言われた。これから描くことは多かれ少なかれ他の人も感じているかもしれないしただ単に下手な奴の被害妄想かもしれないので話半分程度に流し読みするくらいの気持ちで読んで欲しい。
あるカードゲーム系のジャンルにいた頃だ。そのジャンルにハマった当初は登場人物の絵しか描いておらず、周りと比べて描けないことに凹む日もあったけれど別にそれが重石になるようなことは無かった。少しはあったかもしれないが、無視できる程度だった。しかし、交友範囲が広がるにつれ、何となく「あれ、もしかして人物よりモンスター描いた方がウケるのかな?」と感じる時が増え、やがてその気持ちがどんどん大きくなり毎日のように「私はモンスターが描けないから他の人と距離を置かれているんだ」「モンスターの絵を描かない奴に価値なんて無いんだ」と考えるようになった。今考えれば普通にモンスターの絵を描かなくても評価されている人はいたし別にそういった人達を無価値に思う人なんていなかった。しかし当時の私は進路のことでとても不安定な時期だったこともあり、どんどん悪い方へ考えてしまうようになった。そう思い込んだまま何とか進学し、細々と絵を書き続けた。何度かモンスターを練習したことはあったけれど、大抵は嫌になって投げ出してしまう事が殆どだった。花形のドラゴンを描きたい。ロボットを描きたい。そんな鬱々とした思いを抱えていた。
その頃はさらに交友関係が広がり、悪い方の考えの中に「皆出来ているのにどうして私だけ出来ないんだろう」という考えも追加された。知人にその話をした時、「考えすぎだよ」と言われた後「でもあたし変なモンスター絵描きに絡まれてからああいう人達もその人達を持ち上げる人も嫌いなんだよね」と言われて自分の気持ちがわからなくなった時もあった。何度もこんなジャンルにハマらなければ、いいやジャンルは悪くない、私が悪いんだと毎日ノイローゼのようになりながら絵を描いていた。そしてとうとう7月の末に一度絵が全く描けなくなり、しばらくリハビリをした後今は何とかまた描けるようになった。
何度か別のジャンルを経由して、結果としてまたジャンルに戻ってきた。ロボアニメにハマって資料集の三面図を模写してそれなりに苦手意識は無くなった。動物も何度か描いてそれなりに自分の手に馴染んだ(とはいえ両者ともまだ資料と首っ引きではある)。でも、もうモンスターは描かない。描けないということではなくて、描きたいと思わなくなった。人によっては「酸っぱいブドウじゃん」と思う人もいるし、「ふーん、それでいいんじゃない」と思う人もいるだろう。それは個々人の考えだから別に私はどうとも思わない。
もし、同じような事で悩んでいる人がいたらこれでも読んで気晴らしにしてほしいと思うし、何だったら「しょーもな」と笑ってほしい。
重く垂れ込めた雲は空を覆っている 今年は台風も遅かったが、遅れた梅雨が始まったのだろうか。
俺の腹の中も同じような景色だが二郎インスパイア系を晩に食べたことが原因なだけではないと思う
この突然やってくる気重は躁鬱というやつだ。 母もそうだったから分かる。
薄っすらと死とはどういうものか考えたりしだすのだ。
電車が下に通る橋の上に立ってぼんやりそんなことを考えていると、
この視界に収まる範囲だけで数えきれないほどの人間が生活していると思うと、不思議な気持ちになる。
みんなみんな、こんな下らない日常を生きていけるだけの力をどこから得ているのか・・・。
あるいは俺の知らないなにか面白い事が世の中にはあるのかもしれない。
フィギアみたいにひとつは観賞用、ひとつは保存用のような用途を分けるために買うのではない。
2箱とも鼻の穴に挿すために買う。
数えたことないけど、ポテロングは一箱に大体20本くらい入っている。
だから合計40本挿せることになる。
自宅に帰ったら、さっき買ってきた2つのポテロングをテーブルの上に置き、同時にフタを開ける。
そしてそれぞれの最初の一本をゆっくりと両の鼻の穴にインサートする。
鼻の穴の中がカリッと香ばしくなる。
そしてそのまま三面鏡の前に立ち、ぐっさりと両鼻にポテロングがささった自分の顔を見る。
できるかぎりかっこいい顔をするのが鼻ポテを楽しむコツだ。
かっこいい顔であればあるほど鼻にささったポテロングが活きてくる。
ひとしきりそれを楽しんだ後は、鼻の穴に入りきらなかった部分のポテロングを折る。
そして折った2本のポテロングを前歯だけでサクサクサクサクサクサクとリスのように食べる。
長かった一日が終わる。
四天王って、ある程度格の近しい者を四名集めて構成されると思うんだ。しかも正式な役職でなくて俗称的な。
そこまでボロクソにこき下ろすくらいなら、三名で構成して三人衆とか三天狗とか三面拳、名乗ればよかったやんけと思わなくもない。
しかし、一人だけ格の落ちるメンツを入れているならそれ相応の理由もあろう。
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1.総合力では格が落ちない説
一般的に、表題の台詞を吐くのは悪の組織の四天王であって、およそ善性の高い敵に組織ごと滅ぼされるのが定石であろう。
組織の中にあって四天王はおよそ二番手から三番手くらいの地位にいるのだけれど、基本的に作中で敵との勝敗を決めるのは暴力であって、組織力や資金力、あるいは弁論能力ではない。しかし、組織である以上、本来は個人の腕力よりは組織マネジメントや金勘定を重要視する場面の方が多かろう。組織のボスとしては暴力馬鹿だけを幹部に就けていけば組織の運営に支障を来すことが目に見えている。
つまり、四天王の面汚しとは、平時にこそ辣腕を振るう人材なのではないか。
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2.有望株に対して責任を持たせて成長を期待している説
世界でも有数の犯罪組織と言われる山口組では、三代目末期にそれまで存在しなかった若頭補佐というポジションを新たに設置し、有望株の育成を行ったというエピソードがある。
立場にふさわしい者を、との考え方ではなく、そもそも立場が人を成長させるのだという考え方で他には劣る者であっても責任ある立場に就かせてみたのかも知れない。
そうなると、他の立場に足る実力を持つ四天王は面白くないだろうから、そいつが失態を犯した時には「面汚しめ」とか罵るのだろう。「牛の糞にも段々があるんで」という心境で。
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3.縁故採用説
組織の首領からすると、実力はあっても扱いにくい人材ばかりを幹部に並べると組織運営に支障を来す。
その場合、扱いやすい人材を幹部として取り立て、雑用はそいつに任せたりする。
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三面拳なら来電が好きかな。
同居人がウザい。もうデスノートに名前書きたいレベル。私は潔癖症と言われるけどコイツの人間性を疑う。
ドアをバンバン閉める。糞うるさい。死ね。または半ドアで閉め切らない。死ね。
三面鏡を使ったら戻さない。戻そうとするときは思いっきり閉めるから反動で閉まってない。そのまま。死ね。
歯を磨いた後は水しぶきだらけ。鏡も汚す。もちろん拭かない。死ね。
食器を浸けない。もちろん洗わない。死ね。
風呂の水を抜いたら流さない。垢がパリッパリになる。もちろん洗わない。死ね。
家賃も払わない。貯金がないと言いながらやりたいことやって散財しているだけ。
それができるのは私が家賃+光熱費+もろもろを全額払っているから。
コイツのせいで私の貴重な朝の時間が10分以上無駄に消費される。
なんで朝起きたら後片付けと清掃から始めないといけないんだよ。
周りが片付けて清掃しちゃうから、コイツが使うときはいつも綺麗な状態。
それ以前にコイツの方が朝は早いから、足音とドアと三面鏡の開け閉めデシベルで最悪の目覚めを向かえる。