「三段論法」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 三段論法とは

2022-12-21

anond:20221221162116

そもそもロジックの建て方として、オタクキモいっていう結論を出すというゴールを最初に設定した上で、自分オタクの間で足元で分断できる線を引いて「この線より向こうにいるやつはキモい、よってオタクキモい」っていう主張をすることで三段論法オタクキモいことを証明したいって論法なのよね。

オタクキモいという気持ち否定しないけど、証明する必要のあるものでもないし、足元に線を引いた向こうを迫害すると言い出すとオタクに加えていろんな属性迫害されるからオタク憎しで結論ありきなロジック振り回すのは一旦控えたら良いんじゃないかと思ってるよ。

2022-12-01

anond:20221201000727

簡単三段論法だぜ。

写実的3DCGは、実在幼女の裸を参考にしてる可能性がゼロではない

しかデフォルメの効いた二次元ロリが、実在幼女の裸を参考にしてる可能性はゼロ

❸ だから二次ロリと違って、写実的三次元ロリ規制されるのに妥当性はある

2022-11-08

Twitterって限りなく理想的SNSだと思うんだけど皆なんでそんな文句あるんだろう

・100文字程度の文章をかけるだけで「生み出す側」として参加できる

純粋な「消費する側」で居続ける方法が「いいねRTROM以外一切しない」以外存在せず些細なリプライでも「参加者」になる

・鍵垢やいいね爆も結局は紐付けられて表舞台に引きずり出される

平等に誰もが参加者として裁かれると同時にちょっとした内容でもいいね評価を得られる

これはかなりいい状態だと思うね。

はてなを見てるだけでも分かるんだけど「貴方なにかを纏めたりする偉い人」「私、ただそれを見て文句つけるだけの弱い人」「弱い人に噛みつかれていちいち偉い人が反応するのは恥ずかしい」の三段論法で無敵モード入ってる奴らって本当凄い速度で頭が壊れてくんだよね。

しかもそれってかなり楽だから油断するといつの間にかソレに陥っちゃう

でもTwitterは全員が参加者から何気なくそういうアクションを起こしただけでも、半日ぐらい目を離してる間に棘で磔にされて凄い勢いで燃えてたりする。

これも悪い面だけではなく、140文字の中で現状を面白おかしく纏められればただそれだけの事でも数万いいね貰って今日ヒーローとしてランクイン出来る。

何も持たない者にでもチャンスが有る代わりに、何も持たないことを言い訳にして安全から攻撃だけを出来るわけでもない。

そんなSNSなんだよね。

実際にはその状態に気づけないで訴えられてから顔を赤くしたり青くしたりして忙しい人達がいるけど、アレはその人達Twitterとはどういう場所なのか理解できてなかっただけだよ。

変な人達がよく話題になるだけでTwitterという環境SNS理想形にかなり近づいてきてるよ。

承認欲求怪物になって壊れてしまっている人や、大量のファンネル言論統制しているウチに何かを勘違いしてしまった人もいる。

でもそれは他のSNSだって同じだよ。

少なくとも、くだらない虐めを繰り返して殺人事件に発展するほどには危険SNSではないんだよ。

2022-10-05

anond:20221005161756

追記

雑な三段論法だけど論理的関係はありますかね?まあ(1)の大前提が気に入らないんだろうけど

2022-09-13

「でも女は下方婚しないですよね」増田ビックリな蛙化現

ツイッター話題になっていたので。

化現象とは、好きだった男性自分好意を向けた瞬間から、その相手気持ち悪いと感じてしま現象のこと。

一般には理解できない現象だが、①上方婚しかしなく、かつ②自己肯定感が著しく低い女がこの現象体験する。

まり以下のような三段論法により蛙化現象が発生していると思われる。

自分は上位の男しか好きではない(下位の男は気持ち悪い)

自分好意を向ける男は下位の存在である

自分好意を向ける男は好きではない(気持ち悪い)


どう見ても絶対恋愛成就しない詰みの状態です。本当にありがとうございました

女は下方婚しない増田が見たら卒倒しそうだなと思った。卒倒しろ

2022-08-03

説得力説明

説得力説明力は別の概念

論理構造が保持するのは前提となる命題の確らしさを基にした説明力であって、説得力を増やしたり減らしたりするものではない。


例えば三段論法は(論理学的な意味で)トートロジーなので、その帰結の確らしさ、健全性(説明力)は、前提となる各命題の確らしさ、健全性をそのまま保持する。

トートロジーな推論規則に基づいて演繹した帰結は、前提となる命題の確らしさをそのまま受け継ぐ。

トートロジー議論が確らしさを増やしたり減らしたりすることはない。前提が真なら、トートロジーな推論規則によって得られる帰結も真である


しかし前提が真の命題からなるトートロジーな推論が、説得力をも持つかはまた別の話だ。


まり、最も厳密な論理構造トートロジーだが、トートロジー議論のもの説明力を増やさない。トートロジー議論は前提となる命題の確らしさ、説明力を保持する。

一方、説得力言葉遣いによって増やしたり減らしたりすることができる。


論理構造問題がない(または、問題としないと決めた)のならば、ある議論をより良くするためには、言葉尻を修正して説得力を増やすなどの改善を考えるべきである

そうではなく、大元論理構造に手を加えろと言う意見は、提案の前提を無視し、説明力と説得力混同することにほかならない。

2022-07-16

anond:20220715194844

おそらく増田文章が読めないタイプと見た。

かい文章機微を読み取れず文節や接続詞をすっ飛ばして大雑把にナナメ読みし、

「なんとなくネガティブ批判的なんだろうな」

「俺は役立ってるぞ!」

「俺が役立ってるモノを批判するなんて許せない」

というアホの三段論法脊髄反射してしまう。

Twitterクソリプする奴は大体こういう奴。

集団心理+感情として気持ち良い方向に流れて何となく言ってやった感で満足して思考停止するアホ。

唯一の救いは自分ちゃんと「頭が良くない」と自覚できてるとこかな。

2022-07-10

グロ画像に混じったマグロ画像

5chの連投スクリプトが送ってくるグロ画像は、まあグロい。グロくなかったらグロ画像じゃなくなるからだ。人間バーンしたり、ズギャーンしたり、バコーンしたりしてる画像がたくさんある。体感ではボコッが一番多い。

少し前になんJだかなんGだかで以前猛威を振るっていたのが、エロ画像スレを建てると見せかけてグロ画像を貼るというスクリプトだ。まあ、エロ画像グロ画像は一文字違いだから大して変わらないかもしれない。

基本的に「巨」と「乳」をNGワードに入れるか性欲を捨てるかすれば簡単回避できる荒らしから、この害悪度の道を歩んだID腹筋スレみたいなのはまり相手にされなかった。しかし俺は相手にした。「乳」をNGワードに入れることも性欲を捨てることもできなかったからだ。開いた。グロ画像だった。閉じた。開いた。グロ画像だった。閉じた。開いた。ID腹筋スレだった。一周回って安心感みたいなものを覚えながら、冷たい床に両手をついた。そんな風にして、流れ的に俺はグロ画像を踏みまくった。そして、「>>1 グロ」というレスを残した。

しかし、最初の数回の時点で、俺はスクリプト異変に気付いた。スレタイ時点ではいつもと変わらず、「【悲報おっぱいかけ算九九 乳の段」みたいなザ・電子ゴミって感じの益体もない文字列だった。しかしザ・電子ゴミって感じの益体もない文字列をタップした俺の目に入ってきたものは、グロ画像でもID腹筋スレでも、エロ画像でもなかった。

マグロだった。

紅とは言えないが赤とはいえるくらいの、少し薄い色をしたマグロ寿司が、スーパーか何かのトレイに入って、グロ画像の代わりに俺を見ていた。

目を擦ったしリロードもしたが、マグロマグロのまま、低めの解像度で俺のスマホディスプレイ占有していた。俺は仕方なく「>>1 マグロ」とレスして、その場を去った。

そのあとも、マグロは定期的に現れた。

スクリプトが何かの間違いを犯した、としか考えられなかった。俺が落ち込んでいる時も舞い上がっている時も、マグロは等しくそこに現れて、めちゃくちゃ美味そうというほどでもないが普通に食べられそうな外見で、俺に何かの感情を抱かせようとしてくる。その感情が何か知りたくても、俺は知ることができなくて、そのまま次のグロ画像ないしID腹筋スレへと旅立つしかなかった。

いつしか、俺はマグロを求めるようになっていた。やったエロ画像だと考えながら、あるいはどうせグロ画像だと考えながら開いたスレの>>1に存在するマグロを見た時の、あのどうしようもない感情名前を付けたかった。十連ガチャを引いているような感覚もあった。いつしか、俺にとって「マグロは当たり」という考えが刷り込まれるようになった。スレタイがエロ画像である以上、当たりはエロ画像ということになり、そうなると三段論法マグロエロ画像ということになる。マグロエロ画像だった。

あれから数か月、俺の観測範囲内では、偽装エロ画像スレを見ることもなくなってしまった。今のスクリプト夏目漱石か何かから生成した支離滅裂文章を連投したり、マグロ抜きのもっと厳選したグロ画像を連投したり、そういうことをするのに留まってしまった。けれども俺が夢の中とか、街角とか、ふと目に入ったネット広告とかで、ふと赤々としたマグロ発見した時に、何度でも去来する感情だけは、決して途絶えることもなく、延々と人格の中で残響している。

ああ、マグロ

2022-06-25

anond:20220624180440

俺の庶民感覚こそが、正しい庶民感覚なのだ

お前の庶民感覚は、俺の庶民感覚と違う。

まり、お前の庶民感覚は、誤った庶民感覚なのだ


この三段論法、完全に頭がおかしくて話の通じない人のソレだと思うんだけどさ。

ブコメ大勢がこれを語っているのを見るとコイツらって、もしかして会話が成立しない前提で相手すべき人種なのかなって

2022-05-19

ロジカルシンキングって、ある程度のアタマ経験があれば当然身についてるものだと思ってた。

たとえば三段論法や、ファクトを積み重ねてたぶんこうじゃね?って推測し導き出す帰納思考

なんて当たり前かと思ってたけど、実態はそうでもない。

概念を学んで、実践して、真に理解して身につけることって大事なんだ。要はトレーニングと学び。

目の前のタスクを愚直に処理してても評価はされないよな。そんなん誰でもできる。

思考と立ち回り、説得力がないと競争には勝ち残れない。

2022-04-17

anond:20220417170847

なんか実践三段論法で誤魔化そうとしてるけど社会的に悪なんて要素なくないですか?そっちがどういうニュアンスで使いだしたか知らんけども

2022-02-16

anond:20220215152229

せっかくネットでも非常に珍しい状況として(ネットでは右派が集まるのが通例)、はてなブックマークには左派寄りの論客が集結しているんだから、それを活かせば良いのに。

以下に連ねるは三段論法

左派高学歴高収入が多い⇒お金に余裕がある

はてなの主軸のブックマーク左派が多い

はてな左派が集まってお金に余裕ができる

2022-01-15

anond:20220115143459

無能死ぬべきである」+「悪いことしたやつは死刑」=「自分無能なので悪いことをして死刑にならなければならない」

とっても簡単三段論法ではないか

2021-12-12

論理的思考」について

はてブなどでも論理的思考が求められるのを見かけるが、「論理的思考」と呼ぶものが単に話者の考える辻褄を表すに過ぎず首を傾げることが少なくない。

チェリーピッキングした因果をただ連ねる素朴な三段論法のようなものではなく、例えば、各段の条件・場合分けを踏まえ見解実態性の濃淡に意識を割いた論述が「論理的思考」を示すのではないか

2021-10-20

anond:20180707223529

企業投資もせず従業員への分配もせず内部留保けが増えてく状況をなんとかしろ、という話じゃないの?

内部留保が少ないと結果的株主が減るというのは、アホの三段論法かと

2021-10-19

過去を脚色せずに振り返ることはできない。一般的にできないものなのかどうかわからないが、少なくとも私にはできない。

彼女がまるで弱い人間だったかのように思い出して、勝手に罪悪感を抱くのは、間違っているように思えた。

けれども、「事実」と「思い出」を比較して検討することはもはやできないので、私は手持ちの「思い出」のみを書き留めておきたいと思う。


ゆうなのことを思い出すとき、思い浮かぶのは二人が仲良く笑っていた場面だ。僕たちは喧嘩したことがない。

いつも仲が良かったのだから、もしも仲良く笑っていた場面のすべてを思い出すなら、それが僕とゆうなとの思い出のすべてだ。

……残念なことに、この三段論法は、妥当だが健全ではない。

つの前提が真ではないことを何回でも思い出す必要があるので、今日日記を書く。

僕たちには笑っていなかった時間があったことを、そして、その時空間を占める出来事の正確な記録を、何度でも刻みつけたい。

ただし正確さは僕個人では担保できないので、いくつものパターンを想定して物語を書くことでしか注意深くなることができないのである


私の思い出の中にあるのは、「ゆうなを選べなかった」というあまりにも残酷な私の言葉と、そのあとの彼女の悲しそうな眼だ。

好きな人裏切られることなど想定していなかった彼女の深い失望も、私の力によって傷つけたのだ、と思うための一つの解釈丸めまれしまっているような気がして、

本当に吐き気がする。

しかしたら、彼女は全く意に介していなかったかもしれないし、まあ少しは傷ついたかもしれないけれども、そこで別れを決意するほどではなかったかもしれない。

実際、そのあとも僕たちは、何度か会っていたのだから

いつもあの眼が僕を責める。

なぜ、嘘をついてまであたしに近づいたの?

身体ばかり求めて散々あたしのことを利用していたの?

……そう言われても仕方なかった。けれども彼女一言もそんなことは言わなかった。

からここまでのことは、全部僕の想像妄想しかない。

本当に私の言葉残酷だったのか?

残酷だったとして、もう今彼女が何も気にしていないなら、それこそ「経験値」として消化しているのなら、僕は一体何を気にしているのか?

ああ、思い出すのに、これだけの時間がかかる。

どれだけ日記を書いても、いつも結論最後に分かるんだ。


問題は2つある。

そもそも彼女が僕のことを覚えているかどうか。

彼女が覚えているとしても、僕のことをひどいやつとして覚えているだろう。

謝りたかった。

謝るという「誠実な」行動のためであれば、再び彼女の前に現れることが許されると思うようになった。

そうしないと苦しかった。

二度と彼女に会うことは許されないのだとしたら、生きるに値しない人生のように思えた。

どんなに自分勝手でも、思い込んでいるうちは幸せだった。

自分幸せであればいいので、彼女が僕に会いたいかどうかなど、どうでもよかった。

やっと僕の正体がわかった。ああよかった。

私のことを見つけてくれてありがとう


それでもまだ、お前はいなくならないから、これから日記を書き続けなければいけない。

「私に頼ってくれれば、よりよい方向に導けるのに」という臆見を正す人がいなくなってしまわないうちに、

僕/私はまっとうな人間にならなければいけない。

2021-09-04

anond:20210903215430

とりあえず三段論法の「AはB」「BはC」よって「AはC」が理解できれば大丈夫

anond:20210903215430

とりあえず三段論法の「AはB」「BはC」よって「AはC」が理解できれば大丈夫

2021-07-11

anond:20210711141649

からそれは大してエネルギーを消費してなかったからだっつってんだよ。わかるだろそのくらい。三段論法すらわからんか?

2021-06-29

量子化とかサンプリングとかあるいは成分の分解のような色んな分野の学問共通して使われる手法の事なんて呼ぶの?

中退バカから教えて欲しい。

こういう手法群をまとめて学びたい。

例えば量子化、近似値をもってして物を解くって構造力学でも画像解析情報系でも物理学全般数学でも経済学でも使うよね

成分の分解という考え方は数学ベクトルから来ているのかわからないが、物理だけでなく日常的にも経済学でも使う

三段論法とか。

定理なんだろうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E7%90%86

定理はでもある程度前段の条件の厳密性が求められていて違うような気がする。

例示が下手なので分かってもらえにくい気はしてる

でも勉強してるとあ、この問題解決方法別の分野でもよくつかうなってならない?なるんだけど。その基本が知りたいのよ

2021-06-14

anond:20210614112142

そういうことを言う人は今までにもよくいたけど

結局のところ「私が差別だと思うからこれは差別なんだ」以上の根拠がなくて

(1)差別は良くないことだ

(2)〇〇は差別

(3)〇〇は良くないことだ

っていう三段論法の2段目がイマイチ示せてない。

2021-05-31

反出生主義と神とフロイト

まとめ


デカルトから始まる近代的自我

デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。

あらゆるものを疑ってかかったとしても今思考している自分のこの思考自体存在否定できない。

よって思考している自分存在している。



自我というもの存在確立したデカルト三段論法西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我存在規定できるという点だった。

でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在証明する時代要請があったのだけれどそれについては後で触れる。

フランス革命と神の死

時代は流れてフランス革命が起こり国民国家誕生する。国民国家誕生すると神が死ぬ

どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈正当化されてきたのかということを説明する必要がある。

王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。

神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民支配する権利がある。



中世神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、

彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要公共事業として神の存在証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。

ところが、王が打倒されて国民自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。

これがいわゆるかの有名な「神は死んだである

そして神に変わったもの国民自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対ものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。

これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。

神と反出生主義になんの関係が?


神が存在すると反出生主義は成り立たない。

なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。

これには同意意志確認も入り込む余地がない。

神様が決めたことだから仕方がないのである

なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。

フロイトによる無意識発見


更に時代は進みフロイトが登場する。

フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析手法全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。

フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神科学まな板の上に載せたこと」それ自体

2つ目は今回話題にしたい「無意識発見」。

フロイト夢分析過程人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去トラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。

患者自身自分理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。

これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我コントロールしているとされていたのだから

フロイト無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。

あの映画オチヒロインは忘れていた過去トラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。

これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、

犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか

梅干し写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。

映画映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラ写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。

こういう感じで無意識人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。

フロイト原始的欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識概念さらに発展させていった。

不随意運動からエス

表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。

たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。

心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいいから鼓動も不随意運動には入る。

呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているとき随意運動意識していないとき不随意運動といえる。

表層意識には上らないのでこれらも無意識だ。

ところで人間意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。

脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞代謝とか。

さらさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。

さてそうすると、どうなるかというと、人間自分意識自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間活動の大部分は無意識コントロールしていることになる。

意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。

ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから

ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかい名前をつけた。

なんでコギトが間違ってるのか


意識ではなくエス人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。

「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。

反出生主義は全てを理性で説明しようとしすぎる


反出生主義の理屈を雑にまとめると、

「生きるのは苦痛である苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである

「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」

「よって生むのは無責任であり生むべきではない」

理屈の通った三段論法に見える。

しか人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。

第一登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識存在しない。つまり無意識である

無意識相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論無意識エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。

で、重要なことはその「エス自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである

今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。

精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子排出だって不随意運動なのでこれらはエスである

胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識自我もない。

だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である

それらはエスであり、自分自身である


それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。

自意識肥大化


自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルト呪いがとけていないのだと思う。

「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。

生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓勝手に動いている。

体中の細胞栄養を取り込んで代謝をせっせと行っている。

どう見ても肉体は生きようとしている。

やっていることと言っていることが違う。

でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかいかである

自己境界定義自我から少し広げることをおすすめする


自己定義自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。

エス定義自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。

流石にそこまで悟ることは難しいが、自己定義自分不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。


哲学やっとこうぜ


若いうちに哲学やっとくといいよ。

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