はてなキーワード: 万々とは
ここで自分が排除される側になったらどうのこうのと言われているが
自分だったら
と答えるよ。
はっきり言ってこんな世の中で生きていたくないし、人間と関わる事そのものが多大なストレスなので寧ろ早く世の中から排除して欲しい
働かずに金だけ貰って隔離してくれるならば有り難いし
何よりも安楽死したいと思っているので、排除してくれるなら万々歳だ
私を排除して下さい是非お願いしますとしか思えないので、自分が排除されたら?と言われたところで何一つ心に響かないんだよね
多分そう言う人は多いと思うよ
なんで皆が皆こんな世の中でわざわざ人と関わって生きていたいと思っているという前提なのか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/h_ototake/n/n01dadb8bae68
推しているVが伸びねえなあ、でも数字関係なく継続可能な限りは活動を楽しんでほしいし、推したいという話。
「良いものはほっといても売れる」なんて夢物語であることは、多くの人が同意するだろう。
というか、商売では売り込みとか、そっち系の戦略だって立派な実力の一つとも言える。
少なくともそれは、VTuberの世界にもしっかり当てはまると思う。
一口にVTuberと言っても色々いて、その中には楽器演奏を売りにするVもたくさんいる。
その殆どがピアノかギターだが、中にはフルートやサックス、クラリネットといった管楽器、中には津軽三味線とかもいたり。
そんな楽器演奏Vでも、自分のイチオシはヴァイオリンを弾くV。
ロックギタリスト兼ベーシストをリーダーに、アコギ弾き語り系シンガーとプロヴァイオリニストという、なんとも異色の3人組のユニットとしてデビューしたメンバーの1人で、
クラシックの上質な音をベースにしつつも、ポピュラー系の曲調にマッチするカジュアルな表現を志向したスタイル。
これが、以下の演奏の通り聴きやすい上に非常に気持ちいい音なのだ。
ちなみにクラシックを弾くとこんな感じ。
おわかりいただけただろうか?
クラシックとポピュラーで、ベースになる音の質が殆ど変わっていない。
ここから、この人はどんな曲でもクラシックの奏法の応用として、リズム感を変えたり装飾を適度に加えた音作りをすることで、
あらゆるジャンルでヴァイオリンの魅力が一番引き立つ表現を目指していることが見て取れる。
まさに正統派ヴァイオリニストとして、楽器の持ち味を十分に活かし、ジャンルに囚われない表現を追求していると。
他にヴィオラも弾けばギターで弾き語りもするし、最近はオタマトーンもお気に入りと、なんでも楽しもう!という柔軟でサービス精神あふれる姿勢にも好感が持てる。
好きなアーティストがYUIと坂本真綾ということで趣味もいい。
とはいえ、ソロのチャンネルを開設して1年ちょいであることを踏まえても、数字については…という感じ。
これだけ実力があっても数字にならないのがVTuberの世界というか、楽器の実力が必ずしも数字に結びつかないのはまあ知ってたというか。
でも音楽家としては間違いなく真っ当な活動なので、数字は関係なくこれからも推したいし、何かの拍子で有名になればいいし、ならなくてもいいし…と思っていたり。
メンテナンス性とか交換可能性とか押し出してもさ、選んでくれねえんだわ女さん。
そりゃこっちは売る側だから、掃除なんかしないでホコリ溜めて壊して新しいの買ってくれりゃ万々歳よ。
なので文句言う筋合いないんだけど、とはいえ開発がセンス無いみたいに言うのは違うんじゃねえ?
ドラム式とかさ、こんなん選ぶ奴どうかしてるぜって思いながら作ってるわけこちらは。
高えし、別に洗い上がりいいわけじゃないし、メンテについちゃクソクソのくそ。女さんはさ、買う前に口コミ見たり知り合いに使用感聞いたりして、その辺全部知ってるわけ。で、買ってくの。なんでやねーん!ズコー!!
こっちもさ、アホじゃねーからマーケティングとかしてるよそりゃ。その結果がね、「女はメンテで買わん」なんだよ。
元増田で「これ開発した男、ぜったい掃除したことないだろ」て何度も出てくるけど、こっちはこっちで、「これ選ぶ女、ぜったい掃除したことないだろ」て思いながら売ってるんですわ。で、売れちゃう。実際サポセンとか修理屋さんの話聞くと、掃除してない人の方が圧倒的多数。
「そんなんせんで、新しいの買うたらええやん」
とか
「すいまてーん!お賃金もらうのと推し活で手一杯で洗濯機掃除できてない人間失格限界女子ですいまてーん!!」
要するに、家電をバラして油や埃を洗う、なんてことは、大多数の女さんはやりたくない。壊れてなくても汚れたら捨てて新しいの買いたい。メーカーは、古い家電なんてとっとと捨てて、新しいの買ってくれた方がいい。
この悪魔合体なのよ。
とーってもサステナブルでしょ?
別に悪いことじゃない。俺はそのおかげでおまんま食ってるし、経済ってのはそういうもんよ。
一応言っとくと、おれも心を無くした悲しきモンスターとかではないんで、関わった家電が、元増田氏みたいな人に長く使ってもらえるのは嬉しいのよ。
でもこの人ら数は少ねえし、買い替え頻度も少ねえし、全然お金くれないじゃん。使い捨てする人たちのおかげで女房子供養ってんだよこちとら。
ただ、これだけは言わせて。
家電を掃除しないで壊す、買い直す女さんがやってるのは、家事じゃなくて、「旦那の稼ぎで家事ごっこ」だよ。あ、女さん自身の稼ぎかも知んない。つーか家事してるの男さんかも知んない。なんにせよ、道具の手入れしないで壊れたら買い直す、てのは、金にあかしたごっこ遊びなんよ。
「人殺しの顔をしろ」だっけ、そういう文脈の感じで、「ごっこ遊びの者の意見ですが」て言って欲しい。「家族の健康を預かる者の意見ですがドラム式洗濯機の掃除しにくさは〜」とか言われると、え、待って?キミ、グリル掃除してから言いな?てなるやん。
つーわけで、結論。
おれらが作ってるのは家電じゃない。性能やメンテ性じゃなくて、雰囲気とかCM(性加害事務所の男性アイドルとか出てる奴)の出来で選ばれる、おままごとグッズなの。「いかに感情をよしよししてくれるか」を重視するおままごとグッズ選びから逆算して作るんだから、マトモな使用感のものができるわけがないんだよ。
海外メーカーさんの事情は知らんけど、マトモな商品が多いなら海外の女さんはマトモに家事をするってことなんだろう。知らんけど。
なーんてね。
人間関係に疲れてしまって、そこには何も残らないかもしれないという不安だけが残ったので仕方がない。書くか。という細い支柱がにょきにょきと生えた。掴まるものがそれしかないので私はそれに触れることにした。
人間を整理する。近づきすぎた花のうちどちらかを摘む作業と同一視したい。
A…友人。今回一番派手に揉めた。怒らせた。失望させた。裏切ってしまった。
C…友人。受け止めてくれたと思っている。だけど実情は違うのかもしれない。
D…友人。Aの隣で私を叱ってくれた。でもどうしたらいいかわからない。
E…友人。話をしてくれた。信じてくれたならいいのに。
F…先輩。彼は私の何であるつもりなのだろうか。定義とは、実情より優先されるのだろうか。
右手の指輪と左手のヘアゴムが絡むほど祈ったら、きらりと光った薬指だけがいやに大人びていて気色が悪かった。私はまだ大人ではありたくなかった。
Bと喧嘩した。
Aに相談した。すっかり別れる気でいたから、きっとその気で話して、その翌日にCにも同じような話をした。AとC、彼女らは態度さえ違えど私の幸せを考えているのだと言って、私の恋人に別れを告げることを賛成してくれていた。
その翌々日、Bと会った。好きだと思った。もしかしたら好きではないのかもしれない。それは常に胸の中にあって、姿を見たときにも自分を疑った。でも別れることなんてできないと、強くそう思ってしまった。アドバイスでどうにかなる柔軟さを世界に置いてきてしまっていた? どうだろう。今となっては、という話になる。
私は散々話した別れ話の構想をなしにすることをAに告げた。彼女は怒った。当然かもしれなかったが、血縁以外で初めて明瞭な怒りを投げかけられて、私の頭の中はゆっくり真っ白になって、そこまで怒ることだろうかと思った。彼女が常々言っていた言葉を盾にして自分を守ろうとした。
そしてすべての思考が同じような緩慢さで停止した。
ゆっくり失われる世界の詳細と相反するように「私」と「他者」の境目が、気持ちいいほどはっきりりとしていくあのセンセーショナルな心象風景は衝撃的だった。
地平線すら脱落した白い世界で、「私」だけが太いマジックペンで縁取りされて、あらゆる色彩の侵入を阻んでいるさまを、当事者の私すらもなぜか他人事のように見ていた。
わたしという人間が誰かの意志を無下にすることがまるであるべき形みたいだった。
彼女が私にくれた言葉はもったいないほど長く、それらはスクロールするにつれどんどんとつらそうになっていた。
そして恥ずかしいことに、そこで初めて彼女を傷つけたことに思い至った。悲劇のヒロインに身を沈めようとしていることを痛烈に批判されていると感じた。(AとCからすれば、というかすべての友人と呼称していた人間たちはみなとっくにそう思っていたのかもしれないが)
Dが、ひどく憤慨していた。傷つけた、というよりはひどい迷惑をかけたのだと思う。
私も泣いたし、彼女を泣かせるような関係を持っていたのだから。
この中で一番長い関係を持っていたのに、固定化されてだんだん固くなっていた関係は割れてしまったのだろうか。もう水はひび割れから抜けていくしかないのだろうか。
Cは何も言っていなかったが、Aの返事を受けて私から急いで謝罪のメッセージを送った。Cはあなたの人生だからどうも思っていないというある種ひどく軽く透明な返事をくれた。
悲しく、安心した。不注意で鍋を触って赤くなった指先を溜息と一緒にさっと冷やしてもらえたような印象を与える言葉選びだった。
後にこの印象はひどく揺らぐことになるが。
私はすっかり複雑化した友人関係の中で声を上げないことを選んでいたから、話ができて本当に、心から嬉しかった。あえてひどい言い方を憚らなければ、餌を与えられた気分だった。
彼女はフラットに、やさしい言葉をくれた。豊かでやわらかい言葉を使う人だと常々感じていたから、変わらない感触をくれたことに対して私はひどくわがままに解釈してやさしさを受け取っていた。
愛おしかった。
そのあと、Aから話したいと連絡をもらった。いつも私は与えられてばかりいる。
嬉しくて、でも何を話したら正解を選ぶことができるのかなんてことばかり考えてしまって嫌になるうえに私にとっては以前話したことがすべてだった。
すべてだったから、これ以上どんな言葉を発することが正しさと結びつくのかは理解できなかった。
これが今までの出来事だ。
そしてもう一つ同時に進んでいて、書かなければならないと思ったことがある。
書かなければ抱えきれないと思ったことがある。
私のための文章に、さらに自分勝手が混ざることを注として付さなければならないと思うほど横暴な話である。
主人公はFだ。
彼は、この話の中で私が唯一男性三人称を用いる相手で、私という人間に様々な側面から好意を抱いたままの異常な感性の持ち主である。
Fは今回の件については全くの外野であったはずだった。
しかし、CとF、そして私と恋人のBは同じ団体に所属しており、半年ほど前に私とBが揉めたことをきっかけに連絡を取り合っているようだった。その流れでCからFに今回の件が伝わったようだった。
その事実については私は問題だとは認識していない。Cが私によってもたらされた悪感情を消化するための手段は誰にも阻まれるべきではない。
Fは、Cから話を聞いたことを隠して、私にメッセージを送ってきた。
正直、(これまでも自分や相手に対して自己表現と防衛のために必要な修辞を伴いながらも可能な限り正直に記述してきたつもりだが、この件に関してはより剥き出しな「感情」を用いて、)部外者が不必要な口を突っ込むことがひどく不快だった。
Fの記述曰く、
「Cは半泣きだった」
「Cを責めないであげてほしい」
ということだった。
調子のいいことばかりだった。
Fの、まるで訳知り顔という態度も、本当はCが参っていたのか、それとも話しぶりがFに誤認させるようなものだったのかわからないという事実も。確かめられていないが、とにかく双方の印象が異なるのは非常に不快だった。
2人とも自分が正しいような顔をして、どちらかは確実に嘘をついているのだから。それがたとえ誤解だとしても、誤解のまま私という私ーB関係の当事者兼CーF関係の部外者とのコミュニケーションをとることを選んでほしくなかった。
これまでの経験上、2人とも印象や偏見で話すことがないとは言い切れない。だからこそ「嫌」だった。
Cについては、たとえCとFの記述が両方正しいとしてもその内情が一部理解できた。ひどく衝突して怒りを向けたAと今の私が向き合えないと知って、逃げ道の役割を自分から引き受けてくれたのだとしたら、本当にひどいことをしたという自覚は生まれる。そしてCの苦しさはある程度察するものがある。
ただ、一つだけ。C自身が「私に責められた」という内容の発言をしたのなら、それは、当時の私の発言がひどく拙い故だったのだろうが、本意ではないことだけは知らせたいと思った。
Fについては、普段から私が関わった事実の誤認が激しいという印象を受けていた。
私とFの関係性を「友人」というラベリングを行うことで実情を無視してひどく親しげに振舞うその姿勢は、普段の人間活動の上では真人間には見えているギャップも相まって恐ろしい精神的な問題を持っているのではないかと邪推してしまうほどだ。(もしかすると、私という観測用レンズがひどく歪んでいるのかもしれず、その可能性は決して低くないが)
とにかく、彼とCについての問題は解決するにしても慎重な対応が必要だと思ったし、本質から外れていると思った。
話は以上だ。
私が悪い。これだけは覆しようのない事実として私は認識している。
ゆえに、これが成立したままで遍く問題が解決すれば万々歳なのだが、そう思っている。
それでは、また明日。
明日が来る私より。
こういうの書くと結婚が遠ざかるから控えてたけど、我慢してても結婚出来てないので、もうあきらめた
結婚相談所で活動してるんだけど、アリエンくらい女が優遇されてて最初はそんなもんかって感じでやってたけどやっぱよくよく考えたらどう考えてもおかしい
それ以外何がある?
経済力?
心のよりどころ?
あえて言うならこの2つやろうけど、経済力って子供産んだりするとキャリア途絶えたりするし、そもそも稼いでる女性って少ないし、しかも労働で稼げる金額なんてたかがしれてるやん
結婚による経済力のメリットって詰まるところ実家が太くて一生遊んで暮らせるレベルになって初めて男性側にメリットあるって言えると思うけどそんな資産家の娘は同じような資産家と結婚するじゃん
つまり庶民からするとこんなん宝くじに当たるようなものだから男性側に経済力のメリットなんかないってことが分かる
また心のよりどころって要素で言うと俺は女性に受け入れられた経験がほぼないし、優しい女性はもう売り切れで学生時代に付き合った延長で結婚出来てない自分はもう期待してない
まあ運よく優しい女性に出会うことがあれば万々歳だろうけど、自分の経験上これも宝くじに当たるようなもんで、嘆かわしい限りだよ
ま、他人のこと言えんけどな
だから運ゲーに頼った心の拠り所って観点も男性にとっては結婚のメリットにはならない
なので、普通の男性にとっての結婚のメリット=子供、これ以外にない
じゃあ、結婚相談所にいる女性ってどうかって言ったら、メインボリュームは30代の女性で、20代に至っても、27歳以降からしか存在しない
じゃあ、健康な子供を安全に授かれる限界年齢というと30歳である
30~35歳はグレーゾーンで、35歳を超えたら明らかに危険水域である
だから、どう考えても30歳が子供を産む限界の目安の年齢と言える
出産の期限は30歳なのに、既にそこを超えたゾーンの女性が結婚相談所のボリュームゾーンであるし、じゃあ、安全圏の20代に関しても蓋を開けてみたら、20代後半に偏っている
20代の人数は結婚相談所で公開されてると思うけどその内訳はほとんど29歳と28歳で全部占めてる感じだからな
だからつまり結婚相談所で子供を望もうと思うとなると既に危険水域にいる女性とリスクのある出産を選ぶか、20代の女性を選ぶにしても基本的に27歳以降になるので、よくよく考えたら多くても2人くらいしか子供を産めないことが分かる
だからやっぱり多くても2人産めたら御の字
こう考えたら結婚相談所で女性を優遇するの、マジでなんでなん????
結婚相談所の活動、今振り返ってみると変な宗教にハマって謎の儀式してるようにしか思えんくなってきた
俺はもう、ちょっと、無理やわ
どうしてくれるんマジで?って感じ
今後の進退については迷ってる
まだ、幻想を夢見てもがくか、開き直って女にヘイトぶつけていくか
正直、もう生きがい失ったからどっちでもいいんよな
面白そうな方選ぶわ
今は仕事してないし、女の金で生きてる
婚活中は生真面目に女にヘイコラしてたけど、やっぱ男は加害性が重要やねんな
普通にヨシヨシしてもらってる
出張で月に一回東京に来るんだけど、その時は歌舞伎町のホテルに泊まることにしてる。
女の子と遊ぶ気も酒を飲む気も無い。大分良くなってきたけどあの危なっかしい雰囲気が好きでチェックイン後にふらふらと散歩するのが好きなんだよね。
ただコロナの影響でここ2年ほど出張が無かったんだけど、今年に入って久々に東京へ出張の予定ができた。
仕事が終わって以前のようにふらふらと散歩してたんだけどハ○ジア周辺に立ちんぼ多すぎない?それも明らかにめちゃくちゃ若い女の子がいるんだけど。それとも月一で来るだけだからたまたま少ない時だっただけでいつもあんな行列してるの?
これ見てColaboが思い浮かんだ。はてなで話題だけど公金チェックちゃんとしろよ程度にしか思わなかったんだよね。
でもColaboの活動って意義はあるよねと思い直した。
警察、児相に繋ぐ部分や女の子の事情をくみ取って保護する仕組みは必要じゃない?
女の子を保護 →(翌日)→二度と体を売らず自立できる女の子に生まれ変わる、なんてゲームみたいにはいかないから、バスカフェみたいに入口は広く取っておいて、その中から僅かでも自立に向けて意志を変えることができる子を見つられたら万々歳、程度の活動でしかないと思うのよ。100人の立ちんぼ集めて1か月後に100人とも普通の職に就かせた、とかが理想だけど時計じかけのオレンジ方式でも取らなきゃ無理でしょ。
警察、児相に任せるべき、Colaboの活動に意味は無い、若年女性を救う予算は必要無い、別の手段を検討すべき、って最もなコメントだけど、どうせColaboが潰れればハ○ジア周辺の女の子なんて知らんってなるんだから、ちょっとColaboの肩を持ちたくなっちゃうのよね。
Colaboを批判する方が正しい状況ってことくらい理解してるけど、アレを見ちゃうとせめてミソジニーが過ぎる暇空さんは切断処理して欲しいし、バスカフェ中止は仁藤さんの自業自得なんてコメントは控えて欲しい。
心底どーでもいいんだわ。
究極俺に関係ないところならば社会がどーなったって構わないんだよ。
たとえば、俺が死んだ後とかな。
社会の役に立つんじゃなくて、社会を俺の役に立てることしか興味ないんよ。
自分が得することを享受し、損することを回避できりゃそれで万々歳。
みんなだってだいたいそーだろ。
損失をしょいこんでも社会に奉仕したいやつなんてそうそういるもんじゃねえ。
だから、ご立派なべき論ばっか打ち立てられても社会の大多数たるところの俺みてーなやつは動かんのだわ。
利得を貪り損害を回避したいフツーのやつがその欲望の通りに行動しただけで、それが自動的に社会にとって望ましい行動になってるように法を設計すんだよ。
俺らみてーなやつを社会のために行動させたいなら、そうする以外の方法は一つとして無え。
でもさ、ご立派なべき論打ち立ててる奴ら、そういう方向性の活動はやんないだろ?
法を作ったり、ルールを作ったりだよ。
だって自分がそれするだけ損だもんな。結局、人ってそういうもんなんだ。
だからこの社会は永久に動かねえ。動くのは、何千人にひとりしかいないであろう損得度外視で全体のこと考えられる馬鹿みたいな博愛主義者が、たまたま運が良くて活動を成功させた時だけだ。
あとはひろきが消えれば万々歳だな
彼女は今まで付き合った中でもダントツで性格が良くて、俺を凄く好いてくれてるし、いろんなところで尽くしてくれる。
今まで喧嘩だって一回だってしたことないし、気は合う方だと思ってる。俺も彼女が大好き。
ただ、ぶっちゃけ彼女は学力とか仕事の要領とかがかなり良くないんだよね。それは付き合っていく中で、徐々にわかっていった感じ。
彼女は高卒で、勉強とかは昔からてんでダメって言ってて、派遣の仕事とかを点々として今はアパレルの販売員をしてる。
正社員雇用みたいなのも目指していた時期もあったけど、能力的に難しかったって言ってた。
それ自体は俺は全然かまわないんだけど(別にそういうのでイライラする性格でもないし)
ことこれが子供を作るとなったら彼女の能力に近い子供の人生の苦しみっていうのを軽視できないように思ってしまう。
俺は彼女が低所得でも要領なんて悪くても関係なく彼女を愛してる。
でもぶっちゃけ例えば彼女が男として生まれてて、俺が女として生まれてたら、俺と支え合って生きていくみたいな選択肢は端からなかったのもまた事実だと思う。
彼女自身、彼女と同等のスペックの男にどれだけアプローチされても見向きもしなかったと思う。
まあ俺はぶっちゃけほとんどいわゆる理解ある彼くん状態なんだけど、当たり前みたいに子供を産んで「私たちは夫婦ははっぴーらいふ万々歳!」なんて何も考えず言えるほどネットの意見に毒されて生きてない。
能力が低くたって、幸せになる可能性はあると思う、だからといって苦しむ可能性が高い人生を別の人生に強制するのはやっぱ自分の哲学に反していると思う。
子供はほしいよねってなんとなく空気はある上で交際は始まった。ただ俺の場合は「子供を幸せにする自信が一定以上あるなら」という但し書き付きだった。
彼女と過ごす度、その自信がどんどんなくなっていった。
でも彼女と夢見る未来の話をすると、そこには絶対子供がいて、そういう家庭を望んでいることだって言うのは凄く伝わってきて、そういう話の展開になる度、罪悪感で胸が痛くなる。
「お前は無能だからお前の子供の歩む人生が可哀想だ」とは流石に言えないよね。正直に意見を言い合うっていうのは、なかなか難しい。
大好きだけど、できる限り傷つけない振り方って、あるのかな。
どうしたら良いと思う?
子供生んだら奨学金の一部を免除する政策って女性が早いうちに子供を生むという選択肢を増やすものだと思うんだけどどうして反発してるのかな?
奨学金の免除なんて不要だって選択をして好きな時に子供を作ってもいいし、
豊富な選択肢の中から金銭的に困難だった道を支援するだけのものじゃないか。
同性婚の話に反対派を批判する論理に「選択肢を増やす」が大きく掲げられてたと思うんだけど、その大義どこいったの???
リベラルの理想的な選択肢以外が増えるのは歓迎しないのかな?傲慢すぎるでしょ。