はてなキーワード: 一財とは
1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。
あと私はあまりリアルタイムでアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう。
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JKが南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい。小ネタも満載で、「昭和基地の施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督がメインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ第11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようである。キャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃんと意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微が徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入のハードルが低い。また絶妙な音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有な体験をすることになるけれど。
この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。
(物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からないくらいハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。
一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにED曲タイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。
とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。
上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。
4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向、観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-
5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-
7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-
8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-
9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-
10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-
11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10(日向)-11-
12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-
13
私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校の同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達を応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。
アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカートで体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃうよ!?」ってなってしまって結構苦手である。最近のアニメ作品では絶対にパンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力を無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。
そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリがスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然な仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。
この手法は、監督いしづかあつこが絵コンテを担当した作品「ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから、監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテを担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクターの性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。
色んなアニメで登場する「放課後の学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話の放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。
15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリがかわいい。
めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリの心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたことから、いかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。
目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数のキャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しい。アニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。
奥→手前
右→左
奥→右と左に分かれる
奥→手前
右→左
手前→奥
奥→手前
手前→奥
右→左
奥→手前→右
右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道、きらびやかなネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリの心象風景が可視化されてるみたいで好き。
加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリは最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。
1話の100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟を象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリの覚悟の大きさ
2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対に南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。
だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃんだ・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。
これ以降も重要な舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。
17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリがかわいい。
特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品にリアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。
報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品のターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。
同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティング&ディレクション&演技だと思う。
「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」
この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写や伏線の貼り方を象徴しているシーン。
07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”
高校生が主人公のアニメや漫画では学力をテーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃんと学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストをテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメで学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、
キマリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子
報瀬…キマリに説教する日向に同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?
ゆづき…学校に行けない分ファミレスで自習、数学のノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子
南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味な評価軸に頼らない演出にしてて好き。
「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリが主人公であることを再認識した大好きなシーン。
16:35頃
休日朝起きると母親が私の足元で化粧をはじめることがイラっとした。
と言いたいことろだけれど、実際は逆で、毎日毎日恨みつらみを垂れ流す私に母親の方が我慢ならなくなったというのが正しい。
結局、私は本当に言いたいことを正し形で人に伝えることができず、もやもやとした不快な感情だったり社会への不満に置き換えていただけなんだ。
本当に言うべきだったのは「私がいるときに嫌なことをしないで」というその一点であって、本当に不快でやめてほしいのなら、やめることが母親にとってどんなに負担でストレスなのかは考えた上で、それでも私の気持ちとしてはっきり伝えるべきだったんだ。
逆に、「大学の金持ちのぼんぼんが気に入らない」「男性中心社会に不満だ」「特定の職業者の子息は一生金に困らないと豪語してる」みたいな私がよく言う言葉って、確かに意味がない。発言してそこから母親と私の関係が深まる可能性はない。
それどころか、こじらせる原因になる。だってその言葉を通じて私が母親に伝えたいのは「もっと私をかわいがって」「かわいそうな子だから手厚く保護して」みたいな気持ちであって、それは邪道というか、ズルなんだよ。
本当に可愛がられたいなら、私が前進するしか方法はない。不条理はたくさんあるけど、不条理を気にして周りをきょろきょろしているのは、自分が動いてないから。死んでるのと同じじゃんそんなの。
今までそりゃそれなりに大変だったし、母親の人格を見て育ってきたんだし、自分ばかりが悪いわけじゃないよ。引きこもってしまったのも、生まれ持った心の強さに対して負荷が大きすぎたからかもしれない。だから自分を責めなくていいよ。
でも、少しずつ、毎日一歩ずつなら動きはじめることができるんじゃない?
まあ、少しでいいよ。例えば、ネット見ながらぐるぐる落ち込んでしまう時は、はてなに気持ちを書き出すとかね。
そもそも、それができるようになっただけで立ち直り一歩目は大成功だよ。自分で自分を癒す術、書くっていう「型」を見つけられただけで一財産だと思う。
人格の基礎工事に取りかかれてよかった。考えすぎる性格で無駄な心労も抱え込んだけど、ぐちゃぐちゃの基礎部分を掘り返すことはできた。もうとっくに二十歳こえてるけど、すっからかんの基礎を、できるだけ良い素材で埋めていきたい。
良い方に変わっていこうね。もう変わり始めてるんだから、歩みを止めないだけでいいんだよ。
https://animeanime.jp/article/2017/04/08/33387.html
読んだ。
もちろん作品の受け取り方は十人十色だと思うし書いてらっしゃる考え方も面白いなぁと思うのだけれども。自分自身がそう感じたかと考えると、若干もやった。なのでぐだぐだ考えながら書いてみる。上手に整理できるかな?
自分自身が作品全体を通して見た後に強く心に残ったのは「今までにない関係性の余地」みたいな物だった。もっと言うと「今までにない関係性に対する希望」みたいな物だ。少なくとも自分にとっては、この「関係性に対する希望」こそが、この作品と作品世界を好ましく思うポイントになっている様に感じた。
ロードムービー的な展開を通じて各ちほーのフレンズ達と丁寧に向合い、都度好ましい関係を結び続けて来たかばんちゃんが、何よりも大切に考えていたのは「関係性とその記憶」なのだと思う。自身の出自も含め一切の記憶を持たないかばんちゃんにとって、唯一財産と呼べる物は「フレンズ達との関係性とその記憶」なのだろう。だからこその11話の自己犠牲だ。そしてそのかばんちゃんの意志に対して、各ちほーで「関係」を結んで来たフレンズ達も同様の判断を下した。その結果が12話の全員集合だ。
「友達との想い出を守る」など直球にも程がある。がしかし多くの視聴者はこのシーンで盛り上がった。少なくとも自分は年甲斐もなく震えた。なぜか。勿論中盤までの展開との落差等見せ方の巧さもあるだろう。がそれだけではない。このシーンはかばんちゃんとフレンズ達が、種の境い目を超えて最優先事項と位置付けた「関係性」が全肯定され「群れとしての強さ」を発揮するシーンなのだと思う。
通常「群れ」とは同一種によって形成される物だが、この作品世界ではこれが種の壁を越えて形成される。これを可能にする仕掛けこそが「フレンズ」なのだと思う。フレンズは各々種としての特性を残しつつ言葉を介し意思疎通することが出来る。この特性は「ヒトのフレンズ」であるかばんちゃんにも同様に適応される。そう。かばんちゃんも「ヒト」ではなく「ヒトの特性を残したフレンズ」なのだ。かつて何者であったかを問わず、フレンズである事によって、フラットに、各々の特性を活かしながら「かつてない、種を超えた関係性」を結ぶ事が可能になる。そしてそれが正しく力を発揮する「けものはいてものけ者はいない」たつき監督がつくり出したかったのは、そういう世界なのだろう。
そういえば一昔前「絆」という言葉がもてはやされスグに消えた。当然だ。実生活では会社でも学校でも家庭でさえも他者との「絆」を疑い無く信じ抜く事は難しい。ともすれば裏切られ傷つけられてしまう。それが現実だ。ヒトは大人になるにつれ、その難しさ理解し欲しながらも諦め忘れて行く。「関係性の力を信じさせる」という事は、だからこそとてつもなく難しい。「世界でひとつだけの花」と歌った人気グループは解散した。作り物のおとぎ話の中でさえもこれを破綻無く成立させる事は困難だ。生半可な事ではこの困難を乗り越えヒトに希望を感じさせる事は難しい。
この困難を乗り越え、説得力のあるおとぎ話をつくるには相当な技量が必要になる。それこそが「クリエーターの技量」という物なのだろう。が。たつき監督は「フレンズ」という仕掛けを通じてこのおとぎ話を成立させた。「癒しを提供したい」という趣旨の発言があったが、それは「癒しっぽい気分の提供」では無く「関係性に対する希望を破綻無く魅せる」という事なのだろうと自分は受け取った。細かく指摘すれば綻びの芽もあるのだろうが、それでも相当の精度で「おとぎ話」を成立させた力量はとんでもない物だと思う。どうして今まで世の中に出て来なかったのか不思議でならない。これから先どんなおとぎ話を語ってくれるのか。もう本当に楽しみで楽しみでならない。
私には入手できなかった。今回の放出分、32510台
は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約
で完売という。
けている。
して認識されている。
なものに目に映るようだ。
ッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、色、
端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様
々なクリック感。
思っている。
くの種類を所有できるのもいい。
る私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお
そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイ
午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。
昭和初期に急に現れたらしい。
るいはコレクションの展示会、交換会などが行われ
ていたようだ。
きくは、なかったようである。
るのでスイッチとは言わないが、このころではすで
広く存在している。
ている。
日も快進のようだ。
2発発射された。
による記者会見を写している。
一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいこと
号に目を移す。
して行っているという話もある。
るであろう。
としかその時は考えなかった。
る。
そして私以外の多くの蒐集家の手にも、押されるの
を待つスイッチが数多く、あるのだろう。
え!そうなの?
少年漫画のテンプレってラスボスが実の父親パターンが多いのかと思ってた。刃牙とか、幽白とか、あと細かい作品いろいろ。
H✕Hは父親を「絶対に追いつけない偉大な存在」にしておいて、作者が年食ったらオヤジ目線にシフトしていったのが面白いなと思ってた。
今40~50代くらいの男作者って戦争経験者のジジイとか、高度成長期で一財産築いた団塊世代の父親にプレッシャーかけられて育った世代だから、父親を「超えられないもの」みたいに萎縮しちゃってるみたいでキモいと思ってたんで、それに真っ向からアンチテーゼ唱えたジョジョはやっぱすげえな、先見の明があったなって素直に感心するわ。
触発されて、よし良い機会だと思って前から欲しかった乾燥機付き洗濯機を買いにいった。
下見もほどほどに購入したい機種を決め、店員さんを呼ぼうと思った。もちろん休日だからなかなか店員さんはつかまらない。
したらどうだ、ジャンパーに「じぇいゴム」「フテッツ光」「ソフトフアンク」などなど書いてある店員さんが全く関係ない冷蔵庫の商談をお客さんとしているではないか。
たまたま来たその会社のお兄さんおねえさんではない。結構ずっといる。
ジャンパー広告…?しかしヨドバシカメラ店員さんとおぼしきひとはレジ内もしくはインカムでしゃべりつつ忙しそうにしている。
やむをえずその通信会社の広告が書かれたジャンパー兄さんにこれを購入したい旨を伝えた。
そうするとすぐに手続きをしてくれて、その機械の機能もそこそこ(売り場のPOP程度には)話してくれた。
しかし、というかやはりその方々はヨドバシカメラの店員ではなかった。
ある程度のマニュアルを聞いたジャンパーのとのこ社員さんだった。それ自体はまったく問題無いのだが再三執拗に聞かれた。「携帯の機種はなにか」「Wi-Fiの環境は」「契約してどのくらいか」
しまいには「紹介させてもらえれば成約時に色々特典がある」と。
ひどい。
紹介=個人情報を書いて広告を受けてくれと同意。ひどいね。下手なサイト以下。
ヨドヴァは人員不足のために「広告させてやるから別フロアにおたくの人間よこせ」だろう。
わかる、あってもいいシステム。
顧客にしわ寄せ来てますけど。広告好きなお客様もいるかも知れないけど金払ってCM聞かされて(さんざ断ってもなお。)、それ前衛的だけど買う側からしたらメリットないわ。
書いちゃうかな
私の趣味は エヘヘ
自宅だと見つかっても防犯用だと言い逃れできますよね
ま、見つかりっこないですけど
本人でさえわかりにくい
コード先は書斎に続いていて、その部屋はカギがないと開けられない
嬢が来たらスイッチオン!
デリヘル嬢はもちろんロングで予約
女子大生がメイン
本番は自然の流れ
いまとなってはわからないがどうなんだろう
カメラ目線でいい顔が撮れました
そのまま帰っていきました
万が一カメラが見つかっても書斎のカギなしでは証拠を押さえることができない
店長を呼んでも店長が自宅に入れば不法侵入として訴えることもできるし証拠も残る ま、玄関ロビーで入れないですけどね
防犯カメラの撮影は犯罪ではないし、自宅だから条例にも違反にならない
警察が来れば、未成年だと保護者の呼び出し それに警察沙汰だと所属大学への通知もある
見つかった場合はそのように説得して愛人契約する予定で、結局、ゼロでした
今回書いたのは子どもの教育でシンガポールに移住するのでその記念カキコ
マンションは東京に戻った時用にと思ったけど、思い切って売っちゃおうかと思う。
甘えんなとか世の中ナメてるとか、言われるんだろう。
だけど、私より不幸な人を見たことがない。
いつも体の中に泥がつまっているみたいな感じがする。
利口で計算高く生まれついた私は、子供の頃から要領よく大人をナメ腐って利用して生きてきた。
汚らしい愚かで浅はかな奴ら。
だってゴーギャンの絵に描かれた深いメッセージもハイネの詩も読めないなんて。
きっと脳に神経の代わりに納豆菌がつまってる。
東京の美大に通うために上京してからは、いいようなものになりかけてきたけどね。
でもやっぱり大人はダメね。
つまらなくて形にはまってて、眩い物なんて何も生み出せそうにない。
でもでも、じゃあ私はどんな芸術ができるのって言えば、何もできないの。
絵を描いても詩を書いても、何もない。
心が動かない。
偉大な芸術家の作品からは感じれるのに、その美しい何かが私の中を通ってキャンバスに吐出されると泥水みたいになって。
これじゃ私もつまらない大人になっていく。
だけど、そうじゃない人もいて、彼女が作るものは美しくて儚くて、きっと深いところで宇宙と一体化してる。
時間の流れを生み出す何かなんだ。
でも私にはできなくて。
それに気がついて、私は学校を休学した。
休学して何をしていたかといえば、体を売っていた。
これもきっと芸術の一種。
楽しくて仕方がなかったよ。
もう男のことは何でも知ってる。
男は女の裸を見てるつもりになってるかもしれないけど。
全部さらけ出しちゃってるのは男のほう。
2年間休みなく売り続けて、抜け目のない私は一財産築き上げた。
そして利口な私は、始めた時期もよかったんだけど、株でそれを倍にした。
配当だけで一生食うに困らないよ。
私は自由だ。
現世に蘇った高等遊民とは私の事。
なんて大嘘。
満たされない。
つまらない絵、誰も感動なんてしない。
空間に広がっていく粒子が見えない。
あってもなくても同じ。
居ても居なくても同じ。
気がついたらまた体を売っていた。
でも今度は私がお金を払って売っていた。
抜け目のない計算高い私は、汚くて臭くて愚かな中年に一晩だけ夢を見させてあげる。
奥さんとはもう何年もしてないのね。
私がここに居るって感じられるのは、この時だけ。
昨日彼女の絵を見に行った。
殺してやりたいと思った。
1.20代後半
3.ITスキル適性なし(2年程度会社でプログラマをやったが天才的なひとを見て挫折)
4.勤め人の適性なし(お金を稼ぐのは好き)
5.簿記は日商2級程度で損益計算書と貸借対照表はざっくりと読める
7.高卒
以上です
皆さんお忙しい中お返事いただき大変恐縮です
もうひとつ別に書くか悩みましたが読みづらくなりそうなので追記します
スペックについて書き忘れました
大した成績ではありませんが60人くらいの中で1位2位を5ヶ月くらい取ったことがあるんで(さぼって数字が0だったこともありますが)、営業スキルは中の上か上の下程度でしょう
楽過ぎてやめられなくなってたんですけ良い年なんでそろそろ一財産作ろうと思ってました
それで皆さんの声をまとめると
・営業は良い
・上客を引っこ抜いて独立
・役員になる
・馬車馬のようにとにかく働くべし
・技能あったほうがいい
読みこぼしもあるけどだいたいこんな感じでしょうか
かなり参考になりました
なぜ労働時間を聞いたのかというと、20歳前後で月400時間働くのを4ヶ月続けてニートになって貯めた金を食いつぶした経験があるからです
技能や知能やコネがないのに長時間働けなければ大金を稼ぐのは無理というお言葉は最もだと思いますが、労働時間は僕にとっては重要な指標でした
大雑把な計算(税金や支出諸々を勘案せず)で時給2000円で月400時間(休日無しで一日13.5時間程度)働くと月80万
月80万を12ヶ月でだいたい一千万という計算です。が、もちろんこれは上記の通り僕には無理でしょう
皆さんのアドバイスを参考に時給4000円で月200時間稼げるビジネスプランを考えて実行に移してみようと思います
もちろん最初に時給換算して、というのがナンセンスなのは百も承知ですがあくまで参考にする概算としての数字です
皆さんお時間を割いて頂き本当にありがとうございました。また追記するかもしれませんが、ありがとうございます。
パチンコ・スロットは勝てるのか。そんな問いを今更議論する必要なはい。答えは勿論、「勝てる」
ネットで調べると無料のモノから胡散臭いメルマガ会員だの課金のまで山ほどハウツーは出てくる。
本当に勝てるならばその方法は独占するだろう、というのは一般論
実際には彼らの殆どはウソなどついてなどいない。本当の「勝ち方」を共有している。
パチンコ・スロットの勝ち方がタダで公開される理由は3つある。
1つ目として、パチンコ・スロットファンのうち大多数は「既に勝ち方を知っているのに実行できない」がゆえに負けているという現状があるからだ。
時間的・金銭的制約ゆえに勝てる立ち回りを実行できない人と、いわゆる依存症でマジでカラダが言うことを聞かない人たち。
みな、どうやれば勝てるのか、あるいは何故自分が負けているのかを常識のように理解している。理解してなお負けているのだ。
従って今更勝ち方をネット上で公開したところで、何も今までと変わらない。
2つ目、パチンコは客VS店の構造であり、パチンコホールは全国に数多くあるため実質ライバルの数は大した差にはならないということ。
3つ目はパチンコ・スロットで稼げる金額というのには限度があり、また、パチンコ・スロットを打つのは結構な重労働であるということ。
未だにパチンコ・スロットのファンは多い。雑誌の情報をまるごとコピペしただけのブログがアフィリエイト収入で一財産作れてしまうとか。
毎日朝から晩までホールで打って打ち子も使って1ヶ月100万行くか行かないか、なんて生活をしていたら安定した副収入は魅力的だろうと個人的には思う。
これとは別に、専業パチプロは孤独なため社会的承認を得るため、自己満足として「他人のために」ブログや情報系のサイトを運営しているケースも少なくないと感じる。
そんなワケで、ネットに共有されている「勝ち方」は書かれている理由があります。その通りにやればパチンコもスロットも絶対に勝てるんで、みんな信じていいですよ。
逆に、無料で手に入る以上の情報はおそらくこの世界には存在しない。