はてなキーワード: 一留とは
30歳 男
フルタイムだがもちろん安月給。
働きながらの受験が難しいのか、それとも私が馬鹿なのか、こんな歳までずるずるきてしまった。
私なりに仕事は熱心にしてきたつもりだった。
それなりの信頼を得、沢山の仕事を任せていただき、頑張ってきた。
職場でも、人間関係は良好で、いつも頑張っていると評価されていた。
頑張っても、報われない。
わかっている、努力が足りない。
足踏みするということは、無駄に歳をとり、人生が後退しているということだ。
情けないほどに物忘れがひどい。
また理解力も低下し、自分の頭の中がうまく整理できず、適切な言葉が出てこなかったり、話す順番や優先度があべこべになってきている。
小さい頃は勉強もスポーツも出来ていたのに、私はいつの間にか社会から落第点を告げられるようになった。
当時の私はもういない。
全くの別人だ。
障害というほどでもないが、病気を抱えたあの時から、認識した時から私の人生は緩やかに直実に下降しはじめた。
言い方が悪いとは思っている。
もう私は平凡な幸せを手にいれることはできないのだろうか。
ネガティヴな事は言いたくない。
常に明るい言葉を発して、前向きに生きてきたいのに、心がもう折れてしまった。
もう希望がないことを認めることができない。
ここ数年、外に出ようとするとえづきが止まらない。
きっと私の胃はおかしいだろう。
それでも外に出ると落ち着く。
こんな状況ですら、自分の弱い部分を出せない。
今までの人生も人にダメな部分を見せ、教えてもらったり、助けてもらうことが苦手だから、こんな人生になってしまったんだ。
私は鬱なのか。
もし仮に鬱なら、より人生は下降するのか。
呼んでもいないのに、また誕生日がやってきた。32歳になった。その時を大宮あたりにある自宅のワンルームのアパートで俺は迎えた。
仕事は公務員。俺は一浪で、とある無名大学に入学し、一留で卒業し、さらに卒業後に一年公務員試験の勉強をして入庁した。運良くストレートで入庁までたどり着いた奴らと比べると、3年余分に時間を食ったことになる。くそ、と思うことはいつもであるが、それでも、出身大学のレベルからすれば随分立派な就職先に入れたのでその点は誇りに思っている。なんと言っても公務員は安定している。
まあ、どこかの国も破綻しかけたし、うちの国でもメロンの有名な某自治体が破綻したりして、果たして将来も安定か?というツッコミどころもあるが、なんだかんだ自分の定年ぐらいまでは大丈夫だろう。
だべってばかりで働かない職員やモンスターなんちゃらに囲まれての仕事は決して楽しくないが、生きていくためだ仕方がない。
ちなみに、一浪した時は、実家があまり裕福ではなかったので新聞奨学生をやりながら、予備校に通った。しかし、この新聞奨学生というのがひどいもので、配達作業の時間のせいで十分に勉強時間がとれないという代物だった。今思えば、少し無理をして自宅浪人でもしてれば、早稲田や筑波ぐらいならいけたかもしれない。本当に後悔している。
容姿は良い方だと思う。中学時代はそれなりにモテた記憶があるし、男友達からも、良い方だろうという客観的な評価をもらっている。
だが、恋愛は不調だ。これまでの人生で一度だけ付き合った彼女は美人で、スタイルもよかったし、若かったし(当時23歳だったか)、あっちの方も抜群だったが、いろいろいい加減な子だったので半年ほどで別れた。結婚も考えねばという年齢だったのでそれでは厳しい。その女との出会いは、数年前から流行りの街コン。当時は友達と街コンや婚活パーティーに出かけて出会いを求めていたが、そこで一度だけうまくいったのがその女だった。
と、それが二年ほど前の話。そう。今、俺の心を占めているのは結婚への焦りであり、結果として婚活が自分のプライベートの時間の多くを占めるに至っている。婚活もいろいろやり方があると思うが、今の主戦場はスマホの婚活アプリだ。
婚活アプリでは、それぞれ自分をPRするプロフィール写真や文章を登録し、男女共々、異性のそれを見ることができる。気に入った相手がいれば「いいね」する。「いいね」されると、された相手には通知がいき、運良く相手も気にいって、「いいね」を返してくれたら、晴れてチャットができるようになる。あとはいかにうまく口説いて、「面接」に持ち込めるかだ。
「面接」というのは婚活用語である。婚活アプリでは、チャットをいくらか続けたあとに、アポをとりつけて相手を食事に誘い、そこではじめて相手と対面する。そして相手の容姿や、学歴、職業、コミュニケーション能力などを見る。これがさながら企業における採用などの面接に似ているから「面接」などと呼ばれるのだろう。採用活動における面接ではおおむね企業側が一方的に見るものだろうが、婚活における「面接」では、お互いがお互いの値踏みをする。従って、当然ながら、「面接」に望む時の洋服には十分気をつけなければいけないし、会話を弾ませるよう自分の話術を最大限駆使する必要がある。そうでなければ、二次「面接」、三次「面接」には進むことが出来ない。お祈りメールを待つのみである。
俺が将来の伴侶に求める点は大きく、1)友達が羨ましがる容姿、2)自分よりも高学歴、3)結婚してもちゃんと働いてくれる人、4)性格がまとも、5)年齢は31歳まで。若いなら若いだけ良い、の5点である。特に1)2)5)は重要だ。なぜかって?それは他人に羨ましがられる嫁が欲しいからだ。俺は正直に言って、自分に誇れるものがない。大学へは小学生時代から続けていたスポーツを極めたくて入学したが、結局自分には才能がないことを痛感した。プロなんて夢のまた夢だ。誇れることは、せいぜい、公務員になれたことぐらいである。これがなかったら、ぶっちゃけ、ただのクズなんじゃないかとすら思う。だからこそ、婚活では一発逆転したい。
実際、俺はかなり婚活に入れ込んでいる。中毒といってもいいかもしれない。平均で週に2回程度は「面接」をしているし。婚活アプリも4つ程度を同時並行で利用している。
金もかかる。課金額は月にそれぞれ5000円程度だ。「面接」にだって金はかかる。飲み屋でディナーとなれば、安くても一回4000円は飛ぶ。もちろん支払いは男持ちだ。男女平等が叫ばれる昨今であるが、婚活では関係ないらしい。交通費だって地味に痛い。
トータルで「面接」した人数は50人はくだらないと思う。しかし、未だに婚活は終わっていない。
俺が求めるレベルの女には、一次「面接」で切られてしまう。そのレベルに達していない場合だと、付き合うところまでいけそうということも何度かあったが、どうしても本気になれず、最後まで続かない。
もう本格的に婚活をはじめて3年になる。最近は、周りの友人なども結婚しているやつが多くを占めてきたし、子供ができたというのもFBなどでよく見かける。そういうのを見ると、自分は何をやっているんだろうと思う。俺はちゃんとした家庭を持つことが幸せの重要な要素だと考えているので、何のために生きているのだろうという思いにかられることもある。「面接」がうまくいかないのはコミュニケーション能力が低いせいもあるのだろう。そういえば、うちの親はどちらもコミュニケーション能力に乏しい。遺伝なのか育った環境の問題なのか。くそ。
四年前の俺のようだ。俺はリーマンショックからの就職氷河期に見事にぶち当たって、大学の就職浪人制度使って一留して
それでも無い内定のまま卒業してしまって、就活期間2年近くずっと毎日自己否定感に苛まれて死にたいとばかり思っていた。
実家で猫撫でてたらいきなり涙が止まらなくなって心療内科に通ったりした。
でもある日、惰性で受けた社団の面接で意外なくらいトントン拍子にあっさり内定が出て、むしろ拍子抜けした。
入る前は「世の中というものは俺にどれほど高い能力を要求するんだ」と恐れに恐れていた大人の世界というのは、入ってみればなんのことはない、
就活の苦労に比べたら信じられないほどヌルくて雑多で、多様な世界だった。
周りには「就職したらもっと苦しいんだぞ」なんて言う奴もいたけれど、就活の時の苦労に比べたら仕事での苦労なんて俺にとっては正直屁でもなかった。
就活の時の苦労は一体何のためのものだったんだ、と正直ムカついたくらいだ。
就活で測られるもの、求められるものは、要するに社会に適合するためのスキルでもなんでもなく、ただただ就活という歪んだシステムを乗り切るためのスキルでしかない。
あなたより不誠実で不真面目で、「社会に適合するための正当な手続きたる就活」を踏まえていない大人なんていくらでもいる。
自分の幸運を棚に上げて、あなたのような弱っている人間にマウンティングをかまそうとする言説も世の中に溢れている。
就活で植え付けられる自己否定感は、今のあなたにとっては紛れも無く真実で、あなたを苦しめていると思う。
実のところ俺も、今でもその解消に難儀してる。
でも就活は理不尽な運ゲーでクソゲーだ。就活なんてもんはペテンだ。
父親の年収はおそらく900万くらい ただ55くらいという年齡を考えればそんなに特別な額ではないと思う
母親はなんかパートなのか正社員なのか分からないけど十年前くらいに再就職して週4勤務で年収200万くらいらしい
住んでるところは地方の10階建てくらいのマンション 貯金がいくらあるかは知らない
例えば俺は一浪一留私大卒でなに不自由なく生活させてもらえたけども、特に贅沢をしたわけでもない
家賃も7.5万円のところに住んでいたから東京の大学生の中ではごくごく普通なレベルだろう 小金持ちな家庭はやっぱり一人暮らしでも10万くらいのところ住んでるしね
バイトしないでもやっていけるだけの仕送りは貰っていたけれど、遊ぶ金は全部バイト代からだった。大学も忙しかったから月5万弱くらいかな
一応兄がいるけど、兄は国立大出たし全てストレートでいったから相当負担も少なかったんじゃないかと思う
必要な情報は大体書けたと思うが、改めて書いても中の中の家庭というか、なんなら中の下な気もするんだけど(実家は普通のマンションだし)、たまに恵まれてると言われることがあるのが分からん
実際どうなんですかね?
私もしかしたら結婚できねーんじゃねーのって最近めちゃくちゃ思う。
別に私は彼氏いない歴=年齢とかでこのままではヤバいみたいに悩んでるわけではなく、つい数ヶ月前まで恋人はいたし、経験人数も多い。いや、かなり多い。
先にも書いたのだけど、経験人数が多すぎることが最近コンプレックスになってはちゃめちゃに辛くなってきた。
何がどうコンプレックスかというと、こんなに誰かに好きになってもらうことはできるのに、どれ一つとして恋愛が長続きしない私は人として何か重大な欠陥があるのではないのか、と思えてきて、一人の人間と恋愛関係を一生をかけて築ける自信がまるでない。なくなった。
ここ1年くらいでトラウマものの恋愛経験をしたりして、自暴自棄になって数がいたずらに増え、つい最近、その人とは普通の付き合いをしていたんだけど、此の期に及んで「好きかどうかよく分からなくなった」とたった4ヶ月で振られた結果、本当に自信をなくした。
自分の経験人数の多さについての話になるけれど、高校入学してすぐに部活の先輩と付き合ったのが初めてで、現在大学4年に至るまでで10人。
将来、自分に気を持って近づいて来た人に「何人くらいの人と付き合ってたの?」なんて聞かれて正直に答えようもんならめちゃくちゃ引かれると思うし、加えて自分がどちらかと言えばサバサバ系に当たるあまり女らしくない人間なので(別に見た目も普通だ)、めちゃくちゃ驚かれるだろうし、地雷臭がするからやめとこうと思われるだろうな、と思う。
実際地雷なんじゃないかと思う。
この問いに対する適切な答えをわりと真剣に考えている。
男をとっかえひっかえするような付き合い方をしてきたつもりは、自分ではないつもりだけど、ほとんどの付き合いが、半年ちょい以下、次の交際までが長くても半年以下で、それをとっかえひっかえと人は呼ぶのかもしれない。
自分でも「私ってとっかえひっかえしてるのかな……」などと気持ち悪く悩んでるような時もあったが、同学年の友人が「そろそろ彼氏乗り換えよっかなって思ってる」みたいなことをカバン買い替えるかみたいな感じで話しているのを聞いて「マジか」ってなったし、自分の恋愛の話に対して「増田さんって結構とっかえひっかえだよね笑」とか言う人は大抵恋愛経験皆無の人だったので、一旦は気にしないことにした。
話がそれたけど、どの人もそれなり以上に、基本的には大好きで付き合い始めたし、それぞれに理由があって別れたりした。(たいてい私が別れを切り出ししている)
この経験人数の多さは、自分なりに分析するところによれば、私がかなり惚れっぽいところと、おそらく恋人関係の間に問題が生じた時にいちいち解決するほどの執着がないところにあると思っている。
そういう反省から、生じた問題に熱心に取り組んだ結果、立て続けに絶交案件が立ち上ってきてわりと死にたくなった。
あとこれは途中から気がついたことなんだけど、どうやら自分は好きな人に対して「女」を切り売りするのがなかなかうまいらしい。
し、大抵付き合った男性は恋愛経験がほとんどない人が大半なので、切り売りされた女をやすやすと買ってくれたのだろう。
自分で言っててかなり悲しい。
昔めちゃくちゃ好きでアプローチしていた(が、交際には至らなかった)後輩に、恋愛が長続きしないと相談した時に「増田さんのアプローチの仕方はすごくドキドキするから好きになってしまうんだけど、多分それじゃあ本当の増田さんを好きになってもらえないから、結果的に幸せになれないと思う。もっと時間をかけて自然に好きになってもらった方が良い」と言われ、真理すぎて理解〜〜となって、理想として頭に入れてはおいたが、好きになった男とは付き合いたいので、飽きずに女を切り売りしてしまった。
ていうか、誰でも好きになったら女を切り売りしてしまうだろ!!!?しょうがないじゃん!!!?とか書いてて思った。
その後輩は当時、運命の女とやらを見つけて交際に至ったばかりで、ひととしてのステージを一次元上にシフトできた自覚ある人間の心の余裕からくる発言だとそれなりに受け止めておくことにした。
その後輩はその女の子と長い付き合いを今も続けているらしく心底羨ましい。
私にも運命の相手をくれ。
まあいろいろと脱線が激しくて申し訳ないが、恋に落ちやすい性質と交際に至りやすい性質と別れを切り出しがちな性質を合わせ持ってしまった結果、飽きもせず恋愛サイクルを繰り返すことになってしまった。
あと恋愛が上手くいかないコンプレックスが、次へ次へと自分を走らせていたような自覚がある。
そんな感じで過去にお付き合いした人数が10人にも至った結果、「うぅ〜〜、女を切り売りすることでしか誰にも愛してもらえないんだ、誰も本当の私なんか好きになってくれないんだ、つらい〜〜」となるし、周りのお互いにいい感じで愛し合ってるようなカップルを見るとめっちゃ死にたくなる。
いい感じで愛し合ってなさそうなのに長い付き合いをしているカップルを見ると「お前らなんか間違っているだ、そんなの本当の幸せじゃないんだからな」と死ぬほど負け惜しみみたいなことを考えてしまうようになり、すさまじいカップルコンプレックスを抱くようになった。おそらく恋人もちの友人たちに人を殺すほどのガンを飛ばしてるので申し訳ない。
とはいえ、別れたばかりで未練があるからか(というか、ある)、「もう恋なんてしない」とセンチメンタルになるほど疲れてしまったからか、誰かとつがいになるような気分になれない。
もっと包み隠さず言えば、もう恋愛沙汰で傷つくのはゴメンなので次は最後がいいし、うっかり上手くいかなかったらめちゃくちゃ死にたくなるから嫌だ。
とはいえ、そもそも普通に結婚願望があるし、普通にひとりはいやだ!!!と思うので、このままうかうかコンプレックスをこじらせていたらいわゆる婚期を逃してしまうのではないかとめちゃくちゃ不安になってる。
今が一浪して大学4年で23歳、一留するので、新卒1年目で誕生日を迎えたら25歳。いわゆる普通に結婚する年齢を27歳と設定したら、社会に出てすぐお付き合いして、素敵な恋愛関係を築かねばならぬということになる。
先に長々と述べたコンプレックスからもう無理だろ!!という気持ちになってる。
きっと私は然るべき時が来ても、私はこの人と一生の関係を築くことができるのだろうかと疑心暗鬼になって結婚できない。子供も生めない。そんな気がする。
別に20代のうちに結婚しなきゃいけない決まりはないけれど、そんなにも長い時間を東京とか新たな土地で就職して、孤独な社会人女性として生きたくない。
幸せな恋愛がしたいのに、「恋愛 長続きしない」とググってみると、「あなたには自己肯定感が足りません」とばかり書いてある。
だけど、頑張って自分をひとり抱きしめ続けても私はひとりだ。
といいつつ、自分は惚れっぽいのでそのうちにそんなことは忘れて適当に恋人を作っていそうだなとも思う。
でもすぐまたそのうち別れそう。
という感じで、将来先5〜10年くらいに渡っての孤独に不安を抱えて時々めちゃくちゃうつになっている。
エントリーシートとかで10年後のビジョンを教えてくださいとか聞かれたら「殺すぞ」という心境になる。
だれか私を助けてくれ。
ニート、フリーターの時に神戸の友達に三宮のヘルスに連れていってもらった。
写真指名をして、
気持ちよかった。
(気持ちよかったのは、最後までイって、抜かれた感じで、です。)
それまで、親のスネをかじって生きていた。
太宰治の人間失格ではないが、なんか、ずっと、生きている意味を感じられなかったよな。
大学で、確かに、不細工な彼女とサルのようなセックスを何度もしたけれど、
やっぱり、きれいな人とやりたい。
働くモチベーションになった。
25才から40を超えた今でも、金がないときは、メンズエステで、20代の子に抜いてもらっている。
唯一の趣味というか、楽しみだ。
月に2度ぐらい通ってきた。
だけど、今じゃ、単なるストレス解消だな。
感激はするが、初めての時やお気に入りの子のメルアドをゲットしたときのような感動は、もう、ない。
だけど、きもちいいー。
あー。頭悪い文章だね...。はは。
疲れた。
疲れたよ。
働きたくないなー。
追記...
(なんで、ブコメで、私に嫁がいると、バレたのだろう。エスパーだろうか。)
(つか、こんなクズにも、ブクマがついて、かうじて承認欲求が満たされています。。)
初めての風俗は東海地方の、暗いぼったくりピンサロで、体重100kg程度の巨漢の女性が、相手でしたよ。
だから、
三つ指をつくなんてことや、天井に大きな鏡があったりしたことに、すごく驚いて、印象に残っています。
そんな高級店じゃないけど、京都とか大阪とは、もちろん神戸でも特殊なのかも。
気持ちよかったのは、最後までイって、抜かれた感じで、ですよ。
あ。実際、会社休職していて、適応障害という病気で、半年ほど、休んでるんですけどね。
嫁はんと嫁はんのお義母さん、二人が、就活しろって、いうんで。
失業手当(あるいは傷病手当)をもらうことをアテにすな、的な感じですね。
嫁さんに、バレたら、やばい。
母語が英語でなければたとえ英語教師やウン十年英語圏に住んでる人間でも当てにならない。
weblioやアルク等辞書サイトもたまにおかしい。参考材料の1つにはなる。
しかし英語のページを調べたいと思ってもGoogleの場合日本語のページが優先して出てくる。
英語を優先する場合は、検索した時のURLのhl=jaとなっているのをhl=enに変える。
脱線するがGoogle傘下のサービス(YouTubeなど)はこのhl(host language)パラメータでどの言語で表示すべきかを指定できる。
外国語に触れるの嫌いなので英文考えなきゃならない質問系コミュニティは使ってない。
他になんか良い調べ方があったら教えて欲しい。
昨今では忌み嫌われる長文で、たいして面白くもない内容なので誰も読まないだろうが、それでいい。
軽く自己紹介。精神科病棟で働きはじめて一年になろうとしている。看護助手の契約社員。今年で21歳になった。
一浪して合格した、世間的には難関と認識されている、都内の有名私立大学()を半年で退学して、今の職場に入った。高卒資格なしで将来食っていけるか不安なので、不況でも食いっぱぐれないと聞く、看護師を目指そうと今は考えている。それ以前はコンビニのアルバイトと日雇いの倉庫作業くらいしかしたことがなかった。退学した理由はくだらない。授業に出席せず、単位取得における必須出席率(三分の二)に満たなかったので、留年がほぼ確定していたからである。受験当初から志望校などなく、勉強もさほどせず、たまたま合格した大学にとりあえず入ったという塩梅で、絶対に卒業しなければならないという意志もなかった。中流家庭で経済的には比較的恵まれていたので、仮に努力さえすれば(一般的な大学生にとってはそれは努力ではなく普通のことなのだろうが)一留したとしても卒業はできたはずである。まったく親不孝な息子である。
わたしが働いているのは比較的症状が安定した患者が療養する慢性期病棟である。患者の平均年齢は65歳くらいで、ほぼ全員が統合失調症の患者である。平均入院年数は約15年である。医学的知識に乏しいので統合失調症とは何かといった説明はしないが、約100人に1が罹患するとされている疾患である。自分の身近に統合失調症を患った者がいても珍しいことではない。事実、わたしの身内にも罹患者がいる。距離的に頻繁に会うことはできず、ほとんど疎遠であるが自分と年齢が近いこともあり気にかけている。
慢性期の開放病棟とは言え、当然ながらそれは院内における開放という意味であって、自由に院外に出られるという意味ではない。あたりまえのことだ。また患者各々の処遇によって、院内開放の認められる患者とそうでないものがいる。前者は全体の三割ほどだろうか。それ以外の患者は看護師同伴での外出の外は、ほぼ365日病棟内で過ごすことになる。彼らの生活は異常なほどに規則正しいものになっている。規定の時間に起床を促され、看護スタッフの監視(長年にわたる薬の服用がもとで嚥下に問題がある患者が多く、誤嚥で窒息する恐れがあるため)のもと朝食を済ませ、その日が入浴日であれば風呂に入るよう半ば強引(彼らは清潔観念が乏しく風呂嫌いが多い)に促され、昼食を食べ、自主参加ではあるが作業療法に参加し、夕食を済ませる。食後は各々に処方された抗精神病薬を服用し、就寝前には看護用語でVDSと呼ばれる就寝前薬を服用し消灯、就寝となる。もちろん彼ら全員がすんなりと眠ってくれるわけではないので、必要に応じて追加薬として眠剤をさらに服用させる。それでも睡眠ゼロ時間で朝をむかえる患者もいるが。
規則正しい生活が健康を保つ秘訣であるとは言われるが、物事がすべて規則的に進む環境に長く置かれれば、精神的に健康な人間でも何らかの精神症状を示すようになるのじゃないかと思う。何事も適度にやることが大切である。仮に自分が彼ら患者と同じ生活をしてみるとなれば、1ヶ月も耐え切れないのではないか。
普通の人から見れば異常な規則的生活を強いられているばかりでなく、彼らはプライベート空間を与えられていない。病室は4人1部屋の総室であり、ベッドにはカーテンが備え付けられはいるが、必要とあればスタッフが遠慮無く開けるのでプライバシーの確保としては機能しない。唯一例外として挙げられるとすれば個室トイレであるが、それでも外側から簡単に鍵を開けられる。もちろん理由はある。ここは精神科である。患者を1人にするのはリスクが伴う。その最悪のリスクが患者が病棟内で自殺するというケースだ。自殺するのに銃もロープも包丁も必要ない。タオルやシーツ1枚で十分である。首を吊る必要もなく頸動脈を絞めれば尻をついた体勢でも逝ける。患者に希死念慮の疑いがあれば、保護室と呼ばれる個室で隔離し、常時モニターで観察する。必要であれば拘束帯で手足、体幹を拘束する。それは仕方のないことであると個人的にも思う。そのようなことがあれば直ぐに訴訟になり、病院だけでなく医師、看護師、資格を有していない看護助手も裁判にかけられるのである。人間が外部との接触なく常に1人きりで長時間過ごすことに耐えられないのは、拘置所などにおけるSolitary Confinementが精神に及ぼす悪影響を鑑みれば明らかであるが、それでも生活の中に1人の時間を設けることは精神の安定にとって非常に重要なことである。
一日の中で病棟が最も活気にあふれるのは3時のおやつの時間である。患者は小学生の小遣いほどの小銭を握りしめて、病院に併設された売店へと向かう。わたしも幼少時代、同じように手汗にまみれた小銭を握りしめ駄菓子屋へ足を運んだ記憶があるが、自分より2回り以上年齢を重ねた彼らが喜びと興奮の面持ちで売店に赴くのである。もちろん離院されては困るのでスタッフ同伴である。なかには1時間も2時間も前から「○○さん、おかし」とこちらが辟易とするほど頻回に訪ねてくる患者もいる。そのたびに「△△さん、時計見てください。今何時ですか?3時まで待ってくださいね」と説明する。しかし時間を把握することができないのか、理解に乏しいのか、その後にわたって同じやりとりが何度となく繰り返される。そしておやつの時間が近づくと、患者は詰所(ナースステーション)に詰めかけて「かいもの、かいもの」の大合唱がはじまる。入社して形式的な研修を終え、病棟で働きはじめた初日、その光景を目の当たりにし、「これはなにごとか、いったい今から何が始まるんだ」と誇張なしで思ったものである。一度に売店へ連れていけるいけるのは、多くて5名である。それに対して2名の看護スタッフが同伴する。離院のリスクが高い患者はマン・ツー・マンで対応しなければならないので、業務の都合上、最後に後回しにしざるをえない。この対応に納得のいかない患者は時としてもの凄い険相でこちらを睨みつけたりもするが、申し訳ないが待って頂く。いざ売店へとたどり着くと、患者は菓子の並ぶ棚を物色し、各々お気に入りの菓子や飲み物(十中八九コーラである)を買うのだが、彼らの選択肢はさほど多くはない。金銭的な問題もあるが、誤嚥のリスクが高い菓子類(特にパンや、硬いもの)は遠慮してもらう。病棟へ戻り、スタッフの目の届く範囲のテーブルで購入した菓子を食べるのだが、彼らの食べる、飲むの早さは尋常ではない。これは食事においても同じである。コーラを飲み干す早さは、ハイキングウォーキングのQちゃんにも引けをとらないだろう。
余談だがこの病棟にはデイルームに自動販売機が1つ設置されているのだが、患者が選ぶのは常にコーラである。コーラの横に並ぶ水やお茶などを患者が買う場面を見た試しがない。聞くところによるとこの傾向はこの病棟(病院)に特異なものではないらしい。特にかくコーラの消費量が半端ではないのである。1日になんども業者がコーラの補充に来る。仮に1日のコーラ販売数が最も多い自販機であったとしても驚かないだろう。
ここで少しOT活動(作業療法)について触れておきたい。その内容ではなく病院経営の観点から見た作業療法である。わたしは不勉強で参加者1人あたりの診療報酬がいくらで、具体的に自分の働いてる病棟で月あたりどれほどの利益が出ているのかといったデータは知らないのだが、現状でも結構な額の利益を稼ぎだしているようなのである。しかしそれ自体はなんら問題ではない。病院も利益を出さないかぎり存続が危ぶまれるわけであり、それは結果として直接的に患者の不利益になるので致し方無いだろう。しかし病院経営者としては、さらなる診療報酬の増収を求めて参加者の今まで以上に増やすことを病棟にプレッシャーをかけてくる。だが経営的観点からのみ作業療法を考えるのは、本末転倒であり、本来の作業療法の意義を見失いやしないだろうか。普段活動意欲の乏しい患者たちの他者と交流する機会の場を提供したり、同じことの繰り返しである日常に些細でも刺激や楽しみを見出させ、活動意欲の向上を目指す。わたしは作業療法士ではないので専門的な知識はないが、研修のとき作業療法士からそのような目的を聞かされた記憶がある。作業療法は任意参加である。もちろん参加したほうが治療的には望ましいことは間違いないが、患者自身が活動に対して主体的にならなければ効果は期待できない。仮に活動に参加しない患者には売店へ行かせない等のやり方で、強制的に参加を促したところで継続しないのは明らかで、それ以前に患者自身の金でおかしを買わせないとなると人権侵害である。ある患者は「おもしろくないから、わたしはいいよ」と参加を断り続けている。確かにプログラムがマンネリ化していることは否めない。病院の作業療法士が仕事に対して不真面目であるからではない。みな限られた予算のなかで真面目に患者のことを思い必死でやっている。要は作業療法で得た診療報酬はどこに還元されているのかという話なのである。言うまでもなく、参加をしぶっている患者に対して毎日声掛けしている現場スタッフには還元されない。それは別にいい。しかしOT部門への予算を増やす、給料面で還元するなど多少はできないのだろうかと常々感じている。慢性期病棟でほとんどの患者は退院が見込めないため、患者を金づるにし作業療法による診療報酬で利益を出そうとう考えなのだろうか。これは完全なる愚痴である。
わたしは今まで目的も夢もなく堕落的に生きてきたので、それゆえか「生きがい」だとか「なぜ人は生きなければいけないのか」といった面と向かって口にするのは恥ずかしい問題だが、漠然と考えてきた。
いままでは、どちらかと言えば普遍的な命題として考えていたのだが、統合失調症を身内に持つものとして、同じ疾患の患者と毎日のように接触を持ち、「彼らに生きがい、あるいは生きる目的があるとすれば、それはなにか」といった具体的な疑問に変遷していった。
ある患者に病棟での生活で一番楽しいことはなんですか、と尋ねたところ「(部屋の窓から)道をみること」という答えが返ってきた。わたしから見れば、そんな些細なことが彼女にとって一番楽しいことなのである。別の患者は「婚約者と結婚して二人で暮らすこと」だと言う。彼には婚約者もいなければ彼女もいない。すべて妄想なのである。しかし誰が「あなたの言ってることは妄想によるものですよ」などと否定できるだろうか。このような閉鎖的な環境で長年生きていれば、自分で虚構の世界をつくりあげてそれにすがって生きていくしかないのではないかと個人的には思う。
精神疾患に対して偏見を持っている者は多くいるだろう。わたし自身も実際に今の職場で働き始めるまで偏見を持っていただろうし、今も偏見はあるだろう。偏見というものは概して無意識のうちに身体に染み付いているものであって、「わたしは○○に対して偏見はありません」などと平気で言う人々は疑ってかかったほうがいい。自分のなかに偏見があることを自覚し、それを少しでも減らしいくことしか我々にはできない。ちなみに今までこの文章は、一つの精神病院にたった一年しか勤めていない人間が書いたものなので多分にいろいろなバイアスがかかっていることだろう。
(追記)
ここで、わたしは実際のところ統合失調症の患者です、つい先日退院しました、と書けば結構な釣りになるのだろうが、残念ながらそうではない。
上記の文章を読まれたかたは、鬱屈した患者たちの姿を想像されるかもしれない。彼ら患者たちは、閉鎖的な環境で長期間に渡る入院生活を余儀なくされている。憐れむべき現実だろう。病棟に飾られた造花の紅葉では秋の匂いを感じさせてはくれない。夏が過ぎ去った後の秋風の涼しさを感じることもできない。しかし患者たちの表情は思いのほか明るく柔和である。無論、ついさっきまでニコニコとしていた患者が、いまにも殴りかからんばかりの表情に急変することは多々あるのだが。概して、彼らは彼らなりに現在の環境に適応し、楽しみを見つけながら生活している。
彼らは退院することなく死ぬまで病院で過ごすことになるのだろうか。慢性期病棟に長期間入院する患者の退院が難しいことは言うまでもない。特に高齢者となると退院後の受け入れ先が限られてくる。また患者自身が退院したいという意欲に乏しいという場合もある。それもそうだろう。入院生活が十数年にも及ぶとなると、社会復帰をためらうのも無理もない。病棟の五十代のある患者は精神症状もほとんど見られず、一見して彼が精神障害者であるとは思えない。人当たりの良いハゲのおじさんといった風貌である。精神保健福祉士が先頭に立って、退院実現を図ろうと粘り強く退院促進をすすめている。退院後は病院のデイケアを利用してもらう計画である。それでも普段多弁である彼は、退院という言葉を聞くとそっぽを向いて耳を貸さない。
『ショーシャンクの空に』という映画がある。有名な映画なので観たことのある人も多いだろう。そのなかでモーガン・フリーマン演ずる囚人レッドがこんなことを言う。
「あの塀を見てみろ。はじめは憎らしく見えるだろうが、しだいにそれに慣れ、しまいには依存するようになる」
わたしは退院をしぶる彼を見て、長期入院している精神科の患者も似たような心境の変遷をたどるのかもしれないと考えることがある。ホームレスと違い、入院していれば働かなくとも毎日腹を満たすことができる。そのかわり自由は制限されるが、ときとして自由は重荷にもなりうるのである。しかし彼は年齢的にまだ中年であり、やりたいことも多々あるだろう。彼が恐怖心を断ち切り、入院生活に終止符を打つことを願っている。ダメだったら戻ってくればいいいのである。
精神科で働いてわかったことは、統合失調症という人格は存在しないという当たり前の事実である。彼らには統合失調症という共通項があるにしても、性格も精神症状も皆異なる。それがこの疾患のおもしろいところと言うと語弊があるかもしれない。しかし患者と日々接するのは、うんざりするどころか楽しいのである。たまに患者にヤクザ口調で怒声を浴びたり、軽く殴られたりもするが、病気のせいだと考えれば、それも仕事だと思える。頓服薬を服用して落ち着いた患者は、自ら「さっきはごめん」と謝ってくる。わたしは「べつに気にしないでいい」と答えるだけである。
最後に、ある六十代の患者さんは「葬式ないよね?」と頻回にスタッフに尋ねる。彼女が「姉さん」と呼んでいる妹さんが死ぬという妄想があるようで、妹の葬式はないかと確認しているのである。とりわけ、わたしに対して尋ねてくる。恐らくはわたしが坊主頭で、彼女に坊さんと呼ばれているからであろう。わたしが実際に坊さんではないことは理解している様で、ある時冗談で、「○○さん(彼女)が死んだら、葬式は僕に任せて下さいね」と言うと、彼女は笑った。ブラックジョークを理解するだけのユーモア精神のある患者さんである。
はじめに。
おそらく俺は早晩自殺に追い込まれるし、恐らくその頃には俺もそれを望んでいるだろう。
それゆえ、まだ自身の心身が比較的マシである時にこれを記そうと思った。
身内の元からは文字通りいつのまにか消えている形式を取りたいと考えている。
しかし遺書というものは読まれるために存在しなければ成立しない。
とりとめなく書いていく。
俺は世間様からは職人だかクリエイターだかデザイナーだか、そう言われるような仕事をしている。
しているというか、仕事の体をなしたのは最近の事で、少し後に大き目の仕事を営業をかけて取ったが収益の予測はまるで立っていない。
規模と利益率としてはせいぜいひと月寿命が延びるかといったところだろうとは予想している。
そこから続く仕事はあるだろうか。というか、それは仕事なのだろうか。
そういった状況であるからこそ、こういった文章を仕上げるのは今のうちしかないと思った。
次の失敗に気力は耐えられないだろう。せめてただ息をして生きていくにも何らかのモチベーションは要るということを分かってほしかった。
残念だ。
前のようには創作というものをやっていけない。数年前の失敗が気持ちも熱意も何もかも持っていってしまった。
だいたい、上手く行かない就活の最中にある日いきなり芸術だとか言い出した人間に本当の感情なんて存在しない。
手を動かすのも実際のところ苦痛を感じるようになった。暇さえあれば紙に何か書いていたり手を動かせる人間の気持ちがついに理解できない。
時間を忘れるという感覚も、行為そのものをずっと続けていたいという欲求の感じ方ももう思い出せない。
やったところで碌な反響も無い行為を続けていくには精神が老けすぎたのだろう。
結論から言えば、俺はこうなって戦って死ぬために独立したのだと思うし、間違いなくこれ以外に方法は無かった。
専門教育さえ受けていない若くも無いクリエイターもどきに与えられる仕事など存在していないし、同い年くらいで一線に居る人間の仕事を見ればなお理解できた。
俺には才能がなく。運よく生き延びても、30や40になってもあるのは経験にも実績にも金にもならない仕事を「ギョーカイ」の隅でつつき回る未来だけだろう。
俺は就活に失敗して戦う前に舞台から降ろされたが、屈辱を漱ぐ機会をこうして得ることができた。
自分が作品という形で生み出したものにも本懐を遂げさせてやることができるだろうと思う、
こぼれ落ちていく人間関係を維持する事も、新しく作って育てていく事ももはや困難だ。
自分では上手くやっていたはずの相手が突然無関心になるのも、人気者の気を引くのに腐心するのにもうんざりした。
周りと遊んでいたと思ったら一斉に走り去られるような人間関係しか築けない自分にも。
あの頃の経験で、人の顔色を伺うのだけは上手くなったのではなかったのか。
一留したらアメリカでバブルが弾けていた。運が悪かったとも思うし、大量絶滅を生き残れない遺伝子であったのだ。
どうやら世間では普通は潰れる環境で潰れない人間が一流になっていくらしい。
俺は独立資金を稼いでいたはずの非正規の仕事でさえ体を壊し、肉体労働すら難しくなった。
馬鹿げた妄想を持ってからしばらくした時期に世話になった人がいる。
俺は出来る人間だと思い込んで些細な事から喧嘩別れか、それ以下のような別れ方になってしまったが、
今でも厳しい環境の中でどんどん成長して一流になろうとしているらしい。
願わくば、あの人が本気で創った作品をもう一度見たいと思う。
そして、そこに行きたいと願ったほどの鮮やかな世界を俺も見てみたかったとも思う。
これらが全て終わったら自分の行くところはあそこではないのかと、誰にも言ってはいないが内心では考えている。
覚悟という言葉を使った以上はケジメを果たさねばならない。逃げて生き延びるる事では救われない。
就活だとか労働市場だとか、あるいは政府だとかが歪んでいるのか正常なのかは俺には語りようもないけれど、
少なくとも俺の世界はことごとく歪んでいたのだろう。
残念だ。
自分にとっての最後の戦いが終わってもまだしばらく生きていられたなら、
生きているうちにお世話になったあの人に心から謝罪して、一度だけ何かに誘ってみようと思う。
誰も悪くは無かった。
内定蹴って一留して目指してた院試に失敗していよいよ詰んだんだが、
どうしてこんな糞野郎になったのか半生を振り返ってみる。
中学3年生の時私はいわゆる保健室登校をしていた。今考えると理由はよくわからない。
ただ、趣味がゲーム、アニメのイラストを描くことで、2chに入り浸り、
体重は60kg超えのデブ、色黒、毛深い、眉毛も整えない女は迫害されて当然だろう。
実際男子からの扱いはひどく、女子にも話しかけられず、中学時代の今でも友達と呼べる友達は2人しかいない。
よく思い出してみると、毎日家まで迎えに来てくれたり保健室に様子を見に来てくれる子もいたので、
ただの卑屈な思いこみだったんだろう。後悔している。
中学校は進学校(?)だったので3年間勉強はしていた。成績が良かったので塾は嫌いではなかった。
その間ずっと、いつか好きなだけ漫画を読みゲームをし、イラストをたくさん描く時間ができるのだろうと思っていた。
結局、保健室登校による内申の低さが祟り、第一志望の高校には入れず第二志望の公立へ行った。
高校時代は、言い方は悪いが、周囲がバカに見えること以外は楽しかった。
がコンプレックスは引きずったままだった。変わることを意識し、中学時代は無所属だったが部活に入り、化粧もした。体重はそれでもデブだが少し落ちた。
高校でも勉強は続けた。1年生の時、美大へ進学したいから予備校へ行かせてくれと親に行ったが遠まわしに却下された。
進学塾の費用は出してくれたので、そちらに精を出すことにしたのだ。畢竟、イラストはあまり描かなくなった。
共学校だったが、3年間で男子と言葉を交わした記憶は殆ど無い。
大学は、金融関係に勤めている父の影響と、単純に金持ちになりたかったので、経済学部に行きたかった。
数学は好きだができなかったのであまり勉強しなかった。そのうえ厨2病をこじらせたのか現実の人間社会に興味がわかず、
政経ではなく倫理に興味津々でセンターも倫理選択で、地理はやらなかった。
結局、途中で妥協し経済学部志望を諦め、目指していた大学の中で一番楽に入れるところを受けなんとか現役で合格した。
サークルに入った。大学の人間はさすがに素晴らしい人が多く、素晴らしすぎてついていけなかった。
「いつか時間ができたらやろうと思っていたこと」を勉強と一緒にやってきた人たちばかりだった。
絵もかけなければ楽器もできないスポーツも出来ない自分との圧倒的な違いに絶望した。まあ仕方ない。
ふてくされたわたしは、投げやりに決めた進学先に成績がからまないのをいいことに彼氏をつくって遊んでいた。
私が周囲の人間と疎遠になったところで、「悪かった、俺が間違っていた」といい自分の人間関係はそのまま。
わたしがなにか新しいことをしようとするととたんにねちねちと難癖付けてくる。
教職をとれば「教師はもっと神聖な仕事だ」就活をするといえば「女は働くもんじゃない」
じゃあ公務員試験の勉強のために予備校へ行くといえば「簡単だって親父はいってたけどな」
(彼の父は法学部出身。わたしは大学の専門がまったく試験と関係ない。)
まあそこでやる気を失うわたしも悪いのだが、初めてできた彼氏で、しかも自分のことを「好きだ」といってくれるからにはなかなか切れない。
共依存関係でずるずると引っ張り続け、4年生になり、就活も勉強もほとんどできないままほぼ大学受験の貯金で受けた試験で内定をもらった。
しかし、わたしがしたいのはそんな仕事じゃなかった。海外に長期滞在するチャンスが欲しかった。
仕事をするからには、自分の仕事を通じて社会の課題を解決したかった。
「おにぎり食べたい」と書き残して死んでいく人を放っておくような国をかえたかった。
それでわたしは専門を変えて大学院を受けることに決めた。
親に頼み込んで、留年させてもらった。これからは頑張ると決めていた。
にもかかわらず、彼と別れられなかった。他にも男性との間でトラブルを起こした。
通院することになり、紆余曲折を経て結局完全に別れたのが今年の6月。
なにかやらねばならないと思っても、もはや、頑張るということを完全に忘れていた。
勉強の仕方も、忘れていた。到達すべきレベルも、やらなければいけないことも、わからなかった。
とりあえず英語の試験の勉強をした。貯金があったので、合格者平均くらいは、とれた。
けれども、その後机の前に座ってみても増えるのはらくがきばかり。
そもそも問題意識が低いから目的を達成するための手段としての勉強に身が入らないのだろうと思い、
問題意識の根底にある原体験の不足を補うためにボランティアに参加してみることにした。
東北支援と、NPO系のもの。いかないよりはいってよかったとおもう。そこそこに感動もした。
というのは、人は変わるということを目の当たりにしたから。しかし怠惰さは残った。
よくこういう文章でみる、「ここで俺は覚醒した。狂ったように勉強した。」みたいな一文が頭にちらつくが、なぜかそうならなかった。
そうしようと思って机に12時間むかってみても、そうならない。没我という状態はついぞあらわれなかった。
それでも最後の4週間、それまでの4年間に比べれば勉強したと思う。結果は駄目だった。
能力が、ないのだとおもう。
頭の回転はそんなに悪いとは思っていない。ディスカッションの進行や即興でのプレゼンはほめられる。
でも、決定的に打たれ弱くて、入念に、継続して何かにむけて努力することがどうしてかできなくなってしまった。
意志の力の決定的な不足。親に申し訳なくて、泣いた。
これからどうすればいいのか正直わからないでいる。やりたいことはあるが、そのために学士入学したところで、仕事にありつける可能性がさらに狭まるのは必至だ。
これなら頑張れると今は思っていても、こんな経過を振り返っては、親どころか自分すら説得できない。
いっそ仕事で満足するのを諦めれば良いのかもしれない。仕事以外に人生の楽しみを見出しそれに傾注するのも幸せかもしれない。
しかし、自分の中で仕事をステータスと捉える側面が未だあって、そのせいで現在すでに、働いている友人たちと連絡が取りづらい。
欝気味
将来ほぼ確実に視力障害者(今も一応複数の病気を持っている+視野の範囲が狭くなるがどの程度かわからない)になる
一年のときから大学をやめて、編入試験を受けたりしながら結局今の大学に残りつづけた。
留年したときに自分はまだやれるかどうか迷いながら結局そのまま
去年、まだ勉強したりないと思って院試を受けてその後、自分自身が研究に向いてないことを悟ってしまった
もののなぜか大学院にいる。
ゴールデンウィークに渡された課題が結局解けずに半分発狂してる
もう、だめかもしれない
あのとき、俺がまだやれるんだって思ってた心はどこにあるんだろう
こんな俺に就職先はあるんだろうか
公務員を受けるために大学を退学しながらがんばるか就職活動をするか・・・
ほかにどんな道があるだろうか
地元の同級生と比べてくる。
誰それは課長になった。とか
誰それは休日に親の手伝いをする。とか
でも、出来ちゃった結婚した挙句、生活できなくて実家に寄生するほど恥知らずじゃない。
それに俺はまだ課長になってない。普通の会社で言うところの係長だ。
でも、うちの会社で課長=マネージャっていうと、上場企業の部長級~取締役クラスになる。
それを縁故採用で入った地元の小さい会社で、課長になった奴より格下だっていうのか?
あと、俺は休日に親の手伝いがあまり出来ない。
そりゃ大学出てから一度も定職につかずにフリーターやってる奴は時間が有り余ってるんだろう。
でもその代わりに去年、家立て直すときのローン、俺が払ってるじゃないか。月に30万も!
息子が建てた新築に住んでてまだ親孝行が足りないって言うのか?
それなのに、たまにプロジェクトの合間の休みで毎回disられてたら何もする気なくなるよ。
俺が間違ってるのかな。
プロジェクトリーダーも任されるようになって、会社でも一人前扱いを受けられるようになった。
それなのに母さんは、俺に地元の連中みたいに、出来ちゃった結婚して、資格浪人とは名ばかりのフリーターやって、地元の会社に縁故採用で入社して、一生世間にうだつの上がらない生活をすべきだとでも言うの?
なんか「早稲田受かった」とか言ってる奴いるし、もしかしたら需要あるかもしんないんで。
①住居
近い方がいいが、馬場は避ける。これヴェスト。たまり場になると留年は目の前だ。
リッチメンは神楽坂でも飯田橋でもその辺住むヨロシ。貧乏人は西武線の上石神井より手前辺りがお勧め。
通学として許せるラインは最悪でも田無。(西武新宿線の場合ね)
ただし、入学が決まってから家探しをする場合良質な物件は既になくなっている可能性がかなりある。
最悪、小川とか小平に住むことになってしまう学生が後を絶たない。最悪、クソパレスで一ヶ月しのぐのもあり。
四月・五月くらいになると引越しが遅れた奴らの物件がチラホラ出てきて、入居者も少ない時期なので
かなり安く入れることになる。また、馬場周りには学校の息のかかってる不動産屋があるし、
学校が紹介してくれるとこもある。そういうところを利用するのが賢い。
早稲田で「三畳一間の青春」的なものを送りたいヤツは、本キャンから早稲田通りに出る
メガネ屋付近の不動産屋を使うといい。三畳一間15000円とかある。あと、早稲田通りのマック辺りにあるトコもオススメ。
実にクソ極まりない物件がゴロゴロしている。そういう生活も案外楽しい。
家と駅の距離は徒歩15分を限界とした方がいい。地方民は普通に駅まで30分とか慣れてる場合も多いだろうが、
都会に来るとおまえは堕落する。留年へ確実に一歩近づく。学校からは多少遠くてもいいが、最寄り駅との距離だけはよく考えろ。
②食器は買うな
必要なのはテフロンのフライパン一個とどんぶり一個、それに包丁とまな板にハシ。
あとは適宜揃えればいい。手鍋が一個あるとさらに良し。
それに本棚だけは必須。なんだかんだと本は増えるし、積んでおくと図書館の本を失くしたり汚したりして
ひどい目にあうことがある。図書館のレア本を紛失すると学校にもあなたにも最悪なので、
この機会に本のありがたみをかみ締めるクセをつけよう。
③書類を忘れんな
奨学金の書類を出し忘れると死ぬぞ、気をつけろ。
他に「履修申請忘れたZEEE!」ってクズは毎年複数出る。
何とかなる場合もあるし、ならん場合もある。まぁ、なんていうか色々忘れないようにしとけ。
あと、忘れやすいのが年金の書類。学生猶予をきっちり申請しとけ、あと住民票も移したほうがいいぞ
のちのちめんどくさいからな。印鑑登録もしとけ、区民・市民カードなくすなよ。
④新歓は行っとけ
早稲田は予想外にタテの繋がりが薄い。新歓で早めに、「顔を合わせたら挨拶する」程度の
ヤツをキープしとけ。ハマリ授業からおまえを救うのはこいつだ。
マイルストーンは最初の一年だけ買っとけ、それ以降は買わんでもいい。サークルと授業のヤツだけ見とけ。
あいつら巨額の儲けをたたき出してる集団で、実際そろそろ税務署とかに目つけられてんじゃないかと思うんだが
あれとんでもない額の利益出してるだろ。
サークルは入っとけ、なんでもいい。だが左翼と宗教には気をつけろ。
あと、「チャラついた学生生活送ろうと思ってテニサー入ったのにガチテニスサークルだった死にたい・・・」のパターン
あるいはその逆に気をつけろ。
⑤掃除機は要る、ベッドは要らん
部屋に散った煙草の灰、埃、その他雑多なヨゴレ。これは箒では結構きつい。
掃除機だけは買っておいた方がいい。特に喫煙者、おまえら絶対灰皿ひっくり返すから。
ベッドは要らない。上げ下げ出来る分布団の方がずっと便利。
どうせ物は増える、インテリアに凝るよりも少しでも生活空間を広く取っておけ。
あと、寝袋を一個買っておくと自宅がモルグ化した際に便利だ。
学校近くに住むやつは、寝袋は大事。さもないと、終電逃した後男同士同衾するハメになるぞ。
あと、どーでもいいがたまにカーテンは洗えよ。臭いから。
⑥ぼっち化はできれば避けろ
友人なんか一人もいなくても、特段困ることも苦しむこともそれほどはない。
一人でメシを食うところなんか周囲に無限にあるし、暇だって幾らでも潰せる。
シャノアールで一人黙々と本を読んで過ごすのもアリアリだ。おれもいる、コーヒーくらい奢ってやるぞ。
しかし、ぼっちが明らかに苦しむのは「就職」の時期だ。単位はぶっちゃけどうにかなる、少なくとも文系なら。
就職活動はかなりの団体戦的要素が強く、色んな情報を交換できるヤツが明らかに有利。
居心地のいいサークルは探せば幾らでもあるので、四月五月にタダ酒をたっぷり飲みつつ探せ。
適度な孤独と適度な交友関係、これが大事だ。あゆみBOOKS→シャノアールのコンボを楽しみつつ、友人も作っとけ。
どうしてもダメなら芋研にでも入っとけ。
⑦ワセメシはデブを産む
オトボケ、メーヤウ、ライフ、エルム・・・。早稲田界隈のメシと言えば、ハイカロリー、油ギッシュ、ウルトラカーボンが基本だ。しかし、文・文構の場合文カフェのメシは高い割りに旨くはない。これがかなり悩ましい。早大生に野菜を食う機会は極めて少ない。これはもう自宅めしでなんとかするしかない。個人的にはシャノアールのタマゴサンド300円(飲み物なし)で済ます奴らが賢いように思う。
ワセメシを喰って当たり前だと思うと、10キロ20キロの増量は当たり前だから、マジで気をつけろ。上記のメシ屋をローテした結果俺は一年次で15キロ太った。尚、エルムは初心者には厳しい、大変個性ある(キチガイと呼ばれることもある)オヤジの経営するメシ屋であり、カルボナーラを注文するとエライものが来る。「ミートピラフ」というメニューもあるが、これの大盛りなんぞ頼んだ日には・・・。初心者は先輩と行くが吉。ちなみに俺は大好きだ。だが初心者はオトボケのミックスフライ定食あたりから始めとけ。
これらに近寄ってはならない。少なくとも卒業したいのであれば。
しかし、これらに特攻することは早稲田を100%楽しみきるということにもつながるので、自己責任でやれ。
かなりの魔窟だ気をつけろ。早稲田に入ると、二浪一留くらいの人種がゴロゴロいて感覚はあっという間に狂う。
⑨ノートは取れ
「ハマリ」授業をとことん回避し続けると、マジでなんのために大学に行ったのかわからなくなる。
基本的に講師は中々のレベルなのでノートをちゃんととり、自分なりに授業も満喫しろ。
早稲田と言えど、クソDQNはいる。授業始まって45分後にコッソリ入ってくるような奴らになるな。
あれは流石にアウトなんだが、誰も今更注意しない。
流石に許しがたい、程よい堕落は大学の華だが、それとこれとはハナシが違う。
たまには思いっきりハマリな授業を取るのもいいだろう。俺のオススメはスペイン語だ、全般的にハマリ傾向が高く
不人気なため教授の熱意をモロに受けられる。
⑩二文生とは距離を置け
おまえら、「二文」なんて存在しないと思ってるだろ。
意外なことにまだ200人くらいいるぞ、夜の人種は。本来もう残ってないはずなんだが・・。まあ一文も結構残存してるけどさ。
奴らは非常に面白い奴らで、絡んでいると果てしなく時間を浪費できる。
しかも来年度に残ってるのは全員過年度生、濃縮早稲田汁100%だ、一撃で染まる破壊力がある。
あいつらは六講に寝坊する連中だ!同じ時間帯で絡んでると間違いなく卒業できないぞ。
まぁ、その場合は栄誉ある第三文学部入学となるんだが、それは別のお話。
⑪大隈さんの像には手を出すな。
アレに手を出すと、リアルに退学です。
京大のアレみたいな洒落は通じません。基本、全裸ネタに寛容な馬場周辺だが、大隈先生の像に手を出したものは情け容赦なく断罪される。酔った勢いでも頼むからやらかすな。
幼稚園の頃常に一人でいることが多く母に知恵遅れだと思われ、変な施設に毎週通っていた。
しかし本の漢字を覚えるのが早かったらしく、問題無しということでその施設は卒業。
小学校に入る。奇抜な行動が多かったのだろうか、暴れっこ数人にいじめの標的にされた。
一方でユニークさが受け友達も多かった。ただしモアイとかいう変なあだ名で呼ばれていたが。
いじめられると大声で叫ぶらしい。そのときのことは嫌でよく覚えていない。
一番ひどかったのが昼休みにベルマーク委員会の作業をしている時にいじめっ子数人がやってきて
僕のズボンを脱がせたことだ。女生徒が一人いて悲鳴を上げていたのを覚えている。(今でもこの夢を見て寝声で叫ぶことがある)
とにかく字が汚く、習字教室にも通うが効果はなかった。教育熱心でヒステリックな母には月2のペースで怒られ、ファミコン禁止!と言われた。
テストの点数は95点くらいが殆ど。国語は80点くらい。優秀な生徒として通っていたようだ。
中学に入ってもいじめはあった。殴られることはあったが、とくに自殺願望もなかった。
塾に週3ペースで通い、テストの成績は250人中10位以内だった。
勉強や学校のストレスに対し兄に怒鳴り散らしていた。
卒業のときにもらった寄せ書きには「お前変な奴だな」みたいな文が多かった。
高校は公立の進学校に入り、部活は文系のクラブの部長をやらされた。
とにかく勉強勉強で、ゲームは当然禁止。内緒でゲームボーイを買いシレン等をやりこんだ。
昼食時はほぼ一人だった気がする。その頃自分はマイペースだと思っていた。
親からはライバル意識が足りないといわれた。
そして大学は偏差値60前半の理系の学部に入る。
しかし非リア充の道を進む。文科系クラブに入るが半年で離脱。二回生後半になるまでバイトはしなかった。
食堂が込むのが嫌だという理由だけで他の人より早く食堂に駆け込み、クラブ以外の友達はゼロ。
親に仕送りの報告はしないし、夜更かしも日常茶飯事だった。
単位は可が多く、3回生ごろになると5割が不可だった。
そして4回生。大学院試験に落ち、単位も足りず一留。翌年の大学院試験も落ち、就職を余儀なくされる。
(このとき実家に帰り、幼少期の施設の話を聞かされる。)
就職課の教授のところに行き、企業を紹介してもらう。
面接の結果はひどかったが、教授がお願いしたらしく入社が決定した。
入社一年目は半年間色々研修を受け、とある事業所に配属が決定した。
一年の間に遅刻は8回くらいした覚えがある。この頃から上司に「周りとなじめていない」と言われたり、
人事からは「人の気持ちを考えていない」等と言われた。
注意されたことはそのときものすごく深刻に考えるんだけど・・・すぐ忘れたがるくせがある。
二年目の秋(現在)
人事に呼び出される。「君を他の部署に移動させたいが行かせるところが無い」と言われる。
人事の偉い人に説教された。怒鳴られた。そうでもしなきゃ状況分かってもらえないとでも思ったのだろう。
メシは一人で食う、言われたことを守れない、納期に無頓着、等。
上司に日記を出して最近コミュニケーション等の改善を図ることに。
先輩社員との会話が増え始めたが、自分にはジョークが通じないらしく、「そこはつっこめよ!」とだめだしをくらった。
肝心の日記は事実の記述が多くて最近注意された。しかも最近遅刻してしまった(半年ぶり)
もうアスペでいいかな・・・診断所行って見てもらおう。
自分の場合、二浪した挙句、三流大学の夜間学部を一留してようやく卒業。
研究室の教授のコネクションで数社、面接を受けるも、極度に低いコミュ力により
結局、ネットで知り合った女性が立ち上げるというIT系の零細会社へ入社した。
メーカーのSE(ネットワーク系)に二次請けで入って3年間働く。
この間、年収360万据え置き。
数ヶ月間、無職を経験するも資金が尽きたため、バイトとして某IT系企業に入る。年収320万にダウン。サーバ系のエンジニアとして数ヶ月働いたのち、社員にならないかと誘われる。業務内容的に自分の希望とはかけ離れていたため固辞。
3年前に、一部上場しているIT系企業にログ解析要員として、紹介予定派遣で入社。
周囲を見渡すと、一流と呼ばれる大学を卒業した同年代の人たちが、自分よりも安い給料で働いていたりする。単に社内政治に強い上司に恵まれたおかげで、昇給し続けることができたというだけなのだが。
世間は厳しいが、「運」があれば、何とかなることもあるようだ。
運を掴むには、致命的な失敗をした後に、何らかのきっかけで、これまで気づけなかった何かに気づいたりする必要があったりはするんだと思う。
自分の場合、3年前に「結婚を決意した」ことによって、自分に齎してくれた成長が非常に大きかったように思う。さもなければ、今頃派遣切りにあって、路頭に迷っているだろう。。
人との出会いって偉大だ。
嫁さん、ありがとう。
明日(というかもう今日)、恋人の母親と一緒にご飯を食べることになっている。ちょっと緊張している。無駄に眠れない。
私は今24歳で、相手は会社の同期なのだが、一浪一留しているから今26歳だという。きちんと付き合い始めてからまだ2ヶ月ほどしか経っていないのだけれど、明日相手の母親が東京に遊びに来るというので、それに合わせて晩ご飯でも一緒に食べようということになった。付き合っている相手の親に会うとか、そういうことは初めてなので、大変緊張しているのだが、まあその場の流れで多分なんとかなるだろうと信じている(というか、なんとかならないと私が困る)。それで今回相手の親とご飯を食べることが決まって、「一度あんた(福岡出身の恋人は私のことをこう呼ぶ)の実家にも挨拶しておいたほうがいいけん」とかなんとか向こうが言うので、今年のお盆休みには私の実家である秋田に一緒に行くことになった。土日が休みでない仕事をしている私と、帰宅時間がやたらに遅い恋人は、普通にしているとなかなか会う時間が作れない。だからというわけではないのだが、お盆休みに秋田で簡単な挨拶をすませたら、彼とは一緒に暮らす予定でいる。いついつまでに結婚するとか、そこまで具体的な話をしているわけではないのだけど、多分このまま何事もなかったら、来年か再来年あたりの遠くない将来に、結婚することになるのではないかと思う。いや、まだよくわかんないけどね。親に挨拶しにいっても、結婚するかどうかはまた別の話だし。結婚式の日取りまで決まっても、前日にドタキャンされるかもしれないし。でも今は、話がとんとん拍子に進みすぎて、ちょっと怖いぐらいです。
前に付き合っていた北海道出身の恋人とは、学生の頃から5年近く付き合っていた。付き合いが長かったこともあって、いつか結婚するだろうとなんとなく思っていたし、実際に2人でそういう話もしていたんだけど、不思議と親に挨拶に行くとかそういう話にはならなかった。一度、付き合って3年くらい経った時だったと思うが、ライジングサンロックフェスティバル(北海道で夏に行われる野外音楽フェスのことです)に2人で行ったことがあった。私は相手の実家に行く気満々で、両親に紹介してもらう気も満々だったのだが、相手がなんとなくの感じでそれを嫌がった。結局夜通し行われるフェスが終わった朝、眠い目を擦りながら私は飛行機に乗って大学のある東京に帰り、恋人(元)は私が初めて聞くようなローカル線に乗って実家に帰っていった。その後もなんとか2年近く付き合ったのだけれど、いろいろあって別れた。
その恋人(元)とはもはや連絡を取っていないので、今元気なのかどうか、付き合っている人がいるのかどうか、全く分からない。何の気なしにメールでもしてみればいいのだろうが、私はおそらくそれをしない。ただ、私は、その元恋人と、ちょう結婚したかったのだ。今の恋人と結婚したくないとか、そういうことではなくて。理由とか抜きで、ただずっと一緒にいたかったのだ。「ずっと一緒にいたい」なんていう薄ぼんやりした言葉は、別れてしまった今となっては、単なる冗談でしかない。
ただ今、まだ付き合って2ヶ月とかなのに親とご飯を食べに行くことになり、緊張して眠れる夜を過ごしながら、5年間付き合ったのに一度もお互いの親族と会うことがなかった元恋人のことを思い出すと、現恋人と元恋人を隔てたものは一体なんだったのかと思う。