はてなキーワード: 一本調子とは
あまり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります。僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的な意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体の目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田を引用します。
芸術というものは非常に幅広い概念であり、故に、善し悪しを語るのは、非常に難しくなります。話が拡散しすぎてもしょうがないので、ここでは、いわゆる一般的なエンタメ(これ自体もかなり広い概念ですが)の方法論に沿った評価とします。
あるモチーフをメインテーマに直接繋げると説教臭くなる場合は確かにあります。メインテーマの一本調子にならないように「Aの正しさ」を中心に描きつつ、「A以外の正しさ」にも軽く触れるといった構成はよくありますね。ただ、その場合でも広い意味で調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまいます。
けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカやアシカにショーをさせ、イエイヌを人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります。
私は、それを「深く考えないで出した」と考えますが、「示唆したいものがあったが描ききれなかった」と考えることもできるでしょう。意図はわかりませんね。
「さぁとっとと野生解放するのです」「我々の群れとしての強さを見せるのです」からの、闇に光る数々の目、は名シーンであったと思います。あれを見ると、「ここが正念場なのだから、野生解放できるフレンズは全員した」という流れが伝わるかと。
それはそうと、あのシーンを、フレンズ化セルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。
ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ2制作陣の明確な狙いがあると思います。けもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者やキッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもあります。キャラクターの性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクターが自分の性格を自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物の性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。
全体としてキッズ向けのノリで、わかりやすくする意図はあったかもしれません。それはそれで一つの方向性ですよね。ただ「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています。子供なのだから、そのへんの脈絡を気にしない……と仮に制作者が思っているとしたら、それはそれで、子供を馬鹿にした話です。子供向けにわかりやすくするというのは、そういうことではないでしょう。
ケムリクサ周りは、まだまだ見返して伏線を捜しているので、勘違いしてる点もあるかもしれないことを先に述べて起きます。
おっしゃる点、それぞれについて、説明はできると思います。例えば、ミドリがケムリクサ自体を回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。あるいは、ワカバが苗床になった時に、ミドリに赤に対する抵抗力を与えたのかもしれません。リンの中に、リリの記憶が漏れていることは、わかばがロックを解除して、そのまま開けっぱなしの状態だったのかもしれません。光については、木を倒して、残った全部の力を、わかば治療に使った描写に思えました。
このへん、贔屓の引き倒しというか、脚本ミスの部分を無理矢理、好意的に見てるものは混じっているかもしれません。好意的に見れば、けもフレ2の矛盾点とおぼしき部分も説明をつけることができるとは思います。
ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾や意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなります。けもフレ2は、そういう作品ではないので、その点は一緒にできないなと。
ケムリクサは、けものフレンズ1に比べて全体的にダークなわけで、それを「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラの基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレ1ファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います。
設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態は作品の狙いと得意な表現の範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。
作品の狙い、得意な表現分野の違いにすぎない点が、1との比較で、不当に欠点とされてる部分は多いと思います。その一端は、一連の記事で書いています。
その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。もちろん、どんな作品にも瑕疵はあるわけで、減点法だけで評価するのも、考え物です。どこを重視するかの違いかもしれません。
今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。
この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。
要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。
その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。
この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。
北海道にて全寮制の男子校に入る。ここでの経験がその後の宇野さんの方向性を決定付けます。元々オタク率が高い田舎の進学校、加えて異性がまったくいない寮生活という住環境……。それは寮生の九割がキモオタという地獄絵図。ここで宇野さんは大嫌いなファンタジー小説を新刊が出るたびにむりやり読ませられて感想を聞かれる、などの地獄のような責め苦を受け続けます。富野信者でサブカル系の宇野さんには美少女がビキニアーマーを着て大冒険をするような話は耐えられなかったのです。
なぜ宇野常寛があれほどまでに萌えオタを敵視するのか? それはこの寮生活でのトラウマがすべての原因なんです。宇野さんが萌えオタを攻撃するのはこの頃の復讐なのです。
寮生の半分は卒業後に「引きこもりのギャルゲーマー」になったそうですから相当屈折した人たちが集まっていたことが覗えしれます。そして、「恋愛したくてもできないからギャルゲーに逃げるオタク」をいっぱい見た宇野さんは「性愛コンプレックス」にこだわるようになります。
同じ嗜好性を持つ人間がまったくおらず、一人で古本屋に行き「アニメック」のバックナンバーを買い集めていた宇野さん……。この時に趣味を共有できる仲間に出会えていればその後の人生は大きく変わったでしょう……。
この辺の話は旧惑星開発委員会のコンテンツ「善良な市民のオタク黒歴史」というエッセイに詳しいです。
高校を卒業し、宇野さんは寮生活から解放されて浪人生活に入ります。ここでどんな風に過ごしてたのかはあまり語られませんがPLANETS第四号によると「楽しすぎてさらに浪人した」と書いてありますので、キモオタ軍団から解き放たれたのがよっぽど嬉しかったのか勉強せずに遊んでいたようです。
しかし、そこはやはり浪人生。二年間もの浪人生活でキャンパスライフへの憧れはどんどん膨れ上がっていきます。未だに「大学生活」や「サークル」に拘るのはここに起因があるとみて間違いないでしょう。
ところで思春期を男子校で過ごし、その後二年間浪人……ってことは宇野さん、ヤラハタですか?
そして、立命館大学に入学し関西に移住。大学に入った宇野さんはサークルの自己紹介名簿を見るのが趣味となり、サークル内での「立ち位置」や「キャラ設定」について考察するようになります。おそらくは自慢のコミュニケーションスキルを生かしてサークル貴族となり、カーストの下位にいる人間(宇野さんによると「毎日辛いけどサークル抜けると友達がいなくなるから抜けられない人間」)を苛め抜いていたんじゃないでしょうか。
そして在学中、おそらく三年生か四年生の頃に「善良な市民」というハンドルネームで2002年1月に「惑星開発委員会」というウェブサイトを開設します。それまでのテキストサイト(単なる日常を痛々しいほどの過剰な修飾で必死に面白話に仕立て上げようとするサイト)に違和感を持っていた宇野さんは一人ではなく友人を誘って複数人で運営。
主なコンテンツはアニメ・漫画作品を複数人でレビューする「クロスレビュー」、90年代のサブカル文化人や事件を考察を加えて紹介する「惑星開発大辞典」、宇野さんが出会った痛いオタクを面白おかしく描くエッセイ「善良な市民のオタク黒歴史」などです。
複数人で運営していること、宇野さんの広範なサブカルチャーへの知識、ひたすら萌えオタを攻撃する芸風、まったく洗練されてないごちゃごちゃしたサイトデザインなどで話題になります。
特に萌えオタへの強烈な煽りは当時のオタクたちを刺激し、某掲示板でスレッドが立ち「萌えオタは現実逃避してるのか?」と論争が巻き起こるほどでした(当の宇野さんは萌えオタ批判は「過剰な方が面白いからエンターテイメントでやってる」と掲示板でネタバラシしていました)。
しかし、おそらくは就職でメンバーのプライベートが忙しくなり、クロスレビューを更新することが難しくなります。また、萌えオタ批判がマンネリ化し、一本調子になってしまい、読者にも飽きられ始めてしまいました。そうして宇野さんは更新への意欲を失っていき、更新を止めてしまいます。活動停止、実質の閉鎖です。最終更新は2003年4月になっています。
続き
色々同人関係を即売で見ていると、エロの絵を気合い入れて描く割にそこに気合入れすぎているのか、
作品で重要なのは、ストーリー・シチュエーション・人物・表情などなどだと思う。
エロに限らず、表情ってのは大事なんだけどエロ漫画家やっている人でも
あれはたぶん作家本人がそんなもんなのかもしれんけど、具体例でいうとたとえば上田裕。
今回は表情あるなーって思うほうが多くて、普段は淡々となんか男が突っ込んで女が終わるのを見てるだけみたいな感じ。
逆に表情のあるなしを描き分けてるなぁってのはアシオミマサト。
やっぱり表情があると無いじゃ読む楽しみが違う。
商業系の話になってしまったが、同人系の人でプロになりたいって思ってる人がいるのなら表情を豊かにした絵を描いてほしい。
やたら一枚絵が上手いってだけよりも、ちょっと粗いけど表情豊かな方が好感がもてる。
正直に言うと毎週楽しみに見ている。
けれどもなんというか、もの足りない。
いろんなキャラの情動が、味の素というか、パッケージというか、レトルトパウチみたいな感じがする。
岡田麿里っぽいというか。
何でこう感じるんだろうなー。
だから登場キャラ達を生活者としてリアルに感じることが出来ない?
メインキャラが多過ぎ?
10人も居るこどもたちが常に出てくる時点でどうしても一人一人は浅くなる?
単にドラマの作りが下手?
たとえば6話のヒロの復活だって、ヒロの中の何が変わったのかよくわかんないもんな。
02が1人にされたら上手く操縦出来なくなる姿ってヒロにとって意外なものではないはず。
2人で操縦するもんなんだって02も周りも何度もそう言ってるし、
02が戦闘中に相棒にダウンされて1人になって出血して弱ってる姿もヒロは見たことあるし。
まだ敵を倒してないうちにダウンしちゃったら02に迷惑掛けたり02も道連れにしたりしちゃうことはわかってたわけで
「気持ちよく死のうとしてたら02が困ってる」っていうのは意外な光景でもなんでもない。
新情報が何もない。
だからヒロの心があそこでどう劇的に変わるのか、変われない。
ので、ただ突然蘇って身体の侵食を治して「ウオオオオオオーーーーッ!」って根性出すになっちゃったから
ダリフラに好意的な海外でもあそこは「ass pull」って結構否定的に言われてる。
あの展開にするならもっと02が弱みや裸なんかも見せたことなくていつもきれいにしてて、
ヒロは02と仲が悪いか強い不信感を持ってて、
「俺はたぶん使い捨てられて死ぬけどお前も勝手にやれよ、ケッ」ぐらいの感情持ってるようにしておけば
「グオオオオーッ」ってボロボロになって狂乱してる02を見て「やっぱりこいつを助けるんだ!」になるヒロに感動できたと思う。
最後の一撃を02だけで出来るようにアレンジして託して、心置きなく使い捨てられて死のうとしたのに
02が動揺してヒロをセーブする方を優先して敵を倒せなくなって窮地に陥っちゃうとか。
これならやっぱり02の意外な一面を見て「勝手に死ぬつもりじゃダメなんだ」ってなったヒロが根性出すのは感動できたと思う。
これらはすごくベタで単純な1案にすぎず、絶対これにしろって意味じゃないよ勿論。
(02のベタベタする可愛さとヤバさを前面に出すことで興味を引っ張ってきたアニメだし)
でもとにかく、
何の新情報も心の回転もないまま「ウオオオオーッ」の気合で絶望的な状況を転回させちゃうのはまずいでしょ。
ドラマとしても戦いの駆け引きとしても。ass pullともいわれるよ。
どうなんだろう。
つまりわりと一本調子っていうことなのかなあ。キャラの行動や心が。
人間関係もSFも、伏せられた情報が次々開けられていく感じがあると興奮や快感があるもんね。
あのマグマエネルギー世界の設定はあまり面白い斬新な物は出てこないのが感触としてわかってしまう。
わからん…。
はっきりとはわからん。
作中情報量は多くてもずーっとガシャガシャワアワアやってる感じ(静かなシーンも)
ダーリンインザフランキス4話目のキャプ(公式か非公式かわからないけどほぼタイムラグなしで英語字幕つきのものがネットに上がっている)で、02の台詞の「ボクに乗りたいの?」が「You wana ride me, huh?」になってた。
また、02は「ボクに乗りたいの?」とは言うが「ボクに乗りたいのか?」とは言わない。一人称がボクであること以外は女の子の喋り方だ。もし「ボクに乗りたいのか?」だったら喋り方全体がより少年っぽく堅い、ひいては自己決定として少年的なそれの持ち主だということになる。「か」の有無だけでガラリと変わるこういうニュアンスも英語では伝わらない。
02のような自信満々で攻撃的で実力のある女は英語圏では大人気なので02は大ヒットしているが、未だにボクっこだと気付いてない人が大勢いる(日本語音声で観てても結構聴き分けられないらしい)。もっといえば15のようなキャラのニュアンスはもっとわからないのかもしれない。「謝らないで」と「謝るな」と「謝んな」はどれも全く違う。その一言だけでどんな類型のキャラかとか16とどんな関係性かとか情報が大量に入っている。そういうのが英語で翻訳するのが不可能だ。
どうも英語の会話を見ていると、そういうニュアンス表現力の乏しさは声の抑揚や顔の表情で補ってるような気がする。だから日本人だと芸能のクロウト以外はかなり一本調子の抑揚でしゃべるのに対して、英語話者は一般人でも声がかなり乱高下するし顔のジェスチャーが多い。
へび、おろち、だ、み、じゃ、だいじゃ、すねーく、ぼあ、ばいぱー、くちなわ、どくへび、ながむし
英語も蛇は色々あるけど、フィクションで使うには日本語の方がいろんなキャラや技や伝承を表現しやすいと思う
というか英単語をとっくにとりこんじゃってるのはずるい。ずるいけどちからだ。
「くじゃのへびひめことぼあ・はんこっく」とかいうキャラが平然と出てくる。
うーん
これについては最初に「少年のような話し方」と「女の子の喋り方だけど一人称だけボク」の、繊細だけど大きなニュアンスの違いについてをあらかじめ書いたんだけどなあ ゼロツーの台詞の文章を全体的に少年ぽくしても「女の子の喋り方だけど一人称だけボク」なニュアンスは表現されないよねっていう
とか文字でモリモリと凄みとか中二分とか盛っていくこともアルファベットオンリーだと出来ないし
「ボク」と「ぼく」と「僕」で全部人格やイントネーションや示唆するものが違ってくる~なんていう使い分けも出来ないし
アニメくらいでしかみかけない珍妙な一人称や語尾のキャラクターを取り上げてフィクションのくくりで言語の優位性を語ってしまうキモオタ…これが若さか
・アニメの喋りでのニュアンス表現力の話をしてるのに「アニメくらいでしか見かけない!」って
・ボクっこを例に取ったけど珍妙な語尾のキャラの話なんて出てきてない気がする
例えばふつーの社会人男性キャラの一人称について、ワタシかワタクシかボクかオレかだけでも
人格やニュアンスにグラデーションが出るしハイコンテクストデータベースへの接続も開かれる
珍妙な一人称や語尾に限った話をしてる訳ではないし、読み取る能力がある他の人は既にそれは理解してると思う
この人もそうなんだけど、
一応こちらとしては広く適用できる具体的な用法・長所を述べているのだから
反論も具体的な英語の長所や日本語の短所の提示でなければ反論たり得ないのでは
具体論に対して具体的な反論なく「ネイティブだからそう思うだけ!」とか「キモオタ!」では
読む価値が無い
正直言うと、
こういう乱暴なエントリを書けば英語に造詣の深い人が具体的な反論でビシバシとしばいてきて英語についての勉強が出来ると思ったんだけど、どうも自分(英語苦手です)と同程度までの英語力の人しかいないっぽいな
まずこれですわあ。ひたすら一本調子だよね。1クールなら金太郎飴でいいけど2クールそれだとキツいよね
下手するとサンダルさんが一番ストーリー濃いよね。準レギュポジなのにね。
3 題材選びの失敗
田舎が寂れてるから観光を頑張るぞい。でも売りになるものがあんまりないぞい。どう盛り上がれと。
4 カタルシスの薄さ
25話見たのにいまいち物足りないよね。ああ普通に祭りと王国終わったね―無事終わって良かったーぐらいの感じ。通ぶりたい人はそこを褒めるんだろうけど、それとトレードオフにした物が大きすぎますよ。木 春由乃みたいないいシーンもあるけど全体的にはシメとしては弱いよね。
5 宙ぶらりんな物の多さ
後々の布石だけ用意しておいて最後までやりきってない感じがする要素がちょくちょくあるよね。ワンピースの伏線じゃないんだからいつまでも散らかし放題にしないで。
6 安心感の薄さ
続編を作るような作品じゃないんだから見終わったあとは、登場人物がそのあと幸せに暮らしていけることがイメージ出来る終わり方のがいいよね。作品にもよるけどさ。ちょっとまだまだ先行き不安すぎません?
7 扱いきれてないキャラの多さ
5に近いけどキャラにフォーカスあてるバランスがいまいちだよね。モテない組とかサンダルさんみたいなストーリー最後まで走りきったサブキャラもいるけどそうじゃない人も多いよね。なんか尻切れで終わってるよね。
扱いきれず中途半端な所で話が終わってるキャラの中にメインキャラも入ってるのはちょっと参るよね。なんかこう「ここまで来たらこの人はもうこの先絶対折れないな」と言える所まで辿り着けてない感じのキャラが本当に多いよね。
9 帯に短し襷に長し
結局ここだよね。2クールという枠に対してやろうとした事が多すぎたのか少なすぎたのか全体として中途半端だよね。とにかく中途半端。中途半端いいすぎだろって自分でも思うけどこの作品の駄目な所本当にそこなんだもの。
10 期待値の高さ
同じシリーズの前作が良すぎたね。というか最近のPAは頑張ってるから皆期待しすぎてた。これがグラスリップの直後で、お仕事シリーズ第一弾だったら普通に面白い程度の評価にはなってたんじゃないかね。まあ普通に面白いの範疇な気もするけどね。期待しすぎてたんだね、私こそがこのアニメに期待しすぎてたんだね。
点数は100点を満点とし点の内訳はフリーダム。個人的感想に客観的視点を考慮するとグチャグチャになるのでひたすら個人的に。
35点
鍵作品特有のノリが楽しめた事と、キャラが可愛かった事以外に褒める部分がないアニメ。篝ちゃんが可愛かったので点数をおまけしておいた。ルチアの「ロックオン」とかも良かったと思う。2期あるらしいけどストーリーに期待できなすぎるので見ないかも。
SHOW BY ROCK!! しょ~と!!
40点
(キャラ15点 ギャグ15点 見やすさ15点 安定感ー5点)
5分アニメだから空いた時間にちょろっと見れたのが便利だった。つまんない話もちょこちょこあるけど5分だからボーっと見てればすぐEDになる。元のキャラへの思い入れが強ければ全体を通してもっと楽しめた気がする。
15点
戦闘シーンの出来は55点~90点。それを補ってあまりあるほどに物語と台詞回しが微妙。潜入して脱走してルンピカルンピカうおおおおおって展開をひたすらループしすぎ。キャラや話の中身が全体的にスカスカ。戦闘も似たような空戦が多すぎて段々飽きてくる。メカのデザインとかワルキューレの設定は良かったんだがなあ。
25点
(設定10点 キャラ20点 18話ー5点)
1クール目だけなら55点ぐらい。2クール目が盛り上がる所少なくて本当にキツかった。18話まで我慢すれば面白くなるよーと言われて頑張って見続けたらそこで一番つまらない話がやってきて一気に萎えてそこからは完全にながら見。全体を通して台詞回しのテンポが悪いというか聞いてて心地よさがない。文字媒体で流し読みしていけば気にならないけど声に出されると厳しい文章って感じ。
45点
元々あった悪ノリが二期で加速したのが良かった。追加キャラだと協会様と専務が作品の方向性と噛み合っててグッドくされち○ぽ。
50点
(人形劇20点 武侠ドラマ15点 キャラ10点 オリエンタル感5点)
布袋劇を日本のアニメでやっているというネタが光る。流石に1クールも見ると目新しさが薄れてきたので点数はそこそこ。日本の作品群とはどこか空気の違う中国風の映像や物語にはエキゾチックな魅力があり○。
25点
流石に最後のあれは駄目でしょー。ああいう展開するならするで何らかのフォローや言い訳を用意しといてよ。せめて最終回のトリじゃなければなあ…。キャラは無理目な個性の付け方をされていたけど慣れてくれば可愛かった。でもダイヤは最後まで好きになれなかったよ。
25点
(御成25点)
色々いいたい事はあるんだけど面倒くさいから「御成面白かった」以外の感想を脳から消去することにしました。だからまあ色々引っくるめて25点なんですけど全部御成の総取りにします。
50点
(キャラ20点 ストーリー15点 雰囲気10点 鍵補正5点)
小粒だけど小さくまとまったいいアニメ。こういうアニメを毎クール1つ2つ見ておくと全体のバランスがよくなる。
レガリア
測定不能
75点
(キャラ30点 ストーリー25点 ロボ10点 空気感10点)
日常描写の多いP.A.流ロボットアニメというポジショニングが個性的で良かった。日常シーンでは侍がアマゾンで鍋を「ポチり」、戦闘シーンではYouTuberが戦闘風景を撮影してアクセス数を稼ぐ、こういった描写がシュールで面白いと同時にリアリティも感じられ一粒で二度美味しかった。殺し合いをしている手前どうしてもシリアスな場面ばかりで一本調子になりがちなロボットアニメというジャンルの中で、随所にコメディタッチな場面を散りばめることにより全体のバランスや緩急がエンタメとして調度良くなっていた。何より好き勝手に生きているキャラクター達が見ていて心地よく、ぐいぐいと感情移入してしまった。
ジョジョの奇妙な冒険 75点
アイカツスターズ 60点
魔法つかいプリキュア 30点
真田丸 70点
ヘボット 期待を込めて50点です
個人的にはジョジョとクロムクロで持っていたクール。マクロスΔとREゼロには本当にがっかりしたので来期は審美眼を高めていきたい。NEWGAMEやベルセルクも見る予定だったのだが最後までついていく自信が無かったので1話切り。それでも10本以上アニメを見てるんだから以外と見るものがあるもんだ。最近はAbemaもある事だし少し選別をキツくしてもいいのか知れない。
とりあえず来期はガンダムと3月のライオンと舟を編むの3つを柱と考えそこからメニューを構築していこう。流石に3本とも折れることはあるまい。
○朝食:なし
○昼食:サッポロ一番塩
○調子
むきゅー!
ぶっちゃけ、ちょっと笑いすぎて価値観がブレブレになってる気がするので、点数とか感想はあまり気にしないで欲しい。
平均点とか出そうかと思ったけど、面倒くさいうえに何の意味があるんだ感があったのでやりません。
明日と明後日もお休みなので、むきゅー! むきゅー! します。
・後手:4点
飯塚と角田が飲んでいると、角田の忘れ物を届けに豊本がやってきて……
あーこのグダグダ感いいなあ、尺が短いのが物足りないなあ。
・余裕:4点
飯塚が経営するケーキ屋に商談をしにきた角田と豊本、自信満々の豊本だが……
面白いなあ、この彼らの脳内で手のひらがぐるぐる返されるのが、本当にオモシロい。
・隣席:2点
面白いんだけど、実は店員って捻りがちょっとイマイチだったかも。
・東京の両親:1点
角田と豊本が経営する食堂の常連の飯塚だが、今日は何か伝える事があり……
うーーーーん、なんかよくわからなかった。
・謙遜:3点
豊本がオーディションに合格したことを祝う三人、しかし当の豊本は……
面白いんだけど、大オチに繋がるどんでん返しが、完全に外部から湧いたものなのが気になったかなあ。
・この時間:1点
・家庭訪問は三つ巴:3点
毎回恒例の大長編、なんだけど、ちょっとまとまりが無い感じかなあ、ちょっととっちらかってて、よくわからなかった。
・最終日:3点
ハワイにきた三人だが、旅行の最終日に豊本が病気で倒れてしまい……
このグッダグダグダ感がたまらないなあ、けど普通な感じもする。
・気遣い:3点
これも「らしい」感じで面白いけど、ちょっとイマイチ乗り切れなかったかなあ。
・めんどくさい親友:2点
・市民の味方:2点
自転車が絡んでしまった角田と豊本、外れないため警官の飯塚を連れてくるが……
うーーーーん、面白いし、いつものノリっちゃノリなんだけど、ちょっとくどかったかなあ。
こういう「繰り返しの妙」的なネタに弱いので、ゲッラゲラ笑えてしまう、三人とも手のひらを返すのも構成がよく出来てて、すごく面白かった。
・魔が差して:5点
結婚している角田と豊本、しかし実は豊本は飯塚と浮気をしていて……
真面目な話からの、一気に手のひらを返すこの感覚が、もう面白くてしょうがない、グダグダ同じ話をするだけなんだけど、ずーーっと笑えてしまう。
・帰省にて:5点
久々に帰省してきた角田、高校時代の同級生の飯塚と話をしていると次第に……
恒例の長編コントだけど、面白すぎる。もう笑えて笑えてしょうがないうえに、大オチがハッピーエンドなのも素晴らしい、面白いなあ。
・先輩の土下座:4点
仕事の後、豊本は飯塚が土下座したことが気に食わなかったが、実は角田は……
・新オフィス:4点
新しいオフィスの配置を考える三人、しかし角田の意見に2人が……
「まあねえ」の動きが面白いなあ、こういうの弱かったイメージなんだけど、これは面白いなあ。
・終業後:2点
角田が豊本に説教している様を撮影している飯塚、しかし撮影が終わったあと豊本が……
変人豊本ではなく、普通の人なのに、普通だからこそ可笑しい感じ、凄い面白い、オチも凄く良い。
・旅の打ち合わせ:3点
角田の地元に旅行に行くのが楽しみな豊本と飯塚、しかし角田が……
変人豊本炸裂なんだけど、起因がまだわかるだけに本当に面白い、そして何より飯塚の方を怒るって変調がかなり面白い。
巨匠写真家の角田が豊本とタバコ休憩しているとライターがなく、たまたまいた一般人の飯塚に借りるが……
なんか、普通な感じで、あんまり、書く事が思いつかないぐらい普通。
・センスなき故に:1点
三人が飲んでいると角田のセンスが無いという話題になっていき……
うーーーーん、恒例の長尺コントなんだけど、コントというより、なんか、うーん、ちょっとよくわからなかった。
スタッフロールに田所あずさがいたんだけど、あの田所あずさ? ころあず? ころあずはお笑い芸人だったの?(違う)
・同期会:5点
部下の態度について愚痴っている三人、本題に入った途端角田が……
駄目人間の角田は本当に映えるなあ、もうオチがわかってても笑えてくる。
・旅の達人:5点
新入社員の豊本の入社祝いで飲みにきた三人、飯塚の旅の話を聞いていると豊本が……
変人豊本節が炸裂、さらに飯塚の変調といいかなり面白い、完成度高い。
・防犯:3点
ルミノールって言葉の響きが面白かったんだけど、後半ちょっと失速したかな。
・20年来の友人:4点
面白いんだけど、もう少し変転があってもよかったかもなあ、必死な角田一本調子でちょっと後半飽きちゃった。
角田の調子が悪いコトに気付いた飯塚、その秘密を聞いていると上司の豊本がやってきて……
これもらしいなあ、必死な角田はもう見ていて本当に笑えてくる、こういう人間関係の妙で笑うの超楽しい、あー面白い。
・5年分の想い:2点
豊本といい雰囲気になろうとする角田、そして遂に告白をするが……
・許せる心:5点
コーヒーショップのマスターの角田が自分がコーヒーのことを真剣に考えるようになったキッカケとなる話を飯塚にすると……
面白すぎる、東京03のコントをかなりの超時間見てきたけど、これが最高傑作だと思う、超絶面白い、面白いとしか言えない、最高です。
ふひひ、グラードン格好いい。
うーん、何か目標を決めないと、やる気が起きないな。
ぶっちゃけ、amiiiboをもう一体買ってきて、amiiboが戦ってるのを眺めるのが一番楽しい気がしてならない。
っていうか、あれだな、ポケモン以外に興味がないのがいけないな、何かスマブラ参戦作品をプレイしようかなあ。
3DSでも結構遊べるしなあ、どれがいいかなあ、少し考えよう。
○ポケとる
ガッツリ遊びたいときに不便だよね、スタミナ性。(100人中100人が思う感想で何の意味も無い文章だけど、日記ってそういうもんやん……)
飽きてきた。
そもとして、このゲーム運ゲーすぎて課金しようとか、頑張ってレアポケモンをゲットしようって気にならない。
今のイベントのポイント報酬のグラードンも、そりゃグラードンは好きだから欲しいけど、ゲームの性能としては別にいらないって辺り、歪なゲームだなあ。
未捕獲のメインステージをスキルをゴリゴリ使って、ゴリゴリ攻略した。
なので、残りは幻だけで、
の三匹。
こいつのどろどろは表面ばっかりで話の中の流れが無い
キズナイーバーの今週も赤い髪の子がキレたけどべつに初回となんにもかわってないんだよね
たくさん新キャラ出して変な体験たくさんさせて、内面なんにも変わってない
やすっぽいキズナシステムじゃなくて人と絡んだことの影響出さなきゃドラマじゃないでしょ
話にならない
アニメ業界の人達は恥ずかしく無いのかなこんな酷い人がトッププロ的な立ち位置にいて
オルフェンズ?
なんか見てないでいうのもなんだがなんか酷評多いぞ
見てると俺が感じたのと同様の不満みたいだ
話の本筋がしっかりしてないのに変な脇道シチュばっかでしかもキャラが動いてない変化しないっていう
追加分見たけど
それはわかる
っていう表示だと設定・構成からガッツリ関わってるんじゃないの?
つーか、いや、ただの1話の脚本だとしてもこいつの脚本おかしいよ
とにかく話に流れってものがないのよ
見せ場は一本調子に吠えさせるだけでさ
吠えてることもずっと一緒で
なんからのランキングで上位になったとかっつーニュース見たから読んでみたけど、確かにおもろい
練習してますって光景一瞬だけ描写してあとはそれ以外の描写(練習はもちろんしてるけど代わり映えしないからあえて描写してないだけ)ってのもありっちゃありだけど、たまにはこういうのもいいと思う
ひたすらどんなときでもコツコツ練習を続けてるのがものすごく伝わってくる
それなのに退屈やマンネリがない
だいぶ前に音楽系の漫画は、BECKしかりほかのもんしかり肝心の音を描けない以上すべて手抜きだっつってバッサリ言ったけど、それに対するひとつの回答をうまく見せてくれてる気がした
何かっつーと聞く人の表情の変化ね
他の漫画だと一コマうつって終わりみたいなのが多かったけど、この漫画だとバカにしたような表情からポカーンとした顔にかわって、次第に興奮さめやらぬ顔になって・・・みたいなふうに、音楽自体がどれだけオーディエンスに影響を及ぼすすばらしいものだったか、ということに、他の音楽漫画より印象的なアプローチをしていたから
ドシロートが影響受けてサックスはじめて・・・っていう一本調子じゃなくて、そこで関わった人が何年か後になって主人公が世界的に成功した後に取材を受けてる体でインタビュー描写がちょくちょく挟まれるんだよなー
まあそれによってオチを最初からネタバレされてるようなもんなんだけど
この漫画自体が主人公の伝記じみてる設定になってるのがこそばゆいんだよ
作中だとリアルで進んでるように見えるのに、その実もう成功は約束されてるっていう
それでも面白いんだよなー
逆に、岳とくらべて終わりをはっきりさせてくれてる分、読者にとっては安心して読めるとも言えるかもしんない
ただ才能にあぐらをかいてるわけじゃなく、ちゃんと努力をした上でそれを認める人がでてきて・・・みたいな、まあもちろん才能もあるにはあるんだろうけど、地に足の着いた毎日を過ごしてる、キャラに血が通ってるように思える漫画は、やっぱりおもしろいなあと思った
バイトで身体壊して吹けなくなるとかも、上述のインタビュー描写によって、ないことが保証されてるみたいなもんだから、そこんところで変な茶々、というか展開をつくるための無理な負傷(スポーツマンガの故障展開大嫌いなのよ)もなさそうだしね
ヒカルの碁しかりアイシールドしかり、それを知らなくてもおもしろい漫画って、ほんとに漫画自体がおもしろいってことだなあとしみじみ思う
中にはいい人もいる。
こっちが失敗するとその原因を一緒に考えてくれるし、こっちが自分でそれを考えるためのヒントもくれるような人。
だけどクソな教官も多い。
今あたった教官は本当にクソだった。
同じ失敗を何度も繰り返すこっちもニブチンだと思うけどそれに対しての回答が全く変化しない向こうも金貰って人に教えるに値しない。
「何でうまくいかないのか分かる?分かんねーだろ?」「僕日本語で喋ってるんですけどもしもーし」「事故起こしたくてしょうがないって顔してんな」「俺に何の恨みがある?」「別にはいとか返事しなくていいよ。君の場合は。だって何も聞いてないんでしょ?」「最近の人って車嫌いだよねえ。好きなら絶対にすぐ出来ることが出来ないんだもの」「さっきの人もクソだったけど君はもっとクソだな。何で俺ばっかりハズレ引かされちゃうの?たまには良い教え子に当たりたいよ」
とバリエーションに富んでおりました。
お前今までの人生を罵詈雑言のレパートリー増やすのだけに使ってきたのかよと。
あのさぁ……そっちに回す脳力があるなら説明の仕方をもっと工夫してくれませんかね。
短く、的確に、最小限の内容で、をモットーにしてるのかも知れないけどそれじゃ上手く運転できるようにならない運動神経鈍い人もいるんですよ。
■その1。
久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。
……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気、ハートフルな人情ものを志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクターの個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリーが相対的に弱く、物語のバランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。
しかも、この作品の場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語の方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語の転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。
しかし、登場人物たちとの交流や恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品を評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマの主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。
あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢で方向性が似たものが多く、プレイヤーがストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活を俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。
■その2。
この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的にAVGのシステムで作られているので、その辺の違和感が最後まで気になってしまった。
全体としては、ストレートな物語を志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。
冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所と短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。
また、[エロゲーの主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。
また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近のエロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。
先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。
霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。
その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。
看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオの最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。
しかし、諦観と怨嗟が交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。
[生を肯定すること]をテーマに据え、病院を舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。
総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。
■忍び寄る総括。
個人的意見。えっ、紅葉とラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台の病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。
黒っぽいレトリックを駆使してPVを稼いでいるブロガーは、どこでブログを書いてもウンコまみれになるのでは - シロクマの屑籠と誤読解説"黒っぽいレトリックを駆使してPVを稼いでいるブロガーは、どこでブログを書いてもウンコまみれになるのでは" - 斗比主閲子の姑日記
シロクマさんは平常運転中ですが、お相手はどうもひどいですね。この方、一度関わりあうとめんどくさそうだし、自分のブログは妙な話題で汚したくないのでこちらで書きました。わたしの意見はこちらに書いたことに尽きますので、もし議論したかったら他の方々とどうぞ→ブログ主さま。
自分が書いた記事の誤読解説をどや顔で書いてるのみて、びっくりしたわ(ま、でもそこまで馬鹿じゃないよね、余裕な振りして顔真っ赤にしてるんだよね、でもそれはそれで、いったんこらえずに書いちゃうのも、お茶めかもね)。
この人のブログ、一時期はてな女子に登録されてたし、ファンでもなければ「あ、女性なんだな」と思うだろ。自分ははてなを愛してるんだ!行間読めばわかる!って、そんなこと読み取ってやるほどほかの人は暇じゃないから。他人は自分のファンじゃないし、好意的に読んでもらえないのが当たり前ですよ。人に客観的な視点で文章添削されたことないのかな、この人。論文出してリジェクトくらったり、仕事でプレゼンしたり文書提出したりすると、自分よがりな文章書いても通じないってわかるけど。(ちなみに、ここで「添削されたことあります!誤読です!」とか言っても、馬鹿さらすだけだからね、気をつけてね)。
個人的には、こういう人の存在、困るんだねぇ。ブログ全体の方向性としては、言いたいこと、わかるわけよ。ある種の女性の側にたちたいという思いも。ただ、むやみにけんか腰だし、ウイットがないし無駄に上から目線。意見が同じ人は一緒に文句がいえてキモチいいかもしれないけど、意見が違う人からは「うわ、絡むとめんどくさ」って感じになる。確かにこの人が絡む相手、びみょーな人は多いけど、そこまで叩かれるほどでもないし、叩き方もねちっこくて。
同じ意見の人間だけでダマになって、愚痴いってスッキリしたい!という人だったらいいのかもしれないけど。自分はいろんな立場の人と一緒に働くからさ。意見の差を強調して、対立構造作られても困んのよ。そういうことは、井戸端でやってくれるかな、と思う。後ろ弾撃たれてる感じ。
やっぱり、マッチョ&批判系ブログというのは、軽妙さと頭のよさが必要だと思うのよねぇ。下手するとうざくなるじゃん。
やまもといちろうさんみたいに危ない話題にもガンガン突っ込む馬力と鉄面皮さ(やまもとさんはうざいっちゃうざいが、またそこがいい)。イケハヤみたいに、ゾンビのように立ち上がる懲りなさと、論理の隙に垣間見える愛嬌でもいいけどね。イケハヤとか、石でうたれる姿勢がキリスト化しているし、もはや神様。
炎上はいいけど、もっとエンターテイメントな炎上がほしい。小町も誤読と空回りと極端な意見ばかりだけどさ、yomoyomoさんが取り上げる小町的な感じの、集合的な芸としての炎上ならいい。はてなには出せない妙味がある。でも、こういう中途半端な人が持ち上げられんの、美しくないし、つまんね。なんか、一本調子なんだよねー。もっと華麗な展開が見たいですよねー。
これから書くことは、あまりにもシンプルで、誰かがもうすでに書いてるんじゃないかと思う。
けど、今朝こんなの(※1)がホッテントリ入りしてるのを見て、なんでこんな誰も使えないようなくだらないテクニックがもてはやされるんだろうと疑問に思ったことだし、一つ書いてみることにした。
これ一つだけだ。
あらゆる文章について、この「繰り返しを避ける」という言説を当てはめて、文章をより良いものにすることが出来る。それは何も難しい事じゃないし、誰でも、今からすぐにできることだと思う。
ひとつの文の中で同じ言葉を何度も使わないことはもちろんだが、もう少しこの法則について吟味してみよう。
まず、へたくそな文章を書く人の大半は、
なのである。よく見かける、「~だ。~だ。」の一本調子では、読んでいる方が疲れる。もちろん、新聞のように厳しく字数制限がある場合は節約の必要もあるだろうが、特に字数を気にしない場合、「~だ。」をアレンジし、「~であった」「~なのだ」などといろいろ使い分けることで、簡単に同じ言葉の反復を抜け出すことができる。もちろん、慣れてきたら、体言止めや時制などにも気を遣ってアレンジしていくと良い(※2)。
次に、へたくそな文章の特徴として、
ということも挙げられよう。
森博嗣大先生なんかこれがひどくて、いま手元にあった「カクレカラクリ」をひもといてみると、
「○○○○」○○は言った。
「○○○○」○○は言った。
「○○」
「○○○○」○○は叫んだ。
とこんな表現がいくらでも出てくる。いくら量産が必要な人気作家でも、これはひどすぎやしないだろうか? 異常ですらあると思う。いくらストーリーが良くてもこれでは興ざめだ。だから、短い文はできるだけ目立たないように、それでいて、自分の主張を特に強めたいときだけに使うとよい。基本的に短い文は強い印象を与え、なおかつ文中でよく目立ち、一方で長い文はその内容の印象を薄める効果があるからだ。それゆえ、長い文を書いた上で、短い文でダメ押しすると強い。Yes, we can.
あとそれから、
のが吉だ。とくに故事成語はヤバイ。こういう言葉は、日本人なら何度も何度も小さい頃から聞かされているから、たとえその文章全体の中で初めて使われたとしても、一気になんか古くさい、繰り返しがまた来たという印象を与えてしまう。これも「繰り返しを避ける」原則の発展としてとらえることができるだろう。
まあ考察は面倒だしそれくらいにしておいて、あとはTips的なものとか、個人的好みの話とか。
ことも大事だよ、ってことを忘れないで欲しい。読点はダテについているものじゃないのだ。本田勝一が「日本語の作文技術」で読点の付け方について、章を一個割いてクドクド説いているのも、当たり前のことだが、理由がなくてやっているわけではない。へたくそな人は、読点をどこに入れるかを全く意識しないから、結果として文章は読みづらく、陳腐に見えてしまう。
ってのもやっぱり大事だ。頭の中で良い。実際に読むスピードで、自分の書いた文章をもう一度読み直すこと。向田邦子は自分の小説だか台本だかを執筆しながら朗読して、それをテープに残していたらしい。そこまでする必要はないと思うけれど、そういう姿勢が大事なのは確かだ。音読してひっかかるような文章を書いているのはよろしくない。
さらに主張しておきたいのは、
ということだ。よく「自分の言葉で書きましょう」なんて事をいけしゃあしゃあと抜かすヤツがいるが、自分の言葉なんて、そんなもの元からありはしない。どんな大作家だって、誰かに影響されて、それが少なからず現れながら文章を書いている。「作文は借文」、この原理原則を忘れずに、出来るだけ素直に、努めてわかりやすく、相手に「自分の心のイメージを、相手のわかる形で伝える」こと。オリジナリティなんて言葉にだまされて変な表現を使ったら一気に興が冷めてしまう。ましてや自分が「これは名文が書けたぜウッシッシ」と考えたりしたことがあるなら、猛省して欲しい。もちろんこれは自戒も込めて。オナニーした後の紙は、ゴミ箱へ捨てるのが常道だ。こびりついた精液を他人様に見せてはいけない。何も、肩を張らなくてもいいのだ。あなたが語った時点で、その言葉は「あなたのもの」なのだから。
最終的に、
ということも忘れないでおくと、相手に自分の心が伝わる、良い文章が書けることだろう。いつでも文章は「書き飛ばせる」ようなものではなくて、努力と苦悩の果てに成り立っている。良い文章が書けなくて苦しんでいるのはあなただけではないし、苦しまなくなったときが、まさに文章を書く人間としての終わりなのだ。どうやったら自分のイメージを、誤解なく、ありのまま伝えることが出来るだろうか? そのひたすらの煩悶が、文章を成長させてくれる。だから、へたくそでも、伝えようという意志を必死で込めることで、相手にその熱意は伝わることだろう(もちろんその熱意を期待してはいけない! 文章を書くことは常に「伝わらない」恐怖との戦いだ)。
(そういえば、読点が多いという指摘があったが、全くその通りだと思う。どうも自分は読点が好きすぎる)
※1:http://www.lifehacker.jp/2009/10/091005writingtips5.html
※2:ただし、よくちまたで言われているように、体言止めはなるべく避けた方がよいのは確かで、その理由は、強く言い切る形になり、語調に与える影響が大きいからだ。従って、原則として使わないという指針は間違ってはいない。間違ってはいないが、体言止めという手法がなぜ存在しているかと言うことも考えると、どうしても必要と信念が訴えるならば使うことになるだろう。もちろんそうやって、みんな失敗するのだ。
去年の11月に、サウジアラビアのアブドラ国王が1バレル=75ドルが適正価格であると発言していたが、どうやら、サウジアラビアにとっては、何がなんでも実現しなければならない勅令になっていたようである。
これまでは、国王直々の発言を無視するわけには行かないが、かといって、WTIの相場を吊り上げようにも、規制が入って身動きが取れなかった。しかし、ここにきて、それらの規制がかなりゆるんでいるように見受けられる。共和党から民主党に変わって、明示的に更新されなければ解除される規定で導入されたルールが、次々と期限切れで解除されている。
つまり、原油価格を一本調子に吊り上げる手法を、再現可能な状況が、整いつつある。
産油国としては、原油価格を吊り上げる事で、代金と売値を同時に吊り上げられるという状況なので、やれるのであれば、ためらわずにやる。
問題は、その動きは、米ドルの基軸通貨としての価値を支える動きとは、言いがたいという点である。石油を欲しているならば米ドルを持って来い、原油価格が上昇するのはアメリカのせいであると言う事で、価格高騰の憎まれ役は産油国ではなくアメリカになってしまうのである。
さらに、原油価格が上昇しているのに、産油国はそれに見合う輸入をしない事から、貨幣の過剰発行という現象が発生する。原油価格が高騰しても需要が衰えないのは、後進国や中進国に工場がばら撒かれ、生活水準が上昇している為である。WTI相場をコントロールする事によって産油国を経済的にコントロールするという仕組みが、グローバリゼーションによって破壊されてしまっているのである。これは、おそらく、グローバリゼーションの弊害の、一番大きな点といえるであろう。
産油国は、今度の原油価格を一本調子に吊り上げる過程において、需要の喚起の為に、後進国・中進国への投資の出し手として、名乗りをあげる可能性がある。先進国に資金を入れると、ユーロや米ドルにおいて、格付け偽装債券を大量に発生させて混乱を招いてしまったという失敗を学び、それと同時に、後進国・中進国への投資が石油の需要を増進させ、価格を吊り上げる原動力になることを学習している。
米ドルが原油取り引きの標準通貨であるという状況は、産油国をコントロールする手段から、産油国にアメリカが利用される手段へと、転換しているのである。
このグループの音楽は一本調子の曲が多い。何だか雰囲気が前の曲と似ているなあとか思う。だけど、バックトラック自体は様々な音楽生が感じ取られるのに何故にこんなに薄っぺらに感じてしまうのだろうか。少し前から疑問に思っていたが、解決した。
音楽を作るソフトでループシーケンサーソフトというのがある。どういった物かと言うと、ロックドラムとか、レゲエギター、ジャズベース、色々なジャンルの音楽素材が四小節ぐらいでソフトの中にあって、それを自由に組み合わせることで音楽を作るソフトウェアだ。ようするに、レゲエが何なのかとか、ジャズが何なのかとか知らなくても、それらしい音楽は作れる。「Bob Marleyって誰」という連中にも作れる。でも、不思議なことにそういった音楽は薄っぺらい。いや、チグハグに聞こえる。別に音楽だけじゃなくて、文化的な物全てだと思うけど、音楽は歴史を積み重ねて発展してきた。こういうフレーズにはこういったメロディーが良い、コードはこういう感じが自然だ、という感じにある程度のルールに縛られている。新しい音楽が出来る時は、そういったルールを破壊して、「こっちの方が素晴らしいだろ!!!」と思う人たちに作られて行く。ただ、その人たちは古い物を知っているという前提がある。武道で言えば守・破・理みたいなもん。まあ、バキの花山薫みたいに異端の存在はいるけど、そういうのは例外中の例外です。
GReeeeNの人達はおそらく、ループを作って、その上にメロディーを乗っけてるだけなんだろうなあって思った。こういった薄っぺらいJ-POPのロックバンドはけっこう前からいたけど、音楽性をでっち上げるみたいなやり方は今の時代らしいと思う。
SPAN証拠金制度とは、CME(Chicago Mercantile Exchange)が1988年に始めた取り引き証拠金の見積もり方式である。
SPAN証拠金制度では、翌日の相場の展開を16通りに分類し、この分類のうちの一番リスクが大きくなる展開の時に必要になる証拠金を算出するとなっている。この16通りのうちのどれが選ばれるかは、先物とオプションの買い建て・売り建ての残高状況と、翌週の相場の展開予想の組み合わせによって決まる。その組み合わせは、先物の買い残が多い状態で、オプションの買い残が多い状態と売り残が多い状態。先物の売り残が多い状態で、オプションの買い残が多い状態と売り残が多い状態、これで4通りの残高状況。さらに、先物が売られ、オプションも売られる場合。先物が売られ、オプションが買われる場合。先物が買われ、オプションも買われる場合。先物が買われ、オプションが売られる場合で、翌日の相場展開が4パターンである。この4パターン同士の掛け算で16パターンとなる。したがって、どのパターンが選ばれるかは、その日の残高が確定するまでわからないとなる。さらに、翌週の相場の予想の幅は、異なる期間の過去数週間の変動幅の中から1位と2位を選び出し、いずれか大きい方を選ぶとなっている為に、ストップ値が期間一杯続いた値が理論上の最大値になるが、今の所、そのような激しい展開は無いので、安定的に見えるとなっている。つまり、変動期があったり、それから遠ざかると、その基準日が変わる日に、がくんと値が飛ぶ可能性もある。
これらを勘案すると、この制度で予想される最大損失は、過去のデータに依存しており、何か起きた時の急変を予測できるわけではないという事になる。統計的に正しい値ではあるが、その正しさは統計という、無責任な立場での正しさであって、現実にお金をやり取りしている鉄火場の正しさとは筋が違う。
予想される証拠金額は、最大でストップ値まで動いた日が一週間以上続いた場合の変動で、それ以外のケースの場合、いずれも安くなることから、必要証拠金の額が減り、建て玉が証拠金不足を理由に処分されにくくなるし、同じ証拠金でより多くのポジションを持てるようになるという制度である。
実際、SPAN証拠金制度を導入してからCMEにおける投機的取り引きは増加し、アメリカのバブルを形成する一つの道具となった。
現物相場における買占め売り惜しみのリスクを回避する為に先物相場を作った。先物相場における、現受けを拒んで差金決済にされた時に、手持ちの現物を市場で投げ売りをしなければならなくなるリスクを回避する為に、オプション相場を作った。
オプション相場と先物相場が投機資金によって動かされるようになると、清算局面において相手方が破産していて清算不能になるという、カウンターパーティリスクが浮上し、それを回避する為に、CDSが出てきた。
そうやって、リスクを減らす為に、新しい制度が導入されてきたのが、金融市場の進歩の歴史である。そういう観点から見ると、SPAN証拠金制度は、金融市場の進歩の歴史の正嫡とは言えない。
値動きの激しい局面において、証拠金所要額が引き上げられる事から、投げ売りが増加すると同時に新規の買いが抑制されて暴落がとまらなくなったり、踏み上げ買いが殺到して非常識な金額まで相場が一本調子で上がってしまうといった、値動きが激しくなるという欠点が表面化しているというのに、わざわざこの制度を導入するのは、どうにも理解できない。
煽る男からすると、自分を一番に思ってもらえない可能性から予期される痛みからの、防衛反応としての言動なのかも
自意識が揺らされる状況って、一本調子になりやすい男にとっては、なるべく避けたい状況だから
(って予想の範疇だけれど
信じる信じないより、大人は程度問題に落ち着きやすいけれども、何にせよ傷つけあわずにいきたいところだよね
男で言うと、童貞って煽られるのが、自分はよわっちいんだって責められてるようで、(無駄に)きつく感じる状況かも
根っこは応援されたいんだよね。信じてもらえて、力をもらえたらって、どっかで思ってて
(ってのも予想の範疇だけれど