はてなキーワード: 一元的とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20220511/k00/00m/040/127000c
前からすごく違和感があったんだけど、ブクマカって「科学的に正しい態度」を気取る人が多いけど、その実、言うほど科学的ではないよね。
このブコメがまさにそれを強く感じるもので、元論文を読まずに、安易に疑似相関とか言いすぎでしょ。
何か、「ニセ科学」とか、そういったものを正義面して叩くことが目的となっていないだろうか。
反・「ニセ科学」って、政治的な話などとは違って、簡単に一元的な正義が手に入る(ように見える)からね。
だから、このような(ある種の偏見の目で見たときに)「ニセ科学」と親和性がありそうに見える話で、こういったブコメが並んでしまう。
アカウントをちゃんと設定してればセンシティブ画像はシステム側でクッション表示されるし何の問題があるんだ
それでは足りないっていうのなら保護者側で包括的なコンテンツガード設定を煮詰めるべきだし
それが難しい、Twitter側にもっと保護機能が必要だというなら消費者として働きかけて訴え出ればいい
発信する利用者側に負担を強いて利用者側の裁量に頼り切るような設計はフェアじゃない
そういう属人性に頼るシステムは脆弱だし、実際効力などろくに発揮できていない、子どもでも用意に突破できる、自称成人です、でパスできる程度のなんちゃってゾーニングしか出来てないだろう
個々で勝手にあーだこーだやって「私達マナー弁えてて偉い」と満足している連中は、むしろシステムの発展の足枷になっている自覚をもってほしい
自由な社会では、個人や権威による裁量に委ねる発想はNGで、ルールを洗練させていくことではじめて進歩していくんだよ
裁量よりルール、思想や経済から学びを得たリベラルな人間は基本的にこのような行動規範を身につける、サービスを作ってるアメリカのエリート企業も例外ではない
どんな利用者も、そのサービスの利用規約だけを一元的に見てれば正しい振る舞いをできるように設計されているのが、優れたサービスだ
https://twitter.com/kayuumaatsui/status/1480342841734070274
表自連中って、「犯罪に繋がるという数値やデータを出してくれ、出してくれれば規制に従う」という、全然、「表現の自由」でも何でもない事をよく言うようになったけれど、それってPSYCHO-PASSのシビュラシステムみたいなのが出来たら無批判に従うって事を意味するんだけどいいのか。いいんだろうね。
「データや数値さえ出してくれれば唯唯諾諾と従う、その数字の確実性や真実性は問わない」っていうのは、「表現の自由」を求める人の発言ではない、「思考停止」を欲する人の発言だよ。
右翼連中が、原発の汚染水の海洋放出に無批判なのとまるで同じ。
大元のデータに誤魔化しや隠蔽があるのではないか、まで思考が届かない。
民主党政権だったら批判できても、与党自民党だと鎖のついた犬のように従う。
それは、【思考停止】の【口実】が欲しいだけで、科学的態度ではないね。
コロナ禍での東京五輪強行の際に、与党自民党がスパコン富嶽に「開催に都合が良いデータ」を出させたように、数値やデータってのは誠実でない人が扱えば簡単に歪められるってわからないかな。わからないんだろうね。こうした諸々を無視して、数値やデータに盲目的に従うのは、要はマチズモの一種だよ。
何度も指摘している事ですけれど、彼らは表現の自由の1丁目一番地が権力批判である事を理解したがらない。
理解すると、彼らの大好きな与党自民党と戦う必要性が出て来てしまうからです。
なんで英語版Wikiでは【言論の自由】の項目に【表現の自由】が含まれるのか、など、考えた事もないのでしょう。
改憲されたら、【公共の福祉】が【公益及び公の秩序】になるわけで、比較にならないほど危険ですね…【公共の福祉】ですら散々悪用されてきて、【一元的内在制約説】に現在は落ち着いているのに。ちなみに日本版Wikiは与党自民党の改憲が正しいかのようにミスリードしています。前はもっと露骨でした。
顔の美醜だって実際は多様でしょう、2つの軸に見えるけど、全然単純じゃない。
単純な顔立ちでいっても、爬虫類系とか小動物系とかたくさんあるし、
本人の就いている職業だったり、時代だったり、人生の在り方でも見え方は変わるわけで、
要するに、そういった要素が美醜に集約されるというのが一元的な評価の問題点だと思うんですよね。
かわいいと社会性の差は結局、お茶の間で言語化されているのかいないのかという話でしかないんじゃないでしょうか?
「仕事ができそう」とか、近い言葉はあるんですが、もっと強烈な単語ができれば解像度も上がってくると思うんです。
あと、取り扱われ方で近いのは(さっき僕がつついてしまったけど)「収入」というのがあります。
ちなみに僕は上野千鶴子嬢の、「カワイイの反対はイケメンじゃない」というのは賛成ですが「多元的な価値があるからイケメンといってもいい」は反対です。
記者なのにこんなこともわからんのか、、、やっぱりジャップランドって中世だは、、、
上野氏は「美人」発言の問題点について「すでに『ブス』という言葉がタブーになりましたから、その対極にある『美人』も言っちゃダメというのは、論理的にも当然のことですよね」と指摘したうえで、次のように説明する。
「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。ルッキズム(外見差別)という新しい概念の言葉が登場し、イズムがついているということは、外見についてとやかく言うのは差別であり、“やってはいけないこと”に認定されたということです。それは、“褒める”という行為でも同じこと。
たとえば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分にあると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。それが近年になってやっと『そんな権利、アンタたちにはないよ』ということが浮かび上がってきた」
それならば、女性が男性に「イケメン」などと言うことも問題視されるべきではないのだろうか。
「よくある反論ですが(苦笑)、女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。たとえばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある。男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。つまり男女のランクオーダーは非対称ですから、『女だって同じことをやっているだろ』とはなりません」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c14deb8308b2307deb2e2accc1cce01510563e0
JGP(ジョブ・ギャランティ・プログラム)に関しては、方向性は間違ってないような気もする。しかしながら、平時にせよ不況時にせよ、どんな産業や事業に投資するか、必要な労働力として誰を割り当てるかを、どんな仕組みで決めるかは難しい。何かブレイクスルーが必要だと思う。
・”何を仕事にするかって話は難しくて”その通りと思う。人間は全知全能とは程遠く利己心もある。そんな人間が計画経済をするのは上手く行かない。これはソ連その他の失敗を見ればわかる。
・計画経済よりは市場経済のほうがマシだが、全て市場に任せておけば丸く収まるかというとそうでもないだろう。
・政治の資源配分機能に頼る部分もあってよいと思うが、政治家のお手盛りで差配されないような制度設計が必要。
MMTは何をするかも言ってるよ
要は今までの経済政策だと数字追いかけて、需要が拡大したとき(物が不足した時)に投資が加熱して投機になって過剰なインフレが起こったり、それを抑えようとして失業者を調整弁にして不景気が起こったりを繰り返してきたわけ
それをなるべく実現しようってのがJGP。市場原理の自由市場は残したまま、失業者を国が予算出して全員雇うというもの
そうすれば、景気が良いときはJGP参加者が減るため、財政支出が抑えられ、景気が悪いときはJGP参加者が増えて財政支出を増やすという事が自然と調整されるようになる
要はラグがなくなるって事よ
JGPで何を仕事にするかって話は難しくて、地域ごとに必要とされる事ってのは違うんじゃないかってのがある
だから国が一元的に決めるってのは良くなくて、元の提案者の話だと地域の非営利団体を管理者側にするとか何とか
日本なら労組とかその辺がやれば良いのでは?とか言ってる人もいる
その辺の詳細は正直、俺も良くわかってない
ただ、JGPってのは要は地域共同体を復活させて、その地域に根ざした活動を仕事としようって感じかな。JGP参加者側が自分でこういう事したいみたいな提案もできるみたい
だから、JGPとか見てるとリベラルこそ、こういう地方創生的な観点から制度設計考えていけば良いんじゃね?って思うけどね
既存のハローワークとか職業訓練とかなんていうか社会に人を合わせるんじゃなくて、JGP参加者一人一人に合わせて地域社会を作っていくみたいな感じでさ
おおむねこのスレッドで指摘した通りの惨状になっているようだが。
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐり、政府が自治体などの接種実態を正確に把握できずにいる。接種回数や自治体の在庫量は、国のワクチン接種記録システム(VRS)で一元的に管理するが、接種の入力が煩雑で遅れるケースが相次ぐ。ワクチン不足を訴える自治体が出ているなか、今後の配送計画にも影響を及ぼしかねない。
「VRSの作業は煩雑で負担になる。接種に注力させてほしい」…個別接種を行う市内約1800の診療所などのうち、9割がVRSの端末の利用を希望しなかった。
…
VRSの入力遅れは、地域ごとにさまざまな事情で生じており、政府が掲げた「1日100万回接種」の目標達成も実際の達成と発表まで最大15日間の遅れがあった。
そもそも、VRSは国がリアルタイムに接種記録を管理するためにつくり、ワクチンの在庫把握にも利用される。ところが、「国がどんどん打てと急がせた」(官邸関係者)ことで、自治体の入力が追いつかず現実とシステム上の数字にギャップが生まれた。
こうした状況に、政府内の調整を担う河野太郎行政改革相は、7月からVRSへの登録実績に応じてワクチンの一部を傾斜配分する方針を表明。接種登録の作業が遅れている自治体は、システム上は接種が進んでおらずワクチンが余っていると見立てた。自治体側からは反発が出ており、7月の自治体へのワクチン配送量が6月より約3割減になるところにこの傾斜配分が加わったことで、全国の自治体に「ワクチンが足りなくなる」との懸念が広がった要因の一つとなった。
さらに接種状況の把握を難しくさせたのが、6月から始まった企業や大学の職域接種だった。自治体での接種と異なり、接種券がなくても従業員名簿や学生簿で管理することで接種を可能にした。後日、自治体から本人に接種券が届けば企業や大学に提出して、VRSに登録してもらう。このため、自治体からすれば、住民の誰が職域接種を済ませたのかすぐに分からず、接種計画が立てづらくなった。官邸関係者は「職域接種により、自治体全体での接種が早いのか遅いのか見えなくなる。ブラックボックスになってしまった」と説明する。
…
河野氏は6月23日の記者会見で、今後のワクチンの配送計画について「目をつぶって綱渡りをするようなオペレーションにならざるを得ない」と漏らした。そのうえで、在庫を減らして必要なものを必要な時につくるトヨタ自動車の生産方式を引き合いに見通しを語った。
「自動車工場のようにジャスト・イン・タイムというわけにもいかない。すぐにVRSで(職域の)数字が見えないので、正直ちょっと厳しいと思っている」
16日の未明、参院本会議で、日本共産党の山添拓議員が行った土地利用規制法案に関する反対討論の要旨は次の通りです。
本法案は、土地や建物の利用状況調査を名目に幅広い市民監視を可能とするものであり、その歯止めがありません。調査や情報収集の対象は誰なのか、条文上の制限がないことを政府も認めました。あらゆる人が対象となりえます。
職業や収入、交友関係やSNSでの発信など、個人に関わる情報について、「土地利用と関係なければ調査対象とならない」といいます。しかし、関係があるかどうか、判断するのは調査する側であり、条文上も限定がありません。
総理が必要と認める場合には、公安調査庁や自衛隊情報保全隊、内閣情報調査室などから情報提供を受けることも、条文上排除されていません。
既に、自衛隊のイラク派兵に反対する市民の活動が情報保全隊により監視され、公にしていない個人情報まで収集されていました。権力による市民監視と情報収集は、プライバシー権にあまりに無頓着なまま行われ、デジタル化で一層の深刻化が懸念されます。この下で、本法案は総理の一存により、さらなる情報収集と一元的な管理を可能とするものであり、第三者によるチェックや歯止めの仕組みはありません。
政府は、役所や事業者、地域住民から情報提供を受ける窓口を作るといい、密告まで推奨するつもりです。あらゆる手段が総動員されようとしています。利用規制の対象となる注視区域、売買等の届け出義務が罰則付きで科される特別注視区域、いずれも無限に広がり得ます。自衛隊や米軍の基地のほか、生活関連施設として、原発や軍民共用空港を政令で指定するといいます。しかし、条文上の限定はなんらありません。
生活関連施設は、国民保護法施行令に定めるように、発電所や水道施設、1日10万人以上が利用する駅、放送局や港湾、空港、河川管理施設など幅広く指定され得ます。沖縄では戦後、米軍が銃剣とブルドーザーで強制的な土地収用を繰り返し、住民が追い出され、基地があるがゆえの被害が今日もなお続いています。普天間基地を擁する宜野湾市は、市民の9割、9万人が1キロ圏内に居住します。沖縄は、国境離島としてその全島が注視区域とされかねません。安全保障の名の下に、どこまで権利侵害を重ねるつもりなのですか。
勧告、命令、罰則の対象となる機能阻害行為とはなんなのか、法律に定めはありません。罪となるべき行為は法律に明示されなければならない、罪刑法定主義の原則に反しています。
大臣は、5年後の見直しで、機能阻害行為を理由にした強制接収、収用手続を含めた検討も否定しませんでした。戦後制定された土地収用法は、軍事や国防のための収用を認めていません。戦争の反省に立つものです。軍事的な安全保障のために、再び国民の主権を制限しようとすることは、憲法の平和主義に反するというべきです。
大臣は本法案の立法事実を、外国資本による不動産購入を契機とする不安、リスク、懸念と表現しました。しかし、これまで安全保障上の懸念が生じたケースは確認されていません。漠然とした不安を根拠もなく重視すれば、疑心暗鬼が広がります。
安全保障上の懸念を持ち出せば、なんでも通るといわんばかりに、基本的人権を脅かし、市民監視を強める法案を、時間がないなか提出しておきながら、参考人質疑や野党の指摘も無視して採決を強行するなど断じて許されません。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-06-17/2021061705_03_0.html
数学科の元恋人とお台場デートしたとき,ジョイポリスの順番待ち時間に,お互いの専攻の素晴らしさを語り合った.
彼は2進法の素晴らしさを語ってくれた.2進法を使えば35まで片手で表すことが出来る,と.詳しいことは忘れた.
有機化学専攻の私は巻き矢印の素晴らしさを語った.大概の反応は電子の移動で説明することが出来て,求核試薬が求電子試薬を攻撃することで一元的に反応機構が理解できるのである,と.
だからといって何と言う訳ではないのだけれど,思い出したので記録.
3年の時に別れちゃったから今何をしているか知らないけれど,元気にやっているといいな.夢だった教員になれているだろうか.
私は楽しくラボ畜をやっているよ.
私が学部2年の時に,自分の無能さに打ちひしがれて半年連絡のひとつも取らずに引きこもったときも,「そんなこと死ぬに比べたら大したことない」と一蹴してくれてありがとう.私がその時退学しなかったのはあなたのおかげです.なんとか院生になって毎日楽しく実験出来ているのも,本当に本当にあなたのおかげです.
別れ話の日すら,「私は有機化学が好きである」ってめっちゃ語ってごめんね.当時はそれしか考えられなかったんだ.それだけがアイデンティティだったんだ.私が君をないがしろにしすぎたことに,ついに疲れちゃったんだよね.いっぱいないがしろにしてごめんね.君のやさしさに付け込んだね.
正直高校3年生の秋に私たち別れておくべきだったのでは…,と思ったことは何度もあるけれど,まあ過ぎたことは仕方ないので,今も君がどうにかやれていると嬉しいです.
君は恋多き男だから,きっとバイト先とかで可愛い後輩を捕まえているでしょう,と信じているよ.
私は,君がとうとう奪ってくれなかった処女をそのへんの既婚者で捨てて,その後も立派なヤリマン生活を送ったよ.君はそんな私になってほしくなかっただろうけど,まあなってしまったものはしょうがないね.未だに酒を飲んだら寂しくてその辺の人と寝てしまうよ.もう諦めたよ.
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=35933
住基ネット最高裁判決に「現行法上,これらの行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しない。」とあるのは,原審(大阪高裁)がそのような事実認定をしたというだけで,この事実認定から何らかの規範が直截的に導かれるわけではない。
したがって,元増田が「これによって政府向けシステムは個人情報を一元的に管理できず、個人情報は各自治体で分散管理しかできない。」と表現している点については,今ある制度がそうなっているというだけで,そうしなければならないということまでは住基ネット最高裁判決は言明していない。
なお,住基ネット最高裁判決には,「現行法上,本人確認情報の提供が認められている行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しないことなどにも照らせば,住基ネットの運用によって原審がいうような具体的な危険が生じているということはできない。」という言い回しが登場するが,これは,行政機関が住基ネットにより個人情報を収集,管理又は利用することは,憲法13条の保障するプライバシー権その他の人格権を違法に侵害するものであるなどと主張して住民基本台帳から住民票コードの削除を求めた被上告人(原告)の主張に応答した部分なので,一元的に管理をすることができる機関又は主体の不存在は,原審(大阪高裁)が指摘する「具体的な危険」の有無を最高裁が判断する上での一要素にすぎない。
住基ネット最高裁判決に「現行法上,本人確認情報の提供が認められている行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しない」
マジか
政府向けシステムに関わったことがある身からすると、政府向けシステムの話をするときに前提として知っておいてほしいことは、住基ネット最高裁判決に「現行法上,本人確認情報の提供が認められている行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しない」という骨子があること。これによって政府向けシステムは個人情報を一元的に管理できず、個人情報は各自治体で分散管理しかできない。この文面でググれば政府がどれだけこの骨子を気にしているかは分かると思う。
今回の話は「国民マスターテーブルを持たずに認証するにはどうすべきか」という政府向けシステムで常に挙がる課題で、良いアイデアがある人は政府に提案しにいってほしい。個人情報保護法の目的外利用に違反しない上で。
これをできるのは自治体のみで防衛省はできない。防衛省は国民の住所氏名を知らないのではがきを送れない。防衛省に限らず、どの省庁も国民の住所氏名を一元的には知らないので、政府はできない。
かなり難しい。上の骨子により防衛省が個人情報を一元的に管理することができないので、最高裁判決とは条件が異なることを主張しないといけない。たとえば「都市圏だけなので一元ではない」とか。それに国民や野党が納得するかどうか。これがひろみちゅの言う「政治的にそう言えないというのはあり得るが、乗り越えなければならない」課題。
これで良いなら予約システムなんていらないけど、密を作って高齢者に何日も前から徹夜で並ばせるのが今のシステムより良いと思う?
政府が使える一元的な情報はマイナンバーしかない。マイナンバーカードを読み取れる人だけが利用できる予約システムなら認証できるけど、自治体のネット予約さえ高齢者には使えないと叩かれているのに「マイナンバーカードとリーダーが必要です」なんて要件で作れるわけがない。そもそも「短期間に多くの人に接種させる」という目的にもそぐわない。
各自治体の予約システムがAPIを持って防衛省が接種券番号の有効性をAPIで確認できれば認証できるけど、首都圏だけで200以上ある自治体がばらばらに調達しているすべての予約システムに高負荷でも落ちないAPIを共通仕様で緊急で作らせれる必要がある。けど、そんな体力があるならば自治体の予約システム自体が落ちないようにすれば良いわけで、大規模接種自体が不要かもしれない。
個人情報を一元的に管理することができる機関を立法すればできる。けど、そんなものは「たった1年」じゃ作れない。マイナンバーと住基ネットに何年掛かったと思っている?「パンデミックという緊急事態なので防衛省が高齢者の個人情報を一元的に管理することができる」世界は「戦争という緊急事態なので防衛省が20代30代男性の個人情報を一元的に管理することができる」世界につながっていることを理解した上で、国民はこの法案に賛成できるのか? できるなら、良くも悪くも政府向けシステムの将来は大きく変わる。
結局、「国民に行政サービスを直接提供するのは自治体で、そのための個人情報を持っているのも自治体。政府は自治体を支援する」というデザインですべてが作られている日本において、菅の「政府主導でのワクチン接種」というアイデアの実現がそもそも無理ゲー。出生届や転入届を出すのは各自治体、運転免許の番号を発行しているのは各都道府県公安委員会。政府は国民の個人情報が一元的に入った共通データベースをどこにも持っていないから管理できない。従来通り、政府は自治体の支援に特化するべきだった。
中国みたいな管理国家に日本はならないという選択を国民がした時点で、この予約システムでの認証の実装の難易度は相当高い。ウイルスとの戦いに強い国は戦争にも強い国で、「人間にせよウイルスにせよ、敵との戦いに勝つために国民は政府にどれだけ一元管理されてもよいか」の総意を国民が取らないといけないので、マイナンバーや住基ネットの実績を考えると1年くらいの準備期間じゃ、みんなが期待している認証をこのシステムでは実現できない。
チェックデジットがないことで誰かの誤入力で自分の予約ができない確率が上がっているのは残念。ただ、発券しているのは各自治体なのでチェックデジットをつけられるのも各自治体なので、開発会社も防衛省もやれることはない。誰なら事前に自治体に統一仕様で作らせられたかというと厚労省だけど、接種券の仕様が決まったあとに大規模接種の話が出てきたので事後諸葛亮。こんなこともあろうかとチェックデジットの指摘が事前にできる勘が良い人がいたなら、たぶん落ちない予約システムの作り方の指摘も事前にできただろうから、大規模接種自体が不要だったかもしれない。
現状でもreCAPTCHAでBot対策されている。reCAPTCHAを越えて大量予約するやつは悪意があるので逮捕で良いでしょ。
できた。でも、接種券番号のバリデーションができない時点で大した意味はない。入力フォームの電話番号にSMS送って電話番号全体の有効性を確認することはあっても、市外局番の存在有無だけをバリデーションするなんてことしないでしょ。入力された市外局番と市外局番マスターを引きあててバリデーションをしている者だけが石を投げられる。
防衛省は生年月日の正しい情報を持っていないので、この数字に大した意味はない。たぶん予約キャンセル用のパスワード相当、当日の誤入力を見つけるためのヒントくらいの意味しかない。「パスワードを設定してください」でも良かったんだけど、高齢者には難易度が高いと思って生年月日にしたんだろう。秘密の質問みたいなもの。あなたの母親の旧姓が本当に正しいかどうかにシステム側は興味がないのと同じくらい、この生年月日が正しいかどうかに大規模接種予約システムは興味がない。
いまだに具体例が出てこないので、多分ガセ
異なる市町村番号+同じ接種券番号+異なる生年月日でログインできないことで接種券番号だけがユニークと主張しているけど、ログインできない理由はそれだけじゃない。たとえば2-123,5678がすでに登録されていることをこの人は知らない状況で、この人は1-123,1234でログインできるけど、2-123,7890はログインできない。システムとしておかしくない。
よくあるコメントに返信。
法律は素人のシステム屋なので、この指摘は正しいのかもしれない。一方で「個人情報とは個人を一意に識別できる情報のことを指すもの」というコメントもある。私には判断できないけど、仮に個人情報ではないとすると、
かなり難しい。上の骨子により防衛省が個人情報を一元的に管理することができないので、最高裁判決とは条件が異なることを主張しないといけない。たとえば「接種券番号は個人情報ではない」とか「都市圏だけなので一元ではない」とか。それに国民や野党が納得するかどうか。これがひろみちゅの言う「政治的に(『接種券番号と生年月日は個人情報ではないので一元管理します』とは)言えないというのはあり得るが、乗り越えなければならない」課題。
が正しいのかもしれない。住基ネット最高裁判決によって政府向けシステムに認証機能をつけることは想像以上に難しいという趣旨は変わらないけど、悪いのは菅じゃなくて「個人情報ではない」で突っ張れなかった防衛省なのかもね。いずれにせよ「認証すらまともに作れない技術力」から「接種券番号は個人情報なのか」に議論が高まってくれれば書いた甲斐があった。
VRSってのは各自治体の接種会場で使われているバーコードがなくてOCRが必要なことで有名なシステム。OCRは置いておいて、VRSは一元管理していない。 https://cio.go.jp/sites/default/files/uploads/documents/vrs_overview_210506.pdf の6ページ目に書いてある。
>市区町村ごとに区切られて保存されており、個人の記録は、接種券を発行した市区町村が確認できます
国民の接種率が重要指標なんだからDBは1個にしたほうが便利なのに、「あえて」区切って保存している。また、個人の記録は各市区町村しか確認できい、つまり串刺しで全国民の個人記録を見られる人はいないと書いてある。そんなわけでVRSは「政府は一元管理していません」に気を使っていることが分かる事例。
武道やスポーツやっててなんとなく上手いこといってて、それで進学やカースト内の立ち振る舞いがうまくこなせてしまった女子にありがちなタイプだけど、とにかくレスポンスの速さが取り柄なんだよあいつら。
深く物事を考える有意性すら理解してないしする気もない。なんでも0か1で割り切れると思っていて、明言するのを避けたり答えを出せないことをじっくり考えたりすることを馬鹿にしてる。
だから今の振る舞いが間接的にどう影響を与えるかとか、どういった社会的意義を持つか、表面上には現れない人の気持ちなんかにかなり無頓着なんだよ。
間違ってることでも浅はかなことでも、とにかく相手に隙を与えずメッセージを発してコミュニケーションにおいて自分が主導権を持つ。これが彼らの処世術だ。
こういう人はマウントを取った時点で自分が絶対的正義だと証明されたのだと信じてやまない。強い語気や態度で圧倒しているだけなのに相手の論理に破綻があるから黙らざる得なかったのだと歪んだ解釈をする。彼らはのちのちまで「あなたあの時論破されちゃってるんですけど?」みたいな詭弁論者めいた態度を真顔でかましてくるから始末におえない。
そもそも論理的に話を整理したり妥当性があるものが優先されることを彼らは心底嫌っている。嫌ってるというか暗くて気持ち悪くて無駄で不要なものだと切り捨てたがる。とにかく速く相手に反応を示すために考慮することを放棄しているので、事象に対し主観的かつ情緒的な解釈が目立つ。「なんとなく嫌いだからこれは劣っている」「なんとなくかっこいいと思うからこれは優れている」「なんとなく退屈だからこれは要らないのだ」とどうしようもない基準で物事を判断していく。
そして目先の、体感のコストパフォーマンスを彼らは優劣のバロメータにしており。長期的な物の見方をしない。根は真面目だからあいつらなりに「将来あれになりたいからこの学校で専門教育受けます」とか「お金を貯めておきたいから財テクやってる」とか「子どもの可能性を伸ばしたいからそれ習わせてます」とかいろいろやるけど、全てが一元的でそれって決めたらそこしか見えてないのよ。中学高校の憧れで看護師になるって決めて看護の学校行って看護師として働くようなタイプ。腰を据えて一本筋を通す姿勢は立派だよ。でも彼らは憧れの次に、看護師の実態を調べたり、職業人が持つ行動指針となるべき抽象的な流儀に思いを馳せたりなんかはしない。そんなのすっ飛ばして「何になるか決めたからとっとと受験対策しよう」だ。そして職に就いたら、理想とのギャップを全て自分以外の何かのせいだと愚痴り、場当たり的に行動する。気分で仕事の出来にムラがあるので一定のクオリティを保たない。それでも持ち前の判断力の速さと明瞭な態度で体面は繕ってしまう。体面がいいため何も言われないでいることを、自分が有能な証だと履き違え自己研磨しようとしない。
体育会系でも武道は縦の関係が強いので、彼らは上の物に靡いて言うことをすぐに変える。流儀や信念みたいなものはないし今後に向け醸成させていく気もないので組織内の力学にすぐ染まる。その癖単刀直入ではきはきした態度故に「しっかり者」として扱われてきたためか本人にその自覚すらないのがタチが悪い。
増田があの時対抗できたとするならば、嫌な顔された時点で間髪入れず「あ、あなたの物ではありませんでした?」と言って、違う人に「これ落としませんでしたか?」と聞いていけばよかったかもしれない。
こういう輩のペースに巻き込まれてはいけないのだ。善意で拾った市民という増田自身の認識を歪め、あまつさえそれが如何にも妥当であるかのような態度。、そんな振る舞いを許すような謂れが増田には一切ない。
求めている答えとはズレているとはわかりつつ、子供が生活にいることの変化について。結論を言えば、自分の人生に引導を渡された感じがする。私個人としての生きがいや社会的役割の追求はここまで!と諦められた感じ。学生の頃からひとかどの人間になるように育てられ、社会参加しようと肩肘を張って頑張ってきたけれど、妊娠出産育児でまったく社会的なスケジュールと折り合いがつかなくなり、むしろ社会的には弱者になって助けられる立場になった。字にすると悲惨だけど、心は穏やか。私の航海は終わり、陸に上がってあとは暖かな家庭を築く極めてパーソナルな人間になればいいのだなと啓示を受けた感じ。そう思えるくらい、子供が生まれて初めて「家庭」という雰囲気が我が家にやってきた。
結婚してから数年選択的子なし夫婦だったため、その雰囲気は家庭というよりカップル、親密な同居、そういうものに近かったと思う。それはそれで悪くなかった。収入はお互い足りているし、時間は自由だし、生活に成約は何もなかった。互いのワガママが衝突してたまに喧嘩をし、互いとも尊重しあいたいから謝って仲直りするみたいな二人組。子供がいると違う。圧倒的に制限が増え、責任も重くなり、互いを見る関係ではなく、共にこのコントロール不能な生き物を守り育てるチームとなった。共に家庭の戦士となった。
甘やかで自由なシャレた雰囲気は私達の間から消えてしまったけど、今まで知らなかった相手の良いところをたくさん発見した。合理性を求めて理詰めで人を脅すような気質が、子供相手だとなりをひそめた。そういう行動は、心身ともに万全な恵まれた人ができることで、社会の大半を占める子供や老人や元気のない人間には求められないことを学んでいた。つまり戦士になって優しくなった。私はますます好きになった。
子供は可愛い。見た目の愛らしさや動作、無垢な発言が可愛い。でもその可愛らしさに一元的に癒やされる以上に、道にドングリが落ちるようになったとか、電車がトンネルを通過したとか、バイバイができて褒められてなんか照れちゃうとか、世界には楽しくて嬉しいことがいっぱいあるよね!と共感する機会が増えて毎日が楽しくなった。伊勢丹も夜中のお酒も弾丸海外旅行もトレたまも全部手放したけど、子供と共に世界を再発見する毎日が楽しい。水たまりに空が映ることが嬉しい。
この子供が育ち親が死に私達もお互いに歳を重ねて泣きたくなる出来事が重なりもするだろう覚悟している。就職して結婚して数年間手にしていた経済的、時間的、精神的な自由と気楽さはもうないけれど、このまま暖かで互いを思いやる良い家庭を育てることができれば、どんな不幸が降ってきても、この家庭がある限り大丈夫、そういう家庭を作るためなら自分の色々は諦めても大丈夫、この子が世界の良さを教えてくれるからそれについて行けば大丈夫、そう思って日々暮らしている。