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2021-11-01

トレセン大学

ウマ娘大学に移行するッ!

4回生 スペシャルウィーク

主人公

関西国立大学生物学生

頭を使うより体を動かすほうが好きなので、ウェットのバイオ研究室に入った

回生までの学生実習は楽しかったけど、研究室で何やるかまだ分かっていない

「今年から研究室配属になったスペシャルウィークです!」

「夢は大学先生になることです!!」

さて、スペの研究室ライフはどうなるか?

スペが入ったのはテイオー研でした

配役はこれ

教授 トウカイテイオー

夢があって、天真爛漫で、目標を楽し気に語る様はまさに教授

能力も誰もが認めるところだし文句なし

研究所所属メジロマックイーン教授の話をよくしてくるので勝手に会ったことないマックイーン先生に親しみが湧いている


准教授 エアグルーヴ

トウカイテイオー教授の夢いっぱいなヴィジョン現実的に進められる実務能力を持つ教授の片腕が務まるのはエアグルーヴ

研究進めてみるといつもトウカイテイオーの見ているものが正しくて驚く


助教 エイシンフラッシュナカヤマフェスタ

物静かだけど理路整然としていて、それでいて行動力を持つの助教エイシンフラシュ

なんか心向くままに研究やってて、一般企業就職もしたくないままいい結果出してきて助教になったナカヤマフェスタ


D3 ゴールドシチー

クッソ頑張るしギラギラしてて尊敬できる先輩なんだけど、なんかいつも怖い

でも機嫌いい時は色々面倒見てくれる

無理しすぎてるから、たまに寝坊していない日はついに死んだのかと思う


D2 ゼンノロブロイ

ちょっとしづらいけどめっちゃ知識が幅広いので、セミナー質問してくると一番嫌なのがゼンノロブロイ先輩

最近トウカイテイオー国際学会に連れてってもらって張り切っている

たまに意味不明テンション高い


D1 ビワハヤヒデ

DC1取っていて、マイペース実験するからまりさない先輩

でも自分セミナーすると、たまに楽し気に、ほう、とか言ってくれるからちょっと嬉しい


M2 メジロドーベル

なんか頑張ってるのに結果が出ないのでいつも難しい顔してイライラしている

ドクターは何も考えずに行くところじゃない」といつも言ってくるのが怖い

でもたぶんドーベル先輩もドクター行く


M2 ゴールドシップ

研究室対抗ソフトボール大会で優勝経験がある研究室から、という理由でテイオー研に入った

実験中にトレーニング理論話してくるのがよくわからんけど先輩だから聞くしかない

深夜に階段ダッシュしてる


M1 アグネスデジタル

ヲタクでこわい

優秀だよ、と聞くけど正直よくわからない

セミナーヲタクっぽい絵を挿入してくるのでエアグルーヴ先生がよく怒る

実験台にフィギュア置いている


M1 メジロライアン

めっちゃ面倒見てくれる優しい先輩

実験もすごいしてるし、とても尊敬している

花見の買い出しはライアン先輩とスペが行った

イオ先生の夢を手伝いたい、って目をキラキラして話すので、スペも早く実験したいと思った

2021-08-21

ドクターX3シーズンまで見た

いやーこのドラマおもろいわ。みんななんで見ないんだろう

海老原さんちゅき♡

GTOとかでも教頭とか好きだったんだよなぁ

なんだろう小悪党っていうほどの悪でもなく、強固なヴィジョン持ってるわけでもないくせに中途半端権力固執してて、

なのに空気読めなくて権力いまいちコミットできてない感じとか

ちょうどいい無能感。完全な無能ってわけじゃないんだけど、不器用な感じが人間味あっていいよね

でもここ一番のタイミングでなんか人間の心を滲ませてくる憎めないやつ

無能であるが故に出世してるところとか、いいよね

ちょっとカイジっぽさもあるよな。カイジほどのクズ人間じゃないけど

こういうキャラ好きだわ

チェンジアンドチャレンジ

2021-05-26

anond:20210526214137

人は皆「今のまま」で年を重ねるわけじゃないから、いくつぐらいでこう、みたいなヴィジョンあるほうがいいんじゃない

2021-02-12

必読書コピペマジレスしてみる・海外文学編(2)

(1)はこちら。anond:20210212080317

キャロル不思議の国のアリス

好き。ただし、当時の人にしかからないパロディジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代読書サークルは楽しかったなあ。

ドストエフスキー悪霊

ドストエフスキー小説基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身ギャンブル依存症ユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。

登場人物基本的自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライド無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。

ぜひとも増田ロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜からおすすめロシア文学はいいぞ。

ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛自己嫌悪の衝突を必死プライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。

チェーホフ桜の園

こっちはスマートなほうのロシア文学一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞い金貨を上げちゃう現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ

実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ

チェスタトンブラウン神父童心

未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。

プルースト失われた時を求めて

誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないかなのだが、実は無職マザコン自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。

しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件ネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。

ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。

カフカ審判

不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説チャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。

読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げビジネスマン想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ

魯迅『阿Q正伝』

最高のダメ人間小説精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。

ちなみに自分ダメ人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。

ジョイスユリシーズ

さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子スカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。

これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランド空気活写している。それだけではなく小説の様々な実験手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石芥川文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。

上記説明ドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。

トーマス・マン魔の山

結核療養サナトリウム小説北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公運命いかに! 「ノルウェイの森」で主人公京都山中精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。

ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ

はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。

ザミャーミン『われら』

洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピア概念現実社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。

ムージル特性のない男』

未読。長すぎる。

セリーヌ『夜の果ての旅』

未読。

フォークナーアブサロム、アブサロム!

文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部人種差別主義者自分帝国を作るために理想女性結婚するが、その女性黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性結婚することから始まる、二つの家系因縁なのだが、時系列しっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

未読。

サルトル嘔吐

読んだがよくわからなかった。うつ状態ときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫サルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。

ジュネ『泥棒日記

未読。

ベケットゴドーを待ちながら

短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生結構意味不明だよね、みたいな感じか。

ロブ=グリエ嫉妬

未読。「消しゴム」は数年前に読んだが理解できなかった。

デュラス『モデラートカンタービレ

未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。

どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。

レム『ソラリスの陽のもとに』

レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星描写は古びない。

SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから

最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。

ガルシアマルケス百年の孤独

初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。

慣れてきたら、これが不条理しか言いようのない南米歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガスリョサに、ドノソに出会うことができた。

一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしかさない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

インド独立の瞬間に生まれ子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。

主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。

インドパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインド歴史ちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。

ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。

ブレイクブレイク詩集

独自神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?

ベルダーリンヘルダーリン詩集

未読。

ボードレール悪の華

卒業旅行パリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全から眺めていただけだったが。

ランボーランボー詩集

同じく卒業旅行パリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーフレンチカンカンは見に行っていない。

エリオット荒地

未読。

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

未読。

ツェランツェラン詩集

未読。詩をあまり読んでいなくて申し訳ない。

バフチンドストエフスキー詩学

ドストエフスキー作品カーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキー作品爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。

ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。

ブランショ文学空間

未読。

以上

疲れたので続編をやるかは不明日本文学哲学思想海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。

皆様も良い読書ライフを。

2020-11-19

anond:20201119224823

共通のお友達があるなら、仲裁して貰えないかな?

ところで、その方ともし仲直りしたらどうするつもり

・また悩みを聞いてあげられるようになる

・もう少し距離を置きたいが、謝るだけしたい

・こんどはもっと、親身になる

ヴィジョンがないならしんどいだけだよ。どうしたいか。そして相手はどうしたいのか

2020-09-25

回顧や後悔ばかりで未来へのヴィジョンのないオタクが次の百年を見据えたフェミニストに勝てるわけがないんだよなぁ。

2020-09-09

それとアバター売買を人身売買表現することは以前からネットユーザーの間で広く行われていた。

それを「いきなりフェミが突拍子もないことを言い出した」というのは事実に反する。

オタクらに荒らされたせいで遡って調べるのが若干面倒だが興味のある人は深掘りしてみるといい。

それはそれとして今後、VRファンの間で「人身売買」というワードはどういう扱いになるのだろうか?

アバター販売人身売買というなんてVR業界の敵だ」とNGワードのような扱いになるのだろうか?

アバター人間とは違うから「うちのこ」と言ってはいけないというようなローカルルールができるのだろうか?

わたし脳裏には「合法人身売買」などと言う新しいイキリ行為が発生するヴィジョンが浮かんだが、果たして

2020-08-10

anond:20200805010054

蛇足蛇足みたいな記事から暇な人だけよんだらいいよ!

高齢処女ができあがる一例

を書いた高齢処女元増田です。

あんなめちゃくちゃな長文お気持ちをたくさんの人に読んでもらえてびっくりしています

初めてホッテントリというものに入った…

やべー……くそみたいな記事にこれまた正論でぶん殴ってくるコメントが多いのに普通に超嬉しい~

同情してくださったコメントはもちろん、きっつい正論これだから女はみたいなミソジニーコメントも全部嬉しい~!

交霊処女ができあがる一例というパロディ記事まであったよ!くだらねぇ!嬉しい~!!

嬉しいので調子にのってコメントに答えて行こうと思う。

もしかしてあの宗教

宗教関係ないです。

そもそも増田が何で結婚したいのかが分からない。(中略)そこまでして結婚したい理由もないなら、別に結婚する必要もないんじゃないかと。

結構料理とか掃除とか家事も好きだし、怒られそうだけど週5~6で8時間とか働くの私にとっては本当にキツいんですよ…これからもっと体力なくなって気力もなくなってくのかと思うと本当に怖い。パートタイム労働者くらいがなんの才能もない私には合ってるんだろうなと思う。誰かそこそこに気の合う人と結婚して、家のことしながらパートして社会参加するのが未来ヴィジョンとしては働き続けるよりか現実的に思えて…

でも子どもが欲しいわけでもなく、ただ別の寄生先探してるだけって言われるとぐうの音も出ない

おまんポエムってなんでどれもこれも長いの? 女の買い物がくっっっっそ時間かかるのとなんか関連性ある?

おまんポエム!いい得て妙だね!おまんこの精神所有権についておまんことそのおまんこの母がギャースカやってんだもんね

まごうことなおまんポエム。長文読んでくれてありがとうね!

(略)挙げ句の果てにwebデザイン勉強?30歳にもなって?バカじゃないの?通信教育で一人前になれるほど優しい世界じゃないよ。(略)

その世界一角人間になれる!なんてことは全く思ってないです。ただ、今はほんと何の特別能力もない事務仕事してるわけですよ。Excelも表面的な機能のみ、電話とったりパソコン上で書類PDF化してまとまってるのをまたExcel編集してPDF化し直したり、ほんとめっちゃ普通仕事契約社員なんで切れたらさようならだし、もうちょっとましな事務社員として継続的に採って貰えるとこに転職したいんすよ…

はてな記法ムズいな~と思って使ってる様な人間から脱したいわけです。

Webデザイナーになれると思ってるわけでもなく、ただもうちょっと契約きれて次行くときやら転職するときにマシになれるひとつスキルになればいいんだけどね…とりあえず勉強頑張ります

大病していた時期に親に逆らえなかったのは同情するけど もう治ったんだよね?だったらもうどうでもよくね?

体調に波があって一生薬飲んで付き合っていかなきゃならないやつなので治りはしないんですよ…

でも最近はまぁまぁ付き合って生きてってるんでお金比較安定的な職を見つけられたら(言うのだけは簡単だね…)自立は不可能じゃないかなとは思う

なんで「隠れてやる」って発想が一切無いんだろう?

相手の男だって増田母親の目の前でセックスしろと言ってきたわけでも無かろうに。

いや~…結構厳しいっすよ…一時間繁華街に出られる立地なんで、帰るのに一時間は見とかないといけなくて、まぁ6時とかにご飯食べるじゃないすか、小一時間たって7時、残された時間は2時間弱です。9時くらいには身なり整えて帰路につかなきゃいけないんですよ。「隠れてやる」ならね。でもみんなそうやって大人になってくんだよね?めちゃくちゃ器用じゃね…?しかも何食わぬ顔してなきゃならないんだぞ…女の子たちほんとすごいよ…元々、今日セックスすんぞ!って計画で行きゃよかったんかなー

からホテルやら彼んち行って…みたいな…

なんかこの辺りの「隠れてやりたきゃ不倫並に計画して隠し通せ」みたいなのを出来るほどセックス積極的になれて耽溺できてたらこんなことで悩まないんじゃない?って矛盾すら感じるよ。

親が生きてるだけで何事にも変えられんくらいありがたいやろ

仕事クビになっても布団と飯にありつけるんやぞ

セックスなんかどうでもいいくらいの贅沢やんか

俺なんか精神的にだいぶキツイけど仕事飛んだら人生終了やぞ

煽りじゃなくてどちゃくそわかる。だから母を安易に裏切れないんだよ。私の生活費やら医療費を親は負担してくれてるんだもんよ。寝る場所大事な物もぜーんぶ実家にあるわけだし、唐突に切られたらめっちゃ怖いわ。今になってやっと、まぁ遅かれ早かれ…って感じで受け入れてきっとレオパでも探すけど、意志薄弱に生きてて生活基盤も親依存でとにかくリスクとりたくない時もあった。

何を被害者ツラしとるんか知らけどな、男に文句言うとるお前もどうせ男に奢らせてきたんやろが。

セックスさせられないという後ろめたさがあったかほとんど割り勘を申し出てて、まじでほんとに割り勘してきたか無罪かな?

そんなことより時間無駄にさせたからどっちにしろアウトかな

子供部屋おばさんですね。

何か手に職があるようにもみえませんし、大人にならないまま成長してしまったんですね。

前述しましたがほんとその通り。こどおじという言葉流行り出したときドキッとしたもんだわ。

そんな親なら20代のうちに見合い話とか持って来そうやけど、なかったんかな?

私もあると思ってたのになかったんだよ~!その上父親自営なんだよ?なんかツテありそうなのにね~!ないんだって

美人でもないのにお高く留まっていらっしゃるからでしょう

面白いこと言いたいオタク女だからお高く留まってるつもりは1ミリもなかったが、セックスさせない時点でお高く留まってるというならお高く留まってました。ブコメだったかで「過去の男は『ブスの癖に出し惜しみしやがって~』って思ってるよ」みたいなのがあったけど絶対思ってるね!

私は20代半ばで脱会を決意し、親と争いながら自分人生を生きることに成功したけれど、その道のりはあまりにもエネルギーを消費するものだった。

大学時代就活の時期や恋人ができるかどうかという瀬戸際だった時期、周りの友人や先生方、カウンセラーの方が私の抵抗にも介さずゆっくり洗脳を解いてくれて、最終的に脱会を決め、自分就職したい会社就職し、恋人を作ることができた

こんな記事に本当に闘って乗り越えつつある方がこうしてコメントしてくれて恐縮します。親がそのとき流行りだのノリじゃなく禁止して、その上監視してくるって想像より何倍もきついですよね。あなたは今の生活を勝ち取ってこうして私にバトンを渡してくれようとしてる。恩師の言葉も、なんというかいいなぁ……あなた自分楽しいと思うことをして欲しい…かぁ、こういう肯定的な温かなエールってほんと素晴らしい。あなたの選んだことを応援するよって言ってくれる人に出会える体験って素敵だなぁ……

きっと運だけじゃなくて、あなた人生真摯に立ち向かってたか応援できるんだろうなぁと感じます

その他父親不在をしてきたしていたブコメがちらほら見られたけれど、父親も一緒に暮らしてるはずなのに助け船もなければ掩護射撃鶴の一声もなかったね。無関心一択って感じだった。ただ父親から早く帰れだのどんな男か連れてこいみたいな話もなかった。

よかったのか悪かったのかはよくわからないが、早いうちから無関心一択を父が選択したんだから仕方ない……

あと性欲あるのかという話には多分人並みレベルにはあると思います

たまにエロ同人(男女)読んでたまにオナニーする普通の性欲だと思う。

ただほんとにリスクとれない時期があったから性欲より生活基盤を失いたくなかった。

あとほんとに過去彼氏デートしてくれた男性陣には感謝してます

もう一回いうけど私を闇落ちさせてるのは、男性の性欲とかい問題ではなく、母親に見捨てられたらどうしようと思う私の幼稚な恐怖心なんです。

から私を変えてくれなかったとか救ってくれなかったとか亡霊みたいに思ってる訳じゃないことをいっておきたい。

セックス抜きの清い恋愛が最高で素晴らしい!って手放し絶賛できるほど母親みたいに純潔主義にどっぷりなら悩んでないわけだし、私を彼女にしていてセックスできずに悔しい思いをした男性陣には申し訳なさももちろん感じてるわけです。

ただ振り返って書きたくなったから書きなぐったけど、割と反響があって嬉しかったのでまた書きに来たわけです。

追記にしなかったのは元記事くそいからさすがに気が引けたのと、分けとくとこの浮わついた気持ちで書いたやつだけ消してもいいかって思ったから。はてな記法頑張って使ってみた!

あとコロナ理由にせずにとっとと結婚相談所登録しろよという意見にもそうだなと思った。30過ぎてる女が結婚相談所いくのは要で急だ。今から検索して探します。

蛇足蛇足にお付き合いいただきありがとう

2020-07-03

anond:20200703201143

手懐けたら使役するやろ?そんで何を倒すのか、ヴィジョンが見えんな

2020-06-22

ニューノーマライズオリンピック

2020年から続く新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の猛威は止まることを知らず、形質の変化した第3波の到来をもって、人類の長期的な課題として確定した。2021年に延期されたオリンピックの中止は、今後のあらゆる屋内・屋外での観戦を伴うイベントの開催が、実質不可能であることを意味していた。大型イベントに協賛してきた大企業は、その資金を新しいCSR活動としてのニューノーマル対応投資し、大型イベントの中止に拍車をかけることとなった。

しかし、中止の責任を取り上級幹部が一斉辞任した国際オリンピック委員会IOC)の新会長ウィルソン・フィリップスにはヴィジョンがあった。今までの通りでは次のオリンピックを開催することは不可能だ。ではやり方を根本的に変えてみてはどうか?

会長の強烈なリーダーシップの元、各国の大手スポーツ用品メーカーは生き残りをかけ、まったく新しい競技開催への道を模索し始めた。各国を飛び回るフィリップス会長は、フランクフルト空港デア・シュピーゲル記者に声をかけられ、歩きざまに一言だけ呟きその場を後にした。「ニューノーマライズオリンピック」。

これを

2020-05-15

自我を持つAIが出てくる物語

なんかある?周囲の影響を受けて口が悪くなってると最高。

人間味がありすぎるというかほぼ人間とかわらないのはあんまりきじゃない。

大好き

K.I.T.T. (ナイトライダー

理想AI

チェインバー(彗星ガルガンディア)

最終回最高

いまいち

J.A.R.V.I.S.(MCU
F.R.I.D.A.Y.(MCU

自我が無い

ヴィジョン(MCU)

ほぼ人間

バギーちゃん(ドラえもんのび太の海底鬼岩城)

思考人間

2020-03-22

( ・3・) クラシック好きの上司ディランを聴きたいと言いだして 1

https://anond.hatelabo.jp/20150214223556

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして、から数か月後――

ある朝の会話

その朝、彼が職場に着くと、クラシック好きの上司は目を閉じて見えないオーケストラの指揮をしていた。腕の動きが激しさを増し、握った拳が垂直に振り下ろされる。1、2、3、4、5、6、7、8、9、1011

おはようございます」と彼は上司に声をかけた。

「なんだ、来ていたのか」と上司は目を開いて言った。「春の祭典の第二部なんだが、どうにも縦の線が揃わなくてな。リハーサル不足だ」

空想オーケストラにもリハーサルがあるんですか?」

「高度に発達した空想現実と見分けがつかないくら不自由ものだ。ティンパニ奏者とシンバル奏者はもう何年も口をきいていない。――それはそれとして、ボブの件、明日の日曜はどうだ?」

ボブというのは、ボブ・ディランのことだった。上司の娘さんが英語の授業で「はげしい雨が降る」を習ってきたらしく、それ以来、上司は彼にディランについてのレクチャー要請しているのだった。彼が娘さんに教えるのではなく、彼が上司に教え、上司が娘さんに教える。ディランことならパパに任せなさい、と目論んでいるのは明らかだった。

明日。彼は断ろうとしたが、適当な口実が見つからなかった。高齢の親戚はひと通り殺してしまっていたし、このあいだ死んだ祖父にもう一度死んでもらうには、まだ少し時間必要だった。

「じゃあ、決まりだな」

事の次第

こうして、彼は休日をつぶして上司の家を訪ねることになった。どの作品を題材にするべきか迷ったが、一日でディランキャリアを追いかけるのは無理だと割り切って、彼自身ディランを聴き始めた高校生のころに感銘を受けたものを選ぶことにした。『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だ。このなかの数曲を検討するだけでも、一日まるごとかかってしまうだろう。たくさんのアルバムを持っていかずに済むのが救いといえば救いだった。

駅に到着

最寄駅に着くと、もう上司は車で迎えに来ていた。大きな声で名前を呼ぶので、きまりの悪い思いをしたのをわたしはよく覚えている。車に乗り、しばらく走ると、左手惣菜パンの店が見えてきた。看板にはアルファベットDELI BAKERY と書かれていた。

デレク・ベイリーCD今日こそは返していただきます」と彼は言った。

「そんなことを気にしていたのか」と上司は笑った。「大丈夫。おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう」

おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう。それはまるでデルポイの神託のように聞こえた。彼は運命うねりが身に迫ってくるのを感じた。しかし、現実物語とは違う。成就しない予言。読まれない遺書。途切れる伏線。それが現実だ。

デレク・ベイリーというのは、あのヴェーベルン風のギタリストだな?」

「そうです」

「あれをかけると、猫たちが爪とぎを始めるんだ。何か感じるものがあるのかもしれないな」

「猫たち、とはどういう意味ですか?」

「猫たち、とは」と上司は言い、長めのフェルマータを置いた。「猫の複数形だな」

「また拾ってきたんですか?」

「いや、拾っていない。拾ったのはちーちゃんだけだ」

「猫の方から入ってきた?」

「いや、入っていないし、出してもいない」

「じゃあどうして増えるんですか?」

「さて、どうしてでしょう」

家に到着

ちーちゃんベルリオーズリムスキー=コルサコフストラヴィンスキーお客様にご挨拶だ」と上司居間の扉を開けて言った。居間には母猫のちーちゃんと、三匹の子猫たちがいた。上司公園で拾ったときちーちゃんはすでに出産を間近に控えていたのだ。

「お母さんとは名前方向性が違うようですが」

里子に出すまでの幼名だよ。正式名前里親がつければいい」

猫たちは来客には関心がないようで、ストラヴィンスキーリムスキー=コルサコフに背後から跳びかかり、ベルリオーズは伏せの姿勢でおしりを振りながら取っ組み合いに加わる間合いを計っていた。

「みんな元気だな。よし、そっちに掛けてくれ。いまコーヒーを淹れてくる」

ブラッド・オン・ザ・トラックス』までのボブ・ディラン

( ・3・) まずはバイオグラフィからだな。ボブの経歴をざっとまとめてくれ。

――いえ、それをやっていると時間がなくなるので、今日は『ブラッド・オン・ザ・トラックス』というアルバムだけを聴きます

( ・3・) それにしたって、そのアルバム位置づけくらいは踏まえないと。

――では、Rate Your Music のページを見てください。

https://rateyourmusic.com/artist/bob-dylan

――アルバムが発表順に並んでいますね。デビューしてまもなく、1963年最初ピークが訪れます。このころのディランがお手本にしていたのはウディ・ガスリーで、ギターハーモニカ、歌というフォークスタイルで世に出ました。

( ・3・) 「はげしい風が吹く」か。

――「はげしい雨が降る」と「風に吹かれて」です。ディラン1941年まれなので、22歳前には代表作を発表していたことになります

( ・3・) 詩人早熟なんだよな、たいてい。

――1965年から66年にかけて、二回目の、そして最大のピークが訪れます演奏フォークからロックへ変わり、詩の内容も変わります

( ・3・) どう変わるんだ。

――初期の詩は、一言でいえば真面目で、真面目な人たちに支持されるものでした。そこに、散文的な感覚では理解できない要素が入ってきます。「イッツ・オールライト・マ」「デソレイション・ロウ」「ジョハンナヴィジョン」といった大作が次々に書かれるのがこの時期です。

( ・3・) 理解できない要素というのは?

――たとえば、「ジョハンナヴィジョン」はこんな感じです。

Inside the museums, Infinity goes up on trial

Voices echo this is what salvation must be like after a while

But Mona Lisa musta had the highway blues

You can tell by the way she smiles


( ・3・) 「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限消滅に急ぐ。故に一般東方より来りし博士達に倚りかゝりて如何に滑かなる没食子が戯れるかを見よ!」

――どうしました?

( ・3・) 西脇順三郎だよ。よく分からない詩には、よく分からない詩で対抗だ。

――なぜ対抗しなくてはいけないんですか?

( ・3・) ただなんとなく。

――はい。続けますが、1960年代後半は、ロックが急成長する時代です。しかし、ディラン自身は、その運動の先頭に立とうとはしません。1969年の『ナッシュヴィルスカイライン』は、カントリーアルバムでした。

( ・3・) 帽子に手を添えてにっこり。

――捉えどころのない人である、というディランイメージは、このころにはできあがっていたと思います。そして、三回目のピークが訪れるのは、1975年

( ・3・) 『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だな。

――録音は1974年なので、33歳のとき作品です。

( ・3・) 33歳。――それだけ?

――伝記的な情報はいろいろあるのですが――というか、常に伝記を参照しながら語られる作品なのですが――今回は知らないふりをします。「この女性は誰々がモデルから」といったアプローチとりません。捉えどころのない人、謎めいたよそ者であることを行動原理にしている人が、久しぶりに本気を出したらしい、くらいで結構です。

( ・3・) そう、じゃあ聴いてみようか。1曲目は――

――1曲目は後にして、2曲目から始めましょう。「シンプル・トゥイスト・オブ・フェイト」。「運命のひとひねり」という邦題がついています

( ・3・) なんで? 有名な曲なの?

――ほかの曲より易しめだからです。ディラン重要な曲を挙げるとしたら、おそらく50位以内には入ると思いますが。

第一タン

オーディオ

https://youtu.be/sGnhyoP_DSc

歌詞

https://www.bobdylan.com/songs/simple-twist-fate/

They sat together in the park

As the evening sky grew dark

She looked at him and he felt a spark tingle to his bones

’Twas then he felt alone and wished that he’d gone straight

And watched out for a simple twist of fate


――ディラン歌詞は本人のサイトで公開されているので、それに基づいて進めていきましょう。では最初のスタンから、どうぞ。

( ・3・) 訳すの? 俺が?

――訳ではなくてもいいので、どういうことが歌われているのかを説明してください。

( ・3・) 夕暮れの公園男と女がいた。女に見つめられると、男は体の芯に火花が走るのを感じた。彼が孤独を感じたのはそのときだった。彼は思った。まっすぐに歩いていればよかった、運命のひとひねりに気をつけていればよかったと。

――はい特に難しいところはなかったと思いますが。

( ・3・) そうだな。恋人たちがいい雰囲気になっているのかと思いきや、なんだか雲行きが怪しい。急に孤独を感じちゃったりして。

――人は恋に落ちると孤独を感じるものではありませんか?

( ・3・) そうなの? で、まっすぐに歩いていればよかった、というのは比喩的表現だな?

――もちろん。

( ・3・) われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き公園なかにありき――

――?

( ・3・) ともかく、この男はあるべき道を見失って、運命の力が自分に働きかけているのを感じているわけだ。でも運命って、注意していれば回避できるものなんだろうか?

――回避できたら運命ではないような気もしますね。

( ・3・) 運命からねえ。

脚韻について

――次のスタンザに進む前に、脚韻の形式を見ておきます。2小節ごとに改行を加えると、以下のようになります

They sat together in the park

As the evening sky grew dark

She looked at him and he felt a spark

Tingle to his bones

’Twas then he felt alone

And wished that he’d gone straight

And watched out for a simple twist of fate


( ・3・) 1行目・2行目・3行目の park, dark, spark で韻を踏んでいるな。4行目・5行目の bone(s), alone もそうだ。それから6行目・7行目の straight, fate も。

――はい。この形式は次のスタンザ以降も同様です。

サブドミナントのひとひねり

https://twitter.com/kedardo/status/1241415360672219137

――ついでにコード進行確認しておきます。これは実際に鳴っている音ではなく、説明のために簡略化したコードです。元のキーはEですが、ここではCに移調しています。 [1]

( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。

――まずは1小節から8小節目まで。何か気づいた点はありますか?

( ・3・) 見たままじゃないか。ド、シ、シ♭と半音ずつ下がっていって、ラに落ち着く。

――はい。ラはサブドミナントコードであるFの構成音です。しかし、まだラは終点ではありません。

( ・3・) 半音下降は続くよどこまでも。

――Fの次のコードFmです。どの音が変化しまたか

( ・3・) Fの構成音は「ファ・ラ・ド」で、Fm構成音は「ファ・ラ♭・ド」だ。長三度のラが短三度のラ♭になる。なんだか言うまでもないことを言わされているようだが、どこに誘導しようとしているんだ?

――ラからラ♭へ半音下がることによって、コードに影がさします。その箇所ではどんなことが歌われていますか?

( ・3・) 「彼が孤独を感じたのはそのときだった」

――はい。彼が孤独を感じるのは、サブドミナントコードメジャーからマイナーに変化するときなんです。

( ・3・) ああ、それが言いたかったのか。つまりコード進行歌詞の内容とが結びついている、と。

――そうです。それから、もう一点。この曲は、コードが頻繁に変わる曲でしょうか。それとも、あまり変わらない曲でしょうか。

( ・3・) また誘導が始まった。1小節から10小節目までは、2小節ごとにコードが変わる。C7からFへの進行を除けば、コード構成音のうちのひとつ半音下がるだけだし、曲のテンポゆっくりだし、あまり変わらないんじゃないか

――はい11小節から12小節目、"and wished that he'd gone straight" と歌われるところはどうでしょう

( ・3・) ここは2拍ごとにコードが変わる。あまり動かなかったコードが動きだす感じだな。

――"and wished that he'd gone straight" の "straight" は、この曲の旋律で最も高く、長く、強く歌われるところです。コードの動きと旋律との関係を見ると、11小節目に助走が始まって、12小節目の頭で大きくジャンプするようにできています

( ・3・) ……ハーモニック・リズムと言えば済む話じゃないのか?

――その用語は使わず説明していたのですが。

( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。

小休止

( ・3・) はっさく食べる?

2020-03-20

地下鉄サリンから25年経ったらしい

地下鉄サリン事件から25年も経過してしまったらしいんだが、人間信心や盲信につけ込んだビジネスは後を絶たないんだな。ネット上のサロンビジネス子宮系もその他の新手のカウンセリングやらも、全て新興宗教の亜種だと思うんだよ。

誰々のサロン会員になれば得できる!セミナーに行けば手っ取り早く儲かる!誰々を崇めれば宇宙エコヒイキされる!…そんな安直なもんかね。教祖信者構造しか見えない。

心酔することによって「自己満足」という幸せを買うんなら、好きにすればいいと思う。音楽ライブに行って「あー楽しかった」となるのと同じだから。ただ、ああいうのにお金を使う人は、その先に自分の望む現実が待ってると思ってる節があるじゃん?はたしてどうなんだろうね。教祖様の提示する夢やヴィジョンお金を払っているだけなのでは?と思うんだよ。

結局偶像崇拝するんなら、神社仏閣がおすすめだよ。惨たらしい天災に遭った人からすれば、神も仏もこの世には存在しないものかもしれないし、信心の先に救いがあるとは限らないんだけどさ。少なくとも、何十万ドブに捨てましたみたいな、ぼったくりはないよ。

2020-03-03

ヴィジョンを持ってる人って何ていうの?

visionalistかと思ったら幻想主義者って出てきた

2020-02-21

アヤワスカ合法トリップの探求者になりたい人へ

アヤワスカ、という幻覚剤があります。今のところ、日本では合法です。古くは南米ペルー部族神聖祭りに使っていたお茶であり、ウィリアム・バロウズがそれを求めてはるばる旅したという代物です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%83%AF%E3%82%B9%E3%82%AB

最近、このアヤワスカを自宅で手軽にできる方法がまとめられた『雑草で酔う』という本が出版され、話題になりました。実践している人もかなり増えています

著者の青井硝子氏(@garassan)は、日本でこれを広めた功労者です。それはすごいことだし、その功績は認めます。ただ、今は完全にスピリチュアルなアッチ系の人になっちゃってます

私が言いたいのは、もしトリップの探求者になりたいのならば、青井硝子のスピリチュアル体験記などの文章は一切読まないほうがいいということです。

青井硝子は自身幻覚体験を「精霊」だとか「オーラ」と言った古典的スピリチュアル用語表現しています別に、本人がそういうイデオロギー選択するのは勝手なので良いんです。ただ、アヤワスカ精霊オーラなのかというと、断じて違う。

そもそも原-アヤワスカ体験言葉表現できるものではありません。イメージ、と言っていいのかすらわかりません。ただその体験には、その人が無意識のうちに秘めているトラウマ価値観が反映されます。そしてそれを各々、いろんな形で言葉にして体験記として表現しているに過ぎません。

もちろん、DMTアヤワスカの成分)の傾向として、誰がやっても共通している部分もあると思います意識と体が離れて別のところに行くとか、思考がとにかく本質的になるとか。

でもその根幹部分以外は、各個人無意識性質による影響が大きいと思います。それはある意味、各々のイデオロギーの発露です。それをどう解釈して、どう表現するかは自由だし、無限可能性があります

それなのに青井氏は、Twitterで、「精霊に会うよね」みたいに自身イデオロギー喧伝します。まあ、それは本人の勝手なのでやめさせる義理はないんですけど、それをやると「精霊に会う」という先入観で、幻覚の中で何かしらの存在のようなもの出会ったとき「これが精霊か!」と思っちゃうんですよ。

イデオロギーって伝染しまから青井氏みたいに界隈で一番影響力のある人がそれをやっちゃうと、彼を見て始めた人の多くはそのイデオロギー感染する確率が高いです。そうすると段々宗教になっていくかもしれないし(まあ悪徳なことしなければ別にいいんだけど)。

でも実際、幻覚体験を語るということは宗教家とやってることは同じなんですよ。キリストしかり、ブッダしかり。そしてそれらの宗教イデオロギーの中で最も強度が高かったもの今日まで残っているわけです。

話が逸れましたが、なにより大事なのはアヤワスカにはもっと無限可能性があるのに、そういう偏ったイデオロギー幻覚体験誘導するのはもったいないってことです。

青井氏の界隈の内側に入って、体験を共有しつつ実践すれば、青井硝子的宗教観を探究することができるでしょう。でもアヤワスカはそれだけではない。

その人が信じているものや好きなもの、嫌いなもの、全てが影響して、その人自身の秘めたイデオロギーが反映されたヴィジョンが見えるはずです。

私は何度も飲んでますが、何かしらの存在のようなものを感じてもそれが「精霊」だなどと思ったことは一度もありません。むしろ哲学にどんどんのめり込んでいくばかりです。

なので、もしこれからアヤワスカやってみようという人がいたら、青井氏のTwitterブログを見ることはおすすめしません。先入観を持たずにやってみることをおすすめします。

あ、ただし彼が運営している青井堂というウェブサイトの、アヤワスカを飲む上での注意点とかは読んだほうがいいです。というか、しっかり読んでください。その辺の事故への注意とかはすごくちゃん調査して情報を共有してくれている人なので、その点は信用できます

あと、トリップの探求とかは全然興味なくて、ただ日常生活で辛いことがあったりとかトラウマを克服するために飲んでみたい、でも自分でやり方調べたり準備するの難しくてわかんないって人は青井硝子がやってるお茶会に行った方がいいです。

やっぱり一番経験豊富事故対策ちゃんとしてると思うし、ヒーリングの実績も積んでいるようなので。

アヤワスカは上手に使えば、自分の考え方を変えたりとか、生きる上で役に立ちます。でも、イデオロギーを刷り込むのにも使えてしまうわけです。青井氏はその辺、わかっててやってるのか無自覚なのか知らないですけど、スピに走りすぎてて、自分客観視できてないように感じたのでこれを書きました。

アヤワスカをやる時は、先入観にとらわれずに自分の内側と向き合うのが良いと思います青井氏以外にも色々と体験記を書いている人はいますが、あまり気にしないほうがいいです。落ち着いて自分内面と向き合って、受け入れてください。

そしてもちろん、よく調べて、絶対事故のないように。

2020-01-27

テン年代俺的最強ゲームベスト10

いちゲーオタ中年男性ハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。

特別賞『Doki Doki Literature Club!(ドキド文芸部!)』(2017/PC

のっけから特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。

でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。

個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現絶対不可能

本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。

でも、これだけは言わせてほしい。

本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。

その(一見破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対

ああ、すっきり。

では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます

10位  『ASTRO BOT Rescue Mission』(2018/PSVR)

「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」

ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。

僕はかなり潔癖症から、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。

けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVR新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。

ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。

9位  『ショベルナイト』(2014/PCほか)

「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」

あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。

プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品であるアイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。

そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。

8位  『Undertale』(2015/PCほか)

このゲームの印象を喩えて言うなら、

久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感嫉妬軽蔑と相いれなさのような感情腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。

正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。

もし未プレイだったら、このゲームはできればPCsteam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリコンシューマー勢なので、ゲームPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利ナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。

作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二糸井重里系譜に連なる倭人王道シナリオコピーライターと感じる。

確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。

2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。

7位  『デラシネ』(2018/PSVR)

その山の森の奥には古い洋館があった。

庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。

君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。

俺は黙って君を見つめていた。

君は俺に気づかない。

俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。

ああ、なんだかこのゲームやってると批評目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。

本作は「VRで描かれた古典的AVGアドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。

VRしか描けない世界情緒に対して、あまり意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。

『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。

6位  『バウンド 王国の欠片』(2016/PS4/PSVR

もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。

かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女サイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。

しかPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。

画を作っているサンタモニカスタジオゴッド・オブ・ウォー風ノ旅ビト他)の仕事はいだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事白眉と言える。

とにかく、思わず自分少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつ世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。

そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」しか言い様のない儚い感情だ。

5位  『INSIDE』(2016/PCほか)

書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。

が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。

実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。

終盤の怒濤の展開と比類なき生命描写インパクトに心奪われるが、本作の真骨頂木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔心持ちを強く喚起させる。

俺にとって『INSIDE』とは、自己内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分世界との乖離自覚するための尖った注射針であり、神なき世界宗教である

灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。

4位 『スプラトゥーン』(2015/WiiU

人の生には「もっと幸福な時期」というものがたしか存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。

俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっと幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから

そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったか確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。

プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。

が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。

その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。

ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっと幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的理由だ)。

ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。

3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である

3位  『ARMS』(2017/Switch

それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元昇華された「理想的格ゲー」であった。

スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。

そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。

やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアル大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初最後だろう。

余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。

いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sportsゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。

2位 『Rez infinite』(2016/PSVR

2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。

2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器PS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。

AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後体験だった。

それは精神開放であり、身体解放だった。言葉遊びに非ず。

これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。

そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。

1位 『とびだせ どうぶつの森』(2012/3DS

Rez infiniteからまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。

あれだけ昔からどうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか? 

お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。

だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から仮想世界」における、人間存在理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。

一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中ゲームファンに「もうひとつ世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつ生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。

どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。

が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。

それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズド世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——

要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的神秘的なアトモスフィアに由るものだ。

カフカ『城』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。

そういうわけで、本作を迷わずテン年代1位に据えたいと思う。

※※※※※※※※※※

長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました

余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。

でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分重要度みたいなものぼんやり浮かび上がってきたので。

異論提言はもちろん、よかったらあなたテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。

ああ、10年はDECADE(でっかいど)。

2019-12-13

自分がわからない、なおしたい

就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去自分他人に思える」「自分気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活問題ではない」と判断した。

実家帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたもの他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。

それは、私が自身問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。

浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。

何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。

このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。

この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去ことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。

「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」

「私はパニック障害発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」

「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」

「私は友人たちと楽しく生活することができる」

「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」

マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。

私は過去自分を強く否定して、現状の自分肯定しようとした。その結果、過去現在とのつながりが断ち切られ、自己連続性を失った。

私は過去自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。

カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分気持ちを抑えるから他人気持ちにも鈍感になる。過去自分を抱きしめてあげなさい」

抱きしめる?過去自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?

その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分中学生自分小学生自分。こんなことは初めてだった。

彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。

小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。

カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。

弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。

そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。

中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。

話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。

母は私の発作を思春期特有不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。

今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。

でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科ソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。

私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。

パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間ひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。

「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。

そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニック孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。

私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。

大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数人間関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。

私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定自分も、全て否定した。

から私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。

うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。

私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。

私は最後まで、高校生の時のことは話せなかった。

浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。

人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。

このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。

私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客コミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているか大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。

不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。

そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。

カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。

真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。

自己像 関係 気分の不安定目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアルセックス反社会性と悲観的態度が顕著である

どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。

それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。

実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。

ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要タイプ問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論自分押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。

私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達わたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。

私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。

くじけそうになったとき自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。

対人関係自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。

1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安

2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式

3. 同一性障害:著明で持続的な不安定自己像又は自己

4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの

(例:浪費、性行為物質乱用、無謀な運転、無茶食い)

5. 自殺の行動、素振り、脅し、又は自傷行為の繰り返し

6. 顕著な気分反応性による感情不安定

(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安

7. 慢性的空虚

8. 不適切で激しい怒り、又は、怒りの制御の困難

(例:しばしば、かんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)

9. 一過性ストレス関連性の妄想観念、又は重篤な「解離性症状」 (注2)

2019-12-07

anond:20191207104706

これ。

から自分たちヴィジョン」を打ち出せなくなるのね。自民が乗っかってきたら協力しなきゃならなくなるし。

2019-11-15

ハンマーを持つと現実世界のあらゆる場面で釘が浮き出る「強調釘映像アーギュメントネイルヴィジョン)」って特殊能力が開眼するってマ?

身近な工具ひとつ人間は変われるんだよね…

2019-10-18

あなたイメージする「公共の場」とは?

公共の場」と聞いて脳内にどんな感じの情景(ヴィジョン)が浮かぶ

2019-07-24

アンチお嬢様宣言

私には明確な「こうありたい」という人生目標はないが、「こうなりたくない」という像がある。地元企業一般事務として勤務し、そこそこの年齢で結婚して子供を生み、一生コミュニティを出ないような人々だ。

そのような人間は高確率お嬢様だ。親(特に母親)との仲が良く、ブランド品を身につけ、気まぐれで海外旅行する傾向がある。

私がそのような人間に恐怖と憐れみを感じるのは、自分も一歩間違えたらそちら側になってしまうからだ。

中学高校の6年間は女子校に通っていた。

残念ながらキレ者揃いの学校ではなく、比較のんびりとした学生が多い学校だった。私もその中でのびのびと学生生活を送った。

もちろん、クラススクールカーストトップ層が仕切っていて、文化祭体育祭ではひと際目立っていた。

派手な女の子と言えど、彼女たちは優しかったしとても面白かった。しかし、じっくり話すと話題に上がるのは他人の噂話ばかりで、空っぽプラスチックのような印象を受けたのだ。

大学生になり、一度彼女らと会った。彼女らは口々に「腰掛け仕事に就きたい」「金持ちを捕まえたい」「地元でたくないなあ」とこぼした。そして同級生の色恋沙汰をつまみに酒を飲むのだった。

もちろん、生き方は人それぞれだ。自分人生に満足していたらそれでいい。ただ、主人公的な生き方ができないことに恐怖を感じるのだ。閉塞感の強いコミュニティの中で、井の中の蛙になるだなんて惨めすぎる。私はもっと他の場所活躍しなければ、という焦りが出てきたのだ。

極め付けは母の一言である。「○○ちゃん地元就職して結婚するっていう具体的なヴィジョンがあるのに、あなたは何故いつも地に足が着いてないことをボヤいてるの?」と。

この言葉を聞いた時、とてもショックだった。母こそは理解してくれていると信じていたのに。と同時に私は必ず自立してこの町を出なければという意思が明確になった。

同じお嬢様でも自分の手で道を切り開くお嬢様になろう。広い世界を見渡そう。私の中身は戦士であると信じている。

2019-05-22

anond:20190522152614

インフィニティストーンの複製は作れない

たぶんヴィジョンのことを言ってるんだと思うけど、あれは石を切り離そうとしてただけ

2019-05-14

anond:20190514110835

俺も絵を描くオタクだけど、

お前みたいなやつって男のオタクにもいるけど、

本当に理解できない


まず俺は自分の絵が一番好きだし。

俺より上手い人が沢山居るのは事実として認めてるけど俺が一番好きなのは俺の絵。

そう言える程度には俺は自分欲望ヴィジョンが明確だし、それを形に出来る画力が(まだ全然不完全とはいえ)ある。

実際絵をネットに上げたら「おっ」「あんたの絵好き」的なこと言われないことはないからね。

要するに揺らがない自信家なんだよ。

俺より技術が高くて俺よりずっと評価されてる人は大勢いる。

でも俺は俺の絵が一番好き。


あんたはそうじゃないわけでしょ?

それがうざい。

俺は自分より上手い絵を見て、それが自分の好きなテイストなら、好きだなあと思うし、取り入れていくだけ。

あんたみたいに感情的なああだこうだはない。

他人評価も気にならない。

単純に「好き」って言われリャうれしいけど、世間一般の鑑定眼なんか全然信じてないから。

世間過半数はふしあなだと思ってるから

人の絵で凄いいい絵なのにRT数少ないとか普通にあるし。

話題の素材つかったり言及やすい形にしたりすればRTなんか伸びるし。

そんな数字に何の意味がある?


俺は自分が好きな漫画嫌いな漫画根拠付けて完全に説明出来る。

それが出来ずにぼんやりとしてる奴はみんなが褒めてれば褒めるし叩いてれば叩く。

みんなが褒めてる場で批判的なコメント見ると「荒らしだ!」って怒るし、叩きの場で褒めてるの見たらそれも怒る。

いまネットの一部でヒロアカ粘着質に叩いてる奴らがいるけど

俺はあいつらが遅ればせながら言ってるようなツッコミは初期に言い終えてたからね。

その時はみんな褒める流れだったから俺はしょっちゅう荒らしだと言われた。

そいつらがずいぶん遅くなってあの漫画微妙だと気付いて、あと周りがみんな叩いてるからって理由で叩くようになってる。

頭が悪いからぼんやりとその場のなりゆき感情と周りの反応で生きてる。


あんたもどっちかって言うとそのタイプなわけでしょ?

絵を描く人間なのに頭がぼんやりしてるわけだ。

RTの数に心が動いて、自分の考えや価値判断の芯が無いわけだ。

しょーもな。

ほんとくだらない、豚タイプ存在だよね。

タイプ人間進化することってあるんだろうか。

死ぬまで豚タイプなんだろうか。

人間進化出来たらここに報告に来て。

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