はてなキーワード: ヴァーチャルとは
そしてバーチャルネットプリーストさやさや16歳が月ノ美兎だった。
元々VNIは『侍魂』や『ろじっくぱらだいす』といったテキストサイトの流れを汲んで生まれた。
ちゆ12歳はその影響を明言しているし、
その後生まれたVNI四天王も同じく「自分たちはテキストサイトである」という矜持を口にしていた。
ちゆ12歳の影響を受け様々なVNIが生まれたがその過程で生まれたのが
彼女は現パズドラ運営でおなじみのガンホーが運営するMMORPGラグナロクオンライン(以降RO)の
そしてバズった。
さやさや16歳はちゆ12歳に影響を受けて始まったVNIだった。
だが、それ以降「さやさや16歳に影響を受けて始めるROVNI」が大量発生した。
彼女(暫定)らは自身が「テキストサイト」を運営するものであるというという意識よりも
「ラグナロクオンラインのプレイ日記」を投稿するものであるという意識が強かった。
つまりここでちゆ12歳から始まった「VNI」の流れが分断されてしまう。
その後、あふれかえるROVNIに対して「こんなものVNIと呼べるのか」などという反発が多く起こったが、
テキストサイトは常に「新しい面白いこと」を自分の中からひねり出す必要があった。
だがROVNIはROをプレイしてそのプレイ日記を投稿するだけでよかった。
その後、ROVNIはROの凋落ととともに勢力が衰え消えていった。
VNI自体はテキストサイトの凋落と共にもっと早く消えていったのだが。
これは「Youtuberから派生したVtuberであるキズナアイ」と
「キズナアイから派生したVtuberである月ノ美兎から派生したVliver」の風景によく似ている。
多くのVliver(ヴァーチャルライバー:Vのガワを被った配信者のこと)は、
多くのVliverは自身の出身であるニコ生やツイキャス、ツイッチなど生配信サイトで行っていた活動を
そのままYoutubeLiveという新たな生配信サイトに持ち込んだ。
Youtuberの定義自体が非常にあいまいあやふやであるのでもしかしたら
「いや、俺らは生放送するYoutuberっしょ」と思っているのかもしれないが。
「Youtuberであるという矜持」を持って活動を続けるVtuberもいる。
別にどちらが優れているとかどうのこうのということではない。
ただ、キズナアイが永久スリープに入った今、Vtuber界隈を見渡してみると
昔どこかで見かけた光景だなと少し懐かしくなっただけだ。
企画屋のVtuberもいるし、動画勢のVtuberもいるからそこは別にYoutuberとは変わらんよ。
爆食いする奴もいるし、新商品レビューする奴もいるし、ギャンブルする奴もいるし、料理する奴もいるし。
ただ、見てて思うのは俺らもヴァーチャルに対して期待しすぎていた部分もあるし、
冷静に考えてみたらヴァーチャルであることって何かをやるってことに関してはハードルが上がるんじゃないかってこと。
例えば、ヒカキンがエッフェル塔の上からひもなしバンジーしたら「うおおお、やべえええええ」ってなるけど、
Vtuberがエッフェル塔の上からひもなしバンジーしても「まぁ、ヴァーチャルだったらなんでもできますわな」ってなるじゃん。
どれだけすごいことをやったとしても「でもヴァーチャルじゃん」ってなる。
動画系のVtuberも実写系のYoutuberと同じようにペヤングの新作が出たら食って動画出してるけど、
仮に3Dトラッキングしたとしても実写の人間が食う激辛ペヤングの動画の情報量と、Vtuberが食う激辛ペヤングの動画の情報量の差は歴然なんだよね。流れ出る汗も、苦悶の表情も、手の微細な震えも、ほとんどまったく再現できない。
色々見てきて思うのは結局、ヴァーチャルは実写に比べると解像度が低すぎる。
料理系とか現実に対してアクションを起こす系は本気でやればやるほど「実写のパート」に「ガワをくっつけた」ものになる。
そして、ヴァーチャルじゃないとできないことをやればやるほど「でもヴァーチャルじゃん」ってなっちゃうし、
そっちに踏み入れれば踏み入れるほど「CGアニメーションでいいじゃん」ってことになっちゃう。
Vtuberがどんだけ凝っててすごいライブをしたとしてもpixerが本気でライブするアニメ映画作ったら余裕で吹き飛ばされる。
現状、Vtuberの立ち位置って「現実世界にもCGアニメーションにも情報量で遠く及ばない」という中途半端な位置にとどまってる。
「ドリアン」という匿名で音声投稿できるアプリを開発しています。
ユーザが自分の名前を決められるのですが名前が結構独特だったりします。
学校をモチーフにしたサービスなので所属する架空の高校名を決めてもらうことにしています。それがユーザ名となります。
理由はよくわかんないです。
今回も4本買ってみた。
増田に半額レビューを書くために無理して買う感じになってきてる。
「【VR】全部かなえちゃう♪ 山中真由美 【3DVR】 教室編」
前回に続いてまた山中真由美だ。そうだ。ファンだ。悪いか。山中真由美のIVがほかの全年齢IVとはっきりと違うのは、官能の表情を浮かべるところだ。全年齢IVでもきわどいマッサージシーンなどはあるが、基本的に「感じる」演技はない。くすぐったがってケラケラ笑うくらいが表現の限界。しかし山中真由美の場合はだんだん表情がトロンとして目が据わってくる。やがて「ウン…」「フゥ…」などと悩ましげな吐息などを漏らし始める。得難いよな。
「【VR】VGF ヴァーチャルガールフレンド 鈴原りこ【浴衣&水着でお風呂でイチャラブ】」
全年齢IV。去年リリースした2Dイメージ作品「NGなし」ではまさかの放尿シーンに挑戦して全俺をアッと言わせた鈴原りこだがVRでの表現はおとなしい。2Dでは攻めるモデルでもVRでは露出が2、3段階落ちてしまう現象はなんなのだろうね。VRはカットを入れない長回しが基本なので演技が守りに入ってしまうのだろうか。しかし本作で鈴原りこはイメージVRとしては珍しく手ブラまで踏み込んでくれている。終盤の5分くらいはずっと手ブラだし、わずかに揉んだりもしてくれている。得難いことである。
「【VR】【野外BEST 240分】開放的に気持ちよくなろう! ~プール・校庭・公園・温泉・バス停・洗車場・雑木林で中出し/乱交/痴●/レ○プ/CFNM/パンチラ鑑賞!VRで飛び出せ外に!~」
野外モノばかりを集めた総集編。「過去に発売したSD作はHQに画質アップして再収録!」とあったので期待して買ってみたのだが完全に期待はずれだった。高解像度マスターからあらためて再商品化したのではなくSD作品を単純にアップコンバート(拡大リサイズ)しただけのようで、お世辞にもHD画質とは言い難いしろものだった。もしこれを買うならSD版でいい。宝田もなみ嬢がエロかった以外は得るところがなにもないハズレだった。
「【VR】 最初から最後まで115分全部がヌキどころ!!バイト先のファミレスが暇すぎて、お互いバレないように入れ替わり立ち替わり目の前へやって来ては「誰が最初に抜け駆けSEXできるか選手権」を始めたヤリマン女子○生バイトたちとノンストップ数珠繋ぎSEX!!」
内容はタイトルの通り。出演女優は深田結梨、堀北わん、河奈亜依、桜美ゆきなの4名。シチュエーションも制服も女優さんも好みでそこそこ楽しめた。ただ、全編を通して場所がファミレスのテーブル席に固定されているので色々な意味で変化に乏しくすぐに飽きてしまった。あと、全員最後まで服を着っぱなし(せいぜい胸をはだける程度)なのは消化不良。そういう最後まで脱がない作品もけっこう多いよね。自分はどこかのタイミングですっぽんぽんになってほしい派である。
フランス人のサッカー選手がフランス語で日本人/アジア人を差別する発言をしたことに関して、フランス在住の日本人作家が「これは差別発言ではない」と擁護していた。これを擁護した理由は、彼が「仮想的(ヴァーチャル)フランス人」になりきっているからだろう。
昔から日本では「仮想的(ヴァーチャル)外国人」になりきって「日本/日本人はダメだ。ただし『ヴァーチャル外国人』である自分は例外とする」というスタイルで、自分たちが棄てた日本や日本人を腐すビジネスを行う人間がいる。例えば、外国人と結婚してパートナーの出身国に移住し、日本人向けに「ダメな日本人とは異なり、X国人はこんな素敵な生活を送っている」的な日本語書籍を出して小銭を稼ぐタイプの人間である。
万葉集には、桜を詠んだ歌よりも梅を詠んだ歌の方が多い。それは、梅を愛でることが、当時の先進国であった中国大陸の文化だったからである。実は、昔から日本人は舶来信仰が強いのである。それでも万葉人たちは、大陸文化に憧れる一方で、日本列島に生きる自分たち自身の文化を、自らの手で作り出そうとする気概も持ち合わせていた。しかし、現代の仮想的(ヴァーチャル)外国人は、そうではない。日本のダメな部分を何とかするべき当事者としての責任を持つことや、日本を改善する為の具体的な営為に携わる泥臭い努力を、彼らは好まない。それよりも「ダメな日本/日本人のことを罵ったり嘲笑する」ことの方を好む。言うまでもなく、その方がラクだからである。
仮想的(ヴァーチャル)外国人としての思考の持ち主は「日本死ね!」が流行語大賞に選出されれば快哉を叫ぶし、外国人による日本人差別発言に関しては「これは差別発言ではない」と擁護したりする。こんな彼らの根底に有るものは何かと言えば、仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムと、それに加えて、没落国/発展途上国の人間が相手ならば何をしても/言っても許されるという強烈な差別意識である。私は、このような仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムを“盲目的愛異国心”と心密かに呼んでいる。
最近よく「もう日本は没落し始めた国なのだから、その国民である日本人も何かを言う資格は無い」的なことを言う人間を、はてなブックマークでも見かけるが、こういう人間も仮想的(ヴァーチャル)外国人の一つの例と言えるだろう。これも「日本がダメになったのは自分以外の日本人の責任である」という考え方である。
さて、人間は大なり小なり、他者を差別する欲求を持つ。とはいえ少し知恵が身に付くと、己の差別意識をそのまま表明することは、社会的に良ろしくない振る舞いであると(よほどの愚か者ではない限りは)学習する。その時、真っ当な人間たちは、差別をしない方向に努め始めるが、他方では、何とか理屈を付けて合法的(?)に差別欲求を満たしたいという明後日の方向に努力する人間も現れる。そんな彼らが編み出したのが、仮想的(ヴァーチャル)外国人になりきって、日本/日本人を馬鹿にすることで、己の差別欲求を満たす手法というわけである。「日本や日本人を罵ったり嘲笑することは、差別ではない。何故ならば、言っている自分も日本人だから」という理屈である。
「これは嘲笑や罵倒ではなく、自嘲的な批判である」「ダメな日本/日本人を何とかしたいと思っているからこそ、敢えて汚い言葉を使うのだ」という論法も頻繁に用いられる。そんな彼らの言う「ダメな日本/日本人」に、彼ら自身が含まれることは決して無い。彼らの中では、あくまでもダメなのは「彼ら以外の日本人」である。また「日本を良くしたいから汚い言葉を使う」とは言うが、その汚い言葉使いを、彼らが属しているつもりになっている、仮想的母国であるX国を相手に使うことは無いと言っても過言ではない。欠点の無い国や過ちを犯したことの無い国は存在しないのだから、従って、彼らの精神的・仮想的(ヴァーチャル)母国に該当するX国も、日本と同様に汚い言葉で罵ったり嘲笑しても構わない筈なのだが。
件のフランス在住作家や、彼のサッカー選手擁護を鵜呑みにしていた人間たちも、仮想的(ヴァーチャル)フランス人になろうとしているようである。それだけならば、別に彼らの勝手だから好きにすれば良い話ではあるのだが、しかし彼らのしていることは、畢竟「おフランスのダンナ。あっしは他のニホンザルと違って、ダンナのすることに逆らいやしませんからね。あっしのことを、他のニホンザルと同じに扱わないで下さいね?あっしはダンナと同じく『フランス人』ですからね?」という阿り以外の何物でもない。ビリー・アイリッシュのC-word発言映像に対して「自分はアジア人だけど気にしない」と、彼女に阿るコメントをする日本人やアジア人が多数いたのも、これも同じ動機である。
日本人(アジア人)としてのダメな部分に、きちんと当事者として向き合っていないから、いざ日本人(アジア人)差別に遭遇した時に「これは差別ではない!非日本人(非アジア人)に生まれ変わった現在の自分が、アジア人差別なんかに遭うはずが無い!」と現実逃避する羽目になるのである。
X国の部分をフランス以外の国に入れ換えれば、同じことをしている人間は沢山いる。貴方の周囲にだって、一人や二人はいるだろう。そういう人間は、件のフランス在住作家と同じ轍を踏む可能性が有る。気をつけた方が良い。
以前失礼だなと思ったことがあるのをなぜか今思い出した。こういう時に増田は便利で、記録しておく。
そのリトイートに、「この人twitterやってるんだ、懐かしいです」みたいな無邪気な投稿が結構あった。
その人は00年代も10年代も、そして20年代も人生を生きてきて、いまトゥイートしているわけで、それなりにずっと著作や文章を著してきた経緯もある。
にもかかわらず、自分の無知を措いて、無邪気に「この人」とか「twitterやってるんだ」というのはどうなのか。
ネットのヴァーチャルな世界とはいえ、人生の重みをあまりにも軽視した迂闊な投稿なのではないか。
フォロワー1000万人に配ったら、まあ数万で終わるよね
人件費のほうが大変そう。
超展開を期待はしている。
お金ってゆってるから、なんちゃらポイントにはならないだろうけど。
けど、なんちゃらポイントってのもあれで、例えば、楽天ポイントなんかは、コンビニでも使えるし、
コンビニやスーパー、服とかも買えたら、あとは家賃とか光熱費とか税金とかだけになるし、光熱費なんかはクレカ払いにしてたらポイントで払えたような気もしないでもない。
SFとかでよく、日本円とかが価値無くなって、ヴァーチャルマネーが主体の世界が描かれてるけど、怖すぎて誰も踏み込めないんだよね。
法律追いつかないだろうし。
けど、ビットコインとかもあるし、バーコード支払いも普及してきたから、そのうち……、いや日本が先陣切ることはないか……
よほどのことがなければ。
とにかくに2万円とか1万円とかはいらない。
貰うのは貰うんだけど。にしても1000万人にくばるのたいへんそう。この後の展開が読めない。
前澤さんクラスのお金持ちをあと何人か何十人か集めたとしても、現金とかでもってるわけでもないだろうしなぁ。
やっぱり一人数万とかで終わるのか、それはめちゃめちゃつまんないよなぁ。
特に深いことを書く気はないけど、数年前から愛用していたKyashがここまで悲惨になり、耐えられそうにないので書く。
昨日発表されたけど、Kyashは進歩した。毎月指定銀行からの自動入金を行えるようになった。これは手数料なしに手元に現金を持ってこれることを意味する。給与が入っても現金をおろすのは面倒だし、こういう自動入金は便利だ。提携する銀行の中には、俺が愛用するSBIネット銀行(NeoBank)も含まれる。これはいい。
が、あとは全然駄目だ。何よりクレカがほぼ意味をなさなくなった。2月4日以降は任意の金額でクレカチャージができなくなり、しかもポイント還元も0.2%と全盛期の10分の1となった。でも低い還元率はまだ許す。問題は去年の段階で導入されたKyashヴァリューだ。銀行や現金チャージのみしか個人間送金ができず、クレカチャージ分は買い物にしか動かせなくなった。Paypayとかと一緒。
なんと俺はこのクレカチャージをあと8万残している。戦闘力だったらフリーザの7分の1だ。
1%還元のdカードでチャージしたから損はしていないが、0.2%にはなんの旨味もない。仮に一括で8万を支払っても160円が戻ってくるだけ。意味がない。しかも家族に小遣いとして分けることもできない。なんという無駄なお金か。せっかくチャージしてもSuicaと変わらない。ならSuicaでいいじゃん。Revolutとかに配ることはできるけどそういうアクロバットなことをせずもっと自由なお金を使わせて欲しい。それもこれも、この8万を使う予定のイベントがコロナで中止になったのがそもそもなんだけど、それにしても魔が悪すぎる。いったいKyashはどこで道を間違えたのか。
Kyashが登場した当初は個人間送金が簡単に行える便利アプリだった。個人間送金と聞くと面倒そうに見えるけど、単純に銀行を介さずに知り合いにお金を送れるサービス。海外では非常に盛んだよね。当時の日本ではPaypalやLinePayが有名だったかな。日本人には銀行振込が一般的だけど、割り勘とかハンドメイドの気軽な売買には向かなかった。そこにKyashという新参が入ってきて、さらに2%現金還元のリアルカードなんてのも投入した。ここで爆発的にユーザーが増えたと思う。俺もこの時期に知った。
個人間送金とはいうものの、KyashのはVisaプリペイドを使ってそれをやり取りするだけのものだ。前払式支払手段のみでこういうことをしたのは日本では初めてだった。誰もが思う「Suicaの残高を誰かに直接贈りたい」を現実にした形なわけ。suicaより柔軟で、しかもヴァーチャルとリアルがリンクしているという画期的なサービスに思えた。いまでもそう思う。少し前に話題になった「osushi」という投げ銭サービスは資金移動業というお金をダイレクトに送るサービスだったから、色々叩かれた。Kyashはもっと簡易的な方法で擬似的にお金をやり取りする仕組みだ。資金移動業もいらなかった。おもちゃ感覚なのに手応えがあって面白くてわかりやすい。2%還元されるし、決済にしてもクレカより即時表示されるし、zaimにも連携できるしでかなり満足していた。
https://paymentnavi.com/paymentnews/64573.html
旗色が明確に変わったのはKyashCardの頃だろうな。その前から「2%→1%」「還元方法の変更」ときな臭くなってきた。そして資金移動業に手を出したのは完全に間違いだったと思う。銀行に近い業務をできる代わりに銀行には永遠に並べないものを取得してどうするんだろう。銀行から開放されたいという人を無視し、銀行っぽいことをしようとするなよ。簡易的だけど気軽にお金を個人間でやり取りできる便利グッズ、という立ち位置を捨てるような魅力が当時のPay界隈には会ったのだろうか?ニッチな分野だからこそ輝いたKyashの理念はもう見えない。
悪いことばかりじゃない。3Dセキュアに対応したし、カードはかっこよくなったし、Visaタッチ決済使えるし、他のプリペイドの橋渡しもできるし簡単な家計簿機能もついた。今はまだ便利なカードのまま。でもこれからどんどん退屈なサービスになっていくんだろうな。
2%が0.2%になったことよりも、チャージしたお金が自由に引き出せないのが辛い。元から単なるプリペイドだったけど、当初は現金を超えた存在だったことを考えると、この落差は遊戯王における混沌帝龍(カオスエンペラードラゴン)並の弱体化を思わせる。
シンプルで画期的で他にはないニッチな便利サービスだったKyashが、他のpayサービスの後追いに近いことをして本当にがっかりだ。日本に個人間送金の文化を根付かせるチャンスだったのに、それを棒に振ってしまった形だ。ネット銀行のほうがずっと便利だなと思われたらおしまいなんだよ。
だけどKyashカード自体はしばらく持っているつもり。もちろん残高やポイントは使うけどKyashがこれらをどうするのか気になるんだ。もしかしたら給与のデジタル払にいち早く対応してくれるかもしれない。逆にキャッシング機能に手を付けたらもうどうでもいいかな。
とりあえず、現在のKyash残高はRevolutや6gramといったカードに振り分けることを考えている。少額の買い物に使っても残念感しかわかず、かといって高額なものを買うまで塩漬けにする理由もない。
例えば、「かぞくのさいふ」を使ってはどうかとも考える。zaimにはオール手動になるが、現金をわかりやすく管理するにはこういう手間も必要だ。
あれ、令和にもなって俺は何をしているんだろう。