はてなキーワード: ワンルームとは
なんかずっと部屋にいるっぽい。
ときどき地響きのようなうなり声が聞こえてきて気持ち悪いんだ。
で、なぜか日曜の夜中に洗濯機回す。
朝の10時ごろになると起きる(カーテンを引く音が聞こえる)。
いっかい隣のおっさんの部屋の前に警察がいて、ん、死体でも転がっているのかと思ったら、「母親から安否確認で来ましたー」だとよ。
親に連絡くらいしたれや・・・、もう、なんなんお前。
俺は在宅勤務で神経すり減らしているのに、無職のおっさんは毎晩ぐっすりかよ。金はねーけど(あんのか?)すとれすふりーってか。むかつくよ。
俺は壁が薄い狭苦しいくそみたいなワンルームの部屋に缶詰になって必死こいて仕事してるってのによ。
なんかね、笑えるし、暴れたくもなるよ、ホントに。
世の中わけわかんねーよ。
約1年のテレワークを経て、弊社は引き続きテレワーク。安心したというのが率直な気持ちだ。
同僚は悪い人ではないけど、自分は度々のスモールトークに疲れてしまう気質。社内チャットぐらいのやりとりの方が気持ちが楽だ。
家でラジオを流しながら仕事をして、気分転換にストレッチをしたり窓をあけて換気したり、とにかく気ままにやれるのがいい。
身体的に支障がないのは、自宅にまあまあなワーキングチェアがあったおかげかもしれない。
仕事量は少し減ったような気がする。ここ1年で残業ほとんどしてない。その点だけは業界が先行き不安ではある。
自分は朝弱くていつもギリギリの出社になるので、もう何年も朝ご飯は抜いていた。
テレワークになってから、通勤時間を朝ごはん時間にあてられるようになった。
ヨーグルトにちょっとだけシリアルを入れたものとか、果物だけとか、ちょっとだけ食べるようになった。それだけで心も健康になれた。
コーヒーも朝から豆をひいてたっぷり入れて午前中にごくごく飲む。最高。
ランチの時間になると近所のキッチンカーやテイクアウトのお店までいく。
散歩がてらコーヒー屋さんまで足を伸ばして食後のコーヒーを買う。
夕飯はもちろん自炊。以前まではよく仕事帰りにすき家とか食べちゃってたので自炊できて本当嬉しい。
時々愚痴ったり、ラジオに合わせてきままに歌ってみたりして良い気分転換になる。
仕事が終わると一緒にスーパーへ行ってからおじいさんは調理場へ、おばあさんは洗濯へ(もしくは掃除へ)みたいな感じで過ごすので日々QOLがブチあがる。
コロナのせいで仕事に余裕が出たこと、同居人がいること、部屋がワンルームではないこと、もともとインドア派で人付き合いが苦手なこと、が良く作用してくれた。
A:不便だけど互いに同じ家に住む仲間だから、互いにそれが低減するように気をつけあおうね
B:不便なのに住んでいるんだから、他人に文句をかけられても自己責任で、文句を言う資格はない
AやBを主張している奴が正当かは、普段から周囲とコミュニティを築いているかによるわ。
完全に都市のワンルームで自分勝手に互いに暮らしているなら、お前の主張する通りBでいい。
きっと隣人はセックスしてた奴がヤクザだったら何も言わなかっただろうし。
でも例えば、実はお前以外の住人がAの立場で、お前だけマンションの互助会をサボっているとする。
隣人はお前の知らないところでゴミ捨て場掃除や建物全体の維持管理を担当しているのかもしれぬ。
そしたらお前にBを言う資格は無いわな。
ダイレクトに注入だ。
たまに外れて手についたりするから注意しよう。
だいたいガムを全部食べ終わる頃に貯液が満タンになるので新しいボトルに交換だ。
今俺のワンルームの部屋の片隅には満タンの貯液ボトルが6本鎮座してるぞ。
夏になったらプンプンしそうだ。
機電系メーカーにいる女だが扱いはそこまでひどくない。もっとも、車系の方がベビーで総合電機の方が緩いと聞く。会社によりけりなのでひとまとめにせずに会社説明会やOB面談なんかで話を聞くのを勧める。
弊社の場合、研修も大したことないし女子寮の方が大抵高スペで私が住まわせてもらったところはワンルームタイプで洗濯機に乾燥機能までついてた!寮の管理人さんに宅配は受け取ってもらえるし超快適だった。ちなみに私は現場研修なくて営業研修だった。支店のお客さんまわりに同行させてもらっただけだけど今思うといい経験。
自分も割とどこにでもいるブスだが彼氏がいないとわかると遊びに行こうと男女問わず誘ってくれて3年目までは根暗でも楽しめる。
仕事でも男と遜色ない仕事…になるかは正直上司次第だがやる気があるフリをしてれば同じように振ってもらえる。ここのところセクハラパワハラは人事がめちゃくちゃ気にしていて(特に女性に対して)早く手を打ってもらえるようになったので部署異動などでわりと片付く。
合う合わないは当然あるのでとりあえず3年とは言わないけど就活の手駒の一つに抑えておくくらいであとは内定もらったところで女性の先輩に会わせて、会話させてとリクエストして実際のとこどうですか?と聞いてみて決めたらいいんじゃないかと思う。あと研究部門の方が設計開発より男男してない傾向なので入るなら面接頑張って研究部門に行くのをお勧めする。
タイトル通り。
そもそも忘れてたけど俺は手の届くところになんでもあってほしかった。実家でも自室のこたつの周囲を円を描くように物を散らかしてた。
それがワンルーム一人暮らしになったら全部が簡単に手が届く。茶を淹れるのも風呂に入るのも全部10歩以内に目的地に到達する。
本を買い込むオタクだったけど最近はだいたい電子書籍に移動してるし同人誌も自炊してるから量はない。パソコンデスクから手の届く範囲におかれた本棚とタブレットで読書も済む。テレビも目の前。
全部が簡単に手の届くところにあるってものすごく居心地良いわ。
しかも一応そこそこ駅チカでどこに行くのも近くて便利。隣の家の音も何も聞こえない。親のいびきが聞こえた実家よりずっと居心地が良くてビビってる。
川崎すでにふつうに外国人めっちゃ多い。韓国人中国人といわずブラジルベトナムネパールその他いろんな国の人がいる。韓国食材店に中国食材店、ブラジル食材の店やインド食材の店もありアメ横行く必要ない。不法滞在とはいわんがギリギリなんだろうなって人も多い。もう10年近く前に事務採用面接できたベトナム人女性と話したがいわく子供の頃に親と一緒に来て数年たつがまともな教育を受けておらずだそうで、実際会話はかなり流暢だったけど漢字読み書きも足し算引き算も危ういレベルだったので採用できなかった。似た境遇の同国人と共同生活してると言ってた。採用できないというとプログラムの勉強すると言って帰ってったが四則演算ができなくてプログラムの勉強は無理だろうなあと同情しつつ見送った。あこの人の話じゃないけど3LDKに10人ぐらい住んでたりワンルームに3人4人と集住してたりでマンション管理組合でゴミがめちゃくちゃ多いとか話題に出たりする。そんな状況になってもう10年以上になるのにわざわざ市外からきて駅前で外国人排斥とか怒鳴られても場違い感が凄いのだが住んでないからわかってないんだろうなと思ったり。
なんか、現実(地球?)じゃないようなところで過ごした時期があったような気がしてならない
生まれてこのかた、ずっと連続して現実だけを生き続けている気がしない
具体的に言うと、俺はリゾートホテルなんかには一度も行ったことがないんだけど、青い海・ラタンのチェアー・天蓋付きベッド!みたいな、典型的リゾートの光景がかなりはっきりと思い浮かべられる
思い浮かべられるというか、あまりにはっきりしているので、「思い出せる」といっていい
この感覚が曲者で、現実には体験したことがないはずのものを「思い出せる」……ということは、俺は現実以外の体験をもっているのでは!?って感じがしてしまうんだよな
夢でみた・映画で見た・ゲームでプレイした…みたいな諸体験が混じってぼやけてリアリティを生んでいるのだろう
……っていうのは分かっていても、やっぱりこう、感覚的にはずっと現実を生きてる感じはしないんだよな〜
最低でも1年とか、なんかこう、しがらみの一切ない安楽な場所で過ごしていたことがあるような気がしてならない
いまこんなに休みがなくて苦しいと感じるのは、その体験と比較しているからなような気がする
窓から青い海が見えるラタンの家具のリゾートで過ごしていたことがあるはずなんだ俺は
あるいは、ただっぴろい草原の中にある、木が一本だけかっこいい感じに生えた小高い丘に寝転がったりするような暮らしをしていた
大学生の頃に出てすぐ割りとなんとなく買って、結婚する前にはもう売ってたような気がする(手放した時期はよく憶えていない)CDを、なんとなくまた最近おもいだしたので検索して、また買った。(そしたらデッドストックの未開封品だった、応募ハガキまで折り畳まれて入ってた)
・・・あの頃は狭いワンルームでスピーカーと低音だけ不自然にデカいのが売りのCDラジカセで独りか二人で聴いてたけど、今は広い、いやあの頃のワンルームくらいだからそんなに広くはないリビングで、やけに薄べったい液晶テレビにHDDレコーダーから通した音で家族に(無理やり)聴かせている。
当時は聴こえてなかった裏メロが聴こえてくる気がするのは、コレを売ったあとに色々と聴いてきた経験がそう思わせるのだろうか。
正確にいうと持て余している。
それにかこつけてプロジェクターを導入しており、
このプレイヤーをありがたく頂いたのは、
プロジェクターから直接発されるペラペラの音に耐えかねたからだ。
さすがに映画を没入して見るためにはプロジェクター直出しの音質は心許ない。
端子がなく、光デジタルケーブルでの分離はどうやら不可能だったために、BTでの音声出力ができるプレイヤーは大変ありがたかった。
ところがfirestickを手に入れたところ、挿すだけで直接firestickからスピーカーにBT接続ができてしまうではないか。
やや音質が心許ない気はするが。
このプレイヤー、Amazonプライムのためにしか使用しないため、完全にお株を奪われた形なのである。
手放してもブルーレイが見られなくなるくらいのデメリットしかない。
売りたいが、頂きものに申し訳ないようなうっすらとした気持ちがある。ミニマリストにはなれないタイプだと実感する。
チューナーにスタックしているので劇狭ワンルームでもさほど邪魔というわけでもなし、扱いかねている。
supercellがヒットした以降にボカロで楽曲を発表した世代は、DTMを始めたばかりで音源を買いそろえる余裕がなかった。
クオリティの高い音源を使用するよりもまず楽曲を作ってリリースしたい世代は、DAWの付属音源で妥協して楽曲を作っていたわけである。
彼らの多くはエレキギターとバンドサウンドから音楽制作を始めており、ベロシティやタイミングの変化で生の楽器を再現するスキルがなかったと思われる。
だから、彼ら自身は根底に生楽器へのコンプレックスがあった。多くのボカロPは音楽制作の経験を重ねる過程で、楽曲に演奏家を巻き込んでいったり、
IvoryやTrillian、addictive drumsのような、より”生っぽい”音源を買って、音質をアップグレードしていったわけである。
(メジャー音源をリリースするに際して、有名なプロを読んで再収録をするケースもあった)
とはいえショボい音源を使った楽曲の中でも、今もカラオケランキングで上位に入るような定番のボカロ曲が生まれて、一般的に認知されている「ボカロっぽさ」が生まれてきた。
YOASOBIのサウンドは、そういった当時の「ボカロっぽさ」をジャンルとして再現したものである気がしている。
彼らのチープさは、「ワンルームにこもってノートパソコンに向かい合って作った楽曲が、世間に認められて有名になっていく」ストーリーを連想させる。
そして、そのストーリーを駆けあがってメジャーになったのが、ハチやwowakaなどの世代。今の10代からすれば、米津玄師は「自分たちの世代のアーティスト」ではなく、「少し上の世代で、すでにヒットしたアーティスト」である。
たしかにすごい音楽家であるが、ティーンエージャーからしたらもっと気軽に”推せる”アーティストに出会いたい。そんな気持ちにぴったりと当てはまったのが、YOASOBIである。
学生時代にボカロを聞いていたアラサーとしては、インターネット発のミュージシャンは、メジャー化に際して音質が良くなる印象を持っていた。
だから、デビューしたてのボカロPのようなチープな音源(でも、当時のボカロPよりはミックスの質は断然に良い)が、そのまま街頭のスピーカーからドバドバと流れている状況には少々面食らってしまう。
学校の放送室から、そのまま家で焼いてきたボカロを流している中高生を連想する。
たぶん、そうやって世間に対するカウンター的にショボい音源がヒットしていくのが、今の若い世代にはウケているんじゃないだろうか
(YOASOBIの作曲家自体がその再現を自覚的にやってるかは知らんが、ある程度の音楽知識はあるものの、制作環境的になんらかの縛りがあるような気がする。
で、その縛りから生じた個性が、結果的に彼らの売りになっているんじゃないだろうか)
それにしても、80年代のレトロさをリバイバルするかのように、2010年前後の音質がリバイバルの元ネタとして消費されるとは思わなかった。
長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。
子供の頃からなんとなく漠然と、自分の人生は二十歳で終わると思っていた。
高校受験、学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。
憧れた高校に入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。
高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。
憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。
それで満足していたし、それ以上はなかった。
大学は行きたくなかった。
やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。
小学生の頃の昼休み、友達に「絵が上手いから漫画家になればいいじゃん」と言われた。
その時からなんとなく漠然と、自分は漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。
あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。
結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画も3Dも学べる大学に入った。
新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画やアニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。
実際、入学前に散々確認した3Dのモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。
かろうじて漫画の講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分のロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。
これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄な時間を過ごしすぎる。
二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。
それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。
つまり、この時点で気づくべきだった。
私に漫画は向いてない。
授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代のほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。
入学特典として、時間外でも個別相談で作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。
ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。
それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。
教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。
「あなたのネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから」
それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。
自分でなんとかしなきゃ。
とにかく、まずは一作。
そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。
せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。
5個の編集部に持ち込みに行った。
うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。
そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分の担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。
もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。
でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。
帰り道の足取りは重かった。
初めての単身上京、知らない街。
足を止めたら消えてなくなる気がしたから。
うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束の時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。
でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。
でも結局、編集部の名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者の自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。
結果から話すと、うまく行かなかった。
その頃には大学も卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部に投稿した。
持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。
漠然と、自分は漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。
元々していたアルバイトをフルタイムにして、漫画を描いていた。
しかしバイトがハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間に事務所でトーン貼りしたりしてた。
鬱になった。
正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー、作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。
ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。
話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。
当時の店長に相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。
元々2年で辞めるつもりだったし、漫画もバイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。
それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。
すごく嬉しかったが、断った。
雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。
両親はそれが心配だったらしい。
「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」
私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。
今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せな分岐だったのかもしれない。
面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。
当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者の自分には不可能だった。
家から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。
早速応募して、面接。
そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。
作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルームに作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。
お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。
その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手の役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。
あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)
そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。
その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しかし担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいか分からない状態だった。
そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。
展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…
初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。
アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。
相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当に意味不明な事を言われながら、最後に自分の好きなものを描いてみようと思った。
何を描いても、誰にも何も言われない。
好きなように、楽しく。
結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。
せっかく描いたし、SNSにあげてみた。
今まで私の漫画は学校の先生と、編集部の人くらいしか見たことがないし、反応をもらえた事はない。
いいねが1万件ついた。
びっくりした。
たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想のコメントもいっぱいついた。
嬉しかった。
それから、就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。
これで漫画は最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。
ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。
そしてそこで、いきなり連載になった。
今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。
そして実際単行本も出した。
これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。
当時の自分もそう思っていた。
でも実際は違う。
話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語にちょっと複雑な内容を追加した。
とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。
そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。
今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。
担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。
今でも配信サイトのコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。
描けなかった。
今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。
連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。
「よくこれで本が出ましたね」
持っていったネームも単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。
曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。
当たり前といえばそうかもしれない。
過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。
一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。
もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」
一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNSの投稿漫画と同じ。
商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。
3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。
悔しいけど、やっぱり自分には描けない。
その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。
その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。
描けなかった。
私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからはキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。
だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。
しばらく練り直して、やはり変わらなくて。
諦めて別の話を描くことにした。
そこからは真っ暗闇だった。
どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。
下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。
そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。
結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。
そんな事が2年近く続いた。
別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。
足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。
それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。
そろそろ30になる。
二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。
一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。
突然クラスの男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達に相談していた。
男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。
はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。
「別にいいし」
友達を作るのが怖くなった。
どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。
ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。
3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。
友達って難しいな。
親には言えなかった。
友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。
そのまま卒業した。
そう言われ続けて卒業した。
何人か連絡先を交換して話したりした。
仲良くなった人もいる。
ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装に制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。
ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。
100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。
オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。
ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。
趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達の感覚だった。
自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアでボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。
向かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。
そして、ボロボロの爪を見られた。
「オシャレだね」
怖くなった。
ボロボロにハゲた公園の遊具のペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。
しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。
男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。
それがたまらなく怖かった。
その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。
そう言うのが怖くて続かなかった。
そのままもうすぐ30だ。
家を出る能力がないので実家暮らし、毎日両親…特に母に怯えて生きている。
「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから」
少ないながらに在宅でアシスタントはしている。
両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。
本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。
当然、その分給料は減る。
給料が少ないから、その分早く自分の原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。
それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。
真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。
完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。
ワンルームだけど集中もできる。
全く困ってない。
でもそれは私個人の話。
Twitterも、Togetterのコメント欄も、ヤフコメも、増田も、この社会的に求められる自粛が合わない人に対して冷たすぎる気がする。
外食産業とか、飛行機のCAとか、ユニクロの店員とか、宅配業者とか、色んな人がいるから自分たちが引きこもる生活を選べているということをわかっていないのか。
それとも、「引きこもってんじゃねーよ」と今まで散々馬鹿にされたから、その復讐をしているのか。
淘汰されて欲しいの?
私のような一人が好きな人間ばかりでは成り立たない。
全員がユニクロをオンラインショップで済ませれば店舗は潰れる。失業する人が出る。その人達はお金がないから経済を回せなくなる。
冒頭でも書いたが私は正直この新しい生活様式がぴったりだし最高だと思ってる。
でも、これがマイノリティだという自覚はしていたいし、マイノリティの生活は人と関わることが好きな人たちに支えられているということも忘れずにいたい。
吉野家の店員もホテルの従業員も私のような引きこもらない人間が務めている。
だから、今の生活様式が合わない人に冷たくする引きこもれるタイプ(自分と似たタイプ)の人見ると、辛い。何か恨みでもあるのだろうか。
インターネットでアンケートを取れば、在宅勤務が一生続いて欲しい人はたくさんいるだろう。
でもそれは、インターネットが引きこもり人間にフィットしているからだと思う。
だから、「在宅勤務を嫌がる理由がわからない!今が最高!」という意見に賛同する人が多く、たくさんリツイートされる。
そしてそれが大多数意見に見える。
引きこもりタイプは、それを見て自分の市民権を確認して安心する。
でも、色んな人種が共存しているから社会は回るということは忘れないで欲しい。