「ワンルーム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ワンルームとは

2021-04-03

在宅勤務vs無職おっさん

隣のおっさん、ぜったいニートだと思う。

なんかずっと部屋にいるっぽい。

ときどき地響きのようなうなり声が聞こえてきて気持ち悪いんだ。

で、なぜか日曜の夜中に洗濯機回す。

朝の10時ごろになると起きる(カーテンを引く音が聞こえる)。

夜中は12時くらいになるともういびきかいてねてる。

いっかい隣のおっさんの部屋の前に警察がいて、ん、死体でも転がっているのかと思ったら、「母親から安否確認で来ましたー」だとよ。

親に連絡くらいしたれや・・・、もう、なんなんお前。


俺は在宅勤務で神経すり減らしているのに、無職おっさんは毎晩ぐっすりかよ。金はねーけど(あんのか?)すとれすふりーってか。むかつくよ。

俺は壁が薄い狭苦しいくそみたいなワンルームの部屋に缶詰になって必死こいて仕事してるってのによ。

なんかね、笑えるし、暴れたくもなるよ、ホントに。

世の中わけわかんねーよ。

ああ、今日おっさんいびきがうっせぇ。

2021-03-31

私はテレワークに向いてました、という話


家にいられてよかった

約1年のテレワークを経て、弊社は引き続きテレワーク安心したというのが率直な気持ちだ。

同僚は悪い人ではないけど、自分は度々のスモールトークに疲れてしま気質。社内チャットぐらいのやりとりの方が気持ちが楽だ。

家でラジオを流しながら仕事をして、気分転換ストレッチをしたり窓をあけて換気したり、とにかく気ままにやれるのがいい。

身体的に支障がないのは、自宅にまあまあなワーキングチェアがあったおかげかもしれない。

仕事量は少し減ったような気がする。ここ1年で残業ほとんどしてない。その点だけは業界が先行き不安ではある。

から晩まで健康

自分は朝弱くていつもギリギリの出社になるので、もう何年も朝ご飯は抜いていた。

テレワークになってから通勤時間朝ごはん時間にあてられるようになった。

ヨーグルトちょっとだけシリアルを入れたものとか、果物だけとか、ちょっとだけ食べるようになった。それだけで心も健康になれた。

コーヒーも朝から豆をひいてたっぷり入れて午前中にごくごく飲む。最高。

ランチ時間になると近所のキッチンカーテイクアウトのお店までいく。

散歩がてらコーヒーさんまで足を伸ばして食後のコーヒーを買う。

夕飯はもちろん自炊。以前まではよく仕事帰りにすき家とか食べちゃってたので自炊できて本当嬉しい。

ふたりの部屋で

毎日夫が隣で仕事をしている。

時々愚痴ったり、ラジオに合わせてきままに歌ってみたりして良い気分転換になる。

仕事が終わると一緒にスーパーへ行ってからおじいさんは調理場へ、おばあさんは洗濯へ(もしくは掃除へ)みたいな感じで過ごすので日々QOLがブチあがる。

今までどれだけ会社家族との時間を奪われていたのかと思う。

楽しい1年だった

テレワーク恩恵を受けたのは間違いない。

1日の大半を家族や大切な人と過ごせるのが幸せすぎる。

コロナのせいで仕事に余裕が出たこと、同居人がいること、部屋がワンルームではないこと、もともとインドア派で人付き合いが苦手なこと、が良く作用してくれた。

正直アフターコロナ憂鬱で仕方がない。

2021-03-24

anond:20210324100636

A:不便だけど互いに同じ家に住む仲間だから、互いにそれが低減するように気をつけあおうね

 

B:不便なのに住んでいるんだから他人文句をかけられても自己責任で、文句を言う資格はない

 

 

 

AやBを主張している奴が正当かは、普段から周囲とコミュニティを築いているかによるわ。

完全に都市ワンルーム自分勝手に互いに暮らしているなら、お前の主張する通りBでいい。

きっと隣人はセックスしてた奴がヤクザだったら何も言わなかっただろうし。 

 

でも例えば、実はお前以外の住人がAの立場で、お前だけマンション互助会をサボっているとする。

隣人はお前の知らないところでゴミ捨て場掃除建物全体の維持管理担当しているのかもしれぬ。

そしたらお前にBを言う資格は無いわな。

2021-03-22

システムキッチンオートロック宅配ボックス完備のでかいワンルームに住みたいけどワンルームの時点でその条件が揃わない

システムキッチンオートロック宅配ボックスが完備されてる部屋は大体1DK以上だったりする。

ただ、ワンルームだとせまっちくてしょぼい設備マンションばかりで選択肢そもそも存在しないので使いもしない部屋のある物件を借りる羽目になっている。

設備のしっかりした10畳くらいのワンルームに住みたいんじゃ!!

2021-03-20

貯液

男子諸君もしかしてティッシュなんて使ってないよな?

SDGsの世の中なんだからエコにしないとな。

俺はボトルガムの空き容器に毎日貯液しているぞ。

ダイレクトに注入だ。

たまに外れて手についたりするから注意しよう。

だいたいガムを全部食べ終わる頃に貯液が満タンになるので新しいボトルに交換だ。

今俺のワンルームの部屋の片隅には満タンの貯液ボトルが6本鎮座してるぞ。

夏になったらプンプンしそうだ。

みんなも楽しいエコライフを送ろうな!

anond:20210317154428

機電系メーカーにいる女だが扱いはそこまでひどくない。もっとも、車系の方がベビー総合電機の方が緩いと聞く。会社によりけりなのでひとまとめにせずに会社説明会やOB面談なんかで話を聞くのを勧める。

弊社の場合研修も大したことないし女子寮の方が大抵高スペで私が住まわせてもらったところはワンルームタイプ洗濯機乾燥機能までついてた!寮の管理人さんに宅配は受け取ってもらえるし超快適だった。ちなみに私は現場研修なくて営業研修だった。支店のお客さんまわりに同行させてもらっただけだけど今思うといい経験

自分も割とどこにでもいるブスだが彼氏がいないとわかると遊びに行こうと男女問わず誘ってくれて3年目までは根暗でも楽しめる。

仕事でも男と遜色ない仕事…になるかは正直上司次第だがやる気があるフリをしてれば同じように振ってもらえる。ここのところセクハラパワハラは人事がめちゃくちゃ気にしていて(特に女性に対して)早く手を打ってもらえるようになったので部署異動などでわりと片付く。

合う合わないは当然あるのでとりあえず3年とは言わないけど就活の手駒の一つに抑えておくくらいであとは内定もらったところで女性の先輩に会わせて、会話させてとリクエストして実際のとこどうですか?と聞いてみて決めたらいいんじゃないかと思う。あと研究部門の方が設計開発より男男してない傾向なので入るなら面接頑張って研究部門に行くのをお勧めする。

まずは内定あってこそ選択できるのでまずは就活がんばって!応援してる。

2021-03-14

一戸建て実家からワンルーム一人暮らしになったら案外居心地が良かった

タイトル通り。

ワンルームで十分楽しいわ。

そもそも忘れてたけど俺は手の届くところになんでもあってほしかった。実家でも自室のこたつの周囲を円を描くように物を散らかしてた。

それがワンルーム一人暮らしになったら全部が簡単に手が届く。茶を淹れるのも風呂に入るのも全部10歩以内に目的地に到達する。

本を買い込むオタクだったけど最近はだいたい電子書籍に移動してるし同人誌自炊してるから量はない。パソコンデスクから手の届く範囲におかれた本棚タブレット読書も済む。テレビも目の前。

全部が簡単に手の届くところにあるってものすごく居心地良いわ。

 

しかも一応そこそこ駅チカでどこに行くのも近くて便利。隣の家の音も何も聞こえない。親のいびきが聞こえた実家よりずっと居心地が良くてビビってる。

2021-03-04

anond:20210304231902

東京まれ東京に快適な住居を持ってるて自分の家でソーシャルディスタンスとれるから大人しく外出自粛してるよ

緊急事態宣言でも街に出歩いてるのは、地方出身者で住居が狭いワンルームで、外出しないと気がくるってしまう奴ら

2021-02-23

ワンルーム最強だな

いろいろあってひとり身になってどうせなら可能な限り身軽(文字通りカジュアルに転居可能状態)になろうと持ち家売ってワンルームに移り住んだ。

掃除は楽だし、動線は短いし、適度に狭いしもう最高。

不満といえばキッチンが小さいくらいだけど正直それもワンルームの利点で疑似的なアイランドキッチンを実現できてる。

物が少なければ10畳あれば全然十分だわ。

2021-02-21

森元の退任と橋本就任フェミニズム大金星だよ

草津町への抗議行動、お母さん食堂撤回への署名運動などで負けが込んでいたものの、それらがかすり傷にもならないほどの大金星をあげることができた。

幸福ワンルームドラマ放送中止案件のような並みの勝ち星も比較にならない大金星

過去五年間ではガラス天井を打ち破り、初の女性都知事誕生したこと匹敵する大金星となった。

上野千鶴子先生ほか著名フェミニズム運動家が追求する社会的リーダー層の性平等にまた一歩近づいた。

とにかく、まずは女性が増えなければ何の意味もないから。

2021-02-15

anond:20210215223514

川崎すでにふつう外国人めっちゃ多い。韓国人中国人といわずブラジルベトナムネパールその他いろんな国の人がいる。韓国食材店に中国食材店、ブラジル食材の店やインド食材の店もありアメ横行く必要ない。不法滞在はいわんがギリギリなんだろうなって人も多い。もう10年近く前に事務採用面接できたベトナム女性と話したがいわく子供の頃に親と一緒に来て数年たつがまともな教育を受けておらずだそうで、実際会話はかなり流暢だったけど漢字読み書きも足し算引き算も危ういレベルだったので採用できなかった。似た境遇の同国人と共同生活してると言ってた。採用できないというとプログラム勉強すると言って帰ってったが四則演算ができなくてプログラム勉強は無理だろうなあと同情しつつ見送った。あこの人の話じゃないけど3LDKに10人ぐらい住んでたりワンルームに3人4人と集住してたりでマンション管理組合ゴミがめちゃくちゃ多いとか話題に出たりする。そんな状況になってもう10年以上になるのにわざわざ市外からきて駅前外国人排斥とか怒鳴られても場違い感が凄いのだが住んでないからわかってないんだろうなと思ったり。

2021-02-07

現実しか生きていない」のが信じ難い

なんか、現実(地球?)じゃないようなところで過ごした時期があったような気がしてならない

まれてこのかた、ずっと連続して現実だけを生き続けている気がしない

具体的に言うと、俺はリゾートホテルなんかには一度も行ったことがないんだけど、青い海・ラタンチェアー・天蓋付きベッド!みたいな、典型的リゾート光景がかなりはっきりと思い浮かべられる

思い浮かべられるというか、あまりにはっきりしているので、「思い出せる」といっていい

この感覚曲者で、現実には体験したことがないはずのものを「思い出せる」……ということは、俺は現実以外の体験をもっているのでは!?って感じがしてしまうんだよな

夢でみた・映画で見た・ゲームプレイした…みたいな諸体験が混じってぼやけてリアリティを生んでいるのだろう

……っていうのは分かっていても、やっぱりこう、感覚的にはずっと現実を生きてる感じはしないんだよな〜

最低でも1年とか、なんかこう、しがらみの一切ない安楽な場所で過ごしていたことがあるような気がしてならない

いまこんなに休みがなくて苦しいと感じるのは、その体験比較しているからなような気がする

から青い海が見えるラタン家具リゾートで過ごしていたことがあるはずなんだ俺は

あるいは、ただっぴろい草原の中にある、木が一本だけかっこいい感じに生えた小高い丘に寝転がったりするような暮らしをしていた

ワンルームのショボい床でばかり寝ているってことはない、と俺の感覚が言っている

ここは俺の居場所ではなくて、本来の居場所がある気がする

2021-02-06

引っ越しときあいさつしてる?

ワンルームからちょい大きめに引っ越すのだが

変な人が横にいたらそれが逆にストレスになりそうでやだなあ

2021-02-01

もう俺は結婚もできないし家も車も買えない 

28大卒インフラエンジニア

23万ちょいの給与から社会保険料税金で4万8352円も引かれる。手取りは18万。

家賃+共益費 62,000(ワンルーム

食費     38,000

奨学金返済  14,000(あと10年返済)

光熱費    16,000(プロパンガス

通信費    7,800(格安スマホ、自宅回線プロバイダ

医療費    3,300(コンタクト

衣服美容   9,000

生活雑貨   7,500

書籍     3,000

娯楽     5,500

iDeCo    5,000

これでほぼ貯金できない

マジで生活苦しいんだが

普通に真面目に生きてきてこれだよ

こんなんで少子化になるに決まってるじゃん

日本しね

2021-01-25

二十六年まえのCD

大学生の頃に出てすぐ割りとなんとなく買って、結婚する前にはもう売ってたような気がする(手放した時期はよく憶えていない)CDを、なんとなくまた最近おもいだしたので検索して、また買った。(そしたらデッドストックの未開封品だった、応募ハガキまで折り畳まれて入ってた)

・・・あの頃は狭いワンルームスピーカーと低音だけ不自然デカいのが売りのCDラジカセで独りか二人で聴いてたけど、今は広い、いやあの頃のワンルームくらいだからそんなに広くはないリビングで、やけに薄べったい液晶テレビHDDレコーダーから通した音で家族に(無理やり)聴かせている。

当時は聴こえてなかった裏メロが聴こえてくる気がするのは、コレを売ったあとに色々と聴いてきた経験がそう思わせるのだろうか。

絶賛思春期の子供がときどきノッてくれるのかメロディーの一部をゲームしながらでも口ずさんでくれるのが嬉しい。

2021-01-23

anond:20210123130815

通勤時間60分くらいでいいなら千葉とか埼玉とかの県境近いとこならワンルーム5万位でいける

2021-01-21

ブルーレイプレイヤーという機器役割について

から貰ったブルーレイプレイヤーを持っている。

正確にいうと持て余している。

我が家にはテレビがない。

極狭ワンルームのため邪魔処分したのだ。

それにかこつけてプロジェクターを導入しており、

テレビチューナーと繋ぐことでテレビを見ている。

映画サブスクは件のプレイヤーを繋いで見ている。

プリセットアプリからサブスクを起動する形だ。

このプレイヤーをありがたく頂いたのは、

プロジェクターから直接発されるペラペラの音に耐えかねたからだ。

さすがに映画を没入して見るためにはプロジェクター直出しの音質は心許ない。

端子がなく、光デジタルケーブルでの分離はどうやら不可能だったために、BTでの音声出力ができるプレイヤーは大変ありがたかった。

BTスピーカー恩恵を存分に活かすことができた。

ところがfirestickを手に入れたところ、挿すだけで直接firestickからスピーカーBT接続ができてしまうではないか

やや音質が心許ない気はするが。

このプレイヤーAmazonプライムのためにしか使用しないため、完全にお株を奪われた形なのである

チューナーBD読み込み機能はある。

手放してもブルーレイが見られなくなるくらいのデメリットしかない。

売りたいが、頂きもの申し訳ないようなうっすらとした気持ちがある。ミニマリストにはなれないタイプだと実感する。

チューナースタックしているので劇狭ワンルームでもさほど邪魔というわけでもなし、扱いかねている。

そもそも我が家で持て余すほどのBTブルーレイプレイヤー需要はあるのか。

みんな一体どんな環境で、どうやってテレビ映画おうちでみてるんだい。

2021-01-20

YOASOBIのレトロさ・チープさは2010年頃のボカロ再現から

supercellがヒットした以降にボカロ楽曲を発表した世代は、DTMを始めたばかりで音源を買いそろえる余裕がなかった。

クオリティの高い音源使用するよりもまず楽曲を作ってリリースしたい世代は、DAW付属音源妥協して楽曲を作っていたわけである

彼らの多くはエレキギターバンドサウンドから音楽制作を始めており、ベロシティタイミングの変化で生の楽器再現するスキルがなかったと思われる。

から、彼ら自身根底に生楽器へのコンプレックスがあった。多くのボカロPは音楽制作経験を重ねる過程で、楽曲演奏家を巻き込んでいったり、

IvoryやTrillian、addictive drumsのような、より”生っぽい”音源を買って、音質をアップグレードしていったわけである

メジャー音源リリースするに際して、有名なプロを読んで再収録をするケースもあった)

とはいえショボい音源を使った楽曲の中でも、今もカラオケランキングで上位に入るような定番ボカロ曲が生まれて、一般的認知されている「ボカロっぽさ」が生まれてきた。

YOASOBIのサウンドは、そういった当時の「ボカロっぽさ」をジャンルとして再現したものである気がしている。

彼らのチープさは、「ワンルームにこもってノートパソコンに向かい合って作った楽曲が、世間に認められて有名になっていく」ストーリー連想させる。

そして、そのストーリーを駆けあがってメジャーになったのが、ハチwowakaなどの世代。今の10からすれば、米津玄師は「自分たち世代アーティスト」ではなく、「少し上の世代で、すでにヒットしたアーティストである

しかにすごい音楽であるが、ティーンエージャーからしたらもっと気軽に”推せる”アーティスト出会いたい。そんな気持ちにぴったりと当てはまったのが、YOASOBIである

学生時代ボカロを聞いていたアラサーとしては、インターネット発のミュージシャンは、メジャー化に際して音質が良くなる印象を持っていた。

からデビューしたてのボカロPのようなチープな音源(でも、当時のボカロPよりはミックスの質は断然に良い)が、そのまま街頭のスピーカーからバドバと流れている状況には少々面食らってしまう。

学校放送室から、そのまま家で焼いてきたボカロを流している中高生連想する。

たぶん、そうやって世間に対するカウンター的にショボい音源がヒットしていくのが、今の若い世代にはウケているんじゃないだろうか

(YOASOBIの作曲家自体がその再現自覚的にやってるかは知らんが、ある程度の音楽知識はあるものの、制作環境的になんらかの縛りがあるような気がする。

 で、その縛りから生じた個性が、結果的に彼らの売りになっているんじゃないだろうか)


それにしても、80年代レトロさをリバイバルするかのように、2010年前後の音質がリバイバル元ネタとして消費されるとは思わなかった。

ワンルーム

小説を書こうと思いたち、ずっと小説を書いてきた。

始めて物語を書きだしたのは中学生ときで、もう随分昔の話である

今も書いて、休んで、書いている。

が、昨晩テレビを……キサマ!

2021-01-17

エンドロールのその先

自分の整理のために記録として書いています

長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。




子供の頃からなんとなく漠然と、自分人生は二十歳で終わると思っていた。

高校受験学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。

憧れた高校入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。

受験が、入学が、私のゴールだった。

高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。

憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。

それで満足していたし、それ以上はなかった。

大学は行きたくなかった。

やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。

小学生の頃の昼休み友達に「絵が上手いか漫画家になればいいじゃん」と言われた。

その時からなんとなく漠然と、自分漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。

あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。

結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画3Dも学べる大学に入った。

入学から半年後、学部全体説明会で、学長に言われた。

「お前ら今すぐ全員大学辞めて専門学校行け」

新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画アニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。

実際、入学前に散々確認した3Dモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。

かろうじて漫画講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分ロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。

これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄時間を過ごしすぎる。

だって私の人生はあと数年で終わってしまうのだから

二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。

ぶっちゃけ漫画専門学校に通わなくても描ける。

それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。

まり、この時点で気づくべきだった。

私に漫画は向いてない。

専門学校では初めこそ有意義時間を過ごせた。

話の組み立て方、起承転結コマ割り…

授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代ほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。

入学特典として、時間外でも個別相談作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。

ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。

それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。

教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。

あなたネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから

今思うと、先生だってそりゃ家庭があるし、仕方ない話だ。

それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。

自分でなんとかしなきゃ。

とにかく、まずは一作。

そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。

せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。

5個の編集部に持ち込みに行った。

うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。

そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。

もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。

そりゃ、最初から傑作が描けるとは思わなかった。

まして、今回は誰にも見せてなかった。ダメ出しも覚悟の上だ。

でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。

帰り道の足取りは重かった。

初めての単身上京、知らない街。

憧れた新宿から半蔵門まで歩いた。

足を止めたら消えてなくなる気がしたから。

そんな作品だが、一応残りの2箇所では名刺をもらった。

うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。

でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。

社交辞令かもしれなかったけど、それが嬉しかった。

でも結局、編集部名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。

結果から話すと、うまく行かなかった。

私の実力と、担当さんの期待値が合わなかった。

その頃には大学卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部投稿した。

ついでに、同じ雑誌イラスト賞にも応募した。

持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。

カニを見ながら泣いた。嬉しかった。

漠然と、自分漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。

元々していたアルバイトフルタイムにして、漫画を描いていた。

しかバイトハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間事務所トーン貼りしたりしてた。

鬱になった。

正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。

ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。

話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。

当時の店長相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。

元々2年で辞めるつもりだったし、漫画バイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。

何社か受けて、履歴書を見て笑われたこともあった。

それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。

すごく嬉しかったが、断った。

私は、言葉呪いが効きやすタイプだ。

そして特に、親の言葉は。

雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。

両親はそれが心配だったらしい。

「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」

私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。

今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せ分岐だったのかもしれない。

面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。

当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者自分には不可能だった。

そんななか、本当に偶然、地元募集を見つけた。

から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。

早速応募して、面接

そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。

採用になり、週に四日、6時間勤務。

作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルーム作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。

お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。

その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。

あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)

そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。

その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しか担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいかからない状態だった。

そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。

展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…

初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。

アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。

相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当意味不明な事を言われながら、最後自分の好きなものを描いてみようと思った。

何を描いても、誰にも何も言われない。

好きなように、楽しく。

結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。

せっかく描いたし、SNSにあげてみた。

今まで私の漫画学校先生と、編集部の人くらいしかたことがないし、反応をもらえた事はない。

いいねが1万件ついた。

びっくりした。

たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想コメントもいっぱいついた。

しかった。

それから就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。

編集部酷評だったけど、SNSコメントは優しかった。

これで漫画最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。

SNSにあげた漫画を、編集部に送ってみた。

ジャンルが違うので、今までのところではなく新しい編集部だ。

ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。

そしてそこで、いきなり連載になった。

今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。

電子のみの連載だったが、書籍化もできる自信がなぜかあった。

そして実際単行本も出した。

これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。

当時の自分もそう思っていた。

でも実際は違う。

話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語ちょっと複雑な内容を追加した。

すると担当から言われた。

エロがあればいいから、余計な事はしないで」

私が描いていたのは、エロ系の漫画だった。

とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。

そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。

今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。

担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。

今でも配信サイトコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。

描けなかった。

今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。

単行本と、新作のネームを持って持ち込みに行った。

連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。

「よくこれで本が出ましたね」

持っていったネーム単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。

曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。

当たり前といえばそうかもしれない

過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。

一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。

もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」

1人で何度もネーム再考して、完成原稿を期日までに送る。

一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNS投稿漫画と同じ。

商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。

3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。

悔しいけど、やっぱり自分には描けない。

でも、今日まで頑張った事を無駄にするのも惜しい。

また、「最後」と言う名目で、好きな漫画を描いて本にした。

作画配信したりしたおかげで、完成前から応援の声は多かった。

そして初めて、オリジナル同人誌完売した。

その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。

初めて感想差し入れもたくさんもらえた。

その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。

あの時がたぶん、私の漫画人生ピークだった。

その後、持ち込んだ漫画を元に読み切りを描き、運良く掲載

SNS時代ファンの皆様の応援もあり、連載化が決まった。

描けなかった。

私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。

だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。

しばらく練り直して、やはり変わらなくて。

諦めて別の話を描くことにした。

そこからは真っ暗闇だった。

どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。

当然だ。「好きなもの」を描いてるから

下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。

そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。

結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。

そんな事が2年近く続いた。

別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。

足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。

それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。

初持ち込みから10年。

結局自分は、10年経っても何も変わらなかった。

そろそろ30になる。

二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。

友達は1人もいない。比喩表現ではなく、本当に誰もいない。

小学時代、一番仲が良かった子に、ある日突然いじめられた。

一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。

転校して、中学時代もそうだった。

突然クラス男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達相談していた。

男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。

「そう言う事するなら、あなたとはもう友達じゃいられない」

はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。

別にいいし」

友達を作るのが怖くなった。

どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。

お陰で高校の2年間はクラスで1人で過ごした。

ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。

触れてはいけない、祟り神みたいな扱いだった。

3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。

友達って難しいな。

中学時代、好きな男の子にはペットボトルを投げられた。

親には言えなかった。

高校時代、好きな子相談を親にした事があった。

友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。

あんなこ辞めときな。大学生になったら彼氏できるから!」

大学時代バイトと専門、学部女子が圧倒的に多い。

そのまま卒業した。

「いつかいい人が現れるから

そう言われ続けて卒業した。

卒業した瞬間、「いつになったら彼氏できるの」に変わった。

友達の作り方も分からないのに、彼氏ができるわけない。

一応婚活とか街コンには何度か行った。

まずは友達が欲しかった。

何人か連絡先を交換して話したりした。

仲良くなった人もいる。

その頃の私はマニキュアを塗るのが楽しかった。

ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。

ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。

100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。

オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。

ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。

趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達感覚だった。

自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。

かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。

そして、ボロボロの爪を見られた。

「オシャレだね」

怖くなった。

ボロボロハゲ公園遊具ペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。

しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。

メガネの奥の瞳と視線があって、二度と会わないことを決めた。

男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。

それがたまらなく怖かった。

その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。

そう言うのが怖くて続かなかった。

そのままもうすぐ30だ。

家を出る能力がないので実家暮らし毎日両親…特に母に怯えて生きている。

「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから

少ないながらに在宅でアシスタントはしている。

両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。

本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。

当然、その分給料は減る。

給料が少ないから、その分早く自分原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。

それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。

真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。

完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。

真っ暗な部屋の中で、Permalink | 記事への反応(1) | 16:44

2021-01-13

コロナ生活にどう関わってしまうかを世代別に考えると

小中高・・・外出るなって言われた上に学校休みになった分を土曜授業

大学生・・・一生の付き合いになる学友できない、ワンルームでずっとネット講義レポート作成

老人・・・仕事も勤め上げて、さぁ余生は大人休日倶楽部とかで旅行行きまくるぞとかって時に、自分死ぬかもしれないから外に出れない。外に出られない終わりない夏休み状態

社会人・・・業績がしっかりしている企業なら、どうせ朝会社行って働いて夜帰ってきて休日は寝てるだけだから大して変わりない

社会人が一番生活に影響していない気がする

2021-01-12

ネット自粛辛い人に冷たすぎる

私は、通勤電車に乗りたくないし、永遠に在宅勤務で構わない。

ワンルームだけど集中もできる。

友達との交流ZOOM飲みで十分。

全く困ってない。

でもそれは私個人の話。

Twitterも、Togetterコメント欄も、ヤフコメも、増田も、この社会的に求められる自粛が合わない人に対して冷たすぎる気がする。

外食産業とか、飛行機CAとか、ユニクロ店員とか、宅配業者とか、色んな人がいるか自分たちが引きこもる生活を選べているということをわかっていないのか。

それとも、「引きこもってんじゃねーよ」と今まで散々馬鹿にされたから、その復讐をしているのか。

淘汰されて欲しいの?

適応できたことでマウント取りたいの?

社会は、人と会う仕事を選ぶ人もいるから成り立っている。

私のような一人が好きな人間ばかりでは成り立たない。

全員がユニクロオンラインショップで済ませれば店舗は潰れる。失業する人が出る。その人達お金がないか経済を回せなくなる。

色んな仕事があるからこそ世の中は回っていると思う。

冒頭でも書いたが私は正直この新しい生活様式がぴったりだし最高だと思ってる。

でも、これがマイノリティだという自覚はしていたいし、マイノリティ生活は人と関わることが好きな人たちに支えられているということも忘れずにいたい。

吉野家店員ホテル従業員も私のような引きこもらない人間が務めている。

から、今の生活様式が合わない人に冷たくする引きこもれるタイプ(自分と似たタイプ)の人見ると、辛い。何か恨みでもあるのだろうか。

多分増田にも、私みたいな引きこもり大好き人間が多い。

インターネットアンケートを取れば、在宅勤務が一生続いて欲しい人はたくさんいるだろう。

でもそれは、インターネット引きこもり人間フィットしているからだと思う。

から、「在宅勤務を嫌がる理由がわからない!今が最高!」という意見賛同する人が多く、たくさんリツイートされる。

そしてそれが大多数意見に見える。

引きこもりタイプは、それを見て自分市民権確認して安心する。

インターネット私たちに優しいから。

でも、色んな人種共存しているか社会は回るということは忘れないで欲しい。

大多数の、人と関わりたい人がいるからこそ、自分たち引きこもりを選べるって忘れないで欲しい。

自粛が辛い人たちを、陽キャの淘汰だと笑わないで。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん