はてなキーワード: ワトソンとは
・ネタバレかつ悪口の垂れ流し、悪文
・初めの10分はCMだったんだけど、プリキュアとかガルパンとかガラスの花と壊す世界とか、フリーの過去エピとかデュラララの番外編を劇場でやります~みたいなやつばっかりで死ぬほど萎えた。屍者帝なんだから、ワトソンでウォルシンガム機関で全世界を股にかけた冒険もので夭折したSF作家の遺作なんだから、007のスペクターの予告とか流そうぜって思ってたんだけど、でも、見終わった今となっては妥当だったのかも。あの予告群で
・「まず必要なのは屍体だ」っていうのは原作の冒頭の文だった気がするし、世界観をバーンと出してる感じで良かった。ただフェードインした絵でロンドン医大の大講義室でなくワトソン君の自室なのはな? 伊藤計劃絶筆の序章くらいそのまま映像化してもよくない? ダメ?
・ロンドンの風景はきれいだった。Fate/staynightUBWのエンドを思い出した。映像美
・それでフライデー、原作では貸し出された屍体だったと思うんだけど友人なの? マジ? 友人なのになんでこんなショタいわけ?
・首に霊素注入器みたいなやつをさすところは痛そうだった
・M~~~?!?!? これヴァン・ヘルシング教授では? 原作に出て来てた気がする。屍者帝映画内でMって呼ばれてたかどうかちょっと覚えてないけど、MI6じゃなくてウォルシンガム機関なのは元々だっけ、From the Nothing, with Love.とちょっと混ざってるわごめん。そうじゃなきゃ007と混ざってるんだと思う
・いきなり博士の異常な愛情ネタぶっこんでくるのやめろ。ワトソン君の傾向はまだ対象が(故人とはいえ)人間だぞ
・ボンベイに飛ぶの速すぎワロタ。原作でもそうだったっけ。覚えてない
・ハダリーはアートワーク見た瞬間から思ってたけどファッションぶち抜きすぎじゃない? アリなの?
・バーナビーは出てきた瞬間ブルックスJrかよと思った。理不尽すまん
・アリョーシャがあんな死にかたしてたか覚えてないのでアレ。保留
・クラソートキンとフライデーの容姿の類似、意図的ならもっと対比してほしかったし、無いとは思うけど意図的じゃないなら悪手
・バーナビーの下着じゃないから恥ずかしくないもん発言は伊藤計劃のオタク趣味を内包した台詞ってことで良いんですかね
・日本パート、北斎の娘の映画観たかったけど見損ねたこと思い出した。名前忘れたけど会社でのバトルよかったし、手記が祀られてる部屋で即身仏みたいな屍者が並んでるのもよかった。ただワトソンの行動はクズすぎるし、フライデーに執着しすぎてて無理
・原作ハダリーって音波キャラだったっけ。ハダリーにせよザ・ワンにせよ、かかとでカッてやるたびに、アナ雪かよと思ってしまいつらさが募る。最近ずっと誰かが「ありのまま」っていうたびつらいんだけど、そんなの台詞で一切出てこなかったのに、屍者帝めっちゃアナ雪じゃなかった??? 最後の結晶化も同じく
・ワトソンはめっちゃエレンに見えてきてつらかった。WITStudio~~~頼む~~~
・フライデー叫び過ぎだし、ワトソンは友人の亡霊を追い求めてないで現実のフライデーくんに対処してくれ、と思っていたらどんどん取り返しのつかない状況に陥っていくドン!
・ワトフラワトがエモい。とにかくエモい。マジでこれ伊藤計劃作品なのか?
・ノーチラス号が原作に出てきたかまじで覚えていないけど出て来てたんだっけ
・Mとザ・ワンのおっさん対決にMGSみを感じて伊藤計劃みを感じた
・Mが言ってるのは御冷ミァハの言葉ではないか? と思ったし、意識の統合あるいは無意識を共有とか、なんかエヴァかなっていう。原作もそうだったかマジで覚えていない
・もう大概意地悪な気持ちになった所で突入したエンドロールの曲、ノイタミナ御用達のアーティストEGOISTさまだけど、ジャズチックなせいか椎名林檎かなにかに聞こえるしこれもうサイコパスでしょ……
・原作ではワトソンとホームズの関係はぼやかしてなかったっけ。Mに探偵の弟がいるよ程度の触れかただったよね? エンドロール後の展開、めっちゃ冒険したな??? 探偵ブームきてる? ヒュウ!!!
・フライデー→モリアーティって理解で良いの。犯罪王フライデー(犯罪をフライデーするべきでは?)死にそ~~~(死んでる)
・ハダリーがアドラーっていうのはよくわからん。原作がどうだったか覚えてない。エンドロール後で目にハイライトあったのハダリーだけだった気がするのは怖い
・上映中ずっといたたまれなかったのはキャラデザ五割、台詞三割、脚本二割ぐらい
・こういうの腐女子の皆さん好きでしょっていう振られ方も、こういうの中高生の皆さん好きでしょって振られ方も、ひしひしと感じるものがあってほんとうにいたたまれなかったし正直引いた
・進撃もだけど、あのぐるぐる目のデフォルメが苦手というか嫌いというか好きになれないので、あの絵柄でグッズが出るとわりとげんなりする。
・これは伊藤計劃の物語ではなく、書き継いだ円城塔の物語でもなく、二人の作品の大枠を取りノイタミナが好きな雰囲気にアレンジし、中高生の好きな感じのキャラデザと一部の腐女子の好きな感じのキャラ関係を仕立てたあれ
・サイコパスとかギルティクラウンとか、ノイタミナはアニメ会社とかレーベルとしての趣味をガンガン出してくるのは別にいいんだけど、原作があるものにまでそうするのはまじで勘弁してほしかったな……な……
暑いからクーラー入れるよね。でもそうするとクーラー風が身体に当たる。クーラー風は嫌いなんだよ。必要以上に熱を身体から奪うし、なにか健康に良くない気がする。クーラー入れるときは風が当たらないようにタオルをはおって寝るんだけどなにか勿体無い気がする。そもそも風がビューっと流れているのは嫌いだ。電気のエネルギーが冷却じゃなくて吹き付ける運動エネルギーになっている。
欲しいのはゴーゴー冷風が出るんじゃなくて恐るべき冷気がヒタヒタと金属の箱から漏れてくる感じ。発生源を触ると手が貼り付いてとれなくなる感じ。負のエネルギーの氷柱が鎮座してる。そんな機器が必要なんだよワトソンくん。
久しぶりに『批評空間( http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/ )』を覗いてみたのですよ。
いやぁ~ 昔と変わりませんなぁ。
ノベルゲーだからテクノロジー上の大きなブレイクスルーがないのを割り引いても、ゲーム内容・ファンの意識には往年を偲ばせるものがあります。
まず物語のパターンが古典落語や歌舞伎並にテンプレ化されてるじゃないですか。
パーツの組み合わせが変わってるだけなんですよね。GoogleのDQNやIBMのワトソンでもシナリオ書けそうです。
次、ユーザー層。
ゼロ年代くらいのファン層がまんま繰り上がってオッサンになっている印象を受けます。
発売日の延期、修正パッチをネタにして騒げる人たちなんかは、ワシントン条約で保護すべきでしょう。
エロゲ界隈は真性オタの牙城と言いますか、原理主義者の聖域のままであってほしいですね。
電車男以降、オタクがライト化するのに抗して生まれた"キモオタ"概念が近年ベタになりつつあるのは懸案事項であります。
『オタキング→ダイエットに成功したサブカル博士→家族をシェアするイロモノ』というキャリアを"詰んで"しまった岡田斗司夫には失望しました。
経産省の旗振りのもと、AKBや深夜アニメと一緒に『クール・ジャパン by 秋元康』なんていうプロモーションされたら海外のファンコミュに亡命します。
ちげーよ。ワトソン役が「読者より少しだけ頭が悪い」と言われているのは、そうすると説明がやりやすいからだよ。
探偵役と助手役がツーカーだったら探偵の推理を言語化する必要がないだろ。
「なるほど分かった、犯人はAだな!」「ちょっと待ってくれ、どうしてそういう結論になったんだ?」←と言わせないと推理が披露されないだろ。
分かりきったことでも「それはどうして?」と突っ込んだり、間違った推理を披露して探偵役にそれを否定させたりしたほうがいいんだよ。
それとハーレム物の主人公でも「有能なイケメン」も「平均的なフツメン」も「無能なブサイク」もいるんだから、平凡な主人公だけを取り上げてハーレム物全体は語るのは間違いだよ。
今の時代女性が本音ベースで書いたものは共感されてシェアされるし、男性が読んでも不快ではないけれど、男性が本音ベースで書いたものは女性にとって圧倒的に不快で、キモヲタかキモオヤジのレッテル貼りを免れないからなあ。
元記事は恋愛で男性が救われるというようなニュアンスで書いたけれど、恋愛で救われるのは男性性欲の歪みまでで、男性が精神的な部分までまるっと受け容れられるようなお母さん的ポジションを女性に求めるのは酷で、そういうポジションを無理矢理演じさせてきたのが日本のこれまでの男女関係なわけだけど、そういうのは辞めようねっていう時代だから、男性が恋愛で根本的に救われることは難しい(逆に、普通の恋愛で女性が救われるというのは十分にありそう)。
これからは、恋愛以外の部分でアイデンティティの確立がしっかりと出来ている男性以外は恋愛に関わることは難しくなってくるんじゃないかな。
そういう意味で、
masudamaster エマワトソンと同じこと言ってる(男の人は解放されてないのよ!)。解放した結果生き残る男が一割で残りの9割が死屍累々なのだからそんな理不尽なゲームに男が参加しなくなるのは生存戦略として当たり前だった。
このid:masudamasterのブコメにも同意する部分がある(私はここまで恋愛に悲観的ではないけど)。
男性にとって恋愛は安易に救われるようなものでは決してないし、現代の男性の選択肢として恋愛には関わらないで生きてゆくというのは十分に有り得ると思う。
私が言いたいのは、恋愛がどういうものか判断するための出発点にすら立てないのはやっぱり不幸だという話でもあるのだけれど。
追記:
wschldrn 私は「恋愛=個人が対等に労わりあう関係」だと思ってるけど、男性に限ってこれでは救われないのはなぜだろう?増田は「恋愛」をどういうものと考えてるの?/女性が相手にお父さんを求めるのも酷だし批判されるよ。
私も「恋愛=個人が対等に労わりあう関係」だと思ってるし、そういう風に実践してる。そこはまったく同じ。
男性に限ってこれでは救われないのはなぜだろう?
これは難しい問題なのだけれど、敢えてはっきり言ってしまうと、男性は女性と「対等に」付き合うのも「労わりあう」のも得意ではないということではないかな。
それこそ母親的な全人格レベルの無償の愛を一方的に受けて初めて男性は救われるのかなと。
書いていて恥ずかしくなってきた。
ただ、恋人を思いやる為には気持の切り替えとかなりの集中力が必要だと感じるし、恋愛でパワーを充填して他のこともどんどん充実させてゆく彼女の生き方を見るとちょっと羨ましいなと。
主語が大き過ぎた可能性はある。
よ、今日は専門外だけど飲んでたらオモシロイ話聞いたからタレコムわ
なお、聞いた本人に了承とったけど変に絡まれてもなんだから新規ソースゼロでお届けします。
オレが言ったんじゃないぞ
opiegro32
太田はネタとかじゃなくて本当に腐ってるから「太田が悪い!」とか言って茶化す風潮はやめてほしいなあ。本人の悪質さが薄れるだけだよ 2013/12/04
太田克史さんってのは、偉大な人だよ。
というネタで飲んでたのが発端で、
この対応ってあたりまえっちゃーあたりまえだよねー、ねー、みたいな話をしてた。
んでだ、ハタと思い至った。
これは、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット、クローズド・サークル全てが含まれているのではないかと。
結論から組み立てた気配のする小説を読んだ時の強烈な既視感が俺を(以下略
だれが、こんなことをしたのか。
ってのは、オレが書かずに既に書かれてるからそっち読んでくれ。
んで、「盗作ではない」という話でこじれてるのはなにか、という話なのだが、
一回ここをハッキリさせとこう。
はい、1番の裁判沙汰にはなりません。両者ともコレはハッキリ認識してる。
盗作の定義ってのは曖昧で、そもそもアイデアは法律の保護対象にはならん。
具体的には『名探偵ドイル』であっても、訴えられて負けたりはしない。
映画ノベライズレベルで同じとかキャラクターが明らかに同じ(二次創作)で無い限り、
もうコレは相当に厳しい。
パクられたと言っている古野まほろの言ってることは突き詰めると
「俺のパクったって言えば許してやるよ」
という事になる。
盗作じゃない盗作じゃないって言ってんのに何度も絡んでるってのは、変だ。
これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。
自尊心の問題なのよね。
俺を無視するな、と。
そこで、どういう落とし所があり得るか。
ほれ、仁義とかスジとか浮世のギリってヤツ。
さてここで一つの問題が見えてくる。
星海社FICTIONS新人賞で、太田さんイチオシで、CLAMP。
さあ、日程逆算は野暮だからやめておくんだ!
と、いう状況下で、メフィストでデビューしといて他社に移籍した作家のプライドを満たすために何かをするか?
いかにして、それがなされたのか。
コレも俺が言ったんじゃないぞ
brainparasite
さて、高校生で名探偵でって話をしようとして、CLAMP好きそうならどういう"学園"にするだろうか。
普通の高校?そりゃ担任がボディーガードなら無くはないだろう。
ミッションスクール?まあマリア様は見てなくても考証が面倒だろう。
というか、高校ってのは中等教育機関だから、そもそも「伝統的な」高校ってのは難しい。
つうかぶっちゃけた話な、誤解を恐れずに言えば、
明治に諸列強と並ぶ国家にしようと、帝国大学を頂点としたピラミッドを作ったので、
教育機関ってのは、政府か、士族か、パンピーか、みたいな形になった。
慶應義塾を福沢諭吉が立ち上げた時に、政府に対抗した中産階級の教育機関を目指したのは、まあある意味で流れとしては必然だったのかもしれない。
閑話休題。
つまりだ、伝統的な高校で、軍閥のニオイを消しつつ権威を身に纏わせるには、サムライのガッコウってのは、オテガルなわけだ。
古野まほろや太田克史の出身校とか考えると、このへんは興味深いね!
実際に読むと判るけど、中村あきは清涼院流水系の、まあそういう芸風だ。
設定厨って言うよりは、真面目な顔した高校生が賢しらに推理合戦で謙遜しあう、あー、暑くてもぴっちり制服来てんだろうなーっていうそういう感じの話だ。
うっかり私塾からスタートして南洋研究機関を設置した島に移住してたら海軍に施設接収されたり学生総出で米軍に対向するようなおもしろ学園とは根本から違う。
絵は見えてる、書きたい内容もある、ではパッケージをどうしようって時に、誰と誰が相談する?
なにゆえに、それがおこなわれたのか。
別に新人賞でオリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。
いやー、そうね。
見事に「設定」に関する話しかしていない部分を引いて来ている所にセンスを感じる。
ポイントはね、誰も筆力を話題にしていない所。
高校生で400枚書くのが凄い、という話はしている。
クサしているのは、平たく言えば「見た目」の話。
想像して欲しい。
大日本帝国って名前の世界観で、子爵令嬢の依頼を受けた斬首死体に対面したり、瀟洒なホテルのラウンジで酒かっくらったりするガキどもが右往左往するアニメと、
いちおうは現代社会の公立高校で、女子バスケットボール部の壁写真が無くなったり、体育館でジュース飲んだりするガキどもが右往左往するアニメと、
絵面で観た時に、似ているだろうか?
つまり、星海社にとって芸風というのは、読んで想像した絵面が似ているか否か、だ、
というか、いっちゃなんだがフツーはそうだろう。
完全無欠の生徒会長の号令一下、無理難題を適当に片付けるって書くと「生徒会の一存」も「めだかボックス」も同じになっちまうが、読んで受ける印象は相当に異なる。
判り難かったらこう言い直せばマンガやラノベに詳しくない連中にも伝わるか。
この4作品はいずれもアーサー・コナン・ドイルの描いた誉れも高き史上最高の名脇役がモトネタだけれども、見栄えはずいぶん違う。
勿論、それぞれコナン・ドイル卿には敬意を払ってるが、例えばそれぞれがそれぞれの作品をいちいち上げたりしているだろうか?
(なお、モンタナ・ジョーンズに関してはマルコ・パゴット絡みでセーフ)
星海社に限らず、新人賞ってのは、いちおうは「応募された作品から」って話になる。
ただな、すげえオモシロイとか、ものごっつ読ませるとかじゃ無え。出版できるか、だ。
んだがね、例えば新人賞が出てない回ってのもあるわけで、応募がゼロだったからじゃない。
ほいでだ、「出版すると設定がヤバイ」ってヤツがハイペースで原稿用紙を埋められるとする。
するってぇとだ、
新人賞ってのは、「審査員の考える出版できそうな作品」に与えられる。
別に要件がツマビラカになってるわけじゃねえから、当然応募側はよく判らんで爆死する。
じゃあ、「審査員の考える出版できそうな見栄え」を「見た目で落ちたヤツ」が知ることが出来れば
言ってみれば効率良く新人賞を通過することが出来るってスンポウだ。
ここは、ひらかれていない。
1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。
2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。
3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。
イラストに大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。
はたしてそうだろうか。
中村あきのデビュー作、『ロジック・ロック・フェスティバル 〜Logic Lock Festival〜 探偵殺しのパラドックス』の主人公は、『中村あき』だ。
古野まほろのデビュー作、『天帝のはしたなき果実』の主人公は、『古野まほろ』だ。
そりゃあいくら太田さんに縁の深いメフィスト賞たって、50回も近くなりゃあうっかり読んでない作品が合ってもオカシクナイヨネー
って、真顔で言えるだろうか。
そして、そんな作品がぽっと現れた時に、
太田さんが大きく関わる星海社でそれを見逃す編集者が果たしているであろうか?
すべては、めいはくでは、ない。
身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。
そーねー
登場人物はこれで全部で証拠も全て揃っているので、後は推理するだけでござい、とはならん。
「犯人はおまえだ!」というセリフを一度は言ってみえてモンだが、そうもいかん。
しかしだ、状況を平静な目で見つめた時にだ、
に、世界観だとか設定だとか、小道具の話が入ってないのは、弁護士に相談した結果じゃねぇだろう。
誰が、どのように、何のために、「新本格」推理小説を出版したのかを考えると、
シャーロック・ホームズを読んでいると、ホームズは一度読んだ新聞記事なんかを、
ワトソンが来たら声に出して読んでもらっているよ。
印象にのこったところ
この新味は本編の最後まで通底する。
すごく良いほうに効いていると思った。
バディの円熟期。
物語の前提の大胆な省略。
(ホームズというタイトルが持つ説明不要、問答不要のパワー!)
映画:原作よりもレベルを上に調整したワトソン、パリッとした、心身ともに強い医者(+荒事好き。賭け事好き(スリル好き)という設定追加はすごくいい)
家宅侵入を手伝うことを決めたときのワトソンの顔(許嫁の両親に会う約束の日)
しかし頬のできものに、ちょっと気を散らされてしまうのは愛嬌。
名前を叫ぶだけで、こちらにくるなと伝える。
致命的なトラップを発動させてしまうワトソンのヌケは、原作のようなヌケで、それはそれで、イイ!
メアリー役の人の芝居がすごいと思った。
過不足なく、終幕の説得力(ホームズがメアリーを認める)に繋がる。
終盤の一幕。
中盤、列車の中で、これに関する教授とアイリーンの明確な会話の一幕。
当のホームズとアイリーンの間では、弱みの正体について、明確な会話はなされないところがいい。
(アイリーンが握られれている真の弱みは、また別にあるという感じもするけど。
そういう含みも、込みでイイ。)
恋愛だけじゃなく、友情でも似たようなことはあるよ。
シャーロック・ホームズなんて最初は変人で社会から認められなかったけど、
ワトソンと知り合ってから徐々に認められ始めた。
ワトソンと会う前は豚の死体だっけ、棒でぶったたいたりピストルで撃ったり、
しかし医者で元軍属(だっけ?)というエリートの常識人がルームシェアするようになって、
「ホームズってのは訳解んない人だけど、あんな常識人が友人なんだから、何か俺の知らないいいところがあるんだろう」って
友情が担保になって社会的に認められるようになった。
ホームズが実力で認められるようになったのは、この後。
このあたりの話題関連。
米 Christian Science Monitor紙から適当に訳出(ちなみにこの新聞、題名とは裏腹に宗教色は薄いことに注意:参考記事)。
ワトソン率いるシー・シェパードの支持者は、第二昭南丸の無謀な行動が衝突の原因だという。批判側は、アディ・ギルの行動が衝突を不可避にしたと指摘する。
第三者としては、この動画からは何とも言えない。
しかし、熟練の航海士や船長たちからメールで寄せられた情報の一致するところでは、全ての船が衝突を回避するためのあらゆる対策を取る責任があり、非難の矛先としては、アディ・ギルのように小さくて操縦しやすい船が、旋回のしやすさゆえ、通常はより多くを負うという。
「長い歴史のある航海航法の原則では、小さくて小回りの利く船の側は意図を明確に、大きくて動きが重い船の操縦を妨げないように求められている」と、元航海士の一人は記す。
同航海士曰く、「小さい船が帆船や人力(手漕ぎ)の船で、大きい船が機械化された船のような例外を除いては、原則は明確に、小さい船にclass上(訳注:航海用語の知識不足のため訳せず)の優先権があったとしても、大きな船をどかせるような状況を回避するあらゆる努力を求めている。理由は単純で、大きな船は小さな船を見て反応するまでに時間がかかり得るからだ。つまり、海軍でも商船でもいうように、『総トン数ルール』が全てに優先するのだ」という。
国際海事機関の衝突関連規定は1972年に制定され、現在も有効であるが、同規定は、アディ・ギルの側に多くの非があるという立場を裏書きすることになりそうだ。アディ・ギルは何日もにわたって、第二昭南丸に乱暴に接近したり、船首に突進したり、レーザーで日本人船員の視力を一時的に奪おうとしたり、金属線でプロペラを止めようとした。以下の動画はクリスマス前に撮影されたもので、そうした行動の一部を物語っている(大音量でテクノ音楽が流れるので注意)。
http://www.youtube.com/watch?v=pR96rKo6M7k
同規定は「全ての船舶は、他の船舶の取り得る限りの進路を避け、早い段階で明確かつ実質的な行動を取ることが求められる」とし、動力船は、「機動力の限られた船」や「漁撈中の船」の進路を妨害してはならないとしている。
今、デートのお誘いのメールを女性に送った。合コンで知り合った女性。
普段筆不精な上に、携帯のメールなんて仕事以外ではしないから、使い勝手がわからなくてさ、
1000文字以下なのに書くのに数時間も費やしてしまった。特に絵文字っていうの、携帯独自の
やつ、あれの使い方がまったくわからなくて…結局、利用しないで、まるで仕事の文章みないな
メールを書いて送った。俺、オールドタイプ。仕事の重力に縛られた人間。3倍早く動くMSに乗る人間に目の敵にされるかも。
合コンって人生初めてでさ、というか女性と知り合う機会がほとんどない職場だから、女性が多数いるというだけで緊張
してしまい、ほとんど無口だったんだけどね。まぁ、もともと人見知りが激しいほうだから普段でも無口なんだけど。
で、一人、かわいい子がいたわけですよ。参加メンバーの中では別格。かわいい系の子が。
合コンの後に幹事が気を配ってくれて、メアドの交換時間を作ってくれて全員とメアドの交換をしたんですよ。
俺の携帯電話の女性のメアドが1人(母親)から4人に一気に増加。テラ凄い。4倍だよ。4倍。俺、高見山より凄い。
以前、というか初恋から今まで、恋といえば、"何もしないまま月日が経ち、気がつくと好きな子が別の男と付き合っている"
というのが毒男のパターンというかルーチンワークだから。地球が太陽の周りを回っているのと同じ普遍の法則。
何か、周りの恋愛馴れしている奴とかマニュアル本とか読むとか、一回あっただけでデートに誘うのは避けたほうが良い。
二回ぐらい集団であってから、その後にデートに誘ったほうが良い。とか言うわけですよ。
そんな事はないと、毒男のおいらは言いたいね。こちらが二回会う前に男前さんが持っていくだろうと。
大体、集団で合うって事はおいらが幹事をやれってことかい。無理無理。幹事に必要な統率力とかカリスマ性は
というわけで、今までの反省を踏まえて速攻をかけてみました。Bクイック。元バレーボール部らしい例え。
考えてからメールを送ると躊躇してしまうから、文章をさらりと読み返した後に、一気に送信ボタンを押して、送りました。
送信ボタンを押した時のおいらは、きっと輝いていたに違いない。
今はメールを送ってから約10分経った。返信はない。
大学院生の人に聞いてみたい。大学院に入ると、周りに優秀な人が多くて、皆、自分がいかに凡人であるか自覚すると思う。科学の発展のために優秀な人材を集めることも重要だけど、「天才のクローンを作った方が手っ取り早い」と内心思う人は、どれぐらいいるのだろう?
だって、才能が開くかどうかわからない何千何万の原石(大学院生)の中から宝石(ScienceやNatureに論文を通せる人)を捜すより、既に見つかっている宝石を大量生産するほうが、コスト的に安上がりで効率がいいのは、誰の目にも明らかじゃないですか。ぶっちゃけ、後、数十年すれば、大学院の運営コストよりも、天才のクローンを作るコストの方が低くなると思う。そうなったら、どう対応するの?企業は、絶対、比較するよ?原石で花開くかどうかわかっていない大学院生と、既に天才であることが分かっているクローンと、どちらが適切な投資対象か。どっちを雇ったら、儲けが出そうか。
今の大学院生が生きている間に、きっと、そういう時代が来る気がする。日本やアメリカは倫理問題でもめてやらないだろうけど、シンガポールなら、天才のクローンを作りそうだ。
追記:
「後何十年も先の話をするなら、AIその他に賭けたほうがいい。」
という意見がありましたが・・・すみません、僕の専門はAIの一分野です。結論から言えば、数十年後には、下記の科学者ロボットのような方法で、セレンディピティ(偶然による発見)を効率的に行うようなロボットは可能だと思います。ただ、論文や設計など、何かを生み出す行為については、結局、人間の専門家の介在が必要になると思います。それは、機械が劣っているから、ということではなくて、論文や設計は、「人間の役に立つかどうか」が最終的な評価基準になるからです。「人間の役に立つもの」は人間にしか評価できないので、それを作り出すのも結局のところ人間だと思います。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-37315620090403
また、「クローンの天才が同じ能力を発揮するとは限らない」といった意見をもらいました。結論から言えば、この辺は、「実際に天才のクローンを作って実験してみないと分からない」ですよね?おそらく、クローンの専門家にとっても、そうだと思います。それに、生まれてきた後の教育方法の方が、クローン技術より、成功に大きく関わると思います。天才のクローンを作ることは、確かに倫理的に残酷ですが、凡人の世界では才能の不足によりそれより倫理的に残酷なことが日常的に行われているのですから、それに比べれば、特に問題はないのではないでしょうか。学業で失敗して自殺したり、学資が滞って学業をあきらめたりすることに比べれば、天才のクローンとして生まれる方が、よっぽど倫理的に残酷でないと思いますけどね。
「天才の定義が明らかでない」という問題は、多数決で決めればよいのですから、そんなに問題ではないと思います。「天才を一人推薦してください」では語弊があると思いますが、「クローンを作るのに値する人物を推薦してください」と素直に聞けばよいでしょう。既に世の中は、そうやって投票や推薦で決まる賞であふれているわけです。「自分のクローンを作る権利」が賞品としてもらえる賞を一個新設した、と思えばいいでしょう。自分がイメージしているのは、数学的な天才です。テレンス・タオとかたくさん増えたら、数学が発展しそうじゃないですか。
追記2:
やはり、数学優位の分野じゃないと、否定的な意見が多いのですね。一応言っておくと、僕は東大の院生です。自分の分野では、本人にいくらやる気があっても生まれ持った数学的な才能がないと、真に革新的で素晴らしいと言える業績は挙げられない、と思っています。「やる気はあるんだけど、数学がなぁ・・・」という人を、何人も見てきました。一応、自分程度の才能でもそこそこの業績は上げられそうな気がしているので、大学院にいますが。
自分も、科学全般について天才のクローンを作ることにそこまで意味があるとは思っていません。分野によって、天才のクローンを作ることに意味がある分野とない分野があると思います。極端な話、DNA発見者で、優生学的な発言をしているワトソン博士のクローンを作っても、意味はないでしょう。彼がいなくても、別の人がいずれDNAの構造を発見し、今に至っていると思います。その意味で、アインシュタインの業績も、彼がいなくても他の人が同様の発見をしたと思います。当時最先端だったテンソルなどを持ち込んだのは、アインシュタインの大学時代の同級生で数学教授だったマルセルでしたしね。
ただ、数学・数理科学に関しては別です。数学は才能に頼る部分がとても大きいので、天才のクローンを作ることに意味があると思います。最初にこの記事を書いたとき、数学に限定しなかった僕が悪いのですが。「天才のクローンを作ろう」といっておきながら、「後の教育に依存する部分が大きい」というのが矛盾だという意見がありましたが、別に矛盾していないと思います。
という、至極当然のことを言っているだけです。実際に、このように考えて、教育すべき(自分が時間を割いてあげるべき)学生を選んでいる(大学)教員の方は多いのではないでしょうか?
端的に言って、自分の意見は、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」というものです。もちろん、倫理的な問題はありますし、心理的な抵抗もあります。ただ、心理的な抵抗があるからといって避けていては、本当のところは分かりません。倫理的な問題・心理的な問題は置いておいて、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」ということが正しいかどうかのみを問うているわけです。
自分は、IQの高い人やノーベル賞学者の精子を集めた精子バンクには、あまり意味がないと思っています。それは、「子供にどれだけ親の知能が引き継がれるのか」というところに大きな疑問が残りますし、仮に、その点がデータで示せたとしても、子供の知能の分散が大きくなれば、結局、「クローンを作らずに普通に学生を集める」という選択肢と比較したときに採算が合わなくなります。「クローンというのは単なる年の離れた一卵性双生児だ」という意見がありますが、であるならば、一卵性双生児の間の知能の相関などの値から概算して採算があえば、この案を採用してもよいということになってしまいますよ。
追記3:
"取り敢えず、攻殻機動隊を見た方が良いんじゃないか。"という意見がありましたが、僕はアニメ版は攻殻機動隊は、ほぼ全て見ています。SAC、2ndGIG、SSSと、映画のGHOST IN THE SHELLとイノセンスを見ています。
よく経済を血液に例える人がいるけど、これはおかしいと思うんだ。
ていうのは、血液っていうのは足りないと死ぬけど、必要以上に血行が良くても意味ない、というかそれはそれで死ぬ。
その点は経済もそうで、おそらく必要以上に金を回しても意味がない。でも足りないと死ぬ。
ところが、血液と金の大きな違いは、必要以上にあった場合、血液は貯めておいて貧血のときに使うということができないが、金は貯めておいて貧乏になったら使うということができる点だ。
この点で金は、血液というよりも食料に近い。食料が欠乏すると飢え死にする。しかし過剰にあっても意味がない。保存食にしておいて飢饉のときに食べる。それが正しい食料のあり方だろう。
もし、過剰に食料があるときに全部食べてしまい、あとで飢えに苦しむとしても自業自得だろう。今日本の経済はそういう位置にいるとも言える。
もしも大量に金から変換したアメリカ国債がその保存食だとしたら、それを食べることで生き残れるかもしれない。しかし食べようとしたらアメリカが怒るから食べられない、というのであれば、それは保存の方法を間違えて腐らせてしまった食料だとも言える。自業自得だ。