はてなキーワード: ワトソンとは
男が男である苦悩、女には当てはまらない男ならではの苦悩、というと
https://anond.hatelabo.jp/20171128224207とかhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/52809のような
「自分が女より劣っている故にプライドが満たせない苦悩」「女を支配出来ない事による苦悩」になってしまうからね。
んでこういう苦悩を抱えた主人公を出すとしたら、多くの読者に共感され、良い創作だと認められるような行きつく先は
「それを苦悩だと考える主人公個人の問題であり、主人公がその認識を変えなければならない」にするしかないんだよ。
「これは主人公個人ではなく、女より劣った男・女を支配できない男は認めないという男社会の風潮の問題であり、
そういう風潮を変えなければならない」と言うメンズリブ的な思想は多くの男性には受け入れられない
(エマワトソンの演説が未だに男性に反発されているのを見ればいい)し、
かと言って「男より優秀な女や、男に支配される事を嫌がる女が悪い」という結論にすれば
それはただ男性にのみ都合が良い女性差別的な悪しき結論とみなされるだけで、
そういう創作は山ほど存在するとは言え、それが公に認められる事はまずない。
逆にそれを裏返した「女ならではの苦悩」は
愚者(あほ)が出てくる、村外(とかい)が見える――『屍人荘の殺人』批判に答える
第28回鮎川哲也賞を受賞した今村昌弘『屍人荘の殺人』が話題になっている。私も読んだ。
夏休みに大学生たちが山荘を訪れて、その場が閉鎖状況となって連続殺人に発展するという、設定だけなら片手で数えられる以上の似た作品を諳んじることができよう。
しかし、本作はその閉鎖状況の構成要因が変わっている。それが閉鎖状況下で発生する第一の(一見平凡な)密室殺人や第二の殺人を、この状況下「だからこそ」の、より不可解な謎を生じさせている。
(余談になるが、この構成要素に関して、小説の興趣を削ぐからと箝口令を敷く空気が流れているが、要素そのものが真相でもなく、そこから推理小説としての面白みに繋がるわけだから、過敏になる心証がよくわからない。だって、みんな有栖川有栖『月光ゲーム』の内容紹介に火山噴火のことが書いてあるからって怒らないでしょう?)
そして、謎解きの段に於いても、用意された設定が存分に活かされたうえで意外性のある真相へ導かれていくのだから、新人のデビュー作としては文句のない出来だ。
選考委員の一人である北村薫氏が選評でも書いているように、年末のミステリ・ランキングにもランクインすることだろう。江戸川乱歩賞受賞作が出なかった2017年に至っては最大の新人である。票が集まる可能性は高い。
なお、これより先の文章は『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は注意されたい。そうは言うものの作品分析とは違うので、そういうものをお望みの方には本文章は無用である。ほかの小説や評論を読んでいるほうが、よほど有意義な時間の使い方というものだろう。本格的な『屍人荘の殺人』論は私も読みたいので、その仕事はほかの方にお任せしたい。
それでは本題にはいろうと思う。
あらゆる作品に言えることだが、普段そのジャンルの読者を標榜する輩が仲間内で褒めているうちは、実際の読者数はそんなに多くないというのが常だ(そういう輩は自分の村の外には碌に目を向けられない田舎者で、声だけは無駄におおきい)。
一方そういったジャンル読者のなかから以下のような記事(詳細はリンク参照)を書く者が現れ始めると事態は変わってくる。田舎者が批判するのは他所者と相場で決まっている。つまり、彼らの仲間以外の人々がその作品について(読んで)語っていて、その感想へのカウンターとして下記のような記事は生まれてくる。これはより多くの読者を獲得しつつある、要は売れる兆しと言える。
http://rikuriaikawa.blog.fc2.com/blog-entry-28.html
本人のtwitterを拝見する限り、文学フリマでは200頁超のミステリ評論も頒布したらしい。熱心な書き手である。残念なことに自分はミステリ評論のほうは手に入れていないのだが、それほどの分量なのだから、すくなくとも労作であることは間違いないだろう。
もし、そのミステリ評論も先に紹介した記事と同程度の読みの確度であるなら、物を書くことに徒に時間を浪費するより、余生は別の趣味を見付けることをお勧めしたい。
読者の疑問に対して、作者が答えられる機会はそう多くない。作者一人に対して読者は数千数万といるわけだし、アホな質問にいちいち答えられるほど作者も暇ではない。
なので、ここでは氏の疑問に対して僭越ながら自分が答えたいと思う。
もちろん私は『屍人荘の殺人』の作者ではない。ましてや作者の知人でも、インタビューして伺ったわけでもないので、あくまで氏と同じ読者の立場から作者の意図を拾って回答するかたちとなる。ここでの回答が作者の望むものとは同じでないことは(こんなこと本来は言うまでもないことだが)留意してほしい。
「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」という記事を書いた藍川陸里氏は、冒頭を読む限りでは、まず『屍人荘の殺人』が「過剰に絶賛されて」いる状況に疑問を持っている。本作が完成度以上の賛辞を得ている点には、私も反論はしない(とはいえ、その現象に対して私が差し挟む疑問や意見もない)。氏は本作に関して「さすがに不備が多すぎるんじゃないか」と、本人曰く「辛口のレビュー」を展開している。
しかし「レビュー」とは言ったものの、「手落ち感のあった16の箇所」を列挙しているだけなので、いわゆる書評の体裁からは程遠い。「手落ち感」という予防線を張った書き方も気になるが(明確に「手落ち」と言えるのであれば手落ちと書けばいい。取って付けたようにオブラートに包むことで批判を「雰囲気」に回収して最初から退路を用意する書き方は、物を書く(それによって批判する)者のスタンスとしては最低である)、ここは氏のやり方に倣って自分も箇条書きにて回答したい。
念のためもう一度注意を促すが、これより先の文章は明確に『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は、このくだらない文章を読む前に、興味があるなら作品を読むことをお勧めする。世評や他人の感想ばかり集めて読んだ気になるのは、読書に於いて最大の愚行である。
……登場人物のひとりが話す(映画における)ゾンビの特徴を実際に発生したゾンビに当て嵌めて話を進めるのは納得いかない、と氏は批判している。しかし、謎解きの道具である特殊設定(現実では有り得ない設定)の説明に筆を割けば割くほど、物語における主従が逆転して本末転倒になっていく。氏の指摘は尤もだが、これは特殊設定を活かしたミステリ全般が孕む問題であり、本作に限ったものではない。ほかにもそういう作品があるから本作でも問題にならないというわけでは勿論ない(こういった問題をクリアしている作品もちゃんとある)。本作はミステリ研究会の会員が作中でミステリについて言及するなど「お約束」を踏まえた舞台づくりになっていて、更にそこに加えられた異常な状況を、ゾンビ映画の「お約束」で説明している構図になっている。自己言及的なこういう遊びは、すれっからしのマニアもにやりとさせるためのサービスなのだと考える方が多少は面白く読めるというものだ。読書はすこしでも楽しい方がいい。
当該記事のなかでは数少ないまともな指摘なので、あまり長くなっても仕方ない。ここで止めておこう。
……記事から引用しよう。「第一の殺人ではゾンビがなぜ部屋から消えたのかは犯人からの自白によって落下したということが明らかになるけれども、さすがにそこは落下したという証拠を元に推理をして探偵が独力で辿りついて欲しかった」
端的に言って、この指摘は誤りである。まず、犯人指摘より前の段階、第一の殺人の真相が明かされた直後に探偵役は「詳しい状況はわかりませんが」という留保のうえで、「星川さんは進藤さんと揉み合いになり、手すりを越えて下へと転落したのでしょう」と推理している(267頁2-3行目)。この推理は厳密には真相と異なるが、星川麗花(ゾンビ)の落下に関しては自白の前に既に推理が為されている。何より、第一の殺人直後の現場検証に於いて「ベランダの窓は外に向かって開け放たれ、足跡というほど明確な形ではないが何者かが歩いたような血の跡がベランダの外へと続き、手すりにもべったりと付いていた」と手掛かりまで書かれている。
また、この項目のなかでは「最後に犯人を指摘する際、葉山か静原のどちらかが犯人だというところまで来て、結局しズはらの自白により犯人が決定したのも手落ち感があります。この腐対rのどちらが犯人なのかという所はちゃんと推理で絞って欲しかったです」と指摘が続く(誤字まで原文ママ)。
しかし、これに関しても、用心深い読者なら頁を遡って「彼女に見送られて俺は部屋に戻り」(191頁8行目)という記述を見付けたことだろう。この記述から、最後に自室に戻った人物(=犯人)が静原美冬であることは明白である。語り手の意図によって一部欠落した記述はあるが、彼は嘘はついていないので、上記の箇所も手掛かりとしては有効だ。ここまで親切に手掛かりが用意されてあるにも関わらず、確認もせずに批判する人間がいるとは思えない。もし確認したうえで上記のような批判を出しているのであれば、氏は真に恐ろしい書き手である。
……探偵役が提示した「全員が死ぬか生きるかという追い詰められた状況で、わざわざ密室の中の進藤さんを殺す必要があるのか」(142頁6-7行目)という謎の提示に対して、氏は「その真相が「こんな状況じゃなくても元から殺す予定だった」っていうのはさすがにしょぼすぎる」と批判しているが、これも正しくはない。
まず、第一の殺人(進藤殺し)の犯人は「元から殺すつもりだった」(290頁16行目)静原ではなく、ゾンビとなった星川である。よって静原の動機は、ここでは本来関係ない。
また、第一の殺人における眼目は「なぜ殺したのか?」に見せかけた「誰が殺したのか?」である。犯人が人間ではないという真相が明かされることによって「なぜ殺したのか?」も明らかになる。明かされる事件の構図から考えても、「動機がしょぼい」という批判は的外れとしか言いようがない。
……「推理の根拠となったのがただ1つ「布団の裏側に血がついていた」というものだけ」とのことだが、2.の回答でも書いた通り、そんなわけがない。
そもそも、この疑問自体がほとんど2.の重複で、さして意味のないものである。きっとこの項の手前で氏は一度記事を書くのを中断したのだろう。途中まで書いた内容を忘れて、同じ疑問を書いてしまったに違いない。
5.1つめの殺人の顔が食べられた謎
……このあたりから、箇条書きの見出しも日本語が怪しくなってくる(係りが不明瞭である)。
進藤の顔がゾンビとなった星川に「噛みちぎられた」理由は解決編で犯人が話している通り「星川さんに口づけをした」からである(292頁14-15行目)。氏は本当に解決編を読んだのだろうか。
……この項にいたっては、該当頁の典拠さえ誤っている。他人の文章をあげつらう労力の何割かを自分の文章に向けることをお勧めする。
7.登場人物の名前をゴロ合わせで覚えやすくしているけれども意味がない。
……難癖以上のものではない。
8.キャラの書き方が雑すぎる
……言い方を変えてはいるが、新本格に対する「人間が描けていない」という批判と何が違うのか。ここで繰り返すのも馬鹿らしいことではあるが、謎解きを主軸に据えたパズル・ストーリイに対して、心理描写の多寡をあげつらうのは的外れも甚だしい。こういう時に出てくる「深み」という言葉は、どうしてこれほどまでに浅薄に聞こえるのだろう。
9.音楽の伏線の回収は面白かったけれども、伝聞であるのが良くない。
……このあたりから作品評を離れて、遂に難癖をつけること自体が目的となってくる。氏によれば、探偵役とワトソン役が体験した以外に集めた手掛かりはぜんぶ信憑性はないそうだ。それでは、探偵役が証言を集める事自体が意味はなく、安楽椅子探偵は頭から存在を否定されることとなる。
10.最初のワトソン役の推理がものすごく適当な推理をする意味が分からない
……氏曰く「偽の推理をさせる場合は最低限納得できるものにしてほしい」とのことだが、こういうのは可能性の消去であって、推理に於いては当たり前の手順である。
……だから、どうしたというのだろう。
読者を驚かせることが推理小説の第一義でない以上、犯人の予想がつくことは瑕疵とはなり得ない。
何よりメタ読みは推理でもなんでもないので、それで犯人がわかることを殊更に主張する真意がわからない。
……叙述トリックが本筋でないことは誰が読んでも明らかだ。これもまた的外れな批判である。
……「――あげない」
強い口調。
「彼は、私のワトソンだ」(302頁15-18行目)
この箇所にすべてが書かれてある。氏が、こういうロマンティシズムに感興の湧かないひとなのだと思うだけである。
14.3つめの殺人の毒の入手方法は面白かった。けれども、毒を仕掛ける部分の描写がさすがに不足している
一から十まで書かれていないと理解できないのだろうか。書いてあることも理解できていないのだから、仕方ないのかもしれない。
15.屋上まで逃げた時に、丁度ヘリコプターが来るのはさすがにずるい
……「救助のヘリが現れたのはそれから四時間後」である(303頁18行目)。
何がずるいのかさっぱりわからない。
それでは、何時間後にヘリコプターが現れるのが現実的だというのかご教示いただきたい。
……読みやすさは、ひとつの美徳である。「引っ張ってくれない」と作者の「もてなし」を求めるのは、「お客様は神様だ」と宣うことと何が違うのか。こういう考えを抱く読者が改心することを願って已まない。
ここまで氏が指摘した「手落ち感のあった16の箇所」に対して回答したが、その後も熱心に指摘が書き連ねられている。
それらのひとつひとつに付き合う程私も暇ではないが、看過できない指摘もある。
「選評で北村薫が「奇想と本格ミステリの融合」と評しているのだけれども、ただゾンビを出しているだけだと思います。化け物が出てくれば何でも奇想とするのはさすがにどうかとは思いました」
……恐ろしい。とうとう選考委員の北村薫氏まで批判の対象となるのである。
推理小説に於いて「奇想」という言葉が謎の不可解さや意外な真相を形容する語として用いられることは、多少推理小説を読み慣れている者には周知のことだろう。もちろん北村氏も、ここではゾンビの存在を踏まえたうえで事件の不可能趣味や真相の意外性を以て「奇想」と評して、それが本格ミステリの作法に則って書かれているから「融合」と賛している。
決して「ゾンビ」が出てくる事自体を「奇想」と評しているわけではないことは、前後の文章を読めば大半の読者にはおわかりのことと思う。文脈が読めない読者というのは、作者にとっては脅威以外の何物でもないだろう。
田舎者も村の外を一歩でれば、自分の価値観や考えが偏ったものと知ることとなる。
そこで考えを改めるか、それともこれまでの考えに固執するかで人間は分かれる。
すくなくとも、村の外に出ることなく、出ていった者や訪れてきた者を思い込みで批判する人間は、内と外どちらにとっても害悪以外の何物でもない。
まずは卑小な自意識を捨てて、村の外に出ることを勧める。(WY)
かの有名な探偵シャーロック・ホームズは今も僕たちを魅力する。
ホームズが魅力的なのは、僕たちができることを極限まで研ぎ澄ませ完璧にしてみせるからだ。
例えば、ワトソン博士とはじめて会ったときの推理は理由を聞いてしまえば納得してしまう。
そして最近ホームズが行っていることは実は啓発書の書いてあることと類似するのではないかと気づいた。
1ホームズは何でも疑う
これはいわゆるゼロから考えろというものではないか。できないと決めつけないのもそうである。
2ホームズは考える時にパイプを吸ったりバイオリンを弾いたりする
物事を理解するにはアウトプットがよい。紙に書いたりもそういったもの。
まだあるのだがこの辺で
例えばさ、俺は個人的にお付き合いするならやっぱり美人な女性の方がいいけど、
他の男が醜い女を好くのは勝手だし、ブスを好む男が増えて男の好みに多様性が出て、
結果的に美醜での抑圧に悩む女性が減るならそれはむしろ望ましいことだと思うわけ。
だから、どこかのブコメにあったけど「男はもっとブサイクな女にも目を向けて付き合え」という主張はアリだよ。
なぜならこれは、個々人としての男にブサイクな女をあてがうべき、と言う主張ではないから。
けど「高収入な女性が貧乏男を養うべき」と言う主張が出るとさ。
まるで自分の行動が強制されたかのように、即拒否反応を示す人が多いよね。
で、自分が好きな男とくっつく自由は保障されたままなのに、貧乏男とくっつく女性が増えるのが気に食わないのはなぜか?
って話でしょ。
「で?フェミは俺達を救ってくれないの?うわー、差別だぁ。ダブスタだぁ。一貫しろよー」といいながらニヤニヤしてる余裕が透けて見えるから
大体何を望んでるのかわからない。
「女をあてがえなんて言ってない!!」っていうけど「弱者男性がパートナーに選ばれない不幸」を嘆いてるし
モテないことでプレッシャーがかかるのが問題なのかと思ったらエマワトソンの「モテなくてもプレッシャーのかからない社会にしましょう」には噛み付くし
結局女がほしいのかと
童貞云々はおいといて、これだよな。
強者→弱者に対する「気にすんな」って言葉はおもっきしマウント行為なのに、
強者の輪の中では「アンタはえらい」「思いやりがある」「やさしい」という評価になる。
馬鹿か。
自分らが葡萄を取り上げられたら途端にうろたえる癖に満たされてる状態で言ってくる。
みたいな態度を取れるのがまさに強者の態度だよ。
そんなもん弱者男性は求めてないのに聖人ぶりたくて自己顕示欲に利用しようとする。
偽善どころか真っ黒な悪だよ。
変な気遣いをせずに空気のようにいないものとして扱うのが最善だから。
それ以外は何の解決にもなっておらず弱者男性に剣山ぶつけるだけってことが強者は理解できない。
なぜエマワトソンがその素晴らしい表明をしたのか、今まで誰もしなかったのかというと
既に指摘されてるとおり、それが実現性ゼロで誰も救われないからだよ
そういうできもしないことを言って感動させるってのは既にジョンレノンで通り過ぎた道でしょ
今2017年現代でそんなこというやつは馬鹿か承認欲求・自己顕示欲満たしたがってると思われるから誰も言わないわけ
言うとしたら自信を持った実効策とセットで表明される
実行抜きならまだしも自分が強い男と楽しんでるエマワトソンが言ってもまるで説得力がない
これがエマワトソンじゃないどっかのおばさんなら乞食が政治語ってるのと一緒でスルー余裕でした
いや、Twitterをエマワトソンで検索したら呆然とするレベルの馬鹿男がズラズラでてきてアンチフェミって本当に脳みそないなと驚いたけど
…というのが多くの男にとっての疑問となっているのが、昨今のジェンダー論界隈のgdgdさではないか、と思うわけだ。
いやだってさ、あのスピーチ、「フェミニズムを助けて!」て主張じゃなかったのだろうか?違うのか?
それが昨今の議論では「フェミニズムはお前のママじゃない」となっているのでよく分からない。
男にとっては、救済を求められたはずなのに、フェミニズムは万能薬じゃない、という話に移行してるので、頭に疑問符しか浮かばないのである。
要するに「具体的に男にどうしてほしいのだ?」と聞きたいのだ。
(いやと言っても、短時間のスピーチでそこまで詳細に語れというのが無茶だし、そこら辺ワトソン嬢を批判したいというわけではないが…)
「ワトソン嬢のスピーチは分かった。で、男に対して仔細にどうしてほしいのだ?」と。
別にワトソン嬢でなくても、他のフェミニストの方々誰でも良いんだがな。
勿論別に絶対しろとは言わんし、しないことを糾弾なんてしないけど。
女性の皆さんは何となく実感できると思うけど「男は具体的に言わないと分からない」んですよ。
まあ「そんなこと一々言ってやらないから察しろ!」と言うのも良いけど
それって正直至極非効率だと思うのですよね。
元記事は、エマワトソンの演説の社会的な意味合いを説明するのに、
ドラえもんのとあるエピソードを引用してわかりやすく説明しているわけで、
ついでに、「ドラえもんのこの話にはこういう含意もあるわけで、それは
社会的弱者を描く藤子不二雄の作家としての能力の深さだね」と結論付けているわけだけれども、
一体そのどこに不満があるのかが、君の書き込みを読んでもよく分からない。
というより、エマワトソンの話自体がよく分かってないんだろうなと思う。残念なことに。
そもそもこの話が「ダメな自分と結婚する未来が訪れないようにしずかちゃんを遠ざけようとした」って話だってことは一ミリも否定されてない。
ドラえもんの話に含まれるそういう深い含意に気がつかなくても、もちろんドラえもんを楽しむことはできるし問題はないんだが、