はてなキーワード: ワイプとは
https://anond.hatelabo.jp/20221205215401
これでディスられている自称音楽チャートアナライザー()を観測しているが、最近は結構方向性がおかしいことになっている。
・ベストアーティストでジャニーズの司会者が他の事務所のボーイズグループに話題を振るかどうかをチェックするのが歌番組で大事なんだ!
・Adoの映像のワイプにキンプリがずっと映っていることはAdoに対する侮辱だ!
・ボーイズグループがパフォーマンスしているときにジャニーズがワイプに出ない、忖度だ!
・CDの大量買いでランキング1位になるのは社会を反映していない!オリコンはクソ!ビルボードこそ全て!(要約)
・紅白のブッキング担当者と会話したい!なんなら自分がブッキングしたい!
(ちなみに紅白に関しては言及先の記事で上がっている人のほうがずっと追ってる分詳しいしフラット)
・ビルボードがサーバー落ちをしても予算の都合上サーバー増強しないのはおかしい、読み手に配慮しろ!
・ビルボードの発表(無料)が数分遅れたのに謝罪がないのはおかしい、読み手に配慮しろ!
・音楽サイトの記事のタイトルがおかしい、アクセス稼ぎのために派手なタイトルにするのはだめだ!
・藤井風の楽曲が人気あるのに触れないのはおかしい(「死ぬ」って言葉を使ってるからだと思うけど)、報道しろ!
・レコード大賞に安住さんをつかうのは局に忖度する可能性が出る、やめろ!
・イーロンマスク辞めろ!
・青森ではフジテレビが映らないからワールドカップが見れない!
ビルボードジャパンへの運営に対して苦情に近い指摘(更新時間ちょうどに更新しない、サーバーが落ちるなど)をするわりにビルボードチャートを崇拝している。
確かに「社会へのヒット」はオリコンより反映しているのだけれど、結局再生キャンペーンやファンの対策()でランキングが操作されるので、それは絶対ではないと思っている。
ビルボードを優先するかオリコンを優先するかなどは運営によって決めればいいと思うし、ビルボードを選ばなかったからといって責められるものではないと思う。
しかしこれらのチャートアナライザー()は目標にビルボードではなくオリコンを選んだ場合はここぞとばかりにそのアーティストを批判する。
めいちゃんという歌い手が再生キャンペーンを用いて再生回数を増やした時の目標がオリコンだった時は本当にひどかった。
また、今度はこんなことを言っている。
今回のチャートポリシー変更がデジタルの充実に向かわせるのではなく、コアファンも含めビルボードジャパンを意識しないようになるのではと邪推してしまう自分がいます。その危惧に現実味を帯びさせないよう、音楽チャートの認知拡大やエンタテインメント業界全体での環境改善、また音楽ファンが監視の目を持つことは急務と考えます。
この人が行っていることは監視でも提案でもない、「自分が思い通りになること」と「思い通りになったときの承認欲求」でしかない。
こんなことを願うのは好きではないが、いつかどこかの界隈が大きく燃やしてくれることを願っている。むしろ今まで炎上していないことのほうが不思議だ。
一応消毒ワイプしてるだろう
視点死刑とは心の中に植え付けられた観念が視点へと変質し、常に内面を除かれ内側から支配さる状態を指すがこのような気味の悪い病にも社会性があると思われる。
例えば松本人志の「遺書」がそうである。この松本人志の「遺書」が日本のお笑い会に多大な影響を与えたことに異論はないだろうが、お笑い会のみならず一般社会にも多大な影響力をもったのもまた事実であろう。
一般人が「俺はどちらかと言うと突っ込みタイプ」とか「俺はどちらかと言えばボケ」だなとか言い出したのはどう考えても「遺書」以降であるし、当時はみんな松本人志の真似をしていた。
「遺書」の中にちりばめられたさまざまな言葉、哲学、思想がテレビ会を良くも悪くも「汚染」したのも事実であろう。
「遺書」以降日本のテレビ番組がつまらなくなってしまったのは疑いの余地の無いところである。
で、その理由として松本人志の言葉が観念化し、テレビ会を凝視する視点へと変質してしまったと考えることは出来ないだろうか。
このボケや突っ込みをしたら松本人志につまらないと思われるの恐ろしく、笑いの質を変えざるを得なくなってしまった可能性はないだろうか?
松本人志的なあるいはダウンタウン的な笑いが日本中を席巻し芸人も一般人もパクってたし、はっきし言ってそれはつまらぬものでしかなかった。
日本のテレビ番組は「遺書」以降どんどんつまらなくなっていった。
たとえばビートたけしが昔に比べてつまらなくなったのも、素直に笑いたいけど笑えなくあの、ビートたけし特有の「ニヤリ」とした笑いかたも「遺書」以降によく見られる現象である。
私はビートたけしのバイク事故も「遺書」に敗北感を感じたビートたけしの自殺だったという説を持っているがどうであろうか?
最近のお笑い芸人は何でもかんでも突っ込み、しつこいし、これは浜田雅功のパクりとしか思えないし、ワイプに映るタレントの笑い顔も「笑わなきゃならず笑ってる」という感じで素直な笑いではない。
最近の笑いはボケから突っ込みまで全てが予定調和でつまらないし、そこにはやはり松本人志の「つまらない」という視点があり「つまらない」と思われるのが怖いからではなかろうか。
どう考えても松本人志の「遺書」以降日本のテレビ番組は変質してしまった。(そんななかお笑いの質が遺書以降も全くぶれなかった島田紳助は流石と言わざるを得ず引退が非常に惜しまれる)
笑いコンビは別にどちらがボケでどちらが突っ込みという決まり事なんかないのはたとえば、とんねるずやウッチャンナンチャンを見ればあきらかで、
その時々の状況に応じてどちらが突っ込んだりボケたりすれば言い訳で別にお笑い形態としては、必ずしもどちらがボケでどちらが突っ込みといった役割分担が必須というわけではない。
ウッチャンナンチャン的、とんねるず的なお笑いコンビがもっといてもいいわけである。
ダウンタウン以降、ほとんど全ての笑いコンビがボケと突っ込みの役割分担がはっきりしており、今は昔ほど酷くないが少しでもダウンタウン的な要素があるとつまらなく感じるのであった。
兎に角松本人志の視点がテレビ会に内在化されてしまったことは疑いようのない事実である。
明石家さんまですら、松本人志の視点を感じながら番組に挑んでるのも全く事実であろう。
ダウンタウンも歳をとりもうすぐ還暦である。流石に昔程の輝きはないが、ダウンタウンがどんどんつまらなくなっていくのと日本のテレビ番組がつまらなくなっていくのは軸を一にしており、繋がっているとは言えないか。
番組制作スタッフも本音を言えば正直松本人志の視点が邪魔で重苦しく感じているのではなかろうか?
私に視点死刑の刑が執行されたのも、「遺書」の発売年とほぼ被るし、私を自分の支配下に置こうとした彼は松本人志の芸風をよくパクっていた。
気味が悪く絶対に誰も同じ目にあいたくない視点死刑という刑罰も実は彼のオリジナルではなく社会性があったのであり、私を支配下に置こうとした彼も時代の手のひらの上で踊らされてたのである。
番組名が「テレビ体操」なのに、なんと「ラジオ体操」を実施するときがある。
具体的には、水曜午後(ラジオ体操第一)と金曜午後(ラジオ体操第二)。
放映は最大で1日3回。
具体的には、朝6時半頃、10時前、14時前。
あと、国会が始まると、朝以外の放映は無くなることが多いのが残念。
質疑する片隅にワイプを設けて、いつも通りの体操を放映してほしいものである。
というか、その時間だけ小休止として質疑を中断し、国会議員がテレビ体操するんなら一石二鳥かもと思ったり。
そんな冗談はともかく、仕事の小休止として、テレビ体操は非常にオススメである。
うちの職場では、仕事前と昼間の体操の他に10時頃と14時頃のテレビ体操もやってるので、1日4回身体を動かしていることになる。
おかげで、デスクワークながらも肩凝りとも無縁の生活ができている。
「オモウマい店」という番組が視聴率取ってて面白いという噂を聞きつけ、本日初めて視聴してみたが、
安すぎる料金で運営している飲食店を取り上げていて、飲食店だけでは資金が足りないから空いた時間にアルバイトしているけど、運営者は楽しくてやっているという内容だった。
芸能人にワイプで「安い。もっと値段上げてもいいんじゃないの」と言わせておいて、VTRはそれを美徳とする作りになっていたのが、日本が全体的に貧乏になっている原因だというのを象徴している内容だった。
また、その店主がゲームやカードをコレクトしていたが、妻が「全部売らせました」「邪魔なので」と言って、番組側が笑いを被せていた。本当にドン引きしてしまった。まだこんな笑いの取り方をしているのか。これで店側に視聴者のクレームが行かなきゃいいけど、とか余計な心配をしてしまった。
ゴールデンタイムでこんな地獄な番組がもてはやされているというのは、テレビは国民を貧困に陥れようとしているんだなあと感じた。先行きは暗い。