はてなキーワード: ロバートとは
たとえば今だと多数決ならとある宗教を「邪教」として禁止さえできそうですよね。でも、多数決でも、「内心で信仰させろ」「儀式は続けさせろ」までは侵せない理由付けが「自由」です。
反多数決主義の難点という議論がアメリカで古くからある。選挙で選ばれていない裁判官がなにゆえ選挙で選ばれた国民代表議会の法律を覆すことができるのか、というやつである。これは、単なる哲学的問題ではない。19世紀末から20世紀前半にかけて、産業資本の著しい発展の弊害が顕在化してきた。それに対して立法的対処を行ったところ、裁判所が「契約の自由」を盾にしてそれを違憲にしたところから来ている。
もう少し具体的に言おう。ニューヨーク州議会が、パン屋の労働時間を規制する法律を作った。一日10時間、週60時間までという規制である。これに反して処罰を受けたあるパン工場経営者は、労働者をどのくらい働かせるかについては、契約の自由があるのだからそのような規制は違憲であると主張した。そして連邦最高裁はその主張を認めたのである。このような判例法理が通用した時代のことを、この著名判例(Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905))の名前をとってロックナー時代という。
すったもんだの末、ロックナー判決は否定されるに至る。どのように否定されたかというと、これがある意味羮に懲りて膾を吹くというようなやり方なのである。すなわち、裁判所は議会の制定した法律については、原則として合憲の推定を与える。議会制定法については、①目的が正当か、②目的と手段が合理的に関連しているか、しか裁判所は審査しない。換言すれば、手段の必要最小限度性を要求しないということであり、まことに緩い審査基準である。こうなるとまたしても困った事態が発生する。確かに、労働関係の規制については、そのくらいゆるい審査で良いかもしれない。しかし、議会に自らの利益を代表してもらうことができないような少数派の利益を押し潰すような法律を議会が作った場合も、そんな緩い審査基準を適用して良いのだろうか。連邦最高裁は、戦前の判例の中で、キャロリーヌ・プロダクツ判決(脱脂粉乳の規制に関する法律が問題になったのだが、それは措く)の脚注4で、人種的・宗教的あるいはその他の少数者の利益が問題になった場合などは、別の処理をするかもしれませんよ(この事件はそういう人が問題になっていないが)、ということを仄めかしている(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938))。
このような戦前のアメリカの判例を取り入れて始まったのが有名な二重の基準論である。二重の基準論は、精神的自由については厳格な審査を、経済的自由については合理性審査をという図式として受容されているのだが、実際には、一般的には裁判所は合理性の基準という緩い審査しか行わないが、政治過程の中で不利になっている少数者の利益が問題になる場合は、審査基準を厳格化する、というものなのである。一般論としては合理性の審査しかしない、というのがミソなのである。
芦部説はこのような議論を巧妙に換骨奪胎(?)し、精神的自由の制限は、政治過程そのものを傷つけるおそれがあるから、原則として審査基準が厳格化する、という議論を立てた。こういった議論はアメリカにも見られる。ところが、これを逆に考えると、精神的自由の制限であっても、政治過程そのものを傷つけるおそれがない場合には、裁判所は合理性基準で審査するべきだ、ということにならないだろうか(ロバート・ボークというある意味悪名高い裁判官が直球でそういうことを言っている)。これが問題になる典型的な事例が「わいせつ」である。少なくともハード・コア・ポルノ※に関しては、その禁止が政治過程を傷つけるとは言えないだろう(アメリカの場合、猥褻obscenityに該当する言論については、第一修正によって保護されないので、合理性審査すらしなくても良いということになっているのだが、それは措く)。わいせつの規制は、精神的自由の制限ではあるが、厳格審査に服しないというのが、反多数決主義の難点に対して一般に合理性審査を行うという解決法を用意した司法審査論の帰結となる。
ハード・コア・ポルノに対する規制を(も)廃止するべきだと考える者が、表現の自由論や民主主義を素朴に信奉するのも考え物である。一般論として合理性審査をもたらす反多数決主義の難点という論点それ事態を疑ってかかる、つまり、多数決によって事態が進行する議会政、多数決主義それ自体を排撃したり、あるいは、ハード・コア・ポルノの規制に対しても厳格な審査をもたらすような議論を何とかして立てるほかあるまい※。そういうことをしない表現の自由の信奉者は、表現の自由で戦死せざるを得ない。
※長谷部恭男『憲法』などを読むと、刑法175条違憲論が、単なる「表現の自由」によって支えられているわけではないということが分かる。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが。嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・上杉鷹山
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに産めるなと言い残した。
・明治天皇
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、助かった。
3歳上のエディスと結婚。彼女とのデートから着想を得て、ベレンとルーシエンの恋物語が創られた。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
・田中角栄
8歳上のはなと結婚。はなは表に出ず、陰で夫を支え続けた。
イギリスのチベット学者。妻は1歳上のアウンサンスーチー。妻の民主化運動をロビー活動で支援したが、自宅軟禁により引き離され、二人が再会することは叶わなかった。
ザイオンス効果という言葉を初めて知った。wikiによると以下のことなんだそうだ。
単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか、英: mere exposure effect)は、(閾下であっても)繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果。1968年、アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスが論文 Zajonc (1968) にまとめ、知られるようになった[1]。
ザイアンスの単純接触効果、ザイアンスの法則、ザイアンス効果などとも呼ばれる。対人関係については熟知性の原則と呼ばれる[2]。
はじめのうちは興味がなかったものも何度も見たり、聞いたりすると、次第によい感情が起こるようになってくる、という効果。たとえば、よく会う人や、何度も聞いている音楽は、好きになっていく。これは、見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説(misattribution of perceptual fluency)で説明されている。また、潜在学習や概念形成といったはたらきもかかわっているとされる。
図形や、漢字、衣服、味やにおいなど、いろいろなものに対して起こる。広告の効果も、単純接触効果によるところが大きい。CMでの露出が多いほど単純接触効果が起きて、よい商品だと思ったり欲しくなったりするのである。
Z世代に顕著と元増田はいうのだが、上記定義をみると、広く言えば、むしろ日本の集団主義的な組織風土をドライブするメカニズムに関係しているように思えるね。単純接触効果を組織内でうまくつかって「うちわ」の安心感を醸成してゆく、というか。
従来の日本の組織というのは、年配者が半ば強引に、単純接触の機会(パワハラ的指導、飲みにケーションが最たる例)をつくり、すでに組織内で支配している層に居心地のいい「うちわ」感を若者に覚えさせてゆくプロセスを通じて、世代間の組織風土の持続性が図られてきた。80年代、上司の室田日出男が新人部下の中井貴一をオルグして毎晩カラオケについていったように(ふぞろい世代)。
そういう見方をしてみると、要するに、ザイオンス効果をとらえて、Z世代の特徴かというと、よくわからない。
恐らく、ザイオンス効果自体は変わらないけれども、変わったのは環境なんじゃないかな。Z世代以前以後で。
Z世代以前と以後では、世の中の居場所、選択肢が急速変化している。
80年代のティーンの居場所は、学校かゲーセンか、盛り場、塾だったし、学校が嫌になった場合の逃げ場が限られていた。
通信手段も、携帯電話は存在しなかったから、友達からきた電話を親が先にとる時代だった。娯楽も限られていた。
消費者の選択肢が少ないから、メーカーもプロダクトアウトな発想で、繰り返しCMを流し、消費者に刷り込みをかけてマスな製品を作ってしまえば市場を席捲できた。ソニーのウォークマンが典型。これもザイオンス効果のひとつといえる。
マスな動きに取り込まれる(流行に乗る)ことが取り残されない条件だったし、会社でも上司に従うしか、居場所を見つけられない時代だった。
政治選好的にも、当時の自民党VS社会党というのは、絶対的な安心感を与えていて、とにかくうちは自民党、うちは問答無用で、昔っからおたかさんみたいな時代。
そして、学生から社会人など、環境が変わるたびに、通過儀礼的に「その空間での安心感はこれだ、こういうやり方してりゃいいんだよ」と新参者は叩き込まれる。
しかし、90年代以降の動きというのは、情報革新によって、ニッチな居場所、環境が急激に増えた時代。あるいは気が付くことができるようになった。
ニッチな環境がどんどん増えて、自分で居場所を選べるようになった。
政治も細川政権以降、離合を繰り返した。会社組織も働き方や仕事の仕方に、多様性を認めるようになってゆく。その最初のきっかけは80年代、転職というムーブメントだった(リクルート)。
しかし、自分で転職したり、ニッチな空間をみつけて得られる安心感というのは、自分の欲求ニーズにジャストミートをするという意味では安心だが、例えば自民党を疑いもしない時代に比べると、寄る辺のなさを感じるものであり、かつてほど盤石ではなく流動的で、大きくもない。
そしてかつてのような大きな主体に取り込まれることの安心感が少なくなっているんだろうと思う。
昔だったら、そういう大主体は自分から探すものではなく、人生のステージがあがると、会社の上司が象徴するように、待ち構えているものであって、
飲みにケーションの洗礼をあびて、数年で組織に同化していった。同化の過程は最初は激烈でキツイんだけど、集団に慣れると逆に居心地がよくなるのだ。
ザイオンス効果という言葉をあえてつかって、前世代の特徴をいえば、オルグする、という意味で、プッシュ型のザイオンス効果。紙の新聞メディアもその典型で、世の中の標準的な考え方というものをテレビや新聞などのメディアを通じて受け入れるプロセスが存在した。
しかし、情報通信革命がもたらしたニッチな空間、居場所への気づき、というのは、自分から自発的に、その時々で感じている不安・ニーズを解消する場所へ向かえるようになった、という意味。
自分から安心を探し出す、という意味ではプル型のザイオンス効果。簡単に答えがみつかるからSNS依存を深めてしまう。自分の疑問や不安は自分からググればなんとなしに答えが見つかる、という。Togetherは都合のいいようにあたかも大勢の人が考えを共有しているかのような細工をして答えを提供してくれる。電子掲示板やSNSの、自分と似た意見や思想を持った人々が集まる場で、自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする、いわゆるエコチェンバー効果が議論されるようになったのも2000年代初頭。
こういう時代には、何が標準的な考え方で、支配的な考え方なのか、それを新聞などマスなものを通じて確認する、ということが難しくなっている。
SNSなどを通じて自分の求めている何かを見つけてしまえる安心感と引き換えに、いろいろな人がいろいろな場所に安心を見出すようになって、マスなものにピントが合いにくくなってしまった。
だけれど、恐らくザイオンス効果がプッシュ型であれプル型であれ、本質的に、よりマスなものを求めて安心する、という傾向は変わってないんじゃないか。
一方で、プッシュ型のオルグからうけるストレスに、自分で答えを探すことによってすぐにすり抜けてしまう、ここにZ世代の特徴があるかもしれない。
昔だったらほかに選択肢もないことから、ちょっと我慢して順応せざるを得なかった組織も、今ではそのストレスから逃れる手段も選択肢も豊富。
ストレスから逃れた先に、当面の安心感はあるかもしれないが、マスなものに比べれば脆弱だ。
それはパーツパーツでちょっとした安心感を消費するものであって、全体として組織が自分を傘のようにかばってくれるような安心感ではない。
それはむしろ、自分で集めた安心、時代のキーワードを寄せ集め、組み合わせてコンセプトを自分なりに構成していかなければならない。
上司の説教など、プッシュ型を避けてしまえた結果というのは、つまりそういうことだ。しかし、そういう構成力というのは、若者の経験、能力、資質にどうしても依存してしまう。
自分自身をふりかえってみても、そういう試みというのは、一時しのぎになりがちだ。安心をみつけるのはほんとに安易になった時代だ。
しかし、だんだんわかってくる。マスなものも慣れてくる。経験を重ねるとみえてくるものが増えてくる。その経験値の差が今の時代に、なんとなく世代間の差のように映じているんじゃないだろうか。一昔前だったら、そんな個人的な経験値など全くどうでもいいものだったと思う。
若年層の政治的な保守性というのは、保守の理念への信頼ではなく、
寄る辺のなさからなんとなしに選択されているんだろうと思える。
もう一度繰り返すと、ザイオンス効果自体は、安心を求める日本社会において、Z世代を特徴づけるものというよりは、全世代に通底するものかもしれない。
いつかロバートの秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。
池袋の夜は華やかはあれど、昭和の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気。
バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
新宿の歌舞伎町が、かつて持っていた日本一のネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは池袋西口なのだろうか。
父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
この街は変わらないと。
目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。
東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である。
今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。
あぁ、大学一回生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。
それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガンのトムクルーズよりもカッコよく見える。
父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。
池袋駅西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。
お前が成人してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」
その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。
そんな私がなぜだか悔しかった。
トクヴィル効果(トクヴィルパラドックスとも)[1]とは、社会的条件や機会が改善されると、社会的不満がより急速に増大する現象である[2][3]。 フランス革命とその後のヨーロッパやアメリカにおける改革に関するアレクシス・ド・トクヴィルの観察に基づいていると言われている。この効果を説明する別の方法として、「食欲はそれを糧とするものによって増大する」という格言がある[4]。 より大きな社会正義が達成された後、以前よりもさらに小さな社会不正に対して熱烈な反対運動が起こるといった例である。
トクヴィル効果によれば、社会改革がそれに見合わない期待を高めることがあるため、社会的平等や政権による譲歩と意図しない結果との間の関連性を示唆している[5]。 トクヴィル効果によれば、プロレタリアートの没落の進行の結果としての革命というマルクスの理論とは対照的に、社会条件の改善の後に革命が発生しやすいとされている[6]。
1949年にハーラン・クリーブランドは、冷戦の文脈で彼は特に第三世界と関係があると考えた、期待の高まりの革命の概念を導入した[6]。それに関連して、政治学者のJames Chowning Daviesは革命のJカーブを提唱しており、富と進歩の期間の後に条件の悪化の期間が続き、革命につながると主張している[7]。またテッド・ロバート・ガーは相対的剥奪という言葉を用いて、改善への期待とそれとは対照的な厳しい現実があるときに革命が起きると提唱している[7]。
中央で計画されたが地方で実施された改革において、地方の実施が高い基準点を下回る場合にトクヴィルのパラドックスが起こる可能性が高くなる[7]。
アレクシス・ド・トクヴィルは、著書『アメリカの民主主義』(1840年)の中で、この現象を初めて説明した。
「特権に対する人間の憎しみは、特権が少なくなればなるほど大きくなり、民主主義の情熱は、燃料が最も少ないときに最も激しく燃え上がるように思われる。私はすでにこの現象の理由を述べた。すべての条件が不平等であるとき、どんな不平等も目を悪くするほど大きくはないが、一般的な均一性の中では、わずかな異同が忌まわしい。それゆえ、平等を愛する気持ちが平等そのものとともに絶えず増大し、それを糧として成長することは自然なことである」[8]。
改革と革命のパラドックスは、次の著書『旧体制と革命』(1856年)で次のように説明されている[7]。
"革命が破壊する体制は、ほとんどの場合、その直前の体制よりも優れており、経験上、悪政にとって最も危険な時期は、通常、改革を始める時である。"
https://en.wikipedia.org/wiki/Tocqueville_effect
DEEPL参照
ボーイスカウトの生みの親であるロバート・ベーデン=パウエルが書いたボーイスカウトのバイブル「スカウティングフォアボーイズ」という本がある。
その中でボーイスカウトに所属するような年齢の少年たちに起こりがちな「性欲」の悩みについての解決方法が乗っている。
パウエル卿はイギリス紳士であり軍人であったので「男らしい心を持っていれば誘惑を断ち切る強さがあるはずだ」とマッチョイズムからくる精神論でまずは攻めてくる。その後は「体調を整えろ」「冷水を浴びろ」「運動して発散しろ」と体育会系の解決方法が続き、最後に
「それでもなお困るならば、ないしょにしないでスカウト・マスターを訪れて、よく事情を話して相談すればすべてはよくなるだろう」
ホモじゃねーか!
ドナルド・トランプ前米国大統領は、安倍首相への攻撃は壊滅的であると述べた。彼は安倍首相を "本当に偉大な人物、リーダー "と評し、"私の、そしてもっと重要なアメリカの真の友人であった "と述べました。"これは、彼を愛し、賞賛していた素晴らしい日本の人々にとって、とてつもない打撃だ。我々は皆、晋三と彼の美しい家族のために祈っている!" トランプ氏は自身のソーシャルメディアアプリでこう述べた。
イランはこの銃撃を "テロ行為 "と非難した。イラン外務省報道官は、「テロの犠牲となり、テロリストによって偉大な指導者を失った国として、我々はこのニュースを注意深く、懸念を持って受け止めている」と述べた。
20カ国富裕層・発展途上国グループ外相会議のためインドネシアのバリ島に滞在中のアンソニー・ブリンケン米国務長官も、安倍首相の殺害未遂事件に懸念を表明した。「彼の状態はわからない。しかし、どうやら彼は撃たれたようだ。私たちの思い、私たちの祈りは、彼、彼の家族、そして日本の人々とともにある。これはとてもとても悲しい瞬間です」と述べた。
ドイツのアンナレナ・バーボック外相はツイッターで、「安倍晋三が撃たれたというニュースにショックを受けています。私の思いは彼と彼の家族とともにある "と述べた。バールボック氏は週末に日本を訪れ、米国の長崎への核攻撃の追悼式典に出席し、東京で日本のカウンターパートと会談する予定である。
ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、金曜日にシドニーでオーストラリアのアンソニー・アルバネーゼ首相を訪問中に、このニュースを知りました。アーダーン首相は、「深い衝撃を受けた」と述べた。「彼は、私が首相になったとき、最初に正式に会った指導者の一人だった。彼は自分の役割に深くコミットし、また寛大で親切な人だった。私が彼に会ったとき、彼が私たちのペットの最近の損失の後に尋ねたことを思い出します。小さなジェスチャーですが、彼がどのような人であるかを物語るものです」とアーダーンは言いました。「彼の奥様と日本の皆さまに思いを寄せています。このような出来事は、私たちを根底から揺さぶるものです。
アルバニーゼはツイートでその気持ちを代弁した。"日本から安倍晋三元首相が撃たれたというショッキングなニュースが飛び込んできた。私たちはこの時、彼の家族と日本国民に思いを寄せている。"
「私の親愛なる友人である安倍晋三が襲撃され、深く心を痛めている。私たちの思いと祈りは、彼と彼の家族、そして日本の人々とともにある」と、インドのナレンドラ・モディ首相はツイートした。
中国は「突然の事件」に「衝撃」を受け、安倍首相が危険を脱し、速やかに回復することを望んでいると、外交部報道官の趙麗健氏は述べた。
シンガポールのリー・シェンロン首相は、"無分別な暴力行為 "と非難した。「安倍首相はシンガポールの良き友人である。私は5月に東京を訪れた際、彼を昼食に招いたばかりだ。私の思いと祈りは、安倍氏とそのご家族のもとにあります」とリー氏はフェイスブックで述べた。
フィリピンのエンリケ・マナロ外務大臣は、大きな衝撃と落胆をもってこのニュースを知ったと語った。「深い哀悼の意を表し、一日も早いご回復をお祈りいたします」と述べた。
G20の議長国としてバリ島に滞在しているインドネシアのレトノ・マルスディ外相は、G20外相に安倍首相の「深い哀悼の意と一日も早い回復を祈っている」ことを伝えた。
マレーシアのサイフディン・アブドゥラ外相は、悲しみと衝撃を受けたと述べた。「マレーシア政府と国民は、安倍首相の一日も早い回復と、ご家族がこの悲劇に耐える力を与えられるよう祈っている」とツイートした。
オーストラリアのケビン・ラッド元首相はFacebookで、"世界中の民主的に選ばれた政治指導者に対する攻撃は、世界中の民主主義の支持者に対する攻撃である "と述べた。
他の2人の元オーストラリア首相、トニー・アボットとマルコム・ターンブルは、信じられないという反応を示した。アボットは「衝撃的な暴力行為」と呼び、ターンブルは「ゾッとした」と述べた。二人とも、安倍首相が切り抜けられるよう希望と祈りを表明した。
元米国国家安全保障顧問のロバート・オブライエンは、"日本とインド太平洋全体においてそびえ立つ人物 "として、安倍首相に賛辞を送った。"完全に回復するよう神のご加護がありますように "と述べた。
占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3,500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけ、その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の被害届けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目は占領とは「日本人女性に対する米軍の性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている[8]。
その後も在日米軍による犯罪は続き、1952年5月から1953年6月の警察資料でも殺人8、過失致死435、強姦51、暴行704など合計4476件の犯罪が報告されており、1954年2月には宇治市大久保小学校4年生の女子児童が強姦されたあとに陰部から肛門まで刃物で引き裂かれる事件が発生し、ほかにも4歳の幼児が強姦され、危篤状態になった事件や、突然狙撃されて死亡した事件などが多発した[9]。
日本占領後、多くの市民は連合国軍の上陸によって日本女性が強姦されることを恐れていた。こうした懸念から、内務省警保局をはじめ各省庁および都道府県庁は、女性らに自宅待機、避難、日本人男性から離れずいるようにとの注意喚起、また米兵との接触を回避するよう勧告をしている。
米軍が最初に上陸するものと推測された神奈川県では、県警は若い女性や少女に避難勧告をしている[10]。内務省警保局の情報にも「神奈川県ハソノ特質上敵ノ最初ノ上陸地点タルベシトノ想像モアリ「敵ハ十八日ニ神奈川ニ上陸スル」ノ流言多シ」とあり、戦争関連の諸文書が一斉に焼却廃棄されるなか、行政機関当局にも相当の混乱があったことが窺える。主要港湾を擁する横浜市では、幹部職員の全員逮捕処刑を前提として、緊急措置として市民のうちの婦女子の疎開避難、女子職員の全員解雇などを決定し、これをきっかけとして丹沢方面への疎開騒ぎが広まっていた。
これに呼応し、政府は内務省警保局長名で特殊慰安施設協会(RAA)の設立について全国都道府県に打診し、東京都下の料理飲食業組合、芸子置屋同盟、待合業組合連合会など7団体代表者により、特殊慰安施設協会が急きょ設立され、協会を通し「性の防波堤」となる志願女性を募集した[11]。これにより、各所に「進駐軍将兵慰安施設」が設置され、一例として横浜の大阪商船ビル、日本造船大丸谷寮、箱根、江ノ島の新設施設などがこれに利用された。GHQ当局は1946年1月に、「非民主的であり、女性への人権侵害である」との理由から施設の閉鎖と公娼の禁止を宣言したが、占領軍兵士を相手とする「私的」売春は継続され、兵士たちの間で性病が蔓延した[12]。
ジョン・ダワーによれば、特殊慰安施設協会設置の効果もあり、占領軍の規模と比較すると日本政府の想定よりは強姦の発生率は低かったが、同時に性病の集団感染も引き起こした。一例としては、検査の結果1個師団の70%が梅毒、50%が淋病の陽性反応を示したため、これを主因として売春施設は閉鎖されることとなった[12]。
公娼施設の廃止後、強姦の発生率は約8倍に増加し、ダワーの調査によるとRAAが活動終了した1946年以降、日本人女性に対する占領軍将兵による強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[13]。これに対してブルマは、「毎日40件以上の強姦が行われた可能性があるが、ほとんどの日本人は、アメリカ人は恐れていたよりも規律的だと認識していただろう」と述べている[14]。
テレーズ・スヴォボダは、慰安施設閉鎖後に強姦の報告件数が急増した事から、兵士に対する慰安婦の提供が強姦事件抑制に一定の効果があった事を認めている。スヴォボダはまた、一例として慰安施設の営業開始前に、待ちきれなくなった数百人の米軍兵士が二棟の施設に乱入し、そこにいたすべての女性を強姦した事件についても言及している[15]。 また、スヴォボダによると特殊慰安施設協会の廃止後少なくとも二件の大規模な集団強姦事件が発生している。
東京都の事例
スヴォボダおよび田中の調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院に侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した[16]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[16]。
名古屋市の事例
また、田中によると、同1946年4月11日に名古屋市の住宅街に侵入した30人から60人の米軍兵士が地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、10歳から55歳の女性を強姦している[17]。
マイケル・S・モラスキー(日本文学、日本語学研究者)によると、日本の警察の報告を読むかぎり、強姦やその他の重大犯罪は海軍を中心に広まっており、横須賀基地と横浜周辺における占領後最初の数週間の犯罪件数が突出しているが、日本本土全体では一般的ではなかった[18][19]。
上述のように、駐留米軍兵士による拉致、強姦、殺人は日本全体には波及していないものの、警察記録と報道記録が示している通り、凶悪犯罪を犯す兵士の多くが、1945年に日本に上陸し、最初の数週間の間に記録的件数の犯罪行為をおこなっており、占領最初の10日間だけで1336件の強姦事件が報告され、その後も9月一か月間の横浜市内での強姦事件は119件にのぼっている[20]。ダワーによれば、被害者が数人以内の場合には警察に報告すらされなかった。[21]
北海道の事例
歴史家の竹前栄治、ロバート・リケッツらは、米空挺部隊が上陸後、札幌市内において略奪、強姦、酔ったうえでの日本人への暴行などを働くことはまれではなく、強姦被害者の中には自殺した者も少なからずいたと述べている[22]。
ロバート・アイケルバーガー第8軍司令官は、非番の兵士から女性を保護するために日本人が自警団を組織した際、第8軍の装甲車に協力を命じ、事件の首謀者を逮捕したことを記録している。しかしダワーによれば、一方で強姦事件の中には警察に報告されないものもあった。
竹前とリケッツらによると、オーストラリア、英国、インド、ニュージーランド軍の一部によって構成され、中国及び四国の9県を占領していたイギリス連邦占領軍 (BCOF)も、また多くの強姦に関与していた。
オーストラリア軍は1946年に広島県呉市に上陸するとすぐジープで若い女性を拉致し強姦していた。被害者がほぼ毎晩助けを求めて泣き叫ぶのを聞いていたが、占領軍による犯罪行為の報道は封殺されていた[22]。中には、一人の少女が20人以上の兵士に回姦される事件もあった[23]。
イギリス連邦占領軍の公式報告では軍所属の将兵が1946年5月から1947年までの期間に57件、1948年1月から1951年9月の間に、さらに23件の強姦を犯し、有罪判決を受けたされる。しかしながら、1946年2月から4月にかけての英連邦占領軍による占領当初の重大な犯罪の公式統計は存在しない[24]。オーストラリアの歴史家ロビン・ゲルスターによれば、イギリス連邦占領軍の重犯罪公式統計は米国と同様に過小評価されているが、これには日本の警察が被害報告を占領軍に提出していない場合があり、これにより英憲兵隊が調査を行わなかった事も少なからず影響していると述べている[25]。
ジョン・ダワーによれば、GHQ当局は1945年9月から1952年の占領終了までの間、幅広い検閲(プレスコード)を日本のメディアに対して実施しており、開始当初には左翼活動や軍国主義、超国家主義的な思想といった思想分野が差し止め対象となっていたが、占領開始から数か月後にはこの範囲を大きく逸脱し、占領軍による強姦などの重大犯罪や社会問題も幅広く検閲の対象となっていた[26]。
竹前栄治とロバート・リケッツによると、占領軍は、1945年9月10日付連合国軍最高司令官総司令部令「占領活動に敵対的な全ての報告・統計発行物の違法化にむけた報道発表と事前検閲に係る規則」を定め、強姦などの重大犯罪に関する報道を統制していた。占領終了後、一部の日本の雑誌はアメリカの軍人が犯した強姦件数を発表している[22]。
2017年10月、デトロイト市消防局の見習い消防士であったロバート・パティソンは「人種差別を行った」として解雇された。彼が配属先の消防署にスイカを持ち込んだことが原因。
パティンソンは配属に先立ち、同局第2大隊長のショーン・マッカーティから「義務ではなく有志でだけど、何か手土産を持ってきて欲しい。手土産は大抵はドーナツだが、他に何か良いと思うものがあればそれを持ってきてくれ」と告げられた。
パティンソンはスイカをピンクのリボンで包装し、配属先となる第55ポンプ隊のある消防署へ持ち込んだ。パティンソンはこの行為について後にFOXニュースの取材に回答し、「あれは冗談でもなければ人種差別でもない」と述べている。
Wizardry五つの試練「奈落の底に」攻略中。ようやく地下7階~9階も先が見えてきたかな。
■地下1階
基本的に何もない。やたら複雑な形状の迷路をさまよってY=13、X=05にある地下2階へのハシゴを探すだけの作業である。
水路の深くなっているところは、地下4階でボトルシップを手に入れないと通れないので、最初は関係ない。
■地下2階
地下3階へ続くハシゴは2つあり、最初に到達できるのはY=01、X=04にあるハシゴだろう。
このハシゴの先は、実はどんなに頑張っても地下4階までしか到達できない袋小路である。
正しいルートはY=09、X=00にあるハシゴだが、普通に攻略した場合、このハシゴにたどり着くのは2階の探索が大方終わってからである。
というのも、このハシゴの手前にある扉は明かりがついてないと見えないにも関わらず、その手前の道は永続魔法を引っぺがすマスが連続していて、「明かりが消えた事に気付いてつけなおさないと扉に気付かない」構造になっているからである。
2階の探索が進むと、該当箇所が妙に不自然な空白として残るので隠し扉を疑って見つけられる、という寸法である。
■地下3階
前述の、「地下4階までしか行けない袋小路のエリア」と、正しいルートがあるエリアの2つに大別される。
正しいルートは特に難しい迷路ではないが、ところどころに「袋小路のエリア」へ飛ばされるワープや、「袋小路のエリアに通じる一方通行の扉」が潜んでいるので、そこを通ってしまうと地下2階に戻ってやり直さなければいけない。
正しいルートで地下4階に行けるハシゴはY=10、X=09にある。
■地下4階
地下5階へ続く広大なダークゾーンがあるが、ここに行く前に地下1階へのショートカットを開通させる。
必要なのは、Y=18,X=04にある閂がかかった扉を開く事と、ワンダリングモンスターが落とす「ボトルシップ」を手に入れておくことである。これで、地下1階からここまでショートカットで来られるようになる。
4階の半分以上を占める広大なダークゾーンは、中にワープゾーン4か所、回転床5か所、外に放り出す一方通行扉2か所を備える面倒くさい地帯である。
特に、ゴール寸前にあるY=03、X=19の北側にある一方通行扉は、通ってしまうと例の「4階までしか行けない袋小路」に放り出されるので、地下1階まで自力で戻ってやり直さなければならなくなる。
ダークゾーン入り口であるY=15、X=07からの、最短経路は以下のとおりである。
西へ1マス
南へ4マス
西へ2マス
南へ3マス
東へ1マス
南へ1マス(扉を通る+戦闘)
南へ2マス
西へ2マス
南へ2マス
西へ2マス
南へ2マス
東へ2マス
北へ1マス
東へ2マス
南へ2マス
東へ1マス
東へ1マス
南へ2マス
東へ5マス
北へ2マス
東へ1マス
南へ2マス
■地下5階~6階
地下5階~6階はセットになっている。
といっても複雑なものではなく、「地下5階」→「地下6階」→「地下5階」→「地下6階」という順に通るだけである。
まず地下5階に入ってすぐの通路は、ワープゾーンが3か所もあるのウィザードアイを使いながらワープゾーンの場所を特定する必要がある。
正解のルートは、入り口のY=00、X=00から南へ5歩。Y=00、X=15の東の扉を通って奥へ進み、突き当りで明かりをつけて、明かりがあると見えるY=14,X=04扉を通り、その奥の扉を通って、X=00列に戻り、Y=09行の扉を通れば、このループ回廊を抜けられる。
その先は大した迷路じゃないので、頑張ってY=08,X=10にある地下6階へのハシゴへ到達しよう。
地下6階の大広間は、Y=18、X=05のワープを見つけるのが最難関であり、それ以外に大して謎解きは無い。なお、このワープ地点は3方が移動床に囲まれ、東からしか到達できないので注意。
この地点から、マップ左下Y=06、X=05にワープするので、そこから東を向いて真っすぐ進めば扉に到達する。
扉を抜けた先のハシゴから、地下5階の今まで行けなかった場所に上がれる。
地下5階では、Y=02、X=12のシュートに落ちると、地下6階のY=02、X=12に出る。
そこから扉を二つ抜けた後、X=15、Y=00の地点に行って明かりをつける。(この周辺は、永続魔法をひっぱがすマスが多いので、あまり手前で明かりをつけても消されてしまって意味がない)
すると、明かり付けると見える扉があるので通る。そこから左に真っすぐで、地下1階とのショートカットを開通できるハシゴに到達する。これでようやく、地下4階の鬱陶しい大ダークゾーンを通らなくてよくなる。
で、ハシゴからさらに先に進むと警告の石碑があるが、そこから更に進むと地獄の地下7~9階に落とされるシュートがあるので、ルビーの靴を持ってないなら行ってはいけない。
ルビーの靴は、ハシゴより手前の道の先にある玄室群で周回してれば簡単に手に入るので、最低1個は手に入れてから地下7~9階に挑む事。
地下6階はアイテムの出がかなり良く、「ルビーの靴」以外に村正も手に入る。死の指輪は持ってると体力がガンガン減るが、売ると25万なので、ルビーの靴が余ってるなら持って帰って売りたい。
■地下7階~9階
地下7階~9階は3層で一セットとなっており、行ったり来たりしながら攻略しなければならない。
一度踏み入れると、くどいようだが、「ルビーの靴」以外で街に帰る方法は無いので、必ず地下6階の玄室群の中で手に入れておく必要がある。ここでのルビーの靴の出現率はかなり良いので、特に面倒くさくはない。下手すると他のアイテムを狙っている間にどんどん手に入って、売ったり捨てたりするくらいである。
地下7~9階は、ワープゾーンと回転床と一方通行扉が満載の迷路であり、とにかくやたらと振り出しに戻される。アイテムの出はかなり良く、村正・エクスカリバー・盗賊の短刀も手に入った。ルビーの靴はこのフロアでも出るがレアであり、体感的には100回に1回出るか出ないかくらいの確率。
振り出しである地下8階には魔力回復の泉があるほか、たまに魔力の杖も手に入るのでMPには困らないが、正しい道筋を割り出さないと闇雲に歩いても絶対に踏破できないので面倒くさい。ウィザードアイを腐るほど使わないといけない。
振り出しである魔力回復の泉のある部屋からの正解ルートは以下の通り。それ以外のルートは、色々ギミックがある割にどれも先に通じておらず、色々頑張った挙句に振り出しに戻されるたんなるトラップである。
まず最初の十字路は中央に回転床がある。方向をウィザードアイで確かめて十字路を北へ行くと、一見行き止まりだが、実はワープで別の十字路に飛ばされている。その十字路は、中央の交差点に行くとすべての永続魔法を黙って解除される。中央からは西に扉が一つ見えるが、実は扉は東にもう一つあり、その扉は明かりがついてないと見えない。つまり、中央で永続魔法を解除されたら、もう一度明かりをつけなおさないと気づかない。その明かりで見えるようになる扉が正解。その扉の先には2つ扉があるが、どちらも同じような所に続いているのでどちらが正解というわけでもないが、奥の扉から出ると若干ルートが分かりやすい。
この扉から飛ばされる先は縦2列の通路だが、正しい進み方を割り出さないと、すぐに戻される。
正しい進み方は、南を向いて左の壁に沿ってY=11、X=16まで進み、右に一歩移動し、右の壁に沿って4歩前に進み、左に一歩移動し、前に3歩進み、右に一歩移動し、前に2歩進み、左に一歩進むと扉の前に到着する。
その扉の先には7階に上る梯子がある。梯子を上った先は通路と多くの小部屋からなる地帯だが、この小部屋群が曲者で、Y=6,X=9の地点から、Y=6、X=7の地点へワープするのが正解ルート。6個並んだ扉の奥から3つ目に入り、その小部屋からは右の扉から出る、次の小部屋からは左の扉から出る、その小部屋で一歩前へ前進した地点がY=6,X=9である。(なお、6個並んだ扉の手前の方の扉は全て間違ったルートにつながるトラップである。一度入ると戻れない上、入った先に梯子があったりシュートがあったりで一見正解ルートにみえるが、実は頑張ってマップを完成させてみると全て行き止まりまたは振り出しに戻される以外に先が無い『手の込んだ行き止まり』であった。)
正解ルートの先、Y=2,X=3に地下9階に降りる道がある。降りた先はダークゾーンとワープゾーンがまだらに存在する地帯で、Y=5の行に北に抜ける扉が幾つもあるが、正解の扉はX=8の一つだけであり、それ以外は例によってかなり戻される。
この地帯はあっちこっちにあるワープがうっとうしい。最短経路は、最初に降りてきた地点から、東へ2歩、北へ2歩、東へ2歩でY=6のX=8に到達する。このマスには回転床があるので、ウィザードアイで方向を確認し、北へ2歩で正しい扉を通る。
北へ抜けた先には特に難しくはないワープゾーン付き迷路ががあり、その先の北東エリアにはモンスター訓練所という看板のある8×8の玄室群がある。やたらモンスターにエンカウントし、西に行き過ぎると例によって一方通行扉によって振り出しに戻される。
モンスター訓練所で行くべき場所は、北から2行目であるY=18の行。
そのうち倒すべきなのは西の方に出てくる旗本とかの混成軍。倒すと青いリボンが手に入る。
東の方に出てくる訓練所のボスであるロバートはかなり強い。平均レベル18で倒したが、侍3人ロード1人盗賊1人ビショップ一人で、村正2本、エクスカリバー1本という構成で殴りまくったが2,000くらいHPがあったと思う。総力戦になる割に、倒しても何も手に入らないし経験値も大して高くない。戦い損である。
訓練所から出てワープ地点を使い、例によって振り出しに戻るフェイクルートをかわしつつ西側に行くと、Y=7,X=0の地点に8階に上がるハシゴがある。
8階のX=0列では南北に延びる一本道とみせかけて、例によって途中で気づかれないようにワープが配置されていて、適当に進んでもどこにもたどり着かないようになっている。
この廊下を自力で解く場合、比喩抜きで1歩ごとにウィザードアイを使った方が良い。というのも、オートマッピングによって一度マップが出来てしまうと「どこからどこにワープするか」が分からなくなってしまうからだ。
正解のルートは以下の通り
まず北に7歩(Y=14)でX=1列のY=14にワープする。
そこから南に向きを変えて、5歩(Y=9)進むと、X=0列のY=5にワープする。
そこから北に5歩(Y=12)でX=1列のY=8にワープする。
そこから南に3歩(Y=5)で、X=2列のY=14にワープする。
そこから北へ5歩(Y=19)で、X=3列のY=6へワープする。
そこから北へ4歩(Y=10)で、この通路の出口である扉がある。
その先は、左の壁に沿って進んで扉を抜けて北の部屋に入り、更に左の壁に沿って進むと、部屋の北側の隅に地下9階北西部へ続くシュートがあるのでそこに落ちる。(後でもう一度ここに来て、シュートに落ちずに右側の部屋に行く必要がある※1)
シュートで落ちた先は、迷路ではあるが特に複雑なものではなく、振り出しに戻されるワープゾーン(3か所)に気を付けつつ進むと奥の扉の先で「鳳凰の置物」が手に入る。これを手に入れたら、一度振り出しに戻る以外の道はなくなるので、もう一度※1へ進む
※1で、シュートのある部屋ではなく右の部屋を左の壁沿いに北上すると、Y=6,X=4にワープし、その部屋の北東の隅から地下7階のY=10,X=5に上れる。
ここから小部屋を抜けていくと、Y=4,X=2に地下8階へ行けるシュートがある。
地下8階のY=10、X=6に地下7階に上るハシゴがあるので、これを上る。
地下7階の通路を進むと2連続シュートがある。この手前側のシュートは、最初に地下6階から降り来て来た際にも通る2段シュートである。ちょっと感慨深いが、当然ここに落ちると振り出しに戻るので、ここは超える。2個目のシュート(※2)に落ちるか、先に進むかの2択となり、先に進むと後ろに戻れなくなり、小部屋からY=15,X=7にワープする。
ここからまた北に向かうか南に向かうかの2択となり、北へ向かってしまうと振り出しに戻される。南に向かうとY=13、X=9の小部屋からY=10,X=04へワープ。そこから地下7階名物小部屋群が始まる。地下7階も大詰めである。
北東Y=18,X=19には魔力回復の泉があり、ランセット隊の隊長が引きこもっている。ここまで来れたならルビーの靴の1つや2つ手に入れてそうなもんだが、よっぽどアイテムの引きが悪いのか、街に帰れないまま人生を諦めている感じ。ルビーの靴を上げたいところだが、そんな選択肢はでてこないので仕方ない。ところで、魔力は泉でどうにかるとして、彼らは食事をどうしてるんだろう?
Y=16,X=0には、地下8階のY=16,X=0に行けるシュートがある。その一マス手前では親切にも永続魔法を全部ひっぺがしてくれるので、クリアマジックは必要ない。とはいえ、このシュートは地下8階の空白をちょっと埋められるだけで、新しくどこかに行けるわけではない。先に進むには※2のシュートに戻ってきて落ちる必要がある。まあ、※2の場所に戻ってきやすいので、まったく無駄なシュートというわけではない。
※2のシュートに落ちると、地下8階のY=9,X=12である。地下8階も大詰めで、左手法で壁に沿って進むとY=07、X=14の扉に到達する。この扉の中にはシュートが2つあるが、手前側右のY=8,X=15のシュートに落ちると、地下9階の行けなかった場所に落ちる事ができる。奥側のY=10、X=13のシュートに落ちてしまうと、モンスター訓練所の近くの踏破済み地帯に落とされてしまうので注意。
地下9階では、北側には扉、東側には通路があるが、どちらも不正解であり、戻されてしまう。正解は、マジックライトをつけると見えるようになる西側の扉。その先には、Y=6,X=18に、待望の地下10階へ続くシュートがある。
おつかれさまでした!
っつーかこのシナリオの作者、「ワープゾーンをやたらに作っておいて、正解のルートを通っても不正解のルートを通ってもそれに気づかせないようにする」という仕掛けがよっぽど好きなんだな。
この仕掛けって、あると分かっていても正解を割り出すのにひたすら手間がかかって面倒くさい上に、「マップが埋まってもいつどうやってそこに行ったかが分からない」状態になるので、マップに空白がある時より空白が埋まった後の方が分かりにくくなるという特徴があり、ひたすら面倒くさい。
ようつべで高橋洋一氏が地震予知の話をした直後に震度6強の地震が来てびっくりしたわけですが
地震予知の世界というのが想像以上に面白く、結果論的に当たっていないっていう人も多いし、ぷよぷよになぞられ
予知は不可能という理論もあれば、カオス理論的切り口で不可能というロバート先生みたいな方もおられます。
確かに、これまでの地震予知というのは過去に起こった地震を基にした確率論的地震発生率だったのですが、
東日本大震災以降、これでもかとばかりに大量にぶっこんだセンサーのお陰で、ぷよぷよがどれくらい積みあがっているか
くらいはわかるようになってしまったという流れでして、京都大の先生の論文にもあります通り、現状でわからないのは
地震前の応力場とか断層に働く摩擦構成則のような連鎖の発火点に関する理論が「固まっていない」というレベルであります。
すなわち不完全であるということですが、それでも精度が確実に上がっているのは間違いないです。
地盤から電磁波説につきましても北Cのミサイル案件と結合して、観測網が構築されていることは結構有名な話ですね。
それでちょっと個人的にやばいと思っているのが、今年の一月某耐震技術者の団体でそこの会長が今年はちょっとやばいみたいな
発言を漏らしていて、それが頭の中に残っているんですよね。これが今回の地震のことをいうのかそれとも一週間後に南海トラフ付近で
起こった地震のことを指すのかなんですが、どっちも同じくらいにやばいところで起こっているので、ぷよぷよが相当積みあがってる
ってことだけは間違いないんだなと。
もっとも、精度といっても半年から数年とかのレベルではありますが、巨大地震については、備えるようにっていうしかないです。
かつて東日本の時も一応怪しいって提言があったときは正直馬鹿にしていましたが、あの時は半年前からちょっと変という観測情報が
ちょっと出回っていた時がありましたね。 三か月くらいでこのありさまなのでちょっと不安ですね。皆さんも備蓄や蓄電など気を付けていきましょう。
教養になったは、さんきゅー
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真のスコットランド人論法(しんのスコットランドじんろんぽう、英語: No true Scotsman)、または純粋さに訴える論証(英語: appeal to purity)は、 非形式的誤謬のひとつである。普遍汎化に対する反例を提出されたとき、トートロジーを用いて反例を除外することで主張を防衛しようとする行為をさす[1] [2] [3]。普遍汎化を放棄したり反例を否定する証拠を提供したりせず、客観的な基準の代わりにレトリックを用いて汎化を修正し定義上その特定の反例を含まないようにする[4]。このレトリックは「真の、純粋な、正真正銘の、真正の、本物の」など感情に訴えかけるだけで本質的な意味のない純粋さの形容という形をとる[5]。
目次
1 例
2 使われる例
4 脚注
5 関連項目
例
哲学教授のブラッドリー・ダウデン(英語版)は、反駁された汎化の試みに対する「アドホックな救助」としてこの誤謬を説明している[1]。以下はこの誤謬の簡略化された一例である[6]。
B: 「私の叔父はスコットランド人だけど、粥に砂糖を入れていたよ。」
A: 「でも、真のスコットランド人は粥に砂糖を入れないんだよ。(But no true Scotsman puts sugar on his porridge.)」
使われる例
真のスコットランド人論法は主張者が以下の条件を満たしたときに使われたといえる[7] [3] [4]。
特定の都合の悪い反例を定義的に除外するよう変更した主張をする
レトリックを用いてその変更を隠す
純粋さへの訴えは、一般的に、肩入れしている集団の擁護に関連している。スコットランド人と見なされている誰かが凶悪な犯罪を犯した場合、スコットランドの国民の誇りの問題が危機に瀕していると想像できる。このとき、あるスコットランド人が犯した罪が他のスコットランド人と関連付けられる(これは関連性の誤謬である)ことを恐れ、この特定の構成員や行動がグループに所属することを否認する動きが出てくるかもしれない。「真のスコットランド人はそのようなことはしないはずだ」というのである。すなわち、「そのようなこと」をする人はトートロジー的に(定義的に)グループから除外され、そのグループのよい性質に対する反例にならないようにするのである[4]。
ロバート・アンダーソンは、「真のスコットランド人は……」というフレーズは必ずしも誤謬ではないと主張している。それは、このフレーズに含まれる「真」という用語の構文的文脈に依存するのだという[7]。
一般に、「真のスコットランド人」論法は「スコットランド人」にあたるものが文が指す対象と相容れない場合には正しい可能性がある。例えば、菜食主義は肉を食べないことであると明白に定義されている。したがって、「真の菜食主義者は肉を食べない」は「私の友達は菜食主義者だが、肉を食べる」に対する間違ってはいない応答になりうる。肉を食べることはベジタリアンであることと語義からして相容れないからである[8]。
これまで朝ドラを見る習慣はあまりなかった俺が、いまやっている「カムカムエブリバティ」はすげー面白と思って見てきたんだけど、昨日今日はちょっと詰め込みすぎ、かつ強引すぎる展開で正直気持ち悪くなった。
算太が雪衣に振られて、店の再建をすっぽかして失踪。
→安子が一人で大阪に探しに行って、疲れ果てて雨の中を倒れる。
→入学式を控えたるいが心配して、一人で(5歳なのに!)汽車に乗って大阪に。
→ロバートが助けて愛を告白しているところを、るいが偶然(!)目撃。
→安子は岡山に戻るもるいに嫌われ、呆然自失となっているところをロバートが現れて、一緒にアメリカに。
ことごとく「なんでそうなるの?」「んなわけねえだろ」という、納得できない展開ばかりで、もう見るのやめようかな・・・・
自民党総裁候補の高市早苗さんが2030年代に実現する(最初は2020年代)と言って話題になった核融合。高市さんのキャラもあってか「そんなもんできるわけねーだろ」的に扱われることもあるが、実は世界の核融合ベンチャー企業では「2030年代に核融合実現」を掲げて100億以上投資を受けている企業が複数あるので、業界としてはさして驚きはないのである。というわけなので、いくつかの核融合ベンチャーと、官製の核融合実験炉であるiterについて簡単にまとめてみる。
冷戦終結の一つのシンボルとして米露が共同で建設を決めていたiterに、単独で実験炉を作るのを予算的に躊躇していた各国が相乗りしたのが現iterの体制である。
建設地決定の遅れや、上記の各国が機器を持ち寄って組み立てるという、みずほ銀行の勘定システムばりにカオスな体制のために建設は当初予定から20年近く遅れ、2025年初稼働(テストみたいなもん)、本格稼働は2035年という状況になっている。実はこの遅れが核融合ベンチャーが乱立する現在を作ったと言っても過言ではない部分があって、というのも、核融合ベンチャーにはiterに予算が取られて食い詰めた研究者が立ち上げた組織が多いのである。
炉形式は保守的なドーナツ型のトカマク。国際協調なのであまり斬新なアイデアは盛り込まれず、磁石も昔ながらの低温超伝導導体を使う。
投入エネルギーの10倍程度の核融合エネルギーを出すことを目指すが、投入"電力"ではないため、正味はマイナス。発電設備も持たない。ここで得た知見を元に発電を行う"原型炉"を設計する、というのが各国政府の公式な計画(ただし予算は決まってない)である。
iterなどの保守的トカマクが、よくあるドーナツ的な形のプラズマを作るのに対して、球状トカマクは球の真ん中に細い貫通穴を通したような形状をしているのが特徴。球状トカマクは磁場を使ってプラズマを閉じ込める(押し込める)のに有利ではあることがわかっているものの、まだ高温・高密度での実績は弱い。
トカマクエナジーは高温超伝導導体で球状トカマクの磁石を作ることを目指している。球状トカマクは保守的トカマクに次いで実績があるので(日本には九州大学にQUESTという中型装置がある)核融合ベンチャーとしては「目新しさ」は弱いものの、逆に堅さがあるともいえるだろう。米国プリンストン大学(NSTXという装置が燃えて止まっている)とも連携しているらしく、そういう意味でもチームが強い。
すでに100億以上の資金を調達しており、堅実に装置を作って稼働させている。すでに1500万度程度のプラズマを実現している(年内にはこの装置で1億度を目指す)ため、単純な段階としては核融合ベンチャーのトップランナーと言って良い。(世界最高温度は1000億単位かかった日本JT-60Uの5.2億度)
2030年までに電力を電力網に送り出すことを目標としている。
MITのチームがベースになって設立した核融合ベンチャー。もともとMITはAlcator C-modというトカマクを持っていたが、CFSはこれをベースにしたARCという核融合炉を提案している。現在はその前段階装置であるSPARCを建設中である。
Alcator C-modは小ぶりながら、世界最強の高磁場(最大8T)を作れるトカマクとして、他では真似できない成果を出していてプラズマ業界では存在感があったものの、2016年に完全にシャットダウンした。それと前後して元々力のあったMITの高温超伝導研究者とAlcator c-modのプラズマ研究者がタッグを組んで提案したのが、ARCである。
2030年代にはSPARC(商用炉でないものの投入電力より大きな出力を出すことを目指している)を稼働させることを目指しているので、ほぼtokamak energyと同じ目標を少し遅めの日程で掲げていると言ってよいだろう。
ARCという名前は、どう見てもアイアンマンのアークリアクターに引っ掛けているのだけど、残念ながらロバートダウニーJrは再エネ関連に投資しているようでアイアンマンとのシナジーはないようだ。
MTF(磁化標的核融合方式)と呼ばれる方式で核融合炉を目指すカナダのベンチャー。この企業はCEOの人のカリスマ的なやつで早期にお金を集めたという印象がある。CFSやtokamak energyがトカマクによる磁場閉じ込めでの長い歴史と実績(90年代に米国はMITの装置ではないが1000 kWを超える核融合出力を実現している)とチームの長い研究歴を背景に、ある種の堅実さをアピールしている一方で、MTFはテーブルトップでの成果も出ていない状態からスタートアップを初めている。液体金属をぐるぐる渦巻かせて中心に空間を作り、そこに吹き込んだプラズマを液体金属で爆縮して断熱圧縮で高温にするというシステムである。野心的であるということはゲームチェンジャーになりえるということであるが、一方で論文などの試算はかなり大雑把なものなので(プラズマや液体金属がうねったりせずにすごくきれいに断熱圧縮される計算)、「そんなきれいに押しつぶされてくれるもんかねぇ?」という印象を持っている人は多いだろうと思われる。
メジャーな核融合ベンチャーの中では多分最古参企業で、おそらく最大の資金投資を受けている企業。FRCという、トカマクなどとは異なる磁場閉じ込め形式を目指す。FRCはプラズマを閉じ込める磁場を、コイルではなくプラズマの動きで作る。5000万度を達成済で、2030年までに発電実証を目標としている点はCFSやtokamak energyと同じ。FRCは高温は作れてもプラズマを安定して維持する能力は低いので、5000万度を作ったからかといって他より先に進んでいるかというとそんなことはないが、装置を作りまくって成果を出しているのは確かである。元々は陽子とボロンの核融合反応を使った発電を目指しており、その反応で出る3つのアルファ粒子に由来して"Tri Alpha Energy"という名前だったのだが、今は他の形式と同じ重水素と三重水素を使った発電を直近の目標とした(陽子ーボロンも捨ててないらしい)ためTAEと名前が変わったらしい。
細かいところはよく知らないが、核融合一辺倒ではなく、応用技術の特許化などで収益をだしているらしく、そこはすごい。
装置名が「ノーマン(現行)」「コペルニクス」とかっこよいのも特徴。
京都大学小西教授が率いる日本初の核融合ベンチャー。小西教授は核融合炉ブランケット(後述)を専門にしている人で、一般向けエネルギー関連書籍を出してたりしている。
ただし、この会社は核融合炉全体を設計するのではなく、ブランケット(核融合で出た中性子を受け止めて熱に変換するところ)の設計を売る会社である。海外などのプラズマ屋さん主導の核融合ベンチャーは、ブランケット設計はあまり注力していないところが多いので、そういうベンチャーに「あんたの炉はこんなブランケットがおすすめですよ」と設計を売るのが仕事。まぁベンチャーの目的なんて投資額と投資家の意思でどうにでもなるといえばそうなので、お金が予想外に集まればプラズマ屋さんも集めて核融合炉全体の設計・製作だってやるのかもしれないが、さしあたり核融合炉自体を作る予定はなさそうである。ほかもそうだが、日本のベンチャーはこの2年でようやく2つ立ち上がっただけなので、今は正直海外と比べると桁違いに規模が小さいし弱い。ここも表に出ている研究者は一人だけである。
Webサイトの小西先生がちょっと疲れているように見えるのが気になる。
2019年創業。"日本初のフルスタック核融合ベンチャー"をうたう企業。光産業創成大(浜松ホトニクスという企業が作った大学院大学)の研究者が設立したらしいが、新しいため詳細は不明。"フルスタック"という言葉はよくわからないが、京都フュージョニアリングがブランケットのみの開発を売っていることと対比して、核融合炉全体を見て実現を目指すという意味だろうと思われる。レーザー核融合は米国NIFの2010年代の大コケにより世界的に元気がないので、生き残りをかけているのだろう。日本のレーザー核融合といえば大阪大学のレーザー研があるが、こことどの程度の連携をするかなども詳細不明である。
ちなみに、"EX-Fusion"で検索すると、ドラゴンボール関連ゲームでの同名の設定のほうが上位に表示される。
Webサイトのみ公開されている未設立の企業。まだ設立すらしていないので何もかも謎だが、噂では日本の核融合科学研究所のチームが作るようだ。核融合科学研究所は1億度を超えるプラズマの実績のあるヘリカル型(トカマクとは違うよじれたコイルが特徴)の装置を保有しているのだが、近々シャットダウンを予定している。その後は新規の大型装置の予算が確保できないために小型設備での基礎研究に舵を切るとされているため、内部の核融合発電所を本気で作りたい一派が起業するらしい。日本で"ヘリカル型"といえばここか京都大学なので、名前からしてどっちかであるのは確かだろう。