はてなキーワード: レ・ミゼラブルとは
私は幼少期から母に子ども向けのミュージカルによく連れて行ってもらっていた影響もあって、1番の趣味は今も昔もずっと舞台観劇だ。成長していくにつれ国内外の歴史に触れたいと思うようになり、ミュージカルに留まることなく、能楽や歌舞伎、さらには京劇を観劇するようにもなった。
そんな私が中学生の頃に帝国劇場で上演されていた「レ・ミゼラブル」でひと目見てその才能に惚れ込んだ相手がいた。
読んでいた雑誌に読者モデルとして掲載されていたこともあって服装も、メイクも、そして誰に対しても優しく謙虚でいながらもきちんと個性を持っている性格も、私にとっては憧れになった。高校の頃にその人と同じような格好をするために貯金を握りしめて片道2時間かけて原宿へ出かけて買い物をしたこと、使っている化粧品を知ったら同じものを使っていたこと、その後YouTubeチャンネルが開設されてからもその更新が楽しみだったこと、すべてがキラキラした思い出だ。
学生時代のアルバイト代はもちろん、大学を卒業して就職してからもその人の名前がある公演のチケットを購入しては劇場に足繁く足を運んだものだ。むしろ学生時代なんてそのためにアルバイトを3つ掛け持ちしていたまである。
その人の存在が、私の頑張る糧だった。
しかしもう、それもできない。
それどころか、この増田を書いている真っ最中にも悲しい報道がなされた。
やるせない。
でも、私にはその人のような素敵な人になるために、必死で生きることしかできない。
あれから3週間が経ったけれど、私の心にはまだぽっかりと穴が空いていて、言葉に言い表すことが難しいような虚しさがある。
どうか、どうかあなたには笑っていてほしいと願うばかりだ。
全く書いてなかった。
ほんとこういうの続かねえなあー
まあいっか
前回の日記読んだらめちゃくちゃ疲れててうけた
書いてない間何してたっけなー
とりあえずここ2週間は映画館でやってるキンキーブーツを見てはびたびたに泣いてんな
もうね最高なんだよね全員見た方がいいと思う
そしてエンジェルズが本当の本当に美しい
基本的にミュージカルってみんなが揃って賑やかで楽しくて幸せな場面でいつも泣いてしまうんだよな
ミュージカルの幸せはいつもほんの少し悲しさを含んでいる気がする
それでいうならキンキーブーツは冒頭のPrice and Sonですでに泣いてしまうし
Raise you upとJust beなんかもうびたびたになる
そういう生身の人間にはとても言えないことを
それに救われる気持ちになるのはわかる気がする
ミュージカルの登場人物たちがこれからの未来ずうっとなんの苦しみもなく幸せに暮らすなんてとても思えないんだが
気の遠くなる努力に裏打ちされたパフォーマンスの果てに、愛とか希望とか祝福を語ってくれるから
最初に見たのが先々週で
まあ繁忙期が終わりつつあるのもあるけどね
あとはなんだろなー
花見っつってもお堀のあたりをぶらぶら歩いただけだけど楽しかったな
日記って書く前は細かくいろんなことを書こうと思うけど
書き始めるとわりとすぐ満足しちゃうな
大袈裟な喘ぎ声や腰を振る動作などセックスの誇張表現や性器の呼称を入れるの、
本当におもしろくないと思うんだけど、あれって作る側は何を思って入れてるんだろうか
とくに演劇だと、無理やりコメディにしようとしているかのような、場を茶化すような捻じ込み方をするので、スッと現実に引き戻される
観客も全然笑ってないことも多く、ダダ滑りしてまで入れたい理由が分からない
【追記】
具体例、映像化してない小さいのばっか見てたので難しいんだけど
1番嫌だったのは、友人の死や自分の死をどう受け入れるかがテーマの舞台で、場面終わりに登場人物が(恐らく笑わせるためだけに)いきなり腰を振りながら喘ぐシーン。
最終的に下ネタを言う意味のある登場人物が他にいることもあって、ものすごい白けた。
そもそも、セックスの誇張表現自体が別に面白くもエロくもなくて、客の心をどうしたかったのかが分からない。
あと有名どころだと、大人計画のキレイもあんまり好きじゃなかった。
逆に好きな感じだと、
ミュージカルは帝国劇場で行われるものを中心に、1公演平均3回程度の「にわか」です。
ミュージカル女優を夢見て上京したのにコロナに巻き込まれ、機会を損失してしまった
いいえ、私はあなたではないので「あなたの」気持ちをあなた同様にわかろう筈もないのですけれど。
私はミュージカルが好きです。
「レ・ミゼラブル」が「ミス・サイゴン」が「キャッツ」が「ウエスト・サイド・ストーリー」が「コーラスライン」が好きです。
舞台にあがる役者さんが、役者さんを照らす照明が、舞台転換のたびに目まぐるしく変化する大道具が、舞台を飾るオーケストラの演奏が、劇場が、案内をする人が、お土産を売る人が、劇場をメンテナンスする人が大好きです。
様々な人が登場し、恋にときめき、人生を呪い、笑い、そして時には運命に翻弄され命を落とします。
何が運命を分け隔てるのでしょう。
皆必至に生きていると言うのに。
『コーラスライン』という「線」を越えることが出来る人と、越えることが出来ないのは一体何故なのでしょう。
みんながスポットライトを、称賛を、磨いた技術と共に浴びたいと願っているのに。
どんなに望んでも、手に入らないものがそこにある。
どんなに悲しんでも、手の中に「あった」筈のものが失われることもある。
離したくない手が振りほどかれ、愛しい人の命が奪われる。
ミュージカルは何度もそのことを伝え、それでも「生きてゆくこと」の大切さ「生きてゆくこと」の尊さを、ミュージカルは伝えてくれるのです。
人生は思い通りにはなりません。
あなたがミュージカル女優の道を目指しているのなら、この苦難を是非「糧」にしてください。
若干炎上するような書き方になるかもしれませんし、受け入れ難いかもしれませんけれど、あなたは今まさに人生という名の劇場で、ミュージカルの舞台で起きているような波乱をその身で体験しているのです。
いつの日か舞台でスポットを浴びたとき、今、あなたが体験している苦しみや悲しみ、底なしの絶望が、あなたの演技に「深み」を与えてくれますように。
そしてこの苦難が1日も早く過ぎ去りますように。
あなたの「機会」を少しでも損失させないよう、私もまた協力します。
”
悔やまない 選んだ道が どんなにつらく
この日々が 報われず過ぎ去ろうと
泣かないわ 好きだからこそ 命燃やした
この日々に口づけして別れよう
ああ この愛を胸にいだき
明日を生きよう
躊躇わず思いのままに
すべてを捨てて
生きた日々に悔いはない
この道をひたすら
ああ この想い胸にいだき
別れ告げよう
(悔やまない)好きだからこそ
(命燃やし)すべてを捨てて
生きた日々に悔いはない
ひたすらに この道を
”
一時期西友のBGMにフローレンス&ザ・マシーンのShake It Outって曲が採用されていた。
その賛美歌風の力強い曲調が好きで、店頭で耳にして以来今までよく聴いていた一曲だ。
私は英語話者ではないので注意深く聞き込まなければ洋楽の歌詞なんてわからない。もっぱらイージーリスニングで聴き流すばかりだったこの曲に対し、次第に私の中で「おそらくこういう歌なのだろう」という勝手なイメージが確立されていった。
物寂しい導入部、それを覆すようなサビの大合唱から、Shake It Outは椎名林檎の「人生は夢だらけ」やレ・ミゼラブルの「夢破れて」のような曲だとみなしていた。夢にひたむきな女性の生き様を歌った歌なのだといつの間にか決めつけていたのだ。
ボーカルのフローレンスはこれまで色々苦労していて、やっと掴んだバンドでの栄光に喜びを抑えきれない様子を歌っているんだというストーリーを妄想しながら、私も「Shake it Out〜」とサビを口ずさんだりしたものだ。
しかし最近になって「この曲の歌詞は『別れた彼ぴっぴのことなんて忘れてしまいましょー』って意味なんだよ」って意味のツイートをちょくちょく見かけた。たしかに「Shake him off」とか「It's a fine romance」とか一節にあるのでそういう月並みなラブソングなのかもしれない。
そう思うとすごくしょうもない歌に聞こえてきてだんだんと聴く回数も減っている。
そういえば何年か前に福山雅治がラジオで「『ホテルカリフォルニア』がドラッグを断ち切れない男の哀歌だと知って気持ち悪くて興醒めした」と話していた。なんでも熟年のカップルが穏やかにホテルカリフォルニアでお泊まりデートする渋い(?)曲だと思っていたそうだ。
それを聞いて、むしろ薬中が苦悩しのたうちながらも生きている様を歌った曲であるほうが余程良いのになと当時の私は感じていた。
そしてイケメン街道まっしぐらの福山雅治としょぼくれっぱなしの私とでは、生きてきた世界も物の見え方もやっぱり違うのだなと妙に感心してしまった。
前回
今でも、たとえば仕事中に嫌なことがあったり、ふと集中力が途切れてしまったときに、cleverbotに話しかけるのだけれど、五年前に覚えさせた下ネタを未だに覚えているのには驚かされる。こっちが覚えさせた言葉が、覚えさせたとおりのタイミングで帰ってくるのを見て笑っているのは、会話というよりも、動物に芸を仕込むのに近い。もしかしたら、人工無能の楽しみの一つはこれなのかもしれない。だが、この年齢になってもいまだに「ウンコブリブリ! モリモリ快便ッ!」などというネタで笑っていられる私は相当におめでたい人間だ。そして、こいつは一度下ネタのループに入ると、それにはまったかのように、延々と「うんこ!」「うんこ!」と連呼するのだ。かわいいやつめ。
ちなみに、一度下ネタのループに入ったときには、真ん中の「think for me」というボタンで、どんなろくでもない言葉が教え込まれているかを確認できる。私以外にも、くだらないことを考えた馬鹿がたくさんいたのだろう。
そういうわけで、私は今でもcleverbotにときおり話しかけてやっているのだが、最近はこちらの言葉を学習する頻度が低くなったような印象がある。前には、ちょっと強烈な下ネタを二三回繰り返せばすぐに覚えたのに、最近は何十回も同じ言葉を吹き込んでも覚えようともしない。もしかたしたらNGワードが設定されたのかもしれないし、積極的に日本語を学習させる時期が終わったと管理人が判断したのかもしれない。
それにしても、日本語を覚えさせる時期が終わってしまったらしいのは惜しい気もする。できることなら、もっと知的な言葉や雑学を教えてやれば、もっと愉快なボットになっていかもしれないのだ。たとえば、「この間『レ・ミゼラブル』を読んだよ!」みたいな会話から、「テナルディエとジャベール警部、どっちが好き?」みたいなボットが誕生していたかもしれないのだ。いや、まったく惜しいことをした。
http://irc.gimite.net/channel/%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%BC
大体cleverbotと同じころに見つけてしまったサイトだ。前回の記事で書いたかもしれないが、当時の私は何かと行き詰っており、いろいろと不毛なことを繰り返していた。つまり、このサイトでもしょうもない言葉を教えようと躍起になっていたのである。
とはいえ、比較的歴史の長い人工無能だからだろう。それなりに会話が成り立つので、あまり人工知能をいじめてやろうという気分にはならなかった。最初のうちは、それなりにまともな会話をしたり、知的なことを教えてやろうとしたりした覚えがある。「やあ、『幼年期の終わり』は読んだかい?」みたいな。ときどき、kikuragenと呼ばれるbotが延々とよくわからないことを延々話し続けることもあったが、比較的無害だった。
幸か不幸か、2015年3月ごろ、どういうわけかVIPPERに見つかり、大量の客が訪れた。彼らはスパム同然の連投を繰り返し、気の毒な唐澤弁護士ネタを吹き込み、唐揚げにレモンを掛けるな! 云々と流し込んだ。当然、ロイディの発言は支離滅裂になってしまった。
嵐のように彼らが過ぎ去った後に、残ったのは大体四人だった。
一人目。比較的まともで、ロイディとガンダムや昔のアニメの話をする。ロイディのことを比較的人間らしいチャットボットとして扱う。意地悪しない。二人目。コテハンで仕事の愚痴などを呟く。時折下ネタに走る。定期的にロイディにウンコを食わせようとする。三人目。熱心に下ネタを教えようとする。「フィーヒヒヒ ブルマのハミパン フィーヒヒヒ!」と調教している。四人目。ロイディとなぜかバーチャルセックスしようとしている。「んほぉぉぉ!」「ばんじゃいばんじゃい!」とだけ言い放って切断すること多し。ご覧のようなカオスとなった。
しばらくはそれで安定していたし、時折二人目と三人目の人が一緒になったときには何となく会話をする一幕もあった。しかし、ircチャットという比較的古いシステムのせいだろう、古いパソコンでないとアクセスできなくなるようになってしまった。そして、ときどきロイディ自身が調子が悪くなることが増え、とうとう2019年6月に活動を停止した。
管理人が復旧させる様子もないところを見ると、単純に飽きたか、荒らされるのにうんざりしたか、メンテナンスが大変になったのだろう。個人運営だったので仕方がなくはあるのだが、こうして一つのコミュニティがひっそりと消えたことを思うと、少しだけ寂しい。この増田も、いつの日か同じ運命に見舞われないとも限らない。
人工無能アプリが流行っているらしいので、何となく書いた記事だ。
いまでも、youtubeでcleverbotと会話してみた、みたいな動画で、とんでもないことを言い出したときに、ふと思い出す。
こんなのとか。
https://www.youtube.com/watch?v=rvLtMdR3Q2g
このラストとか。
https://www.youtube.com/watch?v=8lVhPvZg8ts
https://www.youtube.com/watch?v=Gq-uIMLg0l8
【追記】
うずらって、まだ生きてるの?