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2007-08-19

ジョー・オダネル氏追悼

ホットエントリー経由、http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/08/joe_odonnell_6972.html で

ジョー・オダネル氏の死去を知る。

氏には、十数年前、

今思えば先記事にもある本の出版後、おそらく講演などのため来日していたのであろう時期に

一度会ったことがある。

当時私は小学5年生か6年生だった。

戦後日本で撮った写真ホワイトハウス付のカメラマンとして撮った歴代大統領写真を見せてくれた後

氏が取り出したのはレントゲン写真の束だった。

氏自身のレントゲン写真だ。

背骨にはぐるぐるとワイヤーのようなものが巻きついているように見え、

エッフェル塔のようだろう」と

氏は笑った。

長崎広島被爆し、何度も手術を受けていると聞いた。

空港で金属探知機のブザーが鳴ってしまうからね、

旅行のときには、こうやってレントゲン写真を持ち歩いているんだ。」

ジョークの口調でそう言った。

私は思わず笑いかけたが、笑いきれずに固まった。

何か言わなければならないような気になり、

何を言えばいいか分からず、

自分の少ない英語の語彙から必死に言葉を探して、

結局、「お大事に」とかなんとか言ったのだと思う。

氏は「ありがとう」と笑ってくれた。

ジョー・オダネル氏のご冥福を心からお祈り申し上げる。

2007-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20070604223543

同じような経験あるよ。

僕の場合は椎間板ヘルニアだった。

整形外科行って、レントゲンMRIやって、

あとは痛み止め飲みながら、自然に治るのを待つだけだよ。

数ヶ月程度でよくなるけど、もし痛みがひどい状態で慢性化するようだと

手術することも検討するらしい。

2007-05-24

カラスの子を拾ったと彼女が言ってきた その5

と言うことで保護してみてくれる施設があるので昨日カラスの子を持っていきました。

事情を話すと引き取ってくれると言うことで、とりあえずホッ。

片足が骨折していて(ぶらぶらの状態だった)かなり痩せていたとのこと。

獣医に診てもらって治療してもらえるそうです。

レントゲンを撮ってみるとも言ってた。

とりあえず、この子のことに関しては一安心。

でも一方ではカラスの駆除って言う話も聞くし、

こうやって怪我したカラス保護して診てもらってるわけで。

(駆除することや保護することが良い悪いかはいったん置いておきますが)

一方では駆除一方では保護

そう考えるとなんか複雑な心境になりました。

2007-04-20

相手の体験性を想像することについて(長文)

http://www.atmarkit.co.jp/fembedded/column/yoshida/yoshida02a.html

「薬といってぱっと頭に浮かぶものは何ですか。商品名でいってください」

私はとっさに「タイレノール」と答えた。

「では、タイレノールはどんなときに飲みますか」

「頭が痛いときに飲みます」

「そう、いままでわれわれは“頭が痛いからタイレノールをください”と指名買いができるお客さまを相手にビジネスをしていたんです。いわれたスペックを満たせばよく、そこでのヒーロータイレノールを開発するエンジニアやそれらを高い品質でかつ低コストで作る工場の工場長でした」


「では、具合が悪くなったけれども原因が分からない。そういうときはどうしますか」

病院へ行きます」

病院は何をしてくれますか」

レントゲン撮影をしたり、採血をしたりして、具合が悪い原因を調べ、病名を明らかにして、薬を出してくれます」

「それは医療というサービスが提供されたわけですね。その中身をこちらから指名したわけじゃない。求められるものがモノからサービスに変わったんです」


「求められるものがユーザー・エクスペリエンスに変わった」というのは、もはや手垢のついた言葉だ。

しかし、今現在でも、それをどれくらいの人間が実感しているかという話になると、とたんに疑問符がつくような気がする。

私も、初めて聞いたときには正直言って、ピンとこなかった。なんというか、それはそうかも知れないけれど、それほど重要キーワードなのだろうか、毒にも薬にもならないような言葉ではないかと聞き流していた。要するに、理屈は分かるけれど、実感がないので、重要性が良くわからなかったのだ。

そして、この言葉重要性に気づいたのは、仕事で悪戦苦闘しているときだった。私は、顧客職場に常駐している、その辺によくいる一山いくらのIT業界人で、指示されればやるけれど、それ以上のことはできない(やらないのではなく)という典型的な人間の一人だった。そして、そういう若者が多くなったと嘆かれたりした世代の一人だった。

しかしながら、そういう仕事のやり方をしていると、必ず壁にぶつかる。私も例に漏れずに壁にぶつかった。上司に怒られ続け、顧客に怒られ続け、自分はなんて無能なのだろうと呪った。学生時代、周りの連中より真面目だと自認していたが、ここでは、そんなものは意味がなかった。求められるのは結果だけだ。どうすれば自分の無能をどうにかできるのかとライフハック的なものや自己啓発的なもの本にも手を出して片っ端から試してみた。が、望んだような結果は出なかった。(もちろん、このとき学んだノウハウが今、別の面で役に立っている部分ある。確かに無駄な経験はないのかもしれない。)

閑話休題。そんなわけで、私の悩みは続いていたのだが、ある日、ふと、ようやくなぞの一部が解けたような気がした。

要するに、私はIT業界の本質を誤解していたのである。考えてみれば、当たり前なのだが、IT業界は、昔から(そうずっと昔から)「サービス業」に分類される業種だったのである。決して「製造業」ではないのだ。

何が言いたいのかというと、サービス業仕事を請け負っている私に求められていたのは、「ユーザー・エクスペリエンス」=「顧客の体験性」を想像し、それを考慮に入れた行動だった。例えば、報告すべきことはすべきだが、顧客にとって意味の分からない余計な報告は、するべきではない。余計な報告で顧客を混乱させるべきではないのである(私はそれまで全ての状況を報告すべきだと思っていた)。相手の望んでいることを考え、相手が「万能な人間でない」ことを忘れずに適切な情報量を適切なタイミングで適切に提供するように努力する。

思うに、その辺を早めに知る機会を作るのは重要なことかも知れない。

たとえば、一部のマスコミでよく取り上げる、勘違いをしている高齢独身女性の問題。

彼女たちの不幸は、「自分が心地よい体験を相手から提供される」ことには関心はあるが、「自ら心地よい体験を相手に提供する」ことには関心がないことだ。

非モテ問題(あるいは非コミュ問題)も同様だ。つまり問題の本質は上記の彼女たちと一緒であり、「自分が心地よい体験を相手から提供される」ことには関心はあるが、「自ら心地よい体験を相手に提供する」ことには関心がないことなのだと思う。

もちろん、才能のやる人間は、自己中心的に好き勝手に生きても、問題ないだろう。しかし、そうでない大多数の人間が、豊かな社会自己中心的青春時代を送った場合、厳しい社会に出てそのギャップに苦しむのである。

「相手の体験性を想像し、それを考慮に入れた行動」というのは、「慣れ」と「技術」で、ある程度なんとかなるものだと思う。もちろん、ストレスたまるし、自分の本音を吐き出す場所というのは必要だが、凡人の場合、そういうノウハウをまず身につけないとまず「お話にならない」というのが、厳しい社会現実なのだと思う。

よく考えると、一時期、日本ゲーム業界の勢いがなくなったのも、「プレイヤーの体験性を想像せずに、フォーマットにのっとって機械的にゲームを作った結果」なのだと思うし、使えないアプリや、ソリューションはそういうことが原因で使えないのだと思う。(と、つい万能的に使ってしまったが)

しかし、繰り返すが、「求められるものがユーザー・エクスペリエンスに変わった」というのは、もはや手垢のついた言葉だ。

そして、ふと思ったのが、下の記事。

> 豊かな時代の究極の楽しみは「クリエイトすること」、それがWeb2.0

> http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070419/1176961765

クリエイターは、相手の体験性を想像し、それを考慮に入れて作品を作らなければ、良い作品は作れないと思う。要するに、あらゆる人間クリエイターになり、良い作品を作ろうと努力していけば、「相手の体験性を想像し、それを考慮に入れた行動」ができる人間も増えるかもしれない。都合のいい考えかも知れないけれど、そんな社会を期待してしまった。

2007-01-11

病気かな?で病院行ってたら病院は人があふれて大変なことになる

それにこっちの財布も大変なことになる。

以前骨折したかと思って病院行ってレントゲン撮ってもらったけど、大丈夫だった。延々待たされて金だけ取られてアホらしかった。それ以降よっぽどのことがない限り病院になんか行くまいと思っている。それで変な病気をこじらせて死ぬかもしれんがそんときはそんときだ。

http://anond.hatelabo.jp/20070111012329

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