はてなキーワード: レントゲンとは
ほんの一ヶ月前にいきなり腰椎椎間板ヘルニアになってしまいました。
つまりは腰の骨と骨の間にある椎間板という組織が飛び出して、神経を圧迫することによりさまざまな症状が出るらしいのだが、
私の場合、腰は発症時も今も特に痛くなく、片足に強烈な痛みと痺れがいきなり出てきた。
今まで腰を痛めてぎっくり腰になったこともなかったし、
腰痛はまったくなかったってわけでもないが中腰とかつづけてその時だけ痛い程度で
特にそれらしい前兆は何もなかった。
で、発症と入院までの経緯なのだが。
いきなり片足のふくらはぎが張り出したと思ってたら、痛みが同じ箇所に出てきて痺れが出るようになった。
そして2時間ぐらいで歩くのがやっとという痛みになった。
その後は悪化する一方で、片足全体に痛みが走り、痺れがひざ下全体に及んでいた。もう片足にはまったく症状なし。健康そのもの。
座ってても何してても痛い。
ストレッチとか、シップとか試してみたけれど、ただただ猛烈に痛い。
昔足の指を3本骨折したことがあったが、それと比較にならないくらい痛い。
バファリンを飲んでみたけれど、まったく効果なし。
なんぞこれ状態。
その日はどうしても仕事場にいないとまずい日だったので、なんとか自分をだまして定時の18時まで居て退社して、
即効で街の何でも屋的な医院にいった。
遅い時間なので専門的な病院や大きい病院はやってないし、整形外科も診療に含まれてたので急場しのぎととりあえずの意味で行ってみた。
診察してもらうととりあえず神経症状なのは間違いないが、原因は今の段階では不明とのこと。
痛み止め(ロキソニン)とビタミン剤出しとくから、1週間後また来てといわれて帰宅。
で、寝違いとかかもしんないし寝たら治るだろうと若干淡い期待を持って就寝。
いつも5秒で爆睡して一度も目が覚めずに朝遅刻ぎりぎりに目が覚める私が
ロキソニン飲んでるはずなのに痛みで眠れない、寝れても浅い眠りで1時間もしないうちにすぐに目が覚めるという悪夢の時間を過ごして不眠状態。
朝いつもの時間よりかなり早く目が覚めて起きるとすごく眠いはずなのだが痛みが圧倒してて不眠とかどうでもいいになってた。
猛烈に痛い。昨日より猛烈に痛い。トイレもつらくなって出が悪くなってました。
でも会社行かないといけないと自分を追い込みながらだましだまし出社の準備をしてたが、
その間も激痛が走り、食欲も出ない。歩くのも困難になりつつあった。
本気で救急車呼ぼうか悩んだけれど痛み止めを飲んで、ほんの少しだけ会社に出社して最低限の引継ぎだけしたら病院にいこうと決めて無理やり駅まで歩いた。
正直いつもはなんてことのない10分程度の道のりに3倍以上の時間をかけて、痛みを無理やり我慢して歩いた。
もうそのときにこれ、会社ってレベルじゃないとやっと決心がついて電話して休んでそのまま電車乗って大きめの総合病院に。
整形外科で診察してもらったのだが、問診と足の反応を調べてもらってたぶんヘルニアでしょうといわれて唖然・・・。
そういえばこのときに気づいたのだが、足にぜんぜん力が入らなくなっていて先生の手に完全負ける状態に。
えっ、腰は痛くなくて足が痛いのになぜヘルニア?状態。軽く話してもらって納得。神経圧迫してるのが足の神経で足に症状が出てるとのこと。
腰が痛くなる場合もあるらしいが個人によって同じように圧迫されているように見えても症状が若干違うらしい・・・。
検査中大丈夫なようにキツい痛み止めの座薬(後に知ったがボルタレンサポの50mg)を入れてもらって、MRIとレントゲンを撮ってもらって腰椎椎間板ヘルニアと確定。
ただ、痛み止めが無意味なぐらい効かない。MRI中も足が震えるぐらい痛い。
で、確定診断後の診察中もずっと痛くて耐えられない中、先生にこれ以上強いのだと麻薬みたいな薬しかないし、外来でできるのはさっきみたいな痛み止め出すだけしかできないけど、会社休めますか?とのこと。
「こんな痛みじゃ会社どころじゃないので休むしかないだろ、常識的に考えて・・・。」
と思いながら会社に事情話して休みますといって無理してもらってベッド確保してもらって即入院決定orz
まさか緊急入院するとは思わなかった・・・。
楽観的に診察してもらってる最中も注射とか点滴とかで帰れるものだと思ってましたorz
その上、まだ決定はしてないけど手術が必要になるかもしれないとのことでした。
とりあえず、かなり症状もでてるので痛み止めがてら神経ブロックを試してみてから決めましょうとのことでした。
ほかにもいろいろ言ってもらってたんですけど、正直痛みで話の7割ぐらいは通り過ぎるだけでしたよ・・・。
そんな感じで入院したんですがその外来で診てくださった主治医の先生がいい人で、
神経根ブロックを無理して本来してない日に早めてしてくれたり(痛みが耐えられないから)、
手術しないといけないと勝手に思い悩んで手術に決めた後も手術か保存療法(手術しないでブロック注射などを使いながら自然治癒で治す方法)で悩む時間をくれたり。
結局手術は回避できて(どちらかというと回避した?みたいな)、神経根ブロック3回コースで退院できるレベルにはなりました。
ただ神経根ブロックが超絶痛い・・・。痛いのを抑えるための治療なんですけど、整形で一番痛い治療法だと先生に言われましたよ。
まぁ、今も若干麻痺が残ってはいるんですが痛みは安静にしてればほぼないのでいいんですが、
5分ぐらい歩くと痛みと痺れがカムバックしてきてしまうんですよね・・・。
これぐらいですんでるのも痛み止め(朝晩ボルタレン37.5mg)のおかげではありますがorz
先生も言ってたんですが、日常生活に戻るのはそれほど難しくないけれど社会復帰が大変な病気だと・・・。
正直会社に迷惑かけてるので早く戻りたいんですが、無理すると麻痺が進行して取り返しつかなくなるといわれてるので
家で安静にしてる日々です・・・。
あのさ〜。
現代なんだから、そういうつっこみやめようよ。みんながっこーに行ったりしたんだし。今、行っている人だっているよね?
たとえば、ファイバースコープ使って「見たい先を見る」という技術があるのは知っているよね?災害対策とか、胃カメラとか。
そのほか、もっと「すげぇ」な、「見る技術」は、あると思うよ?レントゲンとか受けたことない?MRIとか。
そもそも、もっと、「原始的」な、「ある人の状況を知る方法」というのは昔からあるわけ。
たとえば、逐一、「その場にいる人」が携帯かなにかを使って知らせていたら「知られちゃう」よね。
別に「視覚」を使わなくてもいいわけだーーー「見てきたようなことを言う」っていうじゃんか。
まっ、自分から知らせていたらどうにもなんないとは思うけれどーーー。
追記
うひ〜、二回か三回書き直ししちゃった。酔っぱらったのかも。
37 : AV女優(鹿児島県) :sage :2010/08/14(土) 16:24:26.20 俺の父ちゃんもクビの骨を折って、最初に担ぎ込まれた病院で、 全身麻痺です、寝たきりになります、車椅子もムリですって言われて 母ちゃん号泣。 その後大きな救急病院に搬送したら腕のいい医者がいて、そこで直して もらって全快だった。 医者でぜんぜん違うな。 628 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:37:40.74 >37 そうそう俺もむかし腹が痛くて痛くて病院に駆け込んだときに、 最初の病院の医者はいきなり悪性って診断しやがってマジ泣いた 次の病院はエコー見てもわからないから痛み止め処方w 次の病院もエコーに4人掛かりでわからず、 最後の医者は持ち込んだレントゲン見て一発で膿瘍と診断、即入院手術で回復 医者でぜんっぜん違うから注意だわ 702 : 柔道整復師(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 22:52:22.74 >37 知り合いがバイクで事故って救急車で運ばれたんだけど 医者が「足を切らないと死んでしまう」って それ聞いたそいつのカーチャンが「そんなの絶対駄目」って、急いで違う病院に運んだんだけど 今では普通に歩いたり走ったりしてる 怖すぎ 751 : 爽健美茶(大阪府) :2010/08/15(日) 00:46:05.67 >37 6年ぐらい前に頭がフラフラするし身体に力が入らない、おまけに 野良猫に噛まれて足が腫れて来た。 近所の緊急行ったらベビーカー押した爺さんが出てきて症状を説明しても 「わからんなぁ」で傷だけ消毒されて終わり。 翌日症状が治まらないから別の個人病院行ったら、医者が俺の顔見るなり 緊急手術とか言い出した。 出血性胃潰瘍で失血死寸前、よく一人で医者まで来れたなと言われたお。 貧血で顔真っ青、見た瞬間判ったって言われたよ。 634 : AV女優(東京都) :sage :2010/08/14(土) 20:40:17.23 >628 どういう病院がおすすめ?大きい病院? 637 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:45:12.90 大学病院>634 640 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:48:21.16 >634 最後の当たりの病院は国立だけど担当した医者は何年かで移動しちゃうし、 3番目の4人掛かりダメ病院も箱自体は日本赤十字のでかい病院だし 結局いい医者に当たるかどうかは運のような 649 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:56:41.16 >645 ああ、確かにコネは重要だよな。 ウチの母ちゃんの場合は俺の勤めてる会社の社長が手を尽くしてくれて 取引先の某大企業の部長さんの紹介で直ぐに見て貰えたからな。 797 : ノブ姉(山形県) :2010/08/15(日) 03:14:59.01 >37 >702 これマジかよw 洒落で済まないぞ 807 : まりもっこり(中部地方) :2010/08/15(日) 03:35:30.29 >797 指チョンパして、「もうくっつきません」って言われた指他に持ってったらひっついたとか けっこうその手の話よく聞くぞ
「どうしても足が痛い」
俺はなんどとなく医者にそう訴えた。
でも医者の回答はいつも決まってた。
「骨には異常なし。どこもおかしくない」
おかしくないわけがない。俺には原因がわかっている。去年の交通事故だ。
自転車で横断歩道を渡っていた俺は、突然右折してきた軽自動車にふっとばされた。
過失は向こう9割、俺1割。全面的にあっちが悪いはずなのに、なんでかそうなった。
ふっとんだ時にはさすがに死ぬかと思ったが、幸い命に別状も無く骨折もしないですんだ。
だからその日のうちに家に帰れたんだけど、次の日起きたら足と腰がめちゃくちゃ痛い。
入院生活って言っても何をするわけでもない。ただ安静にしてるだけ。
とにかくレントゲン取ってもCT取っても原因はわからないんだ。
1ヶ月のうちに、体の大きな傷は治ったので(すり傷とか)、退院することになった。
でも本当はまだちょっと足が痛かった。歩くのには支障がないし、見ため全然問題ない。ただ痛いだけだった。
「たぶんどっか太い神経とか傷がついてるのかもしれないけど、わからないね」
足かもしれないし、もしかしたら腰かもしれない。背中かもしれない。体中に張り巡らせた神経はすべて背中の脊髄につながっている。
運が良ければいつか痛みは消えるかもしれないし、悪ければずっと痛いままかもしれない、と。
2006年の夏、建設現場で日雇いのバイトをしていました。日給1万円もらえる仕事だったのでそれなりにキツイ内容です。マンションなどを建てる際に必要な資材の石膏ボードをひたすら運び込むというものです。
新入りの頃は一枚持つのがやっとでしたが、作業を重ねるに従い、一度に運べる量が二枚・三枚と増えていき、貧弱な僕もだんだん体力がついていくのが実感できてそれなりにやりがいを感じていました。
僕はあまり体力に自信のあるほうではありませんが、1人暮らしを始めたばかりでお金が必要なこともあり、ほぼ毎日仕事に出てがんばっていました。
その仕事に就き出して三ヶ月めの06年8月2日、仕事中から腰に違和感があり、今まで経験したことのないようなだるさ・重さを腰に感じていました。夕方、仕事を終えてバスで帰る道中、腰の違和感ははっきりとした痛みに変わっていました。座席に座っていることができません。まだ立っているほうがましです。
部屋に帰ってもその痛みはますます酷くなり、激痛といってもよい程になっていきました。
ただの腰痛だと思っていたので、とりあえず横になって痛みが引くのを待つしかないと思い、次の日の朝まで寝るつもりでした。
ところが夜中になるにしたがい痛みは増していき、もう我慢できるレベルを超えていました。
それでも、油汗をかきながら朝まで我慢し、トイレに立つこともできない僕は救急車を呼ぶ決心をしました。
なんだか恥ずかしかったです。生まれてはじめて救急車を呼びました。担架で運び込まれる時、近所の人が野次馬になってじろじろ見ていました。
近くの総合病院に着き、ストレッチャーでとりあえずレントゲン室まで運ばれました。
技師が仰向けの僕に向かって脚を曲げろだの横向けになれだのいろいろ指示をとばしてくるのですが、どんな体勢でも激痛が更に増し、無理でした。仰向けで脚を上に上げようとした僕は身体全体をつらぬくような鈍い痛みに思わず叫び声をあげてしまいました。
技師もあきらめたのか仰向けのレントゲンだけ取って終わっようです。
レントゲン室を出ると、若い看護師が僕の叫び声を聞いたようで、
「なんでこんなになるまで放っておいたの?」
といわれてしまいました。それに答えることもできない僕の手を、その看護師が握って、
「私も前にヘルニアやったからどんな痛いかよくわかるよ。」
と、慰めてくれました。
診察室で仰向けになったまま医師の診断を受けました。
仰向けのレントゲンしか取れなかったわりに腰椎椎間板ヘルニアの特徴である椎間板のはみ出し具合が顕著だったらしく、即入院ということになりました。
入院が決まった時、それまで入院なんかしたことなかった僕は正直びびりました。
しかもTシャツにパンツの格好で運び込まれ何の用意もなかったし、どうなるんだろうと思いました。
ぼくが運ばれたのは整形外科の6人部屋です。僕の他は40くらいのおじさんと、中学生の男の子と70くらいのおじいさん2人でした。
ベッドに寝たまま看護師から色んな説明を受けました。酷い痛みの中で聞いたのでほとんど頭に入りません。
小林さんというその看護師は30才くらいでこれからぼくの担当になるということです。
とりあえず優しそうな女性だったのでほっとしました。
説明が終わり、最後に
と聞かれました。
大丈夫じゃありませんでした。夜中からトイレに立つこともできず今まで我慢していたのです。
「すいません。オシッコしたいんですけど・・・」
「ちょっと待っててね。」
何も言わず僕のトランクスを全部脱がせました。僕は腰を上げて協力しようとしましたが痛みでどうにもならず小林さんにまかせました。
僕のペニスはこれ以上ないぐらい縮こまっていました。もともと仮性包茎で亀頭が隠れているのに今は包皮が完全にかぶってしまって象の鼻みたいになっていました。そんなペニスを見られるのは恥ずかしいものです。
「自分でやります。」
僕はそういって尿瓶を受け取るとペニスにあてがおうとしました。ところがちょっとでも身体を起こすと激痛が走ります。
無理でした。
「ほらー。無理でしょ。こういうのも全部仕事のうちなんだから恥ずかしいなんて思わなくていいのよ。」
ペニスが小さいからずっと支えていないとすぐはずれてしまいます。小林さんは排尿の間ずっと支えてくれていました。
長い排尿が終わり、尿瓶を床におくと、小林さんはウエットティッシュでペニスを拭いてくれました。包皮もめくって亀頭のまわりも優しく拭いてくれます。女性に触られたのは初めてだったので立っちゃうかなと思いましたが、それよりも激痛のほうが勝ってピクリともしませんでした。
小林さんは拭き終わると包皮をまたもとに戻しました。そして袋や腿の付け根もついでみたいに拭いてくれました。
「今井クン、パンツいちいち履いてたらたいへんだから、これ付けとこうね。」
そういうと、ふんどしみたいな帯をつけてくれました。
「痛み止めの座薬いれるね。」
さっきのT字帯を取って僕を横向けにさせました。
「すぐ済むから我慢して!」
座薬を奥のほうまで突っ込んできます。うんこが出そうな感覚がしましたが我慢しました。
「痛みが我慢できないようだったらこのボタンを押してね。」
小林さんは戻っていきました。
それから2時間くらいすると、徐々に痛みがやわらいできました。ほっとした僕は試しに起き上がろうとしました。
ダメでした。
ちょっとでも腰を曲げると激痛が走ります。
ただ仰向けに寝ている分には痛みがないというだけでした。それでも痛みがやわらいだことで心が随分軽くなりました。
昼ごはんはおにぎりでした。寝ながら食べられるようにとのことでしょう。左手に点滴をしながら、小林さんに時おり手伝ってもらいながら、食べました。
「とりあえず寝ている分には痛みがなくなったけど、まだまだ絶対安静だからね。無理に起き上がろうとしたら駄目よ。」
そう言いながら口の周りや手を拭いてくれました。
この日、昼間ずっと眠っていたせいで夜中に目が覚めました。
やってきたのは三十代半ばの初めてみる看護師です。この人も優しそうな雰囲気でした。
「今井さん、どうしましたか?」
ささやき声で聞いてきます。ハスキーで色っぽい声です。見ると白衣の胸やお尻の所がパンと張っていてグラマーな人でした。
「すいません。オシッコしたいんですが。」
その人、川上さんは、うなずくとすぐに僕のT字帯を取り、ベッド下から尿瓶をとりあげて、ペニスをあてがいました。
昼間、小林さんにやってもらった時はすぐ排尿できたのに、なぜか今回はなかなか出ません。オシッコしたい感覚はあるのにです。
それでも川上さんはジッと出るのを待ってくれています。
ようやく小便が出始め、ほっとしました。
「よかったね。」
そういって戻っていきました。
朝食の後、清拭がありました。
近藤さんというまだ学校出たばっかりな感じの看護師が僕の身体を拭いてくれました。熱い湯に浸したタオルで力強く拭かれるのはとても気持ちの良いものでした。
「オシモのほうは洗いますね。」
そういうと、お尻の下に差し込み便器を置いて、ぬるま湯と石鹸で洗い始めました。袋の皺の部分や、お尻の穴まで丁寧にやさしくこすってくれます。
勃起しそうな感覚はありましたが、とても恥ずかしく、また入院したばかりの不安な精神状態だったためかペニスはやわらかいままでした。
依然として起き上がれず、つらいです。
入院してから一度も大便をしていません。
まだ、ウンコが出ない。看護師さんが浣腸しようとしたが強硬に断りました。そんなの恥ずかしすぎます。
今日こそベッド上で排便しようと試みました。
でもだめです。いくらきばってもでません。
小林さんが浣腸してくれました。初めての浣腸です。浣腸した直後から鋭い便通がきました。
「5分我慢してね。」
とのことだったので必死で我慢しました。
「まだよ。まだよ。」
と囁いています。
5分後、差し込み便器めがけてシャワーのように排便しました。大量のウンコです。差し込み便器にはおさまらず、下に敷いたビニールシートにもウンコが垂れました。
小林さんはさすがに排便の間カーテンの向こうにいてくれましたが、すごい音やニオイは隠しようもありません。他の入院患者に対しても恥ずかしく、申し訳なく、もう死んでしまいたい気持ちでした。
「おー、いっぱい出たねー。よかった、よかった。」
小林さんは笑顔で僕の汚いウンコを始末してくれます。ほんとに穴があったら入りたい気分でしたが彼女の笑顔に救われたように思います。
「お尻洗うね。」
なんだか汚いウンコも見られたせいか恥ずかしいとかいう感覚がなくなったようです。パンパンに張っていたお腹もすっきりして心まで軽くなりました。
小林さんに洗ってもらってる間ペニスが半立ちになってしまいました。こんなことは入院以来初めてです。スッキリしたせいでしょうか。これはこれで別の恥ずかしさがあります。必死で違うことを考えて勃起をしずめようとしました。
「今井クンは本読むの好きなんだね。いっつも本読んでるもんね。」
小林さんも気をそらそうとしてるのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、話しかけてきます。僕も母に持ってきてもらった村上春樹を語ったりしました。
おかげで完全に勃起せずにすみました。でも小林さんの洗い方はとても気持ちよく、やばいところでした。
ブロック注射を打つにはベッド上で横向きになりネコのように身体を丸めないといけません。そんな姿勢は今の僕には発狂しそうなほどの痛みをともないます。
それで全身麻酔を打ってからということになりました。
麻酔を打って、徐々に薄れていく意識の中で、なぜか小林さんのことを考えていました。
なぜかペニスが痛い。どうやら尿道に管を入れられているみたいです。しかも勃起しているから余計です。起き上がってみようとしましたが麻酔が抜けきってないのか身体に力がはいりません。
勃起が収まってからナースコールを押そうと思っていたのに、その前に看護師が来てしまいました。初日、夜中に小便をとってくれたグラマーな川上さんです。
「目が覚めたんだね。どんな具合?」
「まだ、身体に力が入らないです。」
「ブロック注射は何回かに分けてやるから、すぐに痛みが取れるわけじゃないよ。無理に起き上がろうするのは絶対だめよ。」
川上さんは点滴の具合を確かめ、それから僕のお腹をさして言いました。
「ちょっと確認するね。」
ふとんをはがしT字帯をとりました。
ペニスに管が入れられているのが見えます。しかもまだ勃起しています。
「はあ、痛いです・・・。」恥ずかしさをこらえて言いました。
「抜いちゃうね。」
そういうなり左手で陰茎を持ち、右手でそろそろと管を引き抜き始めました。
痛いのかと思っていたのは杞憂で、それどころかなんとも言えない快感が走りました。
なんというか、射精寸前のような感じです。
「あっ・・・・」思わず声が漏れました。
「痛い?」川上さんはいったん抜くのをやめました。
「あ、いや、そうじゃなくて・・・」
「じゃ、抜くよ。」再びそろそろと管を引いていきます。また変な感じがしてきました。なんかほんとに射精しそうです。
しかし、無事、管は抜かれました。ペニスは腹側に向かって反りあがり、ビクンビクンゆれています。オナニーしてて射精寸前でやめた時みたいなもやもや感がありました。
「洗うね。」
「え?あっ、今はいいです。明日でいいです。」
必死で言いました。今、洗われたらホントに射精しかねなかったからです。
そういいつつ、川上さんは腰の下に差し込み便器を入れました。彼女の目の前でペニスはビクンビクン動いています。
「大きくなったこと気にしてるの?若い子はたいていそうなるんだから、いいのよ。」
川上さんは先に薄いラテックスの手袋をはめます。ほんとに薄そうな感じで、はめても彼女の綺麗な白い手がほとんど透けて見えています。あんなのでこすられたら・・・。どうなるんだろう。
僕は川上さんの準備している様子を伺っています。彼女はいわゆる綺麗なおばさんとでもいうか、色っぽい熟女とでもいうか、とにかくそんな感じの女の人で、ただ若いだけの女性よりも本当に妖艶な雰囲気を漂わせています。しかも、オッパイが大きいのが服の上からでもまる分かりで、白衣の胸の部分がパンパンに張っています。
そんな彼女を見ていると僕のペニスは全く小さくなる気配も見せず、血管を脈打たせてビクビクうごいています。
(ああ、どうしよう。射精しちゃったらどうしよう。)
そんな僕の思いにもかまわず、川上さんは僕の脚をカエルみたいに左右に広げ、容器に入ったお湯をペニスにかけました。
(うわっ、なんだ?すんごい気持ちいい。)
ただお湯をかけられただけなのに柔らかな羽でさっとなでられたような感覚が走りました。
「あ・・・、くっ・・・。」
言葉にならない声をあげてしまいました。
「熱かった?大丈夫?」
「はい、大丈夫です・・・。」
川上さんはガーゼで石鹸を泡立てています。クリーム状になったところで、両手でその泡をすくい、ペニス全体に塗りだしました。
ラテックスの手袋はほとんど意味をなしていません。彼女の温かくてすべやかな手がそのまま僕のペニスに絡みついてきます。
彼女はまずお尻の穴と睾丸から洗い始めました。左手でお尻の穴をなでながら右手で袋をゆったりと揉んでいます。僕はあまりの気持ちよさに汗をかいています。必死で別のことを考えてはいるのですが、意味がありません。特に睾丸をやさしく揉まれることがこれほど気持ちいいとは思いもよりませんでした。自分でオナニーする時に睾丸をさわるなんてしたことなかったのです。
「あっ・・・。」
「どうしたの?ここは汚れやすいのよ。」
「あんっ!」思わず大きな声をあげてしまいました。
「痛いの?だめよ。がまんしないと。綺麗にしないとだめなんだから。」
新たにソープをすくうと今度は陰茎部をゆっくりと洗い始めました。左手で睾丸をやさしくマッサージしながら輪を作った右手で陰茎を上下にゆっくりとしごいています。確かに洗ってはいるのですが、その動きは僕にとってもはや快感を送る以外の何物でもありません。
「ほらぁ・・・。だんだんきれいになってくねぇ。」そんなことを言いながら、川上さんは包皮をむいて亀頭を完全に露出させました。
左手でおもいっきり皮を下にさげ、人差し指と親指で輪を作った右手で亀頭のカリの部分をクリクリと撫で回しています。
「はぁ・・・あぁぁ・・・」僕はもう気が変になりそうです。
「んー?どうしたのぉ?今井クン、ちょっと変な気持ちになっちゃったかなぁ?でも、だめよ。キレイにしてるんだからぁ。」
言いながら、川上さんの右手は亀頭全体をコネコネとこねくりまわしました。
総毛だつような快感が下腹部を襲いました。白衣を着た肉感的な女性が僕のペニスを撫で回している。想像するだけで射精しそうなのに、今、その手が実際に快感を送り込んでいるのです。
「ここは念入りにしないとぉ・・・」
過敏な亀頭全体を逆手に握り、ひねりを加えながら上下になで上げています。ぬちゃぬちゃという音が病室に響いています。
もう、限界でした。腰が甘くとろけ、溶けそうな甘美な快楽につらぬかれました。
「あーっ・・・・!!」
信じられないほどの快美な感覚に包まれながら、僕は射精していました。今までのオナニーなんて比べものになりません。ペニスを中心に腰がどろどろにとろけてしまったようです。
身体全体をビクビク痙攣させながら長い長い射精をしました。射精している間も、川上さんは優しく亀頭をこねくりまわしています。おかげで精液が飛び散らずにすんでいます。
「今井クン、出ちゃったねぇ・・・、いいのよ。しょうがないよねぇ。全部出しちゃってね。」
そんなことをつぶやきながら、川上さんは優しく亀頭を撫で回し続けます。
「フフッ、よかったねー。気持ちいいねー。いっぱい出してね。」
ようやく、最後の一撃まで出尽くしました。まだ腰は痙攣していますが。
「今井クン、全部出たの?全部出さなきゃだめよ。」
曲げれば痛いんだけど、どう曲げると痛いのかイマイチ特定出来ない。
自己診断では腱鞘炎ではないか?と診立てて、昨日からバンテリンシップ+バンテリンサポーターをしている。
なんか結構良くなったような気がするけど、やっぱりまだ痛い。
選んだ理由は「近いから」。それ以上でもそれ以下でもない。
左右の手を撮る。これで違いが出たら原因とかが分かるんだろうな。
1分足らずで特に何もなく終了。
色々聞かれて答えたり。以下要約。
・今月初めから痛い。
・PCを使う仕事をしている。同僚に同じ症状を持つ者はいない。
・曲げると痛いけど、どう曲げると痛いのか自分でもよくわからない。
・激痛という程ではない。
・原因になるような事故や動作は起きていないし、していない。
先生が腕を色々な方向に曲げたりしながら診断したんだけど、全然痛まなかったので、
イタイと言うこともなかった。自分診立てでは腱鞘炎というだということも言わなかった。
これが悪かったのかもしれんな、、、
「異常がありません」
「原因がわかりません」
「右手には小さい骨の欠片がありますが、関係ないでしょう」
・・・。
10分程当てる。
ジェルを塗ってその上から自分で電気ひげそりのようなマスィーンを患部に5分程当てる。
いや、患部がよくわかんないんだけど、、、適当に当てる。
だったら最初からこれを15分やった方がいんじゃね?とは思ったけど、思っただけ。
治療中にこんな会話が聞こえてきた。
A先生「xxxx(機械の名称)の扉が開かないんだけど分かる?」
B先生「●●さんに聞く?」
今自分の頭の中は、どうにかして原因を突き止めてもらうために、100%痛いという状況というか手首の曲げ方向を模索するのでいっぱいだ。
マッサージされながら、また同じような事を聞かれる。
今度は先の診察の時よりも曲げたり伸ばしたりの範囲が大きいのでそれなりに痛い時もあり、イタイとか言ってみたけどスルーされたよ。え?
しかしあまりに手早かに曲げたり伸ばされたりするので、痛む状況というのが特定出来ない。困った。
結局原因を突き止める助けになりそうな情報というか、100%痛い状況を見つけることが出来ず、
湿布というか肩こりに貼るテープみたいのを貼られて、3000円払って終了となった。
次回からは300円くらいで済むとの事。
へー、、、って
原因もわからないのに通えるかい
さすがにこのまま家に帰れない。
待合室で座りながら、色んな方向に手を曲げてみる。
家ではあまり動かさない方がいいと思って、あまり曲げたり伸ばしたりしていなかったのだ。
第二診察?とは違って、ゆっくりと、色んな方向に曲げたり伸ばしたりしてみる。
・・・
・・・
・・・
・・・お?
これは痛い!右手だけで痛むからこれは間違いないだろ!
自分診立てでは腱鞘炎かも~だったんだけど、先のレントゲンで出た骨の欠片を手首を曲げる方向に巻き込む形になると痛いっぽいぞ!
もしかたらこの骨の欠片が原因なのかもしれない!?
先生、先生ぇ~!!!100%痛む状況が分かったですよ!こうなると痛いんですよ!
「わかりました。ありがとうございます」
・・・。
それだけかい。
さすがにこのリアクションはねーだろ、と思い食ってかかる。
俺 「いや、わかりましたって・・・異常がない、原因がわからないと言われておいて、次回も通える訳がないでしょう?」
先生「本人にしか分からないことがあるんですよ」
いや、予想くらいは出来るだろう。
つーか本人にも分からないからこうやって病院に来ているのだが。
それにしても言い方ってものがあるだろう。
何か患者を安心させたり危険を促したりとか、どう養生しておくべきかとか。イラつかせる以外の言葉があってもいいはずだ。
てゆーか支払い終わってもまたこうやって言うくらいなんだから俺がどれだけ、、、って先生?
なぜ俺と目を合わせようとしないんですか?
目を合わせない上に何も言わない。
ちなみに上記の「予想くらい~俺がどれだけ」までの件はクチに出してはいない。
つかこの空気はなんだ?
「ああイヤな客(患者ですらない)だ。早く帰ってくれないかな」と聞こえてきそうな空気だ。
まぁそれどころか何もクチにしない訳だが。喋らないときましたか。
ああそうか、そうですか。
わかったよ、帰ればいいんだろうハイハイ。
なんてヤブ医者、いや、それ以前に人としてどうかと思うぜ。
畜生!ガッデム!もう二度とてめぇんトコロには来ねえよ!
あばよ!
・・・と、柳沢慎吾のようなリアクションを取れるような性格ではないので、軽くあざしたーと言って早々に病院を出た。
「増田に書こう」
そう思うまでそれほど時間はかからなかった。
てゆーか帰り道中ですでにそう思い立つほど気分はグログロだった。
ここまで書いて大体気分は晴れた。よかった。
以下思うこと分かったこと。
・原因は分からず終い。痛い状況というのは特定できたけど、これは病院行かなくてもわかった事だろう。
・腱鞘炎かもしれないという予想は、先生に言うだけ言っておくべきだった。
・もしかしたら腱鞘炎ではなく、また腱鞘炎&骨の欠片がどうにかしているのかもしれない。
・いざという時のためにも、かかり付けの病院を探して決めておくべきだ。
全くひどいヤブ医者に出会ったもんだ。
本当にいるもんだなぁヤブ医者って。
とりあえず最後に俺がよく使う捨て台詞をもってこのエントリーを締めさせていただきます。
玄関にウンコしてやるからな!
[2010.3.24]
国民皆保険制度を始めるという法案であり、下院で過半数を取って成立した。しかし、現状の法案にはかなり大きな穴があいている。アメリカの医療費が世界一高額なのは、その費用の大部分が、訴訟リスクに対する保険料と、あまりに高額な医療費によって破産する患者が踏み倒した分の回収に占められているからである。
この問題を放置したまま皆保険を始めるとなれば、高額な医療費の請求が、そのまま保険という丼勘定によって全員に背負わされる事になる。破産によって踏み倒された分の回収が終わってしまえば、それ以上の破産による踏み倒しは発生しなくなるので、税法が認める償却期間の間は高額で推移するが、その後は徐々に下がっていくという見通しらしいが、肝心の、医療過誤裁判に対する訴訟リスク保険については、放置されている。
訴訟リスク保険は保険会社のドル箱であり、患者向け医療保険よりも、はるかに効率の良い儲け口である。
皆保険制度によって、国民は医療を受けやすくなるが、訴訟リスク保険には、一年間に診療できる初診患者数に上限がつけられており、患者は居ても、診療できないという状態になる事が簡単に予想できる。初診患者数に上限があるのだから、診た患者からは、可能な限り高額な診療報酬を引き出さなければ、採算割れを起こすという構造になっている。つまり、皆保険制度によって医者にかかりやすくなったからといって、お金にならない簡単な病気の患者ばかりが来るようになると、医者の側が破産する事になる。来た人全員を、緊急の手術が必要な患者であるとするぐらいのことをしないと、割に合わない。腹痛なら盲腸、盲腸を取っているならば腹膜炎や切除しても害が無いとされている脾臓破裂。熱や眩暈といった内科的症状ならば腫瘍があるとするぐらいの事は平気でやってのけるし、病理検査機関は、医者の診断通りの結果を出すというサービスができなければ、仕事を受注できない。こうして、高額な医療費と、それで破産する患者という存在が生み出されている。この構造こそが問題なのだが、現状の皆保険制度は、状況を悪化させるだけである。破産する患者は減るだろうが、医者のモラルは悪化していくであろう。
これを避ける為に、初診患者数に上限の無い訴訟リスク保険契約を作れば良いというのは、明らかに間違いである。一日に集中力をもって対応できる患者の数には限界があり、その限界を越えて診療せよというのは、幾らなんでも間違いである。
医療費の見積もりを出すコンサルタントの所に行って、自費で各種の検査を受けて、高額の治療が必要な場合には医者の所に行くが、そうでない場合には市販薬を適当に飲めば治るとやるには、その診断を下すコンサルタントが、結局は初診担当医となってしまい、訴訟リスク保険に入らなければならなくなる。各種の検査キットやレントゲンのセルフ撮影といった自己判断の為のサービスを一般化するというくらいしか、やりようが無いが、これはこれで、手技を持った医師以外は不要という事になりかねないし、そんなことをしたら、限られた初診患者数という制限の中で利益を追求している医師にとっては、いろいろとバレてしまってマズい。
医療過誤訴訟における賠償金額は、支払った診療費を上限とするという制限を加えるのが一番合理的なのだが、こうすると、訴訟リスク保険は不要になってしまい、保険業界と医療過誤裁判でメシを食っている弁護士業界が困るので、猛烈なロビー活動を展開する事になる。実際、このロビー活動によって、医療改革法案は、今回成立したような、保険業界と弁護士業界の既得権益には一切触れないという、不自然で歪んだ制度となったとも言える。
始まるばかりの制度に問題があるのは当然であるが、そういった問題のうち、制度が始まる前の検討の時点で確認された問題については、制度が始まる前にすべて対応が取られるのが、最低限度の仕事であろう。
ググらないとわからなかったので、知らない人のための補足
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
昔ならそうでもなかっただろうが、レントゲンなどが普及している現代
母体が高齢になると、それまでの間に累積的に浴びているX線などが影響して、子供の遺伝子異常=ダウン症が発生するという学説がある。
らしい。
弟へ。
先日は荷物を持って上京してきてくれてありがとう。
こっちの予定も聞かずに勝手に予定を決めてくれた挙げ句、
貴方を溺愛する母からの要望で旅行にまで連れて行ってあげました。
その日程で立てていた計画は全てキャンセルしました。
家族だから気心おけずに動けましたが、あまり楽しめなかったのが真実です。
其処でひいた風邪のせいで一週間以上予定が狂いました。
私は通常の人より弱いのです。季節の変わり目には風邪を必ずひくし、
熱は出て朝動けず、二週間も咳が続き目眩がするのが普通です。今年は既に5回ひきました。
私はこれが普通だと思っていました。
でも、こんな弱い人は滅多にいないようです。咳も余りに酷いので大家にレントゲンを取るように言われました。
せめて貴方のような強い体で生まれたかった。
しかも上京してきた真の目的はネットゲームで知り合った女の子に会いたいってだけだと知った時
本当に絶望しました。私の生活はこうやってくだらない理由で又崩されるのかと。
子供の頃、私が必死になって作り上げた友人関係を何度もぶち壊していきましたね。
従兄弟の結婚式でちょっと話が盛り上がろうとしてた所も貴方が空気を壊すような失礼で下品な発言をしてくれましたね。
他の人がしらけるようなことを平気で言い、しらける事に気づけない。
君のその他人との連携の取ろうとしない、人と同様の行動に背を向け続ける態度は全く私を不愉快にします。
お願いだから迷惑をかけるならこっちに来ないで下さい。
君があの一週間こっちに来てくれた御陰で被った被害と
その後の生活をリカバリーするためににかけなきゃ行けないエネルギーは
本当に今の自分には大変です。辛いです。
君は研究者として社会的地位を築きづつありますが、私は何の後ろ盾もありません。
両親からのサポートも、君は学部生時代から仕送りをして貰い長い院生生活も一切バイトをすることなく
のうのうと暮らしていましたね。
私は自分で稼いだお金を貯めてここに自分の力出来ました。やっと来たかった場所に来れた。
貴方達の手の届かない所にこれた。それが限られた時間であってもとても幸せです。
貴方が来る前までは。
荷物を持ってきてくれなくて良かったのです。宅急便でおくればいいじゃないか。
君はそのネットゲームで知り合った女の子に会って何を話するつもりだったのですか。
何故こんな年になっても邪魔をするんだろう。
そのとき経験したことを書きます。
骨折した箇所:左足くるぶしのあたり
当時、約1時間ほどかけて出勤していました。
駅まで5分、電車にのって数十分、駅から職場まで5分程度でした。
実質、松葉杖を使っているのは移動の数分だったと思います。
普段から全く運動しない私は、最初の1週間程度、特に上半身(腹筋・背筋・腕・肩)の
筋肉痛がひどく、大変つらい思いをしました。
年寄りには絶対無理です。
それまでほとんどしなかったハードな運動をする上に、移動が大変なせいでふらりとコンビニによったりすることもできなくなり、
さらには家の中ですら食べ物のある場所までたどりつくのがしんどくなったため、じっとしていたわりにすっかり痩せてしまいました。
昇るときもさることながら、降りるときは、いつ後ろから突き飛ばされるかわかりませんでした。
そのため、特に駅の構内は、常に危険と隣り合わせだと言っても過言ではないでしょう。
時差通勤だったのでまだマシだったとは思いますが、階段だらけ新宿駅を京王線から山の手線に
乗り換えるのは、もうホントにやりたくありません。
どんな人でも大体、8週間なんだそうです。
くっつけるには、固定して動かさないようにするしかないっぽいです。
2週間に一度ギプスを交換し、レントゲンで撮影するだけでした。
ギプスをはずすときに使う電動のこぎりみたいな機械は結構怖いです。
ギプスが外れたあと、謎の赤外線治療を受けるように言われましたが、老人たちで混雑していたせいもあり、私はばっくれました。
骨折のせいかギプスのせいか、骨折した足がむくんでむくんで仕方ありませんでした。
床置きしていた会社のPCの上に足を乗せていましたが、あまり効果がありませんでした。
寝るときは座布団の上に足を乗せたりしました。
2週間ごとに交換しましたが、装着時にぴったりしていても、交換するころにはかぱかぱになっていました。
筋肉は動かさないと本当にすぐに痩せてしまいます。
実際、ギプスが外れたあとに階段を昇るとふらついてしまって怖い思いをしました。
8週間ほど洗わないので、垢がたっぷりたまります。
湯船にうかんだあの白いぷかぷかにはホントに驚きました。
電車にのって通勤していましたが、極力、座れる時間帯・座れる電車(各駅停車など)・座れる車両を使いました。
しかし、どうにもならないときもありました。特に山の手線などはどうしようもありません。
そのとき、席をゆずってくれる人もいましたが、ゆずってくれないひともいます。
ゆずってくれない人の性別年齢色々でしたが、こいつは絶対ゆずらない、という人種がいます。
自己啓発に熱心な人間ほど、てめーが一番かわいいもんなんだと、いたく実感しました。
ちなみに最初はなんとなく遠慮していたシルバーシートですが、立っていたら一度転びそうになったので
それからはむしろ積極的に向かうようになりました。
当時、特に仕事が忙しかったこともあり、日常生活全てにおいて、手助けがないとどうにもなりませんでした。
一緒にいてくれる人のありがたさを痛感しました。
まぁ、壊したっていっても倒れるとか血を吐くような話じゃない。咳が止まらなかっただけ。呼吸が出来ないのが唯一の苦痛。仕事が忙しくて病院に行けず、行ったころには治まっていた。精神的にも体も若かったと思う。翌年、レントゲンに影が写って。治っているから気にするなと医者に言われた。会社の別の職場に移ることにした。
しばらくして、風邪を引きやすくなったことに気がついた。風邪なんか引かなかったのに。しかも熱が出る。熱が出て節々が痛むってこんな感じなのか!と新鮮な驚きがあった。毎年のことになった。
次の会社の仕事は面白かった。自分でいろいろ工夫できたし、向いていた。天職かもしれないとおもった。だが、数年経って会社が大きく成長した後、軽いノイローゼになった。たぶんあれはノイローゼ。客ががんがん電話で怒鳴る。何とかしなきゃ。でも、会社が動いてくれない。自分だけでは解決できない。仕事に行かなきゃ、とベッドから起き上がると胃の中になにもないのに繰り返しえづいた。歩きながら、おえ、おえと、空っぽの胃を引くつかせた。
辞めた。
気がつくと、花粉症がとてつもなく悪くなっていた。単に年なのか、あるいは病状が進行しただけなのか、それとも過労がたたったのかは知らない。
3番目の会社では違う仕事に就いた。面白かったし、成果も出た。周りもそれなりに重く見てくれた。が、結局2番目の会社でやったのと同じ仕事に移ってくれといわれた。一応選択肢はあるような言い方だったが。
客先の窓のない部屋に詰めた。客は気を使ってくれたが、何とかしなければという気持ちと何ともならない状況で板ばさみになり、1ヶ月で気分がおかしくなってきた。高揚と落ち込みが交互に襲ってきた。やばいやばい、仕事を忘れろ、空を見ろと自分を鼓舞した。これはうつ病への道だと思った。こんなアップ・ダウンに俺の心がいつまでも耐えると思ったら大間違いだぞと自分に言い聞かせた。狭い部屋は薄い仕切り。隣の部屋で、別の会社から派遣されてきている若い技術者が、上司に「お前は熱意が足りない」と説教されていた。冷たい空気が吹いたかった。建屋の周りを何度も歩いた。冬の空は青かった。駐車場は外車だらけだった。みんな山のように払われる残業代を使う方法を、ほかに知らない。ものを買う以外の時間もない。意外なことに心より先に別の臓器が根を上げた。ある朝、上司に電話した。今日、二回発作がありました。たぶん狭心症です。あ、今三回目が始まりました。病院に行く間、2週間ほどは開放された。本当に開放されたのはずっと後だった。
しばらくして、定例電話会議をすることになった。電話会議では客先のある人から繰り返し怒鳴られた。怒鳴られない方法を考えながら必死で通訳した。まじで英語がうまくなったね。あはは。
ようやく落ちついて、これからはこんな目にあわないよう、客に迷惑をかけないよう会社をどうやって動かそうかと考えていた矢先、部門売却が発表された。社長いわく、「残っても居る場所はないでしょ」。売却先に移れば、数年に分けて都合数百万円くらいは追加ボーナスが払われると説明された。説明は口頭。日本法人からはとうとう紙切れ一枚出なかった。
売却前に辞めた。客先に挨拶に行った。たった一人、送別会を開いてくれた人がいた。本当にありがとうございました、どれほど助かったことかと言ってくれた。涙が出そうになった。
拾ってくれた今の会社には感謝している。激務もない。ひどいこともいわれない。だが、もう俺はおしまいかもしれないと感じる。前の会社でおかしくした体は、どうやっても最後の業務以前の水準に戻らない。どうでもいいことで心の平衡を失いそうになる。動脈硬化の兆候が出ている。「傷あとを残さない恋はないのよ」と、昔好きだった女性が言ったのを思い出す。傷あとを残すのは仕事も同じらしい。こんな心と体で、あと、5年生きられるだろうか。
別に長生きがしたいだけじゃない。単に家で待っている嫁に、苦しい思いをさせたくないだけだ。そんなささやかな願いも実現できないのが、俺の人生なのかもしれない。20年前社会に出たときには、こんなはずじゃなかったのに。
[2009.3.30]
知識がお金になる時代の終焉。
知っている人が得をし、知らない人が損をするという情報の非対称性は、あらゆる取り引きに存在している。その一番極端な例が金融取引である。買いたい人は売りたい人が居なければ買えないわけで、買って利益が生まれる理由を独り占めしておかなければ、売りたい人を増やせない。同様に、売りたい人は、持っていると損をする理由を独り占めしておかなければ、買ってくれる人を増やせない。
知っている事が利益になり、知らない事が損になるという、知識がお金と等価であった時代の仇花がCDSであり、CMO(Collaterized Mortgage Obligation)であった。それらの加工された債券は、元本である債権の情報が隠され、高格付けの高利回りの債券として売られていた。
それらの偽装された格付け情報を信じて買ってしまった所が、大火傷をしている。
インターネットが社会に受け入れられたのは、知識を手に入れやすくなるという点を評価した人々が飛びついた為である。しかし、それが一般化すると、知識はあって当然であるという状況へ向かう事になる。
つまり、知識・情報を独占して間抜けを騙して損を背負わせるというアンフェアなビジネスを否定し、地道に汗水流して働く事でしか利益が発生しない社会へと向かう選択となっているのである。個人の利益の為にとった行動でも、全員が同じ行動を取ると、誰も利益を独占できないばかりか、社会の構造自体が変化していくという結果に繋がるという、興味深い変化でもある。
金融バブルと違うのは、こちらの方は、その変化を続けた方が、社会全体にとってメリットが大きくなるという点であろう。
このwebで、著作物の独占的所有権を否定して、情報を生み出す能力を評価する仕組みを提唱しているのも、同じ文脈に沿っている。
医療・介護費用の削減においても、いろいろな取り組みが行われているが、究極的には、知識の独占を解除するという方向に進まざるを得ないであろう([2008.2.9])。知識の独占がある為に、病院に行けば治してもらえるし、治らなければ期待を裏切られたとして裁判沙汰になるというトラブルが発生しているとも言える。患者の側に、病気に対する知識と、どれだけの費用をかければどれだけの事ができるのかという知識があれば、無理難題の持ち込み先は病院ではなくなる。
病気で苦しんでいる人に、病気に対する知識や治療法を説明して、説明にかかったコストを請求するなんて事は、神経を逆撫でするだけでしかない。合意を取り付ける為には、相手に十分な知識がなければならないが、その知識を相手が持っているかどうかなんてことは、誰にもわからない。文書で説明し、サインを求めるという手段で説明と合意は成立したとしているが、訴訟対策でしかない。
どんな名医でも、自分の身体を手術できないし、レントゲン等の個人所有するには高価すぎる機械を使うには、それを所有している他人の手を借りなければならない。この、サービスの対価が医療・介護のコストであるべきである。知識を独占する事は、利益の源泉ではないし、むしろ、デメリットの方が増えていくという状況が、生まれつつある。
知識の独占が利益の源泉であるという考え方は、軍事においては正当化される。それは相手が滅ぼすべき敵だからである。共存しなければならない相手に対し、軍事ドクトリンを当て嵌めてしまった所から、ボタンの掛け違いが発生しているのである。
知識・情報の独占に偏り、それを作り出す能力や技能といった部分を軽んじると、敵味方の識別を間違う事になる。著作権者が、消費者は著作物を盗む泥棒であると主張したり([2008.7.9])、手数料収入を稼ぐ為に返済能力の無い人にローンを組ませ、格付けを偽装した債券に加工して売り飛ばしたりといった、罪刑法定主義の下では違法ではないが、不正な行為をやらかしてしまうのである。
お金はマネーゲームのチップとして使われるのではなく、財やサービスを生み出す為に使われるべきであるという考え方は、至極まっとうな考え方である。ただし、マネーゲームの原因を作った人が言うのは、企業献金を受け取って蓄財してきた人が企業・団体献金の禁止を言い出すのと同じで、おまえが言うなと突っ込まれて当然の、渾身の自爆ボケと言える。このボケを言う為に、あれだけの迷惑を引き起こしたのかと考えると、すさまじい芸であるとしか言いようが無いのであった。
休みなのではてなハイク見てたら、風邪の報告がちらほら。マスゴミでは医療崩壊とか言ってるけど、前線部隊としては目の前の外来(特に時間外)が混むと面倒だし、病院に来てもらっても帰った後のことがあるので書いた。後悔はしていないが、各論の詳細はググってくれ。増田で長文ごめんね。
※病院と診療所は違うが、以下両方含め「病院」と書く。レントゲンが撮れたり血液検査の結果がすぐ出たり入院できたり、場によって特徴があるだろうけどその辺は空気を読んで。
ニュー速まとめ「風邪をひいたとき」を参考にしてもいいが、単純には「水と塩」が必要最小限。熱があると体から水分が飛ぶので、食欲が全くなくても、水分だけはたっぷり摂ってくれ。飯は2-3日食べなくても問題ないし(入院して絶食のとき、点滴の中身は水と塩)、ウィダーとかカロリーメイトゼリーの存在意義はこういう時のためだろ。ちなみにうちにはスポーツ飲料と、塩分補充目的のカップスープ(油っこくないやつ、味噌汁など)を常備してある。
あと解熱剤。熱出てるとつらいけど、下がると少しは楽になる。多用すると胃を痛めるが、2-3日なら大きな影響はないと思う。銘柄は何でも良いが、成分が「アセトアミノフェン」のものは、胃にやさしく安全、効果はいまいち(小児の座薬はアセトアミノフェン)。
市販の風邪薬は、正直好きなのを使ってくれ。風邪は薬が治すんじゃなくて、自分の免疫力が治すもの。病院でもらう薬は効く気がするかも知れんが、理由があるとしたら市販薬より有効成分が若干多いという点と、症状に合わせてピンポイントに処方する点で、それ以上でも以下でもない。抗生剤は普通は要らない(2-3日の風邪にはとりあえず不要。書くと長いし面倒だから「風邪に抗生剤」とかでググれ)。
「風邪で病院に行ったら5種類も薬出されたよ、ヤブじゃね?」なんて話もあるが、処方薬は基本ひとつの薬にひとつの成分だから、「熱とのどと咳と鼻水と、胃痛も」とか言うと、それぞれに対して薬が出てくる。市販薬は、そういうのを混ぜあわせて「パブロン」とか「ルル」とか「アンパンマンシロップ」とか名前をつけて、カクテルにして売っているものであり、大抵これで十分。解熱鎮痛薬には胃薬が混ぜてある(市販の「バファリンの半分はやさしさ」だけど、病院のバファリンには「やさしさ」は入ってないので、胃薬とセットで出てくるでしょ?)。
基本的に風邪ひきさんで混んでる病院に行くと、体弱ってるところに新たな風邪をもらうことになるからお勧めしない。風邪ひいたら2-3日は熱が出るものだが、少しずつでも良くなってる気配があるなら一安心だ。例えば、一日の最高体温が、昨日は38.5℃だったが、今日は37.8℃までだった、など。自覚的な体の軽さが一番の目安。
吐いたり下痢する風邪の場合な。体から出ていくものは補給しないといけないので、上で書いた「水と塩」が特に重要。出るとつらいから摂らない、というのは駄目だ。脱水は体に堪える。
本当にひどい吐き気の場合、病院で点滴してもらって、吐き気止めをもらうという手もある(飲めなければ座薬もあるぞ)。脱水を補うと体は楽になる。ただ、上から下から出てもめげずに口から補充していれば何とかなることが多い(点滴のもうひとつのメリットは、数時間分の「水と塩」を口から摂らなくて済むという点だ。あくまで数時間分)。アイソトニック飲料なら、胃から速やかに吸収されている。
もし、「ひどい下痢なのに車で2時間運転しないと…」なんて場合は病院で強い下痢止めをもらうという手もある。そういう事情でもなければ強い下痢止めは処方してくれないと思うし、あまりお勧めしない。薬局でビオフェルミン買っとけ。
上記はあくまで、もともと元気なおっちゃん、おばちゃん、おにーさん、おねーさんの話。少々の脱水で命に関わることはないし、めったに肺炎とかにならない(肺炎になっても、入院になるほどの重症化は稀)。
ただ、老人と小さい子供は要注意な。鼻垂らしてて39℃熱が出てても元気な子供は心配ないが、ぐったりとして顔色が悪い様な場合は夜中でも病院へ(詳しくは小児科でパンフもらっとけ!)。吐いて水分が摂れない場合も、特に体が小さい赤ん坊はすぐ脱水になるので、基本は病院へ(ちびちびとでも飲めれば一安心ではある)。老人も同じで、何か様子がおかしいな、という場合は一見軽そうでも一応病院に行った方が良い。
おにーさんおねーさんや元気な子供の場合でも、(上で「2-3日」と何度か書いたが、それを過ぎて)4-5日目で高熱が続いてるなど全然良くなる気配がない場合には病院に行った方が良い。単に風邪が長びいているだけも多い(そういう風邪もある)が、検査しておいた方が良い場合も多い。もともと喘息があって風邪で発作が出た場合も、粘らずに病院へ(当事者は重々承知と思うけど、ひどい喘息は若者でも死ぬからな)。
ちと例外的ではあるが、「溶連菌」が流行してる幼稚園や保育園関係から熱が出るのど風邪をもらったら、病院で溶連菌の検査をしてもらってくれ。これには抗生剤が要る。
もともと重大な持病がある人は、主治医に色々言われてるだろうから省略。
これも情報が氾濫してるけど、基本的には風邪の一種。高熱が出るとか、5日ぐらいは熱が続くとか特徴があるけど、もともと元気なおにーちゃんおねーちゃんにとっては、そういう風邪をひいた、というもの。
何が恐いかというと、大流行するという点と、稀に肺炎とか脳症を起こす点。もともと余力のない老人・子供が、5日間39℃の熱が出ると結構大変、という点。
新型インフルエンザも、恐いのは重症度より大大大大大流行が予想される点だ(詳しくはググれ)。
だから、もともと元気な人は、インフルエンザになっても(上記の様に対処して)何とか凌げ、と医者に言われると思う。一応、インフルエンザと解熱剤アスピリンの組み合わせで、子供限定と言われているが「ライ症候群」という恐い合併症もあるので、安全を重視する医者はアセトアミノフェンを処方する。アメリカのテキストに「12歳以上はイブプロフェンでいいんじゃね?」と書いてたので、自分用には「イブ」を常備している。
検査について。熱が出始めて約1日間ウィルスが増殖しないと、本物のインフルエンザでも「陰性」になる。なので、朝から熱が出て当日の日中に病院に行っても、検査もしないと思うし、医者にとっては「(インフルエンザかも知れない)風邪の人」。
タミフルについて。実際、飲んだら翌日には解熱するという程の特効薬でもないし、上記の通りもともと体に問題ない人のインフルエンザは風邪として対処して治るので、あまり必要性はない。発熱後48時間を越えたら意味なしと言われてるので、検査の事もあって、熱が出て24-48時間頃に病院に行くことになる(流行状況によっては検査しない場合もあるけどな)。タミフルいらね、というなら病院に行ってインフルエンザかどうか白黒つける必要自体ないかも(流行期の病院は、逆にインフルエンザをもらう危険ゾーンだ)。
近年はタミフルで異常行動という副作用をマスゴミが煽ってた影響で、「とにかくタミフルくれ」という人もあまり居なくなった(省略するが、風邪に抗生剤の議論と同様、集団全体のためにはタミフル乱発は好ましくない)。無論、子供や老人のインフルエンザ、肺炎・脳症などの治療に大変重要な薬。
定番だが、手洗い、うがい。加湿。人から人に伝染するものなので、人混みはハイリスク。
ちらほらインフルエンザが出てきてるが、まだ間に合うからワクチン打っとけ。事前に電話で訊くと良いが、値段は大病院は高くて診療所は安めと思う(中身は同じ)。ワクチン打ちに行って風邪もらうなよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080922110854から8日。
長かったようで、あっという間の入院生活でした。
胸に穴を開け管を通したりはしたものの、
直接手術をするまではいかず、持ち直したようです。
30日の昼近くにいきなり帰ってこれると聞かされ
正直面喰いもしましたが、思っていたより回復が順調で安堵しています。
入院初日から2、3日は管が詰まってて機械がちゃんと動いていなかったらしいとか、
途中まで経過が全く良くなかったとか、
風邪を引いた為にお見舞いに行けない日が2日程あり(私だけが)悲しかったとか、
いろいろあったけど終わったんだ。
レントゲンを撮ってみたら、肺にまだ一つ病気の種があるそうで、
同じ事を繰り返すかもしれないという話らしいですが
何とか持ってくれることを願うばかりです。
早速夜遅くまで勉強しているみたいで、少々心配ではありますが
そっと見守っておこうと思います。
トラバくれた増田やブコメくれた方々、ありがとうございました。
まだちょっと痛そうだけど、弟は元気です。
歯医者ってダラダラ通わなけりゃいけない印象があるけど、実際どのくらいかかるのか記録をつけてみる。
初日である昨日はレントゲン撮って、ちょっと削って、薬を詰めた。
初診料182点、画像診断48点、処置478点の30%で2120円。
ってことは、1点10円か。
今日は、またちょっと削って、薬を詰めた。
昨日の薬は取れちゃってたようなので、今日はフタをしたと言ってた。
根の治療で針をさせるように、すこしずつ進めていくらしい。
あまり痛くないのは結構なことだが、長くかかるとめんどくなるし金もかかるので途中で行くの止めちゃうんだよね。
再診料40点、処置402点の30%で1330円。
今までの費用合計3450円。
http://nucnuc.at.webry.info/200803/article_1.html
三沢のジョイムの入り口近くの新書コーナー、しかも入り口真正面においてあったんで手に取った覚えがあるんだが
というお約束
ついでに、「1日で通常の原発の1年分(の放射性物質を出す)」
トンでも本とは、言わないがミスリードが多かったのは確か。
数字だけを言うなら、病院にいってレントゲン写真も取れないことになりますよー
まあ、別にいいんですが、
ぐだぐだ書きたい事を書いてみる
なお、誤解されている方が多いため付け加えておきますが、講談社へ抗議文を提出したEEE会議は「原発推進派」のみで構成されている団体ではありません。
[「ロッカショ」に対する抗議文]の有志会員は
地元人はともかくとして、電力とか、原燃とか、思いっきり原子力な名を冠る人間を連盟させるのはやめよーぜー
みんな、てーのは間違ってるけど
原燃の中で仕事していない南部バスも反対に回ってるのを聞いてワラタ。
金がまったく降りてこない、岩手県の漁業関係者はおかんむり一筋。
世の中ゼニやね(笑。
まことしやかに、聞いた話なんだが原燃建設当時の古牧温泉は反対に回っていて
工事関係者は受け入れなかったそうだ、その後どうなったかというと、客入りが悪いのは名前が悪いからと言い出す始末(笑
ごもっともです。
東海村で起きたJCO臨界事故のときは、取手だろうが古河だろうが、茨城県ってだけで宿泊を拒否されてましたよ
知らない(知識が無い)人に対して、風評の流布ってのは心理攻撃の材料にうってつけですよ。
最後に一言。
・今朝の出来事
自転車通勤中におっさんに立ちはだかれ、立ち往生。
横を抜けようとしたら、すれ違いざま、肘で押された。
お見合いになったのがそんなに憎かったのか?おっさん。
よろけた弾みで、他の人のかかとを轢いてしまい、謝っている間に逃げられた。
つまり、反撃できなかったのがイライラの元って事か。
反撃したがるなんて、オイラもまだまだだな。
きっと家庭や職場がつまらないから、あのおっさんもあんなにプリプリしていたのだろう。赦してやらねば。
・昨日の出来事
歯医者さんで治療が終わり、点検してもらったら、歯茎に炎症と二、三の小さな虫歯があると言われた。
そのまま、またしても次の予約を取られようとしたので、あわてて止めた。
セカンドオピニオンしてもらうって言ったら、凄く嫌な顔された。
このクソ歯医者が。
でも、隣の別の歯医者に行ったら、またレントゲンだなんだで数千円が飛ぶと思うと、悔しい。
そっか、オイラは数千円と手間が惜しいから憎いんだ。
数千円はいいけど、手間がかかるのはイヤだなぁ。
あきらめて、また通院再開するか。
損して得取れ。
占い師の家系の知り合いがいました。占い師さんは、血筋により、引き継がれていくようです。
私の祖父は、西に帰ると不幸が訪れると言われましたが、話を信じずに今の土地に家を建て、3ヶ月でこの家の敷地内で事故により帰らぬ人となりました。
私は、復縁を相談しましたが、私の良縁のものは別の土地にいると言われました。
「私は心の病をもう一度起こす。あなたの夫は会社を潰す。もう一度同じ出来事が起こる。」こう言われ、全て同じように起こりました。
私は、夫の会社は大丈夫だとずっと思っていました。
この占い師さんは、とても優しい方で、「復縁しなくてもいいのに」と、とても心配してくださいました。
この冬には、まだ、こんなことになるとは思っていませんでした。旅行先にて、ぷらっと占いに立ち寄り、仕事のことなどについて、相談していましたが、去り際に「籍は抜かないのよ」と一言、占い師さんが私に言いました。私は、この時はまだ、結婚生活を壊そうなどとは、少しも思っていませんでした。だから軽く笑ってうなずき、変なことを言う人だなと思いました。ですが今、私は別居中の身です。そして、別居後、会社は倒産しました。
主人には申し訳ないですが、占いが当たるということを少しでもお伝えできればと思い、真実をそのまま書きました。
そして、私はこの後に出会う者の住む土地と職業を聞いています。
私は、人生に疲れ、出会いなどは必要ないと思っていますが、これが当たれば、本当に占いは当たることになるでしょう。
占いは、第六感を使い、未来や過去を透視するものと思っています。
最後に、私は家相を見てもらうために出掛けた先で、身体に癌になりやすい所があると言われました。ここだとしっかり手をあてて、教えてくれました。年に一度の健康診断で写したレントゲン写真にはその器官が真っ白に写っていました。そして、お医者様より、「癌になりやすいので、定期的に診断を受けてください」と言われました。