はてなキーワード: レントゲンとは
虫歯治療をした後、それまで痛くなかった歯が痛むようになり、神経をとる根管治療が必要になった。そのモヤモヤ感を吐き出すために記載。
■今年3月末
仕事の状況で時間のゆとりができたので、どこも痛いところや問題はなかったが、この機会にきれいにしておこうと、歯石とりと検診のため歯医者に久しぶりに行った。
いくつか虫歯があり、一番大きいのは左下奥歯(親知らずの手前の歯)ということで、削って詰め物をする処置を受けた。
処置を受けた後から、若干の痛みが出るようになり1週間たっても続くため、歯科医にきくと、「治療で神経もダメージを受けるので治療後、一定期間痛みが出ることがある。期間は場合によって様々。心配することはない。」ということだった。
■5月頭
歯医者に行くと、以前に治療した左下奥歯について、詰め直しが必要だという。3月に詰めたときに、歯茎の陰で光が当たらなかったところが固まっていなかった、歯茎を一部切って詰め直しをする必要があるということでそうしてもらった。
■6月頭
5月の歯茎切除・詰め直しの後から、それまでと違う痛み、違和感がでるようになった(ときおり顎の違和感、固いものを噛むときに少々の痛み)ため、歯医者にいくと、「問題はない。知覚過敏だ。基本はできるだけその歯に冷たいものや熱いものなど刺激を与えないようにすることだ」といわれ、そのようにした。
仕事環境が変わり、ストレスがかかったとき、左下奥歯に鋭い痛みが出るようになった(2〜3日でおさまった)。
仕事の都合上、今までと違う歯医者を受診したところ、レントゲンで左下奥歯の根元に黒い陰があり、根管治療という神経を抜く治療が必要といわれた。
治療を受けたばかりの歯だったので驚き、また、神経を抜くまでの虫歯になったことは初めてだったのでショックを受けた。
現在の症状は下記で、インターネットで検索してみると「根尖(こんせん)性歯周炎」というものに症状が当てはまるように思われる。
・ストレス、疲れが大きくなったときにひどい痛みが生じて歯茎が腫れる。
ちなみに、歯医者で、風を吹きかけるのと、コンコン叩かれるのは、どちらも痛くない。
しかし、この根尖性歯周炎というものは、歯の神経が死んだ後に起こると書かれている。3月、5月の治療で行われた歯を削って詰め物をする治療は虫歯が神経まで達していないときの処置ではないのか?すると、5月の治療以降に神経が虫歯菌に感染した上に死ぬところまでいったのだろうか?
虫歯が神経にかかると激痛が生じると読んだけれどそこまでの大きな痛みはなかったのに、、、?
7月に受診した歯科医に、前に治療したときから歯が痛くなったことを伝えると、「それはありえる。虫歯が大きくなっていたので、治療しなくてもいずれ神経に及んでいた」という。確かに3月に歯医者に行くまでは杜撰な歯磨きをしていたし、放置していたら神経に及んでいたかもしれないが、でも、治療を受けた日から痛みが出てきたのは偶然と思えない。
レントゲン写真をボールペンのケツでつつきながら、医者はそう言った。
目の前が一瞬暗くなって、それから、さっきまで石ころのように
小足で蹴りながら運んできた仕事、家族、可能性が、ドブに落ちていくのを感じて、あっ、と思った。
手術でしょうか?入院でしょうか?治るんでしょうか?
医者は、はいともいいえとも言わずに、顎に手をやりながら暫し沈黙すると、
「まあ、悪いものでもなさそうだし、とりあえず様子見ときましょうか」
拍子抜けとともに、思わず笑顔になった、医者も笑顔で頷いた。世界に色が戻ってきた。
自覚症状が無いだけで、大抵の人は加齢とともに価値観が出来てしまうものらしい。
あーあ、俺ももう若くないんだなあ。
上顎の傾いて生えてた親知らずは、磨きづらくて何度も虫歯や炎症を引き起こし、隣の正常な歯に悪影響だからと抜歯するのを勧められて抜いた。
麻酔してクイクイって引っ張られたかと思ったらすでに抜けててた。全く痛くなかった。
抜歯後一週間ぐらいは抜いたところがポッカリ空いてるのがどうにも気になったり、血餅が取れないかなと心配になったり…
レントゲン写真を見ると下顎にも横向きになった親知らずが埋没していることが判ったが、現状問題ないので抜かない方針となった。
左上 普通に歯が出ている、ただし外側に曲がっており、隣の歯と接触している。
左下 水平埋伏で隣の奥歯と接触している。親知らず自体は歯茎の中に埋没している。
右下 完全埋伏で骨の中に横倒しで存在する。
かかりつけの歯科医では抜歯は無理ということで、総合病院の口腔外科を紹介される。
炎症が治まるのを待ってから、部分麻酔で抜歯ということになった。
歯茎を切開して、親知らずを砕いて取り出し、頬の内側を縫合して傷口を保護。麻酔して口開けたままで数時間の3時間くらいだったかな。
抗生物質の点滴に通うことになった。
その夜……出血が止まりません。洗面器抱えて夜間救急外来へ。脱脂綿噛んで止血する……しか処置はできない。
オペが終わったところで親知らずは完治で、傷の治癒を待ってるだけなのね。1週間くらいで抜糸。
なんだか左上の親知らずも気になるんですけど。斜めになってて縫合してた頬に当たって痛いし。
そっちはかかりつけで抜歯してくださいと。5分くらいで抜けた。うがい薬処方されておしまい。
問題は、右下の完全埋伏の親知らずである。「これは私では抜けません。もし痛んだら歯科大学病院を紹介します。かなり危険な手術になりますから遺書書いてきてくださいね」
ただし、完全に埋伏しているので雑菌が入り込む経路はないし、隣の歯にも影響していないので……墓場まで持ってくことになりそうだ。
親知らずがどういう状態で存在しているのかで、抜歯の難易度は大きく異なるぞ。
年齢のこともあるので、今痛んだら抗生物質で炎症を叩くことに。隣の奥歯と干渉しているならば、奥歯の方を抜くことになるかも。
元一級障害者。
せっかく、数千人に一人の、放置すれば幼児のうちに死ぬ病気を持って生まれてきたのに、お前らが日本の医療は素晴らしいとかもてはやすから、俺は幼児の頃に受けた手術で生き残ってしまった。
挙句の果てに、健常者と変わらなくなるまでに回復したのに、障害者資格も失った。しかし、30代のオッサンになって、ようやく、子供の頃の手術の影響が現れてきた。
俺が社会にやったことはなんだ?体悪く生まれて、医療費を増大させただけじゃないか。挙句の果てに医療費を増大させ出るのは障碍者だ、みたいな目で見られて批判される。俺は批判されて苦しい、お前らは俺が生きてるのが不愉快、どっちにも得はない。俺はこんな思いするぐらいなら助からなくてよかった、助けてって頼んだ覚えもない。俺は助かるべきじゃなかった、幼児のうちに死んでおくべきだったんだ。
それがなんだ。せっかく俺は、幼児のうちに死ぬ病気を持って生まれてきてやったのに、俺を助けて医療費を増大させたのはお前らだ。医療費増大の責任を俺たちに押し付けるな、死ぬと分かってたのに俺を助けたお前らの責任だ。
この国は民主主義国で、人口の大多数は健常者だ。数千人に一人の確率で生まれてきて、ほっとけば確実に死ぬ俺たちをなぜ助けるんだ?この国の主は大多数の健常者であるお前らなんだから、死ぬ体で生まれてくる俺達なんて放置して殺せばいいだろう。
この国は民主主義国で、人口の99.9はお前らだ。俺達は圧倒的少数派だ。お前ら健常者で団結して、先天性の障害者は幼児のうちに殺す法律を可決させろ。そうすれば、俺は苦しみが何かを知ることもなく死ね、この国から先天性障害者は消えて医療費も減り、健常者だけの国が出来上がる。みんな得する。
先天性の障害者は、生まれてきたこと自体が悪なんだ。存在そのものが社会の害なのだ。俺は生まれてくるべきじゃなかった。
俺のような思いをする子が今後も生まれてこないように、健常者のお前らが多数決で法を変えて、俺を殺してくれ。
俺の病気は簡単にスクリーニングできる。レントゲン写真さえあれば、健常者が取り違えられて死ぬことはない。
日本の人口の大部分を担う健常者の力で、健常者による健常者のための国を作ってほしい。民主主義国かつ法治国家の理念を体現して欲しい。そうすれば、社会の厄介者である俺は、喜んで殺されよう。どうせ、障害によって、誰からも嫌われる、生まれてくるべき人間ではなかったのだから。
やっと退院できた。
44年間生きてきたが、今まで経験した中で
1番痛かった。
正露丸を飲みまくってた。
プレゼント渡して早めに帰ってきた。
痛み止めの点滴を2時間してもらい楽になり自宅へ戻った。
その時は軽い腸炎って言われた。
痛み止めの点滴をしてもらい帰された。
とりあえず、痛み止めの点滴をすれば痛みがなくなるので
胃腸が疲れてるのかなと思った。
でも、次の日も痛みが・・・。
馴染みのクリニックへ行った。
ここ数日痛みの話をして、同じように痛み止めの点滴をした。
いつもなら痛みが引くはずが、点滴が効かない!!
痛みが引かないので先生が再度診察すると
「腹膜炎かもしれないから本院に行ってレントゲンとってもらって」
本院についた頃には痛みが酷くて、車椅子に乗せられ即レントゲン。
痛すぎてお腹を抱える格好で「ウーッ」って唸ることしか出来なくて
その本院の先生に「来るの遅かったら、臓器切除や死んじゃうかもしれないから
もっと早く来ようねー」ってにこやかに言われた。
病名がわかってホッとしたが、入院したらしたで大変だった。
炎症がおさまるまで、絶食9日間。
寝れない痛みと38度台の熱が一週間。
老人ばかりの大部屋しか空いてなかったので夜中に
「息子が蛇に食べられる。誰か助けて。」と叫ぶ、おばあちゃん。
これが「ヘルニアの変形は治ってないけど、腰痛は解消した」ってことならそうなるね
レントゲンのヘルニアも治ってたなら、「ヘルニアはほっといても治る」であって、「ヘルニアと腰痛に因果関係はない」とはならないと思う
以前、『母親に結構な金が注ぎ込まれてる』(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626)『はてなーが案外やさしかった件とその他のもろもろ』(http://anond.hatelabo.jp/20160824212145)というタイトルで、月60万円の抗がん剤を使いながら、日本の保険制度のおかげで、月1万5000円しか負担していない「相対的貧困者」である母親の闘病生活について書いた増田です。
日付みたら、もう半年がたっているのだが、ここにきて大きな変化があったので、つらつら書いていくことにしたい。
母はその後、一進一退の闘病生活を続けていた。
体調が良い時は、映画を観に行く時もあるし(『君の名は』は案外気に入ったらしい。)、副作用がきつい日は一日寝ていたり。
先週の金曜日までは。
抗がん剤をうって、体調が悪い時期をおえたばかり。
先週の水曜日は一人で病院に行き、とくに問題にすべき所見がない状態だったのだが、金曜になってどうやら尋常ならざる腹痛を覚えたらしく、土曜日に同居している姉が病院に連れて行った。
取りあえず、当直の内科医が診断したところ、腹膜炎をおこしているらしいとのことで、痛み止めをうったりレントゲン撮影などしているうちに、主治医や外科医が到着。
通常のCTスキャンだと、造影剤をつかうのだが、抗がん剤で体が弱っているため、造影剤をつかわずにCT撮影。
小腸か大腸に穿孔が疑われるのだが、画像では今一つ患部がはっきりしないらしい。
通常の患者ならば開腹手術に踏み切るところ、はたして、母の場合は体力がもつのか、また、抗がん剤の影響で、術後、傷がすぐにふさがるのかどうかが判断付かず、医者の協議がつづく。
主治医(産婦人科医。母が卵巣ガンのため)は、手術を主張するも、外科医と内科医は反対するという状況の中、結局、週末のため麻酔医の手配が付きそうもなく、また、あらためて放射線医の主導のもと、造影剤を使ったCT撮影の上で、精密な診断を下す必要があるとのことで、月曜日までは「保存的療法」(ようするに、点滴で栄養を補給しつつ、抗生物質で炎症を抑える対症療法)をとる、との診断に落ち着く。
(なお、ここまでは姉からの伝聞)
そして今日。
CT診断を経て主治医、放射線医、外科医、内科医などなどの協議の結果、正午過ぎにやはり手術をすることになる。
ただし、緊急の手術が入ってしまったたこともあり、開始時間がいつになるか分らないという。
準備をしてまつこと2時間くらいたっただろうか?
いよいよ手術ということで看護師なに4人がかりでベッドからストレッチャーに母を移す。
いや、自分で立ち上がれる(と、本人は思っているし、実際たちあがる)のだが、腹部にできるだけ圧迫を与えてはいけないとのことで。
母は手術に若干の不安を抱えているものの、現状では、うがいが許されている以外は一切、なにも口に入れることが許されず、手術によってその状況が改善されるのならば、と望んでいるようだ。
スタッフ・ステーション(最近は、ナース・ステーションとは言わないらしい)横の病室から、エレベータ、長い廊下を運ばれる母にくっついて、自分と姉も移動し、弱弱しくベッドで手を振る母は、「手術棟」の自動ドアの向こうに運ばれていった。
患部の状態を確認し、最悪、内臓の消毒や洗浄だけで、それほど積極的な処置もできずに終わるかもしれない、と説明されていたが、果たしてどうなることか・・・と待合室に席を落ち着けた途端、自動ドアがあいて、看護婦が「増田さん!」と叫んだ。
何事!!!
本来なら患者のみが呼びこまれるドアの内側に、姉と自分が駆けつける。
手術衣を来た外科医(協議で議論をリードし、重鎮っぽい空気を醸し出していた、いかにも精力的な医師である)が口を開いた。
どういうことか?
ところが、外科医は、昨年5月「まで」と、今の今まで勘違いをしていたようなのだ。
医師の説明するところでは、現在の薬を使っている場合、最後に投与して最低でも8週間は外科手術をしないほうがよいという。
もちろん、「明らかに今開かなければ、もう数時間で確実に大変なことになる」などという状況であれば判断もかわるが、母はまだ、そこまでの段階にはない。
腹部を押した場合、まだ痛みを感じるところと感じないところがある、という。
実際、つい先ほどまで、スマホをいじってメールを返信したり、電話に対応しているくらいなので、「もう我慢できないほどの痛みでのたうちまわっている」とか、そういう状態ではないのだ。
「ここまで来ていただいて、まことに申し訳ないのですが、やはり、もうちょっとだけ保存的な療法で様子を見るべきと、最終的に判断させてください」と頭を下げられて、「いや、手術してください」とはだれも言えない。
一緒に聞いていた母の心中は分らない。
手術への恐怖から一瞬だけ解放された安堵か、現状を劇的に回復される手段が先送りになったことへの絶望か。
もとの病室にもどり、しばらくして改めて主治医の説明を、母と姉と共に聞く。
「正直、腹膜炎の手術に関しては、自分の専門外の部分も多く、外科と内科の判断に従わざるを得ない。
『五月まで』と『五月から』の認識違いが生じてしまったことは誠に申し訳ない。
まずは、抗生物質で炎症を抑えつつ、点滴の種類を追加して栄養を補給し、しばらく様子をみる。
何分、抗がん剤は癌細胞だけでなく、内臓の正常な細胞にも影響をあたえるので、手術後、傷がふさがらなくなる可能性もある。
もうしばらく、抗がん剤の影響が少なくなるまで頑張りましょう、しばらく点滴だけで食べ物も飲み物もとれませんが云々」
といった説明があった。
やれやれ、ということで病室で落ち着いたところで、自分と姉だけが再び呼ばれた。
その瞬間、「来たな」と思った。
なぜ、もう説明が済んでいるのに、もう一度呼ばれるのか。
それは、「本人には伝えにくい診断があるから」以外に、理由はない。
「正直、私としては手術で状況を打開したかったのですが、申し訳ありません。
現在の薬には、消化管穿孔の副作用が起こる可能性が、ごくわずかながら起こる危険があるというのは以前からお伝えしていましたが(実際、それは母にも伝わっている)、
新しい薬ですから、正直、そういう症例が、当院では初めてですし、国内的にも症例はそう多くない。
だから、お母様に今後なにが起こるのかは、何とも言えません。
普通の消化管穿孔ならば、手術をしてしまうわけですから、消化管穿孔の患者に保存的療法を続けた場合の症例というのも多くないのです。
なにが起こっても不思議はない。」
「がんの発見から、もうすぐ丸6年ですから、お母様は大変よく頑張ってこられましたが、私にして差し上げられることが、現状では、なくなってしまったというのが正直なところです。
このまま持ちこたえれば、また手術もできるのですが」
そして、以前、父の時にいわれたセリフがでてきた。
曰く
「もし、会わせておきたい人がおられたら、そろそろ連絡を始めて下さい」
さて、ここで問題だ。
母はどの程度、自分の病状を認識しているのかが、つかみかねるのである。
実母と夫もガンでなくしている母は、ガンの末期というのは相当苦しく、また、その痛みを和らげるための薬を使ったりすることを知っている。
そして、今の母は、そういう状態にない。
考えてみれば当然であって、今の母は「がんの末期」で苦しんでいるのではなく、腸閉そくと消化管穿孔の症状で苦しんでいるのだ。
それは、ガンとの戦いの結果ではあるのだが。
突然、いろんな人が訪ねてきたら、それはそれで、母が何事かをさとり、精神的に追い詰めることにもなろうが、かといって、「間に合わなかった」ら悔いが残る。
この状況で「精神力」が病気と闘うのにどれだけ役に立つのか、良くわからないが、「アマゾンで注文した本が届いているはずだから、明日もってきて」などというほど頭がはっきりしている人の、生きる気力を奪うことはできない、というのが姉と自分の結論となった。
とりあえず、何人かの方に話をして「偶然近所に来る可能性がある人」から順番に呼ぶことにした。
明日以降、日々、状況は変化するだろう。何が起こるか、起こらないか。
6年前、「このままでは、1か月も持たない可能性もあります。即、手術です」といわれて、大震災後の輪番停電が続き、大至急の手術は延期するという状況の中で、母は最初の手術を受けた。
あれ以来「最悪の事態」を常に裏切ってここまできたが、はたして今回はどうなるか。
もし、外科医が「勘違い」に気が付かずに手術を結構していたらどうなっていたか。
誰にもわからないといは、とりあえず封じ込めて、明日も取り急ぎ有給をとっているので、「アマゾンから届いた本」をもって病院に行くことにする。
、
30点ぐらい
整形外科は何でそれを診断すると思う?
心の問題じゃなくて物理的に飛び出してるものは飛び出してるのよ
瞑想しても治りません
本当にお前の言うことを徹底するって言うのは
つまり仕事休む場所変えるレベルなわけだよね つまり生活を変える
そこまですると確かに快方に向かう可能性が強い
ヘルニアを招いたなんらかの必要な習慣が生活の中にあって、それが取り除かれちゃうからよ
確かにお前の言うとおり、整体行っても治らないよ
ヘルニアを招く生活の中の何らかの動作や姿勢がそのまま保存されてるからね
整体行っても治らないと言うのは実際に観察出来る事象で、そこまではお前は正しい
でもそれは「ヘルニアの全部または大部分が心因性である」なんて突飛な結論は保証しない
何一つ問題がなかった。
大変喜ばしいことだ。
ただ疑問に思う。なぜウチのキャバリアは問題がないのだろうか。他に問題のないキャバリアはいないのだろうか。
自分ちのキャバリアも、高年齢なのに心臓元気ですよ!っていう人がいたら聞いてみたい。そして、どんな毛並みで、性格なのかとかも。
うちのキャバリアは、夫から"ニセモノのキャバリア"と言われている。
メス、避妊手術はしていない。
外見は、毛の長さ無い。耳毛は二センチが最長。夏場は簾のように貧相。背中は丸まってて、足が長い(ダルメシアンみたいな体)。ただ顔は整ってる。鼻は短すぎず長すぎず。口の周りも黒子みたいな斑はない。
犬にはたまに吠える。人は大好き。イモも大好き。
キャバリアという犬種は、心臓にある弁の一つが、しっかり開閉できずに、血液が一部逆流してしまう遺伝疾患(僧帽弁閉鎖不全症)がすこぶる多い。1歳ですでに33%がこの病気を持ち、4歳以上では60%にもみられるらしい。(Wikipediaより)
僧帽弁閉鎖不全症は、心臓内の血液の逆流だが、犬の症状としては、咳、運動したがらないなどがある。
これは、逆流を補うために心臓がより強く動き、そうなると心臓が肥大してくる。肥大すると、気管を圧迫して咳がでるのだ。
ウチの犬は、週に一、二回ほど変な咳をしていたので、かかりつけの医師の紹介で、6歳の時に初めて検査を連れて行った。飼う前から、心臓疾患が多いと知っていたのに、ちゃんと調べなかった自分を悔やんだ。
結果は、うんことご飯が詰まっているくらいで心肥大は無かった。エコーで逆流を確認しても、微々たるもので許容範囲内、心電図も大丈夫。とてもフランクな先生で、ゴチャゴチャしていてわかりずらかったけど、手書きで色々説明してくれた。
「日本でブリーディングしたキャバリアはどこかで異なる犬種が入っているのかわからないが、アメリカやオランダ(オランダが多いらしい)から直接やってきた犬より心臓疾患が少ない。特にオランダのキャバリアは心臓疾患が多かった。」
「うちの病院に来ていて、最も長生きだったのは14歳だったよ。」
と言っていた。14歳って、小型中型犬からしたらよくある年齢だけれど、キャバリアだとめっきりいない。"14歳 キャバリア"で検索したら、1匹ヒットしただけだった。
そして先生は
「半年後、また精密検査して大丈夫だったら、もう来なくてもいいよ。」
だそうだ。
結構したけど、何事もなく、薬も飲まないのでよかった。
と言われ、そのまま帰った。フランクな先生は、基本診察をしたがらない。
そして、半年後、キャバリアの咳が毎日二、三回していたので、ネットで調べて別な病院に行ってみた。ホームページに書いていた以上に丁寧で優しい先生だった。片道 1時間半かけて行ったが、検査は30分とすごく短くて助かった。
結果は問題なし。
レントゲンで、心臓のサイズを横から上から撮影しても、肥大はない。心臓は標準のまま(10.6センチ)
エコーでは、僧帽弁での逆流はなし。
三尖弁で、微量の逆流があるが、生理的にありえる量らしい。
心電図では、一番大きなピークの前に、小さなピークがあるのだが、これが少し間隔があるらしいが、問題のあるレベルではないという事だった。
レントゲンから、呼吸前後の気管の大きさも見たが、気管は潰れる事なく正常。
肝臓がやや小さく見えるが、ごはんが詰まっているため、小さく見えるのかもしれない。
心臓疾患の子は、腎臓も悪くする場合もあるため、血液検査から簡易的にわかる場合もあるらしい。
とてもわかりやすくて、威圧感も無くいい先生だった。というか、動物のお医者さんは、なんかやさしい。
定期検診の目安を聞いて見たら、年に一回くらいだと良いそう。また、心臓の異変としては、いつも犬が喜んでお出迎えしていたのに、動かずじっとするようになったりたら、危ないらしい。
検査費しめて15444円。
今回も無事でよかった。
ちょっと毛並みが足りなくて、
「キャバリアですか?」
「成犬ですか?」
と言われる愛犬だが、毛質はカシミヤの、ように柔らかく。悲しい時には、そっと寄り添って舐めてくれるし、湯あたりして横になってると、家族に助けを求めに行ってくれたりする。
そんなキャバリアが大好きだ。
プログラミング教育を進めようとしていたとある校長先生の言葉。
最近PTAやら学校におけるITリテラシーの低さが話題になっている。
以前に学校現場の教育における技術のイベントにいった時に話していたことをまとめてみる。
医者の先生は100年前にタイムスリップすると、仕事ができない。なぜなら、レントゲンやCTといった技術が無ければ診察ができないほど
だが、学校の先生は100年前にタイムスリップしても仕事ができる
学校の先生は忙しい、仕事量が多すぎる、と言うが、ひたすら効率が悪いだけ。
近代の学校の役割は、富国強兵であった。そのスタイルがずっと続いている。
それを率先して教えるべき教師が、技術を使って楽していると見えると、
教師のアイデンティティが崩壊する。だからITなんていれる気がない。
今の学校のあり方は、進歩するという姿勢から大きく乖離している。
ある学校で、iPadを全児童に配って教育しようとした試みを行った。
子供からはとても好評だった。別の子の描いた絵にいいねをつけあったり
教師が子供に技術を教えてあげることで、子供から尊敬されたり。
だが周囲からの反対が相次いだ。
まずは教育委員会。
「他の学校でやっていないことをこの学校だけでやることは認められない。すぐにやめるように。」
という警告。
本質的には、親が知らないことを子供に教えてくれるな、ということである。
子供の方が吸収力が高いので、ITスキルなんてすぐ吸収する。そうすると、ITを使いこなせない親のプライドが傷つく。
だから教えて欲しくない。
ITリテラシーの教育というのは、ITとの適切な距離や関わり方を教えることが大事。
危険だから、といって子供からそれを遠ざけたところで何も解決はしない。
大人になって自由に使えるようになって、バカなことをやらかすだけだ。
かかったお金の総額は50万以上。期間は2年。
私は子供時代から虫歯が多かった。理由は単純で、歯を磨いてなかったからだ。
兄が神童だなどと言われはじめたときから、家庭内の私の存在は希薄になった。
神童の兄を有名校に入れるために、両親はなにかと忙しくなり、私に構う余裕はなくなった。
結果として、私は、お風呂は毎日入るものだとか、顔は毎朝洗うものだとか、歯は磨くものだとか、
そういう生きるために必要な情報が抜け落ちたまま成長してしまったのである。
今でこそ、虫歯はネグレクトのサインと言われているが、当時はそんな価値観はなかった。
歯科検診のときはできるだけ休むようにしていたが、運悪く逃げ切れず上級生にまじって歯科検診を受けさせられることもあった。
しかし、歯科医師は淡々と歯の診断をするだけで、そこから何をどうしろだの話ははじまらなかった。
そもそも学校にあまり行ってなかったので、教師から何かを言われることもなかった。
ぐらぐらしていた前歯がポロッと取れてしまったときのショックはよく覚えている。
母は前歯の欠損に気づいていたのだろうが、何も言わなかった。
そのころには、私の腕は別件で傷だらけだったが、それについても何も言われなかった。
私に興味がなかったのか、どう接していいかわからなかったのかは、わからないが、とにかく私の歯は放置された。
前歯がなくなって1年以上たって、私はやっと母に「歯医者につれていってほしい」と言った。
それが15歳のときの話。
プロセスは割愛するが、地獄めぐりのような10年を経て、今になって、やっと手に職をつけることができた。
手元にちょっとお金が残るようになったので、私は歯の治療にとりかかった。
なけなしの貯金をもって、ネットで選んだ歯医者に「ホワイトニングがしたい」と相談しにいった。
何よりも歯の黄色さが気になったのだ。私の写真は全部下を向いて笑っていた。
歯科医曰く、歯茎が腫れているので、まずブラッシングで歯茎をひきしめましょう、同時に虫歯も治療して、終わったらホワイトニングしましょう、とのこと。
差し歯が入っていたが、根っこの部分が腐ってしまっている、とのこと。
その膿をとらないことには治療ができないんだそう。
膿を取る治療は、根管治療というらしかった。根管治療の専門医を紹介されて、治療をしてくださいと言われた。
正直なところ、「やっぱりな」という感じだった。
欠損して10年以上たつのだから、何らかの不調はあるだろうと思っていた。
むしろ、その前歯を治療で使える状態に持っていける可能性があることに安心した。
紹介された専門医は、家からだいぶ遠く、職場にも無理をいって半休をもらってなんとか通った。
保険が効く病院もあるみたいだけれど、自分で良い保険適応の病院を探せる自信がなかったので自費診療にした。
治療代とは別途、差歯代15万くらいがかかるので、完全に予算オーバー。
なんとか根管治療が成功に終わって、「ホワイトニングがしたい」と言ってから1年以上たってようやくホワイトニングをすることができた。
1万5千円×2回のコース。
オフィスホワイトニング1回目の正直な感想は「そんなに効果ないな」。
2回目でも、「うーん?」という感じ。
合計4回のホワイトニングで、多少見た目はマシになった。
しかし、人並みになったかといわれると、どうかなぁというところである。
そもそも前歯のほとんどが詰め物でできているので、ホワイトニングをしても効果のある部分が少ないのだ。
それを見越して白めの治療剤を詰めてもらっているが、そもそも色が黄色かったので、その詰めてもらった治療剤も一般的に綺麗な色とは言い難い。
結局、ここぐらいだろうという落とし所で差し歯を入れて、2年にわたる治療は終わった。
治療も終わったといっても、一時休止みたいなもので、また不調はでるだろう。そして私は人より早く入れ歯になるのだろう。
望んでいたぐらいに綺麗になったかというとそうではない。
でも、なんだか少し晴れやかな気分だ。
美しくはならなかった。美しくしようと努力しているときも、さまざまな過去の記憶がフラッシュバックして苦しかった。
それでもちまちまと歯医者に通いつづけ、自分で稼いだお金を使い、歯科医さんと衛生士さんと話し合いを重ねて少しでも綺麗にしようと努力してきたプロセスに、私は満足している。
だから私は私の歯に自信をもつことができた。人前で笑うことも臆さなくなった。写真をとるときも前をみて笑えるようになった。
受け入れられるか、受け入れられないか。
誇りを持てるか、持てないか。
オタクで変わり者の先輩に3年間片思いし続けて、卒業してからも諦められなくて
4年の片思いの末ようやく「じゃあ、付き合おうか」と言ってもらえた。
先輩には二人で遊びに行く際、雪のふる中2時間待たされたりドタキャンされたり色々されて、
今なら何であんなやつをと思うけど、当時はほんっとうに大好きだった。
嬉しすぎて19歳にもなって「お父さん!!私彼氏できた!!!」と携帯を持って小躍りしながら言ったレベル。
その3日後、じゃあデートしようとなった時、先輩は私の部屋に来たいと言い出した。もしくはラブホテルに行くぞと。
は?何言ってんだコイツ、と思った。19年間処女をこじらせた女に付き合って3日でラブホって何言ってるんだコイツと。
まずは外に出ようってなるじゃん。普通健全に手とか繋いで帰り道にキスとかしたいじゃん。何でいきなり出し入れの話になる。
もちろんいつかはそういうことになるのもわかってますが少し心の準備が、というとすげー怒ったよね。
「お前が4年間も不毛な片思いを続けてるからボランティアのつもりで付き合ってあげてるんだぞ!」と返信がきた時点で
100年の恋もさめるとはこのことかぁ、とぼんやりと思った。
今までありがとうございました、楽しかったです。ボランティアのお気持ちだけ有難くいただいておきます。と返信して着信拒否した。
4年後、就職した先で同い年のレントゲン技師さんをかっこいいなって思った。
20代は私と彼だけだったので、まあ自然な?流れだったのかもしれない。
おせっかいな(当時の私には神に見えたんだけど)先輩が「20代彼しかいないし、アドレス聞いてきてあげるよっ」とアドレスを聞いてもらい
勇気を出してメールした。死ぬほど勇気を出して、食事に誘った。
男の人と二人で話す機会なんて全くないので、私はすごく緊張しつつも楽しい時間を過ごさせてもらった。
このまま、仲良くなれればいいなぁ…と思っていた矢先、彼から衝撃的なセリフを聞いた。
「ごめん。俺、実はゲイなんだよね」
混乱しすぎて、いまいち覚えていないが
「ゲイでずっと好きな男性がいるがその人に思いを伝えられなくて悶々としていた気持ちを
すると先輩はもしかしたら女の子も好きになれるかもしれないから、付き合ってみたらどう?と増田さんをすすめられた。
だけど、やっぱり好きな人への思いが忘れられないし女の子を恋愛対象として見られない」ということを言われた。
もちろん、人に言いふらすこともしなかったけど、やっぱり気持ち的には少し失恋に近い気持ちがあって1週間ほどへこんだ。
その件とは、全く関係ないがしばらくして退職したので彼がどうなったのかはわからない。
うまくいってればいいのになーと心から思う。ほんとに。
同じ風に感じている方がいるなら、今いる子を可愛がって欲しいと、そう思う。
あと、決して後味のいい話ではない。
愛犬、と言いながら、実際に愛していたかといえば、怪しいものであった。
中学生のとき飼い始めた小型犬は、自分のしつけと世話がへたくそだったおかげで
飼い始めて5年後くらいに父の実家の祖母に飼われることになった。
散歩がろくにできないこと、糞尿の処理が面倒だったこと、
頻繁に洗えなかったこと、そしてその汚れや臭いで、
更に近づこう、触れようという気持ちが遠ざかることの悪循環だった。
全てにおいて未熟そのもので、そして同じく犬を買い与えた親ですら
汚れて狭いケージで過ごした5年間は、彼にとってはさぞかし地獄だったろうと思う。
祖母に引き取られてからの8年間は、ケージの中でなく、自由に家の中を歩く事ができ、
1日2回の散歩に連れていってもらい、月1回のトリミングとシャンプーで
不潔であることはなくなった。当たり前のことだった。
引き取った頃はガリガリに痩せていて、カーテンや畳に尿をかけて大変だったと聞いた。
祖母を信頼するようになったら、徐々にそういったことが減り、
よく『笑う』し返事するようになった。
(愛されている犬の写真というものは毛並がきれいとか、瞳が輝いているとか、
それ以外にも、『表情が笑っている』ように自分には見える。)
祖母に引き取られた後も、時々顔を見せるようにしていたが、
久し振りだね、元気にしてた?遊んでよ、と寄ってくる。
自分はますます彼をきちんと世話できなかったことで自分を責めた。
でも、彼にとっては自分からの愛情がほしかったのだろうとおもう。
祖母のことは好いていたけれど、それとは別に、自分からの愛情が。
祖母はたまに嫌味を言ったが、それでもこんなに笑って幸せそうに暮らしているのなら
彼にとってはそのほうがずっとずっといいと思っていた。
あんな飼い方をするより、嫌味を言われるくらいどうということはないと思った。
(その後その犬は胃を患って、ご飯が食べられなくなり、今から5年前に息を引き取った。
可愛がっていた祖母はたいそう悲しんでいた。)
その犬が祖母に引き取られて数年たたないうちに、
また親が別の犬を家に連れてきた。
同じ職場にブリーダーがいて、このほど子犬が生まれたのだという。
もしペットショップなどで購入したら30万くらいだろうと思う。
それを20万で譲ってくれるというのだ、試しに1日だけ家で見てみないかと、
自分は世話ができないので、全て親が見るのならいいが、
そうでないのなら飼うべきでない。こんなにかわいいのなら他に飼い手が見つかる。
絶対に返してきて、そう何度も念を押した。
その次の日、自分は遠出の予定があり、外泊したため家に2日ほど帰らなかった。
帰宅したらどうだ、察しの通りあの犬はまだ家にいた。
飼うことに決めたのだと。今度は狂犬病予防もワクチンもフィラリアの知識もある、
散歩も協力して行こう、ということで支払が済んでしまっていた。
それから10年、やはり親は忙しいという理由で散歩にいくことはしなかった。
家に人が尋ねれば、誰かが来たことにワンワン鳴いた。
犬のいる部屋で家族の誰かと誰かが触れ合ったりすると、羨ましがってワンワン鳴いた。
洗濯かごを持てば、また部屋に人が戻ってくることが分かっていたから、やはりワンワン鳴いた。
あんなに放置しているのに、なぜだか親に一番尻尾を振っていた。
自分は多分2番目だったと思う。
この犬もやはり、誰の愛でもなくて親の愛が一番欲しかったのだと思う。
その犬を飼い始めて3年後、大学最後の1年だけ単位が足りず恥ずかしながら
就職したとき、きちんとお金で返すと伝えたが、お金は要らないが、
1日いくらなのか、どれほどの期間世話をしたら元が取れるのか、
結局そのあたりの協議があいまいなままだったため、最後まで自分が世話係だった。
あなたにお金を払ってやってもらっているのだからやれと言われただけだった。
犬を飼育する上で最低限のことは欠かさずやっていたが
日常生活においてはたまに(1.5か月に1回ほど)洗って、爪を切って、
そのまま散歩したり遊んであげたりするだけで
毎日散歩などしたことがなかった。ひと月に1~2回、あればいい方だった。
生かさず殺さず、ただ狭いサークルの中で、生き地獄だったろうと思う。
4年前の今頃、ある朝ご飯を食べたがらなかった。
カリカリでも、おやつでなくても、残さず平らげていた子が珍しいなと感じ、
その日なんとなく、仕事の休憩中に今の犬も広義にはネグレクトなのでは、と思い
動物愛護団体に賛成するような人の、立派に犬を可愛がって育てている飼い主の意見が沢山でてきた。
それと同時に、こうしてサークルやケージの中で一生を終える犬が1/4くらいいることも知った。
ますます責められているように感じて、帰宅したら散歩に連れていこうと思った。
帰宅したら、おやつはなくなっていたが、ご飯を全部食べておらず、
お水も飲めなかったのか鼻が乾いていて呼吸が浅く、ぐったりとして、明らかに普通ではなかった。
最寄りの動物病院はすでに終わってしまっていて、電話をしてもなしのつぶてだった。
しかしながら、時間外でもたまに電気がついていることがあったので、
親の帰りを数分待ってから、ダメ元でも直接尋ねてみることにした。
親が病院の裏口に先生を呼びに行ってすぐ、犬の咳が激しくなった。
今まで聞いたことのないタイプの咳だった。包んだタオルに薄い血がついた。
処置室に運んですぐ、鼻と口から血を出して、突如首の力が抜けた。
もうダメかもしれません、覚悟してください、とお医者様が言った。
心拍を測る金属製のピンチを足の付け根の皮膚が薄いところにつけ、
血を吐かせて、心臓マッサージと酸素吸入をしたら、再びもがくように動いた。
そのまま酸素を嗅がせているだけで違うと言われ、吸入器を鼻に近づけ続けた。
肺水腫あるいは心臓疾患と診断された。
肺に水が溜まり、充分な酸素が取り込めず、呼吸困難に陥っているという。
強力な利尿剤を用いて下から水を排出できれば、なんとかなるかもしれない、
その間血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしながら様子を見ていた。
時折苦しそうに口から血の混じった水を吐きだしたが、
意識がはっきりして目がうごき、こちらを見る余裕がある瞬間もあった。
2回ほど呼吸が止まり、挿管して気道を確保したりした。
小さな体の半分ほどの長さもある管を、入れられる様は言葉にならなかった。
もうやれることは全てやりましたので、あとは酸素室に入れて薬が効くのを待って、
数分と無かったと思う、突如よろよろ立ち上がり、そして酸素室の奥へ行き、
それから動かなくなった。
大量に血を吐いていた。
診察台に戻し、心拍数を測りながら、心臓マッサージと酸素吸入を続けたが、
ほどなくしてそのまま動かなくなった。
お医者様が何度も、力になれず申し訳ございませんと、頭を下げた。
それ以上に、時間外でも嫌な顔をせず、ここまで処置をしてくれたことを
有難く、本当に申し訳なく感じて、ただ、ありがとうございましたと伝えた。
小さな箱に入れて、亡骸を渡されるまで、待合室で、
彼が生きた人生はどうであったろうかと考えていた。
親に「もう犬は飼わないで」と伝えた。
人生の8割くらいを、あのトイレと寝床とエサ入れと水入れしかないサークルで過ごし、
どんなに寂しい想いをしただろう。構ってほしくて吠えただろう。
あの時急変したのは、お医者様に預けて、帰ってしまいそうな自分たちを見て
1人で逝きたくなかったから、酸素室から出たかったからではないだろうか。
ペットを愛している方から、後悔するくらいなら親などあてにせず、
怒りをぶつけられても仕方のないことと思う。
何故こんなことを書き綴っているのかもよくわからない。罪から逃れたいのだろうか。
親のせいにして、自分のせいにしたくなくて。
けれど、どうして救えなかったのか、愛せなかったのかを考え続けている。
友人に犬が亡くなったことを知らせたら、「愛されて幸せだったと思うよ」と言った。
けど、そうではない、愛されていたら、こんな終りではなかったはずだ。
今朝餌を食べたがらなかった時点で、医者に連れていけたはずだ。
その日の夜に、合同葬の予約を取り付けて、夜眠れなくて階下に降りたら、
玄関口に安置していたはずの亡骸の入った箱がなくなっていて驚いた。
親が自身の枕元に持っていっていた。
一人で寂しいだろうから、と言った。泣いていた。
彼は生きているうちに、ずっとそうしたかったんじゃないだろうか。
生きているうちに、親の布団で一緒に眠れたら、よかったのではないだろうか。
毛が付くから、犬臭いから、そんな理由をつけて、一度もそうしなかった。
彼は他でもない、誰よりも親の愛がほしかったはずなのに。
泣くくらいなら、毎週のように旅行になんて行かず、
朝餌を食べない事くらい、自分ですら容易に気が付けたはずなのに。
追い打ちをかける言葉ばかりが出て、結局黙っているしかなかった。
あの日、強く反対していれば。
手続きを終えて、支払を済ませ、あとはお別れをしてきてくださいね、と受付の方に言われた。
祭壇の部屋で、安置された亡骸に、
ただ寂しい思いをさせて申し訳ない、
次はもっとちゃんと愛してくれる人のところへ生まれてくるようにと
一人で手を合わせた。