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はてなキーワード: レトリックとは

2018-11-12

anond:20181112230421

ウェブって個人サイト情報の集積密度が低くオワコンと言われる時期と、

大手サイトはクソ情報ばかり引っかかりオワコンと言われる時期を繰り返してるだけだよね

その時々で、使ってる言葉レトリックが違うだけで、発生してる現象としては同じ

んで、その周りで、コンサル面したピエロが大声で騒いで小銭を稼ぐ

2018-10-27

イケハヤ普通にラジオやればいいのに

最近なんかイケハヤが気になって仕方がない。

Twitterやらはてなやらで気がついたら検索してる。

フォローはしてない。恥ずかしいから。

なにがすごいって、ブログサムネイル

文字だけ。クリエイターすげぇ。

シンプルイズベストの極地。

それを真似してイケハヤ書生たちがやってるけど、

身震いするほど寒い

アーティスト名乗ってる人もいるのが怖い。

同じような界隈にいるはあちゅうは何故かそんなに気にならない。

なんだかんだ言ってはあちゅうレトリックレベル一定してあるからだと思う。

作家名乗るだけはある。

イケハヤ先生コンテンツはここ数年ほぼ同じことしかしてないし、言ってない。

人間文章書くときは何かしら思考の末に洗練するものがあるはずなんだけど、

「ですよね〜」

「ですねw」

だいたいこれ。どうしたんだろう本当に。進化も変化もしていない。

生産性のために思考を捨ててしまったのか。

ブロガーからそれでいいのか。

ラジオパーソナリティとか経済解説しながらできないもんかね。

2018-10-13

anond:20181012144629

小説家武器はいくつかある。

大きい視点では、物語構成・話のネタ

ミステリーだったらトリックとか。

小さい視点では、シーンの組み立て方とか、

セリフ所作機微とか、レトリックとか。

近代的なアニメとかラノベ作法に親しんでるなら、

物語構成セリフ機微レトリックとかが重要かな。

もしそっちに親しむようであれば、

そうした小手先を憎め。嫌え。

それを小手先として受け入れてる限りは、

いつまでたっても小手先で終わるから

最初のうちは書くだけでいいよ。

たいていの人はその書くだけが続かないから。

書いてるうちに「自分はなぜ書くのか?」を

考えずにはいられなくなってくる。

そこで答えを出せないとどうせ書けなくなる。

表現する人には、楽しむ人と

それを己の使命と課す人が出てくるけど、

使命型になると人生終わる可能性あるから

気をつけてね。

めめんともりかるぺでぃえむ。

2018-10-08

理論武装の上手いひとはあちこちから事実」を引っ張ってきたりレトリックを駆使したり主語を大きくしたりして自分意見正当性担保しようとするけど、結局言いたいのは「それ嫌いだから消えて」だったりする。そういう人たちが毎日バトルしてるのが今の増田

2018-09-28

anond:20180928041436

そんな彼でも、男性特権を持っている。

男性というだけで下駄を履かされている。

それが弱音など吐くべきでない。

気持ち悪がる彼女達も、よほど身の危険を感じて、何とか対抗言説の一環として彼を遠ざけるレトリックを使わざるを得なかったのだろう。

2018-09-17

オタク議論の仕方が極端だと思う

簡単に言えば1か0かという感じ。

オタクの好む物語セカイ系というのが昔あったけど、それは個人-社会-世界とあるなかで、個人出来事社会をすっ飛ばしていきなり世界とつながるとかそんな感じだったと思う。

オタク思考様式においては、始点と終点しか見えてなくて、中間にある無数の多様で複雑な段階が見えてないことが多いと感じる。社会形成して生活している人間というのは、個人精神生活まり始点だけにとどまることもなければ、世界の終わりや論理的帰結まり終点に辿り着いてしまうこともなく、その間の多様で複雑な中間領域で人生を営んでいくものだ。そういう当たり前のバランス感覚オタクには欠けているように思える。論理の飛躍や雑なレトリックを用いて中間領域が吹っ飛ばされる。思考が一瞬で極端なところまですっ飛んで行ってしまう。

でも現実はそうじゃないんだよ。もちろん議論相手もそういうオタク思考様式は持っていない。

始点(1)から終点(100)の間に、中間領域(2)-中間領域(99)があるとする。議論相手は始点(1)から中間領域(2)へ移行することを提案しているのに対して、オタク議論の仕方だと、「中間領域(2)へ移行するということは自動的終点(100)に辿り着いてしまうということだ。それは危険だ」という感じ。

この危機感感覚に疑問を感じる。もちろん可能性としては最初の一歩が破滅を導くということはある。しか現実はそう単純ではない。机上の空論ではなく、もっと現実的にプラグマティックに考えてみてはどうだろうか。

オタク的な想像力というのは一見優れた性質に見える。だが、その旺盛な想像力は、実際には細部の複雑さを考慮しない幼稚なものであるとも言える。複雑な中間領域を無視して終点まで驀進するだけの1か0かの単純な想像力だ。オタク社会という現実生活のなかでじっと地に足をつけ、他者との関わり合いのなかで妥協点を探して、なんやかんや不満はあるなかでもある程度は譲歩しつつ生きて行く、というようなことを完全に拒否しているように見える。

少しでも自分に都合の悪いこと、つまり中間領域(2)に一歩足を踏み出すということをまるで終点(100)が提示されたかのように相手意見捏造して、全否定する。こういう論法だと、もちろん相手終点(100)については否定するしかない。オタクとしてみれば終点(100)が却下されたのなら、始点(1)にとどまることが是認されるべきだという考えなのだ議論するべきは中間領域(2)-中間領域(99)の間のどこに着地点を見つけるかなのに。

こういうオタク論法現実生活をよりよくしていこうという議論のためのものではないと思う。社会というのは論破して終わりという場ではない。様々な力関係利害関係存在して、いろいろな波に飲まれていくものだ。オタクもも自分世界だけには閉じこもってはいられない状況になってきた。

いつまでも子供駄々をこねていればいいわけではない。きみたちはもう大人なんだ。

2018-09-15

anond:20180915004733

それって保険屋のレトリックじゃない?

「積立で損をすることはありませんよ」「それに加えて、万が一の時に保険がおりるから得ですよ」

そんなうまい話があるわけない。

しかに積立で損をすることは(インデックス投資よりはわずかに)ないかもしれないけれど、それに伴って保険料を支払ってるわけだからな。保険金は自分が運良く病気になったら支払われる宝くじみたいなもの

その「運良く」に賭けるなら保険に入ればいいけど、宝くじが「運良く」当たらないように、「運良く」病気になって掛け金以上の保険金が支払われることも殆ど場合ない。

保険に入ってる」っていう状態安心したいなら別だけど、掛け金以上の保険金が支払われることは殆ど場合ない。その支払われなかった分が保険会社の利益からだ。

2018-09-14

きもちわるいという娘と裸の王様

あの父親と娘の会話は、愚か者には見えないというふれこみの服を着て歩いているのを見た子供が、「王様は裸だ!」と言った、っていうのと同じレトリック

裸の王様に限らず、

純真童子言動が、大人に過ちを悟らせる」

という観念を、童話や昔話などで植え付けられている

一方で、一休さんは壺が割れたのをダシにして、和尚が独り占めにしてた水飴を平らげた

利己的な大人の上を行くずる賢さである

かように、子供だっていつも善良というわけじゃない

ちなみに「裸の王様」には続きがある

王様を騙した詐欺師たちはまんまと隣国に逃げおおせたという

その国の美しい王女にも同じように、見えない服を売り込み、やはり信じた王女は自ら先頭に立ってパレード

群衆の中の子供が「王女様は裸だ!」と言おうとしたら、周りの大人が黙らせて、その後も何かにつけてパレードが行われたそうな

子供おかしい・へんだ・きもちわるいというものは全て悪とはいえないことは、この後日談でも分かる

anond:20180914084633

コピペ改変でドヤってるんだからレトリックみたいなもんだろ。

しかコピペ改変自体とにかく寒い

寒いんだよお前は。童貞がバレるからやめたほうがいいよ。

anond:20180914083920

わざわざレトリック用いてるのにそれが下手くそって救いようがねえなあ

2018-08-25

anond:20180825174029

論理的整合性を通すと同時に、まず最初に一方の気持ちを汲んで他方を抑えるってことをやろうとしたか道義的観点で語れるってだけの話じゃない。下手なレトリックに頼ってもそれは論破とは言わないよ。論点をずらして、意図理解せず一つの単語にこだわっているだけ。まず刺青嫌いが悪口を言っても自由入場禁止公共利益を守るためという理論で始まった議論の中で、どうして気持ちが全く関係ないと思ったのかな?

もし論理だけを考えるなら完全に通すならよけいに早い話だよね。「言論の自由他者の心象を害してまで守るものではない」前提が成り立ってこそ、刺青嫌い派はむやみに罵詈雑言刺青している人を攻撃できないし、刺青している人も自分たち権利を守るために今すぐ入場禁止をやめろと無茶苦茶言えないわけ。もしそうしたいなら運動をしていってだんだん意識を変えていくしかないよってだけだよ。それだけの道理の中で心象を持ち出した君が「お気持ち」なんて言える立場じゃないじゃん。

2018-07-31

ネット上の様々なレトリックに技名をつける

フーガディスクリミネーション無限差別返し)

差別への批判主題に対して反論ができなかった際によく用いられる手法

一度始まるとそれが呼び水となり、永遠に鳴り止むことが無くなる。まさに遁走曲(フーガ

(例)

マインドテロリズム人格攻撃

こちらも主題に対して明確な反論ができない際によく使われる。

本来関係のない主張者自信の過去発言や生い立ちや憶測などを絡めて攻撃することを言う。

ただ、若干古くから使われているので手の内がバレないように慎重になることが必要

(例)

カテゴライズ

まんまカテゴライズなので冨樫的な名前はつけなかった。

人種出身国所得などで線引きをして自分の主張に都合の良いようなクラスタを作ること。

あるいは、特定集団をそのクラスタに属すと主張すること。

(例)

コレハドーナンダ無関係対立列挙)

本来対立関係にない属性もつ人たちが受けるメリットデメリットなどをあたかトレードオフのように嘯いたりすること。

結果的根本原因から目をそらさせてしまうので比較効果は高い。

性質としてはカテゴライズと少し似ている。

(例)

2018-07-18

anond:20180718092523

その「殺人犯と一緒」というレトリックに「逮捕しろ」という含意があると

君はそう主張するわけですか?

それはまた過激な読解ですねえ

2018-06-27

なんで増田って未だにhatelabo扱いなん?

あくまでも実験サービスですから!(その理由hatelaboにあるから)って、

エクスキューズになってないエクスキューズで暗部を内包したままサービス継続するのは役人が使うレトリックみたいで嫌だ。

2018-06-25

anond:20180625103706

しろ興味がないからそうなるって話でしかない。

あんたのまとめサイト史観というレトリック理解する気はないけど。

2018-06-24

腐女子かつ二次ロリ規制派の頭の中が理解できない

ツイッターでbioに腐女子と書きながら男性向け二次ロリ規制ゾーニングでは許さず)を主張するアカウントをわりと見かける。

子供(18歳未満)に見えるキャラの性描写NGとなれば、BL登場人物オッサンだけしか許されなくなるのだけど(歌舞伎みたい)、

そういうアカウントの呟きを追うと高校生キャラや設定年齢成人でも絵柄のせいで18歳未満に見えそうな男性キャラに熱を上げてたりする。

あなたの主張が通れば、あなたが好きなBL作品も世に出せなくなりますが、この点はどうお考えですか」と特に挑発的なレトリックは付けずに質問したところ即ブロック

どういうロジックでこういう主張をしているのか、わかる人がいたら教えて欲しい。

まさか少女キャラ規制されて少年キャラ規制されないなんてアクロバット立法条例可能とでも思っているのだろうか?

2018-06-22

日本畜生どもは××に屈しろ!!

 鉄道おじさんこと高山直人です。

 現在我々は混乱下にある、というのが私の基本的認識です。

 これは、何かレトリック言葉のあや)として云うのではありません。

 また、「1995年オウム問題以来の、いわゆる『刹那的社会』に、我々は巻き込まれ事実上参加しているに等しい」などと云っているのでもありません。私の認識は、そんな寝ぼけた老害のようなものとは違います

 いま起きている気味悪い殺伐事件は、本物のテロではないことはもちろん、誰かの仕業でもないのです。

 では、いったい何が起きているのか?

 本当は分断が起きているのです。

 これは、私の独自見解ではなく、欧米の一部の学者たちの見解に私も賛同しているだけですが、彼らの文章は私ですらコムズカシくて一般の人にはとても読めたものではありませんから、私なりにかみくだいて説明すると、現在おこなわれている分断は、かつてのような目に見えるものではなく、社会の内側での左派右派の分断であるということです。

 今日の混乱(分断)は、最初は「社会貧困」を口実として始められますが、その構図は当初の「経済的な貧富」からどんどん拡大し、最終的には社会に属する人間すべてが個人単位にまで分断されます

 これは現在世界のあらゆる国で程度の差はあれ進んでいる傾向で、実はアメリカの「トランプショック」の本質もここにあります(その証拠に、トランプ政権では白人フラストレーションクローズアップされていますが、アメリカは極端な個人主義に分断が進んでいます)。

 我が国突入しているのも、実はこうした分断です。

 我が国の分断では、それは最初1992年貧困階層可視化として始まりましたが、やはりその後、なし崩し的にその対象を拡大し、今や、かつては「弱者」ではあっても「被差別階層」ではなかった行為さえもが分断抗争によって次々と差別されています。偏った娯楽性の高い趣味現在では「オタク」とか「娯楽廃人」とか呼ばれます)や、重労働者に対するレッテルなどはその典型ですし、また、私たち差別階層が作っている社会のひずみが原因であるに決まっている地下社会モンスター化や極端な治安の悪化に対し、その原因を反省改善する努力をまったく放棄して、ただ揉み消しで対応しようという方針もその一環です。

 好景気愛国心をも疑う安倍批判論者ではありませんが、社会のこうした風潮を、「いかがなものか」と憂えているのは私一人ではないはずです。もしかすると、これを読んでいるあなたも同じ気持ちいるかもしれません。しかし、残念ながらあなたは、つまり私たち現在、圧倒的な極左ないし極右でありますしかも、その問題意識をいいかげんなところでアイマイにせず、よーく突き詰めてみればやがて気づくと思いますが、もはやこの社会左派ないし右派にとっては、そんな問題意識を持ってしま私たちのような存在自体が、何やら不気味で恐ろしい「敵」なのです。奴らは、私たちに対して混乱を仕掛けてきているのです。

 我が国における(他の国でも同じですが)国民同士の対立は、すでに戦争内戦)の域にまで達しているのです。

 私は、この期に及んで「反戦」を訴えるような非現実的夢想家ではありません。奴らは、不安が高じてヒステリー状態になっていて、もはや説得に耳を貸さないことが明らかであるからです。この内戦は、私たちが一人残らず消えていなくなる(何か口実をもうけて「アウトロー」とされて社会的に抹殺されるか、それを恐れて完全に沈黙するか)まで終わりません。

 また、私はもともとリベラルであり、景気拡大には反対しない立場です。例えばカジノ欧米型のリベラルビジネスなどとはむしろ推進すべきだと思っています私たちにとって、現在もっとも憂えるべきは左翼の拡大ではなく右翼の拡大です。従来の寝ぼけた老害の「反戦派」は、ここのところがまったく分かっておりません。むしろ寝ぼけた老害階層は、そのお家芸である「単純で分かりやす理屈」を掲げ、右翼力の拡大を率先して推し進めているようなありさまです(秋葉系サブカルオタクのもの抹殺要求する保守階層や、ゲームのものの撲滅を要求する似非リベラルなどがその代表です)。

 私は、現在のさまざまの不気味な犯罪精神貧困者増加の背景には、共同体進歩的社会崩壊があると考えています。「問題解決」のためには、奴らが推進する文化弾圧のような対症療法ではダメで(そのような弾圧化は、ますます人々の心にストレスを生み、結局はさらなる問題悪化を招きます)、共同体進歩的社会を再建する粘り強い努力必要です(「公共交通全否定」「高校生オートバイ推進」「自転車たたき」「IT拒絶」などはこれに反する破壊行為です)。このあたり、私の見解はむしろ保守に近いのですが、残念ながらほとんどの保守は、考えが浅いのか、「問題解決」には弾圧を、というヒステリー同調しています

 私は、奴らから社会の敵」「未来の敵」のように見なされているみなさんに、団結を呼びかけます

 奴らの勢いは、とどまるところを知りません。もはや「話し合い」は不可能です。

 何度も云うように、私は「反戦派」ではありません。私たちに残されたただ一つの選択は、団結して「応戦」することです。

 現段階では、まず団結し、私たちの側の隊列をととのえることです。

 ネットでのゲリラ工作活動は、何よりも私たち共感するみなさんに、このような形で大々的に団結を呼びかけるための手段です。

 私の見解に「なるほどそのとおりかもしれん」と思う方、まずは行動しましょう。ネットでの宣伝やビラ配りやポスティングです。奴らに反撃していくための、行動を始めようではありませんか。もちろん外国人や、未成年者やノンポリも大歓迎です。

 何しろ奴らは圧倒的多数派であり、私たちは圧倒的少数派ですから、今回の行動で、成功する可能性は、完全にゼロであると自信を持っています

 むしろ何かの間違いで成功ちゃう私自身がビビってしまますが、まあそのようなリスク覚悟の上での呼びかけです。

 しかし私に共感するみなさん。

 私に共感される人間が多ければ多いほど、私ですらビビってしまうのですから、奴らはなおのこと恐怖のズンドコに突き落とされるのは間違いありません。あなたが実行して成功するかしないか二の次です。たとえ成功しなくても、一人でも声が多ければ、奴らはそのぶんだけ慌てふためくのです。私たち存在を、目に見える形で奴らの前に突きつけてやることには、これから反撃を開始するにあたって、大きな意味があります

 そもそも奴らのために存在する、私たちにとってはバカバカいかぎりの民主主義という社会デモでも選挙でも勝負にならないほど不利です)において、「一声の重み」など嘘八百もいいとこです。誰がどうしようが、奴らの支配はこれっぽっちも揺るがないからです。しかし、今回の私のような人間の登場となると話は変わってきます成功しようがしまいが、その一票は奴らを心の底から動揺させる「重み」を持ってしまうのです。ざまあみろであります

 どうせ何もしないでは何も変わらないのです。

 民主主義ではとりあえず奴らに一泡ふかせておいて、私たちは、民主主義などというクソみたいなもんの外で団結を開始し、奴らを本格的にギャフンと云わせる、大革命の恐ろしい陰謀を、着々と進めていこうではありませんか。

2018-06-17

anond:20180617135527

基本的に行動や発言のもの自由からそれは自由だぞ。

やった後に●されたり、手段を封じられることだぞ。

から自由だというのはどのような状況においても当て嵌まるぞ。

そういうレトリックだぞ。

2018-06-12

anond:20180612001035

いやあ被害者にこんな主張されてもたまんねえだろ

レトリックに突っ込むのは野暮だけどさ

2018-06-11

https://anond.hatelabo.jp/20180609115822

だったら脱成長論を支持するといい。耳障りの良いレトリック貧乏人を大量に殺戮できるとっても素敵な思想だゾ。殺戮といっても統計的数字が動くだけで自分の手が汚れることはなく罪に問われることもない。今もっと合理的殺人手段さ。

2018-06-07

なんか途中で寝てました。本当にしんどいのでもうどうにかしてほしいです。つらいつらいつらい。もう駄目です。どうにかなってしまいそうです。嘘です。そんなどうしようもない苦しみはありません。どうしたらいいのかわからない、いえ、もうこれ以上身動きできないというつらさがあります。もうどうしようもありません。それは錯覚です。どうにでもしようはあるのです。よくわかりませんけれど、きっと普通に手はあるんです。つまりさっさと就職すればいいわけです。それだけで今の不安感は解消されます。売り手市場、年齢などを考慮して、今がチャンスなわけです。それを考慮して動くわけですがもうどうしようもないと、やはりそう思うのです。もうつらいです。何もしたくありません。しかし何もしないというのを選ぶのは30歳を超えてからでも遅くありません。せめて20代のうちはがんばってください。まだ客観的に、社会情勢的に見て十分やり直しがきく時期ならがんばりましょう。もうどうにもならなくなったら引きこもりましょう。それも僕はつらいと感じるでしょう。もうどうにもなりません。つらいつらい、という気持ちがつよいです。スーパーに行く途中でも辛い気持ちがむくむくと湧いていました。僕はこんな田舎で終わってしまうのかと不安になる気持ちがありました。別に社会的なあれこれなんて僕はどうでもいいと思っていますし、田舎に住んでいることを誇りに思ってすらいる節まであるのですが、スーパーに行くときだけそんな風に感じてしまうというのはよくわかりません。定期的に都会と田舎を往復するような生活ができたらいいのにと思っています。つらいですね。もう何もできないですよね。つらいつらい。つらいままです。結局は自分でがんばるしかないのです。もうだめです。がんばるしかないのです。世界自分で引き受けねばならないのです。ある意味では僕は今この瞬間にも世界を受け入れてはいるのです。この何もせずに無為に生きている時間焦燥感を覚えているわけですが、何もせずに無為に生きてきた結果としての未成熟経済苦、労働スキルのなさ、社会性の欠如、焦燥感不安感、すべてを僕が引き受けるしかいからです。これは僕以外の誰にも引き受けることができないものです。当たり前の話ですけど。このつらさをそのままにぶつけていいんだと思います。今そう感じている、原因がどうあれつらいという気持ちを切実に感じているならばありのままにぶつけるしかないのです。はー。定期的にやってくるこのつらさをどうにかせねばなりません。プログラマ怖いですけど、何とかなるとは思えないですし、つらい仕事なんてしたくないですけど、それでもみなさんわりとそれなりにやっているようですので、まあ何とかなるんではないでしょうか。心がつらいですね。もうどうしようもありませんね。はやく楽になりたい。いえ違いますね。過去に戻りたいですね。安穏で安全で何も憂いがない状態でこの世界満喫したいのでしょう。これが本音です。しかし僕がさっき憂いと呼んだもの実態をも包含しているからこそこの世界は豊穣であるわけで、それらから自分だけ逃れようとするのはよくありません。つらいですね。もうどうしようもないですね。いえどうしようもないっていったらウソになるというかいくらでもやりようはあるんでしょうが、それをする勇気がありません。気力がありません。病院に行ったら何とかなるのかもしれませんが健康保険がありません。だいたい何を話したらいいのかわかりません。カウンセリングとか言っても、何を話したらいいかわかりません。まさかこれをプリントアウトして持って行くわけにもいかないでしょう。こうやって書いてもまともな文章になんてなったりしませんし、そもそもまともな文章を書いてやろうという気すらないんですけれども、でもなんかこれを誰かに見られることを想定はしているんですよね。それは文章クオリティではなく僕という人の社会立場から参照される性質を誤魔化すために浸かっているみたいな感じです。意味わかんねえですね。もうこうやって延々とわけのわからん、読んでも仕方がないような文章書いてればいいんじゃないでしょうか。それができたら幸せでしょうか。別に幸せじゃないですね。どうでもいい思考シャットアウトするとめっちゃ脳がクリアになるよーってふろむだ先生が言ってましたがこれはあれですね、すごいどうでもいい思考ですね。これをシャットアウトしてもっと生産的なことに活かせば僕はもっといい方向にいけるんではないでしょうか。でもこのだるい感じがある以上僕は頑張れないですね。高校ときは体は十全でしたがやる気はなかったですよね。ぜんぜんダメですよ。ネットでよいアドバイスがもらえるかもしれませんが、今の僕には彼らの容赦ないレスに耐えることができません。弱っているところに匿名インターネットはきついです。今ぼくはすごい弱っています。助けを求めるのはネットではなく身近な信頼できる人です。あと医者です。しかし僕には身近に信頼できる人とかいませんし健康保険ないですし医者で何を話したらいいのかわかりません。作業も進んでいません。時間は待ってくれません。言い換えれば時間平等ということです。なんということでしょう。こんなものを書いている暇があったら脳内妄想彼女を書いてればよかったのです。それを小説として書いていればいいのです。なにもきっちりした小説の形にしなくてもいいです。今やってるようにすごい適当な感じで書きなぐってやればいいのです。しかし僕には致命的な欠点がありまして、台詞を考えるのが苦手だということです。会話ができないのです。脳内会話すらできないのです。僕ができるのはひたすらに独り言です。何かの刺激を受けてそれに対して返事をするということが苦手です。今やってるのを見ればわかりますが、自分のうちから湧き上がってくる何かを拾い上げるというのはまあできるんですが。だったら何か刺激を受けて何か湧き上がってきたものを書けばいいじゃんという話です。もしかするとここにブロックがあるのかもしれません。つまり自分が思いつくようなことは大したことのないものだ、というブロック。あるいはこれの方が大きいかもしれませんが、どういう感想だったら〇がもらえるか、というのを優先して考えている回路の存在です。これのせいで自分純粋に思ったことを拾い上げるのが難しくなっているのではないでしょうか。まずはすべてをとっぱらって素直な気持ちを救い上げるのです。ってそれは今やってることですね。そのための練習でもあるわけですね。後いい加減僕は誰かに見せるための文章の書き方というのを練習しておくべきです。読書感想文とかね。日記とかなんでもないですし。文章書くのがそもそもきじゃなかった自分に今無理やり文章を書くという存在のありかたをインストールしようとしている段階ではないかと思います。20過ぎてからですよやってるの。さすがに遅きに失したという感じです。来世でがんばってください。もうだめですね。何もできません。早くどうにかなってほしいです。もうだめです。疲れました。早く楽にしてください。小説書けるようになりたいな。素敵な世界をこの手で無限に紡ぎだせるようになりたいな。無意識プログラミングすればできるよ。どうやったらできるんだよ。母親を見ろ。何かできているように思うのか。わかんねえ。聞いたらいいんじゃないか。家庭はぐちゃぐちゃだけどな。何を求めているんだ。自分幸せしか僕は求めてねえもんな。でも仕方ないじゃないか自分が不幸せなのにどうして他人幸福を祈れるってんだ。それができる人は聖人馬鹿のどちらかだ。みたいなうんちみたいなラノベみたいなことを言うつもりはないです。こういうレトリックは不純物というか回答、真実に迫るには有害ですらあります。僕が他人幸福を祈れないのはそもそも他人に興味がないからでしょう。自分けがよければいいのです。そしてそれがデフォになっています他人のこととか考えたことがないのです。自分さえよければよいのです。そしてそのことのまずさを頭ではわかっていても体ではわかっていないのです。腹に落ちていないのです。そのくせ自分他人から何かをしてもらって当然と思っています。何という汚物醜悪ですね。そしてそれが本当に汚物であり醜悪であることが本当にはわかっていないのです。なんだかタブレットが熱くなってきました。正確にはタブレットじゃなくて2in1なんですけど。熱はパソコンにとってよろしくないのでちょっと休ませてあげた方がよいかもしれません。本でも読みますかね。目隠しを取ったらいっきに明るくなりました。どうだ明るくなっただろう。めっちゃ明るくなりました。すげえ。別にすごくはないです。しかしこの時間帯になっても昼みたいに明るいというのはなかなかです。フロントガラスの銀シートを外したらもっと明るくなるでしょう。それにしてもおなか一杯です。小食がいいらしいですがどうしても食べてしまますファミレスに行けばよかったんじゃないですかね。でも行くのに罪悪感があります。どうせ他に人いないんだしいいじゃないですか。駄目なんですかね。なんだか申し訳ない気持ちがどうしてもありますし。長居するのやっぱりよくないですよね。でもどうしてもやりたいんです。疲れました。父親について行くだけならすごく楽だったのに。つらいですね。面倒ですね。もう僕は本当に疲れました。疲れ切っています。もう何もしたくありません。でも世界は放っておいてはくれません。僕は本当に疲れ切っています。ぐったりしていますしんどいです。何もしたくありません。だるさが取れません。いい加減にしてほしいです。これは何とかならないんですか。これが諸悪の根源なのです。これをどうにかしないことにはどうにもならないのです。早い所なんとかしてしまわなければ人生台無しになってしまます。もうけっこう壊れてますけど、底が抜けてしまます。早くなんとかしなくちゃいけません。そしてIT技術フォローしていかねばなりません。それが未来を生きる道です。もうどうしようもありません。早く死にたいです。早く殺してください。助けてください。僕に安穏をください。安逸の中で生きていたいです。しんどいです。つらいです。体が重たいです。誰か助けてください。もうどうにかなってしまいそうです。助けてください。つらいです。しんどいです。体が重いです。このままでは何もできません。しんどいですよ。もうどうにでもなってしまます。うんちという感じです心がうんちですね。正しく排泄物です。トイレットペーパー必要です。ガソリン高くて死にそうです。二年前なら110円台とかだったじゃないですか。何でこんなに高いんですか。ふざけてるんですか。いや別にふざけてはいないでしょうけど。それにそんなにしょっちゅう乗るわけでもないですし長距離運転をするわけでもないですし貯金は十分あるのでまあそんなに気にする必要はないんですけどね。心理的問題です。140ウン円という値段を見てうへえーとなるわけです。もう勘弁してくれという感じです。僕がいったい何をしたんだという話です。何もしなかったからこんなことになっているんだといういんたーねっと小話がありますランタンは明るいです。お茶ペットボトルは転がっています。これ何日前からあるんでしょうか。たぶん2か月くらい前からあります。すごいですね。時を駆けていますね。別に時を駆けてはいないでしょう。この車がデロリアンとかだったら別ですが。カエルの装飾をすればケロリアンですよ。パクりですね。パクりはよくありません。インスピレーションを受けるのはよいです。所詮すべてパクりです。足がだるくなってきました。パーカーで雨を拭いていますがそろそろ洗濯したほうがいいかもしれません。けっこう長いこと放置していましたし。しかし車のあっつい中に放置していたのであればどうなるんでしょうか。細菌かにとっては案外これが快適な温度だったりするんでしょうか。今ネット使えないから調べられねえですけど。いえ使おうと思えば使えるんですよね。テザリングすりゃいいだけの話です。僕ずっとこれデザリングって読んでました。

2018-05-24

anond:20180524222503

自民派の利益誘導発言発言は、保険約款と同じレトリックだ。

「~してはいけません」「~しましょう」「さもないと」「当社は責任を負いません」

保険会社のソルベンシー・マージン率が獏上げになっているときには、財務大臣を叩かなくてはいけません」

2018-05-18

anond:20180518094924

荻上ちんちきりんが「昔合法でも今は違法であるものは昔はどうあれ今損害の補てんを要求することができる」とかゆうてたけどそれって裏を返してみれば「昔合法で今違法未来合法になるやも」って話でもあって、「では、未来合法になった場合違法であった期間に受け取った補償補償ではなく非合理なリベートであった」になっちまうってことで、そのロジックで言うと「なら将来合法になったら金返せよ?」って話になるため

法の不遡及』が定義されてる思うんやけど、そこどうなん?

今まさに優生保護法で使われてるレトリックなんやけど。

2018-04-16

悲鳴を上げるのにも才能が要るということ(追記 #1)


増田人生の悩みを打ち明けても、ブクマトラバに助けられる人ばかりではない。
多くの場合無視か、正論で殴りつけて日々の憂さ晴らしに使われるだけだ。

匿名で面識のない人を親切にも救おうとする人は少ない。
それでも救いたくなるとすれば、その悲鳴に聞き覚えがあったからだと思う。
きっと、たまたま過去自分や大切な人の叫び声に似た周波数だったのだ。
私も自分に合う悲鳴を耳にした時は、わざわざ長文で応えてしまったりもする。
他人様にアドバイスできるほど自分人生はうまくいっていないくせに。

このあいだ、増田悲鳴を上げた。
もう生きていられないと思って、
どうせ死ぬのなら最後に何か書き残そうと思いついて、
自分の状況や何がどう苦しいのかを書き殴った。
もう消してしまったけれど、吐瀉物のようで見るに堪えなかっただろう。

結果、数行のトラバで2発殴られた。
「甘え」「自己責任」「さっさと死ね
よくある内容だ。自分でもそう思う。
ブクマはなく、プリントアウトを勧められ、ログの深くに沈んでいった。
それ以上の声をあげることはできなかった。

しばらく前に精神科に行った時も同じだった。
対面で話すと匿名文章みたいに心の内を明かしきることができないから、
ずっとヘラヘラと笑いながら、他人事のように語ったと思う。

「こうなっちゃうんですよ、あはは
 こうしなきゃいけないのはわかってます、でもだめなんですよ、
 やっぱ自分発達障害か何かなんですかねえ?あははは。」

精神科として助けられることはない、と伝えられた。
武道でもやって心身を鍛え直してみては、と諭された。
渡された薬は特に効かず、3ヶ月でやめてしまった。

そういえば診察の席で、
過呼吸おかしくなって通勤電車から逃げ出したのを言いそびれてた。
自責の念に襲われて職場トイレシャープペンシルを腕に突き刺していたことも。

こんなことを繰り返すうち、自分には助けを求める才能がないのだと悟った。
本当に助けが必要とき、なりふり構っていられない状態では、
他人のことを考えないめちゃくちゃな文章になってしまうはずだ。
そんな状態でも誰かの心を射抜けてしまう、鋭い周波数文章が出せるということ。
悲鳴を上げる才能ってそういうことだ。

私にはそんな才能がないから、こういう取り繕った文章を作ってしまう。
自分増田で運良くブクマが伸びたケースは
自分語りをせずに最後まで取り繕えた文章ばかりだ。
悲鳴なんて伝わらないものだ、そう考えている。

結局プライドが高いのが悪い。
ネットでもなりふり構わず全てぶちまければいいのに、
下手にバズって過去の知人に知られたらだとか、
どうせ笑い物になるだけだとか、そうやってうやむやにしてしまう。
5chで相談できなくなったのも、増田で具体的な話ができないのも、
頭が悪い上に臆病なせいだろう。

いくら悲鳴でも、読みやす文章、伝わりやすい話し方でないと人は動かない。
構成をきれいにまとめて、小粋なレトリックを添えて、
読む人の共感を誘うように書かなければ助けは来ない。
でも、そんな風に整理できる状態なら、そもそも苦しんではいないはずだ。

から悲鳴を口の中で噛み潰してしまう。
噛み潰して飲み込むことに慣れてしまう。
そうしていずれ死んでいく未来がいつも網膜に小さく張り付いていて、
どれだけ顔を洗っても剥がせない。
崖へと続くトロッコに乗っていて、降りることができない。
いずれ落ちていく。

でも今日はまだ死なずにいられる。
今のうちに、悲鳴を上げるのが下手な人について残しておこうと思った。
いつか自分が他の誰かの悲鳴を聞き逃してしまわないように。

追記(2018年04月18日 00:51)


皆さん、聞いてくれて本当にありがとうございます
返信+αを作っていたのですが、
長くなりそうなので後ほど別記事にて失礼いたします。

まずお伝えしたいのは、今の私は大丈夫で、
この増田自体悲鳴ではないということです。
境遇自体はそれほど変わりないですが、気の持ちようとして堪えられる範囲です。
これは悲鳴ではなくどうにか取り繕いきれた方の文章です。
心配をかけてしまった皆さん、本当にごめんなさい。

また、主に時系列でいくつかフェイクを入れていました。
件の精神科には当時のつらさを箇条書きで書き殴ったメモ印刷して持ち込みました。
その上で「あなたが何をうちに求めているのか分からない」との回答を頂いております
(次の増田で後述しますが、メモの時点で不十分だったはずです)

医者に甘えられる問題ではない、自力でなんとかするしかない。
そう痛感して、今のところ平均して当時よりはマシな状態になっています

また、処方されたのはサインバルタでしたが
「しいていえばこの新薬だが、
 あなた状態が劇的によくなる薬などない」
と伝えられて、私自身もそうだろうなと感じております

喉が弱い体質のせいか飲む度に軽い吐き気があり、
その副作用の割に当時の症状の改善は見られなかったので、
自分の気の持ちようで生まれ変わるしかないと考えて、
通院をやめて現在に至っております

元増田は、伝わってほしくて、でも伝わらないだろうなと諦めてて、
それでもせめて未来自分を救えるようにと書き残したものだったので、
望外なほど通じてくれたことが純粋にありがたいです。
まずはこの感謝を伝えさせてください。

2018-04-15

表現の自由って、不快を許容しなきゃいけないの?

ロリペド規制するな、表現の自由規制だ、ロリペド好きだからって全員がすぐに犯罪を行う訳じゃない、表現の自由を守れ、って火がついたように騒ぐ人たちいるけど、なんでそこまで表現の自由というのが強いものだと思えるの?

自分表現規制されると思ってないからそう言えるんだ、っていうのも見たけど、普通規制されるようなことツイートしたり話したりしない。

エロ表現!ロリペドも表現!っていうけど、表現の場はあるじゃん。わざわざあるのに、「いや見たくないんだけど」って人の前にも出さないと気がすまないのか意味がわからない。

あとLGBTOKでロリペドダメなのは差別だ!とかのも見たけど、LGBT場合は同性に告白したり性行為をしたりしても、同意があれば犯罪ではない。ロリペドはそもそも同意があろうがなかろうが犯罪(幼児に性行為同意なんて取れない。他の同意はあるだろう、幼児人権差別だとか言われそうだけど、「このお菓子食べる?」と「僕/私とセックスする?」の場合後者はその後のことなんて想像範囲外だし、単なるレトリックで答えるまでもないと思っているけど、念のため)だ。そこをなんで同一と捉えられるのか、思考回路が謎過ぎる。自分の信念を守りたくてエクストリーム擁護してるんだろうけど認知の歪みだ。

加害者立場で、なんで被害者意識持ってるのかな、って疑問。

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