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はてなキーワード: レトリックとは

2020-12-30

たか結婚、されど結婚

https://anond.hatelabo.jp/20201230010318

1. モテというのは言語化が難しい、先天的センスである

2. 非モテ馬鹿にしていい。

1+2 = 生まれ持った性質に基づいて馬鹿にしている。という、大変な危険行為国際的炎上するアレやソレとイコールなんですけど。でも婚活コンサルはそれをわりと堂々とやっているのがすごい。もうちょっとオブラートというか、レトリックを駆使するなどして、ポリコレからカムフラージュした物言いにしたほうがいいんじゃないか?って思うけども。無防備すぎやしないかな(助け舟)。まあ駆使したところで見抜かれてしまうんですが。


個人的には1単体は同意なんですよ。同じ見解を持っている。確かにモテ人間って、「まず女の子食事に行くとするじゃん?」から話を始めるけど、そもそも非モテはそこにたどり着けないんですけど。というスタートラインが決定的に違いすぎて話がかみ合わないやつ。ただ2は否定ですし1+2も否定ですねー。

じゃあ先天的モテ持たざる者として生を受けてしまったら、どうやって結婚すればいいか?というと結婚実際問題難しいだろうねハードル高そう。個人努力ではどうにもならないやつだ。それが昔であれば国民皆婚体制という社会構造によってハードル低くなっていたけど、いまはもうそうなっていない。

じゃあ、いよいよもって、先天的非モテはどうやってよりよく生きていけばいいのか?というのは、まあとても難しい問題ですよね。僕もそうだし。みんなして手探り状態だよね実際。

2020-12-29

anond:20201229204336

悪のアルファがこれから時代正社員でも安泰ではない。

からチャレンジしろリスクを取れみたいなことよく言うけど

95%ぐらいは安泰な公務員正社員と、1%も生き残らないユーチューバーというリスク定量的な違いを

ごちゃ混ぜにして語るの悪のレトリックだよな

2020-12-27

anond:20201227151044

表層的には述べられたような不安が漂っているのが実際のところだろうと思います

しかしどの言葉も表層的なところで留まっており、悪い大人レトリックに踊らされているだけとも言えるでしょう。

何かを述べているようで実は何も述べていない。

どこかの政治家演説のようです。

問題を深掘りし、自分の手に負える問題なのかどうか。

自分コストをかけてまで立ち向かう価値のある問題は何か。

具体的にどんな行動を取れるのか。

他にも素敵な論点はあるかもしれない。

様々な論点に触れ、具体的な行動に落とし込めれば、少しはスッキリするのかもしれません。

難しいことですが。

2020-11-24

anond:20201124183536

泥棒っていうのはお前のレトリックで実際には泥棒じゃないよね

二次創作者が原作者から何をうばったの?

2020-11-19

anond:20201119200544

せやからアレでしょ

貧困JK」が実際に貧困じゃなくてもいいじゃないかってのと一緒で、本当に人生無理かどうかはどうでもいいってことでしょ

涙と震えと動悸と息切れが止まらないみたいな救心構文的なレトリックしかないということ

2020-11-08

性的消費="性差別助長する恐れがある"というレトリックについて

今回のアツギの件では、多くの二次批判と同じく「性的消費(性的搾取)」といった用語による批判が見られた。

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASNC46FQKNC4UTIL00Z.html の有料部分など)

フェミ学者がこれらの語を用いて、表現物の中身について性差別存在を仄めかすレトリックの結語はいつも「性差別助長する恐れがあるである

このレトリック悪質性は、

性差別を/助長する/恐れがある」

と二段構えにすることで、表現物にあるはずのない性被害責任表現物の側に押し付け不快感にすぎないそれを性差別偽装するところにある。

助長する」

まず差別というのは、実在の誰かの人権侵害要件である

その意味で確かに表現物を通した人権侵害は起こり得る。

例えば、性的な内容を含む表現物を見せることを"強制"したり、性的な内容を含む表現物を間に挟んで"囃し立て"を行ったりした場合だ。

しかしこれらはあくま強制や囃し立てという行為が悪いのであって、表現物が悪いのではない

どんな表現物であれ、それを通して人権侵害を行うべきではないという倫理は、表現物ではなく人間の側に求められるのだ。

表現規制が行われるべきギリギリラインは、表現物そのものに明白な人権侵害が含まれている場合に限られる(例えば「◯◯人を殺せ」のようなポスターなど)。

この時点で「助長する」ロジック破綻している。

(もう一つの可能性としては、助長するのが差別行為でなく、性に対する個人意識=内心と想定されていた場合が残る。「二次絵は人々の性意識に悪影響を及ぼす」と。

だとすればフェミニズムはローマカトリックばりの中世に退行した思想であるフェミニズムが目指すべきは近代の徹底だ。)

「恐れがある」

「恐れがある」とは、「表現物が差別助長する」という破綻したロジックについて、それはあくまでも可能性/蓋然性の話ですよと逃げを打つためのエクスキューズだ。

しか可能性/蓋然性レベルに下げてみた所で元々のロジック破綻に変わりはないし、

この「かも知れない」可能性に抱く恐れこそ、「不快感」と呼ぶに相応しいものだ。

この全ての表現物について人々が抱きうる、そして表明されてよい「不快感」のレイヤーの話を、可能性の話に下げることで前段のロジック破綻曖昧にし、「恐れ」という言葉ニュアンス表現物の側に責任を負わせるレトリックが「恐れがある」だ。

国家による規制には反対です」と譲歩のニュアンスが続くケースも散見されるが、

国家による規制云々以前に、そもそも表現物自体に対して「差別人権侵害」のニュアンスを含ませた批判の理路が誤りなのである

批判の理路が問われる、とはそのような意味であるべきだ。

まとめ

このように「性的消費」を支えるロジック="性差別助長する恐れがある"は破綻しており、扇動的ですらある。

また「助長」にも「恐れ」にもエビデンスがない以上、表現物単体で「性的消費」という概念が成立する余地はなく、オーディエンスは単にその表現物を通して「不快感」を受け取っているとするのが正確だ。

もちろんその不快感自由に表明されてよい。しかしその不快感は、その表現物に差別内包されていることを意味するものではない。

https://anond.hatelabo.jp/20201107053636

https://anond.hatelabo.jp/20201108080904

https://anond.hatelabo.jp/20201108023912

2020-11-05

anond:20201105193813

真面目な話あの手のレトリックを使う人らは救心のお世話になるべきだと思う

anond:20201105105531

あのさ、何としても萌え絵セクハラ(=悪)、という構図に落とし込もうとして、レトリック破綻してるよ。

企業公式垢だろうが、そのツイートを見なければ済む話だし、企業垢にリプライ文句を言うこともできる。逃げ場のない職場ではない。

あなたSNS萌え絵不快感を感じたという程度の事実は、残念ながらそれ単体でハラスメント認定されないよ。

あなた不快に感じただけで、人権侵害されていないもの

anond:20201104215721

増田批判してる雑な属性認定極北が、実は「女性カテゴリだよね。

今回のタイツ案件なんか、女性カテゴリが完全に崩壊してる典型的なケースだった。

それでもまだこれは「性的消費/性的搾取」だと言い続ける人たちのタフネス見習いたい。

たった一つ、揺るがない事実があるとすれば、それは「あの表現を見て不快に感じた人がいた」という一点だ。

それだけは無視してはならないし、何かしらの配慮必要とするものだ。

ただし、いくら性的な絵がSNSで目に入ったからといって、その表現が「女性」というカテゴリから何かを奪ったかのような悪質性の高い行為=「性的搾取であることを意味しない。

タイツを用いて性的アピールをしたい女性もいる、そうした女性アプローチしたい女性担当者もいる。

そのように女性」というカテゴリが成立しない案件である上に、絵を目にしただけで何か(尊厳?)が奪われたかのようなレトリックは、もはや自分の感じた不快感に錦の御旗を付けたいだけの、不誠実極まる行為だ。

それは所詮企業マーケティングの失敗に過ぎない。

例えば面と向かって、或いはSNSなどによるリプライなどの直接的な応答で、本人の性的特徴をあげつらったりする行為、これは性的消費の枠組みで批判されていい行為だ。

しかたまたま「本人にとって」性的な絵を見せられたことをもって、「性的消費/性的搾取差別助長する行為」と認定するのは、以上の理由からまりに粗暴な行為という他ない。

2020-10-29

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

2020-10-28

安易に××してはいけない

この文章一見××に悪い所があるように見えるが実際はそうではなく問題は"安易に”の方である

安易という言葉自体に"いいかげんなこと"という悪い意味合いが含まれているのだからその後を何を続けようが「してはいけない」に決まっている(だっていい加減なんだから)

この手のレトリックに騙されてはいけない。

2020-10-13

anond:20201013180551

誰が言ってるんだよ

高橋洋一って安倍の頃から政府べったりだろ

竹中に比べれば高橋でもマシに見える」みたいなレトリックじゃねえの

2020-10-05

今や、独裁は「改革」の名の下にやってくる

以前、行政改革に名を借りた利益誘導欺瞞について増田を書いてから三週間経ったが、基本的にその印象は覆っていないどころか、ますます強まっている。

そのうえで、菅総理大臣は、「推薦された方をそのまま任命してきた前例踏襲してよいのか考えてきた。省庁再編の際に、必要性を含め、在り方について相当の議論が行われ、その結果として、総合的、ふかん的な活動を求めることになった。まさに総合的、ふかん的な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」と述べ、今後も丁寧に説明していく考えを示しました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201005/k10012649301000.html

例の六人をなぜ外したのか、という質問に対して「前例踏襲してよいのか考えてきた」というのは答えになっていないが、ここでも事態に対して「私(=権力者)は支持されているから正しい」「敵は改革への抵抗勢力」というアングルをつけようとしている。あれ、この「聖域なき構造改革」風のレトリックって十何年前にも見たことが無かったっけ…?

2020-10-02

数日前からショートピース買わなきゃと疼いてた理由がこの10月1日からわかば値上げ事件だったと言う訳か

フォルテショートピースとたまに贅沢でわかばしか吸えなくなった

ああ懐かしいね放射性物質の出す放射能による細胞分裂阻害要因よりも煙草のほうが害があると言う言説が懐かしいね

どっちも害のくせに巧妙に後者に害を押し付ける巧妙なレトリック懐かしいね

2020-09-30

anond:20200930121615

一度「だけ」触ったという表記ならそのレトリックも通じるけど、そうではないので馬鹿みたいだよ

2020-09-27

リテラ保守速報と同レベル」というの、そう言われると納得しかけるけど、「強姦は魂の殺人」的なレトリックだよなぁ。(もちろん保守速報の方が「殺人」の方。)

まあ「少なくとも読者層は同レベル」と言われたら、それはそう。

2020-09-24

初心者オススメ哲学書

哲学というと難解な用語と訳の分からないレトリックだらけの本をイメージする人が多いけどそんなこたぁない。なんならセンター試験の方がムズい、たぶん。

初心者といっても普段本を読まない人をここでは対象にする。本を読む人は偉いのでそのまま自分流に頑張って下さい。

まず、知識として学びたいなら哲学用語図鑑でいいと思う。パッと見れるし漫画チックだし。で、ここで気になった哲学者とかの本読めばいいいじゃん(完結)

で、それもめんどくせーという人間に向けて三冊。

パイドン-プラトン

やっぱりギリシャ哲学読まなきゃ始まらんでしょ!という方はこちら。対話形式で読めてプラトン流のソクラテスの考え(所謂イデアってやつ)が書かれてるぞ!でもやっぱりメノンの方がサッと読めるからメノンの方がいいかもしれんわ、選べ。

方法序説-デカルト

えっ、あの我思うゆえに我ありの本!?と思うであろう本書、デカルト自ら寓話だと思って読んでくれと言ってるので内容も難しくなく読めちゃう!なんてったって訳を除けば100頁もない!

共産党宣言-マルクス

おいお前マルクス主義者か?と思うのも待って欲しい。というのも第二次世界大戦後の哲学者というのは大抵は資本主義問題に直面せざるをえなくなっている。そこでやっぱりマルクスが与えた影響というのは大きすぎるわけで、重要古典でもあるわけです。だからこれからニューアカとか読んでみて~となるなら読んどくべきなんですなぁ。(いかんせん頁数が少ないのでいい)

と、紹介したけど結局は気になる哲学から読め。あと90分で分かる~とかそういうシリーズもいいとは思うけど原本も読むべき。まぁ、やっぱり頁数が少ないのは正義だよなぁ。

2020-09-17

anond:20200917201310

「締め切った部屋」っていうのはレトリック上「暑い」かどうかの問題であって、Twitterクローズドな場かというのは別の議論なわけで

2020-09-14

anond:20200913055411

役人言い逃れを聞いていると同じようなレトリックを多用してるので、決して相手意図理解していないわけではなく、詭弁否認するためのテクニックとも思える

まあそれを社会生活で聞く場面を想像すると異様だけど

2020-09-09

転売野郎地獄に落ちない

リングフィットアドベンチャー買えない皆様どうも、私も一ヶ月くらい粘ってるのに未だに抽選当たらずで買えてない人間です。

さて、この転売ですが大半の人間批判的だと思いますツイッターのTLにもそのような言説がまぁまぁの頻度で流れて来ます

で、そこであったのが「転売ヤーは如飛虫堕処という地獄に落ちる」という内容です。如飛虫堕処というのは安く買い高く売り、儲けを得ても儲からなかったというような言動をする人間が落ちる地獄らしい。

しかしこれ資本主義生前に書かれた言説であるし、仏教プロテスタントに無理やり解釈するってどうなの?しか転売ヤーは儲けていることを隠していないので本来の内容を誤読しているはずです。

そもそも仏教を持ち出すなら資本主義欲望で動くのだからそういうのから抜け出すためのものであって寧ろ買いたくなって躍起になってる欲まみれの人間輪廻の中に落ちると思うのですが。

で、結局こういう言論というのは社会主義レトリックにして共感を求めるというしょーもない手法なのですが、この手法はもはやどの分野のツイッターでもマストアイテムになっております

共感まりで実際に路上転売反対デモなんかしたりしてないのにギャーギャー言ってるのは、もはや実際に転売してる方が論理通ってるなぁと思ってしまます

ネタから現実政治的発言を語らねばならない時、真面目にやってるのは明らかに転売ヤー側であってそりゃ転売ヤーなくならないよなぁ、と。

2020-09-02

anond:20200902124251

当然ながら「何が起きているかを正確に理解しているほうが辛い」「自我確立したあとにそれを踏みにじられるほうがより辛い」とも言えるんだよな。所詮レトリックだよ。

2020-08-29

anond:20200829113200

もう少しレトリックというものを知ったほうがいいね

みんな本気で論理的批判人格否定は別物、と考えてるわけないじゃん、と

2020-08-25

anond:20200825175710

ananセックス特集を指して

「あれはどうなんだ」と言ってる人たちは全員擁護派だよ。

Whataboutismは単なるレトリックであって

「こっちもダメならあっちもダメだろ」ではなく

「あっちがいいならこっちもいいだろ」が真意

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