はてなキーワード: レッテル張りとは
http://anond.hatelabo.jp/20170606174324
『原発は安全』な神話も御用学者によって"作られ"てきた。そして事実は暴かれた。メルトダウンによって。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%A8%E5%AD%A6%E8%80%85
現代における用法を定義することは難しいが、学術的な調査を改竄ないしは恣意的に解釈し、権力者や統治者、ないしは依頼者に都合の良い結果を導き出す者がこう呼ばれる。一方で、権力者などへの批判側が恣意的な解釈に基づき自らに都合の良い結果を導き出していることを指摘・批判する学者に対して、反権力側がレッテル張りとして用いる場合もある。
現代日本においては水俣病の例が嚆矢である。1956年(昭和31年)、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視されたのだが、同年11月12日には厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、厚生省は翌13日に同部会を突如解散。1960年(昭和35年)4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表し、彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた[1]。
詳細はナイロンザイル事件を参照のこと。1955年(昭和30年)、日本の登山者がナイロン製のクライミングロープ(以降ロープと記述する)を原因として死亡した。ナイロンは引張りについては従来の麻のロープよりも遥かに丈夫だが、鋭利な岩角などに擦れた場合には容易に切断される。これはすぐに明らかになったが、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治は、事前の実験でザイルが容易に切れることを確認した上で、公開実験ではあらかじめザイルが接触するコンクリート製のかどにヤスリがけをして十分な丸みをつけた状態で、作為的な実験を新聞記者等の前でデモンストレーションしてみせ、ロープメーカーの東京製綱および日本山岳会と共謀して、犠牲者に対する誹謗中傷運動を山岳雑誌・化学学会誌などで長期にわたって続けた。法改正で安全規格が定められ交付されたのは1975年(昭和50年)、最初の事故以降に確認されているロープの欠陥による死者(通産省の調査した範囲内での数字)は、20人を越えるとされる。なお、偽装実験をマスコミの前で実行した篠田軍治は、日本山岳会の名誉会員推薦により、1989年(平成元年)に評議委員会の全会一致で同会の名誉会員になっている。
哲学者の山脇直司東京大学教授は、安保理決議のないままブッシュ政権主導で2003年3月イラク戦争が始められたことへの日本政府の対応について、「アカデミシャンとしての私が今一番一番懸念していることは、アメリカを無邪気に支持し、フランスなどを非協力と言って批判する小泉首相や川口外相のお粗末きわまりない答弁の背後にいる『外務省お抱えの御用学者』の存在です。」「外務省お抱えの『御用学者の知的退廃』を暴く必要を今痛感しています。」[2]と書いている。また、2003年12月からの自衛隊イラク派遣を決定する過程について、政治学者でイスラーム教シーア派に詳しい松永泰行日本大学助教授は「私の知る限り、政府は研究者の実力よりも、政治家や官僚の都合で彼らが望むことを言ってくれる御用学者を起用している」と述べた[3]。
日本たばこ産業に研究費を支援してもらうかわりに、タバコを擁護する発言を行うなど、消費者の健康よりも特定企業の利益を優先するような行為をしている学者を指して使われた事例がある。[4] また、メーカーから多額の研究費を受け取っていたために、タバコと乳幼児突然死症候群との関係があるという論文が、根拠が乏しいというように書き換えられてしまったとの指摘が存在する[5]。 タバコ産業等からの研究助成については学界において問題視されており[6][7]、2003年10月22日に日本公衆衛生学会は学会員に対し「たばこ産業及びその関連機関との共同研究、及び同産業等から研究費等の助成を受けた研究を行わない。」との行動宣言を発している[8]。また、国際的にもたばこ産業による研究助成等について全面規制を求めるたばこ規制枠組条約のガイドラインが追加採択されている[9]。
今日の現実の社会の中では、例えば有力な学者が政府の公共事業などの施策に対して、自己の信念に基づく意見、思想を審議会などの場で反映させる為に、そうした機関に呼ばれる立場を確保するべく、ある種の手練手管として、権力へのおもねりと自己の真の主張を両天秤にかけながら駆け引きをする場合がある[10]。そのため御用学者か否かの線引きは困難な側面を有する。駆け引きに失敗して結果として権力へのおもねりの手練手管を権力に利用されるだけの結果となったときには、結果として御用学者呼ばわりされてやむを得ない側面がある一方、駆け引きに成功して自己の信念を政策に反映させることに成功した場合には、反骨の策士と評価される場合もありうる。また原子力発電の分野では、研究に多額の費用がかかることから権力におもねり、「安全神話」のお墨付きを与えることで電力会社等の支援[11]を受ける例があり、このもたれあいの関係を「原子力村」[12]と評される。
こういうレッテル張りは相手がすごいマイノリティの場合にのみ有効だけど、ミソジニーはもうそんな段階じゃないんだよな
もう「ミソジニーはモテない童貞」とかいうと、「そうやってレッテル張りして自分を過大評価してる女プギャー!本当に嫌われてるのに自分を省みない女プギャー!これだから女は!」と返される時代。
今のミソジニーはモテようがモテまいが関係ない。なぜなら嫌韓と同じ「ネットで真実」だから
そもそもフェミニストに限らずミソジニーに対して「モテない童貞」と片付けてまともに反論してこなかったことが敗因。どれだけ馬鹿馬鹿しい意見だろうと、黙って去りたいほど毒々しい奴らばかりだろうと、地道に反論するのが必要だったんだよ
その理由としては、ノリが嫌い、暑苦しい、声がでかい、等色々見かけます
自分自身体育会系ですが、文科系の友達もいますし、体育会系の友達もいます
体育会系と文科系混ざって遊ぶこともあります、文科系の友達に第一印象を言われたのが、「体がでかくて声も大きかったから少し怖かった、でも話してみたら良いやつでガラッと変わった」
と言われました、自分としては部活で声を出したりしてたので、自然と地声も大きくなっていてこれが普通だと思ってたんですけど、文科系の人からしたら普通じゃなかったみたいです。
文科系の友達もいると言っても、自分でも嫌いな文科系というのはいます、文科系にかぎらず体育会系にもいますが、
達観ぶるんです、相手の事を下に見ているというか、、先生にも敬語をしっかり使わなかったり、相手を見下すような目線をしてるんです、とにかくレッテル張りが好きで体育会系の人にたいしては体育会系=バカみたいな態度をとったり
そういう人は苦手ですね、
ネットで体育会系を嫌ってる人はさっき言ったような人が多いと思うんですよね、体育会系的考えにも良いところとわるい所があります、もちろん文科系にも良い所と悪い所もあります、自分は体育会系だから文科系だからと言ったレッテル張りをせずに両方歩みよっていった、方が相手の成長にも、自分の成長にも繋がると思います
■それは何?
何か批判したい対象を他の人が嫌いだからという理由で全体として良くないという論法
■問題点
全く一般的ではないので、言われても良くわからない。一部はてなユーザーのローカルルール的なもの。検索してもそれっぽいのはほとんどでてこない。
故に、言われても議論に発展しないし、相手が認識しないので改善もされない。それを利用してただレッテルを張りたいだけの増田がよく使う。不愉快。
レッテルを張りたいだけの場合、むしろそれがゴミクズ論法になり、ゴミクズがゴミクズをゴミクズ呼ばわりするという見た目にも美しくない泥沼になる。
ゴミクズ論法呼ばわりするときは、まわりくどいこと言わずにおまえが嫌いだから嫌いだと言え、となぜそれがよくないかを指摘する。
例えばそれが指摘者の勘違いだったとき、ゴミクズ論法とレッテル張りたいだけの人間も振る舞いを改めてもらえれば幸いである。
願わくばこの論法が流行らないことを祈る。これをレッテルはりたいだけのためにこれを言ってる増田は、胸倉掴んで全力でぶん殴りに行く所存である。
いや、金がないとか暇がないとかモテないとか、そういうことじゃなくて。
女子高生痴漢絵師とか、女子中学生監禁学生とか、ああいうイカれた犯罪者がたまに出現しちゃうのは防ぎようがないことだとは思うんだけど、連中を持て囃したりネタとして消費したり犯罪者を擁護したりするオタクがかなりの数出現してきていてつらい。もちろん一般人男性にもかなりそういう連中はいるだろうから、オタクだけ取り出してそう言われるのは心外だと言えるかもしれない。でもネット上で目立ってるのは、明らかにオタクの二次加害者だよね。二次元と三次元は関係ないとか、架空の児童より実在児童の人権をとか、そういう旗印がどんどん汚れていくのが見えるのがそれらを未だに掲げ続けようと思っている人間にとってはつらすぎる。
昔は楽しく観れていた小説やアニメや漫画を見直すとたまに地雷にぶち当たってつらい。『涼宮ハルヒの憂鬱』のどぎついセクハラは流石に読んでた当時でもドン引きできたけど、『A君(17)の戦争』や『桐原家の人々』といったコミカルな作品に充満するホモフォビア、女に家事労働を押し付け男が世界の危機と戦う『サマーウォーズ』、同性愛者の尊厳を高らかに謳いあげるその手で異性装者をオモチャにする『ささめきこと』、『銀河英雄伝説』のひどさはもはや説明するまでもないし(あれだけの未来で理念的には民主制のはずで女性も大勢従軍している設定の同盟で内閣にひとりかふたりしかいない女性政治家に男ばかりの軍首脳部に妻に家事をさせてのうのうとしている退役元帥サマ)、それになんといっても『おおきく振りかぶって』の女子マネと女性蔑視(特に花井梓くん! かなりひどいよ君!)と「部活動」という枠組みでの児童虐待と保護者の動員というロイヤルストレートフラッシュ感あふれる組み合わせ、これらが全部スルーされるか美談として話を盛り上げるネタになってるのがつらいし何よりめちゃくちゃおもしろくて今でも好きな作品なのがつらい。桐青戦とか何度見ても胸が熱くなる。つらい。
オタク社会に蔓延る差別の存在がつらい。「腐女子」にばかり「自重」が求められ男性向けはそんなルールを気にせずのびのびと楽しめているという非対称がつらい。同じオタク仲間のはずなのに腐女子を叩く男オタクの存在がつらい。男ばかりがメインキャラで出てきて色々絡む作品に向けられる同性愛者差別発言の数々と、何よりそういう作品をこれまでなんとなく避けてきて嫌悪感を持ってきた自分の中のホモフォビアに気づいてしまうのがつらい。女性蔑視発言を垂れ流すオタクが一定数いるのがつらい。オタクの中に根付いてしまった外国へのステレオタイプや差別感情がつらい。フルメタアナザーで「うるせえ便衣兵!」ってセリフが出てきたときは本当に残念だった。好きな作家さんのtwitterなんて知りたくなかったと思ったことは一度や二度ではない。男性同性愛者向けAVを「ネタ」として使って出演者の名前を出して遊びまくる文化がつらい。
差別ではないけど残念な言動をするオタクが多いのもつらい。政治傾向は人それぞれで、別に自民党支持者だろうが共産党支持者だろうが公明党支持者だろうがそこに文句を言う気はないけれど、敵対する陣営にレッテル張りをして大きな主語で批判して炎上芸してる人がオタクの代表面してることがあって見ていて残念すぎるし同じ口で“オタク差別”を糾弾してたりするのほんと勘弁してほしい。アニメの聖地巡礼が流行る以前からその周辺ではトップクラスの観光地だった場所をつかまえて俺らのおかげで繁栄してるんだぜ的なドヤ顔する連中がいるのがつらい。自分の好きな作品やジャンルを絶対視して他の作品やジャンルを無根拠に蔑視する人、自分のかつての姿と重なって色々な意味でつらい(筋道立てて作品どうしを比較することが悪いと言っているのではない、念のため)。やめろ。やめてくれ。「最近のファンタジー」を殴るために『十二国記』を持ち出すな。
でまあこれらを「最近つらい」とか言っちゃえるのも俺が「普通のヘテロ男性オタク」だからで、女性オタクとか男性でも性的あるいは民族的マイノリティに属するオタクとかはこういう理不尽にずっとずっと僕らが呑気にしてるあいだにも耐えていたんだろうなって思うとほんと自分の鈍感さがつらい。本気で怒っている人を見るまで「ラノベ」を小馬鹿にした感じで語ってもいいものだと思っていた自分の醜さがつらい。そしてなによりも、油断しているとここまで批判してきたような認識がぽろっと口をついて出そうになるし咄嗟に「どこが悪いの?」とか思っちゃいそうだし実際ちょっと思ったりしてる自分の感覚の麻痺っぷりが、一番つらい。
オタクであることは恥じるべきことじゃないし、オタクコンテンツは素晴らしい。でもオタクの一部は、オタクコンテンツの一部は明らかにクソだし、そのクソさは切り離してはいさようならできるものじゃなくてグラデーションになって存在していて、多くのオタクは多かれ少なかれそのクソさに染まってる。全身か指先だけかの違いはあれど。もちろんそれはオタクだけの責任じゃない。オタクは同時に社会に生きる人間でもあって、このクソな社会には既に性差別がインプットされている。けれど少なくとも、そのインプットされた性差別を増幅してきたのは、オタク自身の責任だよね。
自浄作用? オタクのあいだに序列なんてない。ネットでクソなオタクをブッ叩くことはできるけどそこに強制力はないし自浄作用は期待できない。そして、自浄作用がないなら、論理的な帰結として何らかの公的な強制力でもって規制されるほかなくなってしまう。ああそうか、やっと気づいた、腐女子のやってた意味不明で抑圧的な自主規制ルールってコミュニティ防衛のためだったんだな。アンチスパイラルから螺旋族を守ってた螺旋王だったんだな。それにやっと気づいたときにはもう遅くて、10万人の宮崎勤が地上に満ちてアンチスパイラルに色々蹂躙されることになるんだな。俺は嫌だ。犯罪者扱いされずにコミックLOを読みたい。別に俺は『ろりともだち』の内容を実現しようとも羨ましいことだとも思ってない。俺たちの欲望を放っておいてくれればそれでいいんだ。ああでもなんで、お前らはそんな規制を呼びこむようなことを言うんだい。
ネットなんて見ないで作品だけ見ていれば、このつらさも少しは減るかもしれない。でもネットで得られるものは大きい。新しいカップリングの可能性。作品を愛好しながらそれを冷徹な眼差しで批評する視座。楽しい同好の士との会話。まだ知らなかった作品情報。そしてなによりも、素晴らしい二次創作。どれもネットから得られる果実だ。それがないとオタクはやっていられない。けれど果実の横には常に、横たわるクソの山がある。
そういうものばっかり見てるからそういうものばっかり見えるんじゃないかって? 確かにその通りだ。見ないようにすれば見ないでいることもできただろうし、実際そうやって過ごしてる人もいる。でもここは地獄インターネット。見えてしまう。目に、入ってきてしまう。みんなどうやってやり過ごしてるんだ。教えてくれ。多分今一番求められているのはそのライフハックだ。俺がいくらつらくなったって世の中のクソさは変わらない。それともみんなこんなつらさを押し殺して日常ツイートしてるのか。ブコメ大喜利してるのか。にゃーんとか言ってるのか。
オタクじゃなければ、別にそれでもよかった。うわーオタクキモいなー、で済ませられるから。あいつらには関わらんどこ、ちゃんちゃん、でおしまい。何が悪いの? みんな「マスゴミ」や「ヤンキー」に対してはそうしてるじゃん! でも残念ながら、俺はオタクだ。オタクの不始末も、それによって落ちるオタクの評判も、他人事じゃない。それが根拠のない迫害ならまだよかった。俺たちは被害者だと、迫害してくる奴らは敵だ、いずれ革命を起こしてひっくり返してやると、そう思えたから。でも、性犯罪の擁護、差別、他者への攻撃、これって全部身から出た錆じゃないか。こんな状況で一方的な被害者面なんてできるわけない。俺はそんなことやってないのに。そう思う。でも一方で、自分のアイデンティティはそっち側に置かれてしまっていて、叩かれるのがたとえ自分の所為じゃなくても自分がやらかしたことのように思えてこたえるんだ。
http://www.nippon.com/ja/currents/d00208/
id:nonameblog いちいち分析するようなことなのかなこれ?簡単に言うと「自らの思想信条に反する言論を封じたいが為の左派によるレッテル貼り=ネトウヨ」なんじゃねーの? 5 clicks
リンク2015/12/11 Add Starid:ichinotani
ちょwwwwwwwwww古谷が左派だっていう前提どっから湧いて出たんですかwwwwwwwww
しかし酷いブーメランだ。この時点でid:nonameblogのやってる事も、自分の気に入らない言説は全てサヨクによるものだっていうレッテル張りをナチュラルに行ってんじゃねーか。
id:hagakuress 最大のサポーターは『知性理性良識!』を標榜する側。現実における病理の解消よりも、蔑み、罵倒、糾弾を好む攻撃性を隠さず、レッテル貼り、言行録作成、粛清リスト好きな偏りと歪みを自覚できない似非左派が問題。
id:FrenetSerret この程度の願望を綴った記事を”真実”と名づけて公に出すのは、週刊誌とサヨ君くらいなもんかもね。反安保もそうだけど、ネトウヨを仮想的にして願望垂れ流してる間は理性的な中道右派左派に声は届かんよ。
リンク2015/12/11 Add Starid:the_sun_also_rises
id:hagakuress 最大のサポーターは『知性理性良識!』を標榜する側。現実における病理の解消よりも、蔑み、罵倒、糾弾を好む攻撃性を隠さず、レッテル貼り、言行録作成、粛清リスト好きな偏りと歪みを自覚できない似非左派が問題。
リンク2015/12/11 Add Starid:shibacow id:moegi_yg id:oktnzm id:Hige2323
本当に「俺の気に入らない事やってる奴はみんな◯翼」みたいな思考で生きてるんだなあこういう奴等って
書いてる奴の属性もわからんと、脊髄反射だけで何もかもを決めつけてるみたい
なんつーか、人間的な欠陥を感じる
どうやって世の中生きてくんだろ、この人ら