はてなキーワード: レイアウトとは
君が求める「プログラマの面接」を完璧に行うなら、少なくとも面接官にプログラミングのスキルが必要だからな。
デザイナー(絵)の場合、見たらわかるだろ。レイアウトや配色の問題はあるにしても。
でも、プログラムの場合はそうじゃない。「言語」と言うだけに、その言語を知らないとわからない。
例えそのプログラムを熟知していた面接官だとしても、プログラマでコミュ力ある奴はどのくらいいるだろ?
パソコンと対話するのは得意でも、人の腹の内まで探れる面接官なんてごく少数だろ。
だから見た目で判断するしかないし、「○○出来ますか?作れますか?」という質問にならざる終えない。
MacBookProを購入しました。そして、まさか、こんなにハマるとは自分でも思っても見ませんでした。
私も元々はこれを読んでいる大多数の方と同じくWindowsを使っていて、
「Mac? 2番手なのにシェア1割じゃ余計に誰も買わないだろ」なんて思っていました。
しかし、今となってはそんな事(シェア)なんてどうでもいいのです。Macは最高なのです。
この、全てが美しい愛機にゾッコンなのです。もう手放せそうにないのです。
なのですが、「Macのどこがそんなにいいの?」と聞かれると上手く説明できません。これは、難しい。
Macユーザーならこの気持ち分かると思うのですが、Macの良さって言葉にすると伝えきれないもどかしさを感じます。
言葉にした途端に輝きが失われるというか。例えば、
J「トラックパッドが凄いんだよ。超直感的」
G「へー、そうなんだ。直感的に操作できるんだ」
J「そうなんだよ! 分かるかな、こう、スクロールとか、全然違うわけ。
スーって動くし。あと、3本指でシャッてやるだけで進んだり戻ったりできるし!」
G「そうなんだ」
J「しかも、その手の動きが画面と一体化してて、もうヤバいよ、アレは!」
G「そんなに凄いの?」
J「あー、もう、見せたい! というか、使って欲しい! 見るだけじゃ伝わらないわ。よし、買え!」
G「えー、操作感のためだけに買い替はしないだろ。つか、皆WindowsなんだからWindowsで十分なはずじゃね?」
切ないです。という訳で、改めて何故Macがこうも使いやすいのか言葉にしてみると同時に、
買おうか迷ってる方の背中を押す文章を捧げたいと思います。
最初に紹介するMacの良さは、地味なところで「画面が目に優しい」という事についてです。
もちろん、パソコンで作業すること自体は目が疲れるという意味では少なからず目に悪いのでしょうが、
ここで言いたいのは視力云々の話ではありません。Macの画面は精緻な芸術作品である、という話です。
WindowsでWordを使っていると、フォントをゴシック体から明朝体に変更すると文字が急に読みにくくなりますよね。
文字が大きい場合は特に問題ないのですが、10pt前後の大きさの文字はギザギザして読みにくくなると思います。
明朝体に限らず、メイリオや丸ゴシックに変更すると文字化崩れて読みにくい。
そして、文字の大きさを少しづつ大きくしていくとある大きさから急に薄めの字でまともに読めるようになり、
プリントアウトすると実はどちらでもきちんと印刷できたりしますよね。それ、見にくいと思います。
それが、Macには無いんです。明朝体なら明朝体が表示されるだけ、です。しかも、普通に読みやすい。
これはウェブ閲覧時にもありますね。突然明朝体のサイトに出くわすとものすごく読みにくかった記憶がありますが、
Macにしてから何も気にせず読めてます。
というか、明朝体の持つ「お硬い文章ですよ」という雰囲気がしっかり表現されていて制作者の意図通りに読めるが嬉しいですね。
フォントといえば、Macに標準装備されているフォントは美しい! iPhone持っている方なら実感あるかと思いますが、
文字って思った以上に小さくても読めるものなのだと思います。可視性の高いフォントであれば。
そして、Macに標準装備されているOsakaやヒラノギといった美しいフォントは、眺め心地が心地良く、
Macが電気的な機械ではなく、もっとアナログに近い何かかと錯覚してしまうほどです。
これには心底感心しました。Windowsを使っているときは、「Alt+Ctrl+Delete」に何度お世話になったことか分かりません。
それから、電源ボタン長押しも。Macを使い始めて驚いたのが、負荷が大きくなった時の
「時計マーク(ポインタが輪っかになりクリックできなくなる現象)」が、少しの間待っていればきちんと解消されることです。
Vista時代は、時計マーク、即、強制終了だったので非常に助かります。
特に、iTunesとEvernoteは顕著ですね。グラボのせいなのでしょうか?
iPhone持ちにとてiTunesはそれなりの頻度で使うソフトだと思うのですが、使えたものではないですよね。
楽曲の管理がかろうじて使えるくらいで、アプリの管理は諦めていました。Evernoteにしてもそうで、
一応は使えるながらも挙動がいちいち遅くて待ち時間が殆どでは?とイライラしていました。
それが、Macに変えて軽い事、軽い事。iTunesはAppleが作ったものなので仕方ないですが、
こんなにも差別されているとは知りませんでした。使えるソフトの数ではWindowsが勝つとはいえ、
常用するソフトが快適なMacの方が世間から優遇されているのでは?なんて感じたほどです。
これも、説明するのが難しいのですが、Macは「何がどこにあるのか、又何がどこにあるべきなのか、それが全て決まっている」印象があります。
パソコンを使う時間が長くなるに連れてファイルの整理が意味不明になりがちかと思いきや、全くそんな事は無く、
むしろいくらでも増えてくれとまで思います。これも地味な特徴ですが、実は効果絶大でとにかく「整理」にかかる時間は短く、
また欲しいファイルまで文字通り一瞬でたどり着けます。
余りある快適さを手に入れながら、現時点で私が唯一どうしようか迷っているのがOfficeソフトです。
Mac製OfficeであるiWorkは、個人で使ったり提出するために使うには快適そのものなのですが、
他人からdocxやらxlsxファイルを受け取ると少し困るので。単純なレイアウトならそのままiWorkで開くのですが、
スマートアート含め、どうしても形が崩れますね。。。もうすぐOffice:mac 2011が発売されるので待とうか、
現状のOpenOfficeで我慢しようかといったところです。Office:macは少しだけ高めの価格設定なので、そこさえ払えるのであればMac一択です。
というか、Macを使うためだったらそれくらいは気にせず買う事を強くおすすめします。Macを知らないで一生を過ごすのは勿体無いと思うので。
[C:Program][D:Data]という名前を付けており、OSはC側に、データはD側に入っており、データ領域のD:Dataを新HDDに移動させたい場合。
【α-HDD増設】
α-2/ HDDをデータケーブル・電源ケーブルでマザーボードと繋ぐ。
→ケーブルはマザーボード購入時に付いている。なければ購入。
α-3/ 起動中にBIOS画面を出し、HDDを認識しているかチェック。
α-4/ OSを起動し、[マイコンピュータ]を右クリック→[管理]
で、[コンピュータの管理]画面を出す。 ([スタート]ボタンからも可能)
α-7/ よくわからないが、種類は[プライマリ]でいいようだ。
ドライブレター(CとかDとか)は自動でつけられる。ここでは仮にH:とつけられたとする。
【β-パーティション移動】
β-1/ Partition Wizard Home Edition (freeware)
参考: http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090815_partitionwizard/
β-2/ Partition Wizard起動。
・今取り付けたHDDの領域を[Delete]し、Unallocatedの状態にする。
→α-8でせっかく初期化したのに、とも思うが、それとは別かもしれない。
論理フォーマット(ローレベルフォーマット)とディスクフォーマットは違う・・・筈。
でも、もしかしたら、α4~α8までの作業は必要ないのかもしれない。
・前のHDDのD:Data領域を[コピー]し、今取り付けたHDDにペーストする設定にする。
・左上の[Apply]ボタンで開始。その前に常駐ソフトは終了させたほうがいいらしいが、
消さなくても問題はなかった。
【γ-ドライブレター変更】
γ-1/ 念のため、現状できちんと起動するかチェック。この時点では単に新しいHDDに、旧HDD内のDパーティションを新HDDにコピーしたにすぎず、旧HDDのDパーティションは残っているので、
何の問題もなく起動する筈。 ついでに新HDDにきちんとコピーできたかチェック。
γ-2/ [コンピュータの管理]画面を出し、[ディスクの管理]で、現在旧HDDにある、D:DataのドライブレターをD以外(Iなど)に変更する。
→この時、同時に新HDDのパーティションをDにしたいところだが、残念ながら一度に1つのドライブレターしか変更できない。
γ-3/ 再起動する。この時、旧HDDにexeファイルのあるアプリケーションプログラムは起動しない。
よって、この方法はOSの入っているCドライブには使えないことになる。
→しかし、CD起動などの方法があるのかもしれない。
γ-4/ [コンピュータの管理]画面を出し、[ディスクの管理]で、新HDDにある、H:DataのドライブレターをDに変更する。
γ-5/ 再起動する。D:Data内のexeファイルがきちんと実行されたか、Dドライブにデータを置いていた場合、Cドライブのアプリからきちんと読めたかどうかチェックする。
σ-1/ Partition Wizard起動。旧HDDのかつてDパーティションだった領域は、現在I:Dataとなっている。
σ-2/ Deleteした領域がUnallocatedになっているので、Cパーティションの領域の端を引っ張り拡張、旧HDDいっぱいに拡張する。
σ-3/ Applyを押してパーティション変更を確定。
料理本の近くに代替療法やスピリチュアル、自己啓発の本がある。
いやいやいや、違うんですよ。「幸せになる○○の法則」とかが欲しいんじゃないんですよ。
この年でできちゃったから慌てて出産準備雑誌を探しているんじゃないんですよ。
エロ本が見たいけど周りの目が気になるからって日本美術史を抱えているわけじゃないんですよ。
や、確かに購買層とかレイアウト考えるとそーなるのも分かるんですけれど。
誰が何を買ってるなんて誰も気にしてないのも分かってますけど。
きっと他の趣味を持つ人も、同じもやもやを味わっているのだろう。
外から見たら一緒くただろうし。
どうしようもないんだよな、と諦めつつ本屋をさまよう夏の夕。
2010年5月18日 読売新聞朝刊 P20 「就活ON!」コーナーにて、11年度卒新卒採用内々定者のインタビューが掲載されている。
以下、内々定者の学歴、リクナビでのエントリー社数の合計、内々定先企業業界、心がけたことなど抜粋
リクナビエントリー社数169社、商社ばかりになってしまったので、本に書いてある企業に手当たり次第エントリー
最初は就活本を利用したが、社会人から読みにくいと指摘され、修正。
いかに面接官の立場に立つかを考えた。笑顔でハキハキ喋るようにし、面接前はひたすら顎のマッサージをしていた
- 瀬尾 充也(せお しゅうや)
一文字もムダにしないようにし、結論→エピソード→結論を徹底した。
話すということより、伝えることを意識した。
- 青木 孝輔(あおき こうすけ)
リクナビエントリー社数30社、OB訪問中心で、リクナビはおまけ
就活本は一切見ていない。個性が出ずに埋もれると判断し、社会人に見せるのを大切にした
他社の選考状況を聞かれたときは試されていると思った
- 中山 真彩子(なかやま まさこ)
リクナビエントリー社数63社、企業HPに直接アクセスしていることも多かった
自由記入の場合、レイアウトを意識した。真ん中に「現状に満足しないチャレンジャー」というキャッチコピーを据えた
社会人とメールして「ESは自分を売る場だ」と助言してもらった
会話のキャッチボールをすることを心がけた
10卒の無い内定さんはこれからもいないものとして扱われそうですね^^
「そういうサイトはIEで見ればいいや」って気軽に移ったけどなぁ、俺は。
ちなみにたまにレイアウトが崩れてちょっと読みにくくなったりする時はたまにあるけど、
致命的に見られないというページはそれほどないよ。
かなり昔の youtube のコメント欄のスタイルはそう悪くはなかった。過去のコメントの正確な投稿日が記録されないのはストレスだけども。動画を再生しながら、ページ切り替えができてたんだ。コメントが1000ほど付けられていても、比較的楽に、最古のコメントから参照する事ができていた。
いつからだったかな、プレイヤーのあるページでは、現在のように show more comments なんて形になって、最新から20コメントずつ辿るしかできなくなった。てっとり早く最古のコメントから参照するには、View All xxx comments で別のページに遷移しなければならなくなった。
そして、昨日から? おとといから? View All xxx comments のページすらファックされてしまった。
これはどう理解すべきなんだろう? コメントなんかあてにしないでくれ、と? 「コメントも愉しみの一つ」とするニコニコの対極を往きたがっている?
(3/26追記) thumbs up の点数は表示されるようになった(downの方は表示されない)。「スパムではない」の報告ができるようになった。しっかしやっぱあのレイアウトは見辛いわあん・・・
(4/1追記) 一気にリニューアルされた。動画に対する5段階評価が無くなってしまった。もう「500点入れたいのに5点しか入れられない。これは youtube のバグだ」という賛辞は使えない。コメントのページ切り替えが復活したのは評価できる。でもどうせならもっと贅沢に Ajax 使って、ページ切り替えとかセコい事いわずに、スクロールで読めるっぽくしてもよかった。コメント欄の右側のスペース余ってるしね。とはいえ実際のデータが存在しない事にはスクロールバーのノブの長さを決定できないから、スクロールバーという概念を使うんじゃなくて、iPhone だっけ?にある画像整理ソフトみたいに▲▼でスクロールするとか。・・というか自分で掲示板作って、それを実装してみようっと。・・その前に自分の仕事を終わらせろってなw
動画内のコンテキストメニューに機能が増えている。stop download はおれのようなネット中毒者には地味にナイスだ。裏でデカいファイルを落としているのを忘れて youtube 開いた時には、とりあえず youtube の方をストップしていられるから。ただし動画を再開した時は、stop するまでのデータは破棄されているらしい。
(5/13追記) またコメント欄が少し改善された。名前とコメントが分離され、名前の下には * days ago が常時表示されるようになった。これだけでも勝手が良くなる。
渡米して数年のポスドク。最近やや行き詰まり気味なので、現実逃避しつつ現状把握および打開策を見つけるためにパソコン内を再構築中。時期的に興味を持たれる人もあろうかと思ったので、恐る恐る一応公開してみることに。
([]はフォルダ)
ttp://brevis.exblog.jp/12270332/
ちなみに、工場見学をしていると、人によって見るところが違うことに気づく。たとえば、工場見学の初心者は、たとえば自動溶接ロボットの動く工程だとか、整然と美しく広々した構内、あるいはコンベヤが連続して運び出す製品などに感心する。いわば、工場の目をひく付属品や印象を見ているのである。
ところが、工場見学の中級者は、別のところを見る。たとえば、NCマシンのラインと汎用機のブロックを分けてレイアウトしているな、とか、なぜ大型の自動切削機を2階においているのだろうか、といった点に注目する。建物の床には耐荷重(m2あたり500Kgとか1 ton等)という設計指標があり、これを大きくするには柱・梁を太くしたり補強を入れる必要があって、建築費が高くなる。だから重量のある機械装置はふつう1階におくのが工場計画論の定石なのだ。つまり、中級者は工場の構造に注目するのである。
そして、諸先輩の中でも上級者クラスの人を見ると、この工場は製造ロットサイズが大きすぎるんじゃないか、とか、構内は整然として見えるが通路脇に置いてある部品カゴに現品表がついていないな、といったことを指摘する。つまり、工場というシステムの動きと機能を見ているのである。だから、いろいろな人と一緒に見学に行くと勉強になる。
根本的な部分で
キレイ だけど 読みにくい 利便性に欠ける(大きめで緩やかな間隔で並んだ文字が読みたい派と、細かく詰まった文字が読みたい派)
ものは本末転倒だと反射的に思ったけど、
デザインに関してのみの「日本語サイトだせぇ」って議論だからまあいいのか。
そもそも漢字(ひらがなカタカナはギリギリ)がウェブ上ではちょっと浮いている気がするの。
文章の内容によってはゴチャゴチャした見かけの漢字が続いたりするじゃない。だからってバランスを考えてひらがなにすると文章自体の雰囲気が変わっちゃうし。中国や韓国はそれなりに似たような濃度で詰まってるから良いけど、日本語って漢字とひらがなカタカナ混ざるしね。
デザイン的には、例えばバラードの残虐行為展覧会とか、足穂の一千一秒物語とか、クラフトエヴィング商会みたいなのが、
あ、コレはレイアウトの話だな。
お返事ありがと。
かつて電子メールは80x25文字の文字端末で読み書きするところから始まったので、いまでもその環境で最適になることを標準としてる。というのは余談なので脇においといて。
なるほど、これは勉強になった。80というのは半角ということでいいかな?半角80字であれば、
全角40字で改行するように言われることの説明がスッキリつく。
増田みたいに行間隔が広めに空くレイアウトが設定されていて右端で折り返す仕様になってるなら、技術的な理由による改行は挿入しなくてもいい。むしろ入れるとかえって読みづらい。wordなどを使って紙に印刷するつもりで書いてると丁度いいくらいだ。
増田で書く場合は句点があっても話が連続しているようなら極力改行しないようにしてる。2chと同じくらい改行したら、まばら過ぎて逆に読みづらいし。
ええ、2chでは少ない文字数で改行するのが一般的だけど、おっしゃる通り、これを増田でやると読みにくいと思う。
それとは別に、面積あたり文字密度の問題もある。
増田では快適に読める文章でも、2chなどにペーストして書き込んでみると米粒に書いた般若心経を読んでるような気分になる。2chの場合は増田みたいにちゃんとレイアウトしてくれるでもなく、基本的に生テキスト投げっぱなし。だからテキストを右端で折り返すか画面外に飛び出すか不定だし、行間隔がほとんどなく表示されることが多い。
だから画面外へはみ出さないようにすることと、適当に白い部分を増やしてやることを意識しないと読むのが苦痛なんだ。元増田は密度の濃い文章を書く人っぽいからなおさらだろう。
だからそういうところでは適当に改行や改段を入れると、ちょっと見やすい。
そう言われれば、2chでは行間が殆どなく表示されるし、右端で折り返すか不定だと気付いた。
ちなみに、僕は2chにあまり書かないけど、もし書くときは、一行50字で5行前後ごとに空白行を入れている。
これは、読む人への配慮というよりも、自然とそうなっている。ところが、これでも苦痛に思う人がいるんだろうか。
僕は苦痛ではないけど、中には文字密度の濃い文章を苦痛に感じる人もいるのかもしれない。
あと、書き込みというのは内容が正しければそれだけで正義なわけじゃない。良薬口に苦しなんていってないで、相手に服んでもらえるよう剤形を工夫する発想も必要だと思うねぇ。
書き込む場所にもよるんだけど、最初から一気に書くんじゃなくて、疑問なり批判なりレスポンスが帰ってきてからちょっとずつお相手する方がお互いのためにいい場合もあるよ。
なるほど、相手の理解度や興味の度合いに合わせて、少しずつ噛んで含ませるようにコミュニケーションを取っていくほうが
長い目で見れば効率的だし相手に負担をかけないということか。確かに、同じ一行あたりの文字数や全体の文字密度でも、
相手に対して噛んで含めるような書き方でないと、反感を買いやすいかもしれない。
かつて電子メールは80x25文字の文字端末で読み書きするところから始まったので、いまでもその環境で最適になることを標準としてる。というのは余談なので脇においといて。
増田みたいに行間隔が広めに空くレイアウトが設定されていて右端で折り返す仕様になってるなら、技術的な理由による改行は挿入しなくてもいい。むしろ入れるとかえって読みづらい。wordなどを使って紙に印刷するつもりで書いてると丁度いいくらいだ。
増田で書く場合は句点があっても話が連続しているようなら極力改行しないようにしてる。2chと同じくらい改行したら、まばら過ぎて逆に読みづらいし。
それとは別に、面積あたり文字密度の問題もある。
増田では快適に読める文章でも、2chなどにペーストして書き込んでみると米粒に書いた般若心経を読んでるような気分になる。2chの場合は増田みたいにちゃんとレイアウトしてくれるでもなく、基本的に生テキスト投げっぱなし。だからテキストを右端で折り返すか画面外に飛び出すか不定だし、行間隔がほとんどなく表示されることが多い。
だから画面外へはみ出さないようにすることと、適当に白い部分を増やしてやることを意識しないと読むのが苦痛なんだ。元増田は密度の濃い文章を書く人っぽいからなおさらだろう。
だからそういうところでは適当に改行や改段を入れると、ちょっと見やすい。
あと、書き込みというのは内容が正しければそれだけで正義なわけじゃない。良薬口に苦しなんていってないで、相手に服んでもらえるよう剤形を工夫する発想も必要だと思うねぇ。
書き込む場所にもよるんだけど、最初から一気に書くんじゃなくて、疑問なり批判なりレスポンスが帰ってきてからちょっとずつお相手する方がお互いのためにいい場合もあるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
これの北大版。公立2次はまだだがそれを待つよりこの流れに載った方が吉と見た。
1.住居
一人暮らしの北大生は札幌駅北の北10条から北20条、西5丁目から東2丁目くらいが基本範囲
あとは学校反対側の桑園。若干家賃相場は下がるが大学に東側から入るのは至難なので通好みの選択。
電車、地下鉄をつかって離れたところに住んでもその定期代を超えるほどの家賃下落は基本ありません。
ちなみにたまり場化を避けようとするなら8畳以下の部屋にすることかな。
北大近辺は12畳オーバーの部屋がざらにあるんで8畳くらいにしとけばより広い部屋の人間のところへ行ってくれる
8畳以下でもサークル面子に自宅生しかいないとたまり場になるけどそんときゃ諦めろ。
あとオール電化はおすすめ。オール電化物件は総じて新しめの物件が多い上に冬場の暖房代は灯油やガスになると万単位に入るが蓄熱電気暖房だと流石にそこまで行かない。
あと電気クッキングヒーターはふきんのひとふきで簡単に汚れを落とせるのがいい。
ちなみに物件探しは生協が一番手っ取り早い。別に近場の不動産屋でもいいけど条件指定しないで上記範囲外のもの出されたらほぼ確実にハズレだと思っていい。
Vistaなのに1Gしかメモリ積ん出ないモデルを売ってたと言う時点で察してください。
札幌駅にビッグとヨドバシがあるんでそこで適当なものを見繕うか駅北のドスパラ、ツクモ辺りでBTOなり自作なりがおすすめかな。まあ、此処の住人なら生協からの広告でPCのスペック判断は出来るでしょ。
あ、ノートはあると便利だけど必須じゃないんで場合によってはデスクトップにチューナー載せてテレビ買わないのもありというか地デジ化でテレビの単価上がってるから結構ありな選択肢。
pptもあると便利と言うレベルなのでOOoで代替で大学の端末でレイアウトチェック、修正で乗り切ってもいい。
ちなみに北大は明治と違って(現状は)個人端末にインストール出来るライセンス契約じゃないので自前でオフィスの調達が必要です。まじであの包括ライセンス羨ましい。
3.単位
北大は学期当たりの授業コマ数に制限かけてる上にそれの7-8割が必須で食われるんで
学部に上がると文学、法学あたりはかなり自由度が高いけど理系学部はかなり低いです。
教養の授業とかは(本決めでなくても)見学に行ったサークルの人に聞けば色々と参考になる。
4.サークル
ぼっちで過ごしたいなら構わんが一人暮らししてると冬とかヒキコモリとか季節性のうつ病になったりするんで
人と関わりは残しておいた方がいい。
北大は公認サークルと非公認のサークルがあるが総じて非公認は施設の利用面で苦労したりするうえ
結構な確率でサークルの体をなさなくなったりするので公認サークルをおすすめする。
まあ、教養棟、教養近くの食堂(通称北食)の掲示板に山のようにポスターあるんでそこでも漁ってみるといい
あと北食の2階ソファー群は年度初めはサークル勧誘スペースになってます。
でもって期間終了後も居座ったりするのでそこにいつく場所を作れたら君は立派なサークル会員だ。
ただし居着きすぎると単位を落とすことになるのでマジ注意。
5.食生活
作るのが面倒ならミールカード入れ。
これは18万で1日1000円を日、祝除いて毎日使える一種のプリペイドカードだ。
朝を御飯と味噌汁、おかず一品、昼夜をこれですませばほとんど料理しなくていい。
真面目に作るなら12条、14条、16条、24条にスーパーがある。
あと大学近くに色々と定食屋があるがそれは自分で発掘するかサークルの先輩に聞け。
ただし定員20人未満の店はサークルじゃ食いに行かないから一人暮らしの先輩に聞かないと無理。
6.その他
必要な物が出てきたら適当なサークルに入って先輩に店を聞いておいおい揃えればいい
今朝、耳を食まれる夢をみた。
相手は、高校時代の部活の友人だった。同性の。
度重なる寒波からか体が重く、何度となく目が覚めては寝直して…を繰り返していた。
幸い休日であるし、この天候と道路状況では外出もままならないということで惰眠を享受していた時だ。
確か右耳だった。誠に残念ながら現実でそういった経験はない、が、
おそらく私は右耳よりも左耳のほうが敏感であるような気がするのだけど、夢にそういった不確定な情報は同期されないらしい。
それで、うん、「噛む」よりは「食む」といったほうが近い。甘噛みよりもやわらかく、もどかしくすらなりそうな感触だった。
最大の疑問。なぜ、彼女が、私の、耳を?
詳しい状況はこう。今の部屋とは違う見慣れないレイアウトの明るい部屋で私は目覚めた。
ベッドから半身を起こし寝ぼけまなこで部屋を見回すと、ベッドより一段ひくい場所にひかれた布団の上に、彼女はいた。
気づくと私は彼女の佇む布団のほうに移動しており、寝転んでいた。
まるで子猫がじゃれあうかのように私たちは手を足を絡め、クスクス笑い合いながら寄り添い寝転がった。
あったかい、きもちいい。しあわせだなあ。
そんな気持ちで目を細め、言葉も交わさずそのまま寝転んでいると、ふと顔の右脇であったかい空気を感じて、
次の瞬間食まれた。
その間は同性の、親友までは近くない友人に噛まれていることを忘れ、私はされるがままになっていた。
ああ、そういえばこの夢の中ではそういう現実にあまり立ち返っていなかったかも知れない。
だんだん右耳への刺激に慣れ、もっと強く「そう」してほしいなあ、なんて考えつつも主張はできないでいた時、
彼女の唇が右耳から離れ、かすかに冷たい空気の移動を感じた。形容しがたい喪失感。
これ以上の進展はなく、夢は途切れた。
彼女とは高校入学の時に初めて知り合った。
部の中でも「一番の仲良し」ではなかったし、競技のペアでもない、ただの部員同士だ。
だけど私は彼女のことを好いていた。
女子コミュニティにありがちな羨望や独占欲や承認欲求の入り混じった友情はあったが、恋愛感情ではない、はず。
彼女は頭の回転が速く聞き上手な性格から先輩後輩からの人望も厚く、年上の彼氏もいた。
一方私はといえば、地味で人見知りで部活でも落ちこぼれの隠れオタクであり、
微妙に上位の成績とこじらせた中二の延長で「私の言葉を理解し反応できる人間は少ない」などと思い込んでいた。
これわかる人なんてそういないよな、というくだらん自意識のなか日常的にネタの撒き餌だけは怠らずにいると、
彼女は打てば響くタイミングでリアクションをくれたり、歯を見せて笑ってくれた。
ときには思い悩んでいる私や他の子に辛口ながら的確なアドバイスをくれる頼もしさもあった。
人前では口に出せないが、友人として私は彼女が大好きで、常に反応を気にしていた。
とはいえなぜ、よりにもよって彼女でこんな性的な夢を見てしまったんだろう。
きっと誰かに話したら深層心理だ願望だなんて茶化されるのが関の山。
非モテこじらせ過ぎてついに同性に走る予告か、なんてこともないだろうに。大体同性にすらもてる気がしない。
ただ、もう一度同じ夢をみれるのなら、今度は左耳を、もっときつく食んでほしい。彼女に。
http://anond.hatelabo.jp/20100123005026
つづき
無謀な旅に出たのはそれを書きたかったからで、半月も日本中を車で旅して、それでもまだそうかと聞かれれば、僕はうんとうなずく。それでもうんはいまは少し控えめで、バックシートの同乗者との旅が楽しくなり始めている。後部座席の右側の窓は全開で、海風に髪をなびかせて真っ青な海に向けて、彼女は表情をあかるくしてシャッターを切る。バックミラー越しの横顔には昨夜の凍えきっていたおもかげはなく、蒸し暑いとさえ思う風にはしゃぎきっていた。
それだけで満足してしまう。
写真の評価をしっかり伝えたのが良かったのか、安心して撮って良いのだと思ってくれたのか。
雑誌の旅行記みたいなサイトを作りたい。そう旅の目的をはなすと彼女は僕の書いた文章を読みたいといった。彼女はしばらく読みすすめ、これは私には無理と情けない声でいった。僕は慌ててブレーキを踏み、路肩に車を止めた。振り返って言った。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕はもうあなたに写真を撮って貰うって決めているんです。あなたの写真がいいんです。すてきじゃないですか、なにが無理なんですか」
「でもこの旅行記、格調高いし、大人っぽいし、私こんなに知識ないし」
うつむく女の子をみて、僕はあっと思い当たる。
意気込んでひとり旅にでた僕は、だれからもそしられない旅行記にしようと、堅固な文体で書いてしまっているのだ。本人からすれば少し堅いかなぐらいであるのだが、慣れない人からみればそれはきっと要塞でも見上げているような心地になるのだ。
「あ、いえ。でもこの文章堅すぎて、こんなの読んだら息詰まってしまいます。そんなところにぱっと明るい写真がほしいんです。あなたの写真は色彩豊かで、大胆な構図で、ダイナミックで、この動きのない旅行記をきっと生き生きとさせてくれる」
僕は、思いつく限りの美点を話す。これでもプロの撮った写真を見続け、それを文章の隣にレイアウトし続けていたのだ。もしそんなプロ達に混じっていても僕はきっと彼女の写真を選ぶと思う。
「それにWebサイトなのです。雑誌ではないのですから解像度も必要ないですし、僕はフィルム・スキャンもやってましたから、若干色味が狂っても直せますし」
すこしだけ顎が上がり、僕は安堵して息をつく。
「ちょっと安心しました」
「撮れないって言われたらどうしようかと思いました」
彼女はふふと笑う。
「そんに気に入ってくれたんですね、私の写真」
それで僕は、旅行記に載せる写真を彼女に撮って貰う事に執着心が生まれ始めている事に気づく。なぜだろうと思い、色味だろか、構図だろうか、被写体の選択だろうかといろいろに理由探しをするが、きっとセンスみたいな所かもしれないと無難に着地する。美感の好きと思うところが似ているのだ。そこの波長が合うのだ、きっと。
バックミラーの中の、撮った写真をノートPCで確認する姿を見ながら思う。
(出来れば、ずっと一緒に撮ってくれないかな、三ヶ月に一回でもいいから)
まだまだ若いのだし、これから音をたててめきめきと上手い写真を撮るようになる。そうなればちょっとした写真家になるかもしれない、プロというまではいかなくても。そうなってしまってからではもう届かない。今のうちに出会えたのは幸運で、コンビを組んでいれば、有名になっても昔のよしみでほんの少しだけならつき合ってくれるかもしれない。
そんな打算さえ生まれてくる。
それぐらい僕は参っていた。
二つめのトンネルを抜けてちいさな港を右手に(カシャリ)、まばらな民家の間を抜けて海岸沿いの道を行くと、海一面に養殖場が広がる(カシャリ)。のんびりと車を走らせ地図を片手にちらちら見ると、牡蠣の養殖場との記載がある。
「すごーい」
「牡蠣だって。そういえば松島近いですし、松島といえば牡蠣ですし」
(カシャリ)
「こんなにたくさんあると迫力ありますね。あ、船が出てる」
(カシャリ、カシャリ)
はしゃいでシャッターを切る彼女の横顔はまだ無邪気で、疲弊する職場や修羅場の数々ですさんだ心にほっと暖かい場所が出来るのを感じ始める。夏の海風を全開に受けながら、真っ青なひかりを浴びているとなにかがほどけてくる。ああ、そうか僕はひとりじゃないのだ。そう思うとほっとし、なにかこれまでずっとひとりで戦ってきたような気がし、その戦いには様々な理由があったのではあるが、それさえもどうでもよいことのように、それよりもこの彼女との旅が楽しくなってきている事に気づく。
海風の中を、岬を目指して、おんぼろのスズキを走らせるのは楽しい。
バックミラーの中のちいさなカメラマンが嬉々としてシャッターを切るのを見ているのは楽しい。
こんなにも楽しいものかと、内心動揺している自分がいることに気づく。
「ふう、夢中になりすぎちゃう」
何度か息をし、そのきれいな眼がこちらを射貫く。
僕は、ええだか、ああだか、そんな曖昧なことをいい、その笑顔からあわてて視線をフロントガラスに向ける。胸がどぎまぎしていた。あまりのかわいらしさに動揺しているのに気づく。何重にも防壁を築いていたはずが、いつの間にか彼女はその内側に立っていた。
(この子、どうやって入ってきたんだろう)
いや違う、目下の問題はそこではない。彼女はちいさなカメラマンで旅行記に載せる写真を撮ってくれる。その写真はすてきで彼女との旅は楽しい。でも、そこで彼女が僕の気持ちに気づいたら? いま、落とされてしまった事に気づき、僕がくらくらになっている事を悟られたら。
彼女は車を降りるかもしれない。
極力、感づかれないようにしなければならないのか。
背筋を冷や汗が伝うのがわかる。
道は小さな港を駆け抜けてすぐに山間へそれを抜けるとまた小さな港、牡鹿半島のドライブはその繰り返しで、めまぐるしく景色が変わる。彼女はそんな移り変わりの速さに夢中で、シャッター音がいきいきと響く。手元の地図を見ると、目当ての岬である黒崎はもう目と鼻の先で、そこから大きな港を抜けてすぐだった。
「間に合いましたね。暗くなる前にたどり着けましたよ」
バックミラーを見ると夢中でシャッターを切る姿、鼻歌をうたい、表情を輝かせてカシャ、カシャと目の前の光景を切り取っていく。まるで声さえ聞こえていないようで、海風に溶け込むように髪をなびかせる、それを見るだけでも思わず頬が緩んでしまう。
軽自動車はささやかな港町を駆け抜け、半島の最南端へと向かう。
海は青く右手には、対岸に大きな島が見える。
牡鹿半島はその東西を大きな島に挟まれている。その緑が海の色に鮮やかに映える。周囲の樹々のにおいが風に混じる。八月を過ぎた平日の夕方近くの半島はひとけも車通りもなく、この光景をひとり、いやふたりじめしている心地になる。ぽんこつのエンジン音だけがこの景色の中に孤独で、秘境へいくでもなしに世界にたったふたりになった心地になる。
(しかし、いったいなんでこんなことになっているんだろう?)
わからない。
最善と思える選択肢を選んでいるうちになぜかこんなことになっている。
かわいい子が写真を撮ってくれて旅もしてくれるんだ、それでいいじゃないか。
そう、それでいいはずだった。
半島の南端で折り返して少し高いところにある駐車場のある展望台にスズキをとめる。
彼女には新しいメモリーカードとバッテリーを渡し、僕は早速彼女の写真をチェックし始める。鮮やかで躍動感のあるスナップに、僕は夢中になり、そして幸福感に包まれる。
「いいじゃん」
何枚か、おそらくサービス精神なのだろうが、旅行誌にありがちな紋切り型の構図を見つける。
(こんなことしなくていいのに)
僕はノートパソコンの電源を落とし、頭の中に渦巻くうれしさとそれをあらわした言葉が浮かび上がってくるのをあれこれと選び始める。エンジンを切り、車を降りると海の香りが風となって包み込む。ふっと息を吸い込んで、こんなにわくわくしたのは初めてじゃないかとふと思う。
(どこいっちゃったんだろう?)
僕は彼女を探した。
・女の子ひろった
http://anond.hatelabo.jp/20100116012129
・これこそ逃避
http://anond.hatelabo.jp/20100119221742
・すごい彼女
みんなから責められていて,むきになっている元増田です。
・マニュアルとは紙に書いてあるものである。発注とかも管理システムのマニュアルとか,業者への指示の仕方とか。
・チラシ作りのレイアウトやロゴとかについては,毎回,ほぼ同じ(使い回し)。
日付やタイトルは当然代わるので,そこはきっちり打合せしている。パートさんも当然参加。
・聞いて欲しいところや・最後に確認したいところ
→最終案(打合せのものがきちんと反映されているか)
聞いてくるところ
→日付,ロゴ等をそれぞれ変えるたび毎回聞いてくる。
おれの思い→ある程度,定形業務に近いので,最終案さえ見せてもらえばいい。間違っていればそこで,指示する。間違えると言ってもケアレスミスがほとんどだから。
パート社員さんの思い→1回毎に変更を確認して,積み上げていきたい。
→だから,最終案は見せずに,パートさんの中で確認が終われば,業者へ発注する。けど,おれは最終案見ていないと思ってイライラする。
となると,おれがパート社員さんに最終案を見せてくれって指示すればいいわけという話しになるのですが,それは何回も繰り返し言っているんだよね。上司への報告のこともあるし。
なんてーか,意思疎通がうまくいってないですねー。
同僚Aさんから内線電話がかかってきた。話を聞いてみると、どうやらAさんは、同僚Bさんに助けを求められてヘルプしたものの、原因がよく分からない。と言う状況に陥ったので、そのソフトについて詳しいであろう私に電話をかけてきたと言う状況だった。
困っている内容というのはBさんの端末を新しくしたので、良く使うソフトをインストールしているのだが、そのソフトがうまく動作しないと言う状況らしい。
で、どのように動作しないのかって言う詳細を聞いてみるとこのソフトを使う場合に良くある、特定機種にのみ発生する既知の障害・・・と言うか設定漏れだろうなと言うのにピンと来た。
そのまま電話で説明するのも良かったけど、わりと近い所にいたので、行って画面を私が操作した方が早いなぁと思って、そっちに行くことを約束して内線電話を切った。
ほどなく、私がそこに行くと、そこにはAさんBさんとなぜかCさんがいた。
どうやらこのBさんの端末をセットアップしたのはCさんだったらしい。Cさんは「このソフトが動かないんですよねー。良く動かないんですよ。他でセットアップしたときも動かなかったんですよねー。」なんてしゃあしゃあと言う。
で、私が設定をみてみると案の定設定漏れが発見された。そこで私が「設定が漏れてますねー。ここをこうして登録しますよ。で、動作を確認しますねー。動きましたねー。」と、ものの5秒程度で解決してしまった。
すると、Cさん「そんなのマニュアルに書いてなかったですよ」とか言い始める。うーん。確か社内マニュアルには記載があったはずだなぁと思って「記載してたと思うんですけどねぇ・・・。マニュアルってどこにありましたっけ?」と私が確認してみる。
私もさらーっとHTMLで作成されたマニュアルを流し読みすると、見つけられなかった。うーん。以前とマニュアルのページレイアウトが違うし、編集時に消えたのかなぁ?とか思って、再度頭からもう一度読み直すと、トラブルシューティングとして別ページへのリンクとして記載してあるのを見つけた。
まぁ、確かに分かりづらいけど書いてあるなぁ。と思いつつ、「ここに書いてありますよー。」って言うと、Cさん「あぁ、確かに!でも、ここには型番がHOGE09**系など○○機能がついているパソコンでは、この問題が発生します。って書いてあって、このパソコンって型番がHOGE08**だから、やらなかったんですよねー」とかしゃあしゃあと言う。
うーん。確かに「HOGE09**」とは書いてあるけど、その後ろに「系など、○○機能がついているパソコン」とは書いてあって、一応詳細を読むべき内容だと思うんだけどナァ。と思っていたら・・・Cさんは私の方を向かずに画面に向かったまま「ありがとうございました」と、超適当な謝辞を言う。
あぁ、なんだろ。なんだろ。やってられない。Aさん、Bさんはちゃんとこっちを向いてありがとうって言うのに、あなたはさぁ・・・。
しかも、私とCさん、あなたってほとんど会話したことないですよね?なのにその態度ですか?なめられてますか?そして、大人の社会人としてその他人に責任をなすり付けるような発言ばっかりの態度とかはどうなんですか?
と。言いたくなったが、言えなかった。
まぁ、仲良く無いって言うのと、そのプロジェクトルームからすぐに私はいなくなるけど、残された人たちって私が荒らすだけ荒らした空気を引きずらせるのもどうかと思ったりもしたので・・・。
なんていうか、やり場の無い怒りを覚えたので、ここにチラ裏させてもらった。と、同時に反面教師として自分もこんなことをしないように。と気をつけようと思った。
最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去のHTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネットの王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
HTMLは、表・画像・フォーム・音楽・デザイン・フレーム・動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTMLを包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。
ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界のインターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。
80年代末にティム・バナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイルを確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前のHTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLのインターネットの王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前のHTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。
このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在のHTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。
iモードが世界のHTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本の技術が世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本はガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人が過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかしiモードは、真に日本のHTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
iモードは、ドコモのメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れた世界のHTMLファンたちは、iモードのWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。
iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外のモバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要なリレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんなiモードHTMLのバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当なディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。
正字正仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様が誕生する。
この時期、情報技術の進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様『HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。
『HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。
W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーとHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術のデザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。
この仕様『HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーとHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋の工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様『ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。
このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットでリニアな構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しのレベル分けが世界のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。
またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。
それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。
『HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様『XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。
この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業的バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3Cに還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。
M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトやモジラ・ファンデーション、オペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。
彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。
XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様『XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、第二次ブラウザ戦争の集大成ともいえるこの仕様である。
『HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTMLの歴史というものが全部分かる。
『HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアとアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様に押し出した「オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。
以上、これさえ読めばHTMLを包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、歴史的に重要な仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数の分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張に自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンのHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTMLを流行らす土壌ともなった「フラットでリニアな構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTMLを包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。
上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。
「HTMLはSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
世界がCSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字正仮名にだ。ノジタンの日記には、HTMLの本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。
これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティの王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
作画は、絵コンテ・演出・レイアウト・原画・動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。
ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。
20世紀末に手塚治虫の発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイルを確立していき、東京ムービー・東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメントの王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。
この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。
金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化がアニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。
金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後の東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要なリレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。
金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。
この時期、作画技術の進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。
『伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。
板野の果たした一番の功績は、ミサイルとカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。
この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「金田モドキ」がアニメーションに復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。
この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。
またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。
それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。
『うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。
この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術のスタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。
フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。
彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。
湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。
『THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。
『THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。
以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後の東映動画に自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。
上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。
「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
アニオタが金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田のパースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、大塚や宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い
この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980
※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正
※一部改訂してます
ディズニーのクリスマス・キャロル を見てきました。
のっけからなんですが、それほど面白いって話でもないっす。
演出もどうもボンヤリしています。
思うんですが、ゼメキス監督は、あまりアニメ(3Dであっても)に向いていない
監督じゃないんですかね。
この人の作るのは、基本的に実写特撮のレイアウトなんですよね。
ポーラー・エクスプレス、ベオウルフでもそうだったのですが、彼はアニメと特撮の違いがわ
かってない。
アニメは基本的に「なんでもあり」なんですよ。
だから「うわっ、こんな事できるんだ!」という映像マジックは非常にやりづ
らいと考えなくてはならない。
その分、アニメは純粋に動きや、絵画としての「絵」そのもので楽しませないと
ダメなわけです。
この映画のレイアウトも、実写映画なら数倍は面白くなったろうと考えざるを得
ません。
来年あたりはもう廃れていないかと非常に心配になりました。
自分だけなのかもしれないのだけど、たびたび気になってたので書いてみる。
たとえば、プログラミング関連の書籍で、図表やサンプルコードが載せてあって、本文中で参照するときに、「図xを参照」みたいに書いてあるんだけど、この「図x」が、参照してるところから数ページ離れたところに書いてあることがある。同じページにあったとしても、参照元がページの上のほうにあるのに、ページ下方にまとめて置かれてたりすることが多々ある。
こういうのって、自分としては、とっても読みづらい。サンプルコードを見ながら本文の説明を読もうとすると、目線の移動が多いから、途中でどこ読んでたかわからなくなる。こういうレイアウトだと、わかりやすい説明が書いてあっても、途中で投げだしたくなる。
たまに参照元のすぐ近くに図表をレイアウトしてくれている本があって、そういうのは読みやすいのだけど、このあたりって、著者のポリシーとか、本をつくるときのデザインのルールみたいなのとかで決まってたりするんかなぁ。