はてなキーワード: レイアウトとは
故伊藤和夫の授業をyoutubeで見て、都会の受験生ってこんなスゲー授業受けてたんだと、15年後にカルチャー・ショックを受けたので、田舎の浪人生だった自分が使った大学受験参考書(東大理系96年入学、いまではなんとか研究職)。
内容はスタンダードでよい。
個人的にこれだけで必要十分だと思うし、これだけしかやらなかった。暗記科目とか非暗記科目とか言うけど、試験である以上、数学だろうが物理だろうが暗記科目だと思ってる(日本語の能力だけはどうにもならないけど)。これくらいはマルっと憶えられないと応用もなにもないと思う。浪人生は勉強だけしてればいいから、大学受験の範囲も泣きながらやれば3ヶ月で終わる。あとは、ひたすら復習。ペンだここさえて、ほとんど部活のノリだった。
昔は一冊ものだった気がするが、いまは全6冊になってるな。
日栄社のうっすいやつを適当に2, 3冊ずつくらい。おすすめすぎるシリーズ。
英文法標準問題精講
英文標準問題精講
和英標準問題精講
物理標準問題精講
化学標準問題精講
網羅すれば完璧。
旺文社の標準問題精講シリーズは、コンパクトで軽くて、本当にありがたかった。
ジョン・ロックの民主制とルソーの民主制の違い、という話が印象に残ってる。別に先生と仲はよくはなかったが、田舎の、文系理系分かれてないようなふつーの公立高校で、唯一信頼できた授業だった。そのプリントはいまでもとってある。
(ここで言うHTML5はcss3とJavascriptも含めた技術全体の事、逆にFlashはAir等の派生技術は含めないブラウザ上のFlashPlayerの技術のみを指します。)
ウェブに携わる人間には常識だけど、HTML5は何でも出来るスーパーヒーローではない。
どちらかというと、中日の高木とか、ヤクルトの宮本とか、巨人の川相とかの方が近い。知らないやつはググれgoogle:いぶし銀。
HTML5の真骨頂は、昨今のリッチなインターネットコンテンツを、非常に簡潔にスマートに記述できるところにある。複雑な事をすれば凝った事もある程度できるけど、得意分野じゃない(標準APIが機能不足だし、JavaScriptの言語仕様が複雑な処理に向いていない)。
ブラウザだけでここまで出来る、とか、
Flashはもういらない、とか、
ってのは、川相だって筋肉付ければホームラン打てるようになるし清原はもういらない、って言ってるようなもん。宮本にパワーヒッターを求めるのなら筋違いだ。生い立ちも素質も違うのに、どうして代替となりうるのか(プログラムと人間を一緒にするのが暴論なのは百も承知)。
HTML5とFlashにはそれぞれ得意分野があるし、淘汰される形で対立しうるものではない。にもかかわらず、ブコメ見てて、いまだにFlash氏ねHTML5マンセーな意見が支配的なのが痛すぎる。
「ブラウザだけで」というと聞こえはいいけど、何のことは無い。5年くらい前のFlash相当のプログラムが、ようやくブラウザに搭載され始めただけのことだ。Flash は重いとよく言われるが、同じことをすれば(今のところ)HTML5 のほうが重いことが多い。
あと、記事を読むと大概「(どれかの)ブラウザだけで(なら)ここまで出来る(けど他のブラウザじゃ動かない)」って言葉が隠されている。HTML5 の仕様が固まれば全コンテンツが全ブラウザで同じように動くようになるよ!なんて本気で信じてるならあなたはネット向きじゃない。
Flashは互換性の点で優位にある。一社提供で基本的に同じコードを同じ開発者が作っているってのもあるけど、そもそも「どのブラウザでも同じように動く」が、セールスポイント=利益に直結するというモチベーションになるのが極めて大きい。
HTML5 と対立するは Flash ではない、HTML4 だ。HTML4の悪い所を直してHTML5にしようとしてるんだから当たり前。
video対応やベクター描画といった Flash が寡占してる技術の一部を HTML5 が食ってるのは事実だけど、Flash と HTML5 の機能は相補的である。HTMLは文章構造を効率的に記述する目的で生まれたものだし、Flashはタイムラインベースのベクターアニメーションを表示するために生まれた。両方ともブラウザ上でリッチなユーザー体験を提供するという目的に向かって進化してるので、お互いの領土を食い合う形にはなってるけど、生い立ちが違うので得意分野も当然違う。
テキスト表示とレイアウトはHTML5のほうが断然得意だし、2D描画はFlashの方が一日の長がある(私見だけど、HTML5はFlashの描画能力の半分にも至っていないし、Flashのテキスト表示機能はie6のそれにすら劣る、と感じる)。
Flash vs HTML5 という構図は、スティーブ・ジョブスのプロパガンダにすぎない。
ジョブスは訴求力を上げるため、しばしば、対抗技術=「悪」とした勧善懲悪ストーリーを作り上げる。簡潔で力強い言葉にのせて、対抗技術の欠点と自社技術の利点を(時には脚色しつつ)徹底的に挙げていく。対抗技術の利点など無きものとしてしまう。そこには自社技術の欠点など存在しない。
HTML5推しの本来の意図は、ジョブスの声明から推察するかぎり、HTML5であればAppleが開発してるブラウザエンジンwebkitを通じて自らの手でインターネット体験を提供出来るが、FlashはAdobeが開発している技術なので手を出せない(厳密にはFlashはオープンな技術なので自社開発する事は不可能ではないが)という点にある(もちろん、実際は様々な複合要因だと思うけど)。自社製品におけるインターネット体験、という肝心なところを他社に依存してしまうのは許せない、というのは至極真っ当なコダワリだ。Android にユーザーが流れてしまうという大きなデメリットを背負ってまで、iPhone が Flash を載せないことについては、評価すべきとすら思っている。もともと Mac版 Flash プレイヤーのデキの悪さという恨み節もあり、歴史的な経緯による「Flash は重い」という先入感も利用し、衝撃の声明は完遂された。
かくして、勧善懲悪のスーパーヒーロー HTML5 が誕生した。
Flash と HTML5 両方のコーディング経験者であれば判るけど、HTML5はこれまでに比べて簡潔に記述できる事が最大のメリットであって、複雑で凝った事は得意分野じゃない。にもかかわらず、無理矢理 HTML5 で書かれた凄いアプリが「ブラウザだけで!」とか「Flashいらない!」とかセンセーショナルな煽り文句とともに紹介され、もはや冷笑の対象となっている。
もちろん、凄い HTML5 アプリの作者は何も悪くない。未来の技術をいち早く実験/公開して、われわれにその可能性を提示してくれているのだ。そんな彼らを冷笑の対象にしてしまって良いわけがない。
ここまで読んでくれた人ならわかるだろうが、自分は、川相のゴロ捕球からの洗練された送球フォームが大好きだ。いや、HTML5の洗練された仕様と最新鋭の技術が大好きだ。
だからこそ現状を見ていられない。
現実として、Flashは互換性を気にしないで良いがiPhoneで見れない。HTML5はiPhoneで見れるがブラウザ間の互換性が問題となる見通し。
何が幸せなインターネットの未来なのかわからないけど、今の HTML5 vs Flash という構図は、不幸な方向に向かってるように見えてしょうがない。
今回触れてない話の1つにセキュリティ/バグ関連があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
あと、巨人末期の清原は本当にもういらなかったかという話があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
ってExcelでA3で作ったら画面からはみ出て見えへんやないの!!!!
誰かが編集してる間はどうしたらええの?
情報をデータベースに入れて色んな観点で検索したり抽出したりソートしたりリアルタイムに更新したり履歴を保存しておいて比較したりするのって情報処理の基本中の基本じゃないですか。なんでみんなそんなExcel好きなんやろ。
<Excelのいいところ>
・シートごとにページを作れば目次代わりで見やすい。
・表がすぐ作れる。
・テキストボックスでありとあらゆるところに文字が書けて見栄えの良いレポートができる。
・セルの幅を全部小さくして方眼紙みたいにするとインデントの整った文章が書ける。
・シートごとに縦向き、横向き印刷が選べる。
・オプションで読み取り専用にできるので間違って更新されることもない。
・みんな知ってる。
・メールで送れる。
・印刷して配れる。
・共有フォルダにおける。共有ストレージにおいておけばバックアップもばっちり。
・その上ファイル名も変更できるのでリビジョン番号をつけて管理できる。
・ファイルが増えても_oldとつければいける。
・もっと増えたらoldフォルダを作ってそこに入れれば何とかなる。
・ファイル名に_最新ってつけておけば誰もが最新版だとすぐわかる。
・解決した行はグレーアウトで。
・ついでに計算もできる。
児童ポルノ規制法改正案について、一部の国会議員のかたがたに送った意見書を、公開します。
尚、左右のレイアウトは、狂ってます。なぜなら、整えかたが分からないからです。
現在審議中の
「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案」
の提出時案を一旦廃案になさって下さい
(議員さんの氏名 + 様を手書き)
(わたしの氏名を自署)
(郵便番号)
(わたしの住所)
前略
今日は。(わたしの氏名)と申します。審議の報を聞き、遅まき乍ら本状を差し上げます。宜しく御確認下さい。
<本状の要旨>
現在審議されている「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案」の提出時案を一旦御廃案後、必要に応じて、人々が不当に処罰されず、言論・芸術が弾圧されず、人々が性搾取から直接保護される改正案を、改めて御制定下さい。なぜなら、提出時案やその修正では、人々や社会に、大きな打撃が与えられるだけだからです。
<理由>
始めに、言葉の定義を補足します。この文書では、「性搾取」の語について、年齢を限定していません。又、この文書中の「性搾取がされずに作られるポルノ」「性搾取がされずに作られたポルノ」のフレーズには、性搾取を題材にしたフィクションや、社会的・経済的に弱者ではない18歳以上の者が環境や他者から脅迫されず自らの意思で創作に参加する事により実写撮影されたものを、含みます。
(一)提出時案は、性搾取と無関係な者が、不当に処罰されるからです。なぜなら、提出時案において、ポルノの単純所持者が処罰対象だからです。そして、ポルノの単純所持者が則ち性搾取者であるという信憑には、根拠がありません。この2点から、提出時案は、不当な処罰により、人々に大きな打撃が与えられます。因みに、政治の混乱に発展する事も想定できます。なぜなら、権力闘争に巻き込まれる可能性の高い、現職政治家を含む公務員も、この規定の例外ではないからです。
(二)提出時案では、言論・芸術が弾圧されるからです。なぜなら、この提出時案は、性搾取がされずに作られたポルノが、弾圧されるからです。性搾取がされずに作られたポルノは、言論、芸術、もしくはその両方の、一種です。なぜなら、他者の権利が不当に害されずにに作られる表現物だからです。そして、それが弾圧されるのですから、この提出時案は、言論・芸術が弾圧される法案です。もし、言論・芸術が弾圧されれば、それらは、公民による社会と現代文化を支えられなくなり、現代社会が成り立ちません。特に、性搾取がされずに作られたポルノは、現に不当に弾圧される傾向にある芸術分野なので、弾圧されるべきなのではなく、弾圧から保護されるべきです。
(三)この提出時案に、成立させる価値が無い点です。なぜなら、この提出時案には、人々が性搾取から直接保護される規定が含まれず、提出時案中の間接的な保護施策の有用性には、根拠が無いからです。
これらの理由から、小規模の修正では、この提出時案が、無害有意義な改正案として成立される事はありません。ですので、今回の提出時案を廃案後に、不当な処罰無く、言論・芸術が弾圧されず、かつ、人々が性搾取から直接保護される法案もしくは改正案を、必要に応じて御制定下さい。
末筆で恐縮乍ら、あなた様の御健康をお祈りし、御活躍を期待致しております。
早々
これを公開した理由は、こちらのかた(id:kamayan)のエントリー「皆の意見書があったら参考のために見せてほしい」を拝見したからです。
又、送り先が多かったので、意見書は、2回にわたって送りました。これは、あとから送ったものなので、少し練り直されています。
尚、これを書くに当たって、webサイト「中学生からの論理的な議論の仕方 (論理的思考力のトレーニング)」のこのページ「厳選したリンクと書籍―論理・議論関連の本」に紹介されている書籍が、とても役に立ちました。うち、一番うえから「絶対困らない議論の方法」迄読み終えたところで、この意見書を書きました。思うに、残り2冊も役に立ちそうなので、うち1冊目を、いま読み進めています。
今までCrCh2という拡張を使用。これはマウスオーバーでレス抽出ポップアップ機能がなくてかなり不便だった。
Firefoxのアドオンのchaikaみたいなライトユーザー向け2ちゃんねる閲覧の拡張機能を探していた。
2ch browser userscriptを入れてみた。OSがMacの場合、2ch browser userscriptがおすすめ。
もちろん画像URLのサムネポップ表示機能有り。ID、レス番をマウスオーバーでレス抽出機能有り。
WindowsだとNullpo 2ch ReaderがFirefoxのアドオンのchaikaに一番近くて使いやすいと思う。
今までAdBlockという拡張を使用。これは表示が崩れて読めないサイトがたまにある。
例えばYouTubeを見るとレイアウトが一部崩れて表示が読めない部分があった。
今回Adblock Plus for Google Chrome(Beta)を入れたらYouTubeの画面もちゃんと補正されて全部読める。
ただし、Adblock Plus for Google Chrome(Beta)はデフォルト設定のままでは、Japanese向けの広告をブロックしないので、設定でオプションにJapanese向けのリストを追加したほうがよい。
Japanese向けのリストのURLはググればすぐ出てくる。URLをコピペしたのをリストにブチ込むだけでいいので超簡単。
Follow usボタン。
最近増えて来たblogガジェットである。go2web20.netというところがやっているサービスらしいのだが、そのblogの所有者が指定した画面のどちらかの端にくっつき、所有者が指定しただけ下がった場所に、画面をスクロールさせても表示し続けるという、とても目障りなボタンである。
Twitterが用意しているFollowリンクを使わずに、go2web20.netのFollowボタンを使って情報提供している事については、 blog所有者と、そのページを見てFollow usボタンをクリックした人の自己責任であるので、そちらについては何も言わないが、このボタンの見せ方は、許容できない。
どちらかの端に指定できるのだから、左端余白か右端余白のある側に設置すれば良いのだが、レイアウトが不自由で、そのどちらも取っていなかったり、わざわざ文字やリンクが詰まっている側に配置していたりするという、マヌケが居るし、記事をスクロールさせると、フロートボタンなので画面の端でとても目立つ。
記事の最後に固定表示でボタンを置くだけで十分であり、画面の横に、フロートボタンとして配置するのは、目立たせるという目的においては有効であるが、悪目立ちの類といえる。
このボタンをクリックすると、go2web20.netサイトを経由して、Twitterのフォローリストに登録する画面へと遷移できる。当然、どのページから、誰のアカウントをフォローリストに登録する為に使われたかが、go2web20.netには、筒抜けになる。
つまり、アクティブで読者の多いblogのリストが、go2web20.netには自動で生成されるわけである。この情報をどのように使うつもりなのかが、まだ見えてこない。
ただし、Twitterがこのサービスを放置しているという点については、狙いが見えている。
一度Follow登録をしたら、基本的には、二度は必要ない。さらに、blogの記事をTwitterにも流しているのであれば、Twitterの利用者に対して、blogで見るよりもTwitterで見てくれと意思表示をしている事になる。
メールや掲示板には宣伝が大量に来るが、Twitterにはそういったnoiseが少ないからというのであれば、Twitterという営利企業が広告宣伝活動をしたアカウントをBANするという作業を行っているからnoiseが少ないという現実に対して価値があると認めている事になる。そのコストは、利用者がいずれ、負担しなければならなくなる。
blogからTwitterに人を移動させ、Blogでの更新が滞り始めた頃に、Twitter有料化という話が来るという展開が予想できる。そうなった時に、今のTwitterに熱中し、BlogよりもTwitterだぜとボタンを貼り付けている人々は、ちゃんと会費を支払って利用者であり続けるのであろうか。
Blogサイトが過去記事のデータフォーマットを特殊にし、同業他社に移転しようとすると、過去記事を一通ずつコピーして登録しなおさなければならないようにして囲い込もうとして反発を買った事から、学習したのであろう。Twitterは、記事に価値があるのではなく、張り巡らされたフォローリンクに価値があるという、Googieスピンアウト組らしいといえばらしいし、SNSの本質とも言える狙いをもっているのである。
ただし、Twitterで張り巡らされたフォローリンクの大部分は、記事があってこそ発生しているものであり、なうなうなうなうと言い続ける程度の記事生産能力しかないコミュニケーションに、果たしてリンクを維持し続けられるだけの価値があると言えるかどうかが、微妙な所なのである。
世の中、Wordで論文を書く人の方が多いらしいが、信じられん。
自分は、普段TeXで書いているが、TeXで書いていて普通にできることでWordではできないことが多すぎる。
今書いているのは、Wordじゃないといけない文書なので、つくっていてすごくイライラする。ちなみに、今使っているのは、Word2010ね。
一番困るのは、作っていない/後からすり替えるつもりの図表を入れて、とりあえずキャプションを付けて相互参照しておく、ということがマトモに出来ない。
だから、図表は最初から全部用意しておかないと使えない。そんな原稿ってあるか?
これをWordでやろうとすると、図表を一旦削除して新しい図表を入れるとキャプションも消えて相互参照付け直しとか、相互参照の番号がずれるとか、キャプションがどっかいっちゃうとか、キャプションが図の下にこないとか、とにかくいちいちマトモに動かない。「マウスで指定した位置に図をいれて、その下にキャプションを入れ、通し番号で相互参照をつける」やって欲しいことはこれだけなのに、余計な機能ば~~~~っかついていて、肝心のこれだけのことが出来ない。これを作った人はマジで気が狂っているんじゃないかと思う。頭おかしいんじゃないか?論文書いたことあるの?
もう、図表やキャプションの位置調整と、そのやり方をネットで調べるのにかかる時間の方が、文章を書くのにかかる時間よりずっと長い。結果的に、同じ分量の文章を書くのに、WordはTeXに比べて何倍も時間がかかる。Wordは人の時間を奪う悪魔のソフトかとすら思う。文章本体に時間をかけているわけではないので、無駄なことをやっているような気がして、とにかくモチベが下がる。
通し番号がずれるとかキャプションが図と違うところにいっちゃうとか相互参照が出来なくなるとか言う事が、書き手が最も恐れていることなんだよ。レイアウトの多少のズレは大丈夫だけど、これらは明確に間違いになるから。このすべてがWordでは起こって、しかも、解決の方法がよくわからない。図表のプロパティのメニューの奥~~~の方に隠されているチェックボックスを血眼になって探して、それを外すとできたりする。
もう、別にソフト開発していいから、マトモな図表の扱いができる論文用Wordってつくってほしいわ。あるいは、TeXを論文用Wordとして売ってくれ。そしたら買うから。
私はwebデザイナーをやっている。制作会社に在籍していて、独身の女で、今年で4年目になる。
webデザイナーはちょっと頑張ればできる仕事だと思われている気がする。
ずっともやもやしていたので、そのことについてちょっと書いてまとめてみたい。
私の会社は人の募集をわりとずっとしていて、ちょくちょく選考をしている…みたい。私はたまに書類選考や面接を担当するぐらいなので、全部は分からないけど。
(しかも私は「お前の勉強にもなるから」という感じで担当させてもらってるような感じなので、特にスキルレスな人に当たってるのかもしれない。)
そうやっている中で、応募してくる人のレベルと、こちらの望んでいるレベルのギャップが大きいということにすごく戸惑っている。
未経験+職業訓練+ポートフォリオはありません、これが結構いる。
ポートフォリオったってあなた、職業訓練に行ったのならそこで課題とかあるでしょう。せめてそれ持ってきたら?ないなら作ったら?イチから作れないならレンタルブログのカスタマイズでもいいから、ないよりはましだよ、ていうか頼むよ。
(今ふと思ったけど、営業とか事務ってそういうの全くない中で選考すんだよなー…すごいな…)
作品です、と持ってくる人も、ポートフォリオの作り方にも一工夫しようとか思わないのだろうか。印刷してファイリングしてくるならフォントも意識しなよ。
こんなアイデア、スキルを持っているということをアピールしたい、どうやったら印象に残るだろうと思う人に、彼らが勝てるわけがない。
他のwebデザイナーの年収や忙しさ、勤務環境を知りたくて、質問サイトなんかを色々見ていた時期がある。それこそ知恵袋から、個人のブログ、2ちゃんまで色々見た。
知恵袋みたいなところでは、検索をかけてみたら「webデザイナーになりたいです」という質問がヒットするわするわ。うんざりした。
あんまり出てくるから「webデザイナーってそんな簡単じゃないんだけど…」という気持ちのやり場に困った。
1枚画像を作るのがwebデザイナー、と思う人もいると思うけど、今の職場での私の仕事では、一番長いスパンで関わるものの流れはこんな感じ。
お客さんとの打ち合わせに同行→営業と打ち合わせ→レイアウトを起こす(漫画でいうとネーム)→営業と打ち合わせ→トップページのデザインを起こす。→営業と打ち合わせ。私はflashができないので、flashが入る場合は別の担当に入ってもらってその人も交えて。→お客さんからOKが出たらトップページのコーディング。→トップページのSEO対策をしつつ各ページのコーディングをしつつ、ページごとに必要な写真加工とパーツ制作。メールフォームなんかの簡単なプログラムもここで入れることが多い。→ブラウザチェックと営業の確認。ブラウザはIE(6/7/8)、火狐(win/mac)、Safari(win/mac)、chrome(win/mac)。微調整を行う。→お客さんのOKが出たら納品。納品前に確認事項があったりCMSの使い方のレクチャーみたいなのが必要ならお客さんに教えてから。
大規模なサイトなら画像面のデザインが2人、コーディングが3人、flashが1人…みたいなこともあるので、リーダーになったら各人への指示なんかもある。SEO対策を担当する場合なら納品後も関係は続く。報告書まとめたり提案出したりといった。
どう、大変でしょ、みたいになってしまった気がする。ごめんなさい。
で、どの行程を担当しても、全行程を理解していなければかなり全体効率が落ちるし、他の担当や営業、お客さんにまで迷惑がかかることがある。コーディングのことを全く考えてないサイトデザインでコーディングが圧迫されたり、SEOのことを分かっていないコーディングのために後から修正したり。半端にカスタマイズしてプログラムが暴走したりしたこともある(さすがにこれはひやっとした)。
一つの職業であることは変わらないのに、デザインというセンス要素が過剰に注目されてしまっている。皆そこに憧れている気がする。webデザイナー、なんて名前がきらびやかすぎるのかもしれない。地道な地道なパーツデザインやコーディング、市場分析が仕事に占める割合は高いのだから、単調な部分も多いのに。
センスが生きる場所のサイトデザインだって1回では終わらない、ずっとアイデアを出し続けることが求められるから、ある種の単調さは生まれる。時には1案件に何案もデザインを出すことすらある。どうしょうもないセンスだと思うお客さんの希望に沿ったデザインを出すこともある。
話はちょっと変わって、私が関わった営業の中にはデザイナーをすごく見下している人がいたけど(ちょろく見ているというか)、なりたい、と思う人でさえそうなのだから、なりたいと思わない人には余計簡単そうに見えるのだろうか。
営業は本当に大変だと思う。
サイト制作経験のない営業もいて、そういう人は本当に苦労しているし、逆にデザイナー上がりの営業は「自分だったらこうする」という主張が出るからそこで苦労がある。「ホームページってそこまで興味ないんだよね」と言いながらわがままな注文や後出しの要望が多いお客さんもいるし、お客さんのホームに行って戦うのは彼らだ。
だからがっちり支えたいと基本的には思っているけど、楽な仕事なんだからいいよな、と言われると腹が立つし、それぐらいちょちょっとやってよー、適当でいいからと不必要なデザイン案の数を求められると踏みにじられているように感じる。
単発でそういうことがあっても、人間そういうことはあるから抑えるけど(営業てめえこんな手間かかるものをこんなに安く取ってくんじゃねえよ、分かってないやつは死ね!と思うことはあるし)、基本姿勢が「デザイナーは営業の言う通りやってたらいい」の無知な営業に対する怒りは地道にたまる。
かなり時間をかけてここまで書いた。考えながら書いたので、きれいに自分の中で結論が出た。
俗なことだけど「こっちのことも認めてくれ」に尽きるな。
webデザイナーじゃなくても同じだなあ。
営業は営業でこっちに対して言いたいことがあるだろうし、その言いたいことはデザイナーが想像もつかないことだったりするのだろう。
ただ、互いに互いのやっていることを逐一知らせあうような時間はとてもないし、実際にその職につかないと分からないことこそが軋轢の原因にもなる。
もっと寛容にならないといけないな、私。
さて…。
吐き出しになってしまったので、webデザイナーの面白いところも書くことにしよう。
いいデザインができて評価されるともちろんそりゃ嬉しいんだけど、それは分かりやすいので省略しよう。
私は表を作ったり説明文をコーディングしたり、Q&Aを作ったり、「サービスの流れ」みたいなページを作るのがとても好きだ。フッターにあるテキストリンクや、パンくずリストを作るのも好き。問い合わせフォームや、WPなんかのモジュールのカスタマイズも好き。あとキャンペーンバナーとかボタンも楽しい。
そういう部分は、分かりにくいとお客さん(サイトを訪問した人)を逃がしてしまうからやりがいがある。
逆によくできていれば、サイト全体のイメージをかちっと上げてくれるし、メンテもしやすい→サイトが継続しやすい。ってこれはこっちの都合だけど。
分かりにくいサービスや、説明しておくことが多い商品のことをお客さんにきっちり聞いて、まとめあげるのは快感に近い。
そういうものって「あって当たり前」みたいなとこがあるから、気を配って作っても気づかれないことが多いのだけれど、でもやっぱりサイトを見る人を左右するのはそういうちょっとした部分の累積だと思う(なので営業が「こういう表はお客さんに好印象でいい」「このお買い物の流れ、他のお客さんにもお勧めした」なんて言ってくれたりしたらすごく嬉しい)。
内容が本当にきちんと練られているサイト、ユーザビリティがきちんとできているサイトってまだまだない(あるようでない)。新しく次々に出てくる技術はいっぱいあるけど、そういうのも大事だけど、でも内容がちゃんと伝わってなかったら無意味だ。サイトに書いてあるこれってどういうことですか?どうやって買い物したらいいんですか?とかいう電話かかってきたりしたらサイト作る方がデメリットがある。
デザインのこととか、最新の何か(今ならhtml5とか)を使ったりすることばかりに集中していたらいけない。それこそ「webデザインのことしか分からない人間がうるさい」ということになる。営業的な考え方も必要だし、一般のお客さん的な考え方も必要。
全行程に対する理解の度合いでできる仕事が変わるっていうのは、本当にどこにいても同じなんだと思う。
支離滅裂になってきたので、終わる。
グルーポンの2万円おせち問題を起こしたバードカフェ経営の株式会社外食文化研究所の水口憲治氏が代表取締役を辞任するそうですが。
http://ameblo.jp/gaishokubunka/
非上場の会社で辞任www後任は父親wwwwとか、何の痛手でもないでしょ。
代表取締役を辞任ってことは平取では残るのかどうかの情報は不明なので、近日中に株式会社外食文化研究所の謄本を取ってみよう。
大体、取締役会開いたのかね?「開いたこと」にして議事録作って登記しちゃうとかねーあるかもねー。
そもそも後任を父親にするんだww非上場会社で株も掌握してたら、結局、都合のいいように出来るっていい見本だね。
後任が父親とか、本当に"書類上は名前を消しただけです"という絵図なんだ。それでしのげると思ってるのか、この問題の責任の取りどころ。
頭下げて真摯に謝罪して、赤字にならない範囲で返金して、で終わりなんすかね。
水口氏自身でまた事業と法人を立ち上げるんだろうなあ、近いうちに。自分の名前を出さない方がいいから、という理由で家族の名義で話を進めるんでしょうね。
それとも、お優しい井口さんあたりがお声掛けされるのでしょうか。
「水口さん、今××から○○の話があって、△さんが出資してくれるんだけどやりませんか?」
みたいな感じで。
そして注目度の高い事件で、不特定多数の人がチェックするとわかっている状況下でお詫び文も満足に作成することが出来ないのか。
なぜ、謹啓で始まり敬具で終わるの?
「たかが頭語と結語を間違えただけじゃないか」と思われる方もいるかもしれないが、詫び状という物はそういった所も含めて万全の物を作成しなければならない。詫び状だからこそ。
そういった事に気をまわしてくれる人も傍にいないんだろうね。だからこんなお粗末な事になる。
あーあ、私もダイヤモンドダイニングさんの上場記念パーティーあたりで腐りかけの料理を提供でもして「一生懸命やったんだからいいじゃないか」的な感じでかばってもらいたかったもんだ。
私は現在、心療内科通院中です。通い始めてからだいたい3年くらいかかってなんとか上向いてきました。
通院するようになってから、うつ病に関する新書や文庫など、手に入りやすい本を何冊か読みました。
そのうち、個人的にいい内容だなと思ったものを挙げます。
素人の感想なので、異論反論多々あると思いますが、何かのお役に立てれば幸いです。
マンガ。続編の『その後のツレがうつになりまして。』ともに文庫化(幻冬舎文庫)されています。
「休養」環境を整備するために家族にはある程度病気を理解してもらった方がよいと思います。
発病したての頃、家族がうつ病についてよくわかっていないようだったので、家族向けに買いました。
最近文庫になった『こんなツレでゴメンナサイ。』は(単行本は文藝春秋。文庫は文春文庫)、ツレさんの立場から、内面を詳しく書いています。
こちらを読んで共感したのは、自責感や体のつらさ、治りかけの時に「性格が悪くなる」というあたりです。
うつ病、心の病気には未知の部分があります。たとえば、薬は存在するのですが、「なぜ効くのかわかっていない」らしいです。
だから私はできるだけ新しく、また上手に整理された内容の本を求めていました。
この本は(おそらく現時点で)最新の見解を載せています。医師によりいろいろな立場があるので、一概に「最高」とはおすすめしませんが、
発病原因(内因性・心因性)と症状(精神症状が強いか身体症状が強いか、また重傷度)から治療方針を考えている実例が参考になります。
薬についても整理されていてわかりやすいとおもいます。また、「偽うつ」などと断じられやすい「新型(非定型)うつ病」も
治療と本人の精神的な成長で改善するであろうという見解も、ただ「困った若者」として排除する立場よりは理性的だと思いました。
友人知人にならば、最初に読む1冊として勧めるだろうと思います。
薬に対する反応性がいまいちで、何種類も薬を変えてきているので気になって読みました。
抗うつ薬は「中程度までの」患者にはあまり効果がないという研究があるようです(インターネットで検索してみてください)。
また、製薬会社のSSRIのPRの時期とうつ病患者数が増加した時期が一致する点は、気になってしまうところです。
ですが、医者や薬を悪者にしようとしているかのような煽りタイトルはちょっと誤解を招くように思います。
この本は「薬だけでは」治らない、と主張しているように思います。「患者化」つまり、患者であることにあぐらをかき、
周りの手助けをあたりまえと思う思考を戒めています。
治ろうという意志がなくては治らない、という思いを深めた1冊でした。
私は来春から就職しますが、まだ寛解していない病気とつきあっていくのには不安があります。
この本は「産業医」の立場から、働きながら病気を治す、病気を治して働く、
そもそも仕事のストレスが高じて病気にならないようにするには、ということを書いた本です。
社会人の方には、病気であろうとなかろうと、使われる立場でも使う立場でも、読んで欲しいと思いました。
「管理職へのアドバイス」という部分が、患者でない人向けです。
薬に対する反応がイマイチのため、医師に「認知行動療法」をしてみることを勧められました。その良書がこれとのことです。
分厚い翻訳書で高いです。それと、後半の難しい部分は読むのが辛いです。
一応読みましたが、アメリカーンな感じ(前向きに生きてればハッピー、信仰は持ってるよね当然)がするので、なんとなく馴染めませんでした。
認知行動療法は、医師に出される宿題をやって、採点(みたいなことを)してもらって、自分の考えのクセを自覚していくもののようですが、
そんな手間をかけられるほど時間のある医師が日本にはたぶんほとんどいません。臨床心理士も数が少ないと思います。
自力でこの本のワークシートをやってもいいのでしょうが、まるで『絶対内定』みたいな分厚さなので断念しました。
『いやな気分よさようなら』に挫折して、レイアウト優先で(とっつきやすさで)これを求めました。
ほんとうに自分でできる構成になっていると感じます。
ワークシートは1枚ずつしか印刷されていないので、コピーをとらなければいけませんが、見やすくわかりやすく、
どのシートをどういう順番にやればいいのか絞り込まれているのでよいと思います。
私は残念ながら本書を買った後に下向きの波が来てしまい、ワークシートは書かずに読むだけでした。
上記に挙げた以外にも、トンデモだなあと思う本や、スピリチュアルが入っている本、
わかりやすさを求めるあまり表面的な内容になっている本、内容が古くあまり役に立たない本など、
10冊以上は読んでいると思います。中でも、私が腑に落ちた本を挙げました。
いま、改善しつつあるのは医師や薬のおかげばかりでなく、これらの情報に接して考え方が変わったからだと思います。
自分ばかりがなぜという思い、どうして長引くのかという不安は、知識を得ることによってある程度軽減されます。
また、私が「治ることに前向きになった」と感じたのは、卒業年限となり、苦しいながらも就職活動をやり終えた頃からでした。
就職活動で、他人に伝わる言葉で表現せねばならなかったこと(今までは自分の気持ちを、ニュアンス優先の自分語彙で表していました)、
仕事をするという目標ができたことが前向きに作用したのだと思います。
私はあきらめずに進みます。
同病の皆様、そのご家族の皆様、患者の方と同じ会社で働く皆様。
発病自体は過ぎたこととして、これからを歩んで参りましょう。
それは失礼だし個人攻撃に当たるから勘弁して欲しい。
でもあの表現じゃわかりにくかったかな。
すぐ「○○闘争」って書いたり、
実際に闘争的な語調やノリが強かったり、
専門的な単語が多かったり、
つまり書き手と同じぐらい左翼系の知識や経験が身に着いた人でないと
読むのがかなり難しい、辛い、そんな文章。
と言う程度で。
外交問題を見てると対象国ごとに辛さが違うような。
なので国ごとの好き嫌いがあるかないか、を聞いてみたい。
あるなら好きな国のランキングとか好みの基準とか。
一般人では意味がわからなくて読めない&引いてしまう文章がわりとある気がする。
用語や文体やレイアウトや色んなとこから「素人お断り」的な敷居の高さを感じたり。
意図してるなら狙いはどんなこと?
大雑把に左翼と言ったってそれぞれみんなまずは近くて小さな目標に向かってると思う。
その先にある大きな大きな目標が有るとしたら、何?
到達方法が未確定・不明でいいレベルの話で。
御自身の定義で簡潔に。
簡潔じゃなくてもいい。
念の為。
今年75歳になるばーちゃん。
ばーちゃんは、家事が好き。
趣味は掃除と言うほど、掃除していなければ落ち着かないらしい。
家の中だけではなく、私の部屋までも掃除してくれる。
「入らなくていいから!大人なんだから自分でできるよ!」と言っても、
なので、何がどこにあるかはばーちゃんに聞くのが一番早い。
たまにそのせいで、物が無くなったりするんだけど・・・
ばーちゃんは、遠まわしに自慢する。
「昔ね、習字を習ってたんだけどね、よく先生から上手だねって褒められたんだわ。
××さん、才能あるよって。だから習い続けていたらもっと上手になっていただろうね」
「小学生の時ね、ノートを書いていたら先生が上級生の教室まで持って行って、
『このノートを参考にしなさい』って言ってたんだわ、字が綺麗だったからかね」
「昔はね、歌が上手だったんか知らんけど、よく学芸会で歌わされてね、
遠まわしに自慢されているような気がするばーちゃんの話も、
何度か聞いているうちに気に障らなくなってくる。
そんな時私たちは「すごいねぇ!」なんて言ってあげる。
そしたら「いやいやすごくないんだわ」とか言いつつ、すっごい笑顔になる。
ばーちゃんは、他人優先で考える。
ばーちゃんのために買った健康食品は、いつの間にか私のものになっていた。
「私はもうすぐ死ぬんだから、あんたが食べなさい」
そして私が食べる姿を見て、満足そうに微笑む。
「もしかして病気かもしれない」と言うくせに、
病院へ行こうかと言うと、行かないと言う。
「だってあんたそんな(私を病院へ連れて行くような)時間ないしょ」
そんなばーちゃんも、あんまり気を遣い過ぎてストレスが溜まり、
いつの日だか呂律が回らなくなって、倒れてしまったことがある。
今は治ったけれど、気を遣い過ぎだよばーちゃん。
ばーちゃんは、家族が大好き。
私たち家族のことを第一に考えてくれる。
「家の人が喜ぶ顔見るのが好きなんだわ」とか言っちゃって。
そんなばーちゃんに、私はなりたいです。
今、この瞬間、自分はiPhoneユーザーになっていた・・・はずでした。
そして、iPhoneを片手にヨーロッパへ旅立ち、多彩な機能を持ち併せた国際電話としても活用する予定でした。
しかし・・・それはすべて幻となってしまいました。
今回はその一部始終をまとめます。
遡ることおよそ2ヶ月前。
元々マカーでもアップル信者でもなんでもなかった自分は従来の携帯端末にはない良い操作性やレスポンス、
見やすい大きな画面、パソコンと変わらないレイアウトでインターネットを楽しめる点など
搭載メモリ32G版を購入した所、64G版が手元に来るというトラブルがありながらも・・・従来の携帯端末にはない満足感を存分に得る。
今使っている電話もいずれiPhoneにしよう、すっかり虜にされていたのだ。
遡ることおよそ半月前。
イタリア・ドイツへの渡航が決まり、海外でも使える携帯を調達することに。
そこで海外でも使え高機能なiPhoneに白羽の矢がたったのだ。
しかし、この頃iPhoneを導入するには予約が必要で数週間待たされていた。
イタリアへの出発まで約20日間、それまでに入荷できる店を探し歩いた。
あらゆる取扱店がいつ入荷できるかわからない・明言できないなどという回答であふれる中
ソフトバンク三郷駅前店のみ、「8月末までの入荷できます」と明言。
「もし過ぎたらキャンセルしてもかまいません」とのことなので、早速予約手続きをする。
遡ること2日前
入荷の連絡が来る。
だが、その日は遅くまで仕事があったため取りに行けず、不本意ながら翌日夕方に受け取りを延期。
そして、思い出したくもない昨日
夜7時頃、予約の時に渡された書類一式を持ち、ソフトバンク三郷駅前店へ
手続きは順調に行われ、目の前にあるiPhone4がようやく手元に来る。喜びで一杯だった。
新たな携帯番号やメールアドレスも発行(諸事情により新規契約で買い増し)され自分の携帯として使用する準備が着々と整っていた。
しかし、喜びにあふれる自分をあざ笑うかのように・・・それは起きた。
なんと・・・SIMカードを挿しているのに、「SIMカードなし」という表記が消えないのだ。不具合である。
一瞬何が起きてるかわからなかった・・・買ったばかりの電話なのに使えない。使えるはずの電話が使えない。
一方で明らかに慌ててる店員、もう何して良いかわからないと言った感じであった。
しばらくの沈黙のあと・・・
わたし「SIMカードなしって使えませんよね?」
SB店員「(回答に詰まった感じで)・・・そうですね。」
わたし「代わりの・・・予備の機種は用意してないんですか?」
SB店員「今、当店にはこの機種しかなくて・・・交換はできかねます」
わたし「では、自分はどうしたらよろしいんですかね・・?」
SB店員「そうですね・・・iPhoneはapple社での修理取り扱いとなりますので、そちらでおねがいします」
わたし「申し上げますけどね、自分は来週月曜日にはヨーロッパへ飛ぶんですよ?で、国際対応の電話が必要なんです。けれど、時間が無いんですよ?」
SB店員「・・・申し訳ありません」
わたし「使えない以上仕方ないです。残念ながら今回のキャンセルさせてもらい・・・違う電話をこちら手配します。」
SB店員「申し訳ありませんが同意書には「いかなる理由でもキャンセルはしかねます」にサインされて・・・」
わたし「まったく使えない電話でヨーロッパへ行けというんですか?!」
SB店員「・・・・・(数秒の沈黙)上の者と相談してまいります」
数分後、店員戻る。
ソフトバンクの本部?らしきところに電話して、契約した携帯をキャンセルする作業を行う。
SB店員「キャンセルのほう完了しました。お手を煩わせていただき誠に申し訳ありませんでした。」
わたし「優れた電話が使えるのを楽しみにしていたのに・・・故障用の予備ぐらい準備してもらいたいですね。本当残念ですわ」
店員さんはただ平謝りを続けていた。
自分はその言葉通りの残念さとヨーロッパ渡航中にiPhoneを手にできない悔しさ、ショックなど・・・言葉では言い知れない気持ちで一杯だった。
なにより、せっかくiPadを気に入りiPhoneも!って思っていただけに・・・好きな人に裏切られた、嫌われたような気持ちにさえもなったのだ。
その後、通い付けのスポクラへ移動するも、気落ちのあまり身体を動かす気にならず・・・すぐに帰宅してしまう。
帰宅するも、悔しさで落ち着かないのか・・・ちょっとしたことで家族に当り散らしてしまうなど、不甲斐ないことをしてしまうのであった。
そして、これを描いている今・・・午前2時頃、未だに悔しさで眠れないぐらい、ショックをうけている俺がいた。
せっかく興味をもったアップル製品も見るのも嫌になってしまうのかもしれないと思うと・・・本当に胸が張り裂ける思いであった。
ボックスモデルがどのようにレイアウト構築するか理解した事が無いのかな?
文字と絵をレイアウトするものは大概ボックスモデルをベースに作られてるだろうが。
そのFlashだってActionScriptやFlexで配置指示してしまえば、お前さんが言うめんどくさい組み方になると思うがな。
だからスティーブジョブズも奇妙なWeb標準なんか放って置いてiOSのアプリを書かせようとしてるんだと思うよ。
少なくともUI要素をインラインで配置なんて訳わかんないことしなくていいでしょ。
えぇと、InterfaceBuilderしか使ったことしか無いのか。
どのみち、InterfaceBuilderで出来ない事やろうとしたら、めんどくさい組み方になる。
変人で悪かったな。
PHPから動的にPDF吐き出すとか、実装するならテキストベースのレイアウタ使ったほうが楽だろうが。
変人が標準って変だよ?
それを、何も判って無いお前のような奴が多少は使える気になって喚いてるだけ。
開発側は最低限の物は用意してるんだ。
気に食わないなら、自分でWYSIWYGのシステムでも組んでりゃいいだろ。
5年以上ぐらい前にPerlのレガシーコードで書かれたcgiって駄目なプログラムのお手本だな。
1ファイル何千行もあるcgiで、一生懸命条件分岐や関数呼び出ししながらprintしてHTML作っていくやつ。
後から他人がレイアウト変更とか不可能に近い。
同じような処理(例えば掲示板だと新規書き込み、書き込み確認、書き込み修正など)があちこちに分散してて、全部探し出さないと変更できないとか。
俺が今作ってるWebアプリではSmartyなどのテンプレ使ってロジックとデザインの分離が当たり前なのに(ちなみにSmartyは分離がイマイチ、最近は他のを使ってる)、この時代にはそんな考え毛頭なかったんだね。
拡張子もcgiだったりplだったり。*.cgiでgrepしても出てこない処理のせいで半日つぶした。