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2010-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20100807120956

食事に毒を盛られるってのは統失典型的妄想。まあこじらせたケースだね。

リスパダールか何かを実際に混ぜて服薬させたということもあるんだろうけど。

ところで元増田さんは元気なんだろうか。

2010-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20100108021340

うちの母親統合失調症。私は今年後厄の独女。

本格的に入院したり自殺未遂したりで病院のお世話になり始めたのは7年くらい前、家に泥棒が入って生活費を15~20万程盗まれて精神ストレスと恐怖感が増大してからだが(しかも犯人は親戚だったもんだから以下あとで)、私が小さな頃から元増田日記にあるような性格傾向があったから、多分その頃から少しずつ病を得ていたんだろうと思う。

ただ元増田の家と状況が違うのは、弟は一時期色々あって大学中退しながらも今は仕事しながら一人暮らしをしていることと、母親が中途の盲聾者ということだ。私が中学校位まではまだ少しは見えて聞こえていたのだが、今は全く。(でも母親の部屋には双子子供がいて、それが何かを言っているのが聞こえているそうだ)目は網膜色素変性症、耳は高熱を出したことで突発性難聴で、私と弟が生まれる間に二つの病にかかったらしい。亡き祖母の話だが)

こういう状況だったから小さい頃から母方の祖父母と同居し、祖母が母親がわりに私の面倒を見てくれた。

祖父は賃貸業をやっているから(まだまだ元気な昭和3年生まれだ)ずっと家にいて、私は幸い寂しい思いをした事がなかったが、コロコロ変わる母親の機嫌に合わせるのが苦痛で、祖父母と折り合いの悪くなった父母と弟が一時期近所にある祖父の借家引っ越した時も、私だけは祖父母の家に残って祖父母と一緒に暮らしていた。母は祖父母よりも遠い人間だった。

あんな女性にだけはなりたくない、としか思えなかった。

ヒステリック母親性格がどうしても好きになれなかった。「お母さんはかわいそうだから大切にしておやり」と祖母に言われて育ったが、私には無理だ、としか思えなかった。私が小さな頃はまだ補聴器を使えば音が聞こえていたが、中学の頃には聴力がほとんどなくなったから筆談しか出来なくなり、高校時代になると、視力もほぼ無くなったから、手のひらに指で文字を書かないと意思を伝えることが出来なくなった。

何かを相談しようにも、その過程を踏むのが面倒で、自分の進路を決める時は大概、家族には事後承諾だった。

高校も大学も第一志望を決めてから話をした。

幸い大学は第一志望には落ちたものの県外に出る事が出来た。祖母が土地を一つ売って事業に失敗した父親の借金を精算し、かつ私の入学費と1年生の間の授業料にあててくれたということを後で知った。2年からは授業料免除と奨学金バイトで、家からの仕送りがほとんどない状態で大学に通えた。18切符東京に行ってコミケに参加も出来た。

家に母がいない、家族の事を考える必要がない、ということがどれだけ気楽か。本当に幸せな時期だった。

ただ、私は地元に帰らねばならなかった。母親の面倒を見なければならないから。

やがて就職活動の時期になる。地元就職先を探さなければならない。その時期から37~8度の微熱が続き、一日起きられないこともしばしばだった。今にして思えば多分、逃避行動でしかなかったのだろうと思う。そして時は折しも就職氷河期

結局仕事の見つからないまま地元に帰り、とりあえずアルバイトで食いつないで公務員試験を受けよう、と思っていた時に、祖母にガンが見つかった。余命1年。

呆然とした。祖父と伯母二人と一緒に、入院していた病院に通った。母はその頃、自分の部屋に引きこもって、食事と風呂の時以外は部屋から出ないようになっていた。私には母の相手をしている精神的な余裕はなかった。祖母は手術をしたが体力がものすごい勢いで落ちていくのが傍目にも良くわかった。私はまだ何も恩返しをしていないのに。私の誕生日から2週間後にあっけなく祖母は逝った。

「お母さんの面倒を見てあげてね」というのが祖母の願いだった。しかし母との距離感を埋める努力すら、私はしようとしなかった。

私にとって母親以上に母親である存在だった祖母を亡くして、何もかもがどうでも良くなった時期に、前述した泥棒騒ぎが起きた。

母はしょっちゅう出歩くことが出来ないから、手元に生活費を持っていた。それをごっそり持っていかれて、恐怖と悲しみに泣き喚く母と一緒に私も泣くしか出来なかった。続けて2回。父親が金銭を管理するようにし、部屋に鍵を二つつけたが、母親は昼夜を問わず「死にたい」と大声で叫ぶようになった。部屋の中にマジックで「死ね」という殴り書きがあちこちでされた。

私は母親の変化を受け入れることが出来なかった。そして家にいることが苦痛になった。事情を知っている友人の家に入り浸るようになって、家に帰るのは2週間に一度という有様だった。

ある日たまたま家に帰った時。2階から父親が大声で私を呼んだ。母親の部屋に入ってみると血だらけだった。母は手首を切ってわんわん泣いていた。

母はその日から3ヶ月程精神科入院した。

見舞いに行くことすら苦痛だった。しかし投薬を始めて、母親精神状態は嘘のように落ち着いた。最初はリスパダール頼みだったのが、徐々にいらなくなった。私は相変わらず家に近づくことがしんどいから父親に任せっきりにしていた。

後日わかった事だが、盗んだのは従兄弟だった。従兄弟母親である伯母は、母の頼みで買い物に出かけたりしてくれていた。

何もかもうんざりだった。

…とりとめがなくなった。そんなこんなで私もパニック持ちだ。今もストレスがかかることがあると寝入りばなに死にそうな気持ちになって飛び起きるし、コーヒーを飲むと発作が出やすくなるからあまり飲まないようにしている。

20代の頃は早く死にたいと思っていた。

でも30代になって厄年を超えて、「とりあえず生きててもいいんじゃね」とちょっとずつ思えるようになってきた。

ちょっと前にも母親が首吊って死にそうになって入院した。鬱血した顔を見て泣けてはきたが、「母が生きててよかった」と思えるようになった。

私には元増田さんのような情の深さはないし自分かわいいし懐も広くはないから、母親を受け入れることは一生出来ないだろうと思う。父親には任せっぱなしで済まないと思うけど、なかなか家に帰れない。ごめん。

網膜色素変性症は遺伝の可能性があるから、私も発症するかもしれないし、子供に遺伝するかもしれないと考えると結婚出産はする気がないけれども、人生の伴侶を見つけた元増田さんが羨ましいな~と思ってしまう。私、心狭いなあ。私の分も幸せになれよこんちくしょう

でも人をうらやんでても自分自分だからしょーがない。私は事情を知って受け入れてくれている友人に心から感謝するしかない。

私に生きる場所をくれた人だ。ここがあるから、私はとりあえず生きていようと思える。公務員にはなれなかったけれど、正社員でもないけれど、とりあえず働いて生きてる。働ける体がある。仕事とは別に一生続けられる技術も身につけた。

そしてオタクバンザイ漫画アニメゲーム小説がなければ、私はとうに死んでいただろう。

死んでも世間的には害がないんだろうけど、ここで死ぬのはシャクだからもっと生きてもっと働いてもっと本読んでWEB見てゲームして遊ぶよ。

私には支えてくれるものがたくさんある。けれども母にはない。今年は私にとっては正念場だ。後悔したくないからちょっとだけ頑張ってみる。

母の世界は、母の中にしかないのだ。目を閉じて耳を塞いでも、目も見え耳も聞こえる私では想像出来ない世界に母は住んでいるのだから。

それを肝に銘じておかないといけないなあと思う。

人格者にはなれない人間が、過去を整理するためにつぶやいてみた。

…こうやって並べてみてみると、自分本当にキャパ狭いな…。だから増田で書いたんだが。

ごめんねばあちゃん。頑張ってもう少しだけ母親に優しくしてみるよ…出来るといいなあ。

2009-05-05

鬱なので書き散らす

ヤバイ。鬱ヤバイ。マジヤバイ。とか言ってる場合じゃなくて本気で辛い。起きてるだけで辛い。昼寝しすぎて夜寝不足になって夜4時ぐらいにうわあああああああああああああああってなったり荒く深呼吸したり頭を抱えて髪を掻きむしらないと落ち着かないぐらい辛い。

周りからいろんな情報が頭に入ってきてその一つ一つにイライラするぐらい過敏になってる。繰り広げられている増田ブコメやりとりtwitterの呟きやふぁぼったーを見るだけでいちいち気にしてしまい、「こんな発言は自分には真似できない!」などと恐怖畏れを抱いて頭を抱えてしまう。真似してもらいたくもないだろう。要は同程度に価値のある発言ができないということ。eigokunとかと比較しているのではなく、一般ついったらーと比較してももうダメ

夜眠れないからニコニコ動画とかニコニコ生放送とかを見て暇つぶししたりするのだけど(手頃だから)、まず気になるのはこうした「自分にはできない」部分に過敏になって素直に楽しめない、というより笑いとかどころじゃなくてさらに鬱っぽくなる。見てらんない。才能の違い、みたいなのかな。自分と同じ人間なのか、もしくは自分人間ではないのか。引きこもりだから確実に真人間ではないだろうけど。想像力もなくなった気がする。

原因として思い当たるのはやはり薬。そりゃ一番ひどかった昨日は手違いで薬を一度に2回分飲んだからかもしれないが、それでも不安が確実に増大し始めたのはその薬を飲み始めてからだと思う。

今にして思い出せば「匂いが気になる?」「他人の態度が気になる?」という質問に肯定しただけでそれを主な症状だと決め付ける頼りにならない奴だった。確かにそういう感情はあったけど、けして自分の悩みはそれがメインじゃない。もしくは自分コミュニケーション能力不足から来る誤解。

もともと病院に行ったのは、自分の無能さ加減で厭世感情を抱いてるのに親に早く将来決めろと言われるのが嫌で、病院で治す口実で引きこもり期間延長したかったからなんて口が裂けても言えない(でも口に出さずに増田には書いちゃう)理由があったことは否定しないけど(もちろん打開したいという意志はあった)、過敏になったことで自分の無能さ加減が際立って見える。もし不安を感じなくなったとしても、不安が膨れ上がった感覚は忘れられない。自分の像がくっきりと浮かんできた瞬間だった。

病院に行ったのにさらに鬱をこじらせてしまうとは思わなかった。当然の報いなのかもしれないけれども。

不安な原因を書き連ねようと思ったけど具体的に思い浮かばない。排気煙のように暗くてぼうっとした不安が頭を取り巻いてる。ごめんうまくいえない。何も出来ないのが怖い。自分がかわいそうに思えるぐらいの無能じゃなくて、天才とは言わなくとももっと人並みに出来る子だったらここまで思い悩むこともなかったろうとは思う。みんなそう?嘘だね。

とりあえず、連休明けにまた病院に行く。自分不安にさせていたであろう薬は今は無くなって、別の新しい、リスパダールという薬を処方されてるけど、自分事情を今一度話して、理解を得られるか試みたい。

ピンポイントで効く薬や療法で対処してもらえるとは流石に幻想だから思わない。ただ、また理解を得られなかったり、対処法が無かったとすれば、どう生きていけばいいのだろう。

2009-04-06

ぼやき

18:41 2009/04/05

 デパスリスパダールを一緒に飲んでいるせいか、ちょっと動くだけで疲れてしまう。

やる気も出ない。

18:42 2009/04/05

 絶えず何かに追われているような感じがする。これじゃあ、休養がとれない。

18:44 2009/04/05

 もう働きたくない。誰かに会うのも、朝起きてエンジンを動かすのも嫌だ。ゆっくり休みたい。

13:16 2009/04/06

 「女の胸を見て、いやな目にあった。それが高じて非モテになった」と書いたら、「次は親のせい。社会のせいにするのか」と言われた。

 こういう人たちは自分のせいにでもすれば満足するのだろうか。

2008-09-04

私は本当に病気なのか?

ある時期から異様に気力がなくなり常に死にたい気持ちになり怪しい独り言をぶつぶつつぶやくようになったので、これはまずいと小さな病院に行った。そしたら薬をもらった。その時は分からなかったことだが、統合失調症だと判断されたらしい。その薬を飲んでたら、怪しい独り言はつぶやかなくなった。

でも異様にない気力と死にたい気持ちは2年その薬を飲み続けてもどうにもならなかったので、病院を変えた。

病院を変えて新しくもらった薬を飲んでたら、気力も回復し死にたいとも滅多に思わなくなった。それから1年。もう自分は病人ではないと思う。

時折は死にたいと思ったりする。失敗したら自分の頭を殴る。そわそわしてじっと座っていられないときがある。それは事実だ。

でもそんなこと、誰しもちょっとはあることではないのか?そうではないとしても、もう薬ではなくて自分の心でどうにかする段階ではないのか?個人的にはそう思うのだが、医者は薬さえ適切に処方していれば全ての異常行動はなくせるとばかりに、あんなことがあったこんなことがあったという私の近況報告を聞いては、すぐにあれこれと薬を変える。それが新しい医者になってから半年ほど続いている。寝るときについ暴れてしまった、と話したときに処方されたリスパダールなんて最悪だった。翌日から次の病院までの一週間、異様な落ち込みと戦いながら過ごすはめになった。幸い、調子が悪かったと話したらリスパダールはすぐになくなったが。

なんていうか、次の診察を受けるまでの1、2週間の間には、一つや二つくらい異常な行動があるだろう。それらにいちいち過剰反応されて薬を変えられるのは正直たまらない。次の診察を受けるまでの1、2週間の間には、異常行動がないときもあるだろう。それで良かった薬が効いたと納得されるのが腑に落ちない。

だから決して薬を飲むのを止めたわけではないが、昔っから人間精神をハックするのに使われてきた手段にすがることにした。オカルトだ。盛り塩をして、祝詞を唱え、お香を焚いている。でも正直そちらもあまり効果を実感できない。

私は本当に病気なのだろうか?実はもうとっくに治っていて、異常な行動が出るのは薬の副作用だったりしないのだろうか?あまり薬に頼ることのない医者を捜すべきではないのか?本当にもう疲れているのだ。でも途中で薬を飲むのを止めたりしたらもっと悪くなるといわれている。下手な新興宗教信仰よりもタチの悪い脅し文句だ。怖いよ、薬止められないよ。

統合失調症は症状が非常に多岐にわたる。それらが全部治ったりした人はいるのか?それらの症状は本当に病気としてみるべき症状なのか?ただの性格ではないのか?私は普通の人よりちょっと怠け者で卑屈な人間というだけで、別に病気ではないのではないのか?

辛い。何で1/100が私なんだよ。そんなに頻繁に現れる病気なら、もっとあっさり治れよ。ああ、本当に嫌になる。

2007-04-04

お返事します。ご武運を。

http://anond.hatelabo.jp/20070403093638

 あくまでセカンドオピニオン、それも匿名のものとしてお聞きください。

PZC抗精神病薬です。主たる作用は幻覚妄想をおさえることですが、鎮静力が強いので、衝動性や不安感を和らげるにはかなりむいている薬です。五十代のドクターなら、使い慣れていることと思います。ただし、鎮静効果のために眠気が強い可能性はあると思います。また、体重増加の副作用が出やすいので、体重増加があるようなら主治医に早目に伝えて薬をどうにかしてもらったほうがいいです。

 

・疾患に関しては、現時点では統合失調症初期状態が考えられます。

 もともと、診断保留のうえでドグマチールを処方していたというあたりで、主治医の先生が「純粋鬱病」を疑っていた確率自体はかなり低いと思います。ドグマチールは今でも老年期鬱病に対して国内第一選択薬だったりもするし、実に様々な疾患に使われる薬なので断定は困難ですが、もしかしたら統合失調症への発展が考えられるかもしれないという診断保留の人にも結構処方されるものです。そこで「宇宙人が入ってくる」という表現の混じった妄想を仰った→PZCが処方されたという展開は、主治医は統合失調症に診断を切替え、本格的に抗幻覚妄想作用の強いPZCでいくことにしたのでしょう。

 

 「宇宙人が入ってくるようなタイプ妄想」は、他の精神疾患ではあまりみられない類のものです。この一言が、主治医の疑問に最終的な答えを導いた可能性もあるかもしれません。

 

・今後の処方は、まずPZC効果を評価することになります。ちゃんと内服していた期間を主治医に話してやってください。もし薬が眠気強すぎたりして減薬・断薬を勝手にやってたとしたら、その旨もちゃんと伝えて、代わりがないかとせがんでください。

 もし、薬が効かなかった場合には、抗幻覚妄想作用が必要そうなら、セレネースとかリスパダールとかいった、もっと抗幻覚作用の強そうな薬が出るかもしれません。不安や衝動が強ければPZC増量とか他のフェノチアジン系薬剤、またはセロクエルジプレキサあたりが処方されるやもしれません。このあたりは、PZCが効いてくれれば問題ないわけですが、PZCダメでも残存症状や展開にあわせて選択肢は多々ありますので、PZCが会わなくてもやりようは沢山ありますのでそこはご安心を。

 

 次に増田をみるのはずっと先のことになりますので、もうお会いすることは無いでしょう。しかし疾患をみつけたのが比較的早期ということもありますし、適切に治療すれば予後は必ずしも悪くないと期待できます(よしんば薬をやめられないとしても、薬を飲んでいれば病気と共存できるケースはいっぱいある、例えば喘息みたいな感じで)。悲観しすぎる必要は、今は全然ないと思います。しっかり神経を休める&その為に薬剤使用も躊躇わず、自分の心身をかためてください。

 

 ※あと、この匿名文章を診察室に持って行って、「こんな意見もありましたが、先生、病名は統合失調症PZC目的もこうなんですか?」ってきいてみるのが一番いいような気がする。

 

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