はてなキーワード: ラッピングとは
元増田です。
あれからいろいろ考えてるうちに、彼氏さんからの怒濤のメール攻撃があって、打ち抜かれてぼろぼろ。
もうすこし匿名ダイアリー使わせてください。でもグチにならないようにするぞ!
判ったことがある。
いつも”いいよいいよ俺が出すから”と、デート時の食事代を主に支払っていてくれた彼氏さん。
それは”出してあげたい”っていう気持ちより、”こんだけ出してやってる俺”って気持ちだったんじゃないかと思う。
私が半分渡したりしても、断固として拒否した。
ときに割り勘の時があったが、彼氏さん曰く”そういうとき無意識に無言になってるの気づかないの?”とのこと。・・・いや、出してもらうときも無言だけど。。(最後にお礼は言うけど)。
割り勘の時はたいていむこうが何か心に不満を持っているときだ。だからよけいに無言なんじゃないかとも思ってみる。
実は先日の旅行前もモメゴトがあった。旅行のほんとに直前だった。”(某アミューズメントパーク)のチケットは各自Loppiで買おう”と言われた。仲直りしかけで、まだ心に何かを抱えているのが判った。
私が彼氏さんにとって期待はずれのことをしたとき、彼氏さんは”あんなに金かけてやったのにそれかよ”と思ったのだろう。
手作りのマーブルチョコチーズケーキとフロランタン。あんまり甘くない物がいいと言ってたなー、とじっくり探し、1週間前には予行演習もし、ラッピングも好みに合わせて。
しかし私のしたことは”自分が主役”の自己満足なんだそうだ。そう言われてしまったら手作りチョコって何なんだろ・・・。
ゴディバより予算かかってるんですが(←ああ私も心がケチになっている)。
友達には言うまいと思っていた。こんなくだらないことで相談するのは申し訳ない。しかしどうにもならなくなって彼氏さんと共通の友人夫婦に電話をした。
彼氏さんはこの友人夫婦に話されるのを好まない。私は彼氏さんのブログで世界中に文句を発信されてるけど(笑)。前の喧嘩で、ついったーでネガティブなことを書くことすら否定されたので、私はこの匿名ダイアリーにすがったのだ。
友人夫婦に話されるのがイヤってことは、自分の意見に自信がないからなんじゃないかな?と思うんだけど。
友人
”心がケチならすべてがケチになるよ。そしてその攻撃を受けた○○ちゃん(=私)も心がケチになってしまうのよ。ウチのだんなはお金にケチだけど心はケチじゃないよ。あ、たまにケチだけど(笑)。
○○ちゃん、ちゃんと怒ってること伝えなきゃ。文句言われたことに説明で返しても、言い訳としか思われないよ”
私
”だって同じように「距離を置きましょう」ってヤケで返したら、学がないというか・・・(むにゃむにゃ)”
友人
私
”はっ!!!”
友人の言葉で我に返った。
この週末は、自分を見つめ直そう。
340円の商品をギフトでと頼まれたので20個近くラッピングして、
のしに**祝い***とか印刷して貼ってつめつめしている。
なかなか地味なのに大変な作業でなにかものすごいワークプアを感じた。
ワークプアというか、どう考えても赤字なのでやればやるほど身を削られる思いだ。
損して得とれとはいうけれど得を取れるようになれるまでは損をし続けるしかないのか。
最初525円の商品だったのだけど、予算が500円しかないというので、
だったら340円のがありますよとすすめたのは自分なんだ。
のしつけますよといったのも自分なんだ。
人がいいだけじゃ商売はできないのだよ増田くん。
いったいどうしたらいいのだろうねぇ。
得をとれる仕組みを先につくらなきゃいけないんだろうけど。難しいや。
おおっぴらに女装とか絶対出来ないけど、かわいい服を着てみたいという衝動に駆られることがあって
落とし所として、かわいいパジャマを買ってみたりするのですが、
そういう物が売っているのって、いわゆる「雑貨屋さん」とか「ファンシーショップ」とか呼ばれてる店で
まあ、そういう所で男一人で入って物を選んでレジへ持っていくというのは、なかなか心拍数が高くなる行為で
免罪符的(それが誰に対して何のためになのかは聞かないでくれ)に「ラッピングしてください」とか言ってみたりしがちです。
でも、女性にパジャマをプレゼントってどういうシチュエーションなんだ、あれか、結核で療養している深窓の令嬢が相手か。
あと、家で奇麗にラッピングしてある包みを解くというのはそれなりにへこみます。こんな丁寧につつんでくれたのにごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20070517011526
色々なトラックバックを頂きまして、本当にありがとう。増田は優しいね。それに大人だよ。
ところで、ぼくなりの、10日前のぼくへの答えだけど、
きっとぼくは、あの初恋そのものが幻だったことに、気がついてしまったんだと思う。はっきりと。
変わらずに明るく、ずっと綺麗になっていた彼女と再会して過ごした数時間は本当に楽しかったのだけど、
それは、高校時代に比べて随分増えた、他の活発な女友達と一緒に過ごす時間と、大して変わらなかったんだ。
うすうす、そのことに気づいてはいた。
それでもぼくは彼女をどうしても、「思い出の、叶わなかった初恋の彼女」にしておきたかったんだ。
だから、色々なエピソードを持ち出して思い出を綺麗にラッピングしたり、
増田に何か書くときも、セックスや彼女の恋人の話を持ち出して、無理して自分を傷つけたかったんだ。
なんとかして泣きたかった。そしてその上で、無理して笑いたかった。そうやって自分の物語を完結させたかった。
「思い出の彼女」と最後まで結ばれない、可哀想な自分でありたかった。
http://anond.hatelabo.jp/20070417112839
花屋さんに売ってる。盲点といえば盲点。
だけど、百均やカトラリーショップ(要は金物屋・雑貨屋さんね)のほうが探しやすいかもしれない。
でも、やってみるといいと思うのが、何でもいいから適当な瓶を見つけてきて生ける。瓶そのままだと流石にアレなので、アルミホイルやラッピングペーパー(レインボーセロファンなど)、リボンを適当にアレンジしてくるんでやる。花束っぽい即席花瓶のできあがり。こいつは倒れやすい場合があるので、そこだけ注意。
何故そういうことを言うのかというと、花の入ってない花瓶はことさらに淋しいからだ。普段はドライフラワーでも差しておけばいいだけの話ではあるが。
http://anond.hatelabo.jp/20070304233637を見て、書こうと思って止めてたこと書いてみる。
今日(3/4)、ホワイトデーの準備を仕込んだ。といっても社内の義理のお返しだけど。本命なんてないんだけど。
10日前って流石に早いとも思ったけど、まんがいち来週末動けなかったら間に合わなくなるので念のため。
日頃チョコレート好きを標榜しているので、たとえ義理のお返しといってもちょっとこだわりたい。自分が食べておいしいと思ったものを贈らずにどうする。というわけで、気合いを入れまくるならば、シガールチョコといういまや幻となってしまった絶品チョコがあるのだが、今回はそこまでする気にはならない。デメルとかも切り札だけどそういう常道を行ってもなんだか。無論、スーパーやコンビニに置いてあるようなホワイトデー向けのパッケージ商品など犬にも食わせられまい(自分で食う)。今住んでる地元で頑張ってる企業ということでメリーチョコレートというのも考えたのだけど、まあ(自分的に)普通すぎる気もしてやめた。
向かったのはディスカウント系のショップ。輸入食材なんかも結構扱ってたりする。ここにお気に入りのドイツチョコがあることはわかっていたので、他には目もくれず探す。今思えばギリアンあたりで手を打ってもよかったかも…。残念ながら私の一番好きな型番はなかったのだが、5種類ぐらいみつくろって購入。くれた人は2人なので2個ずつ。実を言えばその5種類全部実際に食べてみたことがあるわけではないのだが、まあ間違いはないだろうということでちょっと妥協。¥2000が飛ぶ。
パッケージをどうしようか、ということで、オリジナルを練ってどうこうという気力もないので安直に文具屋でラッピングバッグを購入。¥1000が飛ぶ。ただ、これはもう袋にどさっと突っ込んで口を結ぶだけでいいので、センスとか一切気にしないですむ。中身で勝負。勝つも負けるもないけど。
正直、自分でも、そこらへんで見繕った義理チョコにここまで、という気はしなくもないのだが、一応3倍返しぐらいのことにはなっているだろう。バレンタインだホワイトデーだという流れのなかでまずい菓子が世の中に氾濫するのは許せないから、せめて自分ぐらいは、自分の舌で選んだ良品を世の中に回したい。これは最早、”男だてらにチョコ好き”の意地でしかない、笑うなら笑ってくれ。
愈愈、明日である。試作品は親友からも良い評価を貰い、私も人生初のブラウニーとして一口だけ食してみたが、思った程は甘くなく、濃く入れたブラックの珈琲によく合うお菓子だった。つまり美味であった。
先程焼きあがった本番用ブラウニーは、現在網の上で冷却を待っている。前回の反省を踏まえ、焼いているオーブンに近づく際は鼻栓をして挑んだ故、焼き上がりの匂いで胃が悪くなるという現象を防ぐ事に成功。あとは適宜切り分けて箱に入れ、ラッピングをするのみである。
勝負下着とは――彼奴と戦う為ではない、即ち己との戦いの為のものである。片想いの相手なら兎も角、高々彼氏にチョコレートを渡す為だけに勝負とは、なんと小さな勝負だと笑う方も居られよう。果たして勝負とは、決戦とは、「出来事の大小」が「重要である事の大小」と其の儘対応するものなのだろうか?
明日は私以外の人間にとっても決戦である。最悪何らかのアクシデントが発生して別れるかもしれない(この事態だけは無いと信じたいが)。彼は他の女性からアプローチされるかもしれない(此れは流石に判らない)。バレンタインデーには、別に彼女の居る男にチョコをあげてはならぬという約束事など無いのだ。私はあらゆる事態を想定し、考えうる限りの敵対勢力に負けたくないのだ。負けたくないからこそわざわざ苦手な手作りで挑むのだ。それはおかしな事だろうか?
見えざる敵に脅える暇があるならば、私は最良の決断と行動を選択する。それだけの事だ。
態態私の書く日記を読んでくださる方々、もう少しだけ、お付き合い願いたい。
扨、彼氏に向かって果たし状を突きつけるのは新ジャンルに成り得るのでしょうか。
手順については、ほぼ問題なし。「此れは理科の実験だ」と思いながら材料を混ぜ合わせ、ブラウニーの生地を順調に紙箱に投入、後はオーブンで焼き上がるのを待つ。しかしながら、オーブンから漂う無闇に甘ったるい匂いが、近くで洗い物をしていた私の胃を直撃直撃一撃必殺短気決戦即KO。出来上がってから、軽く冷ましたブラウニーを口に運ぼうとするも、全くもって食す気にならず。
結局、甘い物が苦手な母上と、甘い物と酒が三度の飯より好きな父上に試食して貰う事に。母上曰く問題なし(ただその後で胃を悪くしたようだが)、父上曰く甘くて旨いとの事。ナッツの分量も此れ位のものだろうし、次も此の儘のレシピで作成しても大丈夫だ、流石にキットを使うと失敗がないな、という評価を貰う。流石に食べきれないので半分残しておき、ラッピングして明日逢う親友に「友チョコ」として進呈する予定。
扨、13日の真夜中にもう一度ブラウニーを作り、14日の夕方、いよいよ決戦である。身を清め、褌と晒を締めて挑む所存。
VNIとは懐かしい。しかしながら褌と晒姿で自作チョコ持ってる侍はあまり萌えにはならぬと思うのですが。なるのでせうか……と思いつつちんたら本題を書いておったら、
ktkr。(当然)褌ではなく袴。(中の人とは大違いで)大変美人である。こうやって「朴念仁侍」というキャラが一人歩きしていく様子は大変楽しいものです。有難う御座います。1024回保存しました。
先日無防備にほいほいと立ち寄って、見事に玉砕したスーパーの特設コーナーへ足を運ぶ。
この前の敗因はあれこれ見てしまった事による混乱であるからして、つまりキットのみを買えば他に目移りする事もなく購入が可能だと考えた。名付けて「サーチアンドデストロイ大作戦」! 方法は単純明快、ぶらうにぃの手作りセットの箱をむんずと引っつかんでそのままレジへダッシュ、そして購入。みっしょんこんぷりーてっど。そのままスーパーから脱出し、外でこそこそと必要な材料をチェックしておる私はまさに不審者そのもの。
アレンジとして記入されていた「ドライフルーツや別のナッツ類を混入する」のは色々な意味で危険だと判断した為、特に別途買わなければならぬ材料はなく(但し牛乳が無いのでそれだけは後日購入とする)、ラッピングの材料を買いに雑貨屋へ。ブラウニーは茶色い菓子だからという理由で、特に何の考えも無く白・茶・黄の組み合わせになるように包装紙とリボンを購入。リボンて。今時リボンて。むしろこの年でリボンて。と妙な突っ込みを脳内で自分に入れるが、何、大した事は無い。このいずれ塵となるものを所持するのは私ではなく彼奴だ。呵呵。
Google Maps以前のころ。ヘビーユーザーのあいだではJavascriptオフが常識になっていた。度重なる時計の再発明に業を煮やし、IEのActiveXに警戒心を抱き、不安定なOSをさらに不安定にするため暗躍するのがJavascriptでありJScriptだった。
Google Mapsがあれだけのインパクトを与えたのは、ひとえに、こういった先入観を打ち砕いたからに尽きる。信じられないことに、Javascriptって便利なのだ。実に見事な枯れた技術の水平思考である。
Ajaxという言葉が帰納され、ライブラリがぼこぼこと発表される。ネイティブオブジェクトの拡張と、クロスブラウザのための供物ラッパー集合体たるprototype.jsを筆頭に、様々なものが世に出、様々なアプリケーションがより手軽に実装できるようになった。
script.aculo.usやLightBoxやmoo.fxといった、エフェクト中心のライブラリも出回り始める。IEのせいで煩雑な記述を強要されたグラフィックアーティストが、DOM操作によって問題を解決しようとし始めた。リンクにmouseoverしたらうっとうしいエフェクトを振りまくスクリプトが当たり前のように設けられた。このはてなも、いつの間にか大量のMochikit/*.jsを読み込んでページのレンダリングを遅らせている(たまにad.hatena.ne.jpのレスポンスが遅いときなど目も当てられない)。これらに共通することは、多くの人がそれを望んでいないということだ。
もちろん好ましい方向への進化もあった。OperaがUser Javascriptを発案・実装し、FirefoxもGreasemonkeyでそれに追随。SafariもCreammonkeyを得て、いわゆるモダンブラウザユーザーは、豊かなスクリプトライフを楽しめるようになった(IEにもなんとかいう同様の機構を実現する環境はあるが、IEユーザーには敷居が高いのかほとんど見かけない)。Livedoor ReaderやGoogle Readerはイベントを操作することで、キーボードでの操作を今までにないほど豊穣にした。入力フォームのリアルタイムバリデーション、Google AnalyticsやAdsenseの導入容易さなど、見るべき意匠もいくつかある。
しかし平均的に考えて、何の変哲もない個人ブログにJavascriptは必要ないものだ。素人がつくったタイマーは、いつもユーザーを憂鬱にする。素人がつくったAjaxサイトは、だいたいの場合IEとFirefox以外を排除するもっともらしい理由を得るためにAjaxを使う(Dellが自社サイト上で「Netscape4.6以上で閲覧せよ」と警告することによって、やる気のなさを主張するようなものだ)。
我々が自分のブラウザ上でページを表示するとき、Javascriptによる意外な効果などまったく期待していない。UIにおいては最速こそ正義、というmala氏の言葉を引用するまでもなく、不必要に重いサイトはそれだけで忌避するに足る理由となる。流行を追って常識を忘れるのは愚かとしか言いようがない。
Firefox(のNoScriptアドオン)とOperaは、ページごとサイトごとにきめ細かなJavascriptの挙動を設定できる(不勉強にしてSafariについては知らない。IEはできない)。Javascriptに限らず、広告ブロックや不要ファイルの無視、特定Flashの再生可否など、ユーザーは「何が要らないか」を指定でき、要らないものを気軽に突っぱねられるようになった。不要なものを除去する習慣が、ヘビーユーザーのあいだで間違いなく形成されつつあるのだ。
何かひとつのことをするためのJavascriptは、これからしばらく出現し続けるだろう。ウェブマスターが、重厚長大な飾りで貧弱なコンテンツを隠すためだけに。何かを拒絶するテクノロジーは、今後しばらく発展し続けるだろう。十重二十重のラッピングに疲れた人たちのために。