はてなキーワード: ラッピングとは
>岡部氏のコードは時間軸を抽象化したファーストクラスになってないでしょ?
つーか、おまえの悪質なイチャモンにはうんざりしてるんで、なってないでしょ?とかほざく前に、どこがどうなってないのか?「お前が意味を理解していること」の大前提を当然同時に示しながら批判するなら批判しろや。
>自分で書き換えるんじゃ抽象化されてないじゃん。自分で書き換えなくても、フレームワーク側で自動的に最新の状態に保ってくれる仕組みが「時間軸を抽象化」してるってことでしょ?
えーっとどういうこと?
マウスイベントをFRPライブラリでラッピングして、そのラッピングした場所に、リアクティブな処理を書き込むのがFRPライブラリだという定義?
で、どこの誰がそんなオレオレFRP定義をしたんだい?w ソースをどうぞ?W
あのなあ、「時間軸を抽象化したファーストクラス」ってのは、別にイベントから自動的に更新される「読み取り専用」じゃねーのよw
イベントと紐付いてない、他の、「時間軸を抽象化したファーストクラス」との関係性を記述するときに「読み取り専用」ならどうやって記述するの?
おら、こたえてみろボンクラ
>岡部氏のコードは時間軸を抽象化したファーストクラスになってないでしょ?
つーか、おまえの悪質なイチャモンにはうんざりしてるんで、なってないでしょ?とかほざく前に、どこがどうなってないのか?「お前が意味を理解していること」の大前提を当然同時に示しながら批判するなら批判しろや。
>自分で書き換えるんじゃ抽象化されてないじゃん。自分で書き換えなくても、フレームワーク側で自動的に最新の状態に保ってくれる仕組みが「時間軸を抽象化」してるってことでしょ?
えーっとどういうこと?
マウスイベントをFRPライブラリでラッピングして、そのラッピングした場所に、リアクティブな処理を書き込むのがFRPライブラリだという定義?
で、どこの誰がそんなオレオレFRP定義をしたんだい?w ソースをどうぞ?W
あのなあ、「時間軸を抽象化したファーストクラス」ってのは、別にイベントから自動的に更新される「読み取り専用」じゃねーのよw
イベントと紐付いてない、他の、「時間軸を抽象化したファーストクラス」との関係性を記述するときに「読み取り専用」ならどうやって記述するの?
おら、こたえてみろボンクラ
まず、
1.繰り返しになるが、お前の言う「グローバル変数」とかいうイチャモンは批判になっていない。なぜなら、サンプルコードでそれがグローバルなのは、単に、マウスイベント、座標と、階層が一層の単純で、一層=グローバルになっているだけ。おまえの初見の思い込みを延々と押し付けてトンチンカンなイチャモンつけるな。
2.ブログや公式サイトにさんざん説明されているとおり、FRPとは時間軸を抽象化したファーストクラスにリアクティブな関数をひも付けたもので、その実装とDEMOコードがさんざん示されている。その上で、「おれのおもってること違う?」とか、馬鹿が駄々こねているようにしかみえないし、「違う」と切り捨てる気にしかならない。
3.FRP変数、定数と、リアクティブな振る舞いはサンプルコードにおいて接続されて実装されているし、自分でイベント拾って、とか、そのイベントをあるFRPライブラリがわざわざなんかでラッピングして、無駄に使いにくくしようとも、素のママでかけるFRPライブラリであっても、FRPライブラリはこうであるはずだ、とかいうお前の無知とは無関係。
最近コミケにサークル参加するたびに「差し入れ」を持ってくる人が増えている気がする。
昔はサークルに差し入れっていうと、サークル主と仲の良い友人や知り合い作家からなんかの「気心知れた仲間」からのちょっとしたもの(文字通りの「差し入れ」)がメインだった気がする。
もしくはサークルの熱狂的なファンからの「貢物」に近い差し入れが時折くるかな、程度。
だけどここ最近、仲良くもないし知り合いでもない人から「差し入れ」と言われて何かを渡されることが増えた気がする。
自分もこの前の夏コミでは全く話したこともない、顔も知らない人間から「差し入れです、どうぞ」と言われてコンビニ袋を突き出された。
そのコンビニ袋を覗くと、変形したコンビニおにぎり(辛子明太子味)とサンドイッチ、そしてウィダーインゼリーが入っていた。
真顔になりそうなのをどうにか抑えて、その場ではひとまず受け取ったが、その後すぐに捨ててしまった。
冷静になって考えてほしい。
名前も知らない、初対面の見ず知らずの人間に「どうぞ」と言われて食料品(しかも傷みやすい)を渡される……正直恐ろしいし気持ち悪い。
自分の手に渡されるまでにそのコンビニ袋withおにぎりたちはどんな環境下に置かれていたのか……。
真夏なんてただでさえメシは腐りやすいんだ。コミケで万が一腹を壊したらあの超行列のトイレに並ぶことになる……。
そして次に現れた見知らぬ差し入れマンも最悪であった。
差し出されたビニールラッピング(100円均一に売っているようなポリミニ袋に針金で封をしてあるだけの簡易的なものだ)
見知らぬ初対面の人物からの手作りクッキー(しかもお世辞にも美味しそうではなかった。全体的に形もめちゃくちゃでコゲッコゲだったのだ)をこれまた真顔になりそうなのを抑えてひとまず受け取ったものの、その後先ほど述べたコンビニおにぎりたちと一緒に捨ててしまった。
身元不明人物からの手作りお菓子……正直言って何が入ってるかわかったもんじゃない……。気持ち悪い以外の何物でもない。
美濃加茂市ののうりんポスターの件についてダラダラと。長くてごめんなさい。
こんな一瞬でゾーニング事案だなーと判断できる事で賛否?と思ったけれど、
twitterで美濃加茂市を擁護する人たちの苦渋に満ちた様子を見るとなぜかそんな簡単に割り切れるものじゃないらしい。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/E1448932351189.html
↑に賛否両論の要約があるが、
擁護派の多くの意見は各々の感情をそれ風な理屈で見えづらくラッピングしたものでしかなく、
ポスターを見た子連れの母親ひとりの「エロいポスター貼るな」の感情的な一言に耐えられる強度には到底達していないと思う。
本来、この話は「エロに限らず、パブリックな場に好き嫌いの分かれるものはやめよう。見たくない人が避けられないから」で終わりなはずなのだ。
表現規制とかフェミニズムとかセクシズムとか男女非対称性とかオタク差別とか逆差別なんてものよりずーっと前の段階の話をしている。公共の福祉だ。
しかし、賛否の溝は埋まらず、対話なき泥沼戦争、納得のない罵倒合戦に突入している(ネットの一部で笑)。
擁護派の不満と鬱屈は吹きだまり、彼らの苛立ちと諦念はつのっている。「これだからフェミは…」「PTAかよ」と唾を吐く。
彼らは何かにむかついている。自治体ではなく、自分たちへの強い抑圧を確かに感じている。ポスターをはがされた事以上の抑圧を。
多くの擁護派=いわゆるオタクがクレームに対し息苦しさを感じている、その根幹の感情は何か?
自分たちの愛する創作物が「猥褻物」とカテゴリーされたように感じるのが堪え難いのだと思う。
twitterで目についたオタクの多くが感じているらしい理不尽は、「実写の水着の女性ポスターはあるじゃないか」「コンビニのエロ本は…」「〇〇は…」そして、「何で二次元だけ」。
これらの不満はその例の全てが、適切なゾーニングが全ての性的な要素を持つものになされていないため起きた問題だ。
見たい人が望めば検索して1秒でエロにありつける時代に、見たくない人がコンビニでエロ本を目にしてしまう世界は絶対におかしいと私は思う。
そんなゾーニングの未熟な日本の「猥褻物」の定義は、ひとつ明確には、性器が見える事。
それに伴い法律逃れの暗黙の了解に基づいた謎文化”モザイク”はひどくガラパゴス的で、はっきり言って非常にバカバカしい。
二次元のちんこに黒線を引いているのも、裸のうんこと一緒にモザイク付きのまんこが映ってるのも、本当にバカバカしい。
一方でレスリーキーやメイプルソープ、ろくでなし子などのアート作品を「ムシュウセイだからワイセツ」と取り締まるなんて、もう、自分たちはエロにすらマニュアルがなければ判断の下せないアホですと言っているに等しい。
公的機関が定義におもねるあまり認知が歪んでいるから、今回の絵の性的な香りに自治体が気付けないし(アホか)、撤回されたらされたでファンは「自治体に猥褻とみなされた」と傷つくのだ。
もっと単純に考えよう。国が定めた「猥褻」なんていいかげんな基準に従ってものを取捨選択することが最早今の時代ではリアリティがないのだ。私たちは未来へ進まなくてはならない。
もうさ、全ての表現物は映倫みたいにレーティングしよう。写真も映像も文章も立体物も漫画も音楽もイラストも広告も製品も。一般、R12、R15、R18って。
R18以上は全ての表現規制禁止。性器にモザイク廃止。完全なる自由。
R15は今回ののうりんみたいな判断分かれるなってやつ。R12は水着とか肌面積多いやつみたいな。
んで置く場所を決めるの。公的だって判断された場所では最低でも一般以下の表現しか置かないようにしましょう。自治体、駅、公道とか。コンビニとかyahooなどのポータルサイトとかはR12とか。
大衆本屋なんかはそれぞれ置く場所を変えて、「嫌なら見ない」「触れない」ができるようにしてほしい。もちろん配慮しない店があってもいい。入らない自由があるし。
ていうのは超適当な妄想だけど、それくらいのグラデーションで分けてやっと個人の最大公約数的な”快不快”に寄り添えるんじゃないかな。
ていうかこの案、あまり今と状況が違うとは思わない。めんどくさいだけで。R15、12なんて自主規制の範囲でできるんじゃないの(それが理想)。
んで全てのものがこれくらいライトにレーティングされることが当たり前になれば、「猥褻物」なんて屈辱的なレッテル無しに物事を区分できるのではと思う。ちょっとくらい基準が明確でなくても、18歳越えたら何もかも見れるんだしいいだろう。
今の公的な「猥褻物」の判断はおかしいし、本当に目的の性道徳・性秩序の維持に役立ってるのか?といえば、ジュニアアイドルなんてものを放置してる。あれがエロ目的でないなんて言う奴がいたらぶん殴ってやりたい。
アマゾンギフト拳とかituneカードとか図書カードとか、金券みたいなのって邪魔にならないしよくない?ラッピングすればプレゼントっぽいし
私はそこらへんに転がってそうな普通のアラサ―OLだが、ここ数年で人様に物をあげなきゃいけないシーンが爆発的に増えた。
同期にあげるプチギフト、先輩に渡すお土産、彼氏の誕生日プレゼント、友達へのお祝い、父の日、母の日、親戚や恩師に贈るちょっと値の張る品など。
ぶっちゃけ毎回考えるのが面倒くさい。かといって一つの商品を色んなイベントに使い回すのも面白くないし、ちょっと冷たい気がする。
若い女性は「貰った物」「あげた物」の話をあまりしない。良いものの話は自慢になり、悪いものなら悪口になるからだ。だからリアルではなかなか情報を得られない。
Google先生に助けを求めても、「女友達が絶対喜ぶ!厳選プレゼント〇品!」と銘打つクソみたいなまとめ記事や、知恵袋の過去質問、「プレゼントに最適!」な文句付の楽天商品(品質も謎…)ばかりが表示され、全くアテにならない。
口コミサイトは様々なジャンルに広がっているのに、何故「贈り物」に特化した使い勝手の良い口コミサイトが無いのか甚だ疑問である。
という訳で、贈り物口コミサイトで、あれば便利なのに、と思った機能をつらつら書いていく。
ネットのことはサッパリ分からないので専門家の誰かさん、作って下さい。てか似たようなサービスがあれば誰か誘導して下さい。たのんます。
実店舗商品でもネット販売でもお取り寄せでも何でも構わない。(ただし混ざらない様に詳細検索などで個別に表示できるようにして欲しい)
とりあえず基本情報+ユーザーの口コミ(☆数)が見られる。イメージは食べログ。
大事なのは、その商品を貰った側と、あげた側の口コミを分けて見られるようにして欲しい。
(例:この口コミ投稿した人友達に似てるなぁと思ったら、その人の投稿履歴を見たりして今後のプレゼントの参考にできる)
あげた側は商品が手に入るまでのコスト(価格、時間、ラッピング等のサービス)と反応を投稿する
→その商品の使い勝手がすぐに分かる。(例:そんなに親しくない相手にとりあえず何か贈らなきゃいけない時に便利)
勿論ランキングも貰った側/あげた側で表示されると良い。両者の☆数を合算したランキングがあっても良いと思う。
各ユーザーがざっくり年代、職業、収入…を登録しておいて(公開範囲は選べる)、投稿した全ての口コミにそれらが暗に紐付けされる。
トップの検索窓は「商品」×「イベント」とでもしておき(例:万年筆×バレンタイン、万年筆×進学 等)
詳細検索で更に厳選できるようにしておく。(予算や手に入るまでの日数、地域、相手の性別や年齢など)
(例:「ブーケ ピンク ピアノ」と検索したら、ピアノの演奏会に出た人に渡したピンクの花を使ったブーケの口コミがズラッと出てくる)
更に言うと、検索結果は自分のプロフに沿ったもののみ表示してくれたら尚助かる。
(高校生が「プレゼント バッグ」と検索したとして、高級ブランドバッグが表示されてもあんまり意味がないと思うので)
旅行先でお土産を買う時に便利。現在地から検索し出てきた実店舗一覧から、詳細検索で、お土産をあげる相手にぴったりな店を探すことが出来る。(箱詰め、熨斗、地方発送対応の可否もその場で確認できる)
営業先で小マシなものをすぐ用意しなきゃいけない時にも使えると思う。
予算と状況を設定すると、物を複数組み合わせて提案してくれる機能。
ヤフー知恵袋みたいにカテゴリマスターを置いても良いかもしれないし、
企業とコラボして「予算〇円!新商品△△とコーディネート」みたいな企画でコンペをやっても楽しいかもしれない。
とまぁ、ざっくり思いついたのを適当に書いてみたが、どうだろうか。
ぶっちゃけネットを知り尽くしている専門家達は何千回も思いついているサービスの筈だ。
それでも無いということは、こういうサービスは儲からない何かがあるんだろう。それに個人がすぐ特定されちゃいそうだし。
要は何が言いたいかというと、
相手が喜んで、自分もちょっとだけ満足できて、できればお財布に優しくて、華があって、でも嫌味にならないプレゼントを毎回考えるのにもう疲れたので
誰か代わりに考えて下さいってこと。それだけです。
こちらの記事(http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)を投稿させていただいたものです。
ちょっと苦しい思いを吐き出したいがためにこちらのダイアリーを使わせていただきました。
コメントを読んで、ぼんやりと言いたいことが浮かんできましたので、
お付き合いいただける方だけ、どうぞ。
徒然なるままにってやつです。
さて、前回の記事の前置きとして二つの事柄に触れておきたいと思います。
私をメンヘルとご指摘くださいましたが、その通りです。
もうひとつの記事でも触れましたように、私は精神病を患っています。
そのため、そういった病気に無縁の方とはかなり違った解釈をしている部分も多々あると思います。
なのでメンヘラと呼ばれても仕方のないことかもしれません。
なので、先ほどの記事で不快になった方は「メンヘラがまた何か言ってるよ」
くらいの気持ちでブラウザバックしていただいた方がいいと思います。
----------------------------------------------------------
確かに、この記事は異端と捉えることが出来ると私も自身も感じております。
元々、創作活動も盛んにしているので、創作というオブラートに包もうかとも考えました。
しかし残念なことに私が感じたことはひとつも創作ではありません。
それに創作というきちんと綺麗にお行儀よくラッピングされたものではなく、
創作になんてしたくなかった。
しかし、これを身バレのするところで呟いて、私と周りに迷惑をかけるのは避けたい。
取捨選択の出来ないコメントをぶつけられるのを相手にするのは、
ちょっと私の心の体力に自信がないので…
多数の前に少数は圧倒的に無力です。
----------------------------------------------------------
さて、以上の2点を述べさせていただいたので、
エゴと私個人の主観が多分に含まれるということを前提で話を続けさせていただきます。
私は確かに「この犯人の心境の一部に共感は出来ます」それは間違えようのない事実です。
しかし、「こんなに苦しんでいたんだから犯罪を犯していい」と、犯罪の容認をしたいわけじゃありません。
これからも申すつもりもありません。
私はこの犯人とは違いますし、多くの精神病で苦しむ人達もそうです。
精神病を患っていたとしてもこの考えに賛同できない人などかなりいると思います。
私は彼の気持ちを「共感」出来ます。それは「想像できる」ということです。
しかし、当たり前ですが、私は彼になれないのです。
どうか、その点だけは間違えないでいただきたいのです。
現実に起こしたことは消えません。まして、かけがえのない命を奪うことは大罪です。
誰もいなくなった人の代わりにはなれません。どんな理由も免罪符にはならないんです。
同じ人は二度と還ってきてはくれないのですから。
匿名で説得力に甚だ欠けるのは重々承知しておりますが私自身、警察にお世話になるようなことは、
でも、それって、たまたま運が良かっただけなんじゃないかとも思うんです。
犯罪や殺人に手を染めなかっとしても、自分で命を絶たずに、ここでポチポチと文章を打っていられるのも…
「取り返しの付かない過ちを犯してしまう前に誰も救いの手を述べなかった」
ということです。
今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会のセーフティーネットが機能していない深刻さ。
それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。
「ありのままの人格を認めることが大事」だと言えばいいでしょうか。
私がいいたいのは、「ここにいてもいい」という安心感、
「自分は自分のままで生きてもいい」という自信が大事だと言いたいのです。
このひりつくような渇望は一度体験したことがない人だと、
(それくらい普通の人は当たり前に持ち合わせている感覚らしいので…)
コメントで、『誰を憎めばいいですか→自分ですってのと同じロジックで
「そのままでいいんだよ」って誰が言うんですか→自分 とならないのがふしぎ。』
と言ってる方がいましたが、おっしゃる通りです。
でも、そんな当たり前のことが上手く出来なくて苦しんでる私のような人もいる。
どうか心の片隅でいいので、それを覚えていてくださったら嬉しいです。
そして、もしこんな風に苦しい人がいれば「こうやれば楽に生きられるかも」
と提案してあげてください。
ただし「やることをなんでも肯定する」
それはコメント欄でおっしゃられていた通りとんでもない間違いだと思います。
そんなこと容認してたら世の中は犯罪の横行する恐ろしい社会になってしまいます。
ここで中庸という言葉を引き合いに出させて話したいと思います。
過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとされています。
簡単にいえば、勇気という徳が過剰であれば無謀、不足であれば臆病ということになります。
だからこそ、私は極端な答えである殺人という犯罪を否定しました。
さて、上記であげましたように私が言いたいことが
「人を肯定すること」は「なんでもかんでもゴーサインを出す」ことではない
ということがお分かりになられたでしょうか?
ここで私の実体験を話させてください。
私はとても自己肯定感が低いです。
殺人を犯した彼に似た「自分はダメな奴だ」という囁きと常に葛藤を続けてきました。
そうするといつまでも、何をやっても満足できません。
私が患ったのは、そんな目に見えない病気です。
死にたいと何度願っても、実行に移そうとした時も
いつだって描く手を止めることがありませんでした。
当たり前ですが、初めはお世辞にも上手くもなく、他人と比べてばかりいました。
それなにに、苦しくならずに、どうして続けられたのか。簡単なことです。
「私、あなたの絵好きだな」これだけです。
たったこれだけの言葉が私の胸に何年も残って私を支えてきてくれました。
死のうと思った夜を何度も越える勇気をくれて、私を自殺から守ってくれました。
私は、その言葉が私を支えてここまで生かしてくれたと、これだけは胸を張って言うことが出来ます。
この言葉をくれた人は私を救ってやろうなんて気構えは、ひとつもなかったと思います。
それに、そんな上からかけられた言葉で人の心は動くものでしょうか?
理屈じゃないんです。嵐のような強烈さで、私は実際に救われました。
ただ一言、「頑張ったね」「頑張ってきたね」それだけでいいんです。
結果なんかじゃない。その人の頑張りをただ認めてあげればいいんです
たったこれだけで、私は生き汚くても人生を歩んでこれました。
「その人の人生を引き受ける覚悟がないと肯定してはいけない」といったコメントを見かけました。
私は引き受けるなんて気負わなくていいと思います。
あなたは、あなた自身の「こう言った」という発言には責任を持つべきです。
こうすべきだった、言うべきだったと悩んだりするのは、あなたの自由です。
でも、その言葉を自分なりに受け止めて、選択し、変わっていくのは『自分自身』であるべきです。
人は変われます。でも一人で元気になるのは難しい。
そして、人は元気になれたら勝手に歩いて行けます。それこそどこまでだって。
だから、喉の渇いてたまらない人に水をあげるのを惜しまないであげてください。
この言葉を浴びせ続けられた私の心は、もっとちゃんと出来ないとと、
急き立てられるようにそればかり考えていました。
でも頭のなかはパニックを起こして安全な操作の仕方なんてポンと飛んでいる。
それだけ言ってあげてください。
一から十まであれこれ口出ししないで、補助するだけでいい。
心のブレーキを思い出させてあげればいいんです。
誰でも利きの良し悪しは違っても元々、持っているものですから。
信じてあげてください。
私は少なくとも「お前は駄目だ」という言葉で救われなかった。
悲しかった。苦しかった。まだ、頑張らないといけないのかと死にたくなった。
でも救うことも出来ます。
「私、あなたの絵好きだな」
たったこれだけで、私は馬鹿なことをしなくてすみました。
人生を投げ出さずにすみました。
--------------------------------------------------------------------------------
お恥ずかしながら、誤字脱字はどうぞ多めに見てやってください。
あー書いたらスッキリした!
この言葉でまた救われました。ありがとう。届くかは分からないけれど、あなたは私の人生の恩人の一人です。
他にも励ましてくれた方、ありがとうございます。個別に返信は出来ませんが許してね。
消えたいといったみなさん、消えたいという誘惑は強いです。
でも、それとどうにか折り合いをつけて生きていこうとしてる人がここにもいます。
まだヘコタレてしまうことも多いのですが…
酷い時と比べると、確実に変わっていることを実感する日々です。
私もあなたも無理せず元気な姿で、また会いましょう。
「失敗って言葉、まじ救いがないと思いませんか?」
彼は我が職場の工場において3つ存在する「絶対に閉めてはいけないバルブ」のうち、何をトチ狂ったのか2つを連続して閉めるという史上初の快挙を達成した男だった。
当然、職場は大パニックに陥り、上へ下への大騒ぎ、鯛や平目の舞い踊り、といったとにかく大変な状態となったのだった。なんとかその苦難を克服し、職場の平穏が戻りつつあった時、彼は冒頭の言葉を言い放った。
職場内では、彼がライバル社のスパイであんな行動に出た、だとか、彼は専務の甥でコネで働くことになったが嫌々だったため解雇されたくてあんなことをした、だとか、バルブを閉めるときにアヤナィィィィィと叫んでいただとか、根も葉もない噂が蔓延していた。
そんな様々な噂が渦巻く中で、別の用件で彼と話をする機会があったのだ。結構おそるおそるで、彼が深刻な顔をしながらあの日のことを「神が直接僕の脳にバルブを閉めろと語りかけてきたんです、悪魔が来る日に備えて!」とか言い出したらどうしようかと思ったが飛び出したのは冒頭のセリフだった。
「失敗って言葉、まじ救いがないと思いませんか?」
彼曰く、今回の自分の行動はミスであり失敗である、それを痛切に感じているとのことだった。それを踏まえてなお、「失敗」という言葉の字面はあまりに無慈悲であると言いたいようだった。
「失敗」
読んで字の如く、失って敗れることである。ただ敗れるだけでなく、失うことまでセットと読むこともできる。完全に踏んだり蹴ったりだ。
「この字のイメージだと、すごく大変なことをしでかしてシャレにならない感じしませんか?些細なミスを敗北にまでもっていくのはあまりにもあんまりだ」
僕はこの時初めてこいつは何も反省していないという事実に気がつき、驚き、こりゃあながち他社のスパイって話も眉唾じゃない、閉めるときもアヤナミィィィって叫んでたんだろ、と理解するに至ったのだった。あれを些細なミスと言って良いのだったら、自身の音楽著作権の二重譲渡や城崎に100回以上日帰り出張も些細なミスで済みそうな勢いだ。
けれども、彼の反省はともかく、言いたいことはかなり理解できる。
「失敗」
この文字の持つネガティブさは相当なものだし、些細なミスもこの深刻そうな文字で表現されることで、さも大事のように感じてしまうのも確かだ。
極度に「失敗」を恐れ、マニュアル通りに行動するしかできない、もしくは行動そのものを起こさない人々が増え、チャレンジ精神が失われつつあることも「失敗」の文字が持つ重大さがいくらかは関係しているのかもしれない。人々はとにかく失敗を恐れすぎている。
同時に、私はかねてから同じように考えている言葉があった。それが「セックス」である。この「セックス」という文字、とにかくエロい。かなりエロい。言葉から連想する内容だけでなく、この4文字がこの順番で並んでいることがとにかくエロい。
ジーッと字面だけを眺めていても色々と感じるものがあって、例えば、直線だけで構成されている文字なんだとか、クとスは比較的似ている文字だとか、色々見えてくる。
次に見えてくるのがバランスのエロさだ。字の高さを揃えるのではなく、ッの部分でわざと低くしている。この凸凹感がとにかくエロいし、クスという部分のクの不安定さをスの安定感で補っている部分などエロさしか感じない。セの返しの部分なんかド直球のエロさだ。
字面の段階でエロい「セックス」、この言葉があまりにエロすぎる故に日常生活から敬遠されがちだ。電車やバスのラッピング車両に「セックス」と書かれることはないし、看板にも大型ビジョンにも「セックス」が登場することはほとんどない。つまり日常からセックスが遠ざけられてしまっているのだ。
清潔で平和であるこの国は、あらゆる生物の死体を見る機会がほとんどなく、核家族化が進み祖父が死んだなどの家族の死を経験しない子供たちは「死」というものをあまり理解できない、という話を聞いたことがある。
それと同じで、あまりに遠ざけられたセックス、は性に関する様々なことに影響を与えているのではないだろうか。それらが少子化などの遠因になっている可能性も否定できないのではないだろうか。
そして、その一端を「セックス」という字が持つエロさが何パーセントかは担っていると考えるのだ。
つまり、今後はもっと日常的にセックスが町に溢れ、身近なものになるべきなのだ。それには、もっとエロくない単語に置き換える必要がある。そう、例えば性行為のことを「鳩」と呼ぶことにしよう。
エロビデオなどでも、新人の女優がインタビューを受ける際は、ちょっと色黒の男優が質問で
「今日はみんなにセックスを見てもらうわけですけど。すごいよー、画面の向こうでみんな君のセックスを見てる」
とか言って群馬から出てきたばかりの女優を赤面させる。なかなかわかってるやつだ。でも、こんなもん地上波では流せない。いや、エロビデオは流せないけど、このセリフだけでもエロすぎてダメだ。ところがどうだ。こうすると一気に様子が変わる。
「今日はみんなに鳩を見てもらうわけですけど。すごいよー、画面の向こうでみんな君の鳩を見てる」
終電を逃した26才OLがカクテルを傾けながらかねてからジャニ系でかわいい顔と狙っていた新卒の22才イケメンに言う。
これでは新人に逃げられてしまう。逃れられない恐ろしさ、重さ、彼に十字架を背負う覚悟があるのか!22才の彼にはあまりに荷が重過ぎる。結婚させられるんじゃないか。赤色のカクテルを飲む彼女が生血を啜る魔物に見えるかもしれない。ところが、こうするとどうだろうか。
「今日は私と鳩しよ」
なんだか楽しそうだ。
そうこうしてると、「鳩」では温い。もちろんセックスの言葉を変えて性行為を身近なものにしようとしてるのは理解するし応援もする。でも「鳩」では温い。それでは草食化は止まらん。もっと過激な動物にすべき。そんな意見が飛び出してくるはずだ。
ライオンじゃあ身近じゃない、タイガーもだめ、ハイエナはなんか意味が違う、馬はどうだろうか、犬はどうだろうか、カブトムシという手もありますぞ、色々な意見が出され、議論がととっちらかってしまい、せめて鳥類でいこうと主張するグループが出て結束を強める。紆余曲折を経て、鳩より攻撃的な「鷹」にしようという形でまとまる。
こうして、セックスのことを「鳩」と呼ぶハト派と「鷹」と呼ぶタカ派の二大勢力に分かれることになり、ますます意味が分からないことになる。長いこと穏健なハト派と過激なタカ派の論争は続くことになるのだけど、
「今日は鳩したいな」
「鷹ならいいよ」
「は?」
みたいなことが続くようになり、不便だという声があちこちからあがる。しかし、どちらの派閥も無視できないほどに大きくなりすぎていて、ある意味宗教がかってきているので、双方に気を使う形で
性行為を指し示す言葉がそう制定されるが、なんで鳩が後なんだよ、それに全国の高橋君のあだ名がみんなこれになる気持ちを考えたことあるのかという声が高まり、かなり配慮した形で
「ハタカト」
という文字に落ち着く。性行為は「ハタカト」、「裸と」みたいでいいでしょ、そう発表する時の官房長官のドヤ顔が今から目に浮かぶ。
で、それから数年して、すっかり「ハタカト」が定着した時、こういうと思うんですよね
結局、「ハタカト」って言葉を公の場で出すことはなくなって、老人は「セックス」って呼ぶから若者は何のことか分からずに混乱するし、大失敗になるんですよね。
でも、「失敗」って言葉はマジ救いがないですから、こういう些細なことは「失敗」ではなくマイルドな「マングース」あたりの名称を用いたらどうか。
先日とあるECサービスの社員と会ったときに、なぜあれほどまでにひどいデザインなのかを聞くと、
「世の中バカのほうが多い。実のところそっちをターゲットにしたほうが儲かるんだ。そしてバカはああいったデザインのほうが買ってくれる」
という答えが返ってきた。
私は軽蔑するが。
私はニコニコ動画の創業者が何を考えてつくったのか、本当のところは知らない。
しかし私が見る限り、バカが自己顕示欲を満たすためだけに使っているように見える。
人に使ってもらえるサービスをつくろうとすると人間の持つ根源的な欲をいかに美しくラッピングできるかというところに終始することになる。
これはしかたのないことなのだが、人間の持つ欲の中でも自己顕示欲は最低だ。
いや、やめたいのだ。
……はい、もちろん貰えていませんね!
そんなあなたに増田一のモテスケコマシである私が、必ず女子からチョコを貰える方法をお教えします!
市販のもので構いませんから可愛いラッピングが施された物がいいでしょう。
渡し方はぞんざいで構いません。
軽く放り投げるように渡して、思わずキャッチしてしまった、という状況がベスト。
プレゼントである、チョコであると認識する隙を与えない方が成功の確率が上がります。
3 愛の言葉を囁く
「デュフフフwwwそのチョコを君だと思って一晩抱いて寝たよ」
言い終わった直後にシメとしてゲッブをしたり鼻くそを食べたりすれば100点。
4 チョコを受け取る
彼女は今しがた自分の物になったはずのチョコを、即座にあなたに贈り返してくれるでしょう。
その瞬間を撮影すれば、女の子からチョコを貰ったという既成事実が完成します。
スマホではシャッターチャンスを逃すかもしれないので、一眼レフで容赦なく連写しましょう。
いかがでしたでしょうか?
ちなみに私は去年、この方法でチョコを0x23個ほどゲットしました。
今年は片手では数えきれない量を狙います。
http://anond.hatelabo.jp/20150126105648
これって今や世界的に常識で、これやらないと論文量産なんてとても不可能じゃね?
その通りです。
だけど、ちょっと、その人が、思いつきレベルでも、メチャ強く主張していて、めんくらったんだよね。
頭の良い人だし、日本人の自分の英語力の問題で彼の言うことがわからないのか?
と、考えていたけれど、どうも良く良く話を聞いてみると、そうでもない。
アイデアの段階であっても、すごくイキイキと話をして本当のように話すって言えばいいけれど。
--
加えて、ヨーロッパの人って反対意見で、議論を進めていく事が多いみたいで。
私は口下手だから、研究の仕事を選んだのに、なんで、こんなに仕事を進めるのに、話す必要があるのかって思うと、
ちょっと、困りました。
でも、おっしゃるように、今の時代の研究は、競争だから、それで、競争力が付くならいいです。
でも、研究室内で、足を引っ張り合っているんじゃないかって思うぐらい猛烈に主張されて、どうして良いか分からん状態になったんだよね。
と小一時間問い詰めたいぐらいだったんです。
でも、それは、自分が考えていた研究や議論のスタイルと余りにもかけ離れていて、
---
すいません、何が言いたいのか分からない文になってしまったかもしれません。
というところでしょうか。
---
ボストンに来る前は、たまに研究所内トークなんかでこれをかます人々がいたけど、いくら中身(データ)が良くてもラッピングがクソな人々よりは結局報われる例を見たりしてきた。あれはなんでだろう。周りが専門外の人々ばかりだからもともと中身は測定不能、なんか頭良さそうに見える→おいしいコラボ来たり他人のデータを獲ってこれる、良い循環が回り出す、論文もきちんと出る、て流れだったなあ。
やっぱりそう思う…?
せいぜい名前借りましたとか、そんなレベルなのかなとは正直思う。
個人的な気持ちとして、だけど、オペラとかをきちんと『参照』したアニメがみたいんです。
表向きのパッケージとしてはロボットものでもドタバタコメディでも良いんだけど、
コアな部分で古典からの引用が垣間見えるような、そんなのが見たいんです。
導入部は客を集めるためにキャッチーな内容で良いけど
(そもそもキャッチーなお話を作れる人が今どれだけいるのかという問題は置いといて)、
中盤過ぎ辺りの転にあたる所からテーマ性を感じるような展開を見たいんです。
富野監督のネットでの評価や過去のインタビューのまとめを見る限り、
何かしらそういったものを作った、作りたい、そして評価されたいと思ってるのが
今回、なんかそういのを作るべくガンダムでラッピングしたアイーダを作ろうとしてる、
そしてスポンサーその他諸々を良い意味で騙すべく子供向けと言っている、
のかなとおもったけどやっぱり違うのかな…
周りの女友達の教育状況を見ると、なんで彼女らの肩に力が入ってるのかなんとなく分かってくる。
→大卒後、30歳前後で結婚し32歳前後で1人目というパターンが結構多い=みんな30越えて体力下がり気味。頭も固くなる。
勢いで子育てできないので、どうしても方針を決めてそれを拠り所に子育てしたくなる。
また、何かに向かって頑張ることで人生を送ってきたため「頑張らないこと」への恐怖心が大きく全体のバランスよりもストイックさを重視する。
→上記の女子たちはだいたいFacebookで子育ての近況を語り合う。Facebookは基本自慢合戦のため、他の家庭の恵まれている点やキラキラしている点を見せつけられてしまう。そのため一層「外に発信できる」子育てに力を入れるようになる。
→上記の女子の旦那達は育児に基本的に理解がある。不足している部分はあっても、できないことについては努力して改善しようとしてくれる。
だが一方で、女子側の抑止力にはなりにくい。妻が指摘する側、旦那は改善する側となり、知らぬ間に「裸の王様」になりやすい。
→子育てが「出来る人、やりたい人がする良いこと」という雰囲気があり、子育てできる(余裕がある、意志がある)人は幸せ者!みたいな過剰な”陽のサイクル”が社会に提示されている。翻って子育て=大変ということが言いづらく、上記のストイックさを持つ女子はさらに努力を重ねてしまう。
5:親世代との隔絶
→「近所で助け合い」とか「旦那は仕事で妻は専業主婦で子育ては妻がやるけどなんとかなる」という、親世代(団塊)の常識は非常識とみなされる
ものが多いため、親世代と意志の共有ができない。多種多様な意見の徴収ができず子育ての意識が先鋭化してしまう。
→自分が努力して人生を過ごしてきたので、子供にも同様のポテンシャルを期待するし(自分が経験して良かった)経験をさせたいと考える。
経験の場が増えるということは、それだけ「才能が選別される」機会が増えるが、子供にできるだけ多くの成功体験を要求してしまう。
寝かしつけるの大変だけどね…
やっと寝てくれたよ…
まあでもアレだね。こうやってスヤスヤ寝ている寝顔を見てると、親になってよかった、ってほんとに思うよ。
ところで、先週、夫の実家から妙なものが送られてきたんですよ。
私の誕生日でもないし、夫の誕生日でもない。娘の生まれた日も違う。
送り主は夫の父親。それはハッキリ書かれてた。
紅茶は今にも降り出しそうな曇天の日に、なんの前触れもなく、送られてきた。
すぐに夫の母親がでた。「あらXXXちゃん。お久しぶり」チャーミングな声が聞こえてきた。
彼女はそれなりの歳だが、誰に対しても愛嬌の良いキャラクターで、私との仲も良好。
「お久しぶりです、お義母さん。あいも変わらずお元気そうですね。ところで、昨日、紅茶を送って頂きましたね」
「ええ、送ったわよ」
にっこり笑う義母のほほえみが目に浮かんでいたが、実際の私は、リビングの真っ白な壁を見つめて話していた。
「いつもありがとうございます。ところで、昨日は何かの…記念日でしたっけ?」私は聞いた。
「いいえ? 記念とかではないけど?」
もちろん、人によっては、特に目的も記念日も関係なく、プレゼントを送る、という人もいる。
母の日や結婚記念日にさえ、電話すら寄越さない孤独な人間がいる一方で、相手を喜ばすためにはタイミングを選ばない人がいる。
そして殆どの人間は、両者の中間に属する。すなわち、送るときには送り、送らない時には送らない。
相手を喜ばしたい一心で気持ちを込める時もあれば、ただの義理で仕方なく送るときもある。
人生のフェーズによって、相手との関係性によって、その時の気分によって、態度を変える。
波に揺れる葉っぱのように、ゆらゆらと。それがノーマル・ピープルだ。
夫の母親と違って。
夫の母親は、”どんな時でも必ず、例外なく、体面を取り繕うためだけに行動する”。
首尾一貫しているといえば聞こえはいいが、実際に接してみると異様そのものである。
数年前、夫の弟が死んだ。
死因は水死だった。
冬の日の海岸に、うち捨てられているのを、犬の散歩をしていた老人が発見した。
夫の弟は独り立ちしてからずいぶん経っており、かなりの間、実家とは疎遠だったらしい。
綺麗に化粧された弟の遺体を前に突っ伏し、嗚咽した。彼の名前を何度も呼んだ。
でも、夫の母親は父親の再婚相手だ。しかも彼女は、夫の弟が自立した後に再婚した。
だから、二人には関係性が殆どない。正月にさえ顔を合わせることはなかったと聞いている。
それを私は知っている。夫も知っている。けれど、葬式の参加者はおそらく知らない。
だれもが皆、彼女に向かって、ご愁傷さまです、ご愁傷さまです、と声をかけた。
彼女は涙を拭き、深々とお辞儀をして、恐れいります、恐れいります、と繰り返した。
ズレに気がつく人はいない。
正直に言うと、私はその時まで、彼女のことが好きだったと思う。混じりけなくストレートに、好感を持ってたんだ。
でもその日は、ただただ、「イヤだな」と思っていた。
「XXXちゃん? ひょっとしてご迷惑だったかしら? 紅茶は嫌い?」
「いえ、正直紅茶は好きです。ちょうどパウンドケーキがあるから、一緒にいただきます。そうだ、切らしていて、買わなきゃ、って思ってて忘れてました。
送っていただかなければ、夫と私は、緑茶でケーキをいただくところでした。あの人も紅茶好きだから、ブーブー言われなくて済みましたよ」
「ええ、もちろん知っているわ。良かったわね。タイミングがよくって」
でもその晩、夫は帰ってこなかった。
久々に仕事で遅くなる。会社に泊まる、と携帯にメールがあった。
とても短くて簡潔なメールだったのが、嫌だった。
いつも夫はメールが長い。世間では女のメールは情報量が多くて、男は要件だけを淡白に述べるそうだが、
ウチは逆だ。
ねえねえXXXちゃん、帰りがけにスーパーでいいもん見つけちゃった。なんだと思う?(答えはスクロール)
(数行空く)
答えは”新たまねぎ”!
これでサラダ作るとウマいんだよねー。普通の玉ねぎよりちょっと高いけど、その分、味が段違い!
あ、ところでひょっとして、晩ごはんもう作っちゃった? いつもありがと~。
まだなら、お惣菜も買って帰ろうか
たまには手抜き家事にしてもいいんだよ。とは言ってもモチロンXXXちゃんの料理が一番だけどねー☆キラリン
…とか言ってみたりして。ハハ。
以上だ。手が空いてないなら返信は無くてもいい。30分で帰宅する。
これに対して私は、”おつかれ。ありがと。買ってきて”と返す。
その日の夕食は、お惣菜をあたためたものになる。私は、味噌汁だけ作る。
中身はティーバッグじゃない、ちゃんとした茶葉のやつだ。缶入り。
ここ数年俺はクリスマスプレゼントとして俺にドラムロ(1/48)のプラモデルをプレゼントする事にしている。
俺に貰ったプレゼントを枕もとで発見した俺は、速攻でラッピングをビリビリに破り、「ドラムロだあ!!」と叫んでからシャンパンを開けてショートケーキとチキンを食う。もちろんコンビニ製だ。
そしてひとしきり眺めた後に、「ボゾンの方が良かったなあ。サンタさん手紙ちゃんとよんでくれなかったのかな?」とプンプンして発泡酒を開ける事にしている。
もちろん翌日はドラムロをきちんと押し入れに仕舞い、来年のクリスマス祭りへの準備も怠らない。
そして今日の俺はドラムロをラッピングしている。あの匂いが大切だから包装紙は毎年買い替えるのがお勧めだ。あとはリボンをかけて枕もとに置いて寝るだけで良い。
そんなこんなで皆様今年もメリークリスマス。