「ライトノベル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ライトノベルとは

2020-08-19

anond:20200819001957

現在から見るとその通りなんだが、ソノラマはヤングアダルトと呼ばれていたりとか

今で言うようなライトノベルが立ち上がっていたかというとまだ混沌としていた時代ではないかと思う。

リスペクト表明している人が居ないとかそういうこと言いたいのじゃなくて、

そういうのが居ないと思ってる人の価値観ファンタジア大賞受賞時の審査員みたいな人なんじゃね?と言うこと。

2020-08-17

少女小説」を愛するということと、その忘却について

 少女小説が好きだ。

 戦前吉屋信子氏に代表される「少女小説からまり時代の流れのなかでいちどは途絶えそうになるものの、70年代後半にやはり「少女小説」を愛していた氷室冴子さんをはじめとするコバルト文庫作家さん方によって再び脚光を浴び、2020年まで連綿と息づいてきた少女小説が、好きだ。

 昔からずっと変わらず月が愛でられてきたように、百年前から変わらず「少女小説」を愛しているひとたちがいる。そんな長い歴史浪漫の一端に、きっと私もいるのだろう。

 青春時代、「少女小説」というひとつ空間のなかで、ひそやかに繰り広げられてきた世界に没頭し、陶酔し、生涯大切にしようと胸の前でそっと本を抱えながらその思い出を心の奥底にある宝箱のなかにしまったのだ。

 私が初めて少女小説を読んだのは、中学生の頃だった。学校図書室で、静かに置かれていた『シュガーアップルフェアリーテイルシリーズを偶然手にして、優しく柔らかに、そして美しく描かれる銀砂糖師と妖精たちの世界に魅了されたのだ。そこから、『ヴィクトリアン・ローズテーラーシリーズや、『おこぼれ姫と円卓の騎士シリーズ、『英国マザーグース物語シリーズ、『彩雲国物語シリーズなどなど、様々な少女小説に手を出した。あるときには、とある少女小説作家の方に、人生で初めてのファンレターを送ったら、返事が届いた。今もその手紙は、机の引き出しの奥できらきらと輝き続けている。そうした読書体験を含め、少女小説を心から愛している。

 とはいえ、たぶん。現在の若年層は、そもそも少女小説」という言葉を知らないひとも増えているのだと思う。実際、私(※大学生)の周りでも、「少女小説」という言葉を知らなかったというひとは多い。コンテンツに溢れた世の中で、他作品よりも目立つことの難易度は、どんどんと高くなっているのかもしれない。だが同時に、「キャラ文芸」あるいは「ライト文芸」といわれるような作品群や、Web小説なかに少女小説文脈はいまも引き継がれているのだとも思う。

 ある言葉の持つ意味時代と共に少しずつ変化することがあるように、時代に合わせて本もまた少しずつ変化していくのだろう。だから、そうした時代の変化を悲観する必要はないのかもしれない。けれどやっぱり寂しい気持ちもあり、もっと沢山のひとに「少女小説」という存在を知ってほしいと思ってしま自分もいる。

 「小説家になろう」発のWeb小説や、「ライトノベル」という言葉の定着によって、昔なら「少女小説」と呼ばれたかもしれない作品群も、「Web小説」や「女性向けライトノベル」という枠に入ることも増えつつある。その結果、「少女小説」という言葉が再び「知る人ぞ知る」ものになりつつあるのだろう。名前が変わっても、物語が描き出すもの自体は何も変わらないのだから、繰り返しにはなるがきっと悲観することではない。それでもやっぱり、どこか寂しい。その思いから、筆を執った次第である

 「少女小説」という言葉に執着する必要はないのかもしれない。前述したように、物語が伝えたい想い自体は、変わらず在り続けているのだから

 それでも、百年前から愛されてきた、そして私が愛した「少女小説」を、再び世に広く知ってもらえる未来が来ることを祈っている。

2020-07-25

anond:20200725180315

ライトノベル場合、作者は基本的馬鹿ばかりだから

馬鹿が書くものにろくなものがない」というのは間違い

賢かったら純文学を書いているはず

昔好きだったライトノベル作家さんが気持ち悪くて切った話

他に愚痴るとこないか愚痴らせてください。

私には、その昔大ハマりしていた小説シリーズがありました。それこそ十代の頃に。

それはいわゆる少女向けライトノベルと呼ばれるジャンルで、ヒロインヒーローの恋心ももちろん素敵だったけど、何よりも冒険世界設定がとっても魅力的で。身の回りの人に勧めたり、発売日に買ったりしてました。

そのシリーズが完結した後、別の出版社で作者さんが新しく始めたシリーズ過去作を読んでみたけど、あまりピンとこず。また合うのがあったらいいなと思って、しばらく手に取らない日々が続きました。

それからちょっとして、その作家さんの某呟きSNSを見つけました。n*teもあわせて始められたようです。

頻繁に色々呟いているみたいで、新作も出していらっしゃる模様。嬉しくなってフォローしましたが、最近フォローを外してしまいました。

別に生きている人間なのだから色々あるでしょうと言えばそれまでですが…

正直、私にはものすごく気持ち悪いものだったんです。

直近で読んだnot*には吐き気しました。

以下はその作家さんについての一方的愚痴です。正直、これはやめてほしかった。という話。あまり気持ちいいものじゃないから嫌な人はリターン推奨。

① 昔自分が書いていた出版社編集者悪口を言う(婉曲的にそこで出された他出版物悪口も)

それも、「最近出版社にこんなことされました」系のバズツイートにすかさず乗っかって、自分お気持ち語りをする。

内容は決まって

「売れなきゃダメだと言われた」

「私はとおりいっぺんのライトノベルから一線を画するものを書きたかったのに否定され続けてきた」

「私なりに他のその他一般とは違うものを書こうと足掻いてきたのに、編集からもっと軽くて内容が薄いものをと言われた」

いや、、、

自分の好きなものを書き続けたかった」

ならそう書けばいいのに。

なんでわざわざ、自分過去に関わったところを否定するの?

なんでその他と私は違うし〜みたいな不特定多数呪いを振り撒くの。

そして何より

なんで自分が書くものけがそんなに崇高で素晴らしいものになってるんだよと。。。

その人が「軽くて内容が薄いから売れている」と婉曲的に評していた他の作品、私ずっと読んでたけどそんなことなかったよ。

ネット作品もみんなちゃん面白かったよ。それぞれキャッチーに書きたいものを楽しく描く努力してるもののように私は思うよ。別に迎合たから売れたわけじゃないと思う。と言うか好きな作品たくさんあるから、それを読んで楽しいと思った私の感性までバカにされたみたいな気持ちになった。

あと正直、あなた作品そんなに言うほど中身練られてない。物語を届けてくれるのは嬉しいけど、私の好きなもの呪いをかけないで。

政治ツイートにどんどん乗っかるし、無意識に見知らぬ相手disる

芸能人とかアーティスト政治発言するなと言ってるんじゃない。

するなら、相応の覚悟を持ってと言うか、それに対立する意見の人もあなたフォロワーなり読者なりにいると理解した上でやってるのかなと。ツイデモとかも高頻度で参加してた。

他に嫌だなと思ったのが、「こう言う人を見かけたけど正直どうかと思う」と、街とかですれ違っただけの人を(たぶん無意識に)(無意識であって欲しい)馬鹿にしたような発言をすること。子供さんができたみたいでそれは喜ばしいんだけど、以降はそうゆう子育てマウンティングみたいなのや、「子育てしてて忙しいか小説に本気出せてない」と婉曲的に読めるような言い訳が増えた。

具体例を挙げると誰のことかバレちゃうからいわないけど。

ついでにこれは

③見苦しい

にも繋がるんだけど。

自分意見を貫いてるアタシ!な割に、その人は、コロナ禍で自分の立ち上げた新刊の売り上げが絶望的とわかるとものすごく騒ぎ始めた。そして、

「アタシって商業作家むいてないのかしら」

的なことを呟いては周りから吉牛されて喜ぶみたいなことを繰り返していた。

もう正直それだけでだいぶ無理無理だったけど、極め付けが刊行から三ヶ月ほど経ってから新刊重版かかったときのnot*。

散々今までの編集者などの悪口をいってザマみろ的な話から

「この世界物語を生み出すためにアタシが生きることを許された・・・

とスピ満載、自己陶酔ばっかりな長文語り。

あ、やば。

と決定的に思ったのはこのnot*だった。

正直、どうしてこの人の作品が合わなくなったのか、それで理解した気がした。

最近はなろうを書き始めたらしいけど、

「なろう系を正直ばかにしてたけど、昔ながらの少女ラノベみたいな良さに気付いて始めることにした」

みたいなことも言ってて。

いや別に言い訳いらなくね。。。。。。書きたいから書いた!載せたいから載せた!読んで欲しいから読んで!でなんでダメなの??と言うか黙って載せたらどうなの。

それ以前に、前は十把一絡げにバカにして見てました報告いらんよな。

って思った。

そうだよなろう作品大好きだよ。ベタだけどは●ふらはいいぞ。




私がどのタイミング作家さんのフォローをやめたかは、明言しません。身バレ怖いし。フォロワー4桁いる人だし。

でも、気持ち悪さをどうにも吐き出したくなって吐きました。

読んでくれてありがと。

2020-07-22

オタクジェンダー規範に関する研究を読もう

twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタク女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見対立していることはどのくらい知られているのだろうか?

ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!

あの棒グラフの出典は、社会学者北田暁大による若者趣味に関する研究の一節である北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者山岡重行による研究である山岡2016年単著において腐女子心理学的に分析し、腐女子恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。

山岡研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージ存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクから否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと山岡 2016: 99, 132)などは、オタクあいだでは公然事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタク腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイス大きなお世話というかソバイスの極みであり、腐女子心理について質問調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡データに基づく研究重要性を主張するが、物語構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法採用する必要があるはずだ。心理学実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。

では、それを批判した北田研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ

まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田依拠しているのは、2010年練馬区1988年1990年まれの男女に対して行った調査である。つまり2020年現在アラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。

北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。

北田はまずオタク操作定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガきっかけでできた友だちがいる」や「アニメきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタク大勢いるだろうがコンテンツきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者趣味というテーマを掲げていて、趣味人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタク定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!

そして北田は、上記のような質問定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまりオタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガ二次創作(同じ登場人物で、原作ストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典マンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作マンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。

さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク女性二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまりBL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BL一次創作同人専門の読み手二次創作に手を出していなければ「女性二次オタクである。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラ無駄淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作である。種つけおじさんレイプ百合区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。

だが北田定義おかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子概念存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???

言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CP百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?

さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性ディープ男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクディープオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。

総じて、北田研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである二次創作好きな人ディープオタク腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくま論理的には一対一で対応しているわけではないのだからディープオタク定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に客観的な測定が困難な「ディープオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。

少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作定義あんまり見当たらなかったのに、北田論文操作定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作定義おかしいんだもん。

で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作定義おかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。

最後に、北田山岡のどちらの研究おかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。

北田データ練馬区若者から採ったものであり、山岡データ都内複数私立大学学生から採ったものである。つまり東京圏居住しているか、通える距離に住んでいる若者データに偏っており、さら後者大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化拠点東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味学歴が及ぼす影響を考えると、東京圏若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクサンプルに過ぎず、オタク代表例とも若者代表例ともいえない。

とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪札幌などの東京以外の大都市圏)からサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないかイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。

それと、北田山岡統計データを重視しているので、あえて質的研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタク自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタク腐女子自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者営為無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化のものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。

いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作定義を見てると、彼自身オタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田定義トンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああい定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。

あと北田研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田研究別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……

追記

よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても

2007年練馬区若者においては、漫画アニメが好きで二次創作を好む男が

それ以外と比べて保守的男尊女卑傾向だ、って事はとりあえず事実、って事になるのでは

anond:20200722104112

これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。

ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。

続きはanond:20200722142616で。

文献一覧(あいうえお順)

2020-07-21

anond:20200721213230

ここでは

なろう=無料で読める

ライトノベル=有料で読める

程度の違いかと。

なろう系の小説環境ホルモンなのか

スマートフォンの普及で中高生が本自体を読まなくなってきており、ライトノベル自体の売上が減ってきている一因に小説家になろうが関わっているのは自明の理だが、なろう系ばかりを読んでいる人間一定数いる事が私は解せない。彼らがミーハーなんだと思えばそれまでなのだが、母体に近い存在であるライトノベル業界自体を腐らせはじめる環境ホルモンになっている事に彼等は気が付かないのだろうか。増田エゴだと思うけど新人賞取る作品はなろう系全体のトップと同じ位面白いし金払って買って読んで応援して欲しい。

「卑屈になる字書きの女オタク」の正体についての考察

増田オタクジャンル男性向けでも女性向けでもないようなジャンルで、故に男女共に幅広い人脈がある。

既に別のジャンルに移動したがそのままつながっているような人もいる。

オタク、女オタクLGBTオタク。作るオタク、作らないオタクプロの人、アマチュアの人。

腐向けの人、百合の人、男女カップリングの人、男性向けエロの人、夢女子思考の人、オールキャラギャグなどを作る人。

絵師、字書き、コスプレイヤー、MMDer、3Dモデラ―、DTMer、人力師、ドールオーナーイベント主催、紹介や感想側専門の人……。

色々見てきたが、やっぱり最も卑屈属性なのが「字書き」だった。

さらに細かく言えば、

・字で仕事を食っているプロ字書き → もうビジネス的な領域なので趣味の話をしている我々とは視点が違う。

・男の字書き → 二次創作では人口が少なく、やっても日常系アニメを突然SFにするなど突拍子もない世界観の改造を行いがち。最終的に「なろう」とかライトノベル一次創作方面に走りがちな為、二次創作オタクという土俵必要以上に戦おうとしない傾向にある。

絵師兼字書き → 絵が描けるので、必然的に字を書くときに「わざわざ小説にしなければならなかったものしか書かない。

あたりを除外した、「字書きの女オタク」だ。

そして特にその中でも「卑屈になる字書きの女オタク」にはある特徴がある。

……それは「小説が下手」だということだ。

そもそも絵師に対してコンプレックスのある字書きが何故発生するのか。それは絵が描きたいのに描けないかである

本当は絵が描きたいが、絵の才能がないので絵を描けない。なので彼女たちは仕方なく小説を書いているのだ。

日本人日本語識字率殆ど100%に近い。その為、小説というのは書こうと思えば形は書けてしまう。

しか彼女たちは大きな勘違いを3つしている。

1つ目は、絵師殆どは才能ではなく努力で絵を描いていること。

2つ目は、絵師の絵の上手さを仮に「才能」と形容するのなら、小説にも「才能」は必要であること。

3つ目は、彼女たちに小説の「才能」があるわけではないこと。

「卑屈ではない字書きの女オタク」、それはみな好きで小説を書いている人間だった。

もともと本を読むのが大好き。小説という表現媒体が肌に合っている。小説しか書けないものが書きたい。という人たちだった。

小説なのに」「字書きは不遇」のように、小説を下に見る発言をすることを嫌う。

そしてそういう人たちの小説は大抵、他の媒体にはとても真似できない小説ならではの良さを生かした素晴らしい作品ばかりだ。

つまるところ「卑屈になる字書きの女オタク」とは、何者にもなれない存在なのだと思う。

それが増田考察だ。

2020-07-14

[]2020年7月13日月曜日増田

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2020-07-13

アメリカAmazonがいくつかのライトノベル販売を停止したらしい

という話題があったので海外記事機械翻訳に通していく。

ちなみに「One Angry Gamer」などは、日本で言うところの「ゲーム迷惑サイト」のように、あまり質の良くないニュースサイトであることも補足しておく。



アマゾン、日本のライトノベル数作品を無警告で削除 - Sankaku Complex

腐りきったアマゾンが、アニメ風の小説であるライトノベルを一掃していることが、ライトノベル愛好家たちによって明らかになったが、この行為についてはまだ公式には説明されていない。現在政治情勢に精通している人々ならば、一つの明白な理由を想定しているだろう。

ハードコアトラップ熱狂ファンであるHiecchiは、Twitterで『ノーゲーム・ノーライフ』のYenpressのページに誘導し、各巻のAmazonリンクが空白ページになっていることを明らかにして注目を集めた。

このTwitterユーザーが指摘しているように、無数のライトノベルが突然消えたことに疑問を呈するRedditスレッドがいくつかあり、Amazonはこの突然の大量追放についてコメントすることを拒否したようだ。ウェブサイト「J-Novel Clubからメッセージがこの事実さらに強固にしている。

削除理由の推測は、ライトノベルの表紙から実際のセクシーな内容まで多岐にわたっているが、Amazon個人的同意できない「児童搾取アニメフィギュアなどのアイテムプラットフォームから削除していることで知られているため、この検閲はあまり驚くべきものではない。



Amazonがライトノベル『ノーゲーム・ノーライフ』『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』を削除する - One Angry Gamer

ライトノベルノーゲーム・ノーライフ」』は、 『乙女ゲーム破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』とともにAmazonから削除されたようです。それらのライトノベルシリーズは、この夏のあいだずっと購入できないと伝えられています

Sankaku Complexは、Amazon日本ライトノベル特にノーゲーム・ノーライフ」 をサービスから削除したことについて、かなり掘り下げた記事を書いてくれました。

記事で指摘されているように、ライトノベル乙女ゲーム破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』の予約注文がAmazonでは受け付けられていないことに、さまざまなユーザーが気付いていました。これについてJ-Novel Clubは、Amazonが注文をブロックしたと回答しました。

この話題は、動画を作ったClownfish TVのようなYoutuberによって注目を集めました。

元のSankaku Complex記事にもあるように、何人かの人たちはライトノベルアダルトコンテンツとみなされて削除されたと信じていますが、Amazonが削除したライトノベル一般的PGからMA15までのあいだでレーティングされているとも指摘されていますAmazonが今でもあらゆる種類のポルノや性玩具、その他のアダルト向けのアイテムフィギュアを扱っていることは言うまでもありません。

とは言うものの、Amazonライトノベルがストアから削除された理由についての声明を出していません。



J-Novel Club(アメリカでのライトノベル販売を担う出版社の一つ)のツイート

乙女ゲーム破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』の6巻をAmazonで予約した方へ

AmazonKDPが恣意的に本の出版ブロックすることを決定したため、本日1000冊近くのご予約をキャンセルすることとなり、ご迷惑をおかけしました。発売日にもういちどアップロードしてみます

気づきかもしれませんが、これは過去2ヶ月間続いています。『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』の6巻と10からまり現在『ありふれた職業世界最強6』『精霊幻想記4』『最強魔法師の隠遁計画5』『IS〈インフィニット・ストラトス〉8』『絶対に働きたくないダンジョンマスターが惰眠をむさぼるまで2』がブロックされています

Amazonコンテンツ審査はこれらのブロック理由を伝えることを拒否しており、複数の、時には毎日コンタクトほとんど結果を出していません...私たちはこれらの問題解決するか、少なくとも彼らに認識してもらう方法を探し続けます

これらの問題が発生するタイミングを考えると、自動化されたレーティングシステムに過度に依存していることと、有能な人材が不足していることが原因ではないかと思いますが、しかしそれはエラーが発生した場合修正拒否する言い訳にはなりません。

anond:20200712161517

そもそも元の挿絵イラスト自体が「動かないことを前提に最適化された絵」になっている

日本場合マンガライトノベル挿絵アニメ相互影響が大きいからどれも同じ仲間に見えるかもしれないけど

それぞれ

文字台詞前後コマと組み合わせるために最適化された技術

「1枚だけで魅力を伝えるために最適化された技術

時間の流れを利用して変形や変化を活用するために最適化された技術」(アニメは動きというより変形が大事なことが多い)

みたいに求められる形に応じた技術が投入されているため

別のメディアに変換する場合はそれぞれ元のメディアの基盤技術目的理解した上でいちど分解し再構築しないと最適な形にならない

(これは台詞も同じで小説台詞マンガ台詞アニメ台詞は同じに見えて違うので台詞解体再構築しないといけない)

アニメーションの場合はこの百年の技術変化が凄まじいため

「かつてのアニメーション技術では不可能だったことが今だと可能になった」(少女漫画みたいな繊細な絵がアニメでも可能に!)というのがすごく多かったり

上記のようにアニメマンガイラスト相互影響が大きいため見分けがつきにくかったりと

わかりにくいところは多いと思うが

原作のコアの部分を伝えるために技術面での解体再構築が必要となる」というのは知っておいてほしい

2020-07-12

性的マジョリティBLを愛してはいけないか

先日、Twitterでこんな記事を読んだ。

https://i-d.vice.com/jp/article/8xeg4b/does-it-matter-who-writes-queer-stories

欧米におけるヤングアダルト小説(こちらでいうライトノベルのような枠組みだろうか?)で、LGBTQを取り扱った作品が隆盛していることについての話だ。

そういうポップカルチャー多様性が描かれるのって、良いことじゃない?

多くの腐女子はそう思うのではないだろうか。

しか問題はこのように続く。

売れたLGBTQ小説は、ストレート女性によって書かれたものが多いそうだ。

そのことについて「また女性作家ゲイ少年モノという流行に乗っかって利益を得ようとしている。本物のゲイ作家もいるのに、その人たちは取り沙汰されない」という批判が起こっているという。

いつも描かれるのは「シスジェンダー性的マジョリティが同じマジョリティの読者に向けて描いたセクシャルマイノリティ」。

これが問題だという。

ようは同性愛描写が単なるコンテンツとしてマジョリティに消費されているということを言いたたいのだろう。

これを読んで思ったのは、これって日本でも議論できることだなぁということ。

日本腐女子って自分のことを「マイノリティ」かのように認識してる人が多い気がする。

自分BL好きという"特殊性癖"を持っていると自己認識して、たまにBLを嫌う人をミソジニストと呼んで戦ってたりする。

でもだいたいの場合自分自身はストレートなのだ

腐女子の描くBLは「性的マジョリティマジョリティに向けて描いたセクシャルマイノリティ」というものが大半だと思う。

私は腐女子で、普段二次創作中心のBLを取り扱っている。

私は二次創作BL作品は極力隠れたほうがいいと思っていて、その理由上記の一点に尽きる。

BL作品好きを腐女子と呼ぶのはゲイの人に対する差別からshipperを自称する」という運動が一時期起こっていたが、私にはそれもできない。

私自身はたぶんストレートだし、専門的にその方面勉強もしてないし、マイノリティの人たちに関する活動をなにかしてるわけでもない。

おそらくヘテロであろう作者がヘテロとして描いたのであろうキャラクターを、その解釈範疇から大きく逸脱しない範囲内でセクシャルマイノリティに改変して創作してる(例えば普段ヘテロだけど相手にだけはゲイということにしたり)。

この創作ゲイの人への理解を促進するとか心を救うとも思わない。

同じ腐女子に向けた作品しか描いてないから。

ゲイに向けたものではない作品群を肯定することが、ゲイ肯定することとはイコールで結ばれない。

‪話はそれるが、でもBLが好きという自分趣味肯定したい、だから腐女子という貶めた呼び方ではなくshipperと呼びたいという気持ちなのであればそれは共感できる…

自分たちのために自分たちを肯定するのはとても良い事だし、そこにゲイ人達への配慮みたいなものを挟むのは筋が違うと思う。‬

多様化が描かれる中で、私たちは「性的マジョリティ」だ。

その私たちBLを愛していくにはどういう姿勢で向き合っていけばいいのだろう。

2020-07-11

anond:20180607082522

タイトルだけならまあ分からんでもない

ひっそりこそこそ読んでるのが良いのに堂々と表紙を曝け出して

ライトノベル読んでますよ」みたいな態度のオタクには滅茶苦茶反感あるわ俺

「お父さん、これ気持ち悪い…」の声に驚いて振り向くと、

 ライトノベルコーナーで幼児連れの男性と、オタク風のおじさん。

  男性はサッサと立ち去ったけど、おじさんはライトノベルを手にして俯いたまま。

   私は咄嗟に娘を連れて、おじさんの目の前でライトノベル買った。2冊も買った。

    大丈夫ですよと念じながら。

2020-07-10

twitterBLポリコレ論争が面白すぎる

男性同性愛者の人が

腐女子の皆さん、ポリティカル・コレクトネス尊重してBLでは受け攻め概念廃止してリバを基本にしようとか言われたらどう思います?」

アンケートを取る

       ↓

腐女子の人たちが

「そんなのはポリコレじゃない」

と猛反発

めちゃくちゃ笑った意見の数々を抜粋するね!

男性が作っている男性向け作品女性描写、完全に許された……!

→それ我々男オタクがさんざん言ってきたやつー! 「『女性らしい女性キャラ』を追放する運動になってない?」「別に巨乳キャラがいたっていいだろ……」ってさんざん言ってきたやつー!

→お、おう、そうだな……少年漫画ステレオタイプ女性描写によってジェンダーロールを内面化、みたいな批判にも、勝手ジェンダーロール満載のマンガを読んで固定観念に縛られていただけでは? と返していこうな……

エロゲー萌えアニメライトノベルの内容ちゃんと把握した上で叩いてんのかよ? お前らの脳内イメージを叩いてるだけだろ! ってのも俺らはさんざん言ってきたよな……

当事者告発無効化するやつだ……

あと興味深かったのは、この当事者ゲイの人は、「受け攻め固定の風潮で現実ゲイもそうだと思われることが多いが実際にはそうではなく単なるステレオタイプである。それは偏見なのでポリコレの理路からいえば是正されるべきだということになってしまう」という主張をしているのね。ツリーを読めば誰でも論旨を追えるはずなんだけど。

それに対して、

「受け攻め固定は不平等からよろしくないって言いたいの?」

みたいな、「アンケート主はそんなこと言ってない」タイプ反論をする腐女子がすげーたくさんいるんですよね。

腐女子の人たちが受け攻め(つまりは挿入)に権力構造とかそういうものを見出すの、エラい学者サマの評論とかだけじゃなくてマジでそう思ってやってる人たちが一定数いたんだ……という驚きに包まれている。えっそんなこと考えながら掛け算してたの……すごいな……って「こいつは気が強いように見えて実はヘタレからネコ」程度の解像度百合やってるオタクとしては素直に感心しちゃいましたね。煽りとかじゃなくて本当にすごいと思う。

問題はそれを男性同性愛当事者に向けて言ってることなんだけど。

しか当事者の人は権力構造がどうとか一言も言ってないっていうね。「それは現実とそぐわないステレオタイプである」って言ってるだけ。

当事者不在のBL論壇の図式しか頭にない状態ゲイ当事者の主張にトンチンカン反論するの、ザ・マジョリティしぐさって感じで素晴らしいっすね。

ワイ的には、BL百合も愛好者向けのファンタジーです、で押し通せばいいと思うし(愛好者の中に当事者も含まれることは前提として)、それと同様に男性向け作品でのポリティカリーインコレクトな描写とか性的消費とかも別に嵩にかかって糾弾するようなもんじゃなくない? ファンタジーってことでいいじゃん、って思うし、実際にそう言ってる腐女子の人も観測範囲では大勢ますね。

で、そういう立場はほんと同意するんですよ。だってBL百合巨乳もその他多くのステレオタイプ描写も、どれも愛好者の満足を最優先させたファンタジーだとしか言いようがないもの当事者の人には申し訳ないけど(結果的当事者エンパワメントになってる場合もあるっていうのは、実際にエンパワメントされた当事者けが言っていいことであって非当事者オタクが言っていいことではない、と個人的には思う)。

でも、ポリコレは素晴らしいとか日本ガラパゴスでよくないとか男性向けの女性描写ステレオタイプけしからんとか言ってたごく一部の意識高い系腐女子の人たちが、ゲイ当事者に殴られて見苦しい言い訳さらして当事者に食って掛かったりしてるのは悪いけど笑っちゃうでしょ。

はぁ? 今お前らが殴られてるのと同じ理屈男性向け作品も殴られてきたんだが? って言いたくなるよね。

しかもお前ら意識高い系腐女子は率先して殴りに来てたじゃねえか、っていう(一応言っておくと、腐女子全員ではなくごくごく一部のポリコレ意識高い系腐女子の話ね)。

ポリコレ賛成派の腐女子存在自体肉屋を支持する豚のもので前々からどういう精神構造をしていればそんな態度を採れるのか不思議しょうがなかったんだけど、自分が豚だっていう自覚がなかったんやな……

いやもうほんとファンタジーなんだから受けちゃんオークションにかけるのもラッキースケベパンチラ乳揉みしちゃうのもセックスしないと出られない部屋も各位お好きにやっていきましょうという話で、ポリコレ意識したい人が意識するぶんには自由にすればいいけど他人を殴る棒に使うのはやめようってことですよ。『異種族レビュアーズ』や『巨人族花嫁』や『抱かれたい男一位に脅されています。』がアニメ化されて地上波で放映できる表現自由バンザイって話ですよ。書店ラノベの棚やBLの棚が肌色で目立っていてもええやん。そういうのがお好きじゃないオタク向けに肌色じゃないラノベBLもいっぱいある! 多様性

しかし何度見てもシスヘテロ女性セクマイ当事者に「お前はポリコレ勘違いしている」「それはポリコレではない」みたいな言葉を投げつけてる光景すごいな(批判側にもセクマイはいるので、全員がシスヘテロ女性ではない)。マジョリティ様がエラそうにマイノリティに物申すの、男がやるとマンスプレイニングって呼ばれるやつだけど女がやるのは何て言うんだっけ? あ、そっか男女差別という文脈の中で出てきた概念から民族差別とか性指向に基づく差別ときみたいに男がマイノリティで女がマジョリティになりうる局面には適用できないんだね~。普遍性とは、解像度はいったい。

ブコメに応答

エロ絡むならなるべく表に出さないよう店頭エロポスターを貼んな程度なら協力するしBL個人で楽しんで下さいって感じなんだけど、腐フェミ存在自体傲慢というか日光に当たったら死ぬのに飛び出して来るのは謎

その「エロポスター」の基準ガッツリ行為してますレベルエロじゃなくてラブライブや宇崎ちゃんだもんなぁ。キズナアイジェンダーバイアスを強化するのでけしからん的なこと言ってたフェミ腐女子学者先生もいたっけ。同じ基準自分趣味を裁いてみればいいのにね。

そもそも質問としてなぜ入れる・入れないの役割を平均化したらポリコレ的に正しいになるのか…?そこに個人間の自由を廃してしまったらそれこそポリコレ的にアウトでは??

登場人物人種比や男女比はなるべく現実に揃えましょうみたいなのがポリコレなんだから、仮にポリコレを支持するなら「現実と比べてリバの比率が少なすぎる」みたいな指摘も支持されないとおかしいのでは。

まあ、そんなこと言ったら登場人物が男女どちらかに偏ったコンテンツけしからんみたいな話になって、色々死ぬんですけどね! きらら作品とか許される余地皆無すぎるな。登場人物ジェンダーバランスおかしくないですかって言われたら即詰み。

どうでもいいけどオメガバースかいうのは完全にポリコレに反してるよなとは思う 被差別層を作り出してレイプ正当化させてるやべーやつ

ポリコレ最前線では「マジョリティ作家演者マイノリティ主題にした作品を作ったりマイノリティ役を演じたりするのは搾取」ということになってるんだから、その理屈を取り入れたらオメガバース以前にそもそもヘテロ女性が書いてるBLは全部滅びるべきという話になっちゃうよね。許されるのはゲイが書いてるBLくらいじゃね? もちろん男性が書いてる百合もアウトだし、なんならヘテロ女性が書いてる百合もアウトということに……

個人的認識としてBLは「BL好きのためのファンタジー」であり、「LGBT向けポルノ」と「全年齢&シスヘテロ対象読者として同性愛を描いた作品」とはそれぞれ別物。まともに議論するならまず定義を共有した方がいいよね

マジョリティマイノリティを利用して創作してるファンタジーマイノリティによるマイノリティのための創作とは別物だから一緒にするな論、ポリコレ的には完全にアウトと言うほかないので、主張するのは自由だけど口にした瞬間にアンチポリコレ派と見なされても仕方ないよね……ともに手を携えてアンチポリコレ派をやっていきましょう、同志よ。

え? いやいやまさかそんなポリコレ的に100%アウトな発言をした同じ口でポリコレを支持したりはしませんよね? まさかそんな……ねえ?

私は、どの性癖ゾーンの中でご自由に派なので、エロ含むBL一般書籍にあったり股影ポスターみたいなののBL版が出てきたら嫌。子供には現実LGBT教育すべきと思う。大人も男も女もだ。

ポスターは知らんけど、肌色の多いBL本なら普通に一般書籍と同じ棚に並んでますがな>https://togetter.com/li/1266758

本屋の中でも奥まったところにあるでしょ、と言われるかもしれないけど、それを言うなら岩波新書講談社選書メチエだけ買いに来た人が電撃文庫の表紙を目にするような状況も(少なくとも大型書店でなら)ありえないわけで……

からない…おれが左右固定の腐女子であることでお前を傷つけたか…?

その気持ちめっちゃわかるわ。おれが宇崎ちゃんコラボを見て献血してなにかお前を傷つけたか……? というお気持ち

共闘しろよ。敵はそいつらじゃないだろ。

いやほんと、敵は腐女子じゃなくてポリコレ押し付けっすよね。これを間違えてはいけない。BLみたいなのを女性が堂々と楽しめて、男性男性に都合の良いファンタジー謳歌できる、そういう自由解放された世の中が目指されるべきで、その桎梏となりうるポリコレ押し付けにはともに手を取り合って反対していきたい。

ただごくごく稀に腐女子でありつつガチガチポリコレ派みたいな人がいると「???」となっちゃますね……

とらのあな池袋店6Fが腐女子と男ヲタ共存を探る場なのかもしれない…と思いつつ、レジかい正面のBL平積み展開は未だに慣れない…

別に慣れる必要はないんやで。攻撃したり排斥したりしなけりゃいいだけで。

規制も反ポリコレポリコレ一種だし、皆多かれ少なかれ複数指標の間でバランス取ってるわけで、そういう指標もあるのねくらいに流しつつ、取り入れる人の否定もしないのが表現自由であり多様性では。

取り入れる人の否定は誰もしてなくて、取り入れてない(と認定された)人や作品が叩かれる状況を否定してるんだよなぁ……

ぶっちゃけた話、ワイも自分創作するときにはそれなりにポリコレ派っすよ。男らしいとか女らしいとか女子力とか、そういう言葉自分の作ったものには意識して入れてないし、差別的な考え方をあえて否定するようなメッセージ入れた作品を作ったこともある。

そんなワイでもキズナアイバッシングとか宇崎ちゃんバッシングとかラブライブバッシングには激おこぷんぷん丸だったんですよ。あれがポリコレなら俺はポリコレ敵対するわ。

2020-07-09

追記】「好きでない」と「嫌い」は厳密には別の感情じゃないかな…と思った話

最近異世界生物」というジャンルがとても流行っているらしい

現実世界で何らかの事故に巻き込まれて死んだ人間が、その時の知識を持ったまま異世界で生まれ変わり別人としての人生を送るお話、の事をそう言うんだと思っている

小説家になろうという小説投稿サイトでも非常に人気があるらしく、そこから書籍化漫画化もされた「ナイツ&マジック」と「転生したらスライムだった件」という作品アニメを僕は見た事があるし最後まで楽しませてもらった

異世界転移物」というジャンルもあってこちらは別人として異世界で生まれ変わるのではなく現代人が異世界召喚されるタイプ作品の事を指すのかな?

一昔前の作品だと「魔法騎士レイアース」なんかがそうだろうし最近だと「ドリフターズ」がそうかな。小説原作作品なら「Re:ゼロから始める異世界生活」はOVA作品劇場で公開される程の大人気作だった。

ゲームをしている最中にそのゲームの設定と似た世界に呼び出されるタイプ作品もあって「オーバーロード」「異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術」「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」なんかがそうなんだと思う

大人異世界コメディこの素晴らしい世界に祝福を!」など主人公現実で死んだ後に異世界蘇生されてそのままの姿で暮らす転生と転移中間のような作風の物もあるそうな

ここ5年ほど毎年のように何らかの異世界物がヒットしてこれから先もその人気は続くと思う。僕は近頃とても流行っているこの「異世界生物」があまり好きではない。気になる作品は見るから嫌いでもないと思う。

異世界転移物はそこまで気にならないので、どちらかというと転生要素が気になっているのかもしれない。別人として生まれ変わったのに性格記憶前世人生から地続きで、そこが異世界生物の楽しみ所なんだろうとも思うけど。

異世界生物主人公は周囲の人間と比べて非常に高い能力を持っていたり優秀な頭脳があるので活躍する。同年代人間と比べると子供の頃から非常に魅力的で、頼れる指導者として周囲に集まってきた人々を助ける。

それは良い。主人公から活躍するのは自然な流れだと思う。ただ、その非常に優れた主人公達と戦う事になる敵役達には同情する。ナイツ&マジックに登場した侵略国家ジャロウデク王国」は主人公の属する「フレメヴィーラ王国」に哀れなくらい一方的ボコボコにされてしまったし、転移物だけどオーバーロード主人公アインズ様の率いる「ナザリック地下大墳墓」と敵対した現地の勢力は、一方的蹂躙されあまり悲惨な末路を迎える事が多く悲しくなる。

これは正確には異世界物というよりあまりに敵味方の強さに差がある事から生じる蹂躙の要素が僕は苦手なだけだと思う。主人公達の活躍が見たいとはファンなら誰もが思うだろう事だから、そこに突っ込むのは筋違いだとも分かる。

ここまで書いてから言うのも何だけど、僕は異世界物の事は嫌いではない。自分の好みではないので予め見ないようにする、という事が多いだけで「嫌い」だと強烈に思う所までは行かない。何だかんだで興味のある作品は見るし。

小説家になろう」が原作アニメ漫画から異世界に転生や転移した人が主役だから、という理由でその手の作品を反射的に攻撃する人達も居る。そういう人を見ると一昔に所謂美少女ゲームライトノベルが「所詮エロゲ」「所詮ラノベ」と叩かれていた事を思い出す。最近めっきり見なくなったけど、そういう人達を僕は好きでなかったし今も好きじゃない。自分が昔こういう事を言っている人達を見て嫌だったから、自分はそういう人達と同じ事を言いたくない。

初めは「好きでない」だった感情が何度もその好みではない物に触れている内にやがて「嫌い」に変わっていくのかもしれない、と思う。僕はこれから異世界物を嫌いにならないよう、好きでない程度の適切な距離で付き合っていたい。

追記

とは言っても、僕にはどうしても積極的に手を取りたくないジャンル作品はあるし、恐らく偏見勝手先入観でよく知りもしないジャンルに悪意を持っているんだろうな…と思う事もある。これじゃ他人に何かを言って良い訳がない。

僕は自分が好きな作品二次創作はあまり読まないようにしている。自分の考えとその二次創作を書いている人の考え方が違ったら嫌だな…と思うし、その事で相手を嫌いになったり自分が嫌な思いをする事が嫌だから避けている。

BL、憑依、逆行、ヘイト、ざまあ系などのジャンル一次創作二次創作わず苦手で深く知れば多分嫌いになってしまうだろうな、と思っているから手に取らないようにしているし、そういう要素があるかもというだけで警戒してしまう。

「今は嫌いという感情を持っていないけど関わると嫌ってしまうだろうから避ける」というのはもうほぼ嫌いの前段階ではないかという気もする。一度何かを嫌ってしまうと猛烈にその嫌いな物について考えてしまう事もあるし、その嫌いな物が視界に入っただけで意識を奪われるくらい夢中になってしまう事もある。だから自分はきっとこれの事を好きではない」と思った時は本当に嫌ってしまう前にある程度距離を取るのがお互いのため…なんじゃないかなぁ、と僕は思っている。

LINEノベル終了告知に寄せて

 7月8日推している作家生存確認オンラインゲームの告知を見る程度にしか使っていなかったツイッタータイムラインに一件のリツイートが流れてきた。

 「LINEノベル」終了の告知である

 その告知を見たとき、私は「やはりな」という感想ちょっとした残念さを同時に感じていた。

 なぜ「やはりな」なのか、それはサービス開始前から半分くらいの確率コケ確信があり、サービス開始後にそれが8割に達したからだ。

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 まず、サービス開始前から感じていたことだが、LINE使用者層とLINEノベルがメインターゲットとする層のちぐはぐさ、これが一番大きなものであったように思える。

 LINEを主に使う――のはあまりにも広い層だ、抜粋は諦めよう。その中で特に頻繁に使うのは?おそらくは中学生大学生であろう。

 一方LINEノベルターゲットは正直言ってとっちらかっている。

 後述する残り3割の理由もあり、私はLINEノベルを開けないのでソース公式ツイッター、並びに実際にLINEノベル上で連載を持っていた作家発言程度しかないのだが、それでも商業を全面に押し出している割に内容が闇鍋すぎた。

 比較最近ベストセラー女性向け小説、そして大量のライトノベル

 公式ツイッターはこれらを無分別に告知し、公式サイトにはどんな小説を閲覧できるかすら載っていない。

 なにが入っているのか不明瞭かつ、事前情報という明かりすらない。

 まさに闇鍋だ。

 最低でもオリジナル連載の試し読みは公式サイトに置くべきであるし、告知ツイッター女性向け、一般向け、ライトノベルくらいには分けるべきである

 ここまでが(最近情報も混じってはいるが)サービス以前から分かっていたこである

 では、残りの3割にして止めを刺した要因について話そう。

 先程は触れなかったがLINEノベル小説投稿サイトでもある。

 まずは落ち着いて「小説家になろう https://syosetu.com/」のトップページを開いてほしい。

 告知を載せつつ連載作品ランキング掲載されているだろう。

 次に「カクヨム https://kakuyomu.jp/」のトップページを開いてもらいたい。

 小説家になろうと似た雰囲気トップページが出るだろう。

 最後に「google:LINEノベル」のトップページを――はてどこだろうか?

 検索してもそれらしいもの存在せず、公式サイトぐらいしか目につかない。

 先程も触れたが公式サイトにはどんな小説が閲覧できるか載っていない、消費者に向けて言っているのは「読みたかったらアプリ入れてね!」くらいである。

 そう、情報不透明な状況下でのアプリインストール要求(実は今年の4月に共有機能が追加されWEBブラウザでも読めるようになったらしいが共有元が必要な様子なので論外)。これがWeb小説を読むまでにほとんど存在していなかったハードルを非常に高くしてしまった。

 Web小説というのは、個人サイト時代から連綿と続く匿名に近い個人が書く、不特定多数制限なく読む小説である

 商業サイト掲載の場を移してからもその形式が変わることはなく、サイト会員が小説を載せ、それを不特定多数デフォルトWebブラウザで会員登録などせずとも際限なく読んでいる。

 今も昔もWebブラウザ一つで閲覧し、小説を書く。最低でもWebブラウザのみで完結するというのが小説投稿サイトの強みである

 では、LINEノベルはどうか?

 作者側に会員登録を求めるのは「書いたのはわたし」の証明必須であろう。

 ならば、読者側にアプリインストールを求めるのは?「めんどくさい」や「容量制限」などなどの様々な問題が顔を出すだろう。

 更に言ってしまえば小説家になろうやカクヨムスマートフォンブラウザ上でお手軽に読める物という概念が染み付いている事も敗因の一つだ。

 商業小説掲載している以上アプリインストールを条件にするのは致し方ないことだろう。

 投稿作品公式連載作品Webブラウザでも自由に見られるようにすることは技術的に可能なはずだ。

 だが、それはなかった。

 そこにあったのは、先人のいいところを投げ捨てた投稿サイトであった。

 そして、美味しいものが入っていると言われても味がわからず、中身が見えない、誰が何を突っ込んだのかわからない暗闇の鍋に箸を入れる者は減っていった。

 これがLINEノベルが失敗に終わった理由であると私は考えている。

 

・おまけ:比較されそうなカクヨムについて

 カクヨム小説家になろうの流れを汲み、KADOKAWAが興した小説投稿サイトである

 自社の小説や人気作品の番外編、公式連載などもあり、結構商業的な面がある。(儲かると思ってやっているのだから当然である

 利用料金は(執筆時点で)完全無料アプリ版もあるが機能的にはちょっと便利レベルであり、スマートフォンでもブラウザ上で閲覧と執筆が完結できる。

 要するに上位互換

 

2020-07-02

日本SF業界はとっくにラノベ抜きには成り立たなくなってる

というより「ラノベ共生してる」とかのほうが聞こえがいいか

伊藤計劃は明らかにオタク文脈上の人間で、作品内容もライトノベル親和性が高いんだが、

なぜかニワカSF読みには「新しくて硬派でかっこいい俺たちのSF」と神格化されてるんだよな。

まあハヤカワが「伊藤計劃以降」とかなんとか言ったりして煽ったせいだけど。

虐殺器官』も『ハーモニー』も最初イラスト付きで出されていたもの

文庫化にあたって白黒の無地の表紙になったんだけど、

ニワカはその文庫しか知らないから、

映画化合わせでアニメイラストが特大帯に配されたとき

「硬派なイトーケーカク作品イラストなんか使うな!」と批判して

周囲の失笑を買っていたりしたわけで。

そもそもが「SF VS オタク」じゃなくて「ニワカ VS オタク」という構図なんだよ。

いや、そもそもの話をするなら、

山本弘なり小川一水なり野尻抱介なり冲方丁なり野崎まどなり宮澤伊織なり、

ハヤカワは昔からラノベ作家を買い漁っている出版社なのであって、

それをいまさら発見のように「オタク向けになってる!」と騒ぎ出す時点で、

認識更新できていない老害か、もとから知識のないニワカかしかありえないでしょ。

騒いでる奴らに聞いてみろよ、

最後書店SFコーナーに行ったのはいつですか?」って。

anond:20200701175011

シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

確認したけどポップな絵柄なのね。これを「恥ずかしい」と思うのはエロさが恥ずかしいとされた萌え絵論争とは別に若者ターゲット向けすぎて年寄りが手に取るのは恥ずかしいという発想なんだろうな

2020-07-01

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について

論争の概要

 ・あるSF編集者自分担当したアンソロジー本(『日本SF臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。

 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。


「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」


それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。

・「女の子」に関して

 ・イラストレーターには『性別指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,

 ・キャラクターであることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。


・「恥ずかしい」に関して。

 ・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。

 ・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力喚起するもの


・表紙に対する意見について

 ・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険認識したうえでSNSを使え。

 ・意見自体勝手にどうぞ


・「アニメ絵女の子ばかり」ということに関して

 ・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。


・今回の表紙の意図について

 ・なるべく広い読者層へリーチしてほしかった。


論点の整理と意見

二者間で応答された論点は以下のように要約される。

 1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか

 2.キャラ絵表紙に対する「恥ずかしい」という個人的感情

 3.マーケティングとして、読者層を狭めてはいいか


1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。

たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。


ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品アニメ映画キャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。


シライユウコイラストレーションに対するファンダム記憶伊藤計劃百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。

シライユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーターキャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。

どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーター伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビューである少女禁区』の表紙を担当したことライトノベル作家短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSF代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。

もちろん、シライユウコ上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。

しかし、世間でのイメージを決めるのは結局バズった仕事だ。

そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。


日本SF臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的意識されているのだろう。

『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手バラバラアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。


とはいえアンソロジー編集するのはひとつ創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。

ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SF臨界点』は伴名練の作品批評ひとつとして見なすべきではないか

アンソロ編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位ひとつずつ売るしかない。


2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田普通に読んでればそう取ると思うが。

また、編集者立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断編集者として間違ってはいない。


ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚共感する人々が一定存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか

Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。


3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも2010年代傑作選』と『日本SF臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングプロではないにしろ編集者側に理があるように思える。

SFというものキャラクター文化親和的なのだから、そっち方面から開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ


ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしま可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近スニーカー文庫ハルヒ角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。

ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。


キャラ絵を用いた表紙と、写真を用いた表紙。

間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。

どちらを取るかは出版社戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。


だが、特定の層に訴えるマーケティングときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社自覚的であるべきだろう


より個人的感想

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。

こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。

今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェティフィケーションにつながるとは思わない。

一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃百合SFSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合イメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚はいられない。

私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域マーケティングコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。

今はまだ問いの出ない問題だ。作家しろ編集者しろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。


余談。あるミステリ作家が「消費者意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートRT連発みたいな行為にも走っていないし。

個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。

意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争しかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。

この問題については意見を出してる作家業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判しろ擁護しろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。

その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか業界トピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。

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