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はてなキーワード: モーツァルトとは

2008-09-13

みんなわどぅ?

預金残高100万円を持つあなたが、十二人の貧しき芸術家に「一ヶ月分の生活費を貸してくれ」と頼まれたら、誰々に貸しますか?

(人力アンケートhttp://q.hatena.ne.jp/1221299514

モーツァルト →来月まで、お金借りたこと自体覚えてなさそう

ベートーヴェン →(∩゜д゜)アーアーきこえなーい

シューベルト →来月まで生きてる?

スタンダール →来月には違う土地にいって女の子くどいてそう

ラム →来月には心を病んでて会えなそう

ドストエフスキー →どう考えてもギャンブルでスってるだろJK

ゴーギャンゴッホに又貸しして利子まで取ってそう

ゴッホ  →来月になっても絵が売れなくて返せない

モジリアニ →どうせ酒代なので回収不能

樋口 一葉 →唯一まともに返す意志はありそうだけど返すアテはなさそう

石川 啄木 →「あの金返して」と言ったら言いくるめられ更に金を貸す羽目に

内田 百?? →とりあえず返してはくれそう。でも機嫌そこねたら、金があっても「返すのは嫌だから嫌なのだ」とか無茶言いそう。

2008-07-26

物理オタが非オタ彼女物理世界を軽く紹介するための10人

via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数の物理オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない物理世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、物理のことを紹介するために

見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女物理布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うマニアックな人物は避けたい。

できれば伝記が出てる人物、少なくともブルーバックスレベルにとどめたい。

あと、いくら物理的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

物理好きが『ケプラー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

物理知識はいわゆる「ブルーバックス」的なものを除けば、中学校程度の物理は知ってる

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

アルバート・アインシュタイン

まあ、いきなりかよとも思うけれど、「アインシュタイン以前」を濃縮しきっていて、「アインシュタイン以後」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。知名度もあるし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

情報過多なアインシュタインの業績の数々について、特にリーマン空間上の時空の幾何学という数学的側面が強い一般相対論について、

どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

アイザック・ニュートン

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな物理学者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

物理オタとしてはニュートン力学万有引力法則は“常識”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

スティーブン・ホーキング

ある種のSF物理オタが持ってる時空制御やタイムトラベルへの憧憬と、一方で時間順序保護仮説を唱えるオタ的な理論物理へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもSFオタ的な

「一般相対論破綻」を記述する特異点定理

量子力学重力統合」を提唱する量子重力理論

の二つをはじめとして、オタ好きのする理論世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

ジョン・フォン・ノイマン

たぶんこれを見た彼女は「モーツァルトだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

これほどの変態的天才がその後続いていないこと、これがアメリカでは軍事への貢献で大人気になったこと、

数学から経済学までのあらゆる分野に影響を残した天才ぶりはアメリカなら実写テレビドラマになって、

それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういう天才が生まれないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

ジェームズクラークマクスウェル

「やっぱり物理は目に見える自然現象を説明するためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アンリ・ナビエ」

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、電磁気学にかけるマクスウェルの思いが好きだから。

(以下思いつかねえ)

レオンハルトオイラー

今の若年層でオイラーを目指す人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

量子力学よりも前の段階で、力学現象を解析的に取り扱う哲学位相空間の技法は彼で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティ物理学者数学者の片手間でこの時代に生まれていたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく物理好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆるニュートン力学でしか物理を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

アマリー・エミー・ネーター

(還元論的)物理の「本質」あるいは「原理」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「あらゆる基本的な物理量は保存する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそ理論物理学の最も基本的な量はハミルトニアン以外ではあり得なかったとも思う。

複雑系を取り扱う新しい物理」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源はハミルトニアン(時間並進対称性に起因する保存量)にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に対称性と保存量の美しい関係を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

エドワードウィッテン

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう純粋数学チックな物理を元文系の天才物理学者が推進していて、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

リチャード・P・ファインマン

9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファインマンを選んだ。

アインシュタインから始まってファインマンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、場の量子論以降の

素粒子物理時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

10人は疲れるなこれ…。穴だらけだわ。そういう意味では元増田すげえな…。

ディラックとかハイゼンベルグとかシュレディンガーあたりを入れたかったが入らなかった。

あと湯川秀樹朝永振一郎も入れたかった。

2008-07-06

音楽にまつわる俗信

誰でも音楽を聴いたりカラオケで歌ったりする時代なのに、結構根拠のない迷信が信じられていることにびっくりする。

長調は明るい曲、短調は暗い曲?

クラシック好きのはずの猫猫先生がこんなことを書いててびっくりした。

戦争中から戦後にかけての日本を扱った映画ドラマドキュメンタリーで、戦争が終るとバカの一つ覚えのように「リンゴの唄」が流れる。説明がつくと「明るい唄が人々を勇気づけ」と言うのだが、あの歌は短調だし別に明るくないだろう

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080705

この手の誤解は猫猫先生だけでなく結構はびこってるみたいなので、ネタにさせていただく。

短調の曲が暗いなんて、そんなことは嘘だ。たとえば「東京音頭」は最初から最後まで短調だが、あんな脳天気な歌も他にないだろう。一方で、"Yesterday" だとか「海ゆかば」は長調だが、これを明るい曲だという奴はどこにもいないだろう。

そもそも、長調が明るくて短調が暗いなんて、そんな紋切り型が通用するほど音楽が単純なものなわけないじゃないですかモーツァルトの曲なんて長調が圧倒的に多いですが、モーツァルト脳天気作曲家ですか?猫猫先生

絶対音感なんて大した意味はないよ

ついでにもう一つ。俺は絶対音感を持っている。全盛期には基準音(チューニングの時に合わせる音)の違いが 1Hz 単位でわかったこともある。で、それをいうとやたらとうらやましがられる。特殊な才能の持ち主だと思われてるみたい。

実際は全然違うんだよなあ。俺は確かに子供の頃からピアノを習っていたが、正直なところ腕前はDQN音大生に毛の生えた程度(本職は音楽関係ではない)で、進んで人様にお聴かせできるレベルではない。だのに、そのことを説明しても「ご謙遜を」としか言ってもらえない。

違うんだっての。絶対音感なんてのは単に「音の高さを覚えている」というだけのことで、普段から楽器に触ってればたいていは嫌でも身に付くんだって。確かに、大音楽家でも絶対音感のない人もいるんだけど、逆に言えば、これは音楽性と絶対音感関係がないことの証拠でもある。

それなのに、変な親たちは「情操教育」として「絶対音感」を身につけさせようとしてる。ほんとに意味がわからん。音当てクイズなんかに熟達したって、音楽熟達できるわけじゃないのに。

2008-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20080602201853

テレビにしろエロゲにしろ、低俗恥知らずでいいんだよ、別に。

シェイクスピアとか下品だからなあ。モーツァルトも相当下品な歌作ってる。

メインだろうがサブだろうが、勢いのあるカルチャーってそういうもんだ。

2008-06-01

作品の質とメインサブの区分は直結しない

これを読んで思ったこと。

こういう話が出てくると、必ず賛成意見と反対意見

という風に分かれるのだけれど、正直どっちも違うんだよなあとその度に思う。

作品の質が、メインカルチャーだからよいとかサブカルチャーだから悪い、あるいはその逆だとかいうけれど、そもそもそれって関係のあることなのかどうか、と、クラヲタクラシックオタク)の俺としては思ってしまう。


音楽世界でよく持ち出されるのが、音楽家なんて昔は貴族召使いで、オペラなんて町人の娯楽じゃないかという話。確かに、モーツァルトオペラの粗筋は昼ドラやらハリポタ並みだし、ベートーヴェン交響曲チンドン屋節、そしてシューベルトの歌だってオーストリア民謡だ。そしてそれを根拠に、「難解なだけの音楽音楽ではない、だからクラシックはもう文化として死んでいる」なんていうことを言う人も、世間レベルではまだまだいる。

だけれども、クラヲタの俺に言わせれば、彼らの良さは別に素材の俗っぽさが原因ではない。あの時代には、高尚な素材を使って下らない音楽を書いた奴も沢山いたが、低俗な素材を使って下らない音楽を書いた奴も同様に沢山いたのだ。

要するに、素材が高尚だの低俗だの、あるいは作品が難解だの明解だの、それらのことが作品の質とは必然的には関係しないということだ。


それだけのことがわかっていない奴が20世紀にはまだ力を持っていて、たとえば大指揮者バーンスタインという人はミュージカル作曲家でもあったのだけど、彼の代表作ウェストイド物語」なんかは最も成功した現代音楽作品でありながら、コアなクラシックファン、特に現代音楽ファンからは軽視されたりもしていた。

だが、そんなことはもはや昔の話だ。たとえばビートルズの作品の質の高さは誰の目にも明らかで、クラシック以外から音楽の傑作が生まれないことは明白に事実に反していることは誰もが認めている。その結果、現代ではジャズピアニストクラシックを弾いたり、あるいは民族楽器奏者がオーケストラと競演したり、クラシック声楽家がロックスタンダードナンバーアレンジして歌ったりということが、部分的にではあれ、普通に行われている。そんなことをしたからといってファンから見放されるなんてことはあり得まい。


そういう目で見ると、文学やらその他の世界で言われている話ってのは今更に思えてならない。純文学漫画ゲームケータイ小説より優越していたり、あるいは劣っていたりしなきゃいけない理由なんてどこかにあるのか?誰が見ても手塚漫画は平均的な芥川賞作品より圧倒的に作品のレベルが高いし、逆にエロゲーの凡作は村上春樹作品に人気でも質でも及ばないというのが、世の大半が一致する見解だろう(個人的には村上エロゲーも大嫌いだから客観的な判断はできない、すまぬ)。

カルチャーメインとかサブってのは単にメディアだけの問題だろう。使っている楽器とか雑誌とかが違うことが、作品の質に必ず影響すると考えるのは根拠がないことじゃないのか。この手の議論を聞くと「理系人間哲学がわかってないからだめだ」とか「文系人間熱力学の第二法則も理解していない」みたいな低俗な論争を思い出してげんなりしてしまうのですよ。


追記 題名が誤解を招くと思ったので修正しました。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413085742

あのさー、個人の得になるなんて誰も言ってないんだよね。日本の観光資源になると言ってるだけ。

横から口挟むけど、具体的に日本古典教育にどんだけの経済効果見込んでるわけ? それが何人の学生を将来食わせられるの?

経済学者じゃないんだからそんな具体的な数値を求められても困るんだけどさ。算出する方法なんてないと思うし。観光業者にとっては内需外需含めてそれなりの利益配分になると思うんだけど。

それに、ここでは敢えて金の話だけに絞ってるけど、「古典を理解できた方が人生楽しい」というのは決して無視できない理由だぞ。というか普通に考えたらそっちの方が大きな理由だしね。そういうのは、本人が興味を持つ前に教え込んでおかないと勉強する機会がないというのもあるからね。

カネの話するなら、数学教育をもうちょっとまともにしたほうがいいと思うがね。昔みたく高校行列教えるようにカリキュラム組みなおせと。相当広い分野で使うんだし。

いやー、理系人間として言わせてもらうと、以前高校で教えてた程度の行列教えたって役に立たないよ。行列というか線型代数は、固有値を理解できてなければなんの意味もないものだ。

シェイクスピアモーツァルト経済効果行列経済効果より上だとは思えない。

シェイクスピアはともかく、モーツァルトがいなかったらオーストリア(特にザルツブルグ)の生活水準は間違いなく一段階落ちるよ。あそこは観光立国だからね。イギリスにしてもそうだけど、没落した帝国過去の遺産で食べるための創意工夫として古典を普及するというのはよい手段だとおもうけどな。そして、日本人口が減る、即ち国力は低下するわけだし。

http://anond.hatelabo.jp/20080413013106

横から口挟むけど、具体的に日本古典教育にどんだけの経済効果見込んでるわけ? それが何人の学生を将来食わせられるの?

カネの話するなら、数学教育をもうちょっとまともにしたほうがいいと思うがね。昔みたく高校行列教えるようにカリキュラム組みなおせと。相当広い分野で使うんだし。

シェイクスピアモーツァルト経済効果行列経済効果より上だとは思えない。

http://anond.hatelabo.jp/20080412232655

総論賛成、各論反対、かな。たぶんあなたとは考えの根本は似てると思うんだ。でも結論が違う。

現在使われている言語(つまり、英語国語数学、あるいは今後は中国語なども)を習得することは、それ以外の学科を学ぶ基礎になるでしょ。だから、優先的に学ぶ必要がある。まず、国語の読み書き能力が無ければ、数学理科社会も理解できない。

えーとね、俺はむしろ古文や漢文が「現在使われている言語」の特殊な一部分、あるいはその基礎を形成すると思うんだよね。数学理科と似たような意味で、ね。

で、どういう分野かというと文学とか歴史とか古典芸能。というと、そんなの一部の人趣味だろって言われるかも知れない。そこが俺は違うと思うんだ。この手の文化は観光資源というか国のPR材料だと思うのね。だから、どこの国も古典国民に教え込もうとしてるんだと思うし、それは戦略として正しいと思う。

たとえばイギリスシェイクスピアオーストリアモーツァルトでどんだけ金を儲けてると思う?世界中からファンが集まってくるし、関連製品を輸出することもできるし、専門家派遣して国に対する好感度を高めることができる。勿論、イギリスのその辺のオッサンはサッカーに夢中なんであってシェイクスピアなんてのは学校で一部分を抜粋で教えられた退屈な作品の作者にすぎないはず。でも、シェイクスピアの名前すら知らないってことはないはずだろ。俺たちが誰でも源氏物語存在を知ってたり、そこから「あさきゆめみし」なんて派生作品が現代でも生まれたりするように。そうすれば、シェイクスピアのファンはみんなイギリスシンパになるし、イギリス旅行をしたいと思うだろう。

というわけで、古典文化を学校で教えることは、商売のネタになると思うんだよね。少なくとも、「この国は伝統ある文化国家だ」と思ってくれれば、勘違いして敬意を払ってくれる人が増えるでしょ。それだけでも現在の商売に有利になるわけだしね。

ところで話は逸れるけど、国語数学を教えれば理科社会が独学でなんとかなるってのには賛成できないな。早い話、理科実験学校で絶対やらないといけないことだと思う。科学机上の空論でないことは体で覚えてもらわないとね。

「選ばれた人」は、ある特定の価値基準で「選ばれた人」なわけだ。ある特定の価値観競争したピラミッドの頂点にいる人が「エリート」。そういう人を生み出すための公教育なんて、くそ食らえだとおれは思ってる。

感情的には賛成。だけど、公教育も含めて国ってのは結局商売なわけで、国民に飯を食わせて安全を守る義務があるよね。特に日本みたいに資源もなく農業が弱体化した国は、外国にものを売って資源と飯を買ってこないといけないわけだし、国民を商売人として教育せざるを得ないのは仕方ないんじゃない?実際、日本を含めたアジア諸国で数学理科を頑張って教えてるのは、それが商売のネタだからでしょ。

もっといえば、俺は英語なんて大嫌いだから本当は勉強したくないんだけどさ。言語学的にも英語というのは世界言語の平均像と乖離した部分が大きいし外来語が多くて語彙体系が一貫してないしで、共通語としては日本語と同レベルに不適格だと思う。本当はラテン語(せめてイタリア語スペイン語)あたりを共通語にするのが一番合理的だと思うけど、そんなこといったって世の中はおさまらないでしょ。だから俺は仕方なく英語勉強するしTOEICの点数を上げようともするし、イギリス人子供シェイクスピアだのラテン語だのに苦しめられる。しゃあないんですよ。商売なんだから。

2008-03-04

どうでもいいが

モーツァルト子守唄を歌わない」の文庫版表紙に主人公ベートーベンがでてないのはいかがな物か

と思った

漫画版から読むと特に違和感

2008-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20080106015958

ホームレス、ね。知り合いの知り合いが若いのにホームレスなっちゃったんで、人事ではないのだけど。

モーツァルトみたいな生涯を選ぶか、ルーベンスみたいな生涯を選ぶか、て感じになるのかなあ。

どちらにせよ迷惑をかけない限り、自分の選んだ人生生きるのが幸せだと思うのだけど。

世間との幸福なつながりを得ながら、というのもあれば理想的だけどねえ。

2007-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20071129094944

東大卒とかでも明らかに精神的にわがままでやばい人とかいるだろ。

フォン・ノイマンなんて表面上は理系だけどそれ以外の分野にも詳しく神童だった。でも彼は別に酔っているわけでなくても秘書スカートの中にふざけて頭を突っ込んだりしていた。モーツァルトなんて評価の高い曲を後世に残したり、大人の時に書いた大人相応の手紙親族に送っている。でも彼は、ちょっと、アレだよ。

表現能力が優れていようとそれは本当に、精神的な成長にはあまり関係ない。

2007-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20070916075913

まあしかし、ことエロ漫画専門と見なされてる漫画家が実はどういう絵が得意なんて、作品が世に出てこない限り窺い知ることもできないからなぁ。

作品を実際に見てから評価するのがいいんじゃね?

彼のモーツァルトだってある時期は「お馬鹿オペラ専門」と見なされてたわけでしょ?

2007-06-05

天啓を得た

昨日寝起きに屁をこいたら3発でた。

ブッ、ブッ、ブッ。

その音階ピッチタイミングスタッカート具合。

とにかくすべてが完璧だった。

なにか楽器が鳴ってるのかと思った。

しかもその曲が

マリアカラスあたりがよく唄ってる、

アーーアッアッアッアッアッアッアッアッアーー

アーーアッアッアッアッアッアッアッアッアーー

の、イントロ4音のうちの3音だった。

頭の中で天使あたりが光臨してきた。

バッハだかモーツァルトだかヴェルディだか知らないがこんな風にして曲をつくったのかと思った。

あそこまで完璧音階はありえない。

たぶんこれから一生こんなこともないだろう。

そんなことを昨日増田で書いてから寝ようと思ったら増田が落ちていた。

書いて忘れるつもりだったのに、おかげさまで長期記憶に入ってしまった。

これは一生忘れられないかもしれない。

2007-03-18

上機嫌に生きること

今日天気がよくて、めずらしく上機嫌に過ごすことができた。

料理して家族と食べて、歩いて散歩に行って、夕飯のお買い物して帰ってきただけで何もなかったけど、本当に楽しい日だった。いつもこんな風に上機嫌に過ごしたいと思う。たとえ不幸な日にも。

不機嫌でいることは自分や自分の人生精神や周りの人や生活のすべてを少しずつだめにしてしまうような気がする。

モーツァルトをとても尊敬している理由のひとつに、いつも上機嫌だったっていうのがある。(もちろんあんなに美しくて神々しい音楽を作ったということもそうだけど)

吉田秀和の『モーツァルト手紙』を読むとわかるけど、モーツァルトはいつも上機嫌だった。モーツァルトは傍からみて必ずしもいつも幸せだったというわけじゃないのに。お金がなくて借金を重ねて、スポンサーに意地悪されて、バカにされたりしても、それでもいつも上機嫌で、仕事をして、しかも家族を愛して、そう手紙に書いた。

バカで子どもみたいで、金づるを得るために賢い振る舞いができなかったかもしれないけれど、私はそうできる人よりも、どんなに優れた人よりも、いつも上機嫌だったモーツァルトというのがとても好きだ。

上機嫌でいること、自分を愛すること、人生を愛すること、家族身の回りの人を愛すること、そういうことがとても大事だということは、それを読んでもわかるけど、モーツァルト音楽を聴くと一瞬でわかる気がする。

モーツァルトというと、初心者音楽だ、とか、オンナコドモの趣味だ、とか言ってしまう人は、本当にかわいそう(実際私は、初心者だけれども)。あの幸福感、人生幸福感がわからないんだと思う。

上機嫌に過ごした完璧な日には、そういうのがとてもわかる気がするのだ。(もちろんそういう気分じゃない日もある)

2007-03-12

音楽で鑑賞の授業

僕が中学校だった時。

音楽の時間に、クラシックを聞いて、その感想を書く、いわば、鑑賞の時間が嫌いだった。

別にクラシックが嫌いというわけではない。感想を書くことが嫌いだった。

確か、モーツァルトだとか、ドボルザークだとかの曲があったような記憶がある。

多分偉大であっただろう昔の音楽家たちの曲に、自分が意見していいのか。

音楽の知識も無いし、作曲家が何を思って曲を作ったのか、そんなことは何一つ知らなかった自分。

何か自分はその曲に見合った感想を書くことができるのだろうか。

 

相当な時間悩んで、結局、当たり障りのないことを書いて、提出した。

あまり、内容は思い出したくない。

 

しかし、今思えばこう書いておけばよかったのではないか。

この曲を聞いて感じたことは、とても言葉なんかでは言い表せません、と。

2007-03-01

Re:動画の力

いや、『アイダホ生まれの農民の娘が、9才の誕生日に買って貰ったビデオ映像の時代のモーツァルトになる時代』がきっと来る!

http://anond.hatelabo.jp/20070301153254

『 』内は誰かの台詞なんだけど、誰のか忘れた。(細部はテキトーだし)…この台詞を聞いていると、その余りの比喩の美しさで、本当にそんな時代がくるような気がしなくなくなくない?

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