はてなキーワード: メンバーシップとは
「インターネットキャバクラ」「弱者オタクの巣窟」などと散々な言われようなVTuber界隈。
自分も例外に漏れず、VTuberにあまりいいイメージを持っていなかったが、
とあるVTuberの、自分もやっているゲーム実況配信がたまたまオススメに出てきたのをきっかけに見るようになった。
気づけば歌枠や雑談配信を楽しみにしたり、絡みのある他のVTuberのチャンネル登録をしたりと
5~6年ぐらい前までは声優や歌手ユニットなどのイベントやライブに行ったりと追いかけてたけど、
仕事や身辺が忙しくなってパッタリ遠ざかっていたので、明確な推しができたのはかなり久しぶり。
「インターネットキャバクラ」とはいうものの、「認知されたい」等の欲求がなければ
ただ聞いているだけ、コメントを残すだけでスパチャを投げない自由がリスナーにある。
メンバーシップ配信でしか聴けない配信もあったりするが、概ね月500円ぐらいと良心的だと思う。
自分は買った事ないけどボイスやグッズ等、リターンがある形で推しを応援できるのもよい。
また、1時間単位の配信を見る時間がなかったら、有志の作った切り抜き動画で見どころだけ見てもいいし、
自分の資力や持ち時間に応じて楽しめるお手頃な趣味だなと思った。
破産するレベルで金を突っ込んでる人はヤバいと思うけど、ゆったり楽しむ分にはお金も出ていかない。
その人はゲーム配信をメインに活動している人で、チャンネル登録者数や同接もそこそこいる、所謂中堅配信者というやつ。
話を聞くにおそらく本業は別にあって、配信自体は趣味でやっているんだろうけど、収益も発生していることから最近は副業として活動している面もあるんだと思う。
そのせいかわからないけど、段々とその人の中で「メンバーシップに加入していないこと=悪」みたいな価値観になっている気がする。
例えばメンバーシップ非加入者から、「頑張ってください!応援しています」というコメントが来ると、
と少し不満げに返す。
「じゃあメンバーシップ入ったらどうですか?」
と嫌味っぽく返して、ありがとうすら言わない。
言い方も割とガチめにというか、ふざけている雰囲気ではなかった。本人はそれで笑いをとっているつもりなのかもしれないけど、少なくとも自分は笑えなかった。
そりゃ配信者からしたら、メンバーシップの月額料金も大切な収入源だろうし、なるべく多くの人に加入して欲しいと思うのは当然だと思う。
でもだからって、自分の動画を見てくれている人に、圧力をかけるような真似をするのはどうなんだろう?と思ってしまう。
人それぞれ色んな理由があってメンバーシップに加入するかどうかを判断していて、中には経済的な理由から入りたくても入れない人だっているだろうに。
自分はその配信者のメンバーシップにずっと加入し続けていた。けど、最近の非加入者に対する言動から段々とその人から離れつつあって、今継続するのをやめようかと考えてしまっている。
これ。
熱意があるかどうかを知りたいってのは分かるけど
それでなんでいわゆる「志望動機」を聞く必要があるのか、さっぱり分からない。
就職活動のための「志望動機」って就活業者や本のマニュアルに沿って無理矢理捻り出されたものなので
個人の熱意を見るにはこんなに不適格なものもないと思うんだよね。
演技が上手い、取り繕うのが上手い人が選ばれるって事なので、メンバーシップ型には寧ろマイナスに思える。
そういう事を知りたいならば、(プライベートに踏み込みすぎない程度に)世間話や雑談を入れればそれで済む話だと思うんだけど。
『志望動機を聞くのはメンバーシップ型だから - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)』
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-d446b5.html
YouTuber、ストリーマー、Vtuber、ゲーム配信者、実況者、競技プロ等いろんな肩書きがあるが、とりあえず何かしらプラットフォームで配信活動をしている人を一律ストリーマーとする。
配信枠があれば見る、程度のストリーマーが何人かいたが、最近蛙化現象に悩まされている。
次から次へと冷めてしまうので見る人がいなくなりつつあり困っている。
顔出ししてるしてないに関わらず、言動や服装一つでスッと冷めてしまう。
服装がダサいのは個人の好みなので気にならないのだが、それを多くのファンがべた褒めしてると、スッと冷めてしまう。
顔が良い悪いも関係ないと思っているが、どう見てもフツメンの人にファンがイケメン!と顔出しを歓迎していると、スッと冷めてしまう。
社会人として一般常識的な発言をしても、ファンが博識、さすが!と賛辞を送ると、スッと冷めてしまう。
書き出してみると、ストリーマー自体というよりも、ファンのコメント欄から、「価値観の違うお前が所属すべきコミュニティじゃない」と言われたような気持ちになって(実際そうなのかもしれない)冷めているのかもしれない。
https://www.youtube.com/@yukkuri_abasan/about
例えば、6月の再生数は13万回ほどなのだが、持ち主によると8万円の儲けが出ているらしい。
https://twitter.com/kuroi_riron/status/1649521237323038720?s=20
更に月8万10万のレベルっぽいのに、3、4ヶ月の収益は70万になる。複数チャンネル運用しているんだろうか?
https://twitter.com/kuroi_riron/status/1598972744137609216?s=20
https://twitter.com/kuroi_riron/status/1548203144961982464?s=20
単価の高さは広告を入れまくっているかららしいのだが、単価0.5で計算しても合わないときがある。
https://twitter.com/kuroi_riron/status/1425494180034351112?s=20
1万円のメンバーシップに入ってくれてる視聴者がいるらしいので、やっぱりそういう点で収益が高いのだろうか。
私のチャンネルは登録者7万人いるのにこいつに収益負けてるのでちょっとやってられない。
これで分かることは、とりあえずミッドロールははさみまくったほうがいいということだ。私ももっと入れてれば今頃1000万円くらいは稼げてたんだろうな。
とにかく育休育休!と推進してるけど日本ではかなりの歪みが出てると思う
結果、育休取った人に対するいじめや法的にグレーな退職勧奨が頻発したり、フォローしてる人が精神疾患になるとか、採用における女性差別が正当化されるなど、個人的な感想としては職場の生産性を大幅に下げることにしかなってない制度でとっとと撤廃しろと思ってる
ただ、海外でうまく行ってるところもおそらくあるはずなのでまずはそれを真似るべきだとも考えているが、海外出羽守が、どこの国の制度を真似しろと全く言わないのが気になってる
自分の考察では、日本がメンバーシップ制、海外はジョブ型でフォローする場合は契約変更になるため断る余地がある、フォローした場合は基本給が変わるから文句が出てないのか、あるいは余剰要員を大幅に抱えてるからなんとかなってるのか非常に気になる
アメリカは育休取るならやめろなので参考にならないことを前もってお伝えしておく
とはいえこれまでもCi-enやらDoneruやらで多少のお金は得ていたわけで
Youtubeのスーパーチャットやメンバーシップの手数料で30%近く抜かれるのは
にじさ〇んじさんやホロラ〇イブさんを見て今更キャス主やってても何にもならん!と思って
なけなしの貯金はたいてガワ作ってもらって飛び込んだのに鳴かず飛ばず
3年目に入ったくらいから同時接続者数が2桁で安定しだしてからは精神定期にもちょっと楽だったな
正確には推していたVが無理になったと言うべきだろう。
メンバーシップを解約し、ファンボックスをやめ、Twitterコミュニティから抜け、SNSのプロフィールから推しマークを消した。
とてもじゃないが応援したい気持ちにはもうなれないし、配信を見るどころか名前を見るのすら苦痛になってしまった。
デビュー当日から応援していただけに自分の気持ちに起きた変化にはやや驚いているが、無理なものは無理なのだ。
Vtuberが人を楽しませるものである以上、楽しめないのであれば去るのが道理であろう。
自分のためだけに何かを変えろと物申したり、お気持ちを伝えたりすることもない。そうしたいと思った時点で去るべきだとは前々から思っていた。その時が来たのだ。
だが、このどうしようもない気持ちをどこへともなく投げたくて、こうしてン年ぶりにはてなにログインなどしている。
これはただの思い出語りであり、自分の気持ちに区切りをつけるための儀式に過ぎない。
誰かに読まれることを想定していない、言わば駄文だ。もし読むのならそのつもりで読んで欲しい。
仮にそのV本人が読むことがあっても、もはや知ったことではない。読むべきではないものを勝手に読んでいるだけなのだから。
うすうすあの人のことだと気づいたとして、伝えることのないようにしてもらいたい。
デビュー当日から応援していたと書いたが、この時はまだ推しというほどではなかった。仮にAとしておこう。
当時、私は同じ事務所の別のV(仮にBとする)を推していた。Bに関しては特に語ることもない。
ある時、Bが嫌いな食べ物を罰ゲームとして食べるという配信を行ったのを契機に、「いや生産者が見たらどう思うんだよ、罰ゲームに使われるために生産してねーよ」と思って気持ちが冷めた程度のものである。
後に推しとなるAがデビューしたのは、それとちょうど前後するくらいのタイミングであった。
自作したというオープニングはアドリブで一発録りした珍妙な歌だったが、妙に耳に残った。
ただの変わり者ならばごまんといるが、少し珍しい楽器を得意とし、歌が上手く、放っておけばいつまででも話し続ける軽妙なトーク力も魅力だった。
配信慣れしていないために普通ならば見せてはいけないソフトのUIが見えてしまうなどのトラブルさえ一つのギャグとして成立していた。
毎日のように配信に赴き、多くのコメントをした。コメントは毎回が大喜利のようだった。配信をおもしろくしようというリスナーとAとの間にコール&レスポンスが起こり、充実した時間を過ごしていた。
やがてAは収益化を達成した。同期が何名かいる中で、早くも遅くもないタイミングだったと記憶している。
お祝いの言葉を送り、心ばかりのスパチャを投げた。ファンを表すキャラクターの造形を一緒に考える配信や、メンバーシップ用のスタンプを考える配信なども欠かさず足を運んだ。
メンバーシップが解禁されればその日のうちにすぐさまメンバーとなり、ファンボックスも設立されたその日のうちに加入した。
継続的な収入があることは活動の計画を立てやすくなることでもあると思い、一度に無茶な高額スパチャをするのではなく、こうした月額課金で細く長く応援していこうと考えていた。
メンバー限定のASMR配信はまるでコントのような笑いを誘うものだったが、それはそれで自分がAに求めるおもしろさそのものであった。
その後もAは順調に活動を続けていった。
今やどちらを見てもVtuberだらけの時代、その成長は緩やかなものではあったが、着実にチャンネル登録者数を伸ばしていた。
だが、おそらくこのあたりだったろう。一つ気がかりな言葉をAは発した。
この数字を達成するのがいかに難しいかは配信をしてみたことがある人ならばわかると思うが、それでもAはそう漏らしたのだ。
気持ちはわからないでもない。Aと仲の良い同期の配信はより多くの人が見ていたし、大手事務所のVなどは比較にならない数字を取っている。
だがAのポテンシャルをもってすれば順調に数字を伸ばしていけると、この時の私は思っていたし、そうなるように高評価、最初から最後までの視聴、SNSでの共有、アーカイブへのコメントなど、でき得る限りの応援を行っていた。
Aが自信を失くすのであれば、それを応援して支えるのがファンであると、そう思っていた。
Aが何か参加型企画をするとなれば積極的に参加し、新しいゲームの実況を試みたならばネタバレやアドバイスを決してしないよう気をつけつつ、褒め、気持ちを盛り上げ、それをこちらも楽しんだ。
ただ、今にして思えば、Aの試みはどれもこれも長続きしなかった。
参加型企画に選ばれたゲームは数回やっただけでやることがなくなってしまい、一方で自分はそのゲームをAよりもずっと上手くなっていた。
曰く、「このゲームの配信をしたときの同接が少ない」ということだったが、そもそも配信してほしかったのはそのゲームの次回作であり、システム的に不親切なところのある前作のほうではなかった。
Aはいくつかソシャゲの配信に手を出してみたりもしていたが、続くことはなかった。期待していた反応がなかったのだろう。フレンド制ではなくフォロー制のゲームには、ログイン1年以上前と虚しく表示されている。
幸いにもAは歌が上手かったので、歌枠にはいつもより多くの人が訪れるのが常であった。
正直、自分はVtuber界隈で好まれる楽曲などには疎かったし、そんなに好みでもなかった。これはまぁ、自分の好みなのだから仕方あるまい。
そんなことはおくびにも出さずに弾幕コメントなどをして配信を盛り上げようと努めた。
歌っているとき、Aは楽しそうだった。それだけで自分も満足だった。
ある時、Aは耐久企画をすることを決めた。チャンネル登録者が◯◯人になるまで何かを続けるというアレである。
その数字を見たとき、目を疑った。それまでの増加ペースや、周囲の耐久企画を見るに、ざっと見積もっても10倍以上は無茶な目標だったのだ。
だが、本人がやると決めたことだ。気持ちを盛り下げるのはファンのすることではない。
心のどこかで「そりゃ無茶だぜ」と思いつつも、なるべく長時間配信画面を開いておき、コメントをし、共有もし、新しい人の目に触れることを願った。
配信は当然、長時間に及んだ。丸一日ばかりやっていただろうか。ついに喉と疲労の限界が訪れ、配信は終わった。目標値は達成できなかった。今もまだ達成していない。
それから、Aは体調を崩した。
それでもリレー歌枠などの外部との関わりのある企画は出演し、責任を果たしていた。それはとても偉いと素直に思った。
だが、崩れたのは体調だけではないように思えた。それよりもメンタルな部分、自信喪失のほうが深刻に見えたのだ。
なんとか自信を取り戻して欲しいと思い、ファンボックスのコメント、マシュマロなど、配信の雰囲気を崩さない場所を活用して励ませるだけ励まそうとした。
一発で特定されるので詳細は伏せるが、ファン同士での企画が立ちあがりAに贈り物がされたこともある。
それでも、Aは数字を達成できなかったこと、今の数字が少ないことにばかり目が向き、まるでA自身ではない別の何かになりたがっているかのようだった。
この時くらいからだろうか、配信を見ることが楽しみではなく、応援するための努力になってしまっていたのは。
自分の感覚がすべてではないが、似たような思いを抱いていた人も、もしかしたらいるかもしれない。Aの同接数は落ちていた。
チャンネル登録者だけは増えていたが、ただ登録されっぱなしになっているだけで実際に配信を見に来る人は減っていたように思う。
歌も相変わらず歌っていたが、未だ本調子でないのか、それとも精神的な理由でかはわからないが、精彩を欠いていた。
歌枠の同接数は以前の半分くらいになっていた。
やや変わり種のゲームだが、大手のVが配信して少し話題になり、なおかつまだ配信でプレイされた前例がそう多くないタイトルだ。
Aの魅力が引き出されるような作品だと思い、随分前に自分がリクエストしていたものだった。魅せてくれるはずだった。以前のAならば。
Aは、あまり楽しそうではなかった。どことなくセリフを読むのも下手になっていて、目の前のゲームや、リスナー以外のことを考えているように感じた。
同接数はもう20にも満たなかった。
Aは伸びるための努力としてshorts動画を上げるようになったが、正直どれも見る気はしなかった。
気持ちが離れているのを感じていたが、まだメンバーシップには入っていた。一時の気の迷いであり、まだ応援したいと思わせてくれる何かがあると心のどこかで期待していた。
だが見てしまった。
Youtubeのshorts動画はフィードという仕組みでオススメされるまでは普通は再生されないものである。
Aが「これだけ」と言う数字は、Aの投稿した動画にすぐさま気がつき、応援しているファンの数なのだ。
それを「これだけ」と言っている。
もう見ていられなくなった。
どんな応援の言葉も、伸ばすために協力するあれもこれも、Aには届かない。
Aにとっては今いるファンなどよりも、不特定多数のAを満足させうる十分な数字のほうが大事なのだと思ってしまった。
Aの真意は知ったところではない。ただ、事実としてAが発した言葉によって、事実として自分がそのように感じた。
しばらく離れればまた応援したくなる日がもしかしたら来るのだろうか。今はとてもそうは思えない。
反転アンチのようなことはしたくないので、Aに届かないようにこんな場所に思いを投げている。
だが、少しだけ、ほんの少しだけ考えている。
もし伸びたいのであれば数字のことばかり気にしていないで、今応援してくれている人たちを楽しませることにだけ集中したら良いのではないかと、そう伝えられたらと。
そんなアドバイスじみたことを考えてしまう時点で、もう自分は離れたほうが良いと悟った。本来ここにも書くべきではないのだろう。
くだらない、とりとめのない、どうしようもない文章だ。
応援するなど、こちらの手前勝手な行動だ。それをしなくなるからと言って、何だというのか。
別に何でもないだろう。どうでもいい話だ。
就職氷河期なんて命名するから「不景気のせいで就職難の時期があった」というフレームで捉えがちだけど、
あの時代はもっと根本的な価値観・世界観の変化に直面してたような気がする。
まず、70年代末までに明治以来ずっとやってきた西洋キャッチアップ型の近代化=工業化が完了して、
(最後の人口ボーナスの波である団塊ジュニア世代が成人するまでに労働集約型の工業社会を卒業して)
これからは前人未踏の領域で、あたらしい生き方を模索しなきゃならなかった…んだけど、
バブル景気がやってきて、「深刻な話」はふっとび、お祭り騒ぎになっちゃった。
でも流石に、激動の昭和も終わり、冷戦も終わって大きな地政学的な変化が起こり、
経済はグローバル化が進み、モノづくりニッポンの終わりが予測され、世界の工場の地位もアジアの新興国に移っていくようなって、
もう(経済だけでなく生き方全般の)根本的な改革は避けられないかな?と思っていたところで
本質的な改革どころか、生活を「元に戻す」ので一杯いっぱいの状態…
そんな調子で、本来なら80年代初頭から10~20年かけてやるべきだった本質的なライフスタイルの変革(経済含む)を
ズルズルと先延ばししていたが、いよいよ誤魔化し切れなくなったのが90年代の後半で、
(というか、団塊ジュニアが金を払って学校に行く側から「稼ぎ手」なるのが人口ボーナスの最後の波で、
その波がおさまっていくのが90年代後半だとすると、重なるのは必然か?)
オウム真理教が終末思想にもとづいてイロイロ事件を起こしたり、
旧エヴァンゲリオンが社会現象となるほど大ヒットするのも、偶然じゃないでしょ?
いままで怖くて直視することすらできなかった存在論的不安に対応せざるを得ない時代の空気を反映してる…
本来なら、働き方改革だの、ジョブ型 vs メンバーシップ型だの、春の新卒一斉採用の是非だの、
標準家庭だの、第3号被保険者だの(働くお父さんを支える専業主婦)といった問題は、
80年代に本気出して考えておくべきだった。
IT化、情報化、グローバル化に乗り遅れたのも、明治以来の(自分たちの骨身にしみた)工業化社会の延長で
生きていこうとしたせい…。本質的には昭和サラリーマンのまま、マイナーチェンジで乗り切れると思ってたからじゃないの?
話題になってる「本当はグラビアが嫌だった」問題だが、女優を目指す若い女がグラビアさせられるっていうのは、マーケや企画希望の新人サラリーマンが飛び込み営業や電話営業させられるようなものかと思う。
だから我慢しろという話ではない。これは両方とも、金や力のない若者が経営側に搾取されているのだ。
希望者に対してポストが少ない仕事(女優・マーケ・企画)と金を産むからポストはあるけど希望者が少ない仕事(グラビア・飛び込み営業)が世の中にはある。
(簡素に語る為に言っているだけで、決してその職の人を貶している訳ではない。)
倍率の高い仕事に就けなかった人は、希望者の少ない仕事に着くしかない。それはみんなわかっている。
問題なのは、経営側が金を産むポストに人を集めるために、「グラビアやらなきゃ女優になれない」とか「飛び込みやらなきゃマーケできない」という仕組みを作る事だ。これは仕事上立場の弱いものからの搾取で間違いない。
本来は自分の体に自信があって肌を見せたい人がグラビアをやる、営業を極めたい人が飛び込み営業をやる。それでも人が足りない場合に給与を高く設定して、給与のために納得してその仕事を受ける。
全く違う職業を目指す人に、その道に進むためのステップとして倍率の低い職を設定すると言うのは、金を産んで欲しい側の都合でしかない。
これは日本企業に長く存在したメンバーシップ型人事と年功序列の弊害ではないか。早くジョブ型人事に移行し、自学自習の上本人の希望の進路に就ける社会になって欲しい。