はてなキーワード: メロドラマとは
俺がシド・ヴィシャスって大っ嫌いなの知ってるだろ。何でだろうなって考えて、最近わかったんだ。
あれはね、シドが嫌いなんじゃなくて、まつわる物語が気に入らないんだよ。それを賛美する連中も嫌いだな。悲しくなるように自分で勝手に作って、自分で勝手に陶酔してんだ。そんなの、くそっくらえだよな。連続性だとか、継続だとか、因果関係だとか、死ぬほどどうでもいいってことだよ。瞬間が全てなんだ。本人はそんなに悪い人じゃないと思うけど、くだらないメロドラマはごめんだ。人生を馬鹿にしてやがる。
何でもかんでも物語仕立てにしやがって。そんなにみんな、ストーリーが好きなのか。俺は全然否定するね。ドラマなんか、くだらないよ。
趣味の一環として映画字幕を翻訳する、と言っても、そんなに難しいものではない。
DVDによっては耳の不自由な人向けの全セリフ入り字幕が入っているのでヒアリング能力は要らないのだ。字幕はテキストファイルではなく画像ファイルで入っているのでOCRが必要だが、試行錯誤していくうちに認識率の高いフリーソフトも見つかった。似た文字が多いから時々手動認識すら間違えることもあるし、稀に字幕そのものが間違っていることもあるのだけど、google検索すれば一般的な単語は「〇〇では?」とサジェストされるので、知識が少なくても誤字修正可能になる。IT技術とバリアフリー万歳である。まあ全ての海外DVDがバリアフリー対応ではない、というかそこまで字幕が入っているのは自分の興味のある国では1ブランドしかないのだけれど、その1ブランドが最大手なので全然困っていなくもある。
さて、そうしてIT技術に頼ったところで、翻訳に一番困るのは「固有名詞」である。大体の場合、辞書にはそれらは載っていないのだ。とは言え登場人物の名前はそのままカタカナにしてしまえばいいから、เมย์ไหนはそのまま「メイナイ」にしてしまえばいいし、ป๋องはポンでいい(本当はポングなんだが日本人には最後のグはたいてい聞こえない)。เฟมはフェームで済ましてしまっていい、とかやっていると登場人物にเฉดとฉัตร、カタカナにするとチェットとチャット、1文字違いかよ!みたいなことも出てきてさてどうしようか一瞬迷うがフィクションの固有名詞はなるたけ変えないのが自分のポリシーだからそこは趣味に走ってそのままにして問題ないことにしている。
問題なのは例えば実在の芸能人とか、店の名前とか、車種とかそういうやつだ。字幕にするのはだいたい現代が舞台の恋愛映画、早い話がトレンディドラマだ。そういうところでは現地の観覧者なら確実にわかる固有名詞が山ほど、"ストーリーに絡まない、どうでもいい話題"として出てくるのだ。
おそらくここで「バード・トンチャイ」とカタカナ表記したところでその国で1,2を争うスーパー芸能人の名前を把握できている人は少ないだろう、ましてTik Kanyaratと言われてそれが男か女か分かる人すら何人いるというのだ。Liab duanという場所は自分も知らない、知らないがカラオケが楽しめる場所として有名らしい。Club FridayというTV番組がどの層にウケているのか、ホンダから日本のブランド名を変えて「JAZZ」という名の車が出ていることはどのくらいわかるのか、もうさっぱりわからない。
わからないので、今やっている字幕翻訳に関してちょっと聞いてみた。具体的には先週から1週間ほど、首都にあるデパートの名前をカタカナ表記したものが何のブランドかわかるかTwitter上でアンケートしたのだが、7割以上の人が「何のことだかさっぱりわからない」との回答だった。これら高級デパート、ガイドブックには必ず書かれている有名デパートにも関わらずなのだ。まあ、現地駐在で働いているか年数回も同地に旅行に行くようなマニアでなければそんなものかもしれない。
固有名詞は現地のローカルブランドに限らない。アニメ「Ben 10」は日本ではカトゥーンネットワークで放送されているアニメの主人公の名前でありアニメの名前でもあるが、そう言われただけで日本人のどのくらいの人がそのアニメを思い出せるだろうか。そう考えてみるとあの映画会社の映画には「スーパーサイヤ人」とか「ドラえもん」とかいう言葉が何のエクスキューズもなく入り込んでいて、それだけでどれだけ現地の人にそれらが受け入れられているかがわかる。レベルの差はあれ現地では「Ben 10」もその枠に入っているわけだ。
ちなみにその辺が野良英語字幕だとどうなっているかというと、だいたい無視されている。デパートの名前は服飾店のブランド(クリスチャン・ディオールとかな)に完全意訳されてたりした。日本で売られている数少ないDVDに付いてくる正規の日本語字幕もそういうのはやっぱりきついらしくて、現地アルファベットの勉強法をなんとか英語風に訳したら「現地のことをわかってない、ひどい」とAmazonレビューで酷評されたりもしている。自業自得とはいえあれは可哀想だ。こちらは、別に売ったり配ったりするものじゃないし、調べてなんとなく理解もしたから基本的にはあまり気にせずにそのまま残すのだが、流石に「JAZZ」は「フィット」に書き換えたし、Club Fridayは「週末のメロドラマ」にしたり、「Tik Kanyarat」は「ワイドショーの旅番組(そういう番組のMCなのだ)」にしたりした。なんだよこんなのもわからないのかよと粋がってみても、自分が知らないものもいっぱいあってそれらは適当に書き換えてしまうのだ。
映画オリジナルの固有名詞は固有名詞で困ったことがある。そう名付けた理由があったりするのだ。เมย์ไหนは実はเมย์ ไหนと分かち書き可能で、固有名詞としてだけでなく「どのメイだよ?」という質問文にも読める。しかもストーリーでは、犯人探しをしている主人公が「犯人はメイだ」と言われた時にそう質問しかえして「なんだお前知ってるのか」と納得される重要なギャグシーンに使われるのだ。本職の字幕なら「どのメイだよ?」という字幕に「メイナイ」というルビを振るのかもしれないけれど、テキスト字幕でルビを振るのは難易度が高い。なので同じ響きの駄洒落でごまかした。勘弁していただきたい。
ダス! イスト! デア! トロプフェン! デス! アルラウネ!
アイネ! クライネ! ナハト! フランケンシュタイン!
イッヒ! リーベ! ナツィオナル! ソシアリスティッシェあわわわわわ! この辺で。
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“幻想芸術集団 Les Miroirs(レ・ミロワール)” という豪快な源氏名を名乗っているが、つまりは都内の小劇団だ。
んーむ、どういうことなんだろ、また芝居を観に来てしまった。
これまでの人生で演劇なんて片手の指にあまるくらいしか行ったことないのに。
ひょんなことから、とある小劇団の芝居に行ったのが先月。
劇場でダバっと大量のフライヤー(チラシ)を渡されるので、眺めているうちに妙に気になって今回はこの劇団の演目『アルラウネの滴り -改訂版-』を観に行ってきた。
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観劇後の印象がなかなか良くて、それで妙に語りたくなったので記録の意味でレビューを残しておくことにする。
当方、舞台観劇はズブの素人なので、マニアから見たら噴飯モノの印象がバンバン飛び出すことと思われるが、そこはヌルく見逃してほしい。
あと、上演も終わっていることだし、ネタバレ上等で書くので、そこは4649!
それでは、行ってみよー!
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■全体として
先入観が無かったといえばウソになるわけで。
幻想芸術集団という大迎なプレフィックス。
おフランス語の劇団名でミロワール(鏡たち)というのは、つまりキャスト達のことだろう。
豪奢な近世ヨーロッパ風衣装。
中央には男装の麗人。
「これはきっと、『ベルばら』風にお嬢様たちがキラッキラにやりたいことだけをやりたおした豪華絢爛、欧州絵巻だろうな」と。
それで、「どれ、どれだけ背中とオシリが痒くなるか、いっちょ見てやろう」くらいの気持ちで足を運んだのだが。
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これが。
開始10分で背筋を伸ばして、
脳を総動員して、
つまりは本気でストーリーを追いかけることになった。
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近世ドイツを舞台にしたバリバリに骨太なサスペンス/スリラーになってる。
そりゃそうだよな。
単なるキラキラ少女漫画ワールドだけで、旗揚げから10年以上も劇団が存続できるワケないもんな。
幻想的な要素は “アルラウネ(マンドラゴラ)の美女を集めた娼館” というキー・ガジェット一点のみ。
あとは細部まできっちりと整合したダークなクライムストーリーで。
(このへん、『スリーピー・ホロウ』(ティム・バートン)に通じるものがあるな。
あれも超現実はデュラハン(首無し騎士)の一点だけで、あとはストレートな推理モノだった)
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そして、今さらながら。
自分がなんで演劇を面白いと感じるか、分かった。
右から左から、見ても見ても、どこまで見ても情報量が尽きることがない。
これはフレームで切り取られた映画にはない楽しみであって。
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この舞台にしても。
ブリンケン伯爵が実に俗物らしくロゼマリー嬢を相手に大笑しているときに、うしろでフローラが嫌悪感をまる出しにしていたり。
カスパルが客前で気取った口上を並べているときに、後ろでオリヴィアとペトラがクスクス笑っていたり。
ふとカスパルが来歴をほのめかすときに、バックでアルマがアラベスクをキメていたり。
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どこに視線を固定しても、漏れる情報がある。
これが脳にすごい負担がかかる。
決して不快ではない負担が。
これが自分的な芝居の楽しみだと、劇場を出るときに気がついた。
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作劇について、もうちょっと書くと。
衣装がキラッキラなのは舞台が娼家だからであって、ここを誤解していた。
実際の登場人物はというと、全員が第三身分。
それも、ドラマにしやすい貧民でもなければブルジョアでもなく、中間層の知識人というのがニクい。
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そしてデカダンス。
スパイス程度の頽廃なんてもんじゃない。超頽廃。超デカダンス。
なにせ純愛がまったく出てこない。
娼館。
仮面夫婦。
父を求めて得られなかった少年は長じて若いツバメ(愛人)となる。
例外はアルマとカスパルの気持ちが通じるところ、それにヘタレ青年が主人公に想いを寄せるところだが、どちらも一方通行に近い。
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さらに設定考証がすげぇ。
神聖ローマ帝国時代のバイエルンの片隅にある架空の歓楽街、というか売春窟を中心に時代と風俗をガチガチに作り込んである。
おそらく、俺の気が付かないところもガチガチだろう。
唯一、気になったのは
「あれ、ドイツ語圏ならネーデルランドじゃなくてニーダーランドじゃね?」
ってところくらいで、これも観客のアタマへの入りやすさを選択した結果だろう。
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うん。正直に言うと、作り込みすぎじゃね? っていうところもあった。
具体的に言うと、ダイアログが文語中心で、若干だけど苦しい。
当方、語彙力にはそこそこ自信があるオッサンだが、それでも、
「じい(侍医)」とか、
「せんていこう(選帝侯)」とか、
会話をトレースして理解するのにアタマを総動員する必要があった。
かと言ってなぁ。
そこを「侍医」→「お付きの医者」とか、「選帝侯」→「偉大なる領主さま」とか言いかえるとテイストがどんどんボヤけるしなぁ。
時代のフレーバーとして、いたしかたなしか。
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ほかにも上に書いた「若いツバメ」とか、娼館ではロウソクがタイムチャージに使われていたりとか。
ともかく文学的で含みのある表現を多用していて、ターゲット年齢が高いか、あるいはマニアックな層か、ともあれコレくらいのレベルが普通なのかな?
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あと、要求水準の高い批判をすると。
“階級社会の不条理に対する怒り” というのを冒頭に打ち出した割には、通底するというほど通底していない。
21世紀の今から見て付け足した感じ。
フレーム全体の仇役としてエーヴェルス先生を立てて、カール殿下の誅殺を5分のエピローグとしてサラっと流したので余計にそんな感じがする。
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もう1つ細かいことを言うと、カスパルとエーヴェルス先生がクライマックスに対峙するまでハチあわせしないのは、苦しくないか?
それを言うのはヤボというものか。
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ま、ともかく。
全体として、チケット代以上に大いに楽しみ、没入し、満足した。
見て損はなかった。
ほかの演目については保証しかねるけど、再演のときには是非とも足を運んでみてください。(繰り返すけど、俺は関係者じゃないよ)
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以下は、キャストと演出について
※普段は「役者は顔じゃない」というのがポリシーなんだけど、ここまでビジュアルにこだわった劇団と演目に対しては、しゃーない、キャストのビジュアルについても言及させてもらいます。あしからずぅ。
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■男優3人
劇団と演目を全体として俯瞰すれば。
耽美で退廃的なテイスト。
きらびやかな衣装と意匠。
おそらく女性中心の運営で女性中心の企画立案で女性中心のキャスティングをしている集団だと推察するけど。
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自分にウソはつけない。正直に言う。
観劇後の印象は男優三人組が大部分かっさらって行った。
全員が客演。
おそらく、3人が3人とも、キャスティング担当者が選びに選んで一本釣りで連れてきたのだろう、と、思う。
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エーヴェルス先生の狂気、
フランツの怯懦と勇気、
ブリンケン伯爵の俗物さ。
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多分それは、つまりこういうことだろう。
女性陣、主人公2トップをふくめ、大部分のキャラクターは何らかの葛藤や二面性を抱えていて、心理に微妙な綾があるのに対して、男性陣3人は完全にバイプレイヤーとしてストーリーの進行装置以上のキャラクターが割り振られていない。
あとはそれを渾身のパワーで演じれば良いだけで、結果としてものすごい強烈でシンプルな印象をこっちに叩きつけてくることになる。
これが観劇初心者の俺みたいな人種にはビンビン来るのよ。
ある意味、三者三様にヨゴレで良い役をもらってるとも言えるわけで。
こればっかりは、しょうがない。
こういう観客もいるということで、ひとつ。
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■高山タツヤ(エーヴェルス先生)
いやしかし、悪役ってオイシイよな。
自分的には今回の演目でこの人がNo.1。
最初はシャーロック・ホームズ的な近代合理精神の尖兵として事件に切り込んでいくのかと思いきや。
途中からどんどんマッドサイエンティストの素顔が出てきて、終盤すべての黒幕という正体が明らかになって、最後はムスカ大佐みたいに天誅がくだる。
宣伝スチルでは “生に倦み疲れた貴族” みたいな立ち位置かなーと思っていたら、もっとパワフルだった。
理性的で狂人、策謀家で紳士、もうテンコ盛り。
唯一の難としては、演技とキャラクター作りが設定より若干、若く感じた。
そのせいでカスパルとの対比が弱い。
しかし、それにしても、実験体のときにカスパル13歳、エーヴェルス24歳。
最後に対峙した時点でカスパル31歳、エーヴェルス42歳か。
これまた描写の難しい年齢差を持ってきたな、とは思う。
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■谷英樹(フランツ)
普段は剣戟主体のアクション俳優さんらしい。もったいない(と言ったら失礼か)。
ねぇねぇ、性格俳優やりましょーよ。
できますって絶対。実際できてたし。
高い鼻筋、シュッとした輪郭ともあいまって、ヨーロッパのダメダメ青年を完全に演じきっていた。
迷い、失敗し、バカにされ、それでもフローラへの思い一徹。
というか、この劇中、唯一の未熟者役で、これは配役としてよいポジション。
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■杉山洋介(ブリンケン伯爵)
たぶん、この人はただの色ボケ爺ぃじゃないよ。
宮廷の権謀術数、
複雑な典礼プロトコルの知悉、
家門の切り盛り。
そういったシンドイ大事や雑事を乗り越えて、やっとこさトレッフェン通りで馴染みの嬢を片手に思いっきりハジけているところに腹上死。
涙を禁じえません。
そういう想像が働くところが、杉山氏のキャラクター作りのなせる技かと。
いや、たんなる家門だよりのアーパー伯爵っていう設定かもしれないけどさ。
ともかく、そんな感じがした。
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ストーリーも半ばを過ぎたところで、ハタと気がついた。
「カスパル、フローラが客から評価をもぎとってくるフォワードだとしたら、オリヴィア、ペトラ役のこの2人が失点を防ぐディフェンダーなのね」
アルラウネだけじゃない、葬儀の席のゴシップ婦人、伯爵家の侍女と、早着替えをしながら、縦横無尽に八面六臂。
よほどの高能力者じゃないと、こうはいかない。
逆に言えば。
ストーリーのスケールに比してジャスト10人という少数精鋭のセッションで。
もしもこの2人が「私たちモブよ、モブよ、モブなのよ~」と手を抜いたり段取りが悪かったりしたら?
それこそ目も当てられないほど悲惨なことになるのは想像できる。
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この芝居を観た人がいたら聞きたいのだが。
ストーリー展開のつなぎが悪かったところがあったか?
会話のリズムと展開がギクシャクしたところがあったか?
状況の説明が足りないと感じたところがあったか?
少なくとも、俺にとっては無かった。
これ全部、彼女たちの仕事であって。
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こうも言える。
「観客を40人と仮定して、80個の目玉とその批評眼の猛攻を、2時間近くの上演中、ゼロ失点でしのぎきった」と。
しかも、それだけじゃない。
「それじゃ、ここはカスパルを見ていよう」と視線を切ったままにしておくと、いつの間にか “弱気なオリヴィア” と “地味に辛辣なペトラ” がシャドーストライカーとしてヌッっと認知の前景に割り込んでくるから油断がならない。
専属キャストがスポットを浴びて歌い踊る後ろで、 “舞台成立請負人” として劇団を渡り歩くって、ックーッ! シビれるっすねぇ(想像のしすぎか)。
特にオリヴィア役の武川さんはホームチーム無しのフリーランサー。
次にどこで会えるかもわからないという、この西部劇カウボーイ感。
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■マリコ(伯爵夫人クロリス)
夫に先立たれ、あとは家門を守る化石となりつつある中、若いツバメとともにふと訪れた春。
でも心の底では彼が自分を利用しているだけと気がついていて、寂しさがつのる人生の晩秋。
っていうメロドラマ的挿入話を、たった1人でゴリゴリ成立させてしまった。
オフショットを見たら、周囲に負けず劣らずの美人さんなのに、哀切よろめき婦人にサクッと変身するあたり、地味にスゴいよ、この人。
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■中村ナツ子(ロゼマリー)
加東大介(『用心棒』)といい、中村梅雀(『八代将軍吉宗』)といい、馬鹿キャラってオイシイよな。
と、思いつつ、可愛い子チャンで馬鹿キャラってのは失敗例が山ほどあるワケで。
美人馬鹿キャラ、厳密に言うと “短慮と衝動、それに浅知恵で状況を悪化させるキャラ” っていうのは、全世界のホラー/パニック映画ファンが怒りまくってることからも分かるとおり劇薬であって、書くのも演るのも本当に難しくて大変で。
(フィクションで最近の成功例だと、『デスノート』の弥海砂とか。自分の中では『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のネルシルタとか)
その中でも彼女ロゼマリーの配役と演技は大成功と言っていい。
シナリオ、人物造形、演技の巧みさ、3つが合体して、ストーリーを停滞どころかグイグイ展開させる存在として実に効いている。
アルラウネたちが、それぞれどこか華美な中にもダークさを感じさせる装いの中、ひとり明るい髪色でキャるるンッとしたバービー人形のような出で立ちも良い。
彼女を舞台で見るのは実はこれが初めてではなくて、かなりの美形なことは知っていたけど、作りようによっては、なんというか、 “こういう美人” にもなるのか、と今さら驚く。
(彼女の第一印象については、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
の中村ナツ子の項を参照のこと)
というあたりで。
最後に。
あー、業務連絡、業務連絡。中村さん、編集者やってみる気はありませんか? 原稿ライティングができてAdobe製品が使える最強のマルチ編集者になれますよ。その気になったら、いつでも当方に声をかけてください。
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■麻生ウラ(アルマ)
うー、うーうーうー。モゴモゴ、わかった、言う。
えー、強烈な声優声なのは、演出上の要請か、それともそれ以外の発声メソッドを持っていないのか。前者だと信じたい。
さて。
最古参のアルラウネ、そしてカスパルの右腕として気持ちを交わし、動き、嘆き、そして踊る。
ちょうどキャプテン・ハーロックにおけるミーメみたいな立ち位置。
キレイどころ揃いのキャストの中でもアタマ1つ抜けているビジュアルとダンスを買われての登板か。
(「ビジュアル充実で演技とダンスが良いなら文句ねーだろ」という方は、この項の2行目を参照のこと)
休眠状態の彼女のポーズを見て、開場のときに舞台においてあったオブジェの意味がやっとわかった。
それにしても。
とんでもなく整ったマスク。
スレンダーで柔軟な身体は恐ろしく妖艶に動く。
世を忍ぶ仮の姿はバンドヴォーカル兼ヨガ・インストラクターとのこと。
ドュフフフフ、オジサンに勤務先教えてくれないかなぁ。
(この6行、後でカット)
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■乃々雅ゆう(フローラ)
アイライナー(と、おそらくカラコン)を差し引いても深い情熱的な眼、意志の強そうな頬からおとがいのライン。
なんというか、豪華欧州絵巻を演るために生まれてきたような。
実際、ブルボン王朝の末席にいて、ベラスケスが肖像を描いてそうだ。
その意味では、この劇団の申し子みたいな雰囲気。
立ち上げからのメンバーかと思った。
そのくらいピッタリの所属先を見つけたと言えるんじゃなかろうか。
宣材写真を見たときはもっと毒のある雰囲気で、「ふむ、このヒトが超々々毒婦をやったら面白そうだ」と思って劇場に行ったんだけど。
なんというか、キャラクターもご本人も想像より瑞々しい感じの人だった。
“運命と戦うヒロイン” という、もう本人の雰囲気そのままの役回りを手堅く好演。
娼館の女主人のときはもっと毒々しくても良かった気がする。
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■朝霞ルイ(カスパル)
どんなに声のトーンを落としても客席まで声が届いていたのは彼女だけだった。
ベテランの風格。
打ち棄てられた実験体児がどこでどうやって成長すれば、こんな艶やかでピカレスクなトリックスターに育つのか、そこを見てみたかった気もするが、そこを書いたらタダでさえ2時間ちかくある上演時間がさらに伸びるので、いたしかたなし。
この俳優さん、眉頭にいい感じに険が出ていて、男装の麗人からリアル美丈夫への過渡期にある感じがする。
男役としては、これからが一番いい時期なんじゃなかろうか。
カスパルがどんな人物かというと。
ん。
待てよ……整理すると!
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1)娼館の影のNo.1として女主人をウラからあやつり、朗々と艶やかな口上を述べるトリックスターで、
2)火災その他のカタストロフから巧みにサバイバルし、言葉巧みに未亡人の情夫におさまる冷徹ピカレスクで、
3)非人道的な実験の結果として対アルラウネ耐性を有する厨二病キャラで、
4)それでいて不幸な幼少期から、どこかはりつめた脆さを感じさせ、
(それは例えて言うならば、ラインハルト・V・ローエングラム的な)
5)そして、こころ疲れた時には情を交わす女アルマが影に寄り添い。
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なんてこったい! 男装女子の演りたいこと、全部入りじゃねーか!
どうなってるんだ朝霞さん! アナタの配役が一番オイシイよ!
観劇前はフローラとカスパルが互いのカウンターパートをつとめるセッティングかと思ったら、終わってみれば伯爵から先生からアルラウネ達からフローラから、もうもう全員が彼との関係性を軸に話が展開するという、まさにザ・主人公・オブ・ザ・主人公!
しかし考えてみれば、そのぶん舞台上でも舞台裏でも負荷は並大抵では無かったはずで、本当にご苦労さまでした。
良かったっす。
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■a-m.Lully
あの役がオイシイ、この役がオイシイ、と書いていて気が付いたが、
全者全様にオイシイ役ばかり。
調べたら当然のごとく、当て書き脚本だった。
この辺が座付き作家、というか作家が率いる劇団の最っ高のアドバンテージだよなぁ。
と、同時に。
「このストーリー、映像化してもイケるんじゃね?
というか、ヨーロッパあたりに売り込んでもいいんじゃね?」
と思ったのだが。
脚本、キャスト、演出のケミストリー(化学反応)による名演と脚本単体のポテンシャルの見分けがつくほど、俺は観劇に強いわけではないので、この印象は保留しておく。
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■大道具・セット
背景と大道具がすごい。なんてったって “何もない” んだから。
物理的に必要な長椅子が脇においてあるだけ。
これ、大英断だと思う。
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メインの舞台となるのは近世ヨーロッパの娼館で。
自分がイメージできるのは『ジェヴォーダンの獣』(クリストフ・ガンズ)くらいだけど、あれを雰囲気だけでも匂わせるには1千万円あっても足りない。
その後の場面展開を考えたら、そこはバッサリ切り落として、そのかわり衣装と装飾品にガッツリとリソース(金と時間と手間)をかける。
少なくとも自分はそう思った。
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で、板の上には何もない代わりに、ステージ背面全体を三分割して並んだ3つのセル(部屋)。
ライティング次第で中のキャストを浮かび上がらせて、複数のストーリーラインを同時に進行できる空間なんだけど、これが実に効いてる。
回想、視点の移動、娼館の部屋それぞれ。もう大活躍。
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白眉はエーヴェルス先生が娼館に潜入するシーン。
ライティングを目まぐるしく切り替えて、それこそ『ミッション・インポッシブル』か『オーシャンズ11』かっていう高速カットバックを実現している。
(いや実際、照明さんは胃に穴が空いたんじゃなかろうか?)
実を言うとアタマのスミでは「それをやりたいなら映画でやったら?」と思わないでも無かったけど、映像作品と舞台の良いとこ取りをした意図は買うし、実際、効果的だった。
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と、同時に。
こうも思った。
「ああ、そういうことか。エイゼンシュテイン以降の変革は舞台にも及んで、自分はいま変革後の作品を見てるのね」と。
MTV以降、ライブコンサートに巨大モニターが導入されて各種フレーミングが可能になったように、舞台も律儀に単一フレーム(場の一致)なんて守ってる場合じゃないよね。
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■最後に、気がついたこと、気になったことをまとめて
・会場の音響が悪すぎ!
卓かアンプが、どこかでバチバチに歪んでる。
せっかく古典派の交響曲でストイックなまでにかためた選曲が台無し。
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・キャパ、狭すぎ!
ねえねえ、次はもっと大きい小屋でやりましょーよ。
大丈夫。大丈夫だって。
連日満員でエクストラシート用意するくらいなんだから。
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・ハッキリとした開演ベルが欲しかったところ。
カスパルがおもむろに登場してアルラウネのオブジェを撤去して暗転ってのは、演出としてどうかと思った
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・プログラムの誤植。
コーヒー愛飲の習慣のところ、 “嫌遠” は “嫌厭” の間違い。
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・余談だけど、今回の上演『改訂版』の前の上演回をみんな『祈念』と呼んでいる。
理由を調べようと思ったけど、まーいーか。
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・キャスティングの軽重に関係なく、みんな多かれ少なかれセリフが飛んだり、噛んだりしていた。
最終日の最終回、疲労のピーク。
ステージハイっていったって、限度があるわね。
その中でもディフェンダー2人(武川、小川)は、自分が見る限り
挙動とセリフに一切のミスがなかったことを記録しておく。
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……んー、こんな感じか。
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ともかく、まとめとして言うならば。
幻想芸術集団レ・ミロワールの『アルラウネの滴り -改訂版-』良かったっす。
大勢の素人門外漢相手に、アニメーターとアマチュアのハイブリッドな坂本龍馬である我が申し上げるが
【製作委も一次請けヤオヨロズも、権利関係取扱いに関する、体制、手順の示し合わせ、が不徹底だった】だけの話で、アニメ業界でなくてもたまにあるケース。
請にも委にも不備が共通してたから、権利違反コンテンツとなり、たつきツイートになったわけで
三方一両損でしかない。民事的には。コンプラってのは、旧来の空気読めだの不文律ってのは通用しないからな。
手順書がなかったら、関係各位全員出席による手順書の示し合わせ意識統一会議の機会がなかったら、原発事故現場で早々に行き詰まって詰んじゃうだろがw日本全国がww
ナアナアの暗黙のやり方がだめだっていうなら、ニチアサ3枠もガンダムUCも企画立案やってきた我はどうなるw
門外漢のままだがギャラもらったこともないが、いずれも主席企画者だぞ。いづみ、、三郎、肇だぞ、この我は。いい加減で許されざる存在の権化だ。
…というわけで、けもフレ製作体制の皆様は今後、コンプライアンスの明文化と意識統一会議を徹底しようね時間が余ってるもんならやってみやがれと。
https://twitter.com/elm200/status/914309449279352832
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914475104452710401
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914479721395580928
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914478075001413633
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914475483579977728
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914480294626869248
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914478327880089600
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たつきだってもうアラフォー視野だしさ、「ぼく二十歳。今年アニメスタジオ起業しちゃったヒャッハー」とは違うわけでな
さすがに発注最上位を名指しするリスクは社会人的にわかってるはずなのだよ。製作委名称でごまかすのが常識だということは。
「丸の内のJVの現場で元請け側にひどいことされた」つう時に、2chちくり板とかにどうしたって「ハザマだよハザマ、あすこのS課長がよー」とか書きたくなるのが人間だろ。
もしかしたらまだ心が17歳で、すぐキレる、思ったことそのまま書く、たつきなのかもしれんが、中の人にしかわからん。
だからビジネス常識的には「たつきのコンプラ違反を口実に、カドカワミカドに密告し【たつき謀反の疑い】で隠岐に島流し、という線が浮上するわけだよ。
カドカワが製作委の主幹かは関係ない。たつきが実際にカドカワに頭にくる仕打ちを受けたかもしれない。
実際、カドカワはあかhりさとrを使い捨てにしていきなり仕事全部横取りしてクビ切った前科がある(ネットでカミングアウト記事になったことがあるhttp://bizmakoto.jp/makoto/articles/1012/30/news001_4.html)。
だがアニメ・ゲームってそういうことあんのよ。漫画は原作者しか作れんから略奪しにくいが。
ふつう、という言い方は語弊があるが
ふつう、12,1話が一回きりだったら、初回だし目こぼしするだろ。だからヤオヨロズもそう思ってただろ。
おかしいんだよ今回。製作委に、たつき切りたがってる一派がいたような容赦の無さ。
たとえば東eの白いクラさんが子供番組大ヒットの業績を請けて副社長になったのに、
それを面白く思わないオトナ番組エリート部課の連中が、地獄少女とか、昼メロドラマみたいに「今に見てろ…」と物陰からずっと睨んでて
次の子供番組がちょっとだけコケたら鬼の首取ったように「ヒャッハーイエーー!白い蔵さん更迭!鋼鉄ジーグーー!」っって部長降格人事クーデター成功させちゃったような、ああいうの。
つづく
このことにもっと早く気づくべきだったのだ
我々は恋愛小説やメロドラマの世界に憧れる前に、自分のすぐ側にいる誰かと何の面白みもない不細工同士のつまらない恋愛をしていくべきだったのだ
全てが遅かった
テレビや雑誌に騙されたまま若さを失って今になり現実で恋をしておくべきだったと後悔している
若い人たち
99割届かないだろうけどあえて言う
物語は1000も2000も味わえばどれも見覚えがある話になってきて退屈になるそれは100個ぐらいを楽しんでるうちには気づけない
そうして飽き飽きしてから気づく
若いうちに自分の身の丈にあった人生をちゃんと生きつつ少しだけ背伸びをしろ
その少しの差で味わえなかった感覚は一生手に入らないしどうやっても補えない
とか言ってる奴は自分でそれが実行できてないカスだから真面目に話を聞く必要はないぞ
同じような後悔を抱えて同じようにくだらない事を言いたくないなら少し背伸びしとけ
今は子役だから少女漫画風だけど大人になったらメロドラマになるんじゃね的な感じなんだけど
以下もろネタバレだが
ヒロインと男二人の三角関係で、ヒロインと相思相愛な片方の男Aが国を追われ
ヒロインはもう片方の男B(ヒロインに横恋慕中)と結婚させられそうになったがAじゃなきゃ嫌だと言って結婚させられないように出家(←イマココ)
んで今後は大人になったAが戻って来るけど既に他の女と結婚していたとか、BがAに嫉妬してAを殺したとかあって
最終的にヒロインは一生独身のままAが残した子供を養子にして後継がせる展開なわけだろ?(史実通りなら)
真面目に語るのもアホらしいけど、モヤモヤしてるので思いつくままに書いておく。
例えば、フィクションにおける女は、いい印象を持つ男が自分に対して定期的にアプローチしてくるもののその本心は分からず、
そのために相手のことを考えてドキドキするとともに徐々に肥大化する恋心と現実との乖離に疲れ果てたその時、
突然のキスといった予想外の衝撃を受けると落ちる、と仮定する。これを「フィクションにおける恋の法則」とする。
これのために男が越えなければいけないハードルは、①いい印象を与える②定期的に会う③気持ちは隠す
④アプローチはする(ドキドキさせる)⑤焦らしに焦らす⑥でもタイミングは逃さない⑦最高のタイミングでキスをする、の7こ。
なぜなら、童貞はまず好きか嫌いか自分でもよくわからない女にはアプローチをしない。
そして好きな女にアプローチをする時は基本好き感が出まくる。そして相手の気持ちなんて全くわからない。
さらに焦らすどころか初っ端にいきなり告白する。あるいは拒絶されるのが怖く徹底してタイミングを逃し続ける。
逃げ恥は、星野源の見た目によって①を、契約関係によって②と④を、童貞ゆえの不器用さによって③と⑤を、
なんとか成立させてはいたが、⑥と⑦は単にヤリチンの見えざる手によって解決させてしまった。
星野源は完璧なタイミングでキスし、ハグする。⑥と⑦こそが童貞に立ちはだかる難問であるというのに…。
では、この⑥と⑦をどう解決すればよかったのか。あらゆるメロドラマは、
この種の取り返しのつかなくなった想いのすれ違いに(基本的にはヤリチンが)気づいた瞬間から、
それを取り返す(例えば女が乗る飛行機の出発に間に合いキスするとか、結婚式に乗り込んで攫うとか)ことができるのか、
という試みを映画的とかドラマ的としか言いようがない瞬間や演出の力を借りながら幾度となく繰り返してきた。
果たして童貞がタイミングを間違えまくっても、逸しまくっても⑥、⑦は解決し、恋が成就するのか、
あるいは、新時代の男女のロールモデルを描くドラマならば、この「フィクションにおける恋の法則」自体を過去のものとして更新してしまうのか、
俺はそれを期待して見ていた。でも、逃げ恥の童貞男は結局下手なヤリチン同様の正解行為を瞬間や演出の力も無いままに再生産してしまった。
星野源は根拠も無いままに完璧なタイミングで「キス」や「ハグ」の正解を出し続ける。
ほら、「ポンヌフの恋人たち」とか、
今年最大のヒットを飛ばした数寄屋橋での男女のすれ違いを描いたメロドラマ(違う)とか、
すずと周作は幼少期に広島の橋で出会って、嫁ぎ先の呉の橋の上で語らい、
シンプルなロマンスだなあと思うだけど、ここで広島の橋に注目したい。
この橋はストーリーには出てこないけど、昭和15年に橋の形がT型に改修されるんだ。
で、その目立つT字型が徒となり、エノラ・ゲイはこの橋を標的に原子爆弾を投下した。
とんでもない、二人のラブロマンスの舞台は広島の惨禍の中心地だ。
でも、この橋は原爆のすさまじい熱線と爆風に耐え、破壊はされたものの落橋しなかったんだ。
終戦後の橋の上で、周作は「この街もわしらももうあの頃にはもどらん 変わり続けて行くんじゃろうが」
すずは「この世界の片隅にうちを見つけてくれて、ありがとう」と、二人は爆心地の方角を見ながら語り合う。
このささやかな物語の中で戦争が始まる前から縁を紡ぎ、終戦後に夫婦の絆を深めた場所に選ばれたことで
23歳になってようやく、10歳頃からの慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。
中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、
「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
的類いのものと捉えてくれていい。
2016年6月の終わり頃、Twitterのトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。
なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。
という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。
が。
どこもかしこも大絶賛の理由がである。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである。
特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。
いいのかそういう着地で?
多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である「矢口」(ハセヒロ)という人物である。
会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から「想定内」の結論ありきな形式的なものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物の存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会からの非難を怖れた日和見で政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、
派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラの被害を食い止めるための解決策へと動く。
これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくまで死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。
「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかしある意味では強みになり得るという着地だ。
超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。
ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクターは存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいるものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである)
「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)
これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。
更に、情報や知識の独占の否定。矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラの細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報の価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。
<超越的>存在であるゴジラに対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」
でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定と統合性が取れていないし、
むろんこういうのは、思想的な好き嫌い、価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である。
矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、
「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」
とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)
ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、
「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、
ここにいる者の生命の保証はできません。
だがどうか実行してほしい!
わが国の最大の力は、この現場にあり、
っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)
そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、
「まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)
映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。
ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである。
しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクションの世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものだからである。
繰り返すが、断っておくと、これはあくまで個人的な価値観の問題である。
しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。
もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか?
それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。
国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観?
いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで
っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつの作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。
これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、
「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」
ことであろう。
次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語や政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇
「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、
そうか?
前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか。
が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。
いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。
「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。
更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。
物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。
というのは、2時間映画の構造基本には、
が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。
小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルである。まやかしの勝利、からの喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブルは別にあることに気付いてしまったり、大・トラブルを解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、
「シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。
だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。
突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、
根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法にほとんど気が付いてしまっているのである。
ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラは活動を停止するのでは……
っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、
「これが正解なのだな」
と思う。思ってしまう。
だから、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。
これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである。
故に、制作者は、その予定調和的思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。
というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ。主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害や無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味・不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。
で、
からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである。
これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、
など少なくとも順番が入れ替わっていれば、
専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。
しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。
主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ。博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。
だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである。
つまりほとんど、「米国が核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。
ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。
以上の理由から、「難しいから子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、
「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的=作品の価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。
けれど、
やれ家族の絆だ恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいものを大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいものを評価できることが~
みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線の物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。
同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。
むしろ、近年、「マッド・マックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品が海外から出て話題を呼んだ中で、
まだ、大衆に媚びてないから一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。
既婚のバンドマンが、さっさと奥さんに飽きちゃて、別の女を口説きだすなんてのは、間々ある話だろうし、
作ってる曲は、さすがにサビがキャッチーだったりするしそこそこ売れる要素があるんだろ思う。
自分は聞かないけど。
ベッキーというのも、自分にとっては、いてもいいけど、いなくてもいい芸能人だ。
そんな二人の不倫騒動なんて、単に「娯楽」として下司に消費してあげるのが正しい小市民のあり方だと思う
ただ、ベッキーという人は、あれだけ芸能界に「居場所」があったんだから
それこそ誰もが憧れるようなイケメンと俳優とか、ビジュアルはいまいちだけど、とびきり人柄のいい芸人さんとか、
まじめで収入も安定した会社員(って代理店とかテレビ局なわけだが)とか
その他もろもろな男と知り合う機会はあっただろうに、
結果としてあんな、なんだか、細目の男性器が屹立したようなシルエットの、
あやしげな「アーティスト」にころっと参ってくっつこうとしたってのがなんか、たまらなく味わい深いなあ、と思う。
あれだけ、芸能界でうまく立ち回ってきたんだから、冷静に考えれば、結婚してばかりで、
すぐ、自分を口説きにくる男なんていろんな意味でロクデナシなことは、容易に判断できそうなのに。
そういうこと言われれば言われるほど、燃え上がっちゃったのかな?
で、そういうのは、ドラマの中にいるから成立しているんであって、現実でそれをやっているのを。離れたところで見ると、
にしても、ベッキーってCD出てるらしいけれど、歌手じゃないよね。俳優でもないよね。
「好きなタイプはベッキー」という男子も、「憧れはベッキー」という女子も、あまり聞いたことがない。
(ベッキーみたいなポジションが欲しいと思っていた女性タレントはわんさかいるだろうが)
今回の騒動では「ベッキーのイメージダウン」とか何とかいう以上に
って誰もいねーかハハ、さあてと靴を脱いでよっこいしょwっと。はあー、最近靴下洗ってねーからくっせーな。なんていうかアレだ難しいな言葉で表現するのは。例えるならアレだ。って例えよーがないわなw靴下ってのは靴下のニオイっていう表現でしか洗わせませんわこれ。しいていうなら?靴下のニオイに近い・・・・・・ってそりゃ靴下のニオイだから靴下の匂いは靴下の匂いだわwこりゃ一本取られたw自分一本背負い!巴投げ!ってなもんだこれwさあーてと、見回してみると、これはアレだ、うーん、端的に言って、おそらく一人暮らしなのではないかね。まず部屋が狭い。こりゃこりゃ2人以上で暮らすことは不可能デッサ。wもし可能なら、多分アレだね、おそらくアレだね、不法滞在者か不納入国者の外人さんだろうね。ベトナム?フィリピン?ミャンマー?行ったことねーけどあっついんだろーなー東南アジア。東南アジアは赤道に近いから熱いんだよね。ってこれは常識かw失礼。でも小学生の頃の俺だったらわかんなかったローな。「なんでなんで?なんで赤道あついっちゃね?」なんつってさw馬鹿野郎だよこのやろうwはあー、数日前の己でさえ馬鹿に見えるんだから、小学生の頃の俺なんてとんでもなく大馬鹿だね。大場めぐみってなもんだこれwさあーてと、で、住んでる人はおそらく男だね。理由?そりゃいいニオイがしないからだよwバカヤロッwってなてなもんだ。女性だったらもっとこう・・・・・こういう部屋の感じにはなんないね。だって俺の部屋にそっくりだもんwこの部屋wダハハwわかるわかる、勘ってやつだな、男の勘。女の勘があるなら男の勘もあってしかるべきだよなあwそりゃ当然だよだよ。男女差別っ!女尊男卑!ってなもんだこれwで次に見たところ、これ、きったねえなーシンクがよ。汚れてやがる。きたねーな。おそらくアレだ、数日前の食器類も溜まってやがるwきったねーwまあしょうがないしょうがない。一人暮らしなら誰でも通る道さw.さあーてと、数歩歩いてみるとコレ、結構広いところなんだなあー。風呂もあるし、シンクもあるし、トイレもついてやがる!って今時当たり前か!?w俺が若いころはな~、トイレも風呂も共用だったんだぞ!テレビも当然無いしラジオしかなかったんだぞ!wってのは俺のオヤジの定番の文句かこれはw今思い返せば親父もなかなかアレだな。若いころも合ったんだろーな。今やすっかり、しょぼくれたおっさんでしかないけどw若いころはどんな趣味に打ち込んでたんだろう。どんな人間関係を育んでたんだろう。どんな葛藤があったのだろうか。多分アレだ。あの風貌からして・・・難しいな。今で言うとアレか?リア充よりだったんじゃないかなあ。友達ともあそんでそー。でも今はそんな友達もいなさそうだし、やっぱ非リアよりか!?うーん、でもサブカルチックなニオイはしないしなあ。あっ、そういえば幼いころ書いてもらった絵は結構美味かったな・・。今思うとちょっとアニメよりだったかもしれない。うーん、謎だ。親の若いころはどんなアレだったんだろうかってのは謎だ。今のガキは親と仲が良くて、何でも包み隠さず話すらしいから、親の若いころの人となりも、知ったりするんだろうか。でもそんな関係性はきもちわりーw馬鹿野郎って感じしかしねーwバカヤロッwコノヤロッwうーん、そう考えると、俺のおふくろはどうだったんだろう。これは簡単だ。多分今時の若い大学生とほとんど同じだったろうって感じだ。思想とか熱中する趣味も特になさそうだし。ダハハw切りがね~。あんんまり考えるのも気持ちわりーよw家族と仲がいいとかきもちわりーwバカヤロッwはあー気持ちを切り替えよう。他人の家ってのは違和感しか無いなあ。なんていうかニオイが他人の家って感じだ。えっ。他人の家の匂いがどんなニオイかって?そりゃアレだ・・・・他人の家のニオイはアレのニオイに似てるなあ。他人の家のニオイに似てる。ダハハw他人の家のニオイが他人の家のニオイに似てて他人の家のニオイっぽいニオイだなんて当たり前だろこのやろwしかしアレだ数日前に、どこからともなく弁当のニオイがしたけどありゃ最悪だったな。他人の家の弁当の匂いほど気持ち悪ものはなかなかないぜwおかげで俺の体臭が臭いのか?って小一時間そわそわしちまったじゃねーかこのやろwくせーくせーw殺意を覚えたね。どこのどいつが弁当のニオイ漂わせてんだってwそれともあれは体臭だったのか誰かの?うわー。そうだとしたらご愁傷様だわ。ありゃ加齢臭とか風呂入ってないニオイとかよりヘタしたら不快だぜwなんていいうかマイナーな臭さだから。ダメな人はダメだろうなwったくくせーくせーwあの弁当独特のニオイってのはどうやって出来るもんなのかね。おそらくアレだ。うーん。。。よくわからんなwどっかの大学が研究してくれwたのむwあのスメルは多分戦地でも有効だぞwダハハwこりゃまいったwってなもんで、もう一歩踏み入れてみると、うーんリビングがきたねーな。服とか本とかなんかチラシとかが雑然と積まれてるわ。きたねーwきたねーwまあ寒いからな最近。。。ってそりゃ全然言い訳になんねーよwダハハwでも寒いと行動する意欲?意識?が激しく減退するからな。布団にくるまって眠ってたいんだコレが(泣)ダハハwバカヤロwそんなんだからこんなんなんだ俺wバカヤロwダハハwで、おいおい床を見たらなんか誇りとかゴミとか髪の毛とかがまあまあ落ちてんじゃねーかwバカヤロwきたねーよwでも、俺も抜け毛が最近激しいからわかるわwダハハwフケとかも出て最悪だよw俺の家来る?きったねーぞwダハハw他人に厳しく自分にも厳しいwダハハw嫌われる人間だコレw他人に甘く自分にも甘い。ダハハw世界平和だこりゃwでも、他人に厳しく自分にも厳しい奴は俺はなんだかんだ好きだなwいたいた学生時代そういうやつがいたいたwで、案の定煙たがられてたわw世渡り下手かwでも、なんだかんだ芯があって立派なやつなんだこれw俺は今思うとふにゃちんやろうだったなw精神的、人間的インポ人間、ソレが俺wダハハwダハハwもっと・・・・こう・・・うーっm学生時代を思い出すと、自嘲したくなるなwダハハ、wダハハwとりあえずわろとけwwダハハwダハハwでだ、服を見てみると、、うーんwこりゃあんまりおしゃれじゃないなw典型的な無難に攻めてみましたwって感じだwってせめてねーよw無難はせめてねーよwダハはw無難に攻める・・・・・ダハハはwwwワロケルワロケルダハハw多分これはモテねーんじゃねーのかこいつはw壁にかかってるアウターとかを見てもあれだwださいださいwこれをまあデカプリをとかキムタくが着てたらかっこいいんだろうけどよーー・・・wってきねーきねーwあいつらは来ねーよwこんなやすもんwダハhwあいつらはスタイリストとかいるし、金もあるから来ねーよwこんなやすそーなダサ服きねーよw打破はwバカヤロ!wでもそう考えると不公平だ。かっこいいやつはかっこいいからかっこよくなっていってかっこよくなってしまう。ダサい奴はダサいからダサいままダサい奴に成り果てる。不公平だコレ。デフレとインフレが局地的に同時進行中だ。無限回廊に誰もが無限回廊に、無限回廊に誰もが無限回廊に無限に回廊してしまっている。許せねえ。搾取されている・・おしゃれ剰余価値説だこれ。。。許せねえ革命だ・・革命だ・・・。とりあえず同士を募って、銀座のショーウィンドある系の店を打ち壊しだ。。。駄目だ恐ろしい。。・・・ダハハwバカヤロwそれはしょうがねえことなんだよw搾取なんてされてねえw前世での悪行がこんなダサ坊を生み出してしまったんだよw前世が悪いからこんなしょぼいアパートの一室にしょぼいダサい臭いアウターぶら下げてんだよwせめて今世は善行を積んどけw徳を積んどけwブッダ読んで徳の積み方学んどけwこれがほんとのライフハックじゃ!wダハハwバカヤロw徳の積み方はそうだな・・・とりあえずダサい服を全部アフリカに寄付しときなwあっでも、アフリカは輪廻転生のシステムが違うから、善行ポイントには加算されないかもなw残念wダサいアウターの使いみちはw燃やして暖を取れwソレか売れwそれかホームレスたちにくばれwダハハw前世が悪いと今世もつらいのお・・wまるで親が悪いと子も悪いみたいじゃわいwダハハwかわいそっw俺もお前もかわいそっつw打破はw狂おしいほどに同情、させていただくwで、どうだ、んんー?本や漫画がいっぱいあんなー、でも一山いくらにもならねーからなw本なんて一山いくらにもならねーwダハhwその金で株でも金でも買っといたほうがよかったなwダハhwほーん?へー?ッぶッwwwおいおいおいおいww最近のやつw最近のはやりのやつばっかじゃねーかwダサいダサいw服もダサい上に自分の図書館もダサいのかいwお前は自分のライブラリをCCCに民間委託してんのかいwダサいダサいうすいうすいw本屋の店頭でプッシュされてるやつばっかじゃねーか漫画も小説もwダサいダサいwこりゃ、アニメ見てるwアニメ見て何かよく分からんが癒やされてるやつだわw一昔前ならメロドラマ見てたタイプだわwでも、そうだな、CCCに民間委託ってみんなそうだな、みんなテレビなりネットなりの意見を見て、自分の趣味趣向を決定づけてるわけだから、そういう意味ではみんな、メディアに民間委託してんだな・・・・かわいそすwくーw国民総一億民間委託だwCCCに文句言う前に自分のライブラリを見直すべきっwダサ坊ださぼうwCCCのフリ見て我が心のなかのCCC直さずwダハハw白痴じゃあ、白痴じゃあ、白痴じゃあ・・・・国民葬白痴じゃあああwくほっwダハハwはー一息ついたわwほー、テレビもあんのか、まああ今時珍しくもなんともないな。テレビが家庭に会ってテレビを見ることを選択して、テレビを自宅においてテレビを見てる人はそんなにテレビが珍しくないテレビが普通に一家に一台以上ありそうなテレビがある家庭を考えても、テレビがしょぼくれたアパートにあってそこの住人がテレビを使ってテレビを見てることはめずらしくないなあ。テレビを見てたらばかになるっていうけど、さあ、馬鹿がテレビを見てるが正解だよなw馬鹿が自分が馬鹿であることを棚に上げて、テレビを見てたら馬鹿になる、馬鹿はテレビを見てるって言ってんだwテレビを馬鹿が見てるだけで、馬鹿がテレビを見なくなっただけなのにw馬鹿がテレビを見てようが見てまいがばかは馬鹿だw馬鹿が馬鹿なりに馬鹿はテレビを見てるって馬鹿なりの理屈をこねてテレビを馬鹿なりに馬鹿にしてんだw馬鹿はテレビを見なくなっても馬鹿なのにw馬鹿がテレビを見なくなっても馬鹿は馬鹿だよw賢くなんねーよw馬鹿は馬鹿で馬鹿は馬鹿のまんま馬鹿であり続けるんだからw馬鹿をばかにするのも馬鹿馬鹿しいけど、馬鹿馬鹿しい馬鹿ばっかなんだから馬鹿馬鹿しいけど馬鹿を馬鹿にすることは必要だw国民の命題だw一億総白痴、いや日本っていうそんな狭く小さいビジョンじゃねえ俺は・・・70億総白痴だこうなったらw一億総白痴なんてのは小さい視点だwビジョンだw狭い視野だw70億総白痴こそ真の姿っ!wうおおw進め70億火の玉だw来るべき宇宙戦争の時が贅沢するなw勝つまではw70億総白痴社会では70億が火の玉になるしか高度な文明に勝つすべはないっwその時は経験が深い一億火の玉国家が指揮をとろうwうはっ、初めて外交で勝利w我が国が70億総白痴社会の指揮をとるのだw宇宙戦争、はやくきてくれー!!w俺らの天下がくるっ!w一億総火の玉は来るべき世界国家のための布石っ!はあっ!進め70億総火の玉で高度知的生命体を打ち破れ!wうーん、ユートピア、バチンッ!おはっ、ゴムが痛いwダハハwダハハwほー、よくよく見てみると、アレだな。なんか専門書みたいなのがいっぱいあるぞwほー、理系なのか?理系だなwなるほどw社会人なのか?wそれは分からないwでゃははw室伏っ!wダハハw那覇はwへー、寝床もある。。。ってそりゃ当たり前だw寝床がなくてどこを寝床に寝てんだよっw寝床は寝床なんだから寝床があるところには寝床があるんだよ確実にっ!wはあー、その思想意味がわかんねえw学がないんじゃないの!!?俺っ!!?って俺かよwダハハwメランコリーだなん釣ってw俺は俺であるから俺の中の俺である部分のことは俺が一番良く知ってるんだこれがwダハhw当たり前だのクラッカーw当たり前だのクラッカ^wクラッカーw当たり前だのハッカーwダハハwネット世代の新CMw当たり前だのハッカーwクラッカーwあのハッカー・クラッカー論争もきもちわりーなw正しくはクラッカーだろっ!怒怒怒って・・・w馬鹿かwここにも馬鹿が馬鹿らしく馬鹿馬鹿しいことをしている事例が発見されリw馬鹿がいくら用語を知ってようとw結局ハッカーじゃなくてクラッカーだろ怒怒怒としかいうことが出来ないwダハハwここにも70億総白痴社会の痕跡がwダハハwハッカーだろって怒りのタイピングwダハハw馬鹿がタイプwカタカタッ「ハッカーじゃなくてクラッカーだろ」カタカタックソリプッwバカヤロw馬鹿が馬鹿ゆえに馬鹿馬鹿しい行動を取る事例がまた一つwうおおおwハッカーじゃなくクラッカーとよべええええ。・・・・wバカヤロwお前が怒りのタイピングをし続ける限り俺はハッカーって呼び続けるわw打破はあw当たり前だの・・・ハッカーwダハハw当たり前だのハッカーwダアはw当たり前だの・・・馬鹿「クラッカー!」俺「ハッカーw」ダハハw完全勝利wダハハwこりゃ腹痛いw心のなかの腹が痛いwはらたいらと世界のオルゴールの館wダハハwはらたいらと世界のオルゴールの館wダハハwはー、茶番茶番n、茶番茶番。ほー、よくよく見てみると、この季節に布団一枚で寝てやがるwさみーよwさみよーwバカヤロだこいつw馬鹿は風を惹かないw裏付ける証拠ww倉持明日香w裏付ける証拠倉持明日香wダハハw語呂語呂wダハハwはー、よく見りゃお前、布団が黄ばんでんじゃねーかwきたねーきたねーwあっ・・・・・もしかしてせっっくすをしたのかなここで、、、せっっくすをこんなダサ坊がせっっくすを・・・。まあでもよく考えりゃ当たり前か、大の大人が一人暮らししてたら女連れ込んでせっっくすの一つでもしねーとかっこがつかねーからな。せっっくすがそんなお前、せっっくすにアドバンテージを感じるような精神年齢でもねーよw俺はwせっっくすなんてお前w常識だw人類の歴史wせっっくすは当たり前だwせっっくすなくしてこのダサ坊も俺も生まれなかったわけだからなwww身近身近wせっっくすは水や空気と同じくらい身近wはー。んなわけねえは、せっっくすが身近なんてのはお前、原始の頃くらいだよ、せっっくすがそんな当たり前な時代じゃねえええんだよ。せっっくすが当たり前な世の中だったらあんな生産業が栄えてるわけがねえ。。あんなに女を買うことが高いはずがねねえ。。。せっっくすが当たり前ではないからこそ、せっっくすの需要に対して、供給がひとりひとりに及んでないからこそせっっくすは勝ちがあるんだ。現代ではさ、、、、。もしこいつがせっっくす勝者だったら。おれは泣くかもしれん。。。ダサ坊がせっっくす勝者なんて、そんあ世の中は狂ってる。せっっくすは、それなら、もっと全人類に平等に供給されれうべきだ。せっっくすに価値を持たすな。せっっくすを資本家に搾取させるな。せっっくすこそ我々を搾取している。せっっくす。。。あーダメd、許せねえことが多すぎる。。娑婆は地獄だ。逆説的に裏社会は天国だ。・・・ブハッwんなわけねえw娑婆は地獄、裏社会も地獄wこの世は地獄w地獄が地獄である所以は地獄が地獄であるからに他ならず、地獄でないところは逆説的にまたそこもある観点から見れば地獄なのだ。地獄を地獄と思わずに生きているものは罪深い。地獄なら地獄で生きるもの、生きとし生けるものすべてへ、地獄で生きることへの心遣いをする。しかし、地獄を地獄と思わないものは地獄を地獄ではなく天国であると考えている。馬鹿げている。実にこの考えは馬鹿げているのだ。この世を地獄だと思うからこそ、人は人への慈しみなり、思いやりを育めるのだ。地獄であると自覚するからこそ、地獄を地獄でなくしようと、地獄を地獄であることを緩和しようと、地獄を生きていくために地獄で生きるものへの思いやりが持てる。しかし、地獄を地獄と思わず、さながら天国だと思っているような人物。具体的には、この世の春を謳歌いしているものどもは、地獄を生き抜くすべを知らない。地獄を生きていくためには地獄を生きていくための身の振り方があるのだが、地獄を天国と勘違いしているものは地獄に生きる者達に、まるで天国での振る舞いを要求している。人の性根は性悪説的なものだ。天国だと知ると、天国の天使たちをこき使うだろう。天使たちに気遣いなど微塵足りとも見せないだろう。天使たちに気遣いを出来る人間はむしろ地獄に生きる者たちなのだ。地獄に生きる者タチ。それすなわち、天国に行く権利があるべきなのだ。しかし、この世では本来地獄で生きるべきものたちが、この世を天国だと誤認し、地獄をさらに地獄たら占めている。一方、地獄だと自覚しているものは天国を味わうことが出来ず、さらに地獄を憎み、天国だと誤認している者達の振る舞いを見て、さらに地獄で生きているということへの確信を深め、地獄の辛さを噛みしめて生きている。この世を天国だと誤認する者達、それこそもっともこの世で罪深い種類の人間だ。地獄を生きるためには地獄を生きるすべを知るべきであり、ソレが我々、人類のあるべき姿だ。性悪説的な人間が、人間の集合体が構成しているこの世を生き抜くためには、まず人間の存在を憎まなければならない。人間の存在を憎むことで、逆説的に人間は人間に優しくなれるのだ。イエスに罪を着せている場合ではないのだ。人間が恒久的平和を勝ち取るためには、人を憎むべきであり、この世を地獄だと思うべきなのだ。人間は罪深い人間だということを目一杯自覚するべきなのだ。親が子に教えるべき、慈愛の心や希望、自身の可能性ではない。親が子に、人間は罪深い存在だと教えるべきなのだ。お前は人間だ。だから罪深い。罪深いからこそ、慎ましく暮らせ。人間だということを悪め。と親は子に教えるべきなのだ。人間という罪深い存在がこの世を生き抜くためには、罪深さを自覚し、地獄を地獄だとしっかり認識するべきなのだ。罪深いから主に許しを請うなどは、間違っている。罪深い人間が罪深さを隠していきていくことは不可能だ。人間は2人以上存在した時点で軋轢を起こす。軋轢が起こるのは当然だ。人間は罪深いからだ。ましてや70億も人間が存在するこの世で、軋轢はより一層。罪深さを自覚しろ。罪深さから逃げるな。人間に希望を感じるな。可能性を感じるな。夢を持つな。ここは天国ではなく、地獄なのだ。人間が群れをなして暮らしている時点で、そこは地獄なのだ。地獄だからこそ、罪深さを認識しろ。罪深さを認識してから、初めて人は会話したり行動したりする権利を与えられるといっても過言ではない。開き直るんじゃない。お前も業が深い、人間という存在なのだ。親は子にまずこのことを教えるべきだ。親が罪深さから目を逸らしては子供も、目をそらすに決まっている。自覚することを放棄するに決まっている。人間という罪深い存在をこの世に産み落としてしまった責任をとれ。自分の子供に過ちを繰り返させるな。人間は罪深い、だからお前はこの地獄を生きる、罪深い人間の一人なのだと教えろ。いっそ、草や虫、他の動物に生まれてきたほうが良かったのだと説け。当たり前だ。人間というこの世を汚し、同族でさえも簡単に殺めてしまう、罪深い人間が、そもそも輪廻転生の最高位なわけがない。お前は草花に生まれてこれなかった。虫になれなかった。鳥や犬猫になれなかった。可哀想に。お前はまた罪深い人間が他人との軋轢を気にせずに生きる地獄を、生きてしまうのか。嗚呼可哀想に。と親は子を哀れんでやれ。いかに自分が罪深い存在か、深く深く子供に焼き付けろ。これが地獄を生き抜くための必要条件なのだ。人間は汚らわしい、馬鹿馬鹿しい、罪深い存在だ。そもそもこの世で生を受けることも許されるべきではないのだ。虫や草花、他の動物こそ、生のあるべき姿。人間は罪深いと自覚しろ。そして懺悔しろ。他の誰でもない。自分に懺悔して自分を責め続けろ。そうして初めて人は、恒久的平和を勝ち取ることが出来るのだ。この世が天国か何かだと勘違いしている人間を即刻断罪せよ。そのための法だ。そのための理性だ。天国だと勘違いして生きている人間がこの地獄にもたらすものはさらなる苦しみ、さらなる誤認、さらなる軋轢、さらなる人類への罪だ。街を歩くこの世が天国だと誤認している人間を責続けろ。お前は罪深い。お前は罪深いと。当たり前の話なのだ。この世は地獄だと嘆く人間を白い目で見るような奴らはただの怠慢だ。傲慢だ。白痴だ。自分の罪深さを認識し、この世を地獄だとしっかり認識しているものこそ、真の賢者なのだ。奴らを天国から追放しろ。等しく我々は地獄に生きている。そこは地獄だとしっかり自認させろ。理性はそのためにあるのだ。等しく人間は罪深い。そしてそれは誰にも許されることではない。自分を責め、他人は自分を写す鏡だ。慈しみや思いやりは、自分を責めてはじめて恒久的に手に入れられる。自分を責める知識も教養も覚悟もない人間を断罪しろ。それが人間の唯一の生きる道だ。・・・・。・・・・。・・・・・。コーヒーの空き缶があるwあーあのアレかwあのCMwまあまあ好きだぜwあのしーえむwダハハwまあまあ外人がいい演技してんじゃねーかw外タレやるじゃんw外タレwエノケンロッパwメリケン粉wダハハwCMCMw重労働ジュード・ロウwブラックブラックうるさい奴らは、労働環境を憂う前にジュード・ロウを批判しとけw日本のブラック体質はジュード・ロウが作ったのだ!!!!ダハハwこれほんとw打破はwうそうそwジュード・ロウは外タレだからwでも労基には一応ジュード・ロウのことは相談しとけwジュード・ロウって外タレが我々を苦しめていrます!ジュードロウを逮捕してください!ってw打破あhwそういや逮捕してください!とか訴えてやる!って騒ぐやつほど馬鹿だなWW法律知識はないけど・・・法学部はでてないけど・・・コネもツテもないけど・・・逮捕してください!訴えてやる!・・・w打破あhwダハハwばかやろッwお前がサボってきたつけだこれwしかもこういつやつほどいつもは公的機関を批判してんだよなwダハhw馬鹿w都合良すぎだwwダハハw腹痛いw心の原が痛いwうお~けいさつう、べんごしいぼくをまもってくれっ!・・・ダハハwバカヤロ馬鹿やらろwお前金もなさそうだろw友達もいなさそうだろw交友関係も狭そうwFacebookを薄っぺらい交友関係とか馬鹿にしてそうだけど、お前交友関係ないじゃんw恋人と写った写真をアップする素材もないじゃんw美味い店も知らないじゃんw女友達も男友達もいないじゃんwせいぜいネットのハンドルネームで身を隠してる会ったこともないやつしか知り合いにいないじゃんwちょwwwそれってそもそも知り合いなのか?wおいおいおいおいおい、もしかして、、ネットが自分のREALだとお持ってるクチかw?ダハhwんなわけねえwFacebookにアップ出来るほどのミのある生活もしてなさそうじゃねーーかwwだはあhw残念w拙者、リアルの生活がしょぼすぎたナリ~w切腹wダハハwお笑い種だこれwwはー。。。おっ、こいつゴミ箱にゴミが捨ててある。。・・・って当たり前だwゴミ箱にゴミが入ってるのはアタリマエだwこれw当たり前だコレwゴミを捨てる箱ゴミ箱にゴミを箱に入れることをしてゴミをちゃんとゴミ箱に捨ててゴミ箱もゴミが入っていることはゴミ箱って言う時点で当たり前だコレwダハハwゴミ箱w失礼w疑ってすまんwゴミ箱にはゴミが入ってて当たり前だゴミ箱なんだからwゴミを捨てる箱なんだからwゴミを捨ててあるのは当たり前だwそのための箱なんだかkらwゴミ・箱なんだからww打破はあはあw簿へええっwダハハwくほおwッッ!!w室伏tっw室伏ロっwダハハwwはあー、何が捨ててあるかなあー、んんんんんn1?おいおい、切ったねえなー、もっとキレイにしとけよ・・・ブホっwゴミ箱をキレイにしとけ!ってw逆説的すぎるwゴミ箱はゴミを捨てるところななおにキレイにしとけってw逆説的wゴミはキレイではないkらら逆説的wトイレはキレイにも逆説的wトイレは糞尿を垂れ流すところwつまり汚いwでもキレイにしとけ!えw逆説的wおいおいおいおいおいk,これはヤバイ発見dな、やばいやばい、やばすぎtえ脳がオーバーヒートを起こすwやばいから俺のちっちゃい脳の機能がつま先から頭までフルスペック稼働しているwヤバイの逆説なのwトイレは汚いのにキレイにしとけってwおいおいおい、オーバースペックwファンがw脳のファンが熱気をすげええ出してるwその命令は実行できませんwダハハwオーバースペックw俺の脳wダハハw逆説的wクレイジーソルトwダハハクレイジーソルtおwとにかくクレイジーソルトのことを考えておこうwクレイジーソルトwぶほっwなんだそのネーミングwクレイジーソルトってwはあああ。。。ん?おいおいアイス食ってるよこいつw棒に残った茶色からしてチョコ系だこいつwチョコ系のアイス食ってるよwこの寒い季節にw馬鹿なのかw?どはっw馬鹿だwアイスに金使ってるwこの季節ににwアイス、食ってうr。wはー、笑えた、笑いの刺客が潜んでるwそこらじゅう。wん?おいおいレシート捨ててあるよw破いてるwバカヤロうwお前の買い物の内容にだれも興味ねえよw俺以外ww!ダハハwいたわここにwダハハwレシート見てえwお前のレシートの買い物の内容が見てええーwくっそー悔しいwwこいつが何買ったか興味あるう~wレジに並んでる時他人のレジのかごを見るくらい興味あるうーwくぅーw悔しいwwんんぅ?んんm^後は何だ鼻をかんだティッシュくらいかwきったねーwっておいゴミ箱は汚いw逆説的にwダハハwはーゴミ箱でこんなに笑ったノのは人生で初めてだかもwくごほおwバカやろw!のほーwはあはああ、こいつビールのロング缶もあるじゃんw旭スーパー度らいだコレwうえw酒飲んでるよwダハハwぐほっちwビールって言えばあれだ、親父もよく家で飲んでたなあ。親父はロング缶じゃなかったけどw酒飲んでつまみ食ってテレビ見て新聞読んでwおいおいおいおい良い人生かよ・・・。労働して酒のんでお気楽に暮らすって良い人生かy・・・。決してそんな生活を手に入れられない人間もいるのに。。。家族もいて平日ものんびり酒飲んで、さらに仕事も会って。。。おいおい良い人生すぎかよ。。そんなのもう手に入んないんじゃねーか。このご時世。やべーよ。今から新卒で社会に入っていくガキたちが数十年後そんな生活が出来るのかよ。。わかんねえ。こええ。将来を考えるのがこええ。どうなるんだ俺は、世の中hあ。世界情勢はどうなるんだ。第3次世界大戦が勃発しそう、そんな予感、ここ50年以内くらいに、やだよおれー。やだよーやだおy-つらよーつらいよー。yだよー。怖いよ。yだよー。仕事なくなったらどうしよ。どうすりゃいいんだよまじで。公園で暮らせば良いのか?そんな度胸もないよー。根性ないよー。知恵もないよー。体力もないよー。一度失職すれば、アレか、もうむりじゃん、どうすんよ。スキルあるの俺?オレって誰かの代わりになれるの?誰かに勝てるほど優秀なの?存在意義はあるの?誰にでもできる仕事やってるじゃん今。yだよーやだよー。俺なんで・・・無能なの??やだよー。こわいよー。オレのやってることってつまんないいし、誰にでもできるし、どうすんの?存在意義がないの?実質無いの?実質オレは無能なの?価値はあるの?内の?なさそう?なさそうだなー。どうすんの。怖いよーつらいよーyだよーどうすんのy-お^どうすんだろ将来。オレは数十年生きてきて、やれることが誰にでも出来ることって悲しすぎない?オレ数十年間何してたの?オレなりに精一杯やってきたつもりよ。でも世の中の情勢次第でオレなんて一発で消し飛ぶわけ。で。生きていく知恵もなんにもないまま。、放り出されるわけ。だって学んでこなかったから。準備してこなかったから。数順延んも生きてきて、何やってんだ?何もやってない。ただなあなあで生きてきただけ。レールの上で、社会に敷かれたレールの上の歩いてきたダけ、社会に最適化されてるだけ、コマの一つ。歩兵にも満たすかわからない。何をやってんだ。?親に敷かれたレールの上を走ってる奴はダサいと思ってたけど、オレも何のことはない、社会に敷かれたレールの上でただ歩いてただけ、ダラダラあるいてただけ、何の努力らしい努力もしていない。努力だと思ってたコとはじつは努力ジャなくて誰でもやってることだった、オレが努力だと思ってたことあh努力でもなんでもなくて、ただの義務だった、あーあ、馬鹿だ、アホだ、カスだ、自分を呪っているけど、それはムダ、あーあー、存在意義ってなにかね?ないね。馬鹿は俺dで人間社会の趨勢に振り回されてゴミのようにカスのようにただただ摩耗されれるだえkのショッボイ存在。ショッボイショッボイただのつまんない人間。あーあ、怖い。恐ろしい。恐怖だ。将来を考えるのが怖い。どうなるんだろう、孤独死ってやつ?長生きしたらアパートrの一室でボケたもうろうとした頭のまま、何も考えられなくなって死んじゃうの?結婚も出来なさそうだけど、そうなっちゃうのの?孤独死するの?毎日ヨタヨタ歩いて夜になってスーパ^で惣菜でも買って、それくって寝るの?で、何をするの?生きがいみたいなのある?交友関係もないの?今のままだとなさそう。親も死ぬけど?どうすんの?孤独ってつらいよー。怖い将来を考えいるのが怖い。じゃあ、老人になる前に死ねば?やだよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー、死ぬのは怖いよーどうなんの死んだら。信仰心もないから、死ぬ際の心の拠り所もない、現代人は大体そうだけど、死ぬための心の拠り所もない。どうすればいいんだ。死ぬためには。死ぬための心の拠り所がほしい。ていうか死にたくない。不老不死になりたいいっそ。死にたくないよー。よくニュースで見る事故で死ぬ人は可哀想だ、同情するよ。人生を強制終了なんて最悪だよ。しかも見知らぬムカつく奴に強制的に人生を終了させられるとか嫌すぎる。死ぬときはじ
大学2年のころから約9年間、付き合い続けた彼女とのゴールインだった。
本当に、本当に素敵な式だった。
だけど同時に。
果てしなく羨ましかった。アイツラに負けない幸せが欲しいと思った。
俺は積み重ねてこなかった。
容姿は中程度だが、学歴/収入ともに、人に言えばすごいねと言ってもらえる水準。
我ながらトークや駆け引きは得意なほうで、今まで女性に不自由したことはなかった。
ちょっとした引っ掛かりを感じたら、次に、また次に、パートナーを乗り換えてきた。
心から深く繋がれたと思えたことはなかった。
当時は相性や相手の魅力の問題だと思っていたけれど。
今になればそうじゃなかったことがよくわかる。
俺が粗雑だったんだ、単純に。
面倒になったら次に行けば良いと思ってたら、心が深く繋がるわけがない。
粗雑に過ごしてきた時間はもう戻らない。
それでも、積み重ねた時間を凌駕するような幸せを得るためには、どうすれば?
「特別」な女。
今までの人生で最高の。
この女と出会うために、俺は今まで別れを繰り返してきたんだ、と思えるような。
そんな女と結ばれることで、俺は救われる。
次こそは。次に付き合う女性こそは。
な~んて。
頭では分かっている。
「特別」な女なんていない。
結局、昔から何も変わってないんだ。
頭では分かっている。
それでも。
客観的に見れば十分に素敵なはずの女性にも、最近は全く心が動かない。
ああもう、どうしたらいいんだろう。
そんなこと言われたら僕が男として不十分なんじゃないかとモヤモヤっとしたんだが
彼女はその後にこう続けた。
好きな人が、体の相性みたいなもので満足したり不満になったりするセクロスという行為で汚れるのは嫌だ。本能的にセクロスしたくなる人が人間には男女お互いにいて、セクロスするだけの関係と好きな人は別のものとして割り切るべき。そう考えたら法律上無理があるから私は結婚という契約をしないこととした。
なるほど納得した。
さらにこう続けた。
あなたとわたしが例えばセクロスして、メロドラマみたいに、ロマンチックでけだるい感じになるとは思えないけどね(笑)セクロスはスポーツじゃとか言って、今日やろうぜーうんやろーやろーみたいにエロさもムードの欠片もないようなセクロスをすると思うけどね(笑)
しかしそうなって離れたくなるのは女の方なんだ。少なくとも私はね、だからあなたと離れたくないから、しない。
うん、。わかった、やってみないとわかんないけどわかった。