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はてなキーワード: メルトダウンとは

2016-09-05

メルトダウンと聞いて反射的にキノコガウン想像してしまった。

森の中、木々の切れ間。苔の生えた丸石に囲まれた小さな広場長老ドワーフが「ぬしこそまさに森の王者よ」と告げると、

そばに控えたドワーフ少女が色とりどりのキノコがびっしりと生えたガウンをしずしずと運んでくる。

少女に上目遣いでガウンの着用をすすめられたヒト種の青年は、彼にとってガウンというよりチョッキのようなサイズに戸惑いながら、キノコの毒の有無をしきりに気にしているようだ。

というシーンまで一気に意識が飛んで行って、フフっと口角が上がったところで、「何がおかしいの!?」と強い反原発思想を持った母親にキレられて現実に引き戻された。

頭の中で自動生成される景色あんなに穏やかで素敵なのに、何かの形で出力するには自分がポンコツすぎてがっかりだ。

あーもーさっさと寝て夢の中に行きたい。今日は海かな、森かな、山かな、空かな。

2016-08-12

メルトダウンしても世界は滅びなかった。

国すら滅びなかった。

県すら滅びなかった。

 

運がよかったのか。

誰かのおかげなのか。

我々もまた死者なのか?

中盤でゴジラが○○○○となるシーンは、明らかにメルトダウンイメージしているので、これ以降の作戦を「死者」のものとするなら、現実の我々もまた死者だということになる。

そして、

○実際にメルトダウンはしたのであり、完全な冷温停止など今もできていない。

○これと「共存する」しかない、このディストピアこそが身も蓋もない我々の現実である

○それでも我々は生きている。

そういう映画だったと自分は思った。

3.11後の日本」という、SF以上にSF的な世界の中で、我々は生きている。

まあ、このような名作の公開中に「解釈」じみたことを言うのも余りに無粋なので、このくらいにしておく。

http://anond.hatelabo.jp/20160812012212

おれにとって「シン・ゴジラ」は死霊の盆踊り

シン・ゴジラ」を見終わった直後の感想は「おもろいけど、説教くさくてめんどくせー」だったが、

疑問点を検討した結果、「シン・ゴジラ」はおれの中で「死者たちが地獄ゴジラと戦い続ける映画」と結論づけられ、さらにめんどくさいこととなった。

以下、映画内容についての妄想があり

  

まず、最初になんじゃこりゃと仰け反ったのが、官邸に海底トンネル崩落の死者が0人と報告されるところ

車両が何台も走行しているトンネル天井抜けて、海水が流れこんでんのに死者がいないってありえんやろ。奇跡か!

海水瓦礫やらで満たされたトンネル、どうやって被害状況確認したん?

崩落の原因もわからず、2次被害も当然想定されるなか現場確認したんか?

道路カメラ映像避難者照らし合わせたら、誰も死んでないってことだろうか。それにしても報告早すぎだろ。AI使えば楽勝なんだろか?

しかも、「死者0」報告に誰も疑問を呈さない。官僚機構はクソだけど現場は優秀だから信用してるということか

おれが観た限りこれ以降も、死者の存在映画に現れることはない。

  

つぎ、ゴジラが再上陸して防衛相首相自衛隊の発砲許可を求めるとこ

ここ観ながら「なる、ここは時間軸が前後してるんだな」と勝手にきめつけてたら、そんなことなくて愕然とした

おれは「ゴジラへの発砲許可下りず、ゴジラ上陸を許す」って描写だと決めつけてたんだけど

実際は「ゴジラが再上陸してから市街地での自衛隊の発砲許可をだす」ってところでした。

ゴジラ上陸が予見されるなか、至上命題ゴジラ上陸阻止だろって考えたおれがバカでした

ゴジラ発見直ちに空自スクランブル。くらい事前に立案されてると予想したおれが浅はかでした

多摩川防衛線での攻撃を観ながら、これって焦土作戦だろか。人的・物的損害、上陸させたメリットってなんだろ?って考えてたのもむなしい

市街地ドンパチのほうが、海上のゴジラ攻撃より見栄えがよいからだろか?空自スクランブルって平成ガメラに似た場面あったし

おれの予見は外れたが「ゴジラの再上陸政府絶対敗北」というのはおれの妄想ではないはずだ

作中の危機管理はその起点となるべき認識において、致命的な欠落を抱えていることになるとおれは考えるが、これは作為的ものだろう。

現実ヌークリア原子力・核)政策における危機管理がそうであった、もしくはそうでありつづけるように

  

最後クライマックスの対ゴジラ作戦

無人機攻撃は狙い通りの効果を上げるし、電車爆弾は狙い通りの効果を上げるし、

ビル爆破も、凝固剤の経口注入も狙い通りだ

指揮所本部ゴジラを直接視認可能立川自衛隊で、視認可能ということはゴジラのレーザの射線にあることと同義であるが、指揮所からみる対ゴジラ作戦あくまでも遠景に過ぎず、およそ現実感がない

蛇足だが、第1ポンプ隊と第2ポンプ隊との間にはきっと通信回線はないんだろうな。あるのは指揮所と各隊との縦の通信回線のみだろう。横の通信回線はない。決死隊だからね。第2が第1が壊滅したことを知れば士気に関わるし。と想像すると指揮所の主人公の泰然とした姿に戦慄をおぼえる)

ゴジラ事案」収束可能にするモノ・知識が積み上がっていく様で、かつて読んだ直木賞作家高橋克彦氏の「総門谷」をおれは想起した。

現実福島原発事故は本作戦使用されているコンクリートポンプ車による放水により収束したのだったか。注水作業従事された方々への尊敬の念は禁じ得ない。が、しかし、注水作業メルトダウン後であったと理解している。現実では手遅れだったポンプ車が本作で活躍しているのをみておれはこう思う。

人間ゴジラ活動停止させるにはファンタジー必要だと。逆に言えばゴジラ人間が止めることな現実では不可能であると。

  

以上をテキトーにまとめたおれの結論を改めて記す

  

シン・ゴジラ」は、ヌークリアで死んで亡者になった者たちがヌークリア消滅させるという不可能な願望を延々と繰り返す地獄絵図の一幕である。実にお盆映画にふさわしい。んでもってこの地獄絵図はおれに問いかけるのだ。それでもヌークリアを存続されるのなら、あとは好きにしろよと。

2016-08-05

シンゴジラ最高に素晴らしいが、しかしフクイチ原発は…(ネタバレです)

http://anond.hatelabo.jp/20160804171358

自称中二病を脱した23歳増田」に乗っかる感じでシンゴジラ批判エントリーを書きたくなったおっさんです。

(あたしも10年前の20代の頃はてなサブカルおじさんが怖かったからねw)

シン・ゴジラは「日本実写映画」にとってエポックメイキングになりうる最高に素晴らしい作品だと思うが

この大絶賛の嵐に怖くなってきました。左側からのまっとうな批判が見られない。

(今後町山・宇多丸あたりから出てくるかもしれんが)

まずはじめに私の感想とすると「シン・ゴジラ」は素晴らしい映画なのは確かです。

ドラマ人間が描かれていない」という批判がありますが、

日本の実写アクションエンタメ映画」でまともな人間ドラマを描けるでしょうか?

民族イデオロギー宗教対立のない日本殺人を含む強烈なDISの激突による止揚

「個人のエゴイノベーションを起こす」ことを良しとしないし信じない日本社会では

欧米式の人間ドラマなどは描けないのです。大抵は「もののあはれ」みたいなものに落ち着きます

そこで庵野監督です。庵野監督人間ドラマが描けません。人間個人に興味が無いのです。

機械組織ようなもの機能的に動く

電子回路ニューロンのように情報錯綜し、通電し、組織機能する」という

描写」に焦点がいくような人間だと思います

(例えばオネアミスロケット発射の「手続き」や、エヴァ発進の「手続き」、

さまざまな人間連携して大きなことを成し遂げる瞬間のカタルシス岡本喜八沖縄決戦→ネルフ壊滅なら大組織の壮大な敗北

というものに執着している感じです。そして庵野監督はその演出で他を圧倒してきたのです。

通常は連携を2、3回で終わらせるところを、

7、8、9とどんどん数を増やし、しも連携スピード高速化する、

すると人間が居なくなり「連携のもの総体」が残るのです。

それはもう壮大な音楽リズムを鑑賞したようなものです。)

それが今回は最高に上手く行ったと思います無駄人間ドラマを省き、人の群れを

部品オブジェクトの群れ」として描いたのです。

通常それでは作劇できませんが、ゴジラという巨大な災厄を扱うことによって可能になったのですね。

とまあ、褒めるのはこんな感じで。みんな褒めてるし。在来線爆弾最高です。

ここから批判というか危惧を書いていきます。(ネタバレ含む)

シン・ゴジラ」はゴジラを描くとともに、明らかに3・11の震災

そして福島第一原発(フクイチ)のメルトダウンをなぞって描かれています

2016年に公開する映画であり、ゴジラが大災害のもので、

原爆の子であることことからしてそれは避けられないことでありました。

・「想定外」という言葉が何度もでてくるシンゴジラとフクイチ(フクイチ)

放射能を撒き散らすシンゴジラとフクイチ

・そしてその放射能を測定した市民から憶測が飛び交うシンゴジラとフクイチ

自体収集のため米軍が介入してくるシンゴジラ事態収集のため米軍が介入しようとするフクイチ

シンゴジラとフクイチは冷やすと止まる。

シンゴジラホースを突っ込んで冷却材を流すため特攻する自衛隊

フクイチに突撃ホースを突っ込んで冷却する消防

まあとにかくシンゴジラは「動くフクイチ」なんです。

だったら何が問題かというと、シンゴジラでは

自衛隊ゴジラを冷やすために特攻して死んでしまっている」ということなんです。

これは3・11の日本政府はやらなかった。フクイチに自衛隊特攻させれば

チェルノブイリにはソ連政府兵士特攻させています

福島土地は助かったかもしれない。でもやらなかった。

自衛隊員の命」と「福島土地の数十年の汚染」を引き換えにはできないという判断です。

良くも悪くも戦後民主主義判断なんです。

そこをシンゴジラはやった。映画的には、作劇的には正しいです。

いや個人的には私もそういう全体主義の魅力や、

自己犠牲の魅力に惹かれるところもあるんです。

正直「自衛隊がフクイチに特攻して冷却に成功していた」ら、私も絶賛したでしょう。

いや絶賛しかできないんです。選択肢がない絶賛。

その特攻庵野監督はやった。しか恐ろしいことにあっさりと。

(1番隊が全滅したら「日本映画のよくあるパターンのように感傷にひたる」

ことなくあっさりと2番隊がすぐさま繰り出された。

おそろしいですよ。でもこれがかっこいいんですよ。/

この冷徹決断力、かっこよさを恐ろしいと思わないとヤヴァイんですよ。

こんなことできるのはスターリンですよ。スターリンのかっこよさに酔うんですか?)

これは政治的意思表示と考えていいと思います

「当時の日本政府シンゴジラを冷やすために

特攻した自衛隊のように、3、11のフクイチでも自衛隊特攻させるべきだった。」

という政治的意思表示です。

みなさんはそこはあっさり賛同しますか?どうなんでしょうか。

そこはちょっとみなさん悩んで欲しいですよ、いくらなんでも。

そして最後日本政府シンゴジラの凍結に成功します。

まりフクイチの凍結に成功するわけですが…

実際の日本政府どうでしょうか?フクイチの凍結に成功してますでしょうか?

成功してませんよね。いまだに汚染水を流し続けています

からすると今回のシンゴジラ演出エポックメイキングであるとともに、

「3・11の災厄に勝利した日本」の「仮想戦記」にみえしまうんです。

(昔よくあった「第2次大戦日本軍が勝つシミュレーション小説」の3・11バージョンですね。)

このシンゴジラを見て「日本はまだやれるんだ」と思った人がたくさんいたと聞きます

いや、やれてなかったでしょ。と言いたい。3・11で負けたでしょ。無残に。情けなく。

仮想戦記で「日本はまだやれる」って酔ってたらだめでしょ。反省しないと。

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↑というような批判が欲しかったのに全く無くて困ってたので自分で書いてみた。

実際庵野監督はどうなんでしょう。「政治的意志表明」と書きましたが

そこに踏み入れた自覚はないかもしれません。

開き直りがあれば、それで議論の糸口になるのですがそれもなさそう。

そういう自覚のない選択が一番怖い。)

戦闘機オタク左翼宮崎監督のような葛藤は…きっとなかったような気がして。

2016-05-12

まんこの使い方を何故もっと教育しないのか

女がまんこ使いこなすことをいやらしいとか劣ってるとか卑怯かいう風に咎めたりタブー化したりするのは

女にまんこ使うだけの存在になっとけって言っちゃうのと同じぐらい極端で非生産的で抑圧的な言論だと思う


そうやってグッドノウハウを共有したり教育したりしないか

使いこなそうと決意した女も悲愴感を持って1から自分危険トライアンドエラーをするしかなく

負担が多すぎてバランスを崩して人生が躓いたりしていく

(それをかいま見ていた別の女が「やっぱりまんこなんかに頼るからバチが当たったんだ」と間違った学びを得る)


実際増田でもすごいコミュ障だとかブスだとか友達0人だとかい自分語り女がそれでも彼氏配偶者は持ってる

レベルで男だったら絶対パートナーがいない

差は何かと言ったらまんこのパワーに他ならない

明らかにまんこ人生を切り開いた


まんこだけで人生を渡ろうというピーキー戦略がまずいのであって、

人柄とか知性とか学歴とか職能とか話術とかいろんなパラメーターの中の一つとしてのまんこ

ときに凄い威力を発揮するパラメータであるまんこ

そういう風に理解すればこの使い方も適切に学んで伸ばそうと思えるはず


一ツ橋ニートの人ならわかってくれると思う

あの人はいろんなパラメータを頑張って高めたけど

激務で欝になって転んでしまって、ステータス異常本来能力が発揮できなくなった

そこで頼りになるはずのパートナーの男に捨てられたらしい

薄情な酷い男だとも思うし、完全ダウンしたメンヘルを支えるのは結構重いとも思う

2人のことなのでなんとも言えない


ただご本人もそのようなことを言ってたから遠慮せず言うけど

一ツ橋の人はまんこ力をおろそかにしていたようだ

たとえばもっと信用できる適切な男に、もしくはもっと適切にまんこ提供していれば

よい信頼関係愛着関係が築かれたパートナーがいて、

完全にダウンしてしまったときでも支えてもらえたかもしれない


まんこ別に動物的なファクターではなく

しろどんなにまんこだけ張り切っても人柄が最悪ならどんな男も離れていってしまうし

人柄・知性とまんこは両輪の存在


逆に言えば相手ニーズを見抜く知性を持ってちょっと気の効いたまんこ提供を行えば

相手の長年抱えている目に見えない欠乏を満たしたりすることもある

初めて出来た恋人や嫁を大事にする為にやたら張り切って働き始める男は珍しくない


まんこ使うというとすぐ援助交際とか風俗とか最終段階までぶっ飛んでしまうけれども

そういう換金型の使い方はもっとレバレッジの効かない使い方だ

信頼できる長期的人間関係の構築の為にこそ賢くまんこを使うべきであって

これを上手く出来るかどうかでものすごく人生が変わってしま

有能でタフで自分1人で楽々生きていける女性ですら積み増し分としてこの上手い下手で大きな差がつくので

これは男尊女卑とか男にぶら下がるとかいう話とは関係ないことだ


せっかくついてるハイパワー資産全然使わないとか、

逆に制御できずパワーに振り回されてメルトダウン原発みたいになるとか、

パワーに味をしめすぎて他のパラメーターを省みなくなったりするのが不味いのであって、

能動的に自律的まんこを使いこなせる女が増えることは誰のことも不幸にしない


ただまあ

この話は現代世間ではまだラジカルすぎるように受け止められるだろう

自明の理が受け入れられて教育体制が作られ始めるまでにあと20年はかかるだろう

これは必然の流れの予言として書いているに過ぎない

20年後にはてなのサービスが残ってるかはともかく

2016-03-14

NHKスペシャルメルトダウンって番組、見てて本当に怖かった。あんな88時間があるなら、津波で一瞬でなくなる方が楽ではないかと思った。東電の人は本当に大変だったと思う。東電放射能の中逃げずに戦った人も祈りを捧げたいと思う。

その頃の私は、まだ楽な仕事をしていたし、それから5年たって命を削る様なギリギリの激務を行っている。気持ちが痛いほどわかる。

緊急事態でも、現場と外部の危機意識の温度差は1兆度ぐらい違う。同じ地球上に、

茶の間でノホホンとアニメをみながらアニメ暴言はい人間と、その横で、時限爆弾の処理に神経を集中している人間がいる。

同じ空間存在して会話をしているが理解しあえない、

事件を共有できない悲しさ。

2016-03-11

震災五年後の再評価

http://anond.hatelabo.jp/20110602193012

5年たった。

改めてどんな状況になったのか再度整理してみる。

原発の状況

 これはもう議論するまでもなく「原発メルトダウンした」という情報が正しかった

 ただあんな状況でも正常性バイアスってのは強く働くんだなってのは覚えておきたい

被災地の状況

 ここがあまり議論されてない気がするんだけどどんなもんだろ

 結局、「大混乱が起こった割には餓死・略奪・強姦は発生していない」っていうのが結論でいいのかな

 どっちかっていうと被災者避難後の生活荒廃の方が今問題になっていると思う

 

 被害の瞬間のみ乗り切っても意味ないってことだね

 

 それとずーっと気になってるのはこれ

 「自治体が壊滅しているのでボランティアが直接行った方がいいって情報もあったけど」

 もう参照先URLはなくなってるんだけど、これもデマってことでいいんだよね?

 なにかしてあげたいとき自治体を窓口にしてまずは相談王道。これで間違いないはず

今後のエネルギー政策に関して

 正直原発稼働停止がこれだけ長く続くとは思わなかった

 そして今電力枯渇や停電を気にする人はほとんどいないし、節電も大して気にしなくなった

 原因はそもそも電力需要が多くなるほど経済が上向いてないから

 政府見解によると天候のせいらしいんでコレ原発とは関係ねえな

 

 てのは皮肉だけど、消費税増税が思った以上に効いてるって話だよな

 一番節電効果あるのはこれだったっていうのは笑えない話だ。。。

2016-03-09

班目春樹のページ

http://ponpo.jp/madarame/を見てあまりに腹立たしかったので増田に書かせてもらう。

どうやら彼がこのページで言いたいことは次の点に集約されると思われる。

これが大学教授などを歴任して退官した人間のいうことだと思うとめまいがする。

自分役割が何かを理解せずに火事場に飛び込んではいけませんね!反省しています

だそうだ。あまり当事者意識のなさである

そもそも原子力工学というのは、明らかに国策のための学問であるサイエンスとしては原子核物理という分野が存在していることからも明らかであろう。

(たとえば新元素発見記憶に新しい。あのように加速した原子核ビームをぶつけて反応を見ることは核力を探る上で重要であるそうだ。また原発関連のtwitterで有名になった早野氏も本業CERNエキゾチック原子核を作っている。これも核力を見る上で重要らしい。いずれにせよ、両者とも原子力工学とはほとんど関係ない)

したがって、

昭和50年4月 東京大学講師工学部原子力工学科)に採用

の時点で、彼はその役割を十分理解しなくてはならなかった。もちろんこれはこのような人間採用してしまった東京大学工学研究科責任であるとも言えるし、あるいはまともな人材がいないことの証左なのかもしれない。

そして、一度国策学問に携わる身になり禄を食む以上、常にあらゆる可能性を考慮し、当事者としての責任の重さを理解しなくてはならない。実際科研費サイト(https://kaken.nii.ac.jp/d/r/80092336.ja.html)を見れば

原子力利用ガバナンス確立に向けた社会技術に関する研究

班目 春樹木村 浩KIMURA, Hiroshi

研究期間 : 2009年度~2011年

研究分野:原子力学 研究種目:基盤研究(B) 研究機関東京大学

なのだそうだ。この題目で09年から科研費を通しておきながらバカの一つ覚えのように「菅が悪い」とは呆れて物が言えない。

その場でなぜリーダーシップが取れなかったのか。なんのための研究をしていたのか。反省すべきはその点に尽きる。

ブコメを見ると、「大学先生ってそんなもんじゃないの」という意見散見された。いやいやいや、待ってくれよという話である。仮にも天下の東大である

「そんなもの」で済まされるような人材をとってしまうこと自体許されない。もし彼があくまでもこの他人事のような姿勢を貫き通すのであれば東京大学原子力国際専攻は直ちに解散すべきである

そもそも東京大学、旧東京帝国大学は国のリーダーを輩出するためにできた大学である明治維新から十年も経つ前、西洋列強に比べ悲しいほどの国力しかなかった時代に、それでも高等教育機関必要だと既存機関をまとめて作られた。

このような責任感のかけらもない人間がいたという惨状を知ったら、明治の元勲も草葉の陰で泣いているだろう。右巻きの人ほど斑目糾弾すべきではないか。古き好き日本の伝統はどうしたんだ。

当時、(原子力は専門ではなくとも)原発由来の放射線の影響などを見積もり、それをわかりやす世間に伝えようとした大学教員が多かったことを思い出すと、ますます斑目氏の無能さが浮き上がる。

積極的発言していた人としては東大早野氏、押川氏や学習院の田崎氏など、物理畑の人が多かったように記憶している。彼らは(特に早野氏以外など)原子力はおろか放射能測定すら学生実験以来の経験であったことは想像に難くない。

それでもなお、彼らが普段から国民血税を使って研究活動を行っているのだからという理由で、自分たち研究時間を削って文献を読み、なるべく正しい情報を伝えることで社会に貢献しようとしたわけである

もちろん「メルトダウンは起きない」だとか、一部失言があったことは確かであるが、それでも何もしなかった当事者斑目氏とは雲泥の差である今日斑目氏のウェブページを見るにいたり彼らが如何に良心的であったか、を理解した。

もちろん例えば物理畑の人は普段何の役にも立たないことをやっているのだから非常時は何かをしなくてはいけないと思っただとか、少なくとも斑目氏たちの原子力工学よりは彼らのほうが基礎学力が高いだとかの副次的な要因はあるだろうけれども、エリートたるもの、かくあるべきではないのか。

斑目氏は、今現在はさぞや気分よく毎日を過ごされていることだろう。

とりあえず菅が悪いと言っておけば、みなから同情を買うことができる。時の政権も、民主党批判できればそれ以上のことはしたがらない。

だがそれでよいのか。彼にもし一欠片でも良心が残っているならば、現状の原子力行政をまともなものにする努力を行うべきであるメディアに出たりマンガを書いたりして菅が悪いと言っている場合ではない。

2016-02-25

メルトダウン

メルトダウン判断 3日後には可能だった

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160224/k10010420291000.html

福島第一原発事故から間もない頃、2ch物理板とか周囲の理系意識高め系の連中が

メルトダウン絶対にありえんwww危険厨www」

と言ってたの覚えてるんだが、結局あいつら分からんのに適当に余裕こいてたんだな

2015-12-11

日本人はなぜプロ技能に金を払いたがらないか、という話。

演奏に代金は払いたくないのか(一部のコメントに対して。最初の文章から変わっています)|ソプラノ川上真澄の音楽とバラがいっぱい、時々子育てブログへようこそ!


 約めて言えば、会社における社員教育のせいだ。それと「仕事」に対する意識の違いだ。

 アメリカ会社大手であればあるほどいわゆる「即戦力」を取りたがる。何かしらの技能資格、実績を有している人々をリクルートするのだ。だから、しぜん中途採用が多くなる。つまり最初からプロ」として雇われるわけだ。

 対して日本会社はいわゆる新卒一括採用を行う。たいして技能も実績も持たない純真無垢な新人社員OJTで実地教育していく。このとき社員たちは様々な分野の部署たらい回しにされる。どの部署についても一定の知識を得られるように、よくいわれる「ジェネラリスト教育ってやつ。

 しかし、このジェネラリスト教育に罠がある。というか、教育後の人材の使い方に罠がある。

 アメリカ会社員プロフェッショナルなので、基本的自分の分野外の仕事はできないし、仮にできたとしてもしない。日本ではよくある「君、◯◯もできるって言ってたよね? ちょっと助けてよ」が通用しない。なぜなら、それは契約にないから。もしその人から助けを借りたければ、金を払って雇い直すしかない。

 一方で、(まあ企業にもよるけど)日本社員はそのへんかなりユルユルだ。極端な話、全然自分とは関係ない他部署特別技能を発揮して手伝ったところで、お礼なんて感謝言葉と、よくて飲み代のおごりくらいだろう。「会社は仲間なんだから家族なんだから、親切(ただばたらき、と読む)にするのがあたりまえじゃん?」という意識だ。持ちつ持たれつってやつ(自分のほうが持つとは言わない)。

 それだけじゃない。こうした仕事における「境界のゆるさ」はどんどん拡大されていく。

 まず日本人仕事とそれ以外の時間をあまりわけない。国勢調査かなんかのアンケートに出ているが、日本人人生優先順位トップにくるのは「仕事」だ。その意識トリクルダウンを起こした結果、「仕事外の時間仕事の話をしてもいい」という変な慣例ができる。

 たとえば、「飲みニケーション」といわれるものがそれだ。日本企業で働く外国人はよく「ニホンジンは飲み会業務に関する重要情報交換を行うカラずるいデース」と愚痴る。そう、業務時間外に仕事の話をしあうのは彼らにとって「ずるい」のだ。一時期の喫煙室なんかもそうした役割を担っていた。

 そして残業サービス残業。これについての説明不要だろう。文字通り、自分時間会社のために捧げているのだ。タダで。

 

 

 こうした仕事人生、公私の境界線がゆるゆるになっていった結果、さらりまんたちの倫理メルトダウンしてくる。

 彼らはニコニコ動画youtube にあげられているちょっと面白い専門技術を持った面白い人々の動画を見て、あるいは pixivイラストなどを見てこう思う。

「この人たちは『親切で』こういう面白いものを公開してるんだ。良い人たちだなあ」

 そこに奴隷収奪するプランテーションオーナーのような攻撃意識はない。むしろ、彼らはプロフェッショナルに「好意」を持って「讃えて」いるのだ。

そこには「この人たちは『たまたま特別な才能や技能を持っていて、そういうものがあるんだから当然『親切』で芸を提供してくれるよな」という考えが底流にある。「尊敬」などはない。あったとしても「技能」ではなく、「態度」や「生き様」などといったその人自身人間性に対する部分への尊敬だ。

 日本の「芸」は大道芸人から〜「芸」は自分でも習えるから「芸」なのだ〜などというなまっちょろい歴史解釈説明づけなど及びもつかない残酷さがここにはある。日本人の「プロに金を払わない主義」は間違いなく近代日本社会が、私達が作り上げ是認してきた監獄なのだ

 私たち根本的な錯誤をしている。プロは「誰にでもできること」を「助け合い」のために使う人間ではない。「誰にでもできるわけじゃないこと」を「報酬」のために行使する人間のことだ。言葉で言えばまるで簡単だし、誰でも表面上は「そりゃそうだ」と思うかもしれない。でも、日常的に誰しもがプロプロとして扱えるように振る舞えるわけではない。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。なぜだろう。なぜそうできないんだろう。

 社員教育システム、そして仕事に対する倫理観根底から変えないかぎりこういう悲劇は今後も続くし、「プロ」は永遠に軽視されつづける。そしてこの国において「◯◯しないかぎり」という言葉は暗に「未来永劫実現しない」という意味を含んでいる。つまり、これが日本だ。がんばってはたらいていこうな!

2014-10-20

20代高身長イケメン婚活すると日本絶望する

当方20代後半高身長イケメン

とりあえずこの前提を妄想だの自意識過剰だのケチつけてくる奴は読まなくていいよ話進まないから

初対面の女には大体「○○に似てる」「肌きれい」「20代前半に見える」と言われる。

○○っていうのは大体ジャニーズの誰だのイケメン俳優の彼だの。

まあこんなところに書き込むくらいだから性格ねじれてる。だから友達もいなくて合コンもめったに呼ばれないから婚活最近している。

基本的には毒舌なんだが、婚活のその場限りでは一応は取り繕えているつもりだ。

謙虚笑顔で、なるべくにこにこ、ついでにお酒は強くないとアピールしている。実際に強くないんだけどね。

うそれだけなんだけど、それだけでモテる。ただ、モテるはいいんだけど、大体35歳くらいの女も平気で俺にアピってくるんだよな。

俺と歳が近いならともかくさ。

俺より年収はるかに高そうなおっさん共を無視して、俺より5歳も離れたババァ共が俺に群がる。

婚活なんだから、周りには歳が近くて俺より金持ってるような結婚相手としてどう考えてもベターおっさんがうようよいるのにさ。

男が若い女を求めるつうのはまあ分かる、金と見た目あるいは説得力があれば無理な話でもないだろう(まあそう思って行動してるおっさんの9割は勘違いなんだけど)。

しかしババァ共、テメーらは駄目だ。なんの魅力もなくて結婚できなかったような量産型ババァがなんでイケメン下男と仲良くなれるかもとか思ってるんだろうな。

今にも羊水がヘドロ化しそうな、一刻も早く孕まなきゃいけないその瞬間に、自分市場価値を一切考えず、ライフプランも微塵も考えずイケメン下男狙い。

ほんと気持ち悪いよ。頼むから現実見てくれ。お前はただの羊水腐りかけのババァなんだからさ。頼むから現実見た相手選びをしてくれ。俺の隣に座ってるその鼻毛が飛び出たくっそつまんねーおっさんがお前にぴったりの相手なんだよ。

40代の子メルトダウン済みのババァが身体目当てで俺に近づいてくるほうがまだ合理的だ。よっっっぽど綺麗で一生セフレでいいって誓約書書いてくれない限りはお断りだけどさ。

結婚できない女がうじゃうじゃいるっていうのが最近本当によく分かった。これじゃ少子化が止まるはずない。

100万以上はいそうな夢見る羊水腐りかけババァの行く末はどうなるんだろうな。

平成天皇はさっさと死ぬべきというお話

長年プロ占い師をやっているものです。

一部上場企業社長や有名芸能人の相談などで、年9ケタ弱ほど稼がせていただいております


今回、知人から匿名記事を書くサービスがあるということを聞き、ぜひともこの場を借りて、実名での公表を躊躇っていた重大事実を発表したいと思います


それは、平成という年号占い観点からみると、最悪中の最悪だということです。


皆さん、少し思い返してみてください。

突然のバブル崩壊年号平成に変わった直後でした。

それに続く、阪神淡路大震災

デフレによる未曾有の不景気

数年前の東北大地震原発メルトダウン


これらは全て平成になった途端に始まり今日に至るまで国民経済的精神的余裕が全くない状況に追い込まれています

繰り返しますが、その原因は年号が「平成であるからにほかなりません。


安倍首相アベノミクスも失敗に終わりましたが...はっきり言いますね。

年号平成である限り、景気は回復しません!

経済だけではありません。

原発メルトダウンによる放射能流出により、国民は気付かぬうちに、体を蝕まれています。(放射能の影響は癌による死亡率の増加という形で現れるため、現在はあまり注目されていませんが...)


このまま、明仁天皇が生き続けると、日本という国そのものが滅びかねないと思います

この事実が一人でも多くの人に届きますように...

(過激なタイトルつけましたが、明仁という名前自体には問題がないので、年号さえ変われば問題ありません。)

2014-06-06

フレンチを食って引き分けた話

警告。この話はうんこ関係する話です。他人のうんこ話に興味がない人は読まないでください。あと個人的見解独断に満ちあふれています

夜はホテルシンポジウムバンケットだった。それでフレンチを食べたのだが、自分はどうやらフレンチを食べたら腹痛を催す体質らしい。以前にも結婚式でのフレンチにより猛烈な腹痛に襲われたことがあった。しかフレンチを食べるのが久しぶりだったせいでその記憶・恐怖が完全に忘れ去られていた。腹痛を体験しない人には想像できないだろうから、腹痛について説明する。世の中には2種類の腹痛がある。ひとつはただお腹が痛むだけで、寝てウンウン言ったり病院へ行くと治る。そしてもうひとつは腹が痛くなると同時に便意を催すものである。この場合は我々が取る手段はただひとつトイレに行け」である。この後者の腹痛は時と場合により人の人生破壊する威力を持っている。例えるなら人体は原発うんこは核燃料である漏れでていない内は平和で快適な生活が送れるが、ひとたび然るべき場所漏れでてしまうと、グラウンド・ゼロ不毛土地となり周辺部は二度と振り返れない姿となる。このような恐ろしいものを人体は内蔵していることを覚えておいて欲しい。そして腹痛持ちは度々メルトダウンと戦っているのである

続きを書く。バンケットが終わったが、電車時間が近づいていたこともあり、複数の友人と駅まで小雨の中を走った。電車に乗った時、ピーンと来た。これは腹痛の種が育っていると。書き忘れていたが、自分中学生の頃から腹痛と戦ってきた百戦錬磨の者である。腹痛に襲われたことは数あれど、メルトダウンしたことは数えるほどしかない。さて補足説明を行うと、腹痛の種とは腹が痛いというわけではないけどなんか違和感があり、いままでの豊富経験によりヤバイ級の腹痛に育つ可能性がある腹部の違和感である。腹痛の種を感じることによりに腹痛との戦いがフェーズ0として始まる。ちなみにフェーズ1の腹痛とはお腹の痛みを覚え始めるころの腹痛である。この腹痛の種は適切に行動することで高確率で消散させることができる。例えば自分が得意とするのはクロスホールディングリンパ促進法であるクロスホールディングは上体を屈めながら両脇に手を差し込み、お腹と脇の下のリンパ節を同時に暖める技である。この技からリンパ促進法につながると腹痛の種を消散させることができる。百戦錬磨自分は今までリンパ促進法により数々の腹痛の種を消滅させており、今回も違わず種を散らすことに成功した。しか過去経験より、今回の腹痛は腹痛の種が消えたと言っても時を置かずにフェーズ1の腹痛として復活することは目に見えていた(一般に食事が原因の腹痛は種を散らしても復活する可能性が高い)。復活するまでの時間経験の内から30分と見積もった。電車はあと15分で駅に着き、そこからバスで15分の道のりである

駅に着いた時には腹痛の種はなくなっていたが、腹の奥の痛みと共にフェーズ1に移行していた。ここでひとつ致命的な間違いを犯した。電車を降りてトイレに行くことを選択せず、腹痛を抑えられると判断してしまったのだ。たとえバスが30分に一度しかない、一緒に友人がいたなどの理由を考慮してもこの選択は最悪と言ってよかった。思い出してほしい、人間うんこという核燃料を保持していて、メルトダウンにより人生破壊される可能性があるのだと。たとえ過去100個の腹痛の種のうちの1つだけしかフェーズ1に移ったことがなかったとしても、一度メルトダウンが発生すると次はないのだ。すなわちいくらメルトダウン確率が低いと言っても一度メルトダウンが発生するとそのコスト無限大となるのだ。どんな理由があろうともトイレに行く選択をするべきであったのだ。

これは完全な偏見だが、腹痛の時、電車の中では便意は減退し、バスの中では逆に便意が促進する。これは電車の縦横への揺れが気を紛らわせる効果があり、バスの細かい縦揺れがうんこを押し出す効果があるのだと思う。そして今回自分の体は雨で湿っていて、電車の中の暖かい空気で保温されていたということを注記しておく。停車しているバスに乗って座席に座った時、腹痛は第2フェーズに入った。このフェーズは腹痛に加えて膀胱あたりにも圧迫感が現れ、肛門にだけに集中することができなくなるのだ。まさに前門の膀胱、後門の肛門。腹痛第2フェーズでは更に厄介なことに、気温変化および体表面へのストレスに対しての感応性が飛躍的に高まり、僅かな風や冷気を含む空気により猛烈な勢いで腹痛が悪化するのだ(腹痛で苦しんでいる人に水をかけたり扇風機を回したりしちゃだめだよ)。これらの条件のもとでは第0フェーズと第1フェーズ活躍するリンパ促進法でも改善は見込めない。リンパ促進法での回復量と同等な量を消費してしまうのだ。第2フェーズ突入してしまうと百戦錬磨自分でも悪化しないことを祈ることしかできない(そもそもこのフェーズになる前にトイレにたどり着くべきである)。

まだバスが出発するまで1分ほどあったが、自分は動けなかった。動いたらもはや打つ手のない第3フェーズ突入してしまうかもという恐怖と計算ではぎりぎり間に合うという後ろ向きの思考が、バスを降りるという決断を妨げたのだ。バスが動き始めた瞬間、自分の過ちを知った。バスが動き始めた瞬間、腹痛が第3フェーズ突入したのだ。このフェーズでは刺すような膀胱の痛みと便意に加えて、細かな違和感お腹の奥のほうで点滅する。この状態になると防戦一方となってしまう。三方からまったくのランダム時間差攻撃をされると想像してほしい。こうなると反撃は叶わず、ひたすら消耗を最小限に抑えることが最適解になるのだ。つまり時間との戦いが始まる。

バス停留所に止まることなく一路走行する。しかしすでに大勢は決しつつあった。到着10分前にして、第3フェーズの特徴ノッキングが始まっていたのであるノッキングとは要するにアレの先端が\こんにちわ/する状態である。これは腹痛からの最終勧告であると同時に最終決戦の前の最後の安らぎである。一度ノッキングが起こるとそのあと数拍は腹痛が薄れる状態、すなわち死線を越えた状態となる。したがって自分のような百戦錬磨の者は死線を越えた状態をできるだけ長引かせるように、ぎりぎりまでノッキングを我慢してから一瞬開放し、そのあと弛緩して次のノッキングを遅らせるのであるしかしこの技術をもってしてもノッキングを克服することは不可能である。なぜならばノッキングの間隔は非線形に短くなるからである。間隔が十分に短くなると、腹痛を我慢しつつノッキングを我慢するというために、お腹と肛門を手で抑えるという見たままのスタイルを取らざるを得なくなる。

バス停に到着した時は、のぐその覚悟はできていた。隣の野原でしてしまおうと考えていたのだ。しかし当然ながら友人たちと同時に降りるのでその解決案は諦めねばならなかった。その代わり負けを認め、多少こぼれてもいいから最速でトイレに駆け込むべきだと決断した。我が心の語録にも「最善を捨てることによって最悪を避けるシステムに切り替わったのだ。」[数奇にして模型, 講談社文庫, p621] とある決断を行ったことで気持ちの整理がついたので、荷物を友人に預け、体を軽くすると同時に抑えるところを抑えながら駆け出した。予想通り駆け出してすぐにノッキングが激しく、そして力強くなった。自分にはこの理由が分かる。トイレを利用しようとしたら一つしかないトイレの個室を占領している奴がいて、はじめはおとなしくノックしていたけど段々我慢の限界が近づくにつれ激しくノックキックするようになるようなものだ。何度かパンツと肛門の接点が膨らむような感覚があったが、気にかけることなく奥義ツヨイ・オサエを信じて、エントランスを駆け抜けて、トイレの個室に滑り込んだ。

正念場であった。公衆便所を見てわかるように、便器の一歩手前でうんこを漏らす人は多い。これは便器の一歩手前もしくはズボンを下げた瞬間、集中力が途絶えてメルトダウンしてしまうからである。したがって個室にたどりつたとき真に重要なのは集中力を途切らせることなく便器に座るまでの一連の動作を行うことである経験がない人はそんなの無理だろ今までギリギリだったのに、と思うかもしれないが意外と達成可能である。これは全精神力を費やして驚異的な強度で肛門を閉じることで、だいたい10秒程度の最後時間を得ることができるからである自分も体験するまでは、ゲーム内の「全能力を消費して短時間強化→全能力ダウン」について、嘘々少しぐらい力が残ってだろうし全力を使うなんてねーと思っていた。しかしこの最後時間経験してからあの設定は意味があったのだとまさに実感したのである。おそらくゲーム開発者うんこを漏らしそうになったことでこの設定を思いついたのであろう。なぜならばもし間に合わずに漏らしてしまったとすると、最後時間絶望して「こんな設定意味無いとみんな知っているだろう」と考え、設定は採用しないからである最後時間を発揮することでメルトダウン回避できた。そしてノッキング、{ドライ,ウェット}ベントによる汚染を確認すべく膝の間のパンツを眺めたところ、汚染痕跡発見できなかった。奥義ツヨイ・オサエは名に恥じぬ奥義であった。勝ちでもなく負けでもない今回は引き分けとする。個室には1時間居た。

最後に名も知らぬ女性感謝を捧げる。彼女完璧タイミングエントランスオートロックを解除して外に出てきてくれなかったら、引き分けには持ち込めていなかった。ありがとうございました。

2014-06-03

でも安全を主張してる側にも物凄い量のデマがあったよね。

いまのところ「メルトダウンしか挙げられておりませんが果たして本日増田が終了するまでに「物凄い量のデマ」を見つけることができるのでしょうか。

http://anond.hatelabo.jp/20140603171910

いまざっと調べてみたけど、

メルトダウンによる再臨界及び核爆発はない(もしくは起こりづらい)」という主張が、

「(あらゆる意味で)メルトダウンはない」という風に受け取られたようにしか思えない。

事故当時は「チェルノブイリみたいになるのか/ならないのか」が一つの焦点であり、

メルトダウン(=チェルノブイリのような核爆発)が起こる」という風潮に対して「それは起こらない」と反論することがあった、

というように俺は理解したが、おまえの認識は異なるのか?

http://anond.hatelabo.jp/20140603171958

信じるもなにもそれただの

不確定な事態に於ける判断の問題じゃん。

そりゃ、メルトダウンしてると思う人もしてないと思う人もいるだろ

未確定なんだから

全ての危機を最大に見積もって算出しないとニセ科学なん?

例えば「統計的航空機は移動距離に比してリスクが少ない」というのは

科学的な見解だけど、これを信じた結果飛行機が落ちて死ぬことはそりゃあるよ。

つーか、あらゆる科学的判断は信じた結果死ぬことはそりゃあるよ。

100%の安全留保しなければ科学的でないってんなら、この世に科学は無い。

ましてや、科学はおまえに100%正しい判断を与えてくれるものじゃない。

んなわけねーだろ、自分で考えて自分で行動しろよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140603165620

メルトダウンはありえない」というのは、「現時点ではメルトダウンしているとは判断できない」とか、「核爆発が起きるわけではない」とかそういう話だったよね。

そして、実際にメルトダウンが起きていたことが分かったときには、誰もがそれを認めている。

一方で、「メルトダウンしている」と言う側にも根拠があったわけではない。

メルトダウンしている確証がある中で、それに反する主張を振りまくなら「デマ」だろうけど、

たとえば「メルトダウンによって福島全域に致死的な量の放射線が出ているのにその事実を認めず避難を促さなかった」とかだったらデマと言えるだろうけど、

そこは「明確に反証が挙げられているのに福島全域に致死的な量の放射線が出ているかのように言う反原発」とは違うよね。

で、メルトダウン以外の「物凄い量のデマ」って他には?

2014-05-13

危険厨はバカだから」で済ませる理系が分かっていないこと

なんていうか、もう全っ然分かってないの。たとえばこの人

鼻血漫画をバネにして進めるべきこと」坪倉正治

http://apital.asahi.com/article/fukushima/2014051200007.html

この人、一見中立的に「みんな『美味しんぼ』叩くんじゃなくて、賢くなろうぜ」って言ってんの。大変優等生的なの。イイコちゃん「風」なの。

「風」って言うのは、実は根っこのところで言ってることはあんまり品のいいことじゃないからなの。要するに「危険厨なんてバカは相手にするだけ無駄じゃん」って言ってんの。微笑ましいの。それが最大の勘違いなのに。ほんと、ダメすぎるね。もう。

そういう、「正しい」考え方とか「科学的」な言説の信用性自体が、原発事故以来、もうガタガタに崩れ落ちてんの。ハッキリ言って信用ゼロなの。あんたらが口を開いて「科学的には」「科学的には」と繰り返すほど、みんなしらーっとした目で見るようになってんの。要するに、嘘言ってるとしか思われてないの。

反論するほど賢くない人たちはみんな、あんたらが喋ってる間ジッっと黙って聞いてんの。でも、心の中では「じゃあ、事故起きる前にあんたはなんて言ってたの?」と思ってんの。原発は危ないって、きちんと言ってた? 事故直後、メルトダウンするよって言ってた? 被害を防ぐ有効方法提示してた? 賢いあんたらが、今になってしか何も言えないのはなんでなの?って。

あんたらから見たら、危険厨バカばっかりなの。欺されやすバカばっかりなの。でも、今、そんな欺されやすいバカたちにすら全く信用されないのが、リンク先みたいな人たちなの。ほんとは、何よりもそのことを深く省みる姿勢必要。なのに、本人は、「自分意見は『正しい』からみんな感心するはず」って、今でも思ってるみたいなの。滑稽なの。うんうん、ってうなずいてるのは、お仲間だけなの。

原発事故なんて起きません」って賢い人らに言われて、おバカ私たちは「そっかー」って信用して安心してたら、事故ったの。

その同じ口で「いやいや放射能は危なくないからね」って言われたからって、「そっかー」って安心………できるわけないの。

一人でも、「科学者」とやらが、「安全と言ってて済まなかった。責任取って腹を切る」ってやるっていうなら、まだね。でもそんな人、一人もいなかったの。それもみんな見てきたの。「100%起きないとは、別に言ってなかったしー」って奴ばっかりなの。みんな「賢いから逃げるのもうまいね」って思ってるの。ちなみに、誉めてないの。

から、そんなとき「危なくないなんて嘘だ。危ないんだ。あいつらを信じるな」って言われたら、多少怪しいと思っても「そっかー」「やっぱりだよねー」ってなるのも当然なの。だから、「そんなの間違ってんだ!よりよい、正しい方向へとみんなを向けたい」って真面目に思ってる人は、ホントどうすればみんなにもう一度信じて貰えるか、もう少し真面目に考えてください。「フウヒョウヒガイだーっ」つって怒鳴って叫んで炎上させて発言封じても、みんなますます黙りこむだけで、誰も幸せにはならないの。信用できるまともな人がいなくて、誰も彼もがウンザリしてることに、もう少し気付いてほしいの。

おまえら科学的、科学的って、自分実験したわけでも福島に行ったわけでもなく、

ネットやら政府発表やら新聞やらの、自分は正しいと思い込んでる「専門家」の御意見に乗っかってるだけじゃないの。

あんなの、そんなに信頼できると、本当に思ってんのか。

だって福島第一が地震だけでメルトダウンに至ったのか、津波がなければ避けられたのか、こんな基本的なこともわからない。

水俣病だってそうだ。「公式」に患者が見つかってから政府チッソ責任認めるまで、10年かかってんだぞ、丸10年。

そのあいだ、沿岸に水銀は垂れ流し。患者が増えつつあるのに、原因はウイルスだとか、間違った観測を述べた「科学者」がどれだけいたか

「同様の生産をしてる工場から水俣病は出ていない」、「科学的に因果関係を立証できない」、「だから何とも致し方ない」。

政治や金や裁判が絡むかぎり、こんな論法がまかり通るのが世の中ってもんだろうが。

人殺し片棒を担いで走り続けるのが、まぁほとんどの人間人生だな。カルマしかいいようがない。

2014-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20140512111746

「現時点で出てきている情報から考えるとメルトダウンはありえないから落ち着きましょう」くらいのものだっただろ。

震災直後の、まだ事故の状況がかなり楽観視されていた時期で、あの時点ではそういった状況認識妥当だった。

しろ、あの時点で騒いでいたのは、根拠もないのに不安を煽っていた連中であり、

彼らが「どんなことがあろうとメルトダウンはありえないと御用学者が言ってた!」といまだに騒いでいるんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140512111746

メルトダウンが起きないと言っていた連中がいたから、

科学的な根拠がないことを断言してもいいって理由にはならない。

東電ダメだったし、元町長やらもダメ

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