はてなキーワード: ムーブメントとは
先駆けではあるけどムーブメントの直接的な開始点ではない、という感じかな。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
森奈津子好きだったんだよなあ
子供の頃、漫画は読んでたけど、文章主体の本ではじめて読んだのは多分森奈津子のお嬢様シリーズ
主人公の綾小路麗花は、古典的な少女漫画を読んで、けなげで清廉な主人公よりも、きらびやかで意地悪で最後には潔く負けを認め「フッあたくしの負けよ」と言うような悪役令嬢に心惹かれて悪役令嬢をロールプレイしている
綾小路麗花はお金持ちのお嬢様なので、悪役令嬢の方が境遇が近くて感情移入して悪役プレイをしているが、根は育ちがよくお人好しなので悪役プレイにボロが出まくる
爽やかイケメンな彼氏や百合な従者やホモや男の娘が出てきてわいわいやる楽しい学園ラノベ
不登校になった時期があるため、不登校児が題材の「グースカ夢見る問題児」には救われた
不登校児たちが夜に眠ると、夢の世界の架空の学校に集められ、北海道や沖縄など遠く離れたちに住む子供たちがその学校内で交流を持つという設定が、インターネット普及前の時代に斬新に思えた
今だったらSNSで他県の子とつながるのなんか簡単だが、あの時代は雑誌で文通相手募集するぐらいしか手段なかったんじゃないか?
お嬢様シリーズはレモン文庫という学研のレーベルから出版されていたが、1996年にレモン文庫は突如消滅
森奈津子はお嬢様シリーズの連載構想がブツ切れになり、他に拾ってくれるラノベレーベルもなく「ラノベ界に棄てられた」と感じたという
ラノベに見切りをつけ、レズビアン寄りのバイセクシャルであることをカミングアウトし、百合小説を執筆するようになった
東京のセクシャルマイノリティの事情について語るエッセイなども発売
「女性はセックスについては語るがオナニーについては秘す。もっとオナニーについて語れ。私は女性がオカズにできる本を書く」
と官能小説を書き、また百合が精神性重視のものが多い中で官能百合を書く
百合SF、エロSFなどを手掛け、「SFの定義についてうるさい奴がいるが、エロ本はチンコが勃てばエロ本なのである、SFチンコが勃てばそれはSFなのである」と主張
小説業界の中で森奈津子は「おもしれー女」として扱われ、ミステリ作家の西澤保彦は森奈津子を主人公とするナツコシリーズを出した
百合ジャンルやTL小説はその後盛り上がっていくが、森奈津子はそのムーブメントの中央にはいられなかった
悪役令嬢ものが早すぎたように、ジャンル自体への需要はあってもいまいち世相と噛み合わず第一人者にはなれなかった
バイなのだから異性とも恋ができるのは当たり前なのだが、「ビアン寄りのバイ」としてのキャラ立ちは失った
「女が男と恋愛して男と結婚するなんか普通じゃん、所詮なんちゃってじゃん」という扱いになる
ビアンやバイやノンセクとして活動していた女が普通に結婚して、経済的安定を得て家庭の中に埋没して表舞台から消えていくのはよくあることだ
だが結婚してしばらく、森奈津子の夫は重度身体障害者になってしまった
そんな身の上になった森奈津子からすれば、「若くて健康だけどセクマイだから辛い」「セクマイにも安定した結婚生活を得る権利を」などと言っている、かつての仲間は甘えたクソガキにしか見えなくなったのだろう
かつてはセクマイの集まりの中で生きていたのに、「同性婚は不要だ」と言い切り、その手の活動家を批判する側になった
その手の活動家の中に過激で頭がアレな奴がいることは確かではあるが、明らかに矛先は「一部の過激な奴」だけではなく穏健派にも向けられている
小説「耽美なわしら」の中でノンセクを肯定的に描いていたのに、今や「異性婚しない独身おじさん」すら叩いている
「普通に男と結婚した」ことでフェードアウトしていったかつての支持者への当てつけで、「普通に結婚できない同性愛者・独身主義者・非モテ」は敵になったのだ
そういう活動によって本を出したり団体活動したりで生計を立て森奈津子は夫との暮らしを送ることができている
「あなたの発言はLGBT差別では?」と言われたら「いえ、私はLGBT当事者です」と森奈津子は答える
作者を嫌いになると作品も自動的に嫌になって避けるタイプなのだが、それは作品の方もそれほど深く好きだったわけではないから起こる現象で
森奈津子本人は今は明白に嫌いにはなっているが、作品を愛好していた時代のほうが長いので、お嬢様シリーズは今でも好きだ
レモン文庫崩壊前、作家として食っていけるようになり希望を持っていた頃の森奈津子は今の森奈津子とは別人のようだ
今の森奈津子の全てを否定するわけではなく、一理あると感じた発言もないではないが、がっかりすることの方が多いのでブロックしてなるべく見ない
だが最近新しく裁判やってるそうでスクショが流れてきて森奈津子を思い出す
ヘイト界隈って不寛容の極みであるように言われるけど、淫夢界隈と似たようなもんで「合言葉」を一緒に唱えさえすれば誰でも受け入れてくれるというある種の寛容さはある
反ヘイトの集まりなんてのはすぐ正しさを巡り喧嘩するけど、ヘイトの集まりはそうでもない
ラノベやセクマイやSFやら、あちこちで排斥された者でも受け入れてくれる寛容で優しい人達のもとで居心地はいいのかもな
綾小路麗花は結局は優しいお人好しで、誰かと対立しても最終的には和解するいい子で、金網に風船が引っかかったとかで泣いてるガキがいたらエナメルの靴をガビガビにしてでも金網登って風船取ってやるんだよ
チー牛という言葉が何を示すのか。秋葉原に居そうな服も吟味せず自身のケアもしないメガネのオタクがそうだとか、小学校のクラスメイトで思い出せないレベルだとか、勘違いして暴走する救いようのない童貞がそうだとか、侃侃諤諤の主張がここ数日よく見られる。共通しているのは、チー牛の三文字が弱者へのレッテルとして、また精神的な嫌悪として十把一絡げに属性を与える便利な言葉というところだろうか。
私も便利な言葉だと思っている。その言葉を使う人間の露悪的な本性と、犬畜生に等しい浅ましい性格がすぐさま見れるという点において、大変便利だ。
しかし考えてみれば、朧気な記憶で発達障害や就労支援に来るやつを示そうとして、チーズ牛丼を頼む者のイラストが合わさった途端、猫も杓子もチー牛チー牛と弄り出したのは不思議なものだ。他の料理でもやってみればどうだろう。二郎系ラーメンとか、コラボカフェのケーキとか、ケバブとか、マックでもいいかもしれない。どんどん試してウケれば流行るだろう。第二のチー牛は何になるのだろうか。その料理を頼む人間をうまく可視化するのは、中々に知恵がいるかもしれない。
興味深いのは、この言葉を投げつけられる諸々の人でさえも自虐とする時がある事だ。彼らはどのような心理を抱えて日々を生きているのだろう。特に好物でもないであろう一杯の牛丼を食ってそうなどと言われ、言い返そうにも寄って集って囃される時、もはや同調して引きつった笑いを浮かべるしかないと思うが。人並み以上に精神を蝕まれているだろう。彼らが少しでも早く『世の中も案外捨てたもんじゃない』と思える時が来ることを願いたい。本来は社会がそれを分かりやすい形で与えるべきだとは思うのだが。
なお最後に添えておくならば、私はチー牛という言葉とそれに連なるムーブメント、自虐を除いてその言葉をそうした意味で使う人々について、徹底的に批判する者でありたい。
何の疑いもなく、食物を粗末にする馬鹿な連中である。悲しい哉、子供の頃に親から教えてもらわなかったのだろう。世間では何食わぬ顔をしていようが、頭も性格も凡そまともな訳が無いのだ。コンビニのおにぎり一個に飢え、生活に喘ぐくらいまで落ちればいい。
チー牛というネットスラングが戒められるその時に、その言葉を軽率に使い、また多用してきた者らはどのように『しらを切る』のだろう。それが今から楽しみで仕方ないのである。
麻雀なんで流行ってるってエントリで二本柱としてMリーグと雀魂が挙げられてるけど
Mリーグはサイバーエージェント藤田が立ち上げを行っていて初代チェアマンに就任してる。
abemaTVで全局中継が行われ、今の麻雀ブームの火付け役になった。
藤田はこの前にはフリースタイルラップバトルを一躍メジャーシーンに押し上げた
フリースタイルダンジョンの立ち上げにも関わっている。
元々は高校生ラップ選手権がブームになりつつある中でそれに着想を得て
Zeebraに「ああいうのをテレ朝でやらないか」と持ち掛け、企画承認から立ち上げまで行っている。
その後、ラップバトルは一大ムーブメントになって武道館、さいたまスーパーアリーナ公演まで行っている。
そこから出てきたR-指定や呂布カルマなんかは表舞台でも活躍してるし。
ラップバトルも麻雀もどちらかといえばアングラな小規模なコミュニティ内でのブームだったのを
年末に週刊誌が松本人志に関するスキャンダルを報じた影響で松本人志という人物に対して厳しい目が向けられている。
それは女性問題に限らず、過去に松本人志が作り出したコンテンツに関してもだ。
評価の中には、彼の笑いはイジメを助長するあるいはイジメそのものを笑いにしていたというような主張が存在する。
しかし、そのことの真偽を検証するのがこの文章の目的ではない。
そのことをまず了承してもらいたい。
彼の笑いの是非を問うものでない。
その上で、あえて彼の作った笑いが極めて有害なものであったと仮定してみる。
そういう話をしたい。
彼が過去に作った笑いのコンテンツが有害であったとして、果たして我々は松本人志を責めることが出来るのか?
いや、それは出来るわけがない。
当たり前のことだ。
表現者が表現の自由を行使して、その許されている範囲内で表現を行ったことを責めることは出来ない。
例えるなら中世ヨーロッパにおいてキリスト教以外の神を否定するような絵画を描いた芸術家を断罪することが出来るのか?という問いと同じだ。
わかるだろうか?
芸術家というものは自らが作り出したものを検閲することなど出来ないのだ。
自らのうちから生み出された、ある表現が適切かどうかを判断する完全なる客観性を表現者は有していないからだ。
だがら、その客観性を有しているものがその表現が適切かどうかの判断をくださなければならない。
誰が判断するべきだったのか?
おそらく松本の過去のコンテンツに関して責任がある存在とは、すなわちテレビ局であるはずだ。
松本がいかに偉大な表現者だったとしても関西の一劇場で細々と舞台演劇を行っていただけならば、いかにカルトな人気があろうと全国的な影響力など持ちようがないのは言うまでもない。
広く流布するべきものか、
あるいは極めて優秀な作品だが
これはもっと人の目の触れにくいところに留めるべきか、
このことに松本人志の笑いを否定するものたちはまずは留意すべきだ。
テレビ局は当時、松本人志のコンテンツを広く全国民に向けて放送することに問題がないと判断し、流布した。
理解できるだろうか?
イーロン・マスクのようにメディアそのものをコントロールするような権力を松本は持っていなかった。
その松本に対して、イジメを助長するような作品を流布したと批判することは出来ない。
さらにいうならば、その松本の笑いがなぜ広く流布されるようになったのかという原因そのものをもっと考えてみるべきだ。
そのテレビが、ある番組を放映するかどうかの判断の要としていたのが視聴率だ。
テレビの視聴率とは、どれだけの人が、その番組を見ていたかどうかを表した数字だ。
それは批判的に見ていたわけではない。
あのとき、あの場所で、多くの大衆が松本が面白いと思ったから視聴率を稼いだのだ。
ムーブメントには必ず、それを支持する多数の大衆が必要となるのだ。
松本のような広いマスに対して自らの表現を売り物とするものは、
常に時代を見つめながらコンテンツを生み出さなければすぐに大衆から見捨てられる。
ウケないものとはなにか?
大衆とはなにか?
それはすなわち社会だ。
このような言葉使われるようになって久しい。
これはどういうことか?
なぜか?
だから常に価値観をアップデートしないと常識はずれの言動してしまうぞ、ということだ。
ならば、その逆も真実だ。
過去を振り返るときには、価値観のダウングレードをしなければならないのだ。
理解できるだろうか?
そのアップグレードされた価値観で持って過去の出来事を振り返れば違和感しか感じないのが当たり前だ。
なのにそのアップグレードされた価値観で過去の出来事を断罪するなど
愚か者のすることだ。
そうは思わないだろうか?
笑いというのは毒である。
人は毒を面白がるのだ。
しかし毒は
その時々で
使っていい量
使っていい種類
が異なる。
常にその許容は変動していき、
それを間違えれば死をもたらす。
水星の魔女の小林寛監督のインタビューを読んだんだけど、小林監督は就職氷河期末期の世代だそうで、
コロナ禍における「ブーマーリムーバー」のムーブメントを見ながら、年配世代の存在を呪いとみなして排除しようとする論調に思うところがあったらしいんだよね。
就職氷河期世代って、団塊世代やバブル世代ばかりが良い思いをして、自分たちは負債ばかり背負わされて…という話をよくする。
ゼロ年代インターネット文化ってずっとそんな感じじゃなかった?氷河期世代が大学生だった頃かな。
でも20年経っているし、もう就職氷河期って15歳の子供がいる親になっている世代なんだよね。
水星の魔女に限らずアナザーガンダムは、背伸びをしたいティーンに向けて物語を作るんだとプロデューサーのインタビューにあった。
でも監督のインタビューが、監督は就職氷河期末期…ってことは1980年生まれくらい?なのかもしれないけど、
負債をもたらした団塊世代の尻拭いを自分たち若者世代が…的な目線がどうしても感じられて、
その考え方を表現する役割をシャディクが担当しているっぽいんだよね。
就活やブラック労働に苦しんで、団塊などの親世代を恨み、20年経ったことで「恨んでも仕方ない」「出来ることをやっていくしかない」と、
ようやく受容・解呪されていった40代50代氷河期世代の感覚を、スレッタたちと同じ年齢の今の世代に向けて出すのって完全にズレてるんじゃないかな。
氷河期世代が味わった挫折感は、親世代は金を持っているけど自分は就職がうまくいかず、
親に否定され苦しめられ挫折感を味わいながらも、経済的には親に依存せざるを得ない状況での自意識的葛藤のようだけど、
今のティーンは親世代が氷河期で金がなく、自意識がなんとかではないリアルな困窮に直面している子が増えている。
つまり葛藤の種類が、物質的には富裕ななかで親に認めてもらえず苦しむミオリネやグエルとは違い、生活に困っているソフィとノレアに近い状況の子たちがいるということ。
放送中も、ソフィノレがトー横キッズっぽいとか言われてたけど。
でもソフィとノレアに救済があったか。贖罪の機会すら与えられずにシャディクに使い捨てられて戦死してしまった。
なのにデリングとサリウスに贖罪の機会が与えられ、何よりプロスペラやペイル社CEOは贖罪すらしていないというのは歪んでるよ。
ティーンを対象にして作るんだったら、ティーンにとって就職氷河期世代が親世代であることは自覚しないと駄目なんじゃないのって思った。
ティーンにとって団塊は、年代が遠すぎて知らない。祖父母とそんなに情緒的な交流をしないでしょ。
バブル世代の文化もダサかったのが、遠すぎて「一周」したことによって逆に目新しくなって、リバイバル的な流行をした。それくらい遠い。
そういう世代感覚が欠如していて、「自分たち若者は」の感覚が40代になっても抜けていない。そういう風に感じました。
追記:
非常に氷河期的なナラティブを、氷河期よりも30歳年下で全く別の体験をしてきた今のティーンに寄り添うつもりで押し付けながら、
今のティーン向けに生きづらさや克服や救済を描いたつもりでいるのがおかしいって言ってるんです。
ォロー
【結果発表】みんなで選ぶ!🏆チェンジメーカー・アワード 2023🏆
Change.org Japan(チェンジ・ドット・オーグ)
Change.org Japan(チェンジ・ドット・オーグ)
新型コロナが5類に引き下げられ、3年ぶりに社会が動きを取り戻した2023年。各地ににぎわいが戻る一方で、物価高による値上げが相次ぎ、日本各地で記録的猛暑や自然災害に見舞われるなど、私たちの生活を直撃するニュースが目白押しの1年でした。
この1年でChange.org日本版で立ち上がったオンライン署名は1,031件。「チェンジメーカー・アワード2023」では、ユーザーのみなさんからの投票によって、大賞および8つの部門賞が選出されました。2023年に最もユーザーをエンパワーした署名活動、社会により良いインパクトを生み出したオンライン署名として、ユーザーのみなさんが選んだ今年の大賞は……?
目次
大賞👑 神宮外苑1000本の樹木を切らないで~再開発計画は見直しを!
部門賞: みんなの声で作るエンターテインメント
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大賞👑 神宮外苑1000本の樹木を切らないで~再開発計画は見直しを!
部門賞: みんなの声で作るエンターテインメント
「神宮外苑1000本の樹木を切らないで~再開発計画は見直しを!」の署名活動が、大賞とW受賞!署名発信者、ロッシェル・カップさんの受賞コメントは大賞の発表からご覧ください。
2019年末に始まった「チェンジメーカー・アワード」も、今年で5度目の開催となりました。投票してくださった6,820名の皆様、本当にありがとうございました。
新型コロナが収束して、3年ぶりに制限のない日常を取り戻した2023年。
ウクライナ戦争による物価高の影響で値上げが相次ぎ、7月には、世界の平均気温が観測史上最高値となり、日本各地でも記録的猛暑に。戦争や気候変動などの地球規模の問題を、私たちの生活に直結する問題として実感した方も多かったのではないでしょうか。
物価はどんどん上がるのに、賃金は上がらない……。日々の生活がますます苦しくなる中、インボイス制度開始が目前に迫り、2021年から反対の声をあげ続けていた「#STOPインボイス」の署名活動が一気に加速。日本のオンライン署名最多賛同記録を10万以上上回って56万人を突破し、一大ムーブメントを巻き起こしました。
そして、2023年は、長い時間をかけて手繰り寄せてきた変化が、数多く実った年でもありました。
性犯罪に関する刑法の大幅な改正が実現され、7月から施行へ。2019年に開始された刑法改正を求める署名活動には、14万を超える人が仲間となって声をあげ、改正法の成立を実現する大きな力になりました。神奈川県では、2021年に1人の高校生が始めた署名活動が実を結び、2023年4月から県内の公立高校全135校で再生エネルギーが導入が導入されました。
自衛隊での性被害を告発し、2022年から公正な調査を求めてオンライン署名を行っていた元自衛官の五ノ井里奈さん。その後も長く訴え続けてきた事実がついに裁判所にも認められ、今年12月12日、被告3人に有罪判決が出ました。
望んだ通りの変化がすぐに起こらなかったとしても。粘り強く活動し続けた先に実現できるという未来を、身を持って私たちに見せてくれました。
米TIME誌の「次世代の100人」にも選ばれた五ノ井さんは、メッセージビデオの中で「みなさんからの応援メッセージに救われた」と語りました。
署名に賛同した1人ひとりの声やコメント欄に書かれたメッセージは、勇気を出して最初に声をあげてくれた人の味方となり、長く険しい道のりを歩み続けていく大きな原動力になります。
そして、集まったたくさんの声は小さな声の拡声器となり、社会が無視できない状況や世論を作り上げてきました。それが決定権を持つ人にとってプレッシャーとなり、たとえ少しずつでも変化を起こすことができたのです。
「たった1人の声でも社会を変える力になる」
「私たちは無力じゃない」
私たちはこれからも、変化を実現するまでの道のりを、皆さんと一緒に1つ1つ大切に積み上げていきたいと思っています。
2024年も、Change.orgは皆さんの「変えたい」気持ちを形にできるよう走り続けます。これからも、何卒よろしくお願いいたします。
スタッフ一同
2022年: 安倍元首相の国葬中止を求める合同署名(*9月5日に合同で提出された4つの署名をまとめてノミネートしています)
困窮者を生活保護制度から遠ざける不要で有害な扶養照会をやめてください!
私の夫、赤木俊夫がなぜ自死に追い込まれたのか。有識者によって構成される第三者委員会を立ち上げ、公正中立な調査を実施して下さい!
【緊急署名】これ以上教員を疲弊させないで… 定時を延ばし 残業を隠す「変形労働時間制」 は撤回して下さい!
綾辻行人の最高傑作『十角館の殺人』ついに実写化 内片輝監督×八津弘幸脚本で3月配信 | マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20231221-2845699/
いや、ドラマは楽しみにしているよ。
脚本が『おちょやん』の八津弘幸さんなら、よほど変な演出をしなければ、間違いなく面白くなるはず。
それはいいのだけれど、『十角館の殺人』って、なぜか小説そのものも変に神格化されていて、「最高傑作」とか主張する人がいるのって、ちょっと違うんじゃね?って、ずっともやもやしている。
推理小説としての「館」シリーズのできを評価すると、『時計館』が、推理小説という枠を超え、小説としても飛び抜けた傑作で、『水車館』『迷路館』が続き、それと同じかちょっと落ちるぐらいのところに『十角館』があって、『黒猫館』『人形館』、後はお好きにって感じだと思うんだよね。
時計館>>水車館・迷路館≧十角館>黒猫館・人形館>>>暗黒館・びっくり館・奇面館
『十角館』は新本格ムーブメントというものをつくり出した(のだよね?)という歴史的意義は認めるし、その観点から神格化するのは全く問題ないのだけれど、
その観点に引きずられて、『十角館』という小説そのものも神格化している人は、おっさんおばさん(というか、おじいさんおばあさん)の戯れ言というか、老害そのものだよなって思っちゃうね。新本格ムーブメントの台頭というものにリアルタイムで触れておらず、自分が(推理)小説を読むようになったときには、「新本格」という枠がすでにできていた世代からするとさ。申し訳ないけれど。
https://anond.hatelabo.jp/20231215161822
これに対する反応でさ、なんだかんだ言ってはいるけど、それってつまり、次は自民党を与党から引きずり降ろして、どこかしらの野党が政権を取ることを現実にしようとしてるんだよな?
そのために具体的にどういうムーブメントが起きていて、どこの誰が次の政権が推し進めていく具体的な政策を語っていて、自民に代わる新しいビジョンの共有を大々的にしてくれているのか、アンテナの低い俺に教えてくれよ
政治家一個人の誰それがX(Twitter)でポスト(ツイート)してるだのブログ書いてるだのは良いからさ、集団となって敵対勢力に真っ向から挑もうとしているその動きを見せて欲しいわけよ
まさかこのまま自民のままだと嫌々言いながら、特になにも具体的な行動はせずに、いつか誰かがやってくれるだろう精神でひたすら待ちに徹してるなんてわけないよな?
これ系の話題になると投票投票ひたすら唱えてるけどさ、なんでそうやって結局は匿名で隠されて行われるただの個人行動に責任全部おっかぶせて、団結して大きな動きにしていこうって話に一向に発展させようとしないんだ?
ていうか、逆にそうしないことにメリットってあるか?
山上が世直しの志士だとでも思っているのか?
いかな金持ちでも命は一つ、暴力への恐怖からは逃げられないとでも思っているのか?
やりすぎれば命を失うという緊張感が政治家へのカウンターとなり、政治家の仕事を改善できるとでも思っているのか?
単発のテロではなく、第二第三の山上が登場することでテロはムーブメントになり、その緊張感がいい具合に高まって、汚職への抑止力になるとでも思っているのか?
昼は議事堂でお昼寝、夜は夜で普通の勤め人が一生かかっても稼げないような大金をポッケに入れている連中に対する正当な裁きだとでも思っているのか?死が?