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2007-11-02

何故ニコニコ動画は「きもい」のか

 ニコニコ動画に対して「きもい」と仰る方々の数が増えています。以前は西洋日本の顔の差に関する単純な文化的な差異が原因かと思ってましたが、理由はもっと深いところにあるようです。

 ニコニコ動画で「嫌だ」とか「きもい」と言われて来た内容は当初、以下の文脈で説明されていました。

  ニコニコ動画ユーザー・・・・二次元オタク

 この問題は参加者の多くの女性達から指摘され、「日本的なリカチャン顔」風に初音ミク押し出すことによって殆ど解決しました。

 でもニコニコ動画が「きもい」と言う批判の内容はそれだけでは無く、初音ミクを好むDTM業界でも出ています。

 そこでどうもおたく初音ミクの文化差異論だけでは浅い理解と考えられる為、真面目に検討することにしました。

 ニコニコ動画「きもい」論は最初、IT系の人々からのものが多かったのですが、最近は一般の人々(参加者の夫や妻まで)から「ニコ動はきもい」と言う言い方をされていると言う話を良く聞くからです。

  「おたくなんてきもい・・・まるで牡丹灯篭の怖い話のように彼氏彼女をさらって行く・・・」 これ、まことしやかですよね。うーん困ったもんです。全く。

 さて哲学者ミッシェルフーコーは「物と言葉」の中で建物や言葉の持つ「表象イメージ」の研究を行ない、「表象イメージ」は時代によって移り変わると言いました。

例えばパリエッフェル塔は登場した時、「グロテスクな鉄の塊」「スキャンダル」=きもい!!と騒がれました。画家マネも「草の上の昼食」に始まる一連の絵も「スキャンダラス」=きもいと言われました。鉄道フランスで・・・・「怖い鉄の塊」=きもいと表現されました。

  判り易く言えば時代が大きく変わる時には、社会規範や人々の美意識が大きく変わると申せましょう。

  だから古い一般常識や美意識に囚われている人々から見ればニコニコ動画に「何か異様な・・・」と言う印象を持つ人々の方が普通だとも考えられます。

 でも今ではエッフェル塔東京タワーもマネの絵も鉄道市民に親しみをこめられて眺められています。時代による規範の変化、美意識の変化とはそんなものです。面白いですね。

 江戸末期にフランス軍服を着た最後の将軍徳川慶喜さんなどはさぞや「きもい」と一部から批判されたことでしょう。でも明治になれば当たり前の感覚になった訳です。

 ニコニコ動画=「きもい論」は何か廃刀例が出た時の明治初期の武士の怒りに似ているような気がします。まあYouTubeの新しい著作権の考え方もJASRACを含む音楽レーベルの「怒り!!」と「きもい、非常識だ!!」と言った批判で迎えられた訳ですが。

 ニコニコ動画が「きもい」とかセカンドライフが「きもい」とは「ニコニコ動画セカンドライフ社会を変える何か」と言う時代のシグナルでもあります。

やっぱりニコニコ動画は既存のネット参加者の美意識社会規範感覚に手を触れ、怒らせる怖いものなんですね。昔のインターネット批判と同じですよ、これは。

 それにしても10月初のサンノゼのVIRUAL WORLD 2007の会議は面白かったです。グーグルセカンドライフにIBMやソニーまで含んだアバターなどの標準化、オープンソース化の協議会設立が決まったし、動きは早いです。

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