はてなキーワード: マーブルとは
バズ・ライトイヤーで、一部ちょっと女性同士の短いキスシーンがあるとかで、
14ヶ国で上映禁止になっている。
そんなガチの表現規制案件に、表現の自由戦士はどんな反応したと思う?
「ポリコレざまぁwww上映禁止は正しい!ポリコレに屈しなくて偉い!」だよ。
さんっざんフェミの表現規制ガーと取り上げてきたフェミ松速報も、表現の自由戦士気取ってたきゃしゃんPも、「ポリコレざまぁ!同性愛要素入れる方が悪い!」と騒いでる。
https://togetter.com/li/1904161
シン・ウルトラマンの「上映禁止にしろ」とすら言ってないセクハラ批判には表現規制ガーと噛みついておいて、本当に上映禁止にした案件にはこれ。
彼らが表現の自由になんか本当は興味なく、フェミ叩きポリコレ叩きしたいだけなんだとわかるね。
海外事例だから?じゃあなんで「フェミはタリバンに文句つけろ!アフガニスタンに行け!」とか言ったの?海外事例だとしても表現規制を喜ぶって終わってね?
まずさ、ピクサーはこれまでディズニーの監視下の元同性愛要素を入れたくても入れられないという検閲を受けていた。それが最近になってなくなったという話なのに、
表現の自由戦士達は「ポリコレ要素を入れなくちゃいけなくなったディズニーが可哀想!表現の自由の侵害だ!」って真逆の解釈をしている。
AV女優は自分の意志でやってるんだ!被害者扱いするな!と言ってる表現の自由戦士が、同じ口でクリエイターは無理矢理ポリコレ要素を入れさせられてるんだ!と決めつけてる。「無理矢理同性愛要素入れさせられて辛いんですぅ」というクリエイター側の発言あるか?
ポリコレ要素を入れるも入れないも表現の自由だし、第一大半の作品にはポリコレに沿った面もそうでない面もある。ポリコレの押し付けが不快だ、ポリコレのせいで好きな作品が叩かれたり封じられるのが嫌だ、というのは理解するが、押し付けでもなんでもないただの一作品にポリコレ許すまじ!ってなるのはわからない。それともポリコレがただそこにあるだけで押し付けだ!ってなっちゃうのかな?
同性愛要素がノイズだ!必要ない!と「見てないのに」騒いでる奴もいる。「見てないのに」だよ。しかも「一部描写、短いキス」なのに。
第一、どうして同性愛だけノイズだ!ポリコレだ!わざわざ入れるな!などとほざくんだ?必要ない異性愛要素はそのへんにありまくるのに。
マイノリティだからだ!ということなら、キャラが左利きとかでも同じこと言ったか?こち亀ヒロインが日仏ハーフだということに「わざわざそんな設定入れるな!ノイズだ!」と騒いだか?
文句つけるマイノリティ属性選んでるくせに偉そうにポリコレだからだと理屈付けしてんじゃねえよ。
それでいて同じ口でBLや百合があるから日本は表現の自由の国!という。BLや百合という「それ専用の嗜好品」だけ同性愛要素認める、って隔離じゃん。
問題の概要すら理解してない奴も少なくなかった。好きなキャラが同性愛者にされるのは不快だ、とか、ホモキスが不快だ、とか、中国は百合には甘いけどホモには厳しいからな、とか。
口出すなら最低限のことは調べろ。
同性愛者なのは既存のキャラじゃないし、問題にされてるのは女性同士のキスだ。
「百合の良さが中国はわかってない!」「日本は寛容だから上映禁止にしない」などと威張ってるオタクが今回は微笑ましかったよ。
第一ポリコレざまぁといえるほどダメージ受けてるのかね。他にもハリウッドが中国で上映禁止になる事例少なくないし、もはや想定済みだろ
「特定諸国に配慮して同性愛要素を消さないディズニーが悪い!」とかいうアフォもいた。あのさ、それ「フェミに配慮して萌えキャラをなくせ」とか言ってるのと同じなんだけどな
仮に、ポリコレや同性愛要素のせいでつまらなくなったが事実だとしても(見てないのにそう判断されてるのは謎だが)、だとしたらお得意の「嫌なら見るな」を行使すれば良いだけの話だ。いつもお前らが言ってるようにな
それこそポリコレクレーマーとやらが押し寄せても自分を通せばいい
同性愛要素があってもなくても、名作は名作だし駄作は駄作だしそう評価されるだけ。
同性愛要素ある駄作枠では、ぼくらの七日間戦争とか、トランスモーファーとかあるやん
他にも表現の自由戦士は「海外ゲームはポリコレのせいでブスばかり出ている!」「最近のディズニーはポリコレのせいでブスが出ている!(昔から容姿の冴えない主人公自体はあった。女性主人公は少ないかもしれないがそれでもあった)」「トイストーリー4はポリコレのせいで糞になった!」「ガンダム新作は女で黒人(というほどでもない褐色少女)だからポリコレだ!」と騒いでる
ことポリコレになると、彼らはお得意の「嫌なら見るな」を守れなくなるらしい
ああ、そういやもへもへの「マーブル(マーベルと言いたいらしい)はキラキラフワフワの衣装で戦うヒロインがいないから多様性がないドヤァ」という雑語りに乗って、「プリキュアの方が多様性ある!」って言いながら、同じ口でハグプリはポリコレだからつまらんとか言ってたのがオタクでしたね。ヒープリのこともフェミだなんだと叩いてたよね。いやハグプリは自分も好きじゃないけどさ
ちなみに趣味で創作してる自分は、脇役キャラにわざわざ必要のないマイノリティ属性を裏設定で付けるのが好きだ。同性愛者だとか在日ハーフだとかムカデを飼ってるとか。
バズ・ライトイヤーで、一部ちょっと女性同士の短いキスシーンがあるとかで、
14ヶ国で上映禁止になっている。
そんなガチの表現規制案件に、表現の自由戦士はどんな反応したと思う?
「ポリコレざまぁwww上映禁止は正しい!ポリコレに屈しなくて偉い!」だよ。
さんっざんフェミの表現規制ガーと取り上げてきたフェミ松速報も、表現の自由戦士気取ってたきゃしゃんPも、「ポリコレざまぁ!同性愛要素入れる方が悪い!」と騒いでる。
シン・ウルトラマンの「上映禁止にしろ」とすら言ってないセクハラ批判には表現規制ガーと噛みついておいて、本当に上映禁止にした案件にはこれ。
彼らが表現の自由になんか本当は興味なく、フェミ叩きポリコレ叩きしたいだけなんだとわかるね。
海外事例だから?じゃあなんで「フェミはタリバンに文句つけろ!アフガニスタンに行け!」とか言ったの?海外事例だとしても表現規制を喜ぶって終わってね?
まずさ、ピクサーはこれまでディズニーの監視下の元同性愛要素を入れたくても入れられないという検閲を受けていた。それが最近になってなくなったという話なのに、
表現の自由戦士達は「ポリコレ要素を入れなくちゃいけなくなったディズニーが可哀想!表現の自由の侵害だ!」って真逆の解釈をしている。
AV女優は自分の意志でやってるんだ!と言ってる表現の自由戦士が、同じ口でクリエイターは無理矢理ポリコレ要素を入れさせられてるんだ!と決めつけてる。「無理矢理同性愛要素入れさせられて辛いんですぅ」というクリエイター側の発言あるか?
ポリコレ要素を入れるも入れないも表現の自由だし、第一大半の作品にはポリコレに沿った面もそうでない面もある。ポリコレの押し付けが不快だ、ポリコレのせいで好きな作品が叩かれたり封じられるのが嫌だ、というのは理解するが、押し付けでもなんでもないただの一作品にポリコレ許すまじ!ってなるのはわからない。それともポリコレがただそこにあるだけで押し付けだ!ってなっちゃうのかな?
同性愛要素がノイズだ!必要ない!と「見てないのに」騒いでる奴もいる。「見てないのに」だよ。しかも「一部描写、短いキス」なのに。
第一、どうして同性愛だけノイズだ!ポリコレだ!わざわざ入れるな!などとほざくんだ?必要ない異性愛要素はそのへんにありまくるのに。
マイノリティだからだ!ということなら、キャラが左利きとかでも同じこと言ったか?こち亀ヒロインが日仏ハーフだということに「わざわざそんな設定入れるな!ノイズだ!」と騒いだか?
文句つけるマイノリティ属性選んでるくせに偉そうにポリコレだからだと理屈付けしてんじゃねえよ。
それでいて同じ口でBLや百合があるから日本は表現の自由の国!という。BLや百合という「それ専用の嗜好品」だけ同性愛要素認める、って隔離じゃん。
問題の概要すら理解してない奴も少なくなかった。好きなキャラが同性愛者にされるのは不快だ、とか、ホモキスが不快だ、とか、中国は百合には甘いけどホモには厳しいからな、とか。
口出すなら最低限のことは調べろ。
同性愛者なのは既存のキャラじゃないし、問題にされてるのは女性同士のキスだ。
「百合の良さが中国はわかってない!」「日本は寛容だから上映禁止にしない」などと威張ってるオタクが今回は微笑ましかったよ。
第一ポリコレざまぁといえるほどダメージ受けてるのかね。他にもハリウッドが中国で上映禁止になる事例少なくないし、もはや想定済みだろ
「特定諸国に配慮して同性愛要素を消さないディズニーが悪い!」とかいうアフォもいた。あのさ、それ「フェミに配慮して萌えキャラをなくせ」とか言ってるのと同じなんだけどな
仮に、ポリコレや同性愛要素のせいでつまらなくなったが事実だとしても(見てないのにそう判断されてるのは謎だが)、だとしたらお得意の「嫌なら見るな」を行使すれば良いだけの話だ。いつもお前らが言ってるようにな
それこそポリコレクレーマーとやらが押し寄せても自分を通せばいい
同性愛要素があってもなくても、名作は名作だし駄作は駄作だしそう評価されるだけ。
同性愛要素ある駄作枠では、ぼくらの七日間戦争とか、トランスモーファーとかあるやん
他にも表現の自由戦士は「海外ゲームはポリコレのせいでブスばかり出ている!」「最近のディズニーはポリコレのせいでブスが出ている!(昔から容姿の冴えない主人公自体はあった。女性主人公は少ないかもしれないがそれでもあった)」「トイストーリー4はポリコレのせいで糞になった!」「ガンダム新作は女で黒人(というほどでもない褐色少女)だからポリコレだ!」と騒いでる
ことポリコレになると、彼らはお得意の「嫌なら見るな」を守れなくなるらしい
ああ、そういやもへもへの「マーブル(マーベルと言いたいらしい)はキラキラフワフワの衣装で戦うヒロインがいないから多様性がないドヤァ」という雑語りに乗って、「プリキュアの方が多様性ある!」って言いながら、同じ口でハグプリはポリコレだからつまらんとか言ってたのがオタクでしたね。いやハグプリは自分も好きじゃないけどさ
ちなみに趣味で創作してる自分は、脇役キャラにわざわざ必要のないマイノリティ属性を裏設定で付けるのが好きだ。同性愛者だとか在日ハーフだとかムカデを飼ってるとか。
メガネがないと俺は目が悪い
厳密にいうとメガネがあっても目は悪いままか
とにかく、言わんとすることはわかると思う
悪いんです
しかし、世界が謎のマーブル模様にしか見えなくてホンマにおしまいやってことはなくて、近くは鮮明に見えるし、遠くだってボヤけててでかい文字すら全然読めないくらいで、ベンチがあるとか看板があるとかそういう最低限の部分はわかる
生きていける
そんで、たしか初めてメガネをかけたときは、世界ってこんなに美しかったの?!なんて感慨があったんだけど、逆になくしたらなくしたで気楽というか、この程度の解像度でも生きていけるもんなんだなーと思う
ぼやけている
全部ぼやけている
向かいのホームに立ってる人たちについては、シャツの色しかわかんねえ
それはそれでいい感じがする
手元だけしっかり見て、遠くはボヤッと
そういう生き方でもいいのかもしれないと思う
よくねえんだよな
PCが見えねンだわ
メガネ、作るぞ〜!!
作りたくねえ〜!!!
セーラー服でお出迎え。透明感の無い小坂菜緒(日向坂)って感じ。
背はお出迎えの時は座ってるからわからなかったが、小さかった。145くらい?
手のマニキュアがマーブル感強め。おお〜メンヘラっぽ〜いなギャルギャル。
「20歳だけど、将来のこと考えるの怖い。お金とか全部使っちゃう。貯金できない」
とのこと。
連続で行くので、どうかな〜と思って、トイレでエッチな電子書籍読んでみる。
美人さん。
元看護学生だけど、ボロボロの老人の看護は辛いから辞めたとのこと。
まあ、こんだけ美人さんなら、看護師にならなくても食うには困らないでしょ〜
「お客さんは、性犯罪せずに、お金で解決してるから偉いし、私もその助けをしてるからいい仕事だと思ってる」
との見解を聞かせてくれた。
僕もこれには同意〜
2回やった感想として、「美人、美少女は飽きたなあ」って感じ。
非モテなので、美人とやる機会なんて風俗でしか無いし、今後もし結婚できても、このレベルの美人は無理だろう。
あるとしたら、「ウェイ」を抱きたいって感じが出てきた。
そう、クラスの端っこにいた自分みたいなやつは、ウェイ系女子に対して憧れがある。
次は、ウェイ系だ!
160cmくらい。
正常位スタートで、僕が下手すぎたので、騎乗位になってもらって、速攻で行った。
2日目が始まった。
1日目の反省としては、「3回はキツイ」ってこと。あと、全員貧乳だったので、おっぱいが弱かった。
周りが学生みたいな若者の集団が多くて、おっさん一人歩きはキツかった。だけど、おっさんの一人歩きもまあまあいる感じ。
2日目は軽ーく2回くらいかなーと。できれば陰がある守りたくなる美人をチン騎士感出したかった。
夜に、ツイッターで飛田勤務の闇アカウントを見つけて、いやーな気分になりました。
でも、笑うとmomohahaってお笑い系のユーチューバーに似てて、う〜んってなった。
めっちゃ愛想が良くて、最後にハグ。やっぱり笑顔はmomohaha.
う〜ん。外人の血なのかな、明るいのは。
目をつけていた、陰があるメンヘラ系パッツンの今野智夏(漫画キャラ)が目の前で他の客に買われて、やる気失せた。
そういうテンションだったが、一応清楚系も入っておくかな〜と思って、丹生 明里をちょい下げたくらいの女の子に、せっかくなので入った。
はっきりいって、タイプではなかったが、そう言う系統も経験しとくかな、世間ではかわいい系ってのでモテてそうだし、ウェイ気分味わうためにと。
室内に入った瞬間に、メガネ取られて、盗撮カメラついていないかのチェックが入った。
その時点でかなりビビった。
布団に寝たんだが、いきなりゴシゴシと痛いくらいな手コキ、めっちゃゴリゴリ吸うフェラ。う〜ん、タワシで洗われてるような気分。全く気持ちよく無い。
足を怪我したから、正常位だと言われて、正常位をするが、別にあまりかわいいとも思わない顔なんで興奮もできない。
本当に苦痛で、「ギリマンが苦痛」ってのはこう言うことだろうなと。これが結婚相手だったら、苦痛に思ってるのすら悟られないように頑張らないとダメなんだなあと。
騎乗位するか?と言われて、騎乗位お願いしたが、すぐに嬢が息切れしてイマイチ。
途中でギブアップしてやめてもらった。
この嬢が悪いわけじゃ無い。多分、この嬢は、色々考えた上で、手を抜いたりしたんだろうし、抜いてあげる工夫をしてくれたんだと思う。
問題は、僕の受け取りにあると思う。
~~~
僕は、人生友達が1人もいない。勉強、研究、仕事しかしてこなかったショボ〜い医者。
ってか、ウェイなら飛田来なくてもいいだろ〜。
~~~
3回目の飛田でしたが、
美人を抱くのは飽きました。見た目がいいとか、ウェイとか清楚系とかどうでもいいかなと。
どんだけ美人やウェイや守ってあげたくなるメンヘラを抱いたところで、僕自身は何も変わりません。
そういう、美人やウェイを抱いて、「幸せになる」ってのも、若いうちの特権です。私は30歳を超えてしまい、そういうものに感動できなくなってしまいました。
20代の内に、吉原の8万円のソープとかも何回か行ったし、マニアックなものも、いろいろな自分なりの性壁の物も、全国行きました。しかし、飽きました。
私は、論文読むのが好きなんですが、そう言う、本当に新しいことを知ることに比べたら、体験価値が高いと思えないです。
自分が風俗に行き出したのは、増田で「風俗に行って、劣等感消えた。周りのカップル見ても、『俺はその女よりいい女を抱いたぞ』と感じるから」というのを見たからですが。
これはでもどうなのかなと思います。もちろん、美人にどうも感じなくなるとかそういう効果はあるんですが。自分はじゃあどうなんだと。
大学受験で言うと、解答解説を見ながら東大の問題を解いて、「九大くらいの問題も解答解説見ればわかるんだから、解けなくていいや」みたいな。
解答解説を見て解けると言うのと、実際の入試で通って東大に行くのは話が違います。
自分が実際にはそこで馬鹿にした他人の彼女より遥かにレベルが低い女性すら結婚できないのは分かってるはずです。その人生をどう受け入れるのかと言うのと、「解答解説を見て東大の過去問が解ける」のとは関係がない話です。Fラン大学を卒業しなきゃいけない自分をどうするかを考えるべきです。
じゃあ、僕はどうかと言うと、ブサイクかつ170cmの人権もない男なので彼女はできませんが、高学歴高収入なので、ATMとしてなんとかそこそこの家柄の女性と結婚したいものです。おそらくは托卵とかされるでしょうが、自分がクズなので仕方ないです。結婚できるだけマシでしょう。
飛田で美人は抱き放題ですが、1回16kですから、5回で8万円。80万円あれば、これを10周できます。80万円ってお金の凄さをしりました。
80万円をしかし、投資に回していれば、「将来」が得られます。
将来が安定したら、飛田で遊んだりするのもいいでしょうが、将来が確定しない内に遊ぶのはちょっと厳しいなと自分は感じました。
次は、FKK(ドイツの風俗)とかいってみたいなあと思います。
あと、パパかつやってみたいですね、18歳、19歳がガンガン流入してて、アプリで年齢確認かつ顔見て選べるらしいじゃないですか、1回3万円でホテル前集合で2時間とかコスパいいらしいですし。
最近ではインターネット、ひいてはSNSの発展により「隠れた才能」なるものが注目されるようになった。
この国が無駄にした才能、拾い上げられなかった才能がこうして輝くことは素晴らしいことだと思うし、この環境を作り上げてきた技術者達には感謝してもしきれない。
しかし、そうした才能や個性が数多発掘される時代だからこそ、生きづらさを感じてしまうこともあるのだ。わがままだろうか。しかしここはひとつ、冴えない子供の愚痴として少しだけ聞いてはくれないだろうか。
自分ははっきり言って「普通」だ。大勢にほめそやされるような個性はもちろん、先述した人々のような「隠れた能力」も持たない。本当にただただ普通なだけの人間だ。
パラダイムシフトというやつだろうか。足並み揃えて生きることを教えてきた大人たちは突如として「個性を伸ばす」ことを声高に掲げ、「互いに個性を尊重しよう」と自分達に懸命に伝えてきた。良いことだ。良いことではあるが、それならば自分のような「伸ばす個性も才能も無い奴」はどうしたらいいのだろう。「誰にだって個性はある」とでも言われるだろうか。言わんとすることはわかる。そもそも普通なんて曖昧なもので、自身を構成する要素のうちひとつでも平均から極端に離れればそれが才能と言われることもある。もしくは構成する要素そのものが多くと共有されない場合、それが個性だと言われたりする。そのくせこれらの現象は、マーブル状の価値観の上で矛盾することも珍しくない。繰り返しになるが普通なんてそんな曖昧なものなのだ。
しかし自分は、物の見事に能力全てにおいて平均かそれ以下だ。好きなことで自分を語るのはおこがましいが、ぶっちゃけ趣味も好みもありきたりだ。
正直苦しい。17年とかいうクソ短い今までの人生、個性や才能と言えるほど夢中になれたものもない。誰かの笑いの種になるような出来事のひとつもない。これはほとんど承認欲求に変わりないものなのだろうが、それでも「隠れた才能」とやらが日の目を見るようになり、そこら中に個性や才能が蔓延する世の中は自分には生き辛くて叶わない。これを誤魔化せるほどに情熱を捧げられるものすらない。せめて美味い飯が食えてゆっくりと眠れるだけで幸せと言える人間でありたかった。呪うのなら普通であることに正しさを見いだせる世界がどこかにあってほしかった。
「映画というかドラマなんだけど、最近は『不夜城の女』とか観てるのん。ウチにくるお客さん韓流とか観る人が多くて、私も話題作りのためにねん」
水商売といっても色々あるのだが、具体的に何の仕事をしているのか、その人はハッキリとは言わなかった。
ナリからして、たぶんティーンエイジャーの俺には縁のない職種だと思う。
それを客側も知ってか知らずか、随分と勿体つけた言い回しで冷やかしてくる。
「チャージって知ってる?」
「何かを貯めるんですか」
「あらやだ、“タメる”だなんて」
こんな調子に尋ねてきては、こちらが何を言ってきても笑ってくる。
若い女性を「箸が転んでもおかしい年頃」なんていうこともあったらしいが、この客もそんな感じなんだろうか。
いや、どちらかというと“意図的にそう振舞っている”ように見える。
「このテの映画やドラマとか見てると、欲望系のビジネスは反社会的に思えるかもねん。だけどコンプラにはメチャ厳しいのよん。下手な上場企業よりマトモなのん」
「そうなんですか。どうも不勉強で……」
「はあ……」
この人はなんというか、『若い女性』というパッケージに『水商売』という香水をふりかけているようだった。
その人工的な匂いは、俺が未成年ということを差し引いてもキツい。
この人は多分、こちらがそう感じることを分かった上でやってきている気がする。
「ホホホ、ウッフンアッハン」
“ウッフンアッハン”って。
実際に言ってる人間、初めて見たぞ。
13人の客、その6人目は紺色のスーツを着ていた。
正確には“スーツを着ていた”というより、“スーツに着られている”感じだ。
もしかしたらスーツ買いたての就活生か、新入社員とかかもしれない。
「今さらながら『トラック企業に勤めてるんだが、もうコレラ厳戒かもしれない』観たんだ」
「トラック企業とかが話題になってた頃ですね、その映画が出たの」
「あんまり評判が良くないこともあって当時は観なかったんだ。結末にモヤモヤするとかで」
その客は映画について感想を語っていくが、それと同時に自分の仕事に対する価値観も吐露していた。
「一週周って、この映画にはリアリティがあるように感じたんだ」
その様子は達観しているというよりは諦念に近く、どこか物憂げな雰囲気を醸し出していた。
だが、それよりも気になるのは、この客のジェスチャーだ。
「企業をホワイトだとかブラックとかっていうけれど、仕事の在り方ってそんなに白黒はっきりしていないというか、マーブル調だと思うんだよ。そう思わない?」
「つまりケースバイケースとか、人によって感じ方が違うとか、そういうことでしょうか」
「う、う~ん、まあ、そうともいうかな」
こちらの顔をやたらと窺っては、こちらの受け答えによらず歯切れが悪そうに返してくる。
何の意図があってやってるのか、こちらを試すような真似をしてくる。
「映画とか、こういう腰を据えて時間を使う趣味はコスパが悪いかもしれないね~。最近そう思うんだ」
「そうかもしれませんね」
「うん……」
「……」
どうやら、この客は俺に何かを期待しているようだ。
それが何なのかは、ついぞ分からなかったが。
大学一年のときに講義で紹介されて気になっていた『アンダーグラウンド』という映画がなんとイオンシネマでちょうどリバイバル上映中だと知って、これは天命だと俺は思った。
一年前に知った映画をふと思い出して検索をかけたら、ちょうどその時にリバイバル上映をやっている。ものすごく有名で超人気ってわけでもない映画なのに!
最寄りのイオンシネマは泉南市にあって、交通費は片道だけで千円かかる。あのクソ遠い関西空港よりさらに遠い。でも行けると思った。当時はまだ元気があったし、なにより運命みたいなものを大切にしようという心がけがあった。
泉南はやはり遠かった。大阪・梅田から離れるにつれてドンドン田舎感が増していき、イオンモール最寄りの岡田浦駅なんかはほとんど無人駅みたいな寂れかたをしていた(本当に無人駅だった気もする)。
上映まで1時間くらい時間があったから、近くの浜に行った。秋も半ばで空は快晴、陽は落ちかけているが、夕暮れというほどでもない。空がいよいよ夕焼け色になってある種の華やかさが生まれる前の、一番寂しい感じのする時間帯だった。海の周りの道路は広くて綺麗なのに通行人は俺しかいなくて、それも寂しい感じがした。大きな人通りのない交差点に「岡田浦朝市→」と書かれた案内看板があって、なんだかポスト・アポカリプスみたいで胸騒ぎがした。たぶん普段は交通量も多く、全然寂れてなんていないんだろうけど…。
しばらく泉南マーブルビーチというところで海を見た。所詮大阪湾だからたいした感動はないんだけど、それでも海は海だった。浜に敷かれた白い砂利が綺麗だった。
イオンのなかで何をしたかはあまり覚えていない。映画館の作法が全然分からなくてチケットを買う時にどぎまぎしたような記憶だけがなんとなくある。
小さめのスクリーンで、客は俺を入れて4人だった。ひとりは似たような年頃の青年で、後の2人はヤンキーっぽいカップル。どういう動機でこの映画を観てるんだろうなと思ったが、まあよく分からんのはお互い様かもしれない。
映画はよかった。あんまりキッチリ理解できた気はしないけど、しっかり覚えているシーンが複数あるってことはいい映画だったんだろう。
上映が終わったのは8時過ぎで、帰り道は真っ暗だった。ぼんやり歩いていたら草薮に思い切り接触して、パーカーの腕じゅうにひっつき虫(ヌスビトハギというやつらしい)の種がついた。真っ暗で人通りのないなか自然と対峙(ってほどでもないが)しているといよいよ寂しい感じがして、ちょっと泣きそうになった。
家に帰るころには10時を回っていた。なんだかいい体験をしたなあ、と強く思った。大学生活で一番青春を感じた一日だったかもしれない。
ーーー
っていうわりと美しい思い出がある場所がクソみたいなインターネットミームの聖地になってたときの悲しみ、わかるまい!
この話は、自身の感じ方とそれに対する個人的考察を述べただけのものである、ということを前置きにさせていただく。
同じ現象によく陥る、という方がいらっしゃったら少し嬉しく感じるし「現象は同じだけど理由は違うなぁ」と感じる方がもしもいたら、その「違った理由」もまた、知ってみたい。
そんな好奇心から、この記事を書いてみようと思った次第である。
私は創作することが大好きだ。絵を描くのも文章を書くのも大好きで、常に何かしら描いたり書いたりしている。
今、とあるジャンルのとあるCPに大変萌えており、二次創作をガツガツとしている。ちなみにこのジャンルでは絵を描くことはほとんどなく、専ら小説を生成している。
このCPにハマったのはかれこれ二年前だ。ハマりたての頃はそれはもう他の方の二次創作をドッカンドッカン摂取させていただいていた。来る日も来る日も夜更かしして、タグ検索でヒットしたイラストや漫画や小説を漁り、いいねをつけてブクマをする日々を送っていた。
素晴らしい作品を摂取しまくりブクブクに肥えた私は、次第にこのCPでの好きなシチュエーションや萌える会話などを脳内で錬成し始め、自分の性癖によりフィットした作品を読みたいと思い始めるようになる。美味しいものを食べると舌が肥えるのとよく似ている。
かくして私は「フゥゥゥ…萌え…フゥゥ…自分で小説書いてみるか…フゥゥ…」と、脂汗をハンケチで拭き取りながら、息荒くこのCPの創作を始めた。
漫画ではなく小説という方法を選んだ理由は、そっちの方が完成が速いと思ったからだ。私は絵を描く時は紙と鉛筆を使うので、ベッドで寝ながら作業できないというのが大きい。
脳内に公式の二人のビジュアルを思い浮かべる。自分が妄想した萌える会話を公式CVで再生してみる。準備万端である。
数週間後、無事に書き終わりwebに公開した。正直自分で何度も読み返して萌え狂った。創作ってぇのはホントにやめられねぇなぁてやんでぇ!と、何故かべらんめぇ口調になるほどだった。いいねやブクマ、コメントもポツポツあって、もう嬉しい楽しい大好き状態だった。毎日心の中で小さな私が小躍りしていた。
そんな風にして、萌えるネタを思いつく度に小説を書くということを続けた。公式絵と公式CVを脳内再生しながら紡ぐ妄想の世界は本当に幸福で、脳汁がジュワジュワと滲み出てくる。
相変わらず自分の作品を読み返しては萌え転げるというルーティンも変わらず続いた。いつでも私は、自分の創作物が物凄く好きなのであった。(余談だが創作物は好きでも自身の人間性等への肯定感はほぼゼロである。この話は長くなるので今回は割愛)
そんな日々を続けていると、やはりCPへの解釈がズンズン深くなっていく。ここが二次創作の面白いところだなと思うのだが、みな同じもの(公式)を見ている筈なのに、抜き取るポイントや読み取る行間の位置が違うのである。だからこそその人だけの「解釈」が生まれる。なんて素敵で面白いのだろう。
しかしだ。私はこの時に気づいた。「あれ?そういえば私、他の方が書いたこのCPの小説、めっきり読まなくなったな…」と。理由は恐らく、CPへの解釈が深まったからであろう。深まれば深まるほど、そうじゃない解釈の作品を読もうとする気力が起きなくなる。最初の頃はあんなに息をするように読んでいたのに、なんだか悲しいことである。
解釈とは、色のようなものであると思う。だから相性の良し悪しがある。混ざり合ってなんとも綺麗なマーブル模様になる組み合わせもあるし、きっとそうじゃない組み合わせもある。そして解釈を深めれば深めるほど「相性が良い」ものと出会う確率は、減っていく気がするのだ。
一年半ほど経って、私はすっかり他の方が書いたこのCPの小説を読まなくなっていた。読むのは「著者」として既に知っている好きな方の新作だけ。
だがしかし!ここからが不可解なところなのだが、小説は読まないくせに漫画やイラストは相変わらず見ているのである。何故!?小説の方が時間がかかるから?いや、時間ではない。だって私が他の方の小説を読まなくなった理由は「解釈の相性の良し悪し」だった筈だ。それが本当の理由なら、漫画やイラストにだってそれは適用される筈である。何故私はイラストや漫画だけは今も見境いなく探して読んでフゴフゴ言っているのだろうか?小説に対してだけやたら審査が厳しくないか?何故????
しばらく考えてみて「はっ!」と気付いたことがあった。それは、私が自分で小説を書く時「公式絵、公式CV」を脳内再生していることに由来してるのでは、ということだ。
小説は文章以外の情報がない。読みながら景色を想像して、キャラクターの仕草を思い描いて、セリフの声を脳内再生する。
そう。他の方の小説を読む時も私の脳内で再生されるのは「公式絵、公式CV」なのである。そして自分の中で充分に育ってしまっている解釈。この二つが同時に発生するから、他の方の小説を読んだ時に矛盾が生じやすくなってしまうのだ。「〇〇はこういうこと言わないと思うなぁ」とか「××はこういう表情しないんだよなぁ」とか、ピーチクパーチクと、そんなしょーーーーーーもないことを感じてしまうのだ。
これが漫画やイラストだったら。そうなのである。当たり前だが「公式絵、公式CV」がわざわざ脳内で発動されない。その方の描くそのキャラクターの映像のままなのである。その方の描くキャラがその方の解釈で描かれているから、特に矛盾が生じないのだ。視覚でも同時に情報を得られるから、脳内と視覚のズレがないのである。
この答えに辿り着いた時、メチャクチャ「な、なるほど!」となった。ストンと納得できた。そして他の方が書いた小説をモリモリ読みたくなった時は、脳内で「公式絵、公式CV」を発動させなければ良いのだということも分かった。(これが多分物凄く難しい。私は拗らせすぎてこのCPに限り自分の絵すらあんまり萌えなくなってしまった)
これを読んで「わかる!」と感じた文字書き様もいらっしゃるだろうし「さっぱり分からん」と思った文字書き様もいらっしゃるだろう。いろんな感じ方、考え方を知ってみたいと純粋にそう思っているところである。
エロゲの嫁画像とかそういうのじゃない。死体の画像みたいな中二病系でもない。単にそういう系のイラストが好き。ちょっとアート志向、だけど、「でもこういうエロゲあるよね」くらいの。(ここだけの話、一回抜いた。)
思春期マーブルってTシャツブランドがあるけど、ああいう感覚。めっちゃオシャレじゃない?まあ、そこはわかってもらえなくてもいい。
別に誰かに見せたいわけじゃない。ただ、ファッションを身につけるって武装なんだよな。やっぱりそれで一日のコンディションが決まるし、俺自身のアイデンティティを形成する重要な柱の1つでもある。
ちょっと視界の隅に入っただけで「ゾーニングしろ」とか言われたらたまったもんじゃない。「勝手に覗くな」としか言いようがない。
なるほど
じゃあまず上に書いてるメニューは嘘だね
俺は身長181cmで体重は大差ない85kgだけどこんな食事じゃ到底もたない
そこが治らないと体型も治らないから
朝→食べてない
まあいいわ
おにぎりの3倍ぐらいある
「または菓子パン」じゃなくて菓子パンばっかりばくばくばくばく食ってんだろ?
やめろ
歯にも悪いし
どうしてもカロリーが欲しかったらカフェラテやミルクティぐらいまでは許されるが1杯な
まともな食事がここしかないのに「栄養バランスが」って脳腐ってるのか?
味噌汁ぐらい作れ
あとよく噛め
要らないだろ
昼 コンビニならセブンイレブンでOLとかがよく買うサラダの肉入ってるやつ
夜 従来通りでいいけど味噌汁
間食はなし
これはすごく簡単で今の食事よりはずっとまともなカロリーと栄養になる
これは忙しくても簡単
これも出来ないという言い訳は聞けない
この通りにやればみるみる体重が落ちる
夏前に60kg弱ぐらいにはなって、まあ人前で恥ずかしくない体型といえるだろう
ここと戦えるかどうかなんだよね
「太ってる自分は許せない」
「ちゃんと結果を得る」
そういう価値観を持てるかどうか
ただそうやって価値観を変える前にはまず
「今は食いまくっててそれをウソついて認めてない」ってことを認めないとね
そうじゃないと「そんなに食べてないのに痩せない」「栄養バランス崩れてるから太ってる」とか言い訳するので
真面目に心を入れ替えることが出来ないから
そうやってウソをついてこの先5年10年も同じこと繰り返すのかどうかなんだよ