はてなキーワード: マイホームとは
平成も終わろうとしている時に未だに昭和のノスタルジーを引きずっている老害番組に意味はあるのか?子供に付き合って見ている親でさえ知らないような大昔だぞ。
男も女も同じ顔の判子絵。子供は短パンで駆け回り、嫁は働きにも出ず家で家事と育児。携帯電話もパソコンも無い家。娯楽といったらテレビだけ。7人家族で被扶養者5人猫1匹。家族みんなで同じ時間に飯を食べる。これが家族の代表かよ。
大人がノスタルジーに浸りたいならもっと別の作品があるだろ。三丁目の夕日とかNHKが朝やってるドラマとかさ。
子供は見たがっているのか?面白いと感じるのか?バンダイが公開している子供の好きなキャラクターランキングに一度でもこの2作品が入ったことがあるのか?(ちびまる子ちゃんはブーム当時にあったかもしれない)
参考:週間高世帯視聴率番組10
名探偵コナン。グルグル漫画だが昨今ではマンネリを打破すべく新展開を投入しヒット。映画も公開するたび興行収入を更新する異常さ。
クレヨンしんちゃん。時代設定を明確に現代にすることで設定や小道具も時代を反映にした物になり古さを感じない。サザエさんよりはよっぽど現代の家族像に近い。それでも野原ひろしが35歳にして年収650万の商社係長。専業主婦に子供2人犬1匹を養いながらマイホームマイカーを持つ野原一家は十分に勝ち組と言えそうだが…。
ドラえもん。2005年の全面リニューアルは当初こそ否が多かったように思うが今では十分に浸透し、好きなキャラクターランキングでも上位常連。現代の科学力がひみつ道具を凌駕しない限り子供達に夢を与え続ける意義のある番組だろう。
アンパンマン。圧倒的子供人気を放送当初からずっと維持し続けている化物。アンパンマンが嫌いな子供なんていません!世の親御さんにとっても頼りになる味方。
その他ワンピース、ポケモン、プリキュア。戦隊ライダーガンダムもかな?マンネリ化しないよう変化を入れながら継続し続けている。挑戦の結果浮き沈みはするけど何もせず飽きられて終わっていくよりマシだ。
なぜか維持し続ける高視聴率に「国民的アニメ」という驕りから来る感覚のズレ。変化することなく惰性で続くことを良しとする保守的な思考。
ちびまる子ちゃんなどサザエさんの前座でようやく人気を保っているようなものだろ。仮に放送時間を日曜朝9時周辺にしたら誰も見なくなるわ。
初期にはあった毒気も無くなり最近ではどこかで見たような良い話や無難な話ばかりで全く面白くない。ドラ泣きに便乗して作られた「イタリアから来た少年」など留学生が来て別れてお涙頂戴なんだろうなと思ったら本当にその通りすぎて笑えた。過剰な日本美化やステレオタイプな外人描写、多すぎる外人キャラを全く活かせていない展開に脚本家の知性を疑う。テレビスペシャルレベルの作画で劇場のスクリーンに映す意味が本当にあったのだろうか。
23年前の「わたしの好きな歌」の方がストーリーも良く湯浅政明が描く強烈なアニメーションの方がよっぽど凄かった。
視聴者だってバカではない。こんな誰向けかもわからない番組を見ようとは思わない。実際に視聴率も低迷している。
これから先、視聴率が上がることもなくじわじわと下がり続けるだろう。幸い最近のフジテレビは「長く続いているだけ」の番組をどんどんと打ち切っている。この調子で下がれば数年後には打ち切りもあり得る。
空いた枠には現在放送中の鬼太郎を持ってくればいい。こちらは「現代」を反映したストーリーとなっており十分見応えがある。同じ時代、同じ季節ネタを同じキャラクター達が延々と繰り返す毒にも薬にもならない番組などよりずっと面白い。
当方30代既婚、妻の実家に住まわせてもらっているマスオさん状態。
勤めている会社はそれなりに福利厚生も充実していて、有給も比較的簡単に取れる職場なのだが、個人的理由でほとんど有給が取れない事態になっている。
原因は義母。この義母は「社会人の常識として会社は何があろうと絶対に休んではならない、有給など言語道断」という価値観の持ち主なのだ。
今話題のブラック企業について説明して、社員を適度に休ませることも会社の義務なんですよと穏便に話をしてみても
・たとえ有給という制度があったとしても、あなたが休んだ時点で他の社員に必ず迷惑をかけてしまう。他人に迷惑をかけるのは絶対にやってはならないこと。
・社会人が有休を取っていいのは親が死んだときだけ。私たちの時代はそうだったし、今も当然そうあるべき。
・風邪?怪我?体調管理がなってないからだ当然自己責任だ会社行くべき。
とまるで話にならない。義父は話のわかる人なのだがいかんせん内向的で口下手な人なので義母の押し出しの強さの前には無力。
大変なのが体調崩したとき。風邪ひいて辛くて会社休みたくても休むとずっと説教が続いてむしろ精神的にダメージ受けるので、
頑張って会社行って会社着いたら上司に事情話して有給扱いで会社の休憩室で横になって、落ち着いたら病院行かせてもらっている。
妻はもちろん自分の味方で義母に反論してくれるのだが、この2人似たもの親子でとにかく気が強くて、口喧嘩では相手が根負けして黙り込むまで自分からは絶対引かない性格。
この問題で言い争いになると自分を挟んで何時間もずっと論争が続く。いたたまれない。
とにかくたまに休んで家でのんびりする、とか妻と2人で出かける、という選択肢が非常に取りづらい環境なのがストレス半端ない。
特に人文系において、大学や研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。
* * *
研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。
例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるものの生活はすべて僥倖の支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。
このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日の日本においても、同様である。むしろ、人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識したからに他ならないが——に直面している極東の島国の方が、研究生活を取り巻く環境は過酷であるといえるだろう。
博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しかも低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である。
日本より恵まれた研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単である。しかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語、文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国の研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマの選択が制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである。
当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである。
ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学や官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクス、そもそも学歴のなかったピエール・プルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在である。しかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要な研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである。
尤も研究者も所詮人間であるからして、研究そのものの「客観性」や科学の位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。
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さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働(自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである。
収入がないなどもっての外であり、亡命や収監、失踪や放浪なども、家庭生活とは相容れないものである。
歴史を顧みれば、自死や発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。
できれば平穏無事に、昭和時代に理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満で子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。
しかし今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームもマイカーも持たず、年金制度の破綻を前に怯えながら年老いるのである。
もしあなたが結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナーが無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。
さらに子供がいるとすれば、当然あなたは研究生活を放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制と時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれているかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖」である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)
多くの研究者たちにとって、結婚と出産は研究生活の首にかけられた縄である。
女性研究者の研究生活は性別的役割分業的発想や家庭生活に対する支援をパートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別的役割分業的発想や金銭的支援をパートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。
いずれにしろ、他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである。
だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である。穂積陳重以来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するものと定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である。
しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。
その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。
実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである。
当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。
あるいは「家庭」という理想像の崩壊、高齢者二人世帯や単身世帯、シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体が空虚なものになっているという批判があるかもしれない。
しかし反面で、なお結婚と出産を経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚と出産を前提とした私的領域の生活のモデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。
* * *
収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。
では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究者であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。
前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性に人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法を採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。
後者の方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラーが炭水化物の摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活の否定でしかない。
研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学の研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。
そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日の言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである。
家事労働、ワークライフバランス、長時間労働の問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働は時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大である。ワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないから低賃金かつやることのない中途半端な余暇をもたらすだけである。長時間労働を改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである。
とにかく、家庭生活の求めるものを根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである。
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では、解決方法は何か。家庭生活の問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働を女性が支えるという構図が出来上がった。
しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族からの支援で収入の不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。
もし家庭生活に関与してからも研究生活を継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からのリソースが調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分の研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)
ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソースの調達先である。大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達が個人の能力に帰せられることで、研究の能力とは別にそれに取り組む環境が規定されてしまうということである。
この二つの問題を解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。
どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである。
アカデメイアやリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティが形成されていたはずだ。修道院のようなものである。
いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なものは国外へ出て行ってしまっている。もう最後のタイミングである。
いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間的猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に人文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。
もちろん大手のハウスメーカーで作れるような資金など無いが、とりあえず”参考程度”に。
なぜならネットで検索してみると、大手ハウスメーカーでも一部では我が家の雀の涙の資金でもギリッギリ建てられるかも知れないプランが有る…と見たからだ。
しかし取り寄せてみて分かった。カタログには一行たりともお金の話は出てこないのだ。
様々な豪華なプランや間取りが賑やかに紙面を彩るが、それがいくら掛かるのかゼニの話は一切無い。
要するに、ゼニなど気にせず希望通りの家を建てたいアッパークラスの皆さま向けなのだ。
ゼニの話は直接展示場で!なのだ。
だが雀の涙の我ら一家が、展示場に行って予算を言ったら相手にならんと追い返されるんじゃないか?
周りは数千万クラスのプランにオプションをバカスカ付けて一等地に建てようと展示場にレクサスで乗り付けているハイ・クラスの人々で、
その中で中古軽自動車の底辺我々一家は浮きに浮きまくるのではないか?
福岡で起きた事件を契機にロスジェネがどうとかいう論が盛り上がってるみたいだけど、「将来に絶望したロスジェネが破滅的な行動をしまくって社会が混乱に陥る」みたいな事態にはならないと思う
その前に韓国のロスジェネが日本で爆発して日本のロスジェネが萎縮するんじゃないかと睨んでる
一つ目は2015年11月に靖国神社の公衆トイレに爆発物を爆発させた韓国人男性(当時27歳)
二つ目は2018年5月に渋谷のNHK放送センター近くで通行人を切りつけた韓国人男性(当時30歳)
どちらも年齢がほぼ同じなんだよね
2017年に約640円だったのを、2020年にや約1000円に引き上げるというやつ
既に今年1回目の強制上昇が実施されて韓国経済は一発目のエグいボディーブローを喰らってる状態で、しかもこれがあと2回続く事が確定している
これは韓国で2011年頃に登場したもので、不景気により「恋愛」「結婚」「出産」の三つを諦めた世代という意味だ
国民から圧倒的支持を得た大統領だから、きっと有効な不景気対策をしてくれているかと思いきや、なんと今は「七放世代」という言葉が生まれている
前述の「三放」に加えて「人間関係」「マイホーム」「夢」「就職」の四つをさらに諦めた世代を意味する言葉だ
最初に挙げた二つの事件の犯人は、まさにこの「七放世代」ど真ん中なのだ
「ロスジェネ」に関しては、韓国は日本のはるか先を行く先輩なのだ
韓国の文在寅大統領の支持率は今も7~8割近いという人気ぶりだ
そんな状況下、韓国の若者が国内で破滅的な犯罪に走る事は不可能に近いだろう
ではそのフラストレーションの行き先はどこへ向かうのか
たとえ大事件を起こしても、非難されるどころか英雄視されるチャンスがどこかに転がっていないか
ある、ここ日本だ
旦那は30後半、会社員。私は20代後半、自営業。第1子は明日で1歳、めちゃ可愛い
旦那は5、6年先でいいらしい。子供はこのまま1人でもいいらしい。
私は2、3年のうちにもう1人ほしい。
なんとなく30歳になるまでにもう1人と思っていたが、1人目で子育ての大変さを知り、今の状況では難しいし、今マイホームの計画も進んでいるので落ち着いてからと考えてる
もちろん、計画通りに授かるのは、身をもって難しいことと理解しているけど、旦那は後先しっかり考えて5〜6年先と言っているのか疑問で不安に感じてしまう
・今でも体力的な限界を感じているのに、旦那は30半ばはまだ若いし元気だから大丈夫と言う
・女性は年齢を重ねるほどいろんなリスクが高まることを知らなさそう
けどこのまま意見が合わなければ、子は1人だけになるだろうなぁ
頭の中も文章もぐちゃぐちゃ汚いわ
今まで収支を把握してなかったのに猫の生活費や医療費を考え始め、光熱費やインターネット料金や敷金など自分にかかる費用を把握し始めた
ペット用品を全力で調べたが、結局は猫次第だと納得した。
殆どの人にとって、マイホームは最も高い買い物になると思われる。
とはいえ、筆者のような実家住まい(そして親が死んだら家を引き継ぐことになる)のキモカネおっさんにとっては、おそらく一生縁がなさそうな買い物になっている。
そして手が届かないからこそ、「ぼくのかんがえたさいこうのいえ」に思いを馳せるのだ。
ちなみに趣味の関係上、幼少から木の手触りが生活の普通の人よりも多分身近だったこともあり、断然木の温もり派である。
とはいえ、構造部分は檜と杉と松の適材適所で、地震台風経年劣化に強く、なおかつハイローミックスでよしなにお願いしますって程度。まあ土台を栗にするかどうかくらい?
そしてインテリアは、客間(和室)の障子を杉に、敷居を松に、そして床の間の地板と框を欅で検討…というのも重要なのだが、やはり一番気になるのはフローリング(とお揃いの備え付けキャビネット)の木材。
部屋の役割や求められる雰囲気(ざっくりでもリビングと寝室と廊下では違うじゃんとか)ごとにオークとウォールナットとマホガニーを使い分けた上で、玄関の上がり框は栗、屋外のウッドデッキは絶対にチークとか。
一方で収納や水回りといった、美観以上に機能性やメンテフリーが求められる部屋の床は、上述の銘木である理由はないので、そっちはそっちで何がいいのやら…という感じ。
やっぱり水回りはチークかヒバかなあ。個人的に洗面やトイレにチークというのもしっくりこないけど、耐久性ではヒバよりチークなんだよなあ。収納は重さに強いという意味で栗?
ちなみにイニシャルコストもランニングコストも全く考えていないという意味では、かなり子供じみたこだわりであることは自覚している。
でも木材の使い分けって、先人の知恵が凝縮した結果の機能美が凄まじいので、リスペクトして止まないのだ。
楽器に使われるスプルース、シダー、メイプル、ローズウッド、黒檀、柘植、花梨、マホガニー、ブラジルウッド、グラナディラ、ヒッコリーなど。
武器は金属主体だけど、それでもウォールナット、ココボロ、一位、竹、櫨、枇杷などは見逃せない(武器としての歴史は終わって久しいけど、弓は今でも木が主な材料だし)。
あとは小物として、喫煙用のパイプにブライヤーとか、ステッキにスネークウッド、傘に柿、数珠に鉄刀木や白檀など。
既婚子持ち。
自分には少ないながらも、学生時代からの友人がいるが、妻は彼らのことをよく思っていないようだ。
自分は彼らを家に呼んで妻とも仲良くなってほしいのだけれど、一度も呼ばせてくれない。ましてや、自分一人が外に彼らに会いに行くのも嫌な顔をする。
確かに、自分は小さな子供らがいる一方、彼らは独身だったりして、価値観やライフスタイルが違うのは理解できる。だが、ここまで自分の交友関係に口を出されたりするととても不幸な気持ちになる。今日も、子供がいる前で、自分の友人のことで喧嘩になった。
彼らとはしょっちゅう会っているわけではない。仕事や子育て、家庭を優先しているし、友人と会ったとしても年に数回なのに。
いつかはマイホームで誰かを呼んで、みたいな夢を描いていたことがあったけど、どうでもよくなっている。
どうすればいいのだろう。
三十代、税理士をしている。
同年代で相談しやすいのか、離婚するのだが財産分与で財産が貰いたい、ぶっちゃけ家を獲りたいのだがどうすればいいとかなりぶっちゃけた相談をここ三ヶ月で三件も受けた。いずれも妻側からである。
離婚で貰ったものは相手がド金持ちで一億貰えるとかならともかく基本税金はかかりませんよー、土地建物貰うならちょいと注意がいりますねー、と当たり障りのない話をするが、まぁ話を聞いてみればフルローン物件の多いこと。
私の希望をふんだんに盛り込んだ夢のマイホーム、私の権利も入っているのだから私が貰うべき!ところでローンはどうなってます?はぁ旦那さん名義でね、家貰うならローンを引き継がないと銀行許してくれないと思いますけど資力あります?旦那に払わせればいい。養育費代わりだ。
うーん、養育費で通るのかは私専門外なので弁護士の先生ご紹介しますねー、あと持ち主が変わるならやっぱり銀行がOKするかどうかもあると思うんで、銀行にも相談してみてくださいねーで投げてるが、世の中には何千万円のローン抱えるのに抵当権のことすら勉強しない人が大勢いるんだな、と頭が痛くなる。中には旦那と連帯債務だけど家は旦那名義、私もらう権利あるでしょの人もいた。それ旦那が逃げたらあんたの夢のマイホームは銀行に差し押さえ、オーバーローンで残るのは借金だけよと心で思ったが(関係ない俺が激怒されそうなので)黙っておいた。
正直弁護士の先生にこんなのふって申し訳ないのと、弁護士が離婚やりたがらないのも良く分かる。こんなのばかりだもの。
うちの嫁は違うと信じたいが、マイホーム買うなら私の権利も入れると言い出したのでやっぱりかーとなる。抵当権つけられるんだよ、というと抵当権ってなあに?の状態。まだ聞く耳がある分いい方だ。
自由だったんだぜ俺 お父さんになる前
なんでも 好きなもの 買えた
奥さん 共働きだし
俺 おとうさんだから
俺 おとうさんだから
俺 おとうさんだから
俺 おとうさんで
ビールぐらいは好きに飲ませて
俺 おとうさんだけど
あまり家にいられない
俺 おとうさんなのに
子供たちがよそよそしい
俺 おとうさんなのに
俺 おとうさんだから
嫌いな上司とも飲みに行かないといけない
めんどくさいけど 頭を下げて おだてて 盛り上げる
俺 おとうさんだから
俺 おとうさんだから
おまえたちが望むなら大学まで行かせたい
仕事も家庭も つらいことは 多くて
でも いつか分かるよ その幸せが
いつかお前たちも おとうさんに なるんだから
俺 おとうさんでよかった
俺 おとうさんでよかった
俺 おとうさんでよかった
コメントありがとうございます。こんなオナニー文に反応が来るとは思わなかったので感動して一瞬脳が蘇生しました。
共感してもらえて嬉しいです(マジでlove…thank you…)。一般的にブルーライトは目を殺す物だと思われていますが、それは政府の嘘でホントは脳と心を殺すヤバい兵器なんですよね。Twitterも同様。そしてそれらを人生の糧にしてる俺達は素晴らしき人生のクソ。誇りを持って共に生きましょう。また、家を出ると他人に殺される可能性がグッと高まるので安全性の高いマイホームでブルーライト兵器をいじくり回そう!
スプラトゥーン、無印持ってるんですね。2ばっかりやってると初心に帰って無印もやりたくなります。無印はスペシャルが軒並み強くてどんな人間でも最高にイカす事が出来るので。(こんな事言ってると2が面白くないように聞こえますが、2もちゃんとシャブです!)
是非慣れたらSWITCH買ってください。てか金大丈夫ですか?俺は金のない引きこもりなのでマジで心配です。金、ある?!?
まあそんなことは置いといて、スプラトゥーン2買ったら真っ先に俺とフレンドになって戦いましょうね。どうしよう、クソみたいに楽しみになってきた。はてな匿名ダイアリーで知り合った人間とスプラトゥーンの友になる約束するとか、楽しくならない訳なくない?(蘇生の音)
すみません、脳が死んでるので興奮してクソ長文になっちゃったからいい加減終わります!!スプラトゥーン2で会えるのを楽しみにしてます!!ちなみに俺はB帯とA帯を旅するクソイカです。そんじゃ、イカ よろしく!!(脳が死んだから思い出せない これ合ってる?)