はてなキーワード: マイホームとは
ワイもワイの親もマイホームなんか持ってないけどな
「車(クルマ、自家用自動車=マイカー)は負債だから買うな!」
「マンション、マイホームは負債になるから買わないほうがいい!」
不動産関係や自動車関係の会社と癒着しているメディアが絶対に言えない事実をきちんと言って下さる貴重な言論人です。
実際、クルマは40年間所有すると3396万円もカネを無駄に費やしてしまうという試算もあるほどですから。
賢い者ほどクルマ離れな現代です。資産1億円以上保有している堀江貴文、西村博之ら現代的な実業家ほどクルマを持っていない事実からしてもいかにクルマ保有が非合理的かが理解できます。
仕事に就いても長らくの借家住まいで、結局今も家を持たない。これはこれで何も不満はないのだけど、昔はマイホームなるものへの幻想を抱いていたこともあった。
最初の職場の秘書さんが結構な庭のある家にお住まいで、よく庭で育てたハーブを持ってきてはハーブティーを淹れてくれた。カモミールとかレモンバームが多かったのだけど、彼女に、
「ハーブっていうとミントみたいなイメージがあるんですけどね」
と言うと、吐き捨てるように、
「ミント? あれは駄目ですよ。うちの庭にもあるけど、欲しけりゃ来てくださいな。ありったけあげますから」
このとき、私はまだ知らなかったのだ。ミントが実は相当な繁殖力があるということを。
ミントは多年草である。越冬できる地下茎と根を残し、そこから更に茎を伸ばして拡大していく。そしてミントには花が咲き、種子をつける。ミントの種子をご覧になったことのある方が多いか少ないか知らないのだが、1 mm にも満たない芥子粒程のサイズの代物である。風が吹けば呆気なく辺りに飛び散って、そこで発芽し、繁殖する。一度ある程度の大きさになるとなかなか枯れない強さもある。
こういうわけで、庭にミントを植えるとどんどん繁殖する。拡大する。しかもミント同士は交雑し易い。セイヨウハッカ(ペパーミント)、スペアミント、アップルミントなどを近くに植えていると、程なく交雑がおこり、交雑したミントはしばしば芳香を失う。こうなるともうたちの悪い雑草に過ぎない。ミントはその芳香から防虫効果があるとされるが、芳香を失ったミントは虫の繁殖場所になってしまう。除去しようと刈り取っても増殖はやまない。根ごと除去したつもりでも、土壌にわずかに根、茎、種子が残っているとまた発芽する。根絶するためには、土壌ごと除去したり、除草剤を散布したりしなければ難しい……ということで、ミントはガーデニングで簡単に手を出すべきでないものらしい。
はーなるほどー一軒家の庭ってのも楽じゃないんだなー……と、そのときはそういう話で終わっていた。しかし、私が個人的にミントが好きで、料理に使うこともあるので、栽培したいなあ、とずっと思っていたのだった。そのうち、私は職場を移籍することになり、ある地方都市に引っ越すことになった。
その町はある大企業の城下町で、その企業の工場と社員の住む住宅街で構成されているようなところだった。大企業の正社員なら、収入も安定しているし、銀行だって容易くローンを組ませてくれるのだろう、そこの町の持ち家率は、そりゃあもう高い高いものであった。私は相変わらずコンパクトな賃貸物件に居を構えたが、職場までの道はもう家、家、家……その家の中に、私が「ミント屋敷」と名付けた家があった。
ミント屋敷は、先に書いたようなミントの典型的な犠牲者の家である。角地の瀟洒な一戸建てで庭も広いのだけど、その庭一面が草叢……ならぬミント叢になっている。ミントの勢いは庭に留まらず、家の周囲にも飛び火していて、角地なので家の角の外側に電柱が立っていたのだが、その電柱の根本にまでミントが生えている。私はこれを面白がって「野良ミント」と呼んでいたのだけど、前職の秘書さんの言葉を、私はここで初めて映像として目の当たりにすることになったわけだ。
今の私の住まいは、この町から少し離れた大きな地方都市にあるのだが、ここに住むようになって、プランターや植木鉢で普段使いのハーブを栽培するようになった。私がよく使うのは、肉料理にローズマリーとセージ、魚料理にタイム位なので、まずはそこから栽培を始めたのだけど、これが安定してくると、他にも何か……ということで、ミントのことを思い出したのだった。私の住まいはマンションで、このハーブ栽培もベランダでやっている。だから、先に書いたようなミントの犠牲になることもないんじゃないか。そう、そのときはまだ軽く考えていたのだった。
最初は園芸店の通販でニホンハッカを買ってみたのだが、なんとこれを枯らしてしまった。やはり、枯れない強さのある株を栽培した方がいいんじゃないか、と考えていて思い出したのがミント屋敷である。電車に乗れば、今でも行くのにそう苦になる程でもない。私は引っ越してから久しぶりにその町を訪れ、ミント屋敷で家の方に事情を話し、何本か生えている株を採取させてもらった。これを家で挿穂すると、呆気なく根が出、ミントの植木鉢が出来上がった。
とにかくこのミント、繁殖力が強いのだ。どんどん拡大しようとする。摘んで使うのだけど、ミントの使用量なんてたかが知れているわけで、やがて余ってくる。シソも栽培していたので、シソとミントの交雑というのは聞いたことがないのだが、ミントだけ少々離れたベランダの隅に置くことにした。
それから、1週間程経った頃だろうか。掃除しようとミントの鉢の辺りに行くと、鉢から根のような茎のようなものが伸び、ベランダの床の上を這い始めていた。これは……いわゆる匍匐茎というやつだ。これが地面と触れているところから根が出る。そうすれば茎が切れても、そこで根を張って繁殖することになる。要するに自分自身で挿穂をするようなかたちでの繁殖だ。いや、さすがは野良ミントである。そうか、こうやって拡大していくわけか。しかしベランダの床はモルタルだから、根の伸ばしようがない。私はしばらく放っておくことにしたのだ。
日毎に匍匐茎は伸びていくのだが……日が経つ度に、私は気味が悪くなってきた。その匍匐茎は、他のハーブのプランターや鉢のある一角に向けて、真っ直ぐに伸びていくのだ。ミントに目がある訳もないし、どちらの方に他の植物が、そしてその植物が生きている土壌があるか、なんて、知ることができるとは思われない。しかし、野良ミントの匍匐茎は、確実にその方向に、曲がることなく一直線に伸びていくのだ。こいつは……本当にただの植物なのか? 実は宇宙のどこかから飛来した謎の生物で、己の繁殖の為に最適な行動を、我々の想像を超えた生物的機能を以て為しているのではあるまいか。そう思うと、その匍匐茎がまるで触手か何かのように見えてきて、どうしようもなく恐ろしくなったのである。
私は結局、そのミントを捨てた。鉢の土ごと、燃えるゴミの袋に密閉して。植物とはいえ、自分の勝手な印象や都合で、結果的に弄ぶような育て方をしてしまったことが悔いとして残ったので、私はそれ以来ミントを栽培したことがない。これからも、きっと栽培することはないと思う。
しあわせってなんだろう。
幸せなんて主観的なものでしかないから、先程の問の答えや定義は人によりけりっていうところなのだろうけど。
24歳。
周りには家庭を持っている人もいれば、学生として研究に勤しむ人もいる。働いている人も多くいるし、働き方だって様々。職種も様々。
わたしが生まれ育ったのは、とある地方都市のベッドタウン。小さなショッピングセンターはあるものの、特にそれ以外は何も無い。家がある住宅街を抜けると、田んぼと山に囲まれた田舎の景色が広がっている。
子育てをするにはとても良い環境だったと思うし、実際、たくさんの子育て世代がこの住宅街に夢のマイホームを建てて移り住んでいた。
突然だが、人生とは選択の連続である、という言葉がある。(byシェイクスピア)
当たり前のことではあるが、成長とともに選択肢は増える。
特にわたしたちのようや田舎で育った者にとっては、なおさらそうだろう。私立の小学校、中学校だなんて周りになかったし、車がないと駅にもたどり着けないような地域なので、ほとんど全員が地元の幼稚園、小学校、中学校、と、同じルートを辿る(もちろん受験をしてみたり、別のルートを歩む人は少なからずいたが)。
わたしにとっての初めての大きな分岐点は高校受験であったと思う。
田舎にちょっぴりコンプレックスを抱いていたわたしは、都市部に位置するという理由だけで、この辺で1番の進学校に進んだ。
わたしは決して頭の回転がいい訳では無いが、昔から記憶力がとてもよかった。
おかげで普段は全く勉強をしない不真面目な学生だったわたしだが、テスト前の詰め込みだけでそこそこ学年でも上の方の成績を維持しており、高校受験もなんなくクリア出来た。
地方の進学校特有の、地元の国立大学(A大学とする)を神聖視し、それはそれは宗教のように、「目指せ!A大学!」と朝から晩まで勉強に励む生徒達。
わたしは多数派から外れることがとても怖かった。いつも一緒に行動していた友人達はみなA大学を志望しており、わたしも当たり前のように、なんの疑問も感じずにA大学を志望し、死ぬほど勉強した。
特に将来やりたいこともなく、母親から、「今の時代は女でも資格を持っていないと」と言われたので、特に何も考えず資格が取れる専門的な学部を受験した。
死ぬほど勉強した甲斐あって、ストレートで合格し、進学をすることができた。
周りの大人たち、親戚たちからは、優秀ね、親孝行ね、などといつも褒められたし、親もとてもわたしの進学を喜んでくれていた。
大学では、それなりにキャンパスライフを楽しむことができたので、専門的な学部だったため、他の学部のように授業をサボってみたり、全休作ってみたり、そんなことは一切出来なかったし、なにより実習が死ぬほどきつかった。
大学生にもなると、仲の良かった同級生たちは皆SNSをやっていた。
この頃から自分の選択が正しかったのか、自分に問いかけることが増えてきた気がする。
関東の私大に進学した友人はいつもオシャレなカフェをインスタグラムにあげていたし、同じ大学に通いながらも全休をたくさん作って遊び呆けてる友人、地元の高校で勉強はあまりせずに恋愛を満喫して専門学校に進学し彼氏とラブラブな友人、夜の仕事をしながら華やかな世界で生きる友人、
所詮全てSNSでしか知ることは出来なかったので、切り取られたほんの1部だったのだろうが、やっぱり隣の芝生って青い。
みんなそれぞれ、たくさんの選択肢を選んできた結果として、様々な人生を歩んでいた。
大学を卒業した後、わたしは今、地元で公務員として働いている。
安定した職もあるし、高給取りではないけれど、実家暮らしのため、そこそこ自由に使えるお金もあり、趣味も満喫している。友人もいる。誰もが注目するほどの美人ではないけれど、絶望するほどのブスでもない。
過去の自分に会うことが出来て、未来から何かを伝えるという漫画みたいな経験ができるのであれば、もっといろんな選択肢があるってことに気づかせてあげたい。
子どもが欲しい。わたしも早く家庭を築きたい。もっとワクワクするような仕事がしたい。素敵な彼氏とラブラブしたい。
華やかな世界に生きたい。都会に出たい。
しかし、わたしにはこの安定したレールから脱線する勇気がない。
もっと勉強しなくて良い学校に通って毎日遊んでバイトして過ごした方が楽しかったかな?自分探しの旅に出てみてもよかったかな?たくさん男の人と遊んでたら、いい人見つけてもう結婚できてたかな?
この選択肢を選んできた自分の人生以外の人生を歩むことは出来ないので、どの選択肢を選ぶのが正解だったかなんて今更わからないけれど。
今日もわたしはいつも通り、実家のリビングでゴロゴロしながら、ツムツムのハートが回復するのを待ちながら、この記事を書いた。
何が言いたいかさっぱりわからなくなったが、自分の言いたいことをつらつらと書いてみた。共感してくれる人も、贅沢なやつだと反論的な考えを持つ人もいるだろうが、暇を持て余した1人の24歳女の戯言としてさらっと流してくれたらうれしい。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
35で普通って
男だと
5000万円以上の予算の決済権があって
年収600万以上で
4000万以上のマイホームが建ってて
30までには結婚してて
2年に1回以上は海外旅行に行き
3年に1回以上は嫁さんと喧嘩するも仲直りsexで絆を取り戻し
テレビのバラエティ番組では違和感なく周囲と同じように笑うことができ
花粉症はあってもぜんそくやアトピーなどのアレルギー性の持病とは無縁で
学生時代から付き合いが続いている年に1回以上は連絡を取り合う友人が5人以上いて
休日に職場の同僚先輩部下と年に1回以上精神的苦痛を感じずに遊びに行くことがあり、
お互いの関係は悪くはなく
それでもなんかちょっと物足りない
って考えてるようなやつのことだろ?
フリーランスになってみてどうだい?
いや、おじさん的には自営業って言葉のほうがしっくりくるかな。
自営業、楽じゃないよね?
実際に自営業になってみて、自由って言葉に隠れている現実を実感していると思う。
不安定な収入、将来が見通せないことがこんなにもキツイものかって感じているだろう。
自信を失い不安で眠れない夜もあるだろう。
回転なくして自立できないコマのように、SNSでの発信を止めたが最後、倒れてしまいそうだ。
そのうちにリーマン同級生は、出世したり、結婚出産、ローンを組んでマイホームを手にする人も現れて、
リーマンと自営業の違いを見せつけられて、茫然とすることもあるかもしれない。
他人と比べることに大して意味はないのだけれど、不干渉になれるほど君の感性は鈍くはない。
いや、むしろ感受性が豊かだからこそのフリーランスの選択なのだ。
子供の頃から疲弊するサラリーマンを嫌というほど見せつけられて育ってきたのだ。
少ない休日、わずらわしい人間関係、ベースアップもスズメの涙、誰がサラリーマンに魅力を感じるものか。
だいたいヤングが大挙して公務員になりたがる国は不健全であるとさえおじさんは思う。
自分を全面に出して想いを発信する。
そのパワーがおじさんには眩しいほどだ。
でも、もし、自営業に限界を感じたら、リーマンに戻るのも選択のひとつだ。バイトでもいいだろう。
冷笑されるかもしれない。
でも、おじさんは笑わない。
初志貫徹することも立派だけれど、それと同等に現状をみて方向転換することも、勇気と行動力が必要だから。
話は変わるけれど、最近フリーランスの拠点が数か所できているらしい。
もし、孤独と不安を感じたら、そんな場所を訪れてみるのもアリじゃないだろうか。(廉価ならいいのだが)
その裏にある、孤独と不安が見えたようでこんなことを書かせてもらった。
どこかで会ったら、一杯奢らせてくれ。
なんかマイホームを修繕するより建て直した方が安い、みたいな話だな
CICの信用情報を確認しておくよう予約時に案内を出せばいいのではないかと思うのだが。
信用が低いから高額な金利となるか、高額な金利を下げる代わりに借金の総額を増やすか、高額な解約料金とするか、頭金といいつつ元の金額から引かないか。
パッと見ひどく見えないが、1,2年後に泣きを見るが企業収益を上げるようなプランが出てくるかと思っている。
なぜこのような状況になっているのかというところに自分の興味関心がある。
もうマイホームと車を持って生活するというのが標準的というのは厳しくなっているとチラホラ出ているのと、
推しのために数万のコンサートチケットを買うというのと、スマフォが買えないというのが並んでいる。
パソコン、PS4、ニンテンドースイッチは持たずにスマフォで我慢するがガチャにハマる。
そういえば自分の周りに親権を押しつけて離婚した母親がいたなあと、元増田を読んでいて思い出した。
もう20年近く前の話だし、元増田の元家庭とはずいぶん環境も違う。
記憶も定かでは無いけれど、「親権押しつけて離婚した母親」がどう見えたか、息子の立場の思い出で自分語りする。
私と弟が学童保育から帰ってきて一息ついたあと、入れ替わりで母親は家を出ていって、そのまま帰ってこなくなった。
私と弟がどこにいくのか尋ねたところ、
「ちょっと買い物に出かけてくる、あんたたちも来る?」と母親は応えた。留守番をしている、と返したと思う。
まだ日が落ちる前で外は暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。
母がいっこうに帰ってこないから、勝手にレトルトのカレーを食べるか迷っていたところだった。
そこからは記憶があいまいで、「お母さんは買い物に出かけている」と父親に伝えたこと、その日は結局帰ってこなかったこと、
翌日の夜に「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に伝えられたことは覚えている。
数日経ってから改めて、「お前たちはどうする?お母さんについてくる?」と父親に聞かれた。父と母だけで子供に見えないところでやり取りをしていたんだろう。
私と弟は、間髪入れずに「父親についていく」と伝えた。
子供ながらに、「父親は家に住んでいる、母親は家を出た」「父親は仕事をしている、母親はパートタイムで働いている」「母親と一緒になるのは不安でしかない」と思ったから。
その日からしばらくは子供部屋ではなく、父と母親の部屋で寝ることになった。
父親には「お父さんが寂しいだろうから」なんて言ったけど、たぶん怖かったんだと思う。寝ている間に父親もいなくなったら、とかたぶんそういうことを考えてたんじゃないか。
正直なところ、離婚の前後の夫婦関係や母親の状況について、父親に聞いたことはない。父の浮気のようなわかりやすい理由があったのかも分からない。
当時は、父親の機嫌を損ねたくなかったから、そんなの聞けるわけがなかった。
私も弟も父親も、母親がいなくなって、各々で新しい日々を送ろうと四苦八苦していたし、そのうちに聞くタイミングを失ってしまった。
というかよく考えたら、父と母親の馴れ初めについてすら詳しく知らない。なにしろ私がそんなものに興味を持つ前に離婚してしまったから。
父の年齢から離婚時点の年齢を考えると33~4歳前後になるから、彼らはおそらく大学を出てすぐに結婚したんだと思う。
父は普通のサラリーマンで帰宅は20時前後、母親も、私が幼稚園の頃からパート勤務をしてて18時頃の帰宅が多かった。
なにしろ大学を出てすぐ私たちを生んだわけだから、我が家にも給料的には余裕が無かったはずだ。
共働きということもあって、私と弟は小学校に入るとすぐに学童保育に預けられた。
周りの友人たちの母親は専業主婦ばかりだったし、いま思えばマイホームを持った落ち着いた家庭が多かった。
記憶にある限りでは、私の母親はPTAなどにもほとんど参加していなかったと思う。地域での友人関係というのも無かったんじゃないか。
当時は家の鍵を渡されてなかったから、学童保育から帰ったあとは玄関の前に座って、母親の帰りをぼうっと待っていたのを覚えている。
離婚の経緯に関しては唯一、母親の祖父母から「あの子はあんたたちを育てるのを投げ出した、だから勘当をした」という趣旨の話を聞いたことがある。
そのため、母が家を出て行った理由は、私と弟の世話に嫌気がさしたからだと思っている。
実際、当時の私と弟は問題児で、小学校でも幼稚園でも喧嘩や忘れ物などの問題行動をよく起こしていた。
あまり詳しく覚えていないけど、家庭でも似たような状態だったのだと思う。酷く手のかかる子供だったと思う。
そんな状態である上に、私と弟は昔から比較的父になついていた。母親から見れば「男3人と自分」という対立構造に見えるときも多かったんじゃないだろうか。
上に書いたように、父と母親のどちらにつくかのやり取りもあったから、子供目線だと「母は親権を押し付けて出て行った」のではなく「僕たちは自分で父親を選んだ」という意識を持っていた。
でも、こうして書いていると、やはり母親は私たちと居ることが耐えられなかったんだと思う。
「買い物」に出ていく際の「あんたたちも来る?」という問いは、きっとそんな耐えられない息子たちと自分の関係を確かめる意味の言葉だったんだろう。
ごめんね、お母さんよりも冷房を選ぶような息子たちで。あの日は暑かったからなあ。
断片的な記憶だけど、父親が離婚届を書いているところ、書類を返送する際に「こんな男と10年以上いてくれて~~~」という趣旨の手紙を添えていたことを覚えている。
父は「本当にお母さんと連絡したいと思ったら、この携帯番号にかけたらいいから」といって、母の連絡先が書かれたメモを電話機のわきに残してくれた。
何度か電話をかけた記憶はあるが、そのとき何を話したかはもう覚えていない。
しばらくは祖父母が手伝いに来てくれていたこともあり、私も弟もすぐに母親がいない生活に順応した。メモはしばらく壁に貼ってあったけど、どこかにいってしまった。
もっとも、何年かに一度は連絡がある、ないしは帰ってきていたこともあるらしいので、本当のところは知らない。
私が二十歳を過ぎたころぐらいに、祖母から「母親と会うつもりはないか」と聞かれたこともあった。
ただ、そのときにはもう私も大学生だったし、妙な蒸し返し方をされるのが不気味で会うのを拒んでしまった。「会わなかったぶんのお小遣いをくれるなら考えるよ」とかなんとか適当なことを言って。
小遣い自体は実際にもらった。
あとから聞いた話によると、これは母から祖父母に「息子のために使ってほしい」とあずけられたお金から出されたものとのことだった。
祖父から「残りは、いつかお前たちがいい人を見つけて結婚式をするときに渡したい」と言われた。
父と母親の間で、慰謝料だか養育費だかの金銭のやりとりがあったかについては、知らない。たぶんもう知ることもないと思う。
離婚してすぐに一家4人ですごしていた家からは引っ越すことになった。
学校が変わったことがきっかけで、無自覚な問題児から自覚のある問題児に変わった。
父親との関係とは紆余曲折あったものの、大学までは出してもらった。
その間、母親がいないことで不便した記憶というのはほとんどない。保護者参観に親が来ないことにもすぐに慣れた。
中高生のときから料理をするようになったし、親が家にいないおかげでのびのびと生活していたから、むしろ恩恵のほうが大きい。
「いつ結婚するのか?」と尋ねられること。
これは母親がいなくなったこととは直接関係とは思うけど、異性と生活を共にして、家庭を持つイメージがどうしても持つことができない。
おじいちゃん、お母さん、ごめんなさい。どうも僕はあのお金をもらう気にはなれません。
今になって思うと、ひどく気の毒に感じている。
母親が私を生んだ年齢をすぎて数年が経つ。もし今の私が、私のような子どもを持っていたとしたら、おそらく私だって投げ出すと思う。
もっとも、母親が買い物に出かけた理由が、本当に私たちだったのかは知るよしもないんだけど。
本当にお疲れ様でした。
自分語りをしながら、もしかしたら私も元増田の書いてるような「隠し通された子供」なのかもしれないのかなあ、なんて考えてしまいました。
ただ、いずれにせよ元増田さんの体験は元増田さんだけのものですし、好き放題に増田で叩かれたり、長文で自分語りする父子家庭出身者が現れても、あまり気に病まないでください。
どうにかいろいろと上手くいくようになって、元増田にとってもお子さんたちにとっても一番傷が少ない結果になるように、祈ってます。
先日、親戚の集まりがあった。
そこで数年ぶりに同い年の従兄弟に会った。
子供たちの祖父母(自分から見たら叔父と叔母)の顔は嬉しそう。
職業は商社マンで世界中を飛び回っているそう。稼ぎもいいんだろうな。
都心にマイホームを構え、一家の大黒柱として立派にやっている。
すごく幸せそう。
自分は未だに独身で、結婚する予定もないし、今後もできる気がしない。
収入は世代平均からは結構上回っている。すごく贅沢ができるわけではないけど、一人で生きて行くぶんには十分なぐらいは稼いでる。
五体満足だし、趣味が充実しているので不幸と思ったことはない。
しかし、こういうのを見てしまうと幸せだと思っていたものが根底から崩れて、急に惨めに感じてしまった。
やっぱ親は孫の顔が見たいのかなー。
幸せってなんだろう。
もうみんな普通に家庭持って、ふるさと納税をシレッとして、格安スマホにしていて、犬を飼い猫を飼い、写真撮ると平穏そうな生活感ある部屋が写り込む。
えっ、みんないつのまに格安スマホにしてるの?ふるさと納税、するなら言ってよ。
英語の勉強の勉強方法がランキング上位に来ることもなくなって、副業がランキング上位に来ていた時期を終えて、今はもっと小市民的な記事が上位に入る。
2chも、はてなも、もうみんなそんな段階になって・・・なんだよもう。置いていくなよ。
インターネットの主流が年を取っていく。やるべきことをきちんとやり、娯楽と現実を両立させながら。
学校卒業して、営業とかIT系に就いて、結婚して子供が産まれて・・・。
みんな1回は、えぐいこと、傷つくことも書き込んでるはずなのに「そんなことあったっけ?」ぐらいの気持ちで、平穏な家庭を築いてマイホームパパになりましたよってわけだろ。
それならそれでいいから書き込むのはやめろよ。現実で普通のパパになって、それが全てで。もう書き込まずに大人しくしてろよ。
そんな要領のいいお利口さん達はインターネットから去って、さっさと幸せになれよな。どこにも行き場のない、現実なんてない暗くてオタクな若者=インターネットなんだよ。