はてなキーワード: マイホームとは
引きこもりやらニートが話題になってますが、彼らを生んでしまった国に怒りを向けている理由がまったく理解できません。
当時を知る人間からするとそりゃしょうがないよなとしか思えないからです。
バブルなんてとっくに弾けてるのに、いい大学に入っていい企業にはいれれば誰もが当たり前に結婚してマイホームを持てるとそれでも信じてましたよね。
在日韓国人である私は周囲から「どれだけ勉強しても無駄だ。どんなにいい大学に入っても日本の企業には絶対に就職できない」と言われ続けていました。
実際に、私の知る限りの年の近い在日で例えいい大学を出ても大手企業に就職した人を見たことはありませんでした。
だから私は大学なんて行かないで高校生からアルバイトを始めて、一日でも早く社会に出て経験を積まないとこの先を生きていけないんだと考えていました。
高校を出てからは肉体労働の世界に飛び込んで、中卒・高校中退の職人になめられながら陰湿ないじめとサービス残業・サービス休日出勤が月200時間を超えるのが当たり前の生活を10年以上必死で耐えてきました。
名前も知らないような大学でのほほんと時間を浪費して、大学出てからも肌が合わないとか言っては会社を辞めたり好き勝手ばかりやってたじゃないですか。
そんな人間をどうして僕らが必死で働いて収めた税金で守らないといけないんでしょうか。
健康保険も年金も収めてないなら福祉を受ける権利はない。簡単なことです。
だから私には同じ日本人が彼らではなく国に怒りを向けている理由がまったく理解できません。
定年を迎えた人たちや海外から出稼ぎに来ている人たちがコンビニの店員でもガードマンでも清掃スタッフでも生きるために必死で働いています。
それなのにどうしてまだ働かないのでしょう。
死ぬのが嫌なら必死に生きて下さい。死ぬほど恥をかいても恥で人は死にません。死ぬとしたらそれは自分自身のプライドに殺されるのです。
どんな仕事でも誰かの役に立ちます。それをバカにしてくる人間はそのことを理解していないバカでしかない。
そんなバカにバカにされたって、胸を張って仕事をしていれば痛くも痒くもない。
これが私が差別の中で学んだことです。
残念ながら在日の中にも引きこもりは沢山います。でもそれを差別のせいにするのは間違っていると思っています。
生存バイアスかも知れないけど、働けば必ず社会の役に立ちます。
社会の役に立てたと実感できればできるほど人は生きていても良いんだと思えるはずです。
多分新しい職場に変わるんだろうか
日付が変わるまでに帰ってきて、一緒に令和を迎えられるといいのだが。
うちの係を取りまとめる上司のGとソリが合わない。
俺のやる事がなにもかも気にくわないらしく、少しミスをすると鬼の首とったマンになり嫌らしく責めてくる
俺も仕事での積極性や、判断に適当なところが多いのは反省すべき点だが、周囲の人から見ても俺には当たりが強いようだ
むこうもこちらもコミュ症だから雑談や私的な会話が一切なく、関係を構築できてないのも原因のひとつだろうか、、
高校を辞めた頃も、学校が近づいてくるとこんな吐き気がしていた
いまの仕事のおかげで、やっと人並みの人生に軌道修正できたので辞めるわけはないのだが、頭の中は常に退職を意識してる、辞めないけど。
昨日の寒さと、化成肥料の与えすぎのどちらかだと思うんだけども、枯れてしまった。
元々芽が出始めで、もっと伸びていいはずだったのに遅々として成長していなかったのでおかしいと思っていたので掘り返してみると、根が伸びていなかった。
他の2つも掘り返してみたら、根が腐っていた。
かなしみ。
生き残ってた1個と、水耕栽培で発根してた3個を、安い培養土に植えつけ、表層だけを赤玉土にした。
いつかマイホームを建てたら庭にアボカドの巨木をそびえたたせるのが俺のささやかな夢なのだが、なかなか上手く育たない。
手をかけ過ぎて、逆に失敗するパターンが多いな
無神経でタフな人だと思っていたけど、半年ほどであれよあれよと無職になった。
で、私が働きだした。
暇な時期は、社外。
言語はその時によってPHP、java、python、.NET。
現場のエンジニアとしての業務だけではなく、SEとして客の前にも立つ。
でも本当はパソコンの前でぱちぱちやってるのが性に合っている。
電話が鳴るたびにビクビクしてる。
ストレスすごい。
社外は楽。
できればずっと社外にいたい。
これで年収は450万くらい。
月6万くらい。
あとは主夫業。
ハッキリ言ってプレッシャーを感じている。
これが予想以上に重いのだ…。
パソコンの前でぱちぱちやるだけならまだいい。
でも経験を積めば積むほど、客の前に出される。
嫌だ…。
むりぃ…。
たすけてぇ…。
でも私が働けなくなったら家庭は崩壊する。
辞めたくても、辞められない。
逃げたくても、逃げられない。
すげー絶望感…。
だけどその裏で旦那は、このプレッシャーに耐えていたんだなよな…。
男は外で働くだけ。気楽でいいよな。
なんて思ってた。
もちろん独身なら、気楽だと思う。
どんなに嫌なことがあっても逃げ出せない。
レールの上から振り落とされないよう耐えて、耐えて、耐え忍ぶしかない。
耐えきれなくなった時は、家族が路頭に迷う時。
重すぎだろ…_| ̄|○
でも世のサラリーマンは、みんなこの重さに耐えているんだよね…?
すげーよ
でも狂ってるよこんな世の中。
■追記
実は3人目が生まれてから、マイホームの購入を検討したことがある。
私は買う気満々。
どうするの?買うの?やめるの?
2人目ができた時。
あの時も旦那は煮え切らなかった。
産むのか、おろすのか。
3人目はどうしても作りたがらなかったが、旦那が酔った隙にできた。
何か1つ持つたびに、責任は重くなり、逃げ道が無くなっていく。
旦那はそんな地獄にたどり着くのを分かったうえで、淡々と受け入れてくれてたんだなと。
たった一人で、この重さと戦ってくれてたんだなと。
それが巡り巡って、今自分に回ってきたんだなと。
正直、3人も産んだのを後悔している。
親として最低だと思う。
考えちゃダメなこと。
でも考えれば考えるほど、後悔という結論に行きつく。
双子の赤ちゃんを産んで二人も赤ちゃんいらなかったというお母さん
富裕層ならベビーシッターを雇えたけどあれだけやんでるんだから中流階級っぽい
双子だったらきょうだい児と違い服や道具の使い回しができないし大きな出費を同時にしていかなきゃならないから大変だよ
ましてや三つ子育児とかヤバすぎると思う。貧乏人が子供3人も育てたら誰かがもしくは全員が落ちこぼれになりそうだ。多胎児育児はお金にも気持ちにも余裕がある富裕層こそやってもらいたい。貧乏人だと泣く赤ちゃんたちに囲まれながら「お金どうしよう…」とかそういうことも考えて病むんだよ。富裕層でも戦略的に一人っ子にする家庭がたくさんあるみたいだが。
子供は小、中、高は公立行ってもらって高卒でサクッといい会社に就職してくれたら教育費もそれほどかからないけど
子供の方から中学受験したいとか薬学部に入りたいとか医学部に入りたいとか言い出すかもしれないし
私は奨学金借りて大学進学したけど親に「大学費用払えねーんならなんで子供のときから四年制大学行けって言い聞かせてたんだよバカ野郎。なんで貧乏のくせにマイホーム建ててきょうだい産んでるんだよ一人っ子で良かっただろクソが」と思ってるわ。
子供の視点からするときょうだい複数作ってきょうだい全員進学費用奨学金借りさせるくらいなら子供の人数削って進学費用全額出してほしかった。
なんの考えもなく親が言うとおり大学に進学した私も悪いけどずっと大学に進学するのが当たり前っていう教育受けてた。できれば他の選択肢だってあるよと当時高校生の私に教えて欲しかった。
ネットで「子供3人目を妊娠して産むべきか悩んでる。家計が心配」っていうお母さんに「今は奨学金とか借りれますし産んだらなんとかなりますよ♪」っていうのは親のエゴなのでやめてほしい。赤ちゃんはかわいいね?でもその赤ちゃんが中学生くらいになったときにお金がかかりだして家計が苦しくなるよ。お金持ちならばんばん子供産めばいいけど、貧乏人は本当に教育費のことを考えて子作りしよう。
東大に入学した春、僕は父親の年収が700万円だと知った。日本学生支援機構の奨学金に申し込むために、世帯主の収入が必要だったからだ。
当時の僕は父親の年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。
https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php
1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市の郊外、人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産の普通車、家は駅から少し離れた3LDKのマンション、外食は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。中高時代はスーパーのフードコートでマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後にラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。
これが普通の金銭感覚だと思っていたし、今だってそう思っている。
父親の年収700万円が基準額より高かったので、結局無利子の奨学金は借りられなかった。なので、学部生時代は親からの仕送りで過ごした。ボロアパート5万5千円の家賃と、それとは別に5万円の生活費を毎月親から貰っていた。
仕送りの額について友人と話していて感じたことだが、どこまでを仕送りの額として申告するかは個人差がある。家賃込みの額を言う人もいれば、携帯代も光熱水費も全部親が払っていて、本当に自分の自由に使える金額を申告する人もいた。僕は、携帯代と交通費と光熱水費は自分持ちの5万円だ。
東大に入ってできた友人は、世間の言うほど金持ちではなかった。毎日のように高級なランチを食べるだとか、服に月に10万円使うとか、そういう人はほとんどいなかった。医者の一人娘の女子が親からクレジットカード丸ごと借りていて、自由に使っていいという話を聞いたが、流石にそれはウワサ話になるぐらいには少数派だった。
三鷹寮に住んでいた友人は、本のためにバイトに明け暮れていた。
あらかじめ言っておくと、ほとんどの東大生の親は、子供の本代を惜しまない(と観測範囲の中では思う)。僕の仕送りは5万円だと言ったが、学期初めの教科書代は別途追加で送られてきた。公立の高校でさえ周囲はそうだったから、そもそも(子供の学歴にかかわらず)本を与えてくれる親は多いのだろう。でもやっぱり、書籍部で1冊数千円する専門書がドカドカ売れていくのを見ると、東大生は本にお金を使うし、親もそれを惜しまない傾向は他の大学に比べて強いのだと思う。そんな環境の中、三鷹寮の友人は本を自分で買っていた。外部の人に説明すると、三鷹寮というのは東大直営の学生寮で、月1万円ちょっとで住むことが出来る格安の家賃が魅力だ。その代わり、三鷹にあるのでキャンパスから遠いのと、入居者には所得制限がかかっている。なので、三鷹寮に住んでいた時点でその友人はさほど裕福な方ではなかったのだろう。僕は不躾にも、彼に「本代を親に頼まないのか」と聞いてしまったことがある。彼は「授業で指定された教科書代は貰っているけど、こういう本は教科書じゃないから」と言った。理系の僕にはよくわからなかったが、彼の買う本は美術論や建築物の写真集だとか、普通の本屋にはあまり置いてなさそうな文化的なものばかりだった。普通のハードカバーの小説みたいなサイズの本が、3500円した。「これは教科書でも、研究用でもなくて、ただ自分の興味のために買ってる」と言う彼の姿は、僕には少しまぶしく見えた。
東京の私立中高一貫男子校出身の友人も、いつもお金に困っていた。サークルの活動には熱心に参加するが、その後の飲み会は断ることが多かった。そのくせ、誰かの家で二次会をやることになると「宅飲みなら安いから」という理由で必ず駆け付けた。大学進学後、彼の家のルールでは小遣いがゼロになり、遊ぶ金が欲しければバイトをしろということになったのだそうだ。実家住まいだとこういう人は何人かいたように思う。僕は仕送りを貰っていたので携帯を格安スマホに切り替え、自炊でケチれば、浮いた金がそのまま自分のものになったが、実家住まいの人間はバイトをする以外の方法でお金を得ることができない。その上、友人は郊外に家があったので、通学に1時間半ほどかかり、夜遅くのバイトができないのだと愚痴っていた。
大人になった今少しわかるのは、東大生の親は確かに金持ちだったが、教育費と都心の住居費に金を注ぎ込んでたのだということだ。だから、食事や服、旅行などのわかりやすい贅沢はしない。その代わり、海外の大学への留学費数百万円をポンと捻出するし、子供が女子だったらセキュリティのしっかりした家賃10万円のマンションを借りる。でも、遊ぶためのお金を直接子供にくれるわけではない。大学が忙しくてさほどバイトができなかったから、僕らは他の大学生に比べても飲み会なんかの遊びにお金を使わなかった。こういうわけで東大生は自分のことを貧乏だと思っているのだと思う。
大学院を修士で卒業した僕は、今は某メーカーに就職して、工場のある田舎で生活している。1年目の盆休み、帰省した僕は数か月遅れながら初任給で親を食事に連れて行った。話題は当然、僕の仕事のことばかりだ。そのうち、給料の話になった。ごくごく一般的な修士卒の初任給の額と、冬のボーナスの金額の目安を告げると、母は「お母さんの給料なんてすぐに抜かされちゃうわね」と答えた。
その瞬間、僕は重大な事実に気づいて膝から崩れ落ちそうになった。
どうしてこんな簡単なことに6年間もの間気づかなかったのだろう!
僕 の 実 家 の 世 帯 年 収 は、1000 万 円 を 超 え て い る !
共働きであったことを知らないわけはない、ないのだが、父親の年収を知った時の僕は母の給料をそれに足すという単純な足し算ができなかったのだ。弁明すると、僕の父親は700万を稼いでいた当時50代前半で、年収がピークにある時期だ。僕の家が世帯年収1000万円を超えていたのはわずかな期間だろう。そして、僕らの親世代にとって年収700万円というのは50歳前後の男性の年収の中央値で、僕の父親は周囲と比べても実際凡庸だったのだ。母は専門職のフルタイム勤務ながら、年収300万円代で、これも稼いでいるとは到底言い難い。僕の父親も母親も、普通の人で、並の年収だったので気づくのがだいぶ遅れたが、共働きのおかげで世帯年収は1000万円を超えていたのだ。
その事実に気付いてからしばらくは、ショックで呆然としていた。僕の家のしゃぶしゃぶといえば豚肉だった。一体いくら稼げば牛肉のしゃぶしゃぶを食べられるようになるのだろう?同じマンションの住人でベンツに乗っている人がいたが、あの家の人はいくら稼いでいるのだろう?あるいは何を犠牲にしているのだろう?ハワイ程度なら僕も海外旅行をしたことがあるが、ヨーロッパに出かけている人たちはどうしているのだろう?僕は1000万円を稼げるようになるだろうか?東大を出たところで、この不景気では実家以上の暮らしができないのではないだろうか?
幸いというべきか、今の僕は30歳手前にして世帯年収1000万円を実現した。といっても、僕が600万、不動産営業の妻が400万円という内訳だけど。引っ越しや結婚式、新婚旅行など、金の吹っ飛ぶイベントが一通り終わって、ようやくゆとりが出てきたとはいえ、こんなもんかという感じは拭えない。そろそろ子供を持ちたいので、妻の収入が無くなるのを覚悟しないといけないし、子育てとマイホームのために貯金を続けているといったところだ。
妻は高いものを購入したい時、必ず僕に確認する。冬物のコートとか、デパートの化粧品とか(妻が怖じ怖じと切り出した割に、化粧品は6000円と意外に安かったのでそれぐらいなら確認せずに今後も買っていいと伝えた)。僕も相談するようにしているが、この間のカメラのレンズはOKが出なかった。これが年収1000万円の暮らしなのか、と考えると今でも不思議な感じがする。まだ子供がいないから多少ゆとりがあるだけの、「普通」の家庭だと思う。
みんなよくがんばれるなあ…
俺は、ただ、なんとなく友達が欲しいとか、就活ダルいとかそんなことをつらつらと書きたいと思って「ブログ サイト」やら「ブログ 書き方」やらでググったのに、「ブログで稼ぐ」とか、「最強の副業術」とかいっぱい出てきた。
世の中、会社にぶら下がった生き方がもはや難しいから、副業でも稼いで、あわよくば本業にしよう!みたいな流れが前々からどんよりと押し寄せている気がする。
就活を通して気が付いたけれど、みんな変にくそ真面目過ぎる気がする。
先週、一次選考の集団面接で、くそ真面目そうな、くたびれた面接官に「入社1年目で、年収はいくらほしいですか?」と質問された。
周りの学生のほとんどが、「私は、年収はいくらでも構いません。まず何よりも先に技術が欲しいです」みたいなことをガチガチに緊張しながら答えていた。
内定をもらうために、くそ真面目なことをくそ真面目な面接官にくそ真面目な態度で答える。なんだか吹き出しそうだった。
嘘つき大会だとか、人狼とか、素直に答えたら評価されるとか、色々な就活論を目にするけど、結局自分が何やりたいか、何が欲しいかが重要で、人の目とか変に気にしすぎるとうまく力出せない気がする。
みんなくそ真面目だ。なんでそこまでして周りをキョロキョロするのだろうか。幼いころから、教員である両親に、不幸な人生を歩んでほしくないと、優等生みたいな生き方を押し付けられてきたけれど、不幸な人生ってなんだ?
お金がないと生きていけないとか、結婚できないとか、マイホーム買えないとか、よく言われるけど、正直どうでもいいんだよなあ…。
自分の幸せの在り方を人に言うとあまり理解してもらえない。かわいそうな無欲な奴とか言われたり、世間体がどうたらとか親に叱られて、正直めんどくさい。ネットに逃げても、若いうちは死ぬほど働けおけおじさんや、○○は止めとけおじさんが腐るほど目に付く。
家族向け社宅や住宅補助ってのも「安く住めるようにしてやるからお前ら結婚しろや」って事だし
独身向け社宅に年齢制限あったりするのも「追い出される前に結婚しろよ」って事だし
世帯主以外は補助なしってのも「補助やるのは男だけ、女にはやらん」って事だし
大抵結婚後数年経つとそれが無くなるのも「無くなるタイミングでマイホーム買えよ」って事だし
子供の扶養手当とかも「結婚したんだから子供作れよ?」って事だし
マイホーム買うと転勤になる&拒否すると出世ルート外れるのも「家のローンあったら辞められねーし出世出来なくなっても困るだろ?」
「これで嫁は仕事辞めざるを得ないから今後はますます辞められねーだろ?それに嫁が専業主婦なら育児は嫁丸投げでお前は深夜までこき使ってOKだしな」って事だし
もちろんマイホームからの長時間通勤・労働で疲れてるとか、ジェンダー的にケア労働は自分の仕事ではないと思ってるとかあるだろうけど、一番は「助けられた経験がない」からでは、と思う。
就活のとき、ストレスからか朝の満員電車で何回か倒れこんだんだけど、誰も助けてくれなくて愕然とした。
学校で倒れ込めば誰かが心配してくれたのに、誰も助けてくれない。席は譲ってくれないのに、モーゼかのごとく裂け目は何故か出来る。ゾッとした。
この話を東京は冷たいねー、みたいな話にしてたら、女性から「そう?」みたいな反応をされること多くて、成人男性だからかと後で気づいた。
だからって、冷たさの連鎖を続けたくないから、個人では頑張ってる。
男がー女がー言ってないで冷たさの連鎖とめてこ。
ついこの間、レクサスを買った。
レクサスと言えば高級車であり、高額車でもある。
自分が買った車も総額で600万円を超えた。
自分の中ではとても誇らしいし、納得しているし、満足もしているし、もう人生思い残すことはないなと思ってる。
人によっては「たかだか車で」とか「誰でも買える」と言う人もいるだろう。
色々な人がいるので、それに対して批判はしないし、そういう考え方や視点、世界観もあるなと思う。
ただ自分が知っている世界、見てきた世界では「誰でも買えない」し、「たかだかの範囲にはおさまらない車」だと思ってる。
もう20年以上前になるが、親が離婚してから一気に生活が変わってしまった。
平たくいえば、そこそこの中流家庭だったのに、一気に貧困家庭になってしまった。
さすがにホームレスとかはないけど電気、ガス、水道も止まることがあったし、生活保護を申請しようかという話もあったりした。
今でこそ日常的にニュースとかでも見るけど、インターネットもなかった当時は生活保護=落ちるところまで落ちたかと子供心に思うところがあった。(結局申請はしてないんだけど)
それからというもの、お金に厳しい生活は変わらず、大学入学で上京は果たせたけど、3ヶ月で退学前提の休学をせざるを得なくなってしまった。
大人になってからも、子供時代にそういう生活だったせいか、お金の使い方・お金の貯め方が身についておらず、散財ばかりを繰り返してしまった。
今ではそんなことはないんだけど、やはり子供の時の生活環境が一変する出来事が原因だろうとは思ってる、破滅的というか。
なぜレクサスなのか、個人的には"高級車"であればベンツでもBMWでもこだわりはなかった。
親が離婚する前、父親が乗っていたBMWを自分もとても気に入っていて、没落してからも「いつかは親を超えたい」とか「いつかは高級車を」ってずっと思ってた。
とはいえもういい大人になったので、リセールだとか車以外のお金だとか、ディーラーの対応がとか色々考慮してレクサスを買った。
上の方にも書いたけど、大学も行けなかったし破滅的な生活をしていたので、家を買うとか高級車を買うとかとても考えられなかった。
そして"高級車"も購入した。
自分の人生を完成させるには、家と高級車を買って所持することがとても大事だったし、無理だろうと思っていたけど叶えたかった。
昔親が離婚して落ちぶれてしまった時に非常に悔しい思いをしたから、その時の自分に復讐をするためにどうしても必要だった。
なぜ「復讐」という言葉が出てくるのか分からないんだけど、なぜかその言葉が出てくる。
裕福な生活からみじめな生活になってしまったので、裕福な生活を羨んでいるから「復讐」という言葉が出てくるのかもしれない。
わからない。
まだ30代半ばで子供もいるけど、正直もうあまり思い残すことはない。
そうはいっても、多分死ぬことになったらきっと後悔はするんだろうけど。。
とても満足してる。