はてなキーワード: ベルトコンベアとは
行ってみて驚いたのだが最近の美術館は写真撮影可能な作品が幾つかあって、それらの作品の脇にはカメラのマークがついてた
それから絵画ってここまで近付いて鑑賞しても大丈夫ですよっていうラインが引かれてるんだけど、そこを乗り越えて絵画を指さしながら隣の彼女に何やら説明してるアカン奴もいた
あとこれはマナーっていうか面白い現象だったんだけど、入口に入ったらお客さんが一列に並んでベルトコンベア式に絵画を観て回ってたんだよね
だから俺もその列に加わったんだけど、警備員の人から「お好きな様にご観覧ください」って声かけられたんだよね
つまり美術館側としては整列して順々に鑑賞していく方式を想定してないんだけど、何故かみんな列を成してしまうという現象が起きてたみたいで、それが面白かった
俺自身思わず列に加わってしまった様に、日本人ってなんか整列したがる癖でもあるんかね
ちなみにブルターニュ展の絵画の中では黒田清輝の「ブレハの少女」っていう作品が1番印象に残った
少女というより老女に見えた
あのさ、
先日某マクドナルドで朝たまーに行って溜まってる新聞を読むときがあって、
席番号を入れたら持ってきてくれる注文の仕組みになっている有様じゃない。
いちいち店員さんに気を遣わなくていいので
朝マックはさ10時30分までのタイム的なリミットのタイムリミットがあるの。
張り切って注文したら、
ただいまメニューを切り替えてるからゴメン朝マック注文できないよーって出てきたのね。
私が余計な飛び込み前転をしなければもしかしたらその時間で本当に間に合ったかも知れない朝マックだったのよ。
でさ、
通常の昼マックにしようかなーって思って注文したの。
坦々ダブルビーフをセットでダブルピースをしながら注文したんだけど
私間違ったのかな?ってレシートのメールで届いた内容もちゃんと坦々ダブルビーフをセットになっていたの。
私はそれをかざしてダブルピースで店員さんに間違ってますよ!って
まあ別にいっかーって差額の50円とかせっかくの坦々ダブルビーフの口になっていたのに!とかはあんまり細かくは思わなかったけど、
どういうプロセスで間違えるのかしら?間違ったのかしら?そこはヒューマンエラーの溜まり場なのかしら?って
ネット経由で注文して中の厨房のベルトコンベアで坦々ダブルビーフをセットのレーンが自動的にやって来るわけではないでしょ?それなんてファクトリーオートメーションのインスパイヤザネクスト!って思うんだけど、
食材とかピックとか組合せとか調理とかは人がやってくれるじゃない、
データの列がズレてその注文したタイトルは坦々ダブルビーフだけど、
でもさー
どう考えてもエクセルの列が地層の断層みたいに斜めにずれたような感じで突如ズレるってことはエクセルそんなことあるのかしら?って
そうとしか考えられない内部のデーターベースのデーターがズレたとしか考えられない可能性はゼロではないけど、
うーん、
ここは勘違いかヒューマンエラーなのかしら?って思い込みの先の私に届いた油淋鶏チキンだったのかしらね?
あれこれ注文間違ってますよ!っておもったけど、
よくよく発券機をハッキリきっかり張り切って見て確認してみたら
私がうどんのボタンだと思っていたボタンは間違いなく蕎麦ボタンだったわ。
私が勘違いしてそれをなんかの無意識の意識の領域の時に押してうどん!うどん!うどん!って頭の中ではイメージしていたところに何も見ずのほぼノールック食券機オーダータッチ注文で蕎麦だって事に気が付かなかったのかも知れなかったのよね。
あとで見返してみたら、
これ私の勝手な思い込みのうどん恋しやロンリーハートでいつまでもうどんを求めている人みたいじゃない。
なぜ私が確かに今度は間違いなく頼んだ坦々ダブルビーフのセットが
油淋鶏チキンセットにしてやってきたのかは定かではないのは確かだけど
今度はちゃんと笑顔でダブルピースで坦々ダブルビーフをセットで再度注文チャレンジしてみよう!って思ったわ。
でもさ、
即座に注文間違ってます!って言えるほどの正解率をイントロドンの曲のイントロクイズのイントロのカンマ3秒ぐらいでまだ音が鳴ってない感じの時のイントロで正解するミッツ・マングローブさん的な早押し名人イントロの達人いるじゃない、
それ級にやってきた坦々ダブルビーフのパッケージは青い包み紙の思いっ切り油淋鶏チキン!って書いてあることに気付くまで3分ぐらいかかったから
たしかにマクドナルドの注文でも負けてしまった感はあるわよね。
気付いたときは時すでにお鮨よ。
結局謎は解けなかったけど、
私はまた諦めずに
また昼マックのチャンスがある際にはダブルピースでご機嫌さんに坦々ダブルビーフのセットを注文したいと思うし、
そのあかつきにはちゃんと今度は油淋鶏チキンじゃなくて坦々ダブルビーフがくることを期待するわ。
ちゃんと坦々ダブルビーフがきたら本当にダブルピースでニッコリよね。
うふふ。
これはオーダーちゃんと間違いなくというか自分で手に取った物だから間違いようがないんだけど、
本当にたまにノールックでおにぎりコーナーを勘で鮭だと思って食べたら梅だったって言う
赤いモチーフをかすかに横目で見て勘で鮭だと思ったら梅だったときはあるわね。
朝の元気よ!
ここ最近こればっかだけど
まあ果物買ってきてないストックがピンクグレープフルーツないので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
スプラトゥーン3のフェスのヨビ祭が朝からと思って張り切って挑んだら
仕方が無いので、
それまでおでんを仕込むことにします例の1か月育てて鍋のルーシーがかなり強くなってるおでんの。
そんでせっかくだからって
お出掛けしてお買い物
これでお正月年末年始のハイボールとかが捗るってもんじゃない。
もう朝遅い時間だし、
ラッキー!
また一つ年末までに有終の美を重ね飾ることが出来たわ。
にしても、
違うフロアは本当によその知らない会社だし下の通用口の守衛さんはいつものようにいるものの挨拶して入ってってはいつもの感じ。
さすがにこの時期の年末年始だと人の気配は少ないわね。
誰もいない事務所のこのフロアは寒すぎて私は早く事務所の仕事と言っても今日はほぼないので、
この電子端末の前に来ただけとは言わないけれど、
そうそうに温かく温まって
銭湯情報も年末年始インターネッツで発表しているところはいいけど、
もう1つのところは実際に現地に行かないと営業してるか年末年始の営業状況分からないのよね。
以前それで行ったにもかかわらず営業してなかった!ってこと2回も喰らったのよ。
おでんの具材のスターティングメンバーをそろえて夕方に挑むわ。
よくさ、
都市伝説で
ってあるじゃない。
私がもしその権利があるとしたなら
さすがにおでんはゲーム中に手掴みで手を汚さずに食べられるというわけではない、
私が言う街を闊歩しながら片手で持ち歩いて食べられるニューヨークスタイルとは完全に様子は違うけれど、
超簡単じゃない?
完成まで何も手を加えることがなく、
もう仕上がったここ1か月で鍛え上げたおでんのベーナーのルーシーはかなり強まっているところよ。
だからこれはもうスプラトゥーン3のお共にピッタリなわけなのよ。
ここまで今シーズンおでん引っ張るだなんて私も思いも寄らなかった誤算で
晩ご飯とか面倒くさいから準備する時間もと思っていた矢先だったので、
これはもう本当に自動的に鍋に入れたらなんでもおでんになってしまう
ペキカンなこのおでんのルーシーは育てた甲斐があったってもんよね。
あとはもう!、
どんどん好きな具材を鍋の積載容量いっぱいまでどんどん入れていけば、
ファクトリーオートメーションの極みよ。
仕組み化か肝心要よね!
あれをもっと巨大化して
もちろんあの早さでは具に美味しいのが染み込まないので、
牛の歩み寄りももっと遅い感じの水流で
そう言ったおでんプール長ーいのを始点から終点まで到達したら自動的におでんが仕上がっちゃう感じの量産体制のベルトコンベア的な
まあそれは冗談として、
その規模のおでんもありえるわけなのよ。
サンドイッチ作りたいだけでポケモン買うのはさすがにしないけれども、
おでんにはそれが足りないというか、
逆に言えばおでんのルーシーの熱の具の染み具合の流体力学的なやつ?
積む要素が無いから煮る要素だけでは
ちびっ子にグッとこないのかも知れないポイントだわ。
あと私には
今年本当の最後の最後まで有終の美をあと幾つ飾ることができるかの
有終の美チャレンジがあるので、
うふふ。
また朝ご飯も昼ご飯も食べていない感じのこんな休日モードでどーも!って感じね。
何事にも!
それよか
あまりにも寒すぎるわ。
みんなも寒いの気を付けて。
今年も1年またありがとうございます!
どうぞよろしく!
よい年末年始を!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もう5年も前になるのか、死ぬまでにあと1回は海外行きたいねー
留学先でもぼっちだったから、休日も誰かと遊びの予定を入れることもなく、
大学内に走る川(日本と違って川幅がめちゃくちゃ広い!川というより海)がどこまで続いているか歩いて追ったり、
ホストファミリーの近所を(迷子にならないよう直線で)徒歩で行けるところまで歩いたりしたなぁ。
川を下る?上る?方は、最終的に湿原みたいなところに出て、結構足元がぬかるんでいたので引き返した。
日本の土手とは違って、川と陸地に高低差があまりなかった記憶。今思えば少し危険だったかも。
英語とフランス語の2言語だけでコミュニケーションを取る大変さが大きな刺激になった。
日本人は自分ひとりだけだったけど、フランスからの留学生も現地の学生もめちゃめちゃ優しくて感動した。
自然とパーソナルスペース取っちゃって、1席空けて座ったらちょっとショックな表情を瞬間的にされたのが
悪いことしちゃったなーと後々思った(多分、外国人だから避けられた、みたいに受け取られたんだろう)。
There's no reason, just only Japanese people are shy.
Il n'y a aucune raison, juste les japonais sont trop timides.
とでも咄嗟に言えたら良かったんだけどね~。
現地の学生と留学生とで交流会が開かれるってことでパブに行ったけど、
日本人留学生ばっかりで現地の学生が少ないし、陽キャ・パリピなノリがきつくて
早速交流会に来たことを後悔して、一人お通夜ムードで死んだ顔してたら
現地在住の日本人講師(いるもんだねぇ!)が機転を利かせてくれて、同じように
パーティーの雰囲気に馴染めない学生のグループ(といっても2人だけ)に混ぜてくれてマジ感謝。
別の大学から来ている日本人男子学生、(あとで分かったことだけどアメリカ→日本→西ヨーロッパの2重留学?)アメリカから留学してきたアメリカ人女学生の
3人と1時間くらいだけだったけど、ゆるーくネガティブトークしたのが本当に楽しかった。
こういうパーティーの雰囲気好きじゃないんだよねーとか、騒がしいところよりもこうして静かに語り合う方が好きだとか、初めて波長の合う人間と語り合えた。
加えて女性と初めて(過言)まともに雑談出来たのが国外ってのも皮肉な話だねぇ…。
現地在住の日本人講師に情報を教えてもらったけど、あの二人とは二度と会うことはないだろう。
覚えたたてだと使いたくなるのは英語も同じで、日々の課題で英語日記を書くんだけど
"blunder"使ったら翌日の授業中、教室の外に一人呼び出されてめちゃくちゃ心配された(su○cideを疑われた)のを覚えている。
大失敗のニュアンスがどの程度かちゃんと把握してなかったのが悪いんだけど、
「取り返しのつかない過ち」くらいのニュアンスとして受け取られたのは凄く驚いたね。
just a heart breakって答えて事なきを得たんだけど。
ホストファミリーがお昼ご飯(といっても結構軽食)に付けてくれた
チョコレートバー(Aldi Belmont Biscuit Seal Bars)が物凄くジャンキーで美味しくて
これどこで買ったの?って聞いて休日スーパーに買いに行ったのも思い出。
流石海外、休日に車でまとめ買いするから、店内はめちゃくちゃ広いし、レジはベルトコンベア方式。感動したね。
外国人が一人店内をきょろきょろして、長時間滞在にもかかわらずちょっとだけしか品物を買わないってのが、
冷静に考えたら「万引きに疑われたらどうしよう」って不安になったのもある意味思い出。
監視カメラあるだろうし、レジで堂々としていれば大丈夫。万が一万引きを疑われても、リュックの中身を全て見せれば問題ないって決心したが。
結局、Seal Barsパック入り1袋と切らしちゃった歯磨き粉(留学期間がそんなに長くなかったので、どれを買うか非常に迷った。どれも量が多すぎる)を買った。
歯磨き粉は塩入りの安っちいやつなんだけど、帰国後に家族内で話題に出来て楽しかった。
お菓子と言えばほかに、学内にあったスターバックス(といっても日本のとは全く異なる。商品だけの店舗)で
食べた紅茶のチョコケーキ、観光先で食べたアイス(かなり高いけど見た目も味も完璧)も良かった。
5年経って英語ほとんど使えなくなっちゃったけど、あと1回だけでも海外(ヨーロッパ圏、同じ国でも違う国でも)行きたいね・・・。
「感情に振り回されている」とはよく言われる言葉だ。しかし現代人はむしろ、無感情に振り回されている。
感情に振り回されるのが良くないように、無感情に振り回されることも同じくらい、ダメなことなのだ。
DXは人の感情を数値化し、適切にアプローチできるシステムを作り上げた。ガッツで回っていた営業は、今やシステムの奴隷となり、営業マンは無感情にそのシステムの手先となる。
パワハラに人事は厳しくなり、感情は病気だといわんばかりに、感情的になった人間は会社から排除されるようになった。
1つ1つを見れば、実際は素晴らしいことだ。ゴマすりや口先だけの社会派消えて、権力者の感情によって人の人生が壊されることも少なくなった。
自分らしい目標、自分らしい感情を持って働けるようになった、はずだった。
しかし現代人は本当に、自由でのびのびとした生活を送れるようになったのだろうか?
かつてクリエイティブと呼ばれていた職業は、数字に従う奴隷に成り下がった。今や感情や表現を商品として売れるのは、一部の天才の特権だ。
多くの職業で、「正解」が見えるようになり、僕らはただ数字を重ねるだけの機械になった。まるでベルトコンベアで包装されるのを待つパンのように、
自分の職業がいつしかAIに置き換わるのを待つだけの、ともすれば無意味に感じる人生を送るようになってしまった。
現代では、感情を排し、合理的な判断を下すことが重要視されている。感情を表現して褒められたり肯定されることはなくなった。
ただ虚ろな目で、ただ正解の行動をし、期待値が低ければ挑戦をやめ、生ぬるい不幸感に浸りながら緩やかな自殺を送る人間のなんと多いことか。
アニメで主人公が怒る理由が理解できない、どこか茶番に感じる、なぜ人が人を好きになるのかわからない。
アニメを見るのをやめ、人と関わるのをやめ、夢を持つのを辞めた。
現代人は「無感情に振り回されている」。無感情も感情の1つだ。感情は行動を変え、自分の人生を形作る。
僕らは無感情に振り回されて、人としての人生をスポイルしてるんじゃないか。
せめて、笑いたい時は笑おう。泣きたい時は泣こう。会いたいと思ったら会おう。時には感情のままに動こう。
もうベルトコンベアに載せておけばよくね?