はてなキーワード: ヘイト発言とは
スレミオ:本編での結婚を祝福し創作を続けている人もいれば、「スレミオ大勝利」宣言してグエスレ民の悲鳴ツイートを晒して嘲笑したりする攻撃的な無産もいる。クラスタの人数が多いため、害悪オタの人数もそれなりにいる。
グエスレ:前から同性愛ヘイター・ミオリネアンチが多いクラスタではあったが、最終回でスレミオが結婚してから激化。本編を無視してグエスレ成立if時空の創作を続けている人もいるけど、グエスレ創作をRTしながら本編や「百合豚」への呪詛を吐き散らし続ける人も多い。本編でスレッタからグエルへの恋愛的関心が皆無であり、エラスレやシャディミオと違って成立可能性がまったく無かったため、同性愛蔑視とミオリネ叩きくらいしか本編に対して言えることが無くなっている。「本編は地雷なので観ません」宣言する人も。害悪スレミオ民から最も喧嘩を売られ攻撃されているクラスタだが、グエスレ民からスレミオにもしょっちゅう喧嘩売ってるので、どっちもどっちに見える。
エラスレ:グエスレほど同性愛ヘイターが目立たない(どうしてグエスレとエラスレでこれだけ差があるのだろう?)。4号生存if時空の創作を続けている人が多く、スレミオ民との殴り合い頻度もグエスレよりは低い。ミオリネアンチして晒されたエラスレ民はいた。4号×スレッタ完全固定派が4・5・様×スレッタの同一顔面逆ハーレム派を受け入れられないエラスレ内輪の中のギクシャクのほうが目に付く。本編で5号がノレアに行ったとき「5ノレいいね」となった派閥と、エラン顔は全員スレッタのものであってほしいというスレッタ棒ビュッフェ派閥の間でも利害が不一致となり、エラスレ=4スレのみだった頃からの相互フォローエランクラスタ内でもギクシャクした。
シャディミオ:シャディミオメインのCP厨は水星ファンダムが壮絶なシャディク叩きムードだったときにも耐えてきた歴戦の猛者なので、ミオリネが結婚したくらいで折れることはなくシャディミオ成立if時空の創作を続けている。グエスレにとってミオリネが邪魔なので邪魔者処理としてシャディクとくっつけようとするサブCP需要がシャディミオにはあり、シャディクやミオリネのキャラ理解が曖昧な創作が投稿される。シャディミオメイン推しの人と、邪魔者処理のサブCPの人とでは熱量が違うので結構露骨に創作物にキャラへの興味の無さが漏れ出てしまってて笑える。シャディミオメインの民はエラスレ民同様、同性愛ヘイト発言はせず粛々とシャディミオ解釈に向き合っている傾向にある。
ラウグエ:最終回の1話前でお祭り騒ぎして、最終回でお通夜。グエスレ民がミオリネアンチするのに比べると、ペトラは発言量・尺が少なすぎて短所を晒し上げる余地すらないからか、ペトラアンチ化したラウグエ民は少ない。そのかわり運営叩き、脚本叩き、脚本家への誹謗中傷、「同性愛ヘイトの上層部の圧力がかかってラウグエ成立が妨害され異性愛に変更された」などの陰謀論に走る人が複数みられた。
追記。「外れ値」の意味が分かってない人が13名ほどいらっしゃいました。はてなの知的レベル低すぎでは?
例:「外れ値でも議員会館借りれたり弁護士7人も協力してくれるのなら本筋はどれだけ権力強いんだ…?」(キリッ)・・・・・・これ笑えばいいんですか?
フェミニストではないとは言わないけど、彼女を標準にしないでほしい。
仁藤さんは標準的なフェミニストではなくて「自分と似たような環境で過ごした若年女性を救いたいだけ」「性産業で働いてる女性に対して並々ならぬ憎悪を抱いてる(自分の正義の邪魔になるから)」の人です。この人おじさんだけじゃなくておばさんに対しても攻撃的です。標準的なフェミニストではありません。一部のフェミニストが都合がいいから仲間扱いしてるだけです。
もともとは女性を守りたいっていう気持ちがあったんでしょうが、今では「これだけ頑張ってるのに、自らすすんでAVとかに出演する女とかが男の味方をするから駄目なんだ。AV女優なんて職を失えばいいんだ」的なノリになってしまっているように感じます。とても女性の尊厳とか自由を守ろうとしているようには見えません。標準的なフェミニストではありません。
仁藤さんに連帯している北原さんはもっと極端で、この人はアダルトショップ「ラブピースクラブ」を経営していますがトランスに対しては強烈なヘイト発言を繰り返しています。いわゆるターフ?というやつです。
https://twitter.com/lunuladiary/status/1613020760100175872
このアカウントはセックスワーク叩きばかりしてる。トランス&セックスワーク叩きが主力であり、本質はミサンドリー・保守おばさんです。むしろフェミニズムの対局的な存在です。
そもそもColaboはNPOではないし、仁藤さんはフェミニストとしては「外れ値」の存在です。
アンチフェミの人たちがColaboをたたくことは別に否定しませんが、
調子に乗って他のNPOやフェミニストまで叩く材料にしているのはひどいと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20230112202821
あの……その時も同じこと書いたんですけど。
ついでにいうと宇崎ちゃんの時にも「この人たちはフェミニストじゃない」って同じこと書いてるんですけど。
その時ははてなブックマークの方々にたたかれまくって記事消したんですけど……。
はてなブックマークの人って鳥頭だしその時強い側の意見を真似するだけのサルしかいないから自分がなに書いたかすぐ忘れるんですよね。
・コラボなどの女性支援団体が公的機関のバックアップを多大に受けたり行政や立法に関与したりしてる件
・自民党がカルト宗教である統一教会との関係をいまだに精算してない件
他にもいろいろあるんだろうけど卑近な例として三つほど挙げてみた
これら全部に共通してるのは、持ち上げる側(東京都、自民党、朝日新聞)の選定眼というか、こいつはちょっとヤバいから撥ねとけ、みたいなフィルタリングが機能してない点なんだと思う
俺の親類に自民党の地方議員やってる人がいるんだけど、数年前にその人が統一教会系の団体の催しに出席したことがあったのね
俺はその人に「あれは統一教会系だから距離を取った方がいい」と伝えたことがあったんだけど、まあ案の定全く理解して貰えなかった
その人曰わく「あの団体は慈善活動を特別熱心にやってるし多額の寄付も欠かさない、素晴らしい団体だ」と
で、昨年安倍総理が銃撃された事件後しばらくしてその人と話す機会があった
その人は「統一教会ってそんなに嫌われていたのか」とショックを受けてた
なんかね、判断基準が古いというか、その古さを脆弱性として相手から付け込まれてるというか「良いことをしてるかどうか」だけでフィルター機能の判定が終わっちゃってるっぽいんだよね
その人に、統一教会の過去の所業をまとめたサイトをいくつか見せたんだけど、その人マジでプログラムのバグのように固まってしまってたよ
「好意的につきあうべき」と「批判的に接するべき」が同時に発生して、脳がフリーズしたんだと思う
コラボの件にしても、代表者の常日頃からの攻撃的な言動やヘイト発言の数々が東京都の担当部署の判定のパラメーターに取り込まれてないんだと思う
たぶん「良いことをしてるから」だけでもろもろのフィルター機能全部通過しちゃってるんじゃないかな
だからこれから求められるのは、東京都や自民党といった大きくて公的な機関のフィルター機能をどのように改善していくか、なんだと思う
たとえば反社会的組織と交際したらコンプラ違反でペナルティ食らうとか、そういう仕組みにどのように落とし込んでいくか、なんじゃないかな
これほんとにキツいね
15330円のお店が実在するって特定したの「自称ファン」でしょ
そういう「自称ファン」の行き過ぎた行動が作者の背中撃ってるだけでしょ
自分もリアリティーショーとか嫌いだし残虐ショー見るのほんと秋田んで
こういうみんなで「親切にボコる」のって本当に趣味が悪いとおもう
こういう漫画としても駄作なのは「へえそのヒト知らないや」で見て見ないふりしてやって
ツイッターにヘイト発言で凍結させれるまえに消えさせてやるのが親切ってもんだよ
フォロワーがガクッと減ったら本人も気づくんだろうに、観察したがったりブロック複垢炎上でもっと増えたりするんでしょ
やっぱ侮辱罪は「自称ファンのウォッチ勢」(他の女もひどかったんでしょう?お気の毒に!もっとエピソードありませんか?って本人にDM凸で煽るやつ)にまず厳罰化するといいとおもう
真っ先に青いヒトあたりがつかまって世の中がきれいになるとおもうよ
西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年生まれで東京の僻地でぬくぬく生まれ育った軟弱な人間。
今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。
西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。
私はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフでお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。
話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。
中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原の漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。
尚、36歳現在、麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。
その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルとかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。
私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかもお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。
尚、36歳現在、海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。
病気で高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。
「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒な西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女の人生に思いを馳せたりもした。
その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期で学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。
もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。
そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子 大ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物の書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイムで西原を追いはじめた。この頃はまだせどりも可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。
少しそれるが、西原の漫画はコミックというより書籍扱いなので一般的な漫画よりページ数が少なく、高い。
なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。
なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。
加えて、2002年で新聞連載をはじめると、必然的に家族の話題が中心になる。
私は西原を作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原の漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。
そうなんだ。西原は漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女は漫画を描けなくなってしまう気がする。
そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。
そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。
私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。
それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。
「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」
というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しかも絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議。
更にだんだんと文化人枠に入っていくのも不思議なものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原は不思議な感じがした。だって、西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?
無頼派の新刊も、かっちゃんのマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。
そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。
しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。
西原の本に出てくる友達は男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。
それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。
そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。
親との確執、特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。
とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性器発言をかっちゃんに解決してもらうところはすごく悲しかった。
なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいたものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。
それでもまだまだ西原はアル中の鴨ちゃんを看取りシングルで子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージの媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。
とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。
私の中で、女性作家が若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。
(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性のロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性のロールモデルは種類が少なく画一的だからだろうと思っている)
結婚し子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味で西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。
でも私は病気で学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。
それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。
そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!
(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)
これ以降は別に私が書くことではない。
ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。
家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいから彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。
それはそれとして、西原ならこの騒動もあの手この手でマネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!
今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。
高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。
それでも、私は一時期確実に西原の漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。
なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日も行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい。
【追記】
男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性の友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性の意見だけども。
(そういう女性は男性にはいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性は好戦的なのがめんどい)
とりあえず愛ちゃんはアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。
とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。
まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。
【追記2】
作品のファンだったと思うのが健全で、作家のファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。
でも、西原をはじめとした自分の身の回りのノンフィクションやエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊なジャンルかなとも思う。
(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクションの作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)
そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品に昇華してしまいそうで怖いなと思っている。
(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)
【追記3】
今ざっくり自分の文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。
そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。
多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。
【追記4】
他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。
しかし新聞連載以降の作品のファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。
【追記5】
追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ち悪いからなんかもうええわ。
友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないから友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。
では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。
何度か男性の友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢の男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人を自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。
そういう男尊女卑の内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。
(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)
そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから。
本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性が男の子と女の子を産んだ場合、女の子にはどう接するだろうか。
ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身の母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。
それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。
自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。
【追記6】
私がこの文章で書きたかったことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。
なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメントで西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。
(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)
そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。
私は誰しもどこかに他人を差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分は絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。
だから、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。
【追記7】
差別が〜って言う人は西原の漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原の漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。
知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別、女性差別、弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性や専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。
(改めてこう書くと本当酷いな…)
もう本人の作品自体がミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別や問題発言の坩堝なのが西原理恵子の漫画だ。
(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)
ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。
私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。
(更に補足すると、彼女が差別する人間だからこちらも差別していいとかってそういう話ではない)
なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。
実際の西原の漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!
(ただし、合わない人には本当に合わない)
結局、何があっても私は西原理恵子の漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。
【 Permalink | 記事への反応(18) | 17:22
これでようやく表現の自由の大切さが少しはわかったんじゃねえの?知らんけど
他の連中もほかの場所ともかくはてブならどんなヘイト発言しても平気だと甘く見てただろ?
オタクがウマ娘公式にしたがって大人しくしてるのをバカにしてたけど今どんな気分?ねえどんな気分?
自分たちは公式に守られてると勘違いして自重しないことを自慢してたけど今どんな気分?
オタクたたきでちょっとでも過激な発言をしようとチキンレースしてきたけど、まさか今更ヒヨってるやついる?いねえよなあ!
これから書くことことは偏見とか差別だとか思われてもしょうがないかなって思います(もしそう感じたらごめんなさい)
ここ数年、リベラルの人たちが自分とは違う属性の人や反対派に対してヘイト発言や誹謗中傷をしてて怖いなと感じることが増えました
特定の政治家の難病について面白おかしく囃し立てたり、人の写真を燃やしたり、デマを持ち上げて科学的に根拠付けられたものより素晴らしいと標榜する人
絵や小説を書いている人を犯罪者扱いしたり、性別が異なるだけで危険人物だと大勢の人で叩いたりする人もよく見かけます 日本人は生きていることが自体が罪なのだから、全世界に謝罪しなければいけないと言う人も見かけます
政治家だってSNSの匿名アカウントだって中に人がいます それに誰だって自由に生きる権利があると思うんです(他者の権利を犯さないという原則はあるけれど)
誰もが性別や国籍を問わず互いに尊重できる社会を目指すのがリベラルだと思っていたけど、実際やっていることが「逆」だと感じます
多分私はリベラルの人達からみたら「リベラルに対する差別主義者」で「名誉男性の犯罪者予備軍」で「生きている価値すらない人間」なんだと思います
文章がぐちゃぐちゃでごめんなさい
https://togetter.com/li/1745759
・関西人が自称標準語話者の話やテレビ等での関西弁の違和感の話を不用意にしてしまったのを見計らって返信をつけずに全体向けに複数の人間が関西ヘイト発言
・ヘイト発言に対して指摘されると関西人の特権意識や差別意識が悪いという理屈を持ち出しコメント欄でレスバ
・まとめ内容について話していた人がコメント欄の酷さに苦言を呈しているコメントが集まってきたところで最初の不用意な発言を持ち出して最初にヘイトを撒き散らしたのは関西人と主張
・人が減ったコメント欄で関西人に対しての差別的表現を交えながらまとめ内容に関係ない関東の方言の話を続けている
流れ酷すぎだろ……