はてなキーワード: プロスポーツとは
うちの家は大型商業施設まで歩いて5分という立地にある。総数300店舗以上を誇るのだから超大型商業施設と言ってもいいかもしれない。
しかもさらに超大型の公園施設まで併設されている。駐車場も施設すべてと近隣合わせれば2000台以上停められるらしいし、週末にはまた近くにあるプロスポーツの施設で試合をやったりしてることもある。
そんなところなんだが、この10連休はいつもの週末と比べても遜色ないくらいに人が来ている。土曜日の混雑具合じゃなくて日曜の混雑具合が毎日毎日続いている。道路事情もやばい。
施設に入ろうとする車がすべての駐車場の入口に溢れかえっている。高速道路の入口も近くにあるが、高速と商業施設に行く道路が一部重なっているせいで、高速に乗ろうするまでだけでも列の最後尾にまともに並べば1時間以上は掛かりそうな状態だ。
施設の中もすごい。店という店に人がいる。日曜に通りがかったときですら閑散としている程の服飾店舗ですら必ず人がいる。モスバーガーですら満員だ。うどん屋に入ろうとするだけで20人以上並ぶ必要があるなんて、個人的にはここ半年は見たこともなかった。正月でもこんなに人が来ていなかったと感じる。
温泉施設とバーベキュー場とパークゴルフ併設のところもそこから歩いて15分程度のところにあるんだが、帰りに通りがかった人が立ち寄ろうかと思うんだろう、そこも夕方満員だ。っていうか昼過ぎから満員だし、夜なんてサウナが埋まっている。
自分のようなあまり経済に関心がない人間でも、少し考えただけでこの10連休中の経済的な効果は半端ないんだろうなーと思う。
だからさ、なあ、日本に今必要なのは休日だってことが経済の数値データとしてもはっきりしたんじゃないかな?
それらと違って門戸広いわりに本当に文字通り教科書読めば、究極的には1年くらいで誰でもできるような仕事がホワイトなわけないでしょ、適正な市場原理
はてなやSNSで意識高いこと言ってる胡散臭いエンジニアが十何年も喚き散らしてる「IPAの国家資格なんて役に立たない」っていうののあれ
コンピュータ科学は難しいとか高度っていったって、IPAスキル4まで計画的な勉強時間取れば、はてなの意識高い系の主要層っぽい高卒や専門のバカだって運の要素を抜きにしたとしても、最短1年でとれるからな(前期APで午前免除でPMとか)
FEとかやたらバカにされてるけど、じゃあアンタFE持ってんの?ないなら今年取れるよね?簡単ならっていうと発狂して取り巻きファンネルでセコい叩き始めるでしょ、業界通のブロガーエンジニアとかw
ぶっちゃけて言えば、金にならないクソみたいな学問分野でも教養2年、専攻2年で4年学んで、研究して卒論だして、ようやく入り口に立てるくらいというのに、CSとか全然そんなことないっしょ?象牙の塔でやってるCSに関しては、そりゃ凄いと思うけど、在野のカスがいくら喚いたって、IT後進国なんだから、OSSなんて誰でも見れるようなコアコンピタンスでさえない技術を極めて、金になると思ってんの?
こういう構造に気が付かないと本質が見えてこないし、聞こえない見えない主語がでかいって不安感抱えて喚き続けた結果が、今のIT業界なの、おわかり?
子供の頃、「豚」と呼ばれていた。
小学校に入ってすぐ、いわゆるガキ大将風の男の子につけられたのだった。
太っていたわけでも、ブーブー言っていたわけでもない、ただ、ブスだったのだ。
自分の通っていた保育園には攻撃的な男の子がいなかったこともあり、こんな人がいるのか!というショックが大きかった。
あっという間にクラス中の男の子に「豚」と呼ばれるようになった。
中学に入った。
いくつかの小学校から集まる中学だったので、この嫌なあだ名も終わりかなと期待を抱いていた。
入学して数週間も経たぬうちに、また「豚」と呼ばれ始めた。
他のクラスの男の子が吹聴し、それを部活で聞いた子から子へと、あっという間に広がってしまった。
勉強も運動もできたし、家も裕福な方だった。(どれも、平均よりかは...の程度だが)
それが自分を少し傲慢にさせていたのかもしれない。いくらからかわれても、私は強気だった。
私を「豚」と呼ぶのは、ちょっと悪めの目立つタイプの男子たちだった。
「豚」は「養豚」「家畜」「豚足」とバリエーションを増やした。家の前で「豚死ね!!」と叫ばれたこともあった。
理解のある友人と、自分を評価してくれる家族のおかげで、あんまり重く受け止めないでいられた。
むしろ、「あいつらにとって私はそれほどの脅威なのか」などと思っていた。
でも心の底では「私の外見は人より格段に劣る」という潜在意識が募っていったように思う。
「顔がでかい」「髪型がださい」「足が太い」「目が細い」「鼻がでかい」
思春期には、なかなか受け止めきれない指摘だった。
自分がみじめな反応をしたら、それこそみじめだと思った。傷付いてみせるのはかっこ悪いと思った。
だから、気にしていないふりをした。
「豚死ね」と言われても、「は?成績わるいオメーが死ねよ」と返していた。(今思えば、頭の悪い反応であった。)
当然だが、そういう態度の人間を守ろうと思う人は少ない。
先生も、同じクラスの子たちも、かばってはくれなかった。私がどれだけ暴言を吐かれようとヘラヘラしている同級生や先生に怒りが募った。
そんな時、他のクラスにいながらもいつも支えてくれた友人たちとは、今でも仲良くしている。感謝しかない。
高校大学は、出身校からの進学は自分1人という状況だったので「豚」は無事に卒業できた。
それでも夏の夜には「豚死ね!!」と外から聞こえてくることがあった。
私を「豚」と呼んでいた男の子たちの中にはプロスポーツ選手になったり、ある分野での有名人になった人もいる。
今どう思っているんだろう。思い出しもしないのかな。
自分の子供や、奥さんが「豚」って呼ばれたらって、考えたりすることはあるのかな。
もう中学を卒業して20年近くたつのに、いまだにはらわたが煮えくりかえる夜もある。
なんで時々こんなに思い出すかというと、いまだにおふざけで「豚」と呼ばれることがあるからだ。
今でも親しくしている友人たちからだ。彼らに悪意は全くない。当時も今も、ずっと私の味方でいてくれる尊敬できる友人たち。
でも、やっぱり私は少し傷付いてしまうことに気付いた。
あの時、中学生の時、あんまり傷付いたそぶりを見せなかったことを後悔する。
今でもやっぱりチクチク刺さる。こんな言葉で傷付かないわけがない。そう想像されないことも少し悲しい。
特に、友達の恋人や旦那さん、かわいい子供たちの声で「豚〜」と呼ばれると、込み上げるものがある。
言われる側の人間の気持ちは、言う側にはわからない。きっとこれからも、自分みたいに傷付けられる子供たちはいるんだ、と思ってしまう。
テレビのお笑いも、なにもかも、全部地続きに自分のような子への暴言に繋がっているのだろうと思えてしまう。フっと急に悲しくなってしまう。
冬休みみたいにのんびりした時間があると、ついついそこばかり拾っては思い出してしまうね。
いまさら友人たちに、そう伝えるのはいつもの軽口を興ざめさせるようで気が引けてしまうので、ここに書いてみた。
私だってきっと誰かを傷付ける瞬間があるよね。
おやすみなさい。
美談にするな!ルール改正!とか言ってる引きこもりが多いけど、
プロスポーツの競技部分に曖昧さ入れたら、あっという間に崩壊するんだよ。今回だってチームは棄権決定してたけど、併走してないから対応遅れたの。美談とか根性論じゃない。運営の判断でとかいうバカも居るけど、それなら運営に金持たせてライバルを止めてしまえば良いよね。ミスでした言ってもレースはボロボロになるから
選手が棄権する勇気とか言うけど、別に趣味のマラソン大会じゃなくて実業団のプロのレース。これが給料に対する仕事。なんか足痛いわ~棄権で来年がないかもしれない。なので選手ではなくチームが対応を考える。何度も言うけどチームは棄権を決めてた
正直、昨日も熱中症を起こすほどの天気ではなかったけど、ここ1週間の天気と気温の乱高下は体調崩すには充分な要因だったと思う。治りたての選手出すにはきつかったかも、そこは完全にチームのミス。でも、別チームだけど折返し間違いするほどの熱中症ってのは無いわ。選手の体調管理レベル
夏の甲子園“投手ぶっ壊しコロシアム”の解体方法──スポーツとしては時代遅れ、教育としてもデタラメ
ピッチスマートでは17~18歳は105球を上限とされているが、100球ちょっとで9回を完投できることはさほどない。よって継投を余儀なくされる。そうすると、2番手投手の力が劣るチームは不利となる。
ただ、日程に余裕をもたせる提案も、抜本的な解決にはほど遠い。そもそもトーナメント戦で一発勝負であることが、野球というスポーツにはそぐわない。プロスポーツで優勝者の勝率がもっとも低いのは、6割程度の野球だと言われている。10回やって4回負けるチームが優勝する。これは試合数の多さも関係しているが、運に左右される傾向があることも意味している。高校野球ファンとプロ野球ファンがかならずしも重ならないのはこのためだ。
一発勝負の勝ち抜きトーナメントだと、強いチームの思わぬ不調や弱小チームのまぐれなんかで、弱小チームが勝って強豪チームが負ける番狂わせが起きることがある。それを嫌って、長期的な勝ち負けの記録を積み重ねて成績を決めよう、というのがリーグ戦だ。
この2つはどちらが悪いわけでもなく、単なる設計思想の違いである。実力が明らかに格下の相手に偶然が重なってたまたま負けてしまったばかりに大会敗退を余儀なくされた強豪からすればリーグ戦の方がありがたいだろうし、わざわざスタジアムまで足を運んでチケット代を払ったのにやる気のない消化試合を見せられた観客からすればトーナメント戦のドラマ性に魅力を感じることだろう(サッカーW杯のポーランド戦は記憶に新しい)。
そう、選手層が薄いチームにとって有利なのはトーナメント戦であり、選手層が厚いチームにとって有利なのはリーグ戦なのだ。
別にどちらを支持しようともそれ自体では何の問題でもないが、継投制限をするなら選手層が薄いチームにとって不利になる、という主張と、トーナメント批判を同一人物が同じ記事で行っているのは理解に苦しむ。
球数制限を課し、リーグ戦を導入したならば、選手の健康は守られるかもしれないが、選手層の厚い私立高がますます有利になり、甲子園に出てくるのは「プロ部活」ばかりになるだろう。
逆に球数制限を課さず、トーナメント方式を維持するならば、選手には大きな負担がかかるかもしれないが、選手層が薄くとも一発逆転の目があることになり、「昭和の野球」が勝ち進む余地が生まれてくるだろう。今回の金石農業のように。
球数制限も試合方式も、それぞれは独立したオプションのように見えるかもしれないし、実際ある種の人にとってはそうだろう。それは、どのようなチームが有利になるのが望ましいのか、という視点を持たない人だ。その視点を持たないならば両者は別々のオプションとして扱って美味しいとこ取りをして何ら問題あるまい。
しかし、「選手の獲得や育成にお金をかけられる私立高ばかりが有利になるのが本当に望ましいのか」という問いを立てるならば話は別だ。そのような視点から語ろうとするならば、球数制限と試合方式は切り離せないセット販売だ。
もしも「球数制限を課し、リーグ戦を導入」というセットを購入すると決めたなら、自動的に言うべきことも決まるはずだ。「プロ部活が有利になってしまうという批判があるが、それは仕方ない。都市部の私立高が勝ち進み、地方の公立校が早々に敗退するような制度を支持する」
なのに、そのセットを購入すると表明しておきながら、選手層の薄い学校には酷だ、なんて同じ記事で言うのは理解できない。都会のスマートな自由主義か、田舎の泥臭い平等主義か、どちらを支持するのかハッキリしてほしい。
「人の役に立つ」とか「夢を与える」って彼らは言うけど、本当にあるべき形はアレじゃないと思うんだよね。
ベーブ・ルースは手術を嫌がる子供にホームランしか約束できなかったけど、もしもアレが医者や研究者だったらもっと成功率が高くてリハビリも簡単な手術を生み出すことを約束できたんじゃないかな。
確かに、今すぐ現実の苦しみを根性論で乗り越えるのにはスポーツの方が役に立つのかも知れない。
社会や人生に希望を持たせられるのは、社会の発展に貢献できる人種だよ。
スポーツマンなんかじゃない。
スポーツマンは世の中に面白おかしいことを提供できるけど、それが社会を発展させることはないよ。
今の世の中は本当に社会に貢献している人をないがしろにしすぎだと思う。
野球選手より近所のコンビニでバイトしてるオッサンの方がずっと役に立ってるよ。
便所をキレイに掃除してくれるオバチャンの方がずっと皆を幸せにしてるよ。
そういう人達がさ、ただただ乱雑さで使い潰されて、社会に自分の居場所が有るのかないのか悩まなきゃいけない世の中は間違ってるよ。