はてなキーワード: プロスポーツとは
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
どうか、人の人生をなんとも思っていないクソ企業にまともに人が集まらず、人事が苦しんで苦しみ抜いてバッタバッタと倒産しまくりますように。
コメント拝読させていただいております。賛否両論あるようで、共感いただけるかた、いただけないかた様々なようです。いくつか共通する提案や質問があったので回答させていただきます。
■車を買ってはどうか
この質問とても多かったですね。ですが、車を買ってしまうと少なくとも数年は田舎に居住することを自分の中で追認してしまう気がして買っていません。
なので、転勤の引っ越し先も工場から徒歩30分ほどの場所にアパート借りています。なお東京に住んでいる時は親の車を借りたりレンタカー使ったりしていました。免許自体は持っています。
田舎で数か月勤務して東京の実家に戻った時の衝撃があまりにも強く、「これ以上田舎で生活するのは無理だ」と白旗を上げたので車は今後も買う気はありません。
すみません、訂正させてください。一番近い新幹線駅に繋がっている最寄り駅まで数kmですね。
新幹線駅までの距離はちゃんと測っていないですが、20km離れているほどではないので数km~十数kmの間です。
地方の田舎、という言葉が聞く人によってだいぶイメージが違うんだなと実感しています。観光でしか行ったことはありませんが大阪、名古屋、仙台あたりの地方都市に住んでいれば
今回みたいな田舎の絶望は無かったと思います。少なくともそれらの地方都市は東京郊外に匹敵する人の往来や活発さがあると思うので。
新幹線に乗って、田んぼだらけの眠くなる景色にたま~に見える工場、そこに自分が勤めるとしたらどういう生活になるだろう、というのをイメージしていただければと思います。
ずっと東京に住んでいた身としては、首都以外の都市は全て地方都市だという認識でした。
こんな形でクラブの名前が出るのが悲しいが、今回のクラブの対応はとうてい理解できない。
債務超過の報道があった時には、戦力を手放すことになり、下のカテゴリーからやり直すことになっても、今度は地道に下部組織から育成して、戦力的に安定したチームを作って欲しいと思っていた。
時間をかけてでも1から再生すれば良いと応援する気持ちだったけど、今回の報道は本当に気持ちが冷める。
試合に負けた時、降格した時に悔しいと思う気持ちとは全く異なる感情だった。
契約解除された選手は前所属クラブでも問題を起こしていた。フロントはよく知っているはずだ。噂レベルだと、昨年末にもトラブルがあったと言われている。だから決して青天の霹靂ではない。
執行猶予という制度があるように、初回は寛大に処分し更生を期待するものだ。とはいえ、クラブは一度過ちを犯した選手を獲得する時点で、二度目を起こさないための手段、もし起きたらどう対処するか考えておかなかったのか。
すべてが後手後手でその場しのぎに見える。
報道までクラブが知らなかった事実があったかもしれないが、今回は二度目なのだからそれでは甘い。
プライベートなことでも突っ込んで事実関係を掘り出して、適切に対処して欲しかった。
戦力的に重要な選手ではあるけど、クラブは割り切って考えないといけなかった。
スポンサー、ファンあってのプロスポーツなんだから、プライベートにノータッチというわけにはいかない。
昨年末のトラブルでクラブは何もできなかったのか。何より、この事件を未然に防ぐ働きかけはできなかっただろうか……
手の施しようがなくお先真っ暗なんだけど、クラブと本人にはまずはここからでも誠実に対応してほしい。
クラブは被害者の方に最善を尽くせ。本人がどうにもならないなら、クラブが代わって最大限の謝罪をする。
最終的にクラブが消滅しようと、この問題には最後まで真摯に向き合ってほしい。
これでは親はサッカーをやっている子供を安心してベガルタの育成組織に預けられない。ユースに入っても人として成長できないのではないか、トップに昇格しても経歴にキズがつくだけではないか。
ベガルタのユースは決して強いとは言えないが、件の選手はこれまでユースが輩出してきた選手の中でも指折りの実力を持っていた。訳ありということを差し引いても、地元出身ということもあって期待されていた。
10月18日、日曜日の浦和戦を見たときも、弱すぎる今年のチームにあって、J1で戦える数少ない選手だと感じたばかりだった。
とはいえ、そのとき他クラブからオファーが来るレベルの選手を何人かリストアップしたが、「でも彼は訳ありだからオファー来ないし来年もベガルタにいるだろうな」と思ったことを覚えている。
そしてこれは戦術上の都合もあったのかもしれないが、実力からすると主力として試合に出すべき選手なのに、見る機会が少ないと思ったことはあった。
しかし今年はコロナの影響で過密日程で、怪我人も異常に多いシーズンなので毎試合メンバーが変わるのは当たり前だし、どうせ一人欠けても勝ち負けに影響がないので、また怪我かと思うくらいで深くは気にならなかった。
擁護するつもりはさらさらないが、ピッチ上ではプライベートでの素行の問題の悪さは感じたことがなかった。
特別に紳士的だと思ったこともなかったが、よく走り回る献身的な良い選手と捉えていた。
素行の悪い選手といえば、カッとなってファールしたり、ファールされたら報復したり、ミスしたときや途中交代のとき物に当たったりといった行動が見られるが、自分の見る限り、彼はピッチでそのような行動を取っているのを見たことがなかった。加入してしばらくしてから訳ありでベガルタに来たことを知ったが、プライベートでの一面を知ったときは驚きだった。
今年のベガルタはファンに愛想を尽かされるようなことしか起きてないけど、自分がサッカーを始めたきっかけでもある、子供の頃から大好きなクラブがどうしても気になってしまう。
こんなチームを未だに思っているのは理解できないと思われるだろう。だからダメなんだと。しかし何があっても親を嫌いになれないように、自分をサッカーの世界に引き込んだこのクラブが落ちぶれて消えて無くなるのを傍観するのはあまりに辛い。
今でもビデオを見返すことがある。この思い出を自分はどう消化すれば良いのか?
何が起きているんだと、信じたくない気持ちでいっぱいだ。でも冷静に考えると起こるべくして起きたことだと思う。
どういうスタンスでベガルタの報道を見ていけばよいのか、分からない。
J2にいたときだって応援し続けていたファンはたくさんいる。弱くたってよかった。そんなのは小さな悩みだ。
でも不義理なチームになってはいけない。下手だって良いから、情熱のある人に経営に参加してほしかった。
もはや試合に勝つことを望んでいるファンはいない。応援し続けてきたクラブが、とにかく健全な経営判断をすることだけを望んでいる。それは目先だけでも良い。クラブが存続するならば、中長期ビジョンはおそらく全く別の人達が考えるだろうから。
巷には「エンジニアとして生き残っていくためには云々」みたいな話があふれている。
どのような技術選定をするかとかアウトプットがどうだとか、書いてある内容に関しては別に文句はない。
なんでそんなにエンジニアとしてやっていくのが大変なものとして喧伝したいんだ?
何万分の一とかの競争を勝ち抜いてきた人々同士で、成績や給与という明確な数字を突きつけられて日々戦っているのだから、何とかして他の人と差別化をして生き残っていかないと文字通りその世界で生き残っていけないのだろう(自分には想像するしかない世界だが)。
エンジニアなんて掃いて捨てるほどいるだろ。
ちんたら出社して雑談して Twitter してちょっとコード書いてればラクにそこそこの給与がもらえるんだから、生き残る云々とか何言ってんのって感じだろ。
もちろん一律にそういう人ばかりじゃないし実際に大変な人もいるのかもしれないけど、他の仕事と比較して考えたらどう考えたって楽な仕事だ。
しかも「生存戦略」とか言ってる奴らほど平均的なエンジニアよりもよっぽど実力がある奴らだったりする(これとは別に初心者を食い物にする輩もよく言ってる印象だけど、それは今回は無視)。
分かってる。
「生存戦略」という単語を使ってるけど実は言外に(一線級で戦うための)とか(典型的な給与水準よりも十分高い給与を得るための)みたいなニュアンスを含んでいる場合も多いということは。
だけどそれを「生存戦略」とか言うな。
平均レベルを遥かに超えたエンジニアがこういうことを言ってると、それより遥かに下のレベルのこっちは「え、じゃあ俺たちはもうとっくの昔に死んでるレベルなの?」とか暗くなっちゃうじゃん。
しかも少なくない場合でポジショントークでしかないんだから、「自分はこの技術トレンドが来ると考えてる」とか「自分はこの技術が好きだから今後数年はそこに注力していく」とか、そういう言い方にしろよ。
ポジショントークでもいいけど、せめて悲観的な印象を与えるんじゃなくてもっとポジティブな感じにしてくれよ。
「生存戦略」とかいう、これができないと生き残れないみたいな低レベルな話なんだとしたら、家でインターネットができないとか、Excel や Google Sheets を知らないとか、あんま分からんけどきっとそういうレベルだろ。
スポンサーが求めていることに関しては、恐らく今回の名越さんはそういうことなんだろうけど、それが正しいのか&パブリックにしてしまうのが良くないのでは?というのが議論だと思いました。
横増田なのかもしれんが、「プロデューサーのやりかたが良くなかったのではないか」とか「発言に問題ある」って議論をしたいなら言及先間違ってるよw
少なくとも多数に反感買っているのは間違いなくて、実際問題ゲームやってる人たちに容姿を求めるのか?というのが一般ユーザーの疑問だと思うし、e-sports は本来そういったものではない、というのが前提としてあると思う。
「ゲームやってる人たちに容姿を求めるのか」と「プロゲーマーは容姿を磨かなきゃいけないのか」は別問題だから、そこを混同してるアホに何言っても無駄、「e-sports は本来そういったものではない」なんて前提はないだろ、ゲーマーとか配信でルッキズムをもとにした暴言繰り返したりしてるし、カリスマって言われてるウメハラですら見た目を揶揄されてるんだぞ。
プロ野球でも別に容姿なんてそんなに求められてないしね。松井秀喜だっていっちゃ悪いけど容姿は良くない。でも、彼はスラッガーとして好成績を収めているので人気があった。
これって凄いことやとおもうよ
論拠はあるで
まず日本でロード乗ってるやつは殆ど富裕な奴らで意識高い奴らばっかやねん
ヨーロッパの自転車先進国はむしろ一般層の平民を中心にロード乗ってる、だから自転車文化が根づいてるとも言える
でもヨーロッパでも所詮は富裕層じゃない平民、意識低いから自転車乗るの飽きるとプロレースの観戦とプロチームの応援を以て憂さ晴らしするようなやつらばっかり
ところがどっこい、日本では先も言ったとおり意識高い奴らばっか自転車乗ってるねんて
そんな奴らはプロスポーツとか見いひん、いや見るかもしれんけど、応援や選手の批判に精魂込めたりしない、だって意識高いから!
そんなことに口突っこむくらいなら、自分に対して投資したほうがよっぽど価値がある、ってちゃんと思える人種やねん
だからロードバイク乗ってても、ロードバイクで稼いでいる人のことは知らんねんて
なのでプロレーサーが走っているツール・ド・フランスなんか知らないのは当然ってことなんや
性的な部分に限らない「物語」をいったいどう構築してアピールすればいいのかっていう話なんだよね、↓見て思ったんだけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shimoshiho/n/n37e94405e0e6
例えば高校野球はかなりの例外はあるにせよ「おらが県の代表」という物語があり、プロで活躍する未来のヒーローを見られるかもしれないという要素もあって、あれほどの巨大な営みになっている
それこそNPBもMLBに比べれば競技のレベルは劣るし、実際「なんでメジャー観ないの」って煽られることもあるけど、それでも国内や地元の球団として今までやってきたことが大きな意味を持っている
Jリーグもそりゃ当時のバブルやら何やらに支えられた部分はあるにせよ、1から今あるものを築いてきたわけだ
別に女子スポーツに限らない話として、純粋に競技能力が最強のもの以外は何らかの物語と抱き合わせで売らなければ興行としては成り立たないというだけの話で、それはいかなるスポーツにしても同じことだ
将棋なんかに至ってはもう明らかにトッププロよりAIの方が強いと誰もがわかってしまったので、単に強いという以外の魅力をみんなして模索している最中だ
単に地元のチームというだけなら田舎の県にもそれなりの数はある
そういう中で「このスポーツのこのチーム/選手を応援しようと思う理由は何か」というのは、プロスポーツとしてやっていく以上誰もが常に問われている
女子スポーツだけがそれを一方的に突きつけられているわけじゃないんだから、被害者ヅラするのは正直どうかと思う
まあ女子というのはひとつの大きな個性ではあるし、ジェンダー論で客呼べるなら呼んでみりゃいい
女子野球にせよ女子サッカーにせよ、ネットでフェミフェミしてる暇があったらあいつら買い支えてやったらって思うんだけどね
自分はやんないけど
まず私はスポーツが苦手で、主に学生時代に嫌な思いをしてきたことについてスポーツに対しておそらく逆恨みしています。
特に何かプロスポーツを視聴していたりはしないので詳しいことは知らないが、業界の方々がそうした問題に対して懸命に取り組んでいるであろうことは、何となく分かる。
だが、何だか、外の世界に対して、「スポーツ界は人種差別を無くすことに貢献している。皆さんは私達に従うべきだ。」と言ったPRには、はっきり言って感情的には何かすごい腹立たしいものは感じる。
差別とは本来の人間の優劣に関わらないステータスについて、優劣をつけることだと思う。
肌の色がAの人はBの人より優れている。
国籍がAの人はBの人より優れている。
身長が高い人は、低い人より優れている。
スポーツ界が賞賛し助長している「運動能力が高く、相手をただ身体的に打ち負かした我々は、相手より優れている」という思想がそれらと何が違うのか?
そうした思想を外の世界にもばら撒いている連中が一体どういうつもりで、外の世界に対して反差別などと説教を垂れるのか?
「人種差別はいけない。あっ、でも運動能力に優れている我々は劣っている連中より優れた人間だから」というメッセージにしか聞こえず、また、どうしても咀嚼できない。
「別に運動能力が高いことが優れているなどとは言っていない。優れたプレーによる感動を与えているだけだ。」というのは詭弁に過ぎない。
だが、肌の色や国籍などについて、蔑むことはしないでも、一部のステータスの人々のみ賞賛することが差別ではないというのだろうか?
スポーツ界の人々は運動能力の優劣が人間の優劣と言っているわけでは無い、勝手に勘違いする連中が悪いとでも言うのだろう。
だが例えば未成熟な子供達が運動能力の高さを徹底的に賞賛しているスポーツ番組を見て、「俺は運動能力が優れているから、運動音痴のあいつより偉いんだ、だから傲慢に振舞っていんだ」とか「運動音痴の自分はダメな人間なんだ」という思考を植えつけられていないとでも言うのだろうか?
以上のように思うのは、もちろん、他人に説教されたくないという感情が主たる原因だと思う。
ただ、どうしても自分には、いわゆる不当な差別的な感情と、スポーツなどといった他人を打ち負かす行為を称賛する感情を別のものであると捉えることができない。
収入格差によって貧富の差が出るじゃん。これによっていろいろな事件とかしがらみとか差別とかが溢れて、今の日本は混沌としてると思うんだけど。
だからさ、ちゃんとガキの頃に「お金にある程度余裕があれば、家族を養えて旅行にも行けて、自分の趣味にもお金を使えます。そういう大人を目指しましょう」って教育した方がよくない?
「その為には、ある程度の給料が稼げる会社に入る必要があります。自分で起業するとか、プロスポーツ選手とか、売れっ子YouTuberとか、大金を稼げる道もあるけど、かなり狭き門です。ある程度の給料、大体30代で年収500万以上稼げる会社に入る為には、その能力を養う為に勉強しなくてはなりません。だから、今勉強する必要があるんです」って。
子どもにはもちろん夢とかやりたいことがあると思うんだけど、現実はそう簡単にはいかないじゃん。どうしたら普通の大人としての生活ができるのか、まずそこを教育する必要があると思う。夢を持つのは良いと思うけど、まず現実を見た方が良いのではないだろうか。