はてなキーワード: プロジェクトXとは
コーンが次々と口の中に飛び込んでくる!!
SNSバズ狙いのやたら大袈裟な文章っぽく書こうとしたが上手くいかんかったわ。
「缶入りコーンスープ、缶の飲み口のちょい下あたりを凹ませると残コーン粒が減らせる!」みたいなライフハックを
特濃コーンポタージュ 缶 185g | 商品情報 | 伊藤園
www.itoen.jp/products/detail.php?id=300
「特濃コーンポタージュ」「大納言しるこ」「寒天しるこ」 4月2日(月)より販売開始 | ニュースリリース | 伊藤園
www.itoen.co.jp/news/detail/id=25109
中身を最後まで楽しめる「粒がよく出る容器」を全製品に採用しています。
www.itoen.co.jp/files/user/news/2018/%E7%B2%92%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E5%87%BA%E3%82%8B%E7%BC%B6.jpg
缶内の液体の残量がこれくらいの時に缶をこれくらい傾ければコーンがこれくらい出てくるだろう、という通常の予想
それを超える勢いでコーンが流れ込んできて少し驚いたのは本当。
が、最後のほうで液体の残量と流速が弱まると勢いはさほどでもなくなり、結局は缶のフチにコーンが6粒ほど引っかかって残った。
もっと勢い付けて流し込めば残粒は減らせたんだろうけど。
でも自分はチビチビと少しずつ飲みたいの。缶の都合に飲むペースをコントロールされたくない。
以下の記事が他社のコーンスープとの比較も含め上手くまとまってた。
まだ、あるのに…出そうで出ない缶入りスープの「コーン粒」、うまく飲み切るコツは? | オトナンサー
otonanswer.jp/post/27228/
これも同様の原理。
2012年8月から採用とのことで自分も飲んだことある筈だが、さほど感銘を覚えた記憶がない。
担当者「まず、飲む前に缶をよく振ります。そして、缶を軽く傾けた状態で缶上部を軸にして、手首のスナップをきかせながら、
缶の中で渦ができるように、時計回りに細かく回してから飲んでください。時計回りに回すのがポイントです」
otonanswer.jp/post/27228/
などと面倒臭い飲み方を指南しているところからすると、『ジャンピング缶』の形状の効果はそれほどでもないと想像せざるを得ない。
現在のポッポロのオフィシャルサイトに詳しい画像が見当たらないので他人のツイを借用するが、
こんな形状。
粒残り対策缶 | 飲みやすさのテクノロジー | DAIWAテクノロジー | 大和製罐株式会社
www.daiwa-can.co.jp/technology/drink_01.html
缶胴ネック部を延長することで、「アルミ蓋のカウンターシンク部」と「ネック成形部」の隙間に粒が詰まらないようにする。
へー、上面周縁の凹んだ部分、「カウンターシンク部」って言うんだ。
ポッポロも伊藤園も缶のサプライヤーの社名を堂々と前面に出して技術をアピってほしい。
自分の結論は前出の記事と同じになるが、コーンスープの缶はダイドーが採用してる広口ボトル缶がベスト。
まだ、あるのに…出そうで出ない缶入りスープの「コーン粒」、うまく飲み切るコツは? | オトナンサー - (2)
otonanswer.jp/post/27228/2/
プロジェクトXのノベライズ本を選んだ時があってその時はいたく担任に感心されたな。
てかさ、俺の増田は自意識過剰すぎて本選びすら優柔不断だったって話なんだよ。ちぐはぐなトラバでもやもやすんなあ。
結局のところプロジェクトXの時もしんどかったよ。
しかも褒められてその場ではちょっといい気にはなったけど、結局その本を選んだ経緯とあらすじと当時の情勢の説明で原稿用紙が埋まってるような代物で情けない気持ちも強かった。今でも思い出しただけで恥ずかしい。
経験に照らし合わせると俺はどの年でもどんな本選ぼうが苦悶していた。
繊細さを踏みつけにされながら自意識を癌細胞のように肥大させてた俺の様な児童がいたとして
それこそ「自分ならどうするか」「この本の人たちのように行動できると思えない」「本の人たちは困難に立ち向かって社会を変えられて本当にすごい」「自分もこうありたい」って理想的なことを簡単に書ける
というようなテンプレ優等生解答を書き綴ることは受け入れられないし
「それが『面白かった』『つまらなかった』レベルの感想より深みのあるものなのか?そんな虚無の塊みたいな人間を俺は演じないといけないの?」みたいな反発心を抱くんじゃねえの?実際俺はそうだった。
これは今でもそう感じてしまうことなんだけど、藤井聡太だとかの神童みたいな扱いされてる未成年が公の場で話してるの見て「若いのにしっかりしてんね」みたいな反応する奴に凄くイラッとするんだよ。これぐらいの月並みな挨拶やスピーチできる子どもいくらでもいるからって言い返したくなる。
だって「がきなんて未熟だから思想とか人格なんてろくにあるわけないでしょ」って普段軽んじてるから「若い割になかなかやるじゃない」っていう上から目線な褒め方になるわけじゃん。
フラットな視線から見て純粋に素晴らしいと感じたから褒めてるってわけじゃないんだから投げかけられた方は面白くない。更に言えば、褒めた(つもり)の方は受け手の人格が酷く幼稚で単純な物だと考えてるからそれで喜ばない方がおかしいぐらいに思ってるし、自覚していても子どもが見抜いてくることはないと思っている。
こういった感じの大人に誰が見てるわけでもないのに愛想よく振る舞う秀才が、子どもの頃の俺には滑稽に見えた。優等生的な回答で卒なくこなすことが二流でかっこ悪いものに感じたんだ。
テレビとかネット見たら10代で自分のスタイルを確立しているように見える人がいくらでも見つかるわけじゃんか。だって子どもがそんなん見て憧れないわけないじゃん。
で、俺の時代は10代作家を持て囃すブームがあって綿谷りさとか羽田圭介、乙一なんかに衝撃受けてたからなおさら読書感想文に気合入れたんだよ。今の子にもこういう文章がかけたらいいのになって憧れの対象はいると思うけど違うかな?
とどのつまり作文とか読書感想文書けない子ってイノセント故に志が高すぎるのかもな。
俺はもう中2くらいから開き直ってこういう類の課題は「高校もろくに通ってないおバカ系アイドルのブログ」とか「小学3年生が祖父母に宛てた手紙」みたいな想定でわざと雑に書くようにしてた。
選ばれづらいけど、読書感想文には物語じゃなくて実話ものを選んだほうが絶対に感想を残しやすいと思うよ
課題図書にも必ず伝記とかプロジェクトX的な本が入ってるでしょ
現実にあった話を読んだほうが自分の身近な世界との接点を想像しやすくて、本の内容を素直に咀嚼できるよ
それこそ「自分ならどうするか」「この本の人たちのように行動できると思えない」「本の人たちは困難に立ち向かって社会を変えられて本当にすごい」「自分もこうありたい」って理想的なことを簡単に書ける
まあどうしても図書の選定の時に、物語のほうがエンタメ要素があって読みやすそうって意識が働いてしまうのかもしれないけど、それは罠なんだよなぁ
創作された物語だと「面白い」「つまらない」以上の感想を持ちようがないから。
比較するにしても「自分」とじゃなくて、他の物語(小説だけじゃなくて漫画、アニメ、ゲーム、映画、ドラマ)のキャラとの比較が真っ先に思い浮かんで、余計に書けなくなっちゃう
その中でダムで沈んでしまう村の桜を移植して再生する、っていう事業があったのね
そしてその桜を移植して、そこは第二のふるさとになったっていう話で、結構感動したんだけど
でもそこでは間違いなくふるさとは壊れてて
でも新しいふるさととしての桜が生まれた、というエピソードなんだけど
俺は地元愛とか持ってないんだけど
これ見て、ふるさとってじゃあ、後天的に人々が決める、共有するものなんじゃなかろうかと
俺はまだ地元愛とか持ってないけど、いずれ何がしかの経験、コミュニケーションの中で守りたい地域が出てくる
普通の場合でも、ふるさとって長くそこに住んだ経験があって初めて
(意識的か無意識的かはおいといても)「ふるさと」へとなっていく、守りたいと自覚できるようになる
生まれた場所として最初から決まっているとか、親によって決まるものでもないんじゃないか
どこかに住みついて、そこの人とコミュニケーションをとって、愛着を持つようになる過程でふるさとになる
ということに意識がいくと、こういうことを支援したり、そうしたふるさとの意識を持った人々がふるさとを守るため
あるいはこの場合は、新しいふるさとを他の人々と共有するため行動を起こす
こないだ職場で消防隊の人を講師に救命講習を受けてたから感想書いてみる。
・心臓マッサージの手の組み方を、毎日サクッと思い出しつつ手洗いしてる。トイレのあととか。指の間まで洗えて一石二鳥。
・リズムは中島みゆきさんの『プロジェクトX』のテーマ曲くらいの速さって話を前に新聞で読んでて。講習でやってみたら消防隊の人にほめられた。
・でも、講習で思ったけど、2分間ぶっ通しの心臓マッサージはマジでキツイ。こっちが死ぬかと思うくらい。交代要員は必須。
・AEDを借りて来てもらう人のことは、ちゃんと指差して指名しろって講習で言われたけど、緊急事態になると人ってフリーズしがちだからなんだな。なるほどね。
30代男。昔から、スポーツ観戦をしたくなる気持ちが全く理解できない。何がおもしろいの?スポーツ観戦がおもしろいという人ばかりなので、世の中についていけない。
例えば、プロジェクトXとかガイアの夜明けみたいな、仕事のアツい話は分かる。たとえ自分とは全く違った仕事の話でも、単純に豆知識として勉強になるし、取り組み方は自分の仕事にも役立てられるかもしれない。そもそも、何であれ、たいていの仕事は、社会の役に立つものだ。頭が悪くても才能がなくても、工夫次第で社会の役にたつ、皆に喜んでもらえるモノが作れるよ、というのは分かる。そういう話に感動したり、そういう番組を見たくなるのはわかる。
スポーツ観戦は、そういうのとは全く違う次元の話に思える。確かにスポーツ選手は努力しているかもしれないけど、スポーツ選手は社会の役に立つために努力しているわけじゃない。スポーツ選手がスポーツをうまくなったところで、皆に喜んでいるようなモノが作れるか?といえば、それは違うだろうし。
そりゃ、スポーツ選手も仕事だから、仕事に向き合う姿勢とかで役に立つことがないとはいわないけど、特殊な仕事すぎて、ほとんどの人には役に立たないのでは?
大体、知ったところで、スポーツ選手は途中から参入できるような仕事ではない。スポーツ用品の営業とかの仕事に転職したいからスポーツ観戦をする、というのならわかるけど、スポーツ観戦してる人ってそうじゃないよね。
あるいは、ミリタリーが好きとかいうのも理解できる。勝ち負けがはっきりしている。負けたら死ぬ。皆、死にたくない。だから、一生懸命、いかにして生き残るか研究する。それが勉強になるっていうのはわかる。
でも、スポーツ観戦が好きな人って、そういうのでもないよね。勝ち負けにやたらこだわるくせに、負けた側が死ぬような映像は見たくないとかいいやがる。
技術発展の方向性についても既に世間に転がっているニーズに答えるための「最適化型の発明」と
今の社会には存在しないが商品化されることで必需品となる「新提案型の発明」の2種類がある。
新提案型は今ある問題に対して新しいアプローチや、直接的に目の前の業務と関係性のあることじゃない勉強や開発が必要とされる。
大企業なら企業体力がありそれ専用のプロジェクトチームを作るのは難しくないが、
中小企業は適度に暇な時間を現場レベルで作って遊んでると思われても自分たちで勉強して手探りしていかないといけない。
ベンチャー企業が無かった頃は、会社に残って一生懸命残業してアイデアをひねり出したとか美談のように語られるが、
ぶっちゃけ技術者がこっそり余暇を使って…正確には余暇を作って、自分の知的好奇心を会社を私物化して行ってただけのこと。
誰も予想できない新発見を目指した開発が公に認められるわけがない。
研究所に入って自分のテーマをプレゼンして理解を得て初めて資金を調達して研究できるというプロセスをすっとばして、
会社の物を使って自分のやりたいことをやってたやつがゴマンといたのが昔の話。
その中でたまたまヒットした成功者をピックアップして昔の技術者すごい!今の技術者どうした!?って絶賛してるのがプロジェクトX。
んで、技術者はいるだけで好きな事してた環境があったから立ち回りとか全然そのあたりのノウハウが蓄積されずに、
歳食ったエンジニアは追い出されて、海を渡り今度は中国で好きなことをし始めたのが20年前。
今はもうそういう余暇を奪うことが絶対正義と勘違いしてしまった結果、大企業病が多発してプラスを能動的に作れず不正だらけになった。
利益率にならない行為を認める余暇の重要性を理解していないと今の日本のようにどれだけ先進国としてインフラを発展させても簡単に凋落する。