はてなキーワード: ブレインストーミングとは
あれは天才でなければ正しく理解できない、もしくは著者と同じ思考をしている人間でなければ正しく理解できないのだと思う。
しかし、凡才であっても、あの文章を参考にして天才的思考に近づけるのではないかと考えるのが人情である。
私は、初めてあの文章を読んで以来、何度も読み返し、また著者の当時のブログを読み進めて天才の思考に近づこうと試みている。
しかし、あの文章を読んで変化があったことは、文章を書くときの制約を取っ払ったということだ。
プログラミングと同様、文章を論理的に正確に書こうとすることは、文章量を制約することになる。
書けなくなるのだ。
正しく書こうとすると、書けなくなる。
例えば、この文章を書いているが、これは公開することを念頭に置いて書いている、すると途端に文章が走らなくなる。
失敗を恐れるからだ。
しかし、この文章は公開しないと決めると途端に文章は走り出す。
実際のところ、この文章は走らなくなっている。公開することが念頭にあるからだ。
正しく書こうとしてはいけない。
文章を日頃から書いている人には当たり前のことなのかもしれない。
まずはとりあえず書く。書けないと感じるときほど書く。
しかし、思うのだが、文章を書くときに、しかし、を何度も繰り返し使ってはいけないという文章作法があるが、それはおかしいと思う。
しかし、などという接続詞はある程度、込み入った文章を書こうとすれば、何度も登場させたくなるものである。
しかし、しかしは何度も連投してはいけなくて、しかしを何度も使いたいのであれば、言い換えをして他の接続詞に置き換えて、うまくやらなければいけない。
しかし、それでは本来、文章の内容において頭脳を使うべきであるところを、文章自体を構成することに使用するという本末転倒な現象が起こる。
本来、文章作法などというものはある程度の、読みやすさを担保すればよいだけの話であって、論理が破綻していなければ、厳密にこれはいけない、やってはいけないと制限するべきではないのだ。
そのような制限があるから活動が制約されて、成果も収縮してしまうのだ。
なぜかといえば、制限しないとミスやエラーを起こして、失敗して大事故を起こすからだ。
しかし、同時に私達は大抵のことを制限しなくとも、正しく実行できる。
しかし、アクセルとブレーキを踏み間違えると大変なことが起こるから、私達は運転に集中しなければならない。
大切なのは集中するということだ。
正しくは制限することではないのだ。
アクセルとブレーキを踏み間違えないためには集中することなのだ。
話が脱線した。
ミスを起こさないために、失敗をしたくないために、過剰に制限する。
社会的迷惑行為でなく、自分の範囲で収まることであれば、どんどんとやるべきなのだ。
これは文章を書きたいと思っているのだけれど、書けない人に読んでもらいたい。
別に間違っていても、あとから読んで恥ずかしくなっても、しかし、を何回使っても、別になんだっていいんだ。
こういった考えを公表すれば批判があるかもしれないし、あるいはなんの反応もなくて苦悶するかもしれない。
でも、それでいいのだ。
我々社会は間違いを許容できない。
これは正しい面も多々ある。
しかし、間違いを許容しないことは、制限をすることだし、そのことで何も生み出されない無を生み出していることは留意する必要がある。
ブレインストーミングでは間違いを気にしない、などといいつつ、絶対的に制約があって、正しくブレインストーミングを集団で行うのは至難である。
そのような状況は脱却するべきだ。
間違っている、間違っている、間違っている。
そうだね、間違っているね、だから、どうした?
有吉の壁は笑いのブレインストーミングだ。
すごくバカバカしい番組、あれほどバカをやっているテレビ番組は無いんじゃないかと思うけど、裏側を想像してみるとものすごく良質な試みをしていると思う。
いわゆるリーン・スタートアップ。小さく始めて大きく育てるという考え方に当てはまる。
テレビ業界ではいきなりレギュラー放送を開始するのではなく、まずは特番を放送して観測気球を上げるのが常套手段だが、それを細分化しまくるとこういうことになるのだと思う。
有吉も佐藤もよく笑う。ネタには合格、不合格がつけられるものの、本質的に否定されることは無い。不合格になるパターンは大体決まっていて、それも含めてネタだ。もちろん本当につまらなくてカットされることもあるのだろうが、ユニークなネタが次々と出てきて非常に愉快な番組だ。とにかくテンポが良い。
この番組では完璧なネタはあまり出てこない。ほとんどがプロトタイプと言って差し支えのないものだ。
その未熟さが予想外の面白さを生んでいるのでもあるが、ウケが良かった設定は改良されて次回以降に再登場する。
芸人が考えたものと作家が考えたもの混在しているんだろうけど、ネタ番組の土俵に立てばどっちでも関係ない。
とりあえずやってみる、という精神。
ハマらなければやめるし、ハマったものはブラッシュアップする。
数打てば当たる、は素晴らしい。
簡単に見えて、いざ実践しようとすると失敗したくないからできるだけ数を打ちたくないものだ。
長いネタになれば失敗を減らす方向に労力を使ってしまうから、短いネタで回転数を上げる。
お題設定も適切なのだと思う。
「さあ、何でもいいから面白いことをやって!」と言われても、不思議なことに逆になかなか面白いことが浮かばない。
何もないところから笑いを作るのは難しい。
スタッフが自分たちでお題を作っているのだろうけど、ここで良いお題を設定できないと詰まってしまう。
ある程度具体的なイメージを与えることによって、「日常のここがこう変わったら面白いのではないか」というアイデアが浮かびやすい。
有吉の壁という番組内で披露したに過ぎないネタを自分の持ちネタにしてCMにまで持っていくのは夢のある話だ。小さく始めて大きく育てる。
ブコメ大絶賛の怪奇現象が発生してるが、俺はまずこの増田の文章が読みにくくて何度も眼が滑った。
次にバッドノウハウで乗り切れ、みたいな内容が気にかかってしまった。
この手の子に必要なのは考える力をつけさせることだから、本当にやるべきことはキャラクターシートを作ることだよ。登場人物の特徴から趣味、口癖、エピソードなど。それを眺めさせて思ったことをつぶやかせる。そうしておいて、今つぶやいた君の言葉こそが感想文だよ、という。
物語の人物がどういった人となりかを明文化することで、対人における分析力にもなる。
物語でないルポや子供向けの論考みたいなものの場合、ブレインストーミングを行わせる。
内容を見て何を感じたかを書き出させ、どうしてそう感じたかを突き詰めさせる。
対概念などの 多角的視点も考えるようにアドバイスする。反対意見はどうかな、程度でいい。
思考で最も良くないのは、ふわっと流してなんとなく考えたと思ってしまうこと。
突き詰めと包括が両方できるので、他人の考え方の違いも吸収できるようになる。
おっすおらクソフェミ。しかも昭和生まれ40代ババアだから増田がどうしてこういう思考回路になったのかすごくよくわかる。
ヤングの皆は、亭主に浮気されると「妻として夫を満足させなかったお前が悪い」って妻の方が袋叩きにされる世界とか知らんよな。初めて彼氏と付き合うのでセックスが怖いと考えてる女の子に「早くやらせてあげないと彼氏が可哀想。浮気されても知らないよ」と女が普通に口出ししてくる世界とかね。ああいうの知ってると、増田の発言が正しくないのはわかるが気持ちもわかるぞ。
まあそんな前置きはさておき、折角ブコメが伸びてるんだから、お前らの考える「正しい性教育」ってどんなものかを教えてくれよ。元増田じゃあみんなが「この増田には教育が必要だ」ってブコメに沢山スター打ってるみたいだけど、「ではそれはどんなものか?」と皆で具体的に考える機会も経験もあまりに足りていないじゃないか。いざ機会となっても茶化したりセクハラに走るクソも多く、そういう連中は元増田のような性嫌悪ミサンドリストをますます増やす結果となりなおさら始末に置けない。ぜひに正しい性教育を持って殴り殺すべきであろう。
言い出しっぺだからもちろんこのクソフェミ増田がブレインストーミングの端緒として「今の日本の性教育に足りないなと思ってること」を自分なりにすごく真面目に考えて書いたぜ。ジェンダーに一家言ある暇な人が読んでくれたらうれしいぜ。そして皆も、ブコメでもトラバでもいいから「正しい性教育とはどんなものか」を考えて書いてみてくれよ。
性的な関係は他人の肉体に非常に深く関わる行為である。特にセックスは性病や妊娠といった大きなリスクを伴う。よって合意が必須である。
まず性教育を知らない子供に真っ先に教えるべきは「自分の体も他人の身体も等しく大切なものである。よって他人の身体に触れるには許可や合意が必要で、常に「拒否した側」「合意していない側」の意思が優先されるべきである」ということである。
これは、性犯罪者に狙われやすい子供を男女問わず守るために必要な教育といえる。
「それ自体は」と書いたのは、相手との関係性によっては拒否された側の心が傷つくケースを留意する必要があるからである。ここは年齢に応じた補足が必要であろう。
補足が早すぎれば「相手に嫌われたくないから」という理由で内心望まないセックスに合意したふりをして応じる人が出るだろうし、遅すぎれば一方的なセックスレスでパートナーを傷つける人が出るだろう。増田でもそのさじ加減については正直測りかねているところである。ここらへんは性教育の土台である、自己肯定感のところまで踏み込んで考える必要があると感じる。
また「合意」の定義については、先日の地裁における性犯罪無罪連発においてはてなで大いに燃えたところで、自分でもその定義に断言をしかねる。とりあえず「責任能力を持たない人(子供、成人相当の意思表示ができない人等)」については有無を言わず「合意していない人」にカウントして問題ないと思われる。
前項で書いた通り、性欲を持つことも性的関係を持つことも本来別にクソではない。
その過程において人に合意なく被害を与えたらそれはクソである。両者は全く異なるものであるのに、かつて確かに性加害と性欲の発露を混同し、性加害の正当化に使われてきた歴史があったし、おそらく今もある。
太って成人病になるリスクを承知で沢山食うこと自体は悪ではないが、沢山食いたいからって万引きしたり人の食い物を横取りしたら悪であるのと同じだし、それを正当化するなどもってのほかである。
元増田はもちろんのことだが、ブコメでもトラバでもここを分離できてない人が多数見受けられる。
「生物学的には男性の、女性に対する性欲あるいは性行為自体が性加害/抑圧である」という意見はまだこの混同から抜け出せていないように感じる。「行為の際に女性を蹂躙するイメージで興奮する」のはあくまでも後述するセックスファンタジーであり、プレイの一環として合意を得ていないのにそれを発露することが加害だと自分は考える。
AVやエロ漫画アニメ等のファンタジーを現実の性的な言動に持ち込むべきでないし、逆にそれらのファンタジーを愛好する人が、現実でそのファンタジーを行動に移す異常者であると決めつけてもいけない。
現実に他人をひどい目に遭わせたり遭ったりするのが嫌でも、身の傷つかないファンタジーの世界では過激なプレイに興奮する人も少なくないだろう。だからってその人は別に変態ではない。ファンタジーを現実に持ち込むこと、すなわちその趣味のない人にまでファンタジーを見せて押し付け、不快にさせるのが性的加害者である。
逆に外へ出さぬようこっそりファンタジーを楽しんでいる人からそれを取り上げ、こいつ/この媒体は変態だから滅ぼせと喧伝するのは悪である。ここは主に女性が大いに自戒すべきである。
前述したように、性欲/性行為/セックスファンタジーを身の内で楽しむ行動自体はどれも悪ではない。ファンタジーを伴う自慰は、性欲を他者に被害を与えない形で解消する適切な手段といえる。何度も書くが悪なのはそれを介して他人に被害を与えることである。
ここを混同してしまうと、性欲や性的関係を持つこと、セックスファンタジーを楽しむことを罪と感じる抑圧された人が育ってしまう。抑圧が反動で性的な逸脱、認知の歪みに繋がることもままあるため、この切り分けは極めて重要といえる。
マスターベーションを行う側は「身内(自分自身、あるいは事前に了解を受けた合意の相手)に留めること」、見守る側は「『身内から出すな』という言及以外は避けること」を心がけるべきと自分は考える。
余談であるが「夫が自慰をするのを浮気扱いして許さない妻」がいると聞いたことがある。これは何らかの事情で夫の明確な了解を得られている訳でなければ性的DVである。
具体的に言うと「パートナーのいない相手や童貞/処女を馬鹿にするのはハラスメント。どれだけ沢山の人と恋愛したか、性的関係を持ったかと人間としての価値は『それ自体は』一切関係がない」ということ。
「男はヤッた数だけ偉い」みたいな恋愛工学的価値観を内面化すると、それだけ性行為に至るためのプロセスになりふり構わなくなり、他人へ性被害を与えやすくなる。また性経験のない人間へ本来無用なコンプレックスを与えることにもなる。撲滅すべきである。
「他人(主に女性)の心身を理解しない言動をとった男性」を「童貞」「だからモテない」と罵倒する言動ははてなでも時折見られ、厳に慎むべきである。
まだ他にも書き忘れたことがもしあったら追記していくかもしれないが、今思いつくのはこんな感じだ。
今回の増田は「男性の性欲」と「性加害」をできるだけ切り離すことを主眼として書いたので、その他の部分ではかなり見落としがあると自分でも考えているぜ。
このクソフェミに思い至らない視点からの真面目な言及を待っているぜ。
(追記)
トラバやブコメで意見を聞かせてくれた皆、知識の補足をしてくれた皆、ありがとう。
まともな性教育を受けてない40代クソフェミのワイが自分の狭い知識だけで考えた稚拙な増田に、博識な方や本職の方にまでトラバを頂いて汗顔の至りだが、頑張って書いた甲斐があった。本当にうれしい。
「性教育にはセックス以外にも学ぶべき大事な事が山程あるし、これまで知らない、あるいは見落としていた視点も沢山あった」と改めて気づきを得られるよい機会だったと思う。沢山勉強させて頂いています。
引き続きみんなの真面目なご意見待ってるぜ!
アイディアは、付箋に貼るタイプ?1人ブレインストーミングで、付箋を並び替えるところから、話作りをしているのかもねー
ゲームというのは、端的に表すなら、トライ・アンド・エラーを繰り返して振る舞いを最適化していく遊びだ。
武器を変えたり、環境を変えたり、情報を得たりしながら、有利な状況を作っていく思考法を内面化していくことに楽しみがある。
そうして養ったものがゲーマーの「勘」だとすれば、それが上手く働いたときに「楽しい!」と思うわけだ。
よく、ゲーマーは経営者に適性があるなんて言うが、それは特定のビジネスに限らないと思う。
人生のハンドリングにも、ゲームで養われる「勘」もとい、洞察力や状況判断力が役に立つ。
時には常識的に考えてありえないと思われるような振る舞いも、ゲーマー的な考え方では合理的に導き出せたりする。
俺はゲーマーになれという話をしているわけじゃないぞ。
「生きるってとても辛い」「いいことなんてほとんどない」という状況認識および環境に陥りやすい人は、
上述のようなゲーマー的振る舞いとはかけ離れた挙動を繰り返しているが故にそうなっているんじゃないか。
俺の「勘」ではそう思えるから、それを単に書いてみただけだ。
俺はお前の人生に責任が持てないから、ああしろこうしろと言えることは何もない。
ただ、人間は自分の幸福を追求するために生きているものだと俺は思っているし、幸福は相対的かつ主観的なものであるので、
極端なことを言うならいわゆる人生のレールから降りてしまって、世間が吹聴してくる幸福像から距離を置いて、
親元で家事手伝いでもしながら一日中好きなことをして遊ぶのも、状況によっては合理的かつ最善な幸福への至り方だと思う。
持続性に問題がある点はいずれカバーする必要があるにせよ、その攻略法も無数にあることだろう。
だが人によって、持っている武器も移動可能な環境も違うだろうから、そうした諸要因を反映しながら、
自分が取り得るルートや振る舞いをブレインストーミングのように列挙してみると良いかと思うね。
そうやって自分が幸福になり得る道を探求することが、おそらく人生の意味に近づく行為であり、
その道程を振り返ったときに、はじめて人生に意味のようなものを「見出す」んだと思うね。後付けなんだよ。
賑やかしのガヤ。
勉強だけは出来たけど、自分の意見を発表することが段々苦手になっていった。
一見友達がいるようで、深くまで突っ込んだ関係なんて殆どいない。
グループディスカッションやブレインストーミングなんかは針の筵で。
それっぽい意見を言いながらその実なんの進展もない賑やかしで、場の音量を上げることしかできなかった。
就活は面接をごまかして切り抜けた。研究も適当なところで引き継いだ。
そうして今日研修会議があったんだけど、そこでふと、気付いたんだよ。
ああ私はガヤしかやってない。
いてもいなくても変わらない、ガヤだって。
みんな私を嘲ってくれ。
意見をしても流されるか、聞き返されて終わるだけ。
「あの人、凄い尊敬する」って言っていた人が、その尊敬する人のちょっとした一言で「あいつ、クズだわ。死ね」とか言い始める。
全ての意見が同意できるような内容なわけないのに、一度の間違いさえも認めないという傲慢な人に限って、「○○は神」などの言葉の安売りをする。
全部正しいなんてありえないんだよという事に気づいて欲しい。
一言二言で「これだから、ゆとりは」やら「老害」という認定をする輩ほど、問題児が多い感じ。
議論をする時もそう。
自分の意見が正しいという盲信をして、相手の意見をシャットアウトして否定する。
時々は、ブレインストーミングができる人もいるんだけどね。
日本人が議論慣れしてないにしても、相手の意見を否定することばかり躍起になってるし、
意見一つすら認めようとしないという狭量は、さすがに問題じゃないかな?
相手の意見が飛んできたら怖いから、自分の意見が間違っていようが押し通す気なのか、
それとも、本気で自分の考えが正しいと思い込んでいてるだけなのか。
あくまでもアメリカ対北朝鮮をブレインストーミングしてみると、
アメリカ | 北朝鮮 |
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二大政党制 | 一党独裁 |
感情的(※トランプ政権限定) | 理性的 |
多数派 | 少数派 |
多民族国家 | 単一民族国家 |
金持ち | 貧乏 |
戦争を望んでいない | 好戦的 |
現実志向 | 正論志向 |
資本主義 | 共産主義 |
世界中にコネあり | 世界で孤立 |
コネ主義 | 実力主義 |
日本のケツモチ | 中国がケツモチ |
情報公開主義 | 秘密主義 |
浪費好き | 節約第一 |
覇権国 | 零細弱小国 |
リソース豊富 | リソース貧弱 |
国民の幸福第一 | 国民無視 |
キリスト教が主(プロテスタント・清教徒) | キリスト教(ローマ・カトリック(バチカンのイエズス会?)だけ例外的に許可) |
身内を粛清(※トランプ政権限定) | 身内を粛清 |
言論封殺(※トランプ政権限定) | 言論封殺 |
極端(※トランプ政権限定) | 極端(金正恩政権) |
細かく掘り下げると非常に対称的のように見えて、似たもの同士
掘り下げるとまだまだあるかも知れませんが・・・・