はてなキーワード: ブルゾンとは
ちびまる子ちゃんが大好きだったので年始にちびまる子ちゃんランド目当てで清水に行ったら、漫画でよくある落雷の背景みたいな衝撃を受けた。
今まで来なかったことに後悔するほど。
まず、食べ物が何でもおいしい。
横浜に住んでいるので別にまずいものばっかり食べているわけでもないのに、目からウロコが落ちるレベルだった。
素材がそもそもおいしいのか特別な出汁が使われているのかわからなかったが、箸が止まらなかった。
ちびまる子ちゃんランドがエスパルスドリームプラザ内にあったので、目にとまったお店にふらりと入っただけなのに…。
とにかく味に驚いた。
帰る前にマグロを食べようと清水港に行ったら、腰を抜かすかと思うくらいのおいしさ。
危うく、「これが1,000円ちょいでいいの!?」とお店の人に確認してしまうところだった。
今まで食べていたマグロはプラスチックだったのかもしれない…。
味も磯の香りも脳にこびりついて、なかなか離れなかった。
さくらももこ先生が愛用していた文房具や直筆メッセージに涙した後、暇つぶしに足を運んだ三保松原でもまた仰天してしまった。
絶景が想像を超えるレベルで、思わず「昭和初期の映画かよ」とツッコミそうになった。
松と砂浜のコントラストが圧巻だわ荒波がすごいわで、声を上げたくなるほどのインパクト。
2ヶ月に一度は行こうかと思うほど。
渡辺直美もブルゾンも、タレントとしては確かなものを持っていると思う。
どちらもファッションというカテゴリを武器にする事で性別問わず一定の人気を保っていくだろう。
ただお笑いの世界の中で言えば、実は2人ともそれほどセンスがあるとは思えない。
渡辺直美のショーは金を取れるレベルだけど、バラエティではトークの部分でわりと普通の事しか言わない。
いわゆるひな壇での返しも上手で、特筆すべきなのは明石家さんまとの絡みでよくみられる容姿いじりにおいてもまったく悲壮感がないところ。
「いや、豚じゃねえから!」
と声高に叫ぶ。
そう、全否定している、その主張自体が笑いを生むので悲壮感がない。
視聴率お化けのイッテQですら女芸人達に相撲を取らせみっともない姿で笑いを取っている中、近藤春菜のポジションは絶妙だ。
ブルゾンも渡辺直美も、容姿いじりをされる時、一瞬のためらいを見せる事が多い。
これは恐らく普段から海外ドラマなど見て海外の人と付き合ったりする中で、容姿いじりをする日本の程度の低さを感じているからではないかと思う。
一瞬ためらった後、控えめに否定するか全乗っかりするしかない。
そもそも容姿いじりされてんじゃん、ダメじゃんというのは簡単だけど、なにかを変えていくには地道で現実的な対処が必要になる。
今こそ女芸人達は、そして容姿いじりをされる人々は春奈のマネという体で思い切り切れてやればいいのだ。
本気で言っても、近藤春菜のマネという事であれば場の空気もおかしくならない。
過剰な容姿いじりにはこう言ってやればいい。
AIスピーカー⇒凄いうっすらと知ってる。スピーカーがAIなんでしょ
9.98(10秒の壁)⇒日本人選手誰かが始めて10秒切ったんだよね
GINZA SIX⇒全くの謎。初めて見た。
空前絶後の⇒……わ、わかりません
35億⇒ブルゾン
Jアラート⇒怖すぎ。なんだっけ。アホカブトガニサウンド?みたいで怖い。
睡眠負荷⇒これも初めて知った!
線状降水帯⇒これも初めて知った!
働き方改革⇒こんなのあったっけ?
プレミアムフライデー⇒国民全員が見せられた幻
魔の2回生⇒これまた初めて見た
ユーチューバ-⇒今年なんだ
ワンオペ育児⇒家庭を持って子供を作ることに対して年々良いイメージを持てなくなるね
ブルゾンとか?そういう類の?
http://www.j-cast.com/2017/04/14295638.html
さすがに女芸人3人揃えたら、だれが見るんですか?
という事になるわけで、主役は深夜ではないんだからやっぱ女優さんだよね。となりますわな。
という訳で理想の(妄想の)キャスティングを組んでみる。今回は女性3人のみ。
ちなみに原作は試し読み程度しか読んでいないのでご了承下さい。
・城之内純(桐谷美玲がやってた役)… 水原希子か安藤サクラか前田敦子
・前田満子(水川あさみがやってた役)… 吉田羊か鈴木砂羽か佐藤仁美
・佐藤聖良(ブルゾンちえみがやってた役)… 柳原可奈子かおかずクラブのオカリナ
まあ、ブルゾンの役は妥当だとは思いますが、恐らくはキャスティング会議に上がったんじゃないかなーと思われる人をチョイス。
一言で言うと、「格好いいは格好悪い」だと思う
そして、格好悪いやつは笑われる
渡辺直美やパパイヤ鈴木みたいな、「デブなのにすげえ!」みたいな、ギャップの面白さに似た部分はあるけど、少し違う
ブルゾンが面白いのは、格好つけてるのに格好良くなってない、思春期のヤンキーが滑稽に見える面白さだ
(もちろん、ネタの内容そのものの面白さもある程度あるんだけど、ここでは置いておく。反語にマジで返す言語的な面白さや、重箱の隅をつつくような具体的例示が彼女のネタの中身の面白さな訳だけど、まあ、小さい面白さなんでここではどうでもいい)
そう思うと、withBがなぜちょっと気になって、ちょっと面白いかも説明がつく
実はそんなにイケメンじゃないし、実はそんなにいい身体してない
それが、そんなに格好良くない女に、ホストのように尽くす様、絵になっているような気もするんだけど、実は絵になってない
そこが面白い
ブルゾンちえみのトーク見てると、本当に格好いいと思ってやっているんじゃないか、って感じる節も確かにある
しかし、本当に格好いいと信じているなら、それをネタにしようとも思いつかないはず
「格好いいと思ってやっている私、なぜか鏡で見ると格好付いてないし面白いわ」みたいな発見がどこかであったんじゃないかと思う
つまり、本当は望んでいる自分の姿とのギャップに気づき、そうなれない癖にそれに憧れる痛い自分へのセルフ風刺、それがブルゾンちえみの真の芸風だと思う
そして、それを芸風にすることにより、好きなものに憧れるイタさを少し自己肯定できる
彼女の言う、「自分は(あなたは)そのままでいい」はそういう意味だと思う
痛い自分も自分の一部、痛い自分も面白い、痛い自分も飯の種、ってことだ
ブルゾンちえみがつまらない、どこが面白いかわからない、って言っている人の声もよく聞く
正直言うと、ブルゾンの自己への批判的姿勢まで見れていない人がそう言っているように感じる
つまり、ブルゾンちえみは本当に格好いいと思って格好付けているだけと思っている人
または、批判的姿勢に気付いていたとしても、それが心に刺さって痛くなる人だ
他の面白い芸人って、テレビ出てるほとんどはそれなりに面白いし、自分は笑えなくても人が笑ってるのは理解できたりする
でも、あのハゲとおかっぱ(コンビ名わからないんだごめん)は笑いどころすらわからない
え?これどこを面白いと思う人がいるの?以外の感想が出て来ないんだ、ほんとごめん
あえて面白い人の具体名上げろって言うなら、最近だとブルゾンもアッポーペンも、古くなってダメよーダメダメもワイルドだろ〜も面白いよ
ラッスンゴレライはしょうもないけど、面白がる人がいるのはじゅうぶん理解できたよ
自分より面白ければいいとか、自分でやれよとか言う意味が全くわからないわ
もしナダル本人か関係者スタッフか、ファンがそんなこと言ってるなら、
「お笑いファンでもない素人より面白ければじゅうぶんって考えなら、テレビ出ずに路上で自己満でやるだけでじゅうぶんだろ」としか返せないわ
もうちょっと頑張って
夏物の衣類が入っているたんすの
引き出しをふいに開けたら
気に入っていたシャツが目についた
気に入って買ったシャツだった
暖かくなったらまた着ようと
思ってた
ブルゾンちえみを知るまでは。
黒と白のストライプ
奇しくも私もボブカット
ちえみが忘れられるまで
ブルゾンちえみが好きだ。
ようつべで何度も何度も繰り返し見ては大笑いしている。
と言っている。
自分の記憶の中では柳原可奈子がまず思い浮かぶけど、女性だからこそわかる「いるいる!こんな女」という笑いは結構いろんな女性芸人がやっているけど(男性のバカリズムがやっていたネタも大好きです)、ブルゾンちえみも大枠ではその中に入るのかなと勝手に思っている。ただの印象で語っているだけなので詳しい人間違ってたらごめんね。
彼女が受けているのは「キャリアウーマン」という言葉から大衆が想起する漠然としたイメージに、彼女のネタがよく合致しているからだと解釈している。自分は少なくともそういう動機で笑っている。もちろん現実にあそこまで振り切れた人はそんなにいないけれど、一人の女として、自分自身の中にもあの「キャリアウーマン」さんと重なる部分がないとは言えない。「男は手玉に取ってなんぼ」「自分らしく生きる」「周囲に流されない強いアタシ」みたいな、なんかそんなセルフイメージを大切にしたがっている部分。そしてそれを体現した彼女を見てなぜこんなにも笑えてしまうのか、ちょっと考えた。ほんとはわたし、そういうのあんまり好きじゃないんじゃないだろうか。
あの「キャリアウーマン」さんは、女性誌をはじめとする昨今のメディアがガンガン押し出している「あるべき女性像」の権化だ。
正直ね、もうそういうの疲れてるのよね。突っ張って、気合い入れて、周囲の人との関係性を巧みにコントロールしながら生きていくのって、大変なのよ。もっとのんべんだらりと、ときには流されたり、理不尽と戦わずして負けたりしながら、それでもえっちらおっちら、なんとかかんとか生きていくぐらいでもね、もういいんじゃないかと思うのよ。要するにメディアがあの「キャリアウーマン」さんのような女性像をゴリ押しするのは高い服やら化粧品やらをたくさん買ってほしいからだし、それに踊らされることに疲れた女性が彼女の姿に癒しを見いだしているのではなかろうか、と、自分がそうだからみんなそうだとは限らないけれど、そんなふうに思う。
一方で、突っ張って、気合い入れて、まだまだ強い逆風と戦いながら働いている本物のキャリアウーマンに、彼女はどのように映るのだろう、とも思う。
一時期そのような生き方に憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、わたしには無理だった。心も体もついてこなかった。
今は家事の傍ら、週2日もしくは3日ぐらいのペースで細々と自営業をしている。
だから、男性と肩を並べて大きな仕事に取り組む女性はすごいと思うし、そういう女性がもっと働きやすい世の中になってほしいと常々思っている。
しかし、あの「キャリアウーマン」さんがネタとして成立するということは、正直まだまだ、真の男女平等には遠い世の中なのかなあ、と思ったりもした。
考えすぎなのだろうか。