はてなキーワード: ブリスとは
だいたい創作界隈というのは二次創作の方が賑わってて、同人誌と言えばエロ二次漫画というイメージの人も少なくない。その中でもイラスト・漫画じゃない一次創作ときたらそれはもう手に取って貰いづらい供給過多のジャンルで、ちょっと検索すれば「小説同人誌は読んで貰えない」「小説同人誌は不人気」系の話題はぞろぞろ出てくる。
そんな界隈でファンタジー+SFな世界観で活動してきた。これまた供給過多のジャンルだが、狭い界隈には狭い界隈なりの交流とか面白さがあって自分なりに楽しんでやってきた。別にプロになりたいわけじゃなく自分の書きたいものを書いて形として残すのが楽しいだとか、売れるかどうかじゃなく自分の頭で一から考えた世界を作品にすることに意味があるだとか。
そりゃもちろん人気が出ればそれに越したことはないから、負け惜しみがなかったとは言わないが。人気絵師さんに挿し絵描いて貰ったりウェブ小説を見ていた編集者の目にとまったりとか妄想したことがないとは言わないが。
さて、オリジナル小説は読んで貰いにくいという話を最初にしたが、そんな状況は最近ではずいぶん変わったと感じる。オリジナル同人誌の即売会と言えば40年近い歴史のあるコミティアだったが21世紀に入って文学専門の文学フリマが始まり、2010年代からは東京だけでなく日本各地で毎年開催されている。なろう・アルファポリス・エブリスタ・カクヨムなど小説投稿サイトも多数登場した。
そこに行けば「オリジナル小説を読みたい!」という読み手が確実にいるのだ。もちろん今でもオリジナルは読まない・読んでも漫画だけ・二次創作でも小説は読まないなんて人はいっぱいいるんだろう。でもウェブ小説(オリジナルの)を読んで貰える場所は確実に広がった。小説投稿に特化しただけあって読みやすい&使いやすい&検索しやすい&感想をフィードバックしやすい優れた環境が用意される時代になった。
そういう恵まれた環境がある時代、素人がウェブ小説の投稿をきっかけにプロデビューするのが妄想ではなくなってきた。だって実際にデビューしてるし。書籍化タグがついた作品は本当に紙の書籍になって店頭に並ぶのだ。あの有名絵師さんに表紙とカラーイラストと挿し絵を描いて貰えたり漫画化やアニメ化されたりすることが本当にあるのだ。
そうやってウェブ小説というジャンルがメジャーになっていくとその中にも流行があるのが見えてきた。中世風ファンタジーが人気で純文学は不人気だろう、というようなイメージではなくもっと具体的に「平凡な俺が異世界に転生したがスキルを生かして英雄になる」とか「乙女ゲーの悪役令嬢に転生したので破滅エンド回避したい」が人気らしい、とか。その逆を張った「異世界に転生したけど一市民として平和に暮らす」とか「破滅エンドで追放されたから自由に生きる」も既に出現してる、とか。
流行ってる設定があるということは、同じような設定で書かれた作品がいっぱいあるということだ。いくつも読んでいくとこれ前も見たな……というシーンがどんどん目に付く。確かに登場人物や世界観はオリジナルでも流行ってる設定に乗っかって書くのに一次創作の意味があるのか?と思った。
それがそのまま自分の身に返ってくることに気付いてしまった。自分の書いてるのは確かに今流行のパターンではない、でもファンタジー+SFでライトな雰囲気の冒険ものなんてこれまで山ほどあるじゃないか、と。流行り物に乗っからずに自分だけの世界を作ってるつもりでいながらオリジナリティなんて胸を張れるほどなかったんじゃないか、と。
正直、一次創作やってる人にはどこか二次創作を見下してる部分があると思う。あっちは他の人が考えたキャラや世界観を借りてるけどこっちは自分で全部考えた自分だけのキャラと世界観なんだぞ、と。どんなに稚拙でも売れなくても借り物じゃない自分の作品なんだぞ、と。
でもオリジナル創作だって、すべてを一人で産みだしたわけじゃない。これまで読んできた作品の影響は誰だって受けているし、あんな作品を創りたい!と思って創作を始めることは別に珍しいことじゃない。トールキンみたいにエルフ語を自分で作りましたなんて人は滅多にいない。
自分で考えた自分だけのオリジナル作品です!という看板には思ってるほどの権威なんてないんじゃないだろうか。どこかで見たような設定でも流行りまくってる二番煎じの設定でも読者は面白ければ読むし本は売れるし商業で出るしメディアミックスはされる。趣味だから別に売れなくてもいいもんという話に戻るなら、大事なのはやってる本人が楽しめるかどうかだ。アマチュアが自分の頭だけで一生懸命考えたつもりのオリジナリティなんて、そこでどれくらいの意味が持てるんだろう。
なんか、みんながカチンとくるようなこと書くけど、多分色々ブーイングくるだろうけど
小説書き続けるのがキツくなってきて、何か手がかりがほしいので書かせてくれ。
20歳の頃は自サイトにあげてたのだけど、それを見てくれたチャット仲間の人から「○○さんすげえ」とぼそっと言われた。
mixiにあげてた時は、好きな人から「天才とはその人を通じて別の世界が見え隠れするような人のことだと思った」と言われた。
会社の同僚たちに小説アップしてた裏垢知られた時は「これがtwitterじゃなければいいね連打したい」「芸大は試験ってフィルターがあるからこういうかっ飛んだ本物の人とは会えなかった」と言われた。
twitterで投稿してる時はいいねすらつかないけど、後日オフで会った時は「あの小説面白いと思う」とか言われることもパラパラあった。
だから書いた。書いて小説サイトに投稿した。エブリスタと小説家になろう。
でも、全く読まれない。
作風は、なんとも言えない。意味ありげなおとぎ話や詩の世界を長文化したような作風。
世の中字書きは多い。小説も山程あふれてる。
読む側からしても異色のものを読むのは気力がいるし、同じような作品を慣れた感覚で読めるほうが楽だろう。
もっと数こなして何本も書ききって色んなコンテストに応募すべきだと思うのだけど、気力が弱って力が出ない。
信じる力が足りないのだろうか。これしかできないのに
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【追記】
みんなありがとう。
書く、賞に出す、感想がもらえる場所を探す、児童文学でやってみる。
冒頭にあんなことを書いたけど私は才能とかはあまり考えてなくて、作家も会社員と同じく書いては評価されてを繰り返して筆力をあげていくものだと思っているので、その鍛錬の場がなくて弱っていた。
なんかすごく大変そうだなって思う。
今思うとすごく失礼だけど、私は最初この本は「ある程度現実の加味されたフィクション」なんだろうなと思ってて、それでも面白いから読んでたんだけど、著者のお兄さんがツイッターやってて、フォローしてみたら話に出てくる人たちもツイッターで絡んでて「えっ、この人たち実在してる…?」って本当にビビった。
すごくあたたかい家族や友達、信頼できる仲間に囲まれたお兄さんで、霊が見えて、憑いてて、除霊(浄霊?)できる能力を持っていて。設定盛りすぎやろって感じの、いかにも主人公感のあるご本人やそのお仲間なので、失礼だけど「実在するんか…」って衝撃だった。
そのお兄さんがツイキャスやってたから聞きにいったんだけど、楽しくもあり、切なくもあった。
霊なんて見えないし除霊もできないって人なら、そもそも頼られたりしないんだろうに。どうにかできる力があるばかりに、頼られて、妬まれて、すがられて、でも間が悪くて助けられなかったら、恨み言を言われて。
神様じゃないんだから、すべての人を助けられるわけないのに。そんなことわからなくなるくらい、藁にもすがる思いになるほど相談者の人もつらかったんだろうなと思った。でも恨まれたお兄さんも気の毒。本業は別にあるみたいで、忙しそうなお兄さんだし。
見えたり憑かれたりして怖い思いをするくらいなら、霊なんて見えない、感じないで生きていけたほうがずっと楽だよね。
霊なんてインチキ派の人もいるんだろうけど、どんな悲しい不幸なことが起きても、霊とか信じず感じずで、自分を保ってポジティブに生きていくならそれも立派な生き方だと思う。この世はやっぱり生きてる人のためにある世界だと思うし。
お兄さんフィクションと思っててごめんなさいって気持ちと、お体を大切に長生きして下さいって気持ちがある。霊的なアレコレは心身共にとてもしんどくなるようなので。無理しないで、そんなに頑張らないでって思う。
家族がいて信頼できる仲間がいてって、素晴らしいことのようだけど、どんなにしんどくてもそこから逃げられないってことでもあるだろうから。このお兄さんはそんな無責任なことは考えないのかもしれないけど。自分を大切に、幸せに生きてほしいなと思った。偉そうでごめんなさい。
作家が実在しないのでは?という疑惑を消すために唐突に用意された作家インタビュー。
10回近く開催しておきながら、インタビューしたのはたった一人だけ。。。
暁 佳奈インタビュー
作家の実在性を確かなものとするために用意された個人活動アカウント
https://estar.jp/users/148189778
趣味で小説を書いています。此処は個人的な活動として、主に友達と楽しむ為に始めました。
※商業活動についてのご相談ならびにご質問もお答え出来ません。
※エブリスタ並びにその他でご投稿されるご予定のご執筆作品のご相談もお答え出来ません。
キャラクターデザイン・ロゴデザイン・装丁・相方兼友達はセキバラさん。
たまにふらっと現れて何か書いて残していきます。
たまにふらっと、見に来てくれたら、とても嬉しいです。
このプロフィールを読んで感じたのは、
https://www.cmoa.jp/title/123495/
作品内容
茅原咲穂。28歳、彼氏ナシ。結婚が気になる年頃。親にはうるさく言われ、会社では後輩に先を越され、上司に嫌みを言われる毎日。焦りはあるけど解決策はなくて……。唯一の独身仲間の親友まで結婚を決め、焦りはピーク。不安を消すために入ったバーでやけ酒をし、酔いつぶれる。目が覚めたら……隣には知らない男(しかも、結構、タイプ)。男の手には婚姻届と契約書。そこにはしっかりと自分のサインが。いったいどういうこと! ? ―――モバゲー内の携帯小説サイト「E★エブリスタ」総合ランキング1位の大人気作品がついに書籍化。読めばたちまち恋がしたくなる。結婚に思いをはせてしまう。ドキドキワクワクなストーリー展開に女ゴコロわしづかみ間違いなし! ※1話目~3話目まで収録
とにかく読者が多いので「とりあえず誰かに読んでもらいたい」「反応が欲しい」という人に最適。
二次創作SSコミュニティが源流ということもあり、特定ジャンルに人気が集中する傾向にあるが、
ランキングにこだわりさえしなければ、全体の作品数が多いぶん裾野は圧倒的に広い。
そのぶん競争が激しいことも確かだが。
設立経緯を考えれば仕方ないが、サイトの作りが古く、機能的には遅れを取っている感がある。アプリもない。
新しいだけあって「なろう」にはない機能が多いのが特徴。
ただし読者は少ない。
お膝元ということでKADOKAWA系レーベルの目に止まりやすく、
差別化を図るためか「なろう系」とは異なる傾向の作品が書籍化されることも多い。
サイト制作を担当したはてなを通じてはてなコミュニティとも繋がりがあり、「なろう」とはまた違った雰囲気ができている。
特定の作品に限ってだが二次創作が公式に許可されているのも特徴。
Web小説の書籍化に関しては老舗の出版社アルファポリスの直営サイト。
「なろう」よりも遥かに競争相手が少なく、書籍化までのルートも整備されている。
ただし出版社としてのアルファポリスの評判はいまいち良くない。
もともと「なろう」との距離が近かったため、人気作品の傾向としては「なろう」的だが、やや女性向けが強い。
アクセス数に応じてAmazonギフト券などに交換できるポイントが付与されるインセンティブシステムがある。
そのため純愛物・ミステリ・ホラーなどに強く、「なろう系」とはかなり異なる文化圏を作り上げている。
出版社ではないが編集部を抱え(編集者というよりプロデューサーやエージェントに近いようだ)、
人気のある作家へのアドバイスや、他の出版社へのアプローチなどもしているらしい。
「なろう」で二次創作SSが禁止されたときに、その受け皿として作られたサイト。
二次創作SSでは国内最大規模のサイトであり、アクセス数でも何気に「なろう」に次ぐ規模を誇る。
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
いくつか言及ありがとうございます。(https://estar.jp/_crea_u?c=U2FsdGVkX18xXOTc5MDkyNuoJjb1LV0NhoxXIwl5h6Ed01)←この方ではなく、当時の痕跡は調べる限り残っていないのが現状です。エブリスタに以降する前にモバゲーからは去ってしまった方でして…
その1(http://anond.hatelabo.jp/20161223120406)からの続き。
ガリ勉でクラスの中で浮いていた霧里七華(十七歳)が、ある出来事をきっかけに心だけ六歳に戻ってしまった。心が子供に戻った彼女に幼馴染の凪原稔二や同級生の雨宮さんが振り回されたりもしながら、十七歳の七華と稔二と雨宮さんの三角関係を描く漫画である。ラブコメなんだけど普段のラブ成分は少なめで、大事なところでドバッとでる感じ。それと恋愛よりも人を思いやるという心の成長を主題にしているためか、幼馴染大勝利!とならない。
ヒロインはタイトルにも名前が入っているとおり七華なんだけど、十七歳の七華はたまにしか出ないレアキャラだし、雨宮さんかわいいし、雨宮さん優しいし、雨宮さん頼りになるし、はじめはいじめっ子として出てきたのに、あっという間に稔二との過去話が補完されたし、実質雨宮さんがメインヒロイン(ちなみに人気投票の下馬評ではぶっちぎりだった)。雨宮さんは、いつも赤面していて、だいたいいつも報われないんだけど、時々とても幸せそうな顔をする瞬間があって本当に応援したくなる。
でも本当はドミ子が一番かわいい。
あらすじ
どこにでもいるような普通の女子高生エルナは、普通の家庭で普通に暮らしていた。しかし都市部の工事現場から古代ギムレー期の伝説の聖剣が見つかったことで、彼女の血に隠された王族の魔力が彼女の運命を残酷に捻じ曲げていく。
携帯電話やインターネットが存在する現代的な科学世界の上で、真面目に魔法や空想の生物の力を扱ったらどうなるのか。魔法は通常兵器と異なり術者一人だけで大規模破壊や暗殺行為が可能になる。そんな力がテロリストに渡ったら政府はどう対応するのか。
既存の力を軽く超えた魔法の力が存在することの恐怖とはどんなものか。SFファンタジーである。
ギムレー期の伝説「エルナサーガ」を描いたIと合わせてどうぞ。
絵がかわいい。意外とストーリーがしっかりしている。ふわふわ。キャラが可愛い。
一応ストーリーを。天使が通う森の学園になぜか入学した悪魔のルカ。毎日愛天使ハニエルに振り回されながらどこかおかしい学園の真相に気がついていくストーリー。
軟派な大学生潤が、身元不明な女性から「あなたのこどもです」と一歳児スミレちゃんを押し付けられてシングルファーザーをする話。
はじめはスミレのことをうっとおしく思っていた潤だけど、日々の成長を見守っていくうちに一人のパパとして成長していく。スミレが通う保育園の優子先生との恋愛も子育てと並んでこの漫画の中心となるが、スミレが本当に潤の子供である可能性も出てきて、なかなか仲が進展しない。
スミレの戸籍上の父親で売れない俳優の椿吾郎が、愛のない家庭で育ったことで、子供の愛し方を知らなかったけれど、スミレと触れ合っていくことで過去を乗り越えていくながれがすばらしい。子育ては子供を成長させるのではなくて、子供とともに成長することなんだ。
つまり結局のところ、幼児のスミレちゃんが愛くるしいのでホオを緩めて愛でましょう。
玄奘三蔵の妹テンテンが、妖怪の総大将 孫悟空に殺された兄の代わりに、旅の仲間たちと共に天竺を目指すストーリー、つまり西遊記。ところが、西遊記を作者が思いっきりやりたいようにアレンジしてしまった。
仲間の悟空がオリジナル悟空のクローンだったり、悟空の師匠の悟浄が軍服の眼帯女だったり、昔の中国だって地の文にも書いているのに重火器や携帯電話が思いっきり登場したり大変自由。果てにはロボットまでも出てくる。
「あかりや」というどんなあかりでも揃っている店を舞台に、宮沢賢治の幻想的な香りに人の心のぐちゃぐちゃした猟奇臭を加算した奇妙な話の連作集。
例えば、子孫を残せずに死んでしまった渡り鳥が、鳥神様に許されるために渡り鳥の群れを導く光となる「第3話」のように残酷ながらも美しい話があるかと思えば、思いっきりカニバる「第2話」のような話があったりする。オススメは芸術家の業と歪な肉親愛が題材の「第4話」。絵を書かずにはいられない姉と姉が好きすぎる弟が、姉が事故で光を失ったことで尋常ではない共依存のような関係になってしまう話。
あらすじ
かつては浄水施設だった街で、街の一画と共に水の底に沈んだ家族に心を囚われるユィと貯水壁が壊れる夜を描く「水槽の街」、ツノと尻尾が生えた少女が、鬼に胸を貫かれてほぼ全裸になる「少女というより痴女だった」、真面目系とチャラ男系という完璧にタイプが違う中学生の芹沢と工藤が、偶然ビデオ店で出会ったことから共通の趣味を見つけ、友達未満になる話「友達だなんて思っていないんだ」などを収めた短編集。
作者である鈴木健也さんの描く人物は非常に肉感的なんだけど、特徴的な線かな。
一番のおすすめは「ジゼルとエステル」。サーカスの見せ物で美しいシャム双生児の少女ジゼルとエステルが、エステルが男の子に恋したせいで、(おもにジゼルが)物理的に精神的に引き裂かれる話。じつにえぐくて物悲しい。信じていたものに裏切られるつらさ。
こころがぐりぐりされる。
おばか変態ギャグ漫画。ここで紹介するのは、フレイヤ騎士団(ナイトクラブ)の美の化身こと鏡尋斗の必殺技、「男子魅了(読み: バンコラン)」効果: 男子を操る、に負けたから。ちなみに三巻の57-58ページ。あとブルマに対する作者の情熱がものすごい。
人々が天を忘れた時、地の底から邪なものが這い出してくる。その都度、神は大地へ天の使いを送った。そう…邪悪を祓い、人々の心に再び天を抱かせるために…。 時は現代、地上に邪なものが現れると、彼らが現れる。天に選ばれた戦士たち、そう、「天空特警 アヴァロン」と「美少女天使 パレストリーナ」!!!
特撮とアニメをリスペクトなヒーロー漫画。マッシヴなのに意外と理知的なアヴァロン(中身は不良)と目立つの大好きパレストリーナ(中身は生真面目生徒会長)のコンビがいい感じ。
面白いのが、天と邪なるものとのパワーバランスは天を信じる人々の数で決まるため、敵側が、現代が情報社会であることを利用した情報戦やイメージ戦略で攻撃してくるところ。現実でこれやられたらかなり人間不信になる自信がこの増田にはある。
もし怪獣に変身することができるお姉さんがいたらってお話。
時代は第二次世界大戦が終わってしばらく経った日本。主人公の間宮さんは興奮すると自分の意思に関わらず大怪獣に変身しちゃう厄介な体質の持ち主。大戦中はその能力に目をつけられて軍事利用されたり、戦後も政府の監視下に置かれたりと自分の体質に翻弄される。 しかし戦後は怪獣映画のメインキャスト(怪獣)を務めたり、自分の力に折り合いをつけだんだんと自分の幸せを見つけていく。
おすすめ場面は、変身しなきゃいけないのになかなか変身できない場面で、秘密兵器(美少年のいけない写真満載の雑誌)を見て「あかんわー」と叫びながら変身する場面。
毎日ラブを探してラブにラブする中学生 相田愛子(ラブ子)をはじめとして、サッカーに生きるラブ子の幼馴染 国立カケル、年の離れた弟たちの世話で大変な砂田素直(すなちゃん)、クールな勉強家 北王子学斗、おっとりして奥手の浦上麗(うららん)たちが好きな相手にドキドキしたり、意識していなかった相手を意識してドキドキしたりする固い蕾のような青春漫画。
他人のラブにはすっ飛んでくるのに、自分のラブにはうまく答えが出せないラブ子が素直でいいんだこれが。
あとラブ子のラブ暴走っぷりもいいんだけど、おっとりで学斗に一途純情のうららちゃんが、自分ではない女のことに頭を奪われてしまった男に興奮します。
「目の前の私をみていない 瞳」
「私以外の 誰かを 好きな瞳」
ふわふわ感がよかった人は「ふわふわカタログ」(www.mangaz.com/book/detail/115531)、変態感とエグみがよかったひとは「魔法少年マジョーリアン」(www.mangaz.com/book/detail/120131)と「姉さんゴーホーム」(www.mangaz.com/book/detail/120111)へ行きましょう。
前者は、月刊MOEで連載されていてもおかしくないフワフワポワポワな内容で、後者では、いたけない二人の少年がナイスバディなお姉様に変身して敵と戦う話と、大切な記憶を守るためにそれ以外を全て捨てて狂っていく女性の話が読めます。
古い村とその村に寄り添うようにしてある古城をめぐる一話完結型の牧歌的雰囲気の漫画。村の近くに見えるお城だけど、近づいても近づいても一向に近づけなくて、離れようとしたらお城に近づいてしまうこと、池で水遊びをしていたら、水面に映った逆さ城の中に入ってしまう、など幻想的で牧歌的な漫画。
絵柄がかわいらしくて、ますむらひろしのアタゴオルみたい。自身のHPで連載しているとのこと。
麻雀は絵柄を揃えたら役が出来るくらいしか知らないけど、この漫画は一戦いっせんに熱があって面白い。
単なる麻雀の漫画ではなくて、マジャンという麻雀のルールに加えて特殊ルール(トランプのジョーカーみたいな牌が入っているとか)があるので、単なる麻雀好きの学生だった主人公が特殊ルールに苦しみながらルールを解き明かす部分を読者として共有できて良い。
麻雀要素以外にも、閉じた村、おどろおどろしい伝承、そして表面上は普通なのに、ある事柄にだけ一様に口を閉ざす村人など横溝正史的成分も満載。
麻雀は門外漢だけど、主人公の打ち筋がデータ・確率重視なところが現代的で面白いと思う。まあそのせいで、麻雀と異なるマジャンの特別ルールをはじめ、村の奇習/因習に主人公は振り回されるのだけど。
こちらのレビューが詳しい「竜騎士07が震撼した漫画「マジャン~畏村奇聞~」」(http://blog.livedoor.jp/inoken_the_world/archives/51895567.html)。
以上。増田的には全部何度でも読み返せるくらい面白いけど、あえてオススメするなら「ゆめのかよいじ」(https://www.mangaz.com/book/detail/43881)が一番心に残ったかな。ちなみに連載期間調べるのめちゃくちゃ大変だった。
いわゆるWEB小説ってやつの存在を良くわかってない奴が俺も含めて多過ぎる。
あれはファミレス、あるいはファーストフードと考えると納得がいくと思う。
小説が読みたいんじゃなくって、時間をつぶせるコンテンツを欲している。
お腹すいた。別に食べたいものない。お金もそんなにない。お手軽な牛丼チェーンやバーガーショップかサイゼリアに流れる。
暇。かといってがっつり楽しみたいわけではない。無料のWEB小説(なろうなりエブリスタなり漫画だとcomicoなり)に流れる。
そもそも本屋に売ってるような、読むのに気合入れないといけない面倒な小説を読みたいわけではない。
ただハンバーガーや牛丼と違って、同じ小説を何回も読むわけにはいかないし、レパートリーを求めるとちょっと味つけの違う別メニューをちょこちょことつまみ食いしてサイクルを回していく。
そういう目的だから、安心安定の、世界観の共通した、テンプレの異世界ものが消費されていく。
新連載は新メニューで、ちょっと意欲のある奴はタイトルやあらすじや冒頭なんかで面白いかどうか判断しておもしろかったら拡散(感想書いたり、ポイント入れたりしてランキングに載せる)
そもそも街の良くわからない小料理屋とか定食屋を発掘したり、チャレンジするような読み方ではないのがWEB小説。
チャレンジ精神のあるやつはよりよい作品を求めて、一般小説(本屋)に行って書店の推しとかPOPとかそんなの見て買って読むんだから。
安価で週に何回も行けるようなチェーンの飯屋でもそれぞれ好き嫌いがあって、なろうでファンタジー読む人もいれば、悪役令嬢転生読む人も居るし、
エブリスタで恋愛やらBLやら読む人も居るし、王将行くか、ドムドム行くかラーメン二郎行くかみたいな。
書き手もマニュアル化されてるから書きやすい。いきなり金にもならない創作フレンチに取り組む奴は少ない(居ないとはいってない)。
普段、そういう料理しか食ってないバカ舌だから、オリジナリティ出そうと思っても、すきやの牛丼のレパートリーみたいにネギ入れたりマヨネーズかけたりする程度のアレンジしかできない。
ピーチガール http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476349429
ミスミソウ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12108848597
問題のない私たち http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4816248.html
いじめ http://sokuyomi.jp/product/izime_003/CO/1/
校舎の裏には天使がうめられている http://mangagame.hatenablog.com/entry/koushanouranihatenshi
告白 http://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000005345
ちいさいひと https://comic.k-manga.jp/title/88948/pv
http://www.to-ti.in/product/?action=story&id=248
http://matome.naver.jp/odai/2141753321685301601 http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/54422970.html
意味のわからんまんが http://yusb.net/man/703.html
Gエブリスタはなんでもありだな
たいした理由もなく、テストデプトの動画をYoutubeでいくつか見ていた。
このバンドについての情報って日本ではほんとに少なくて、俺個人的に
名前はよく聞くが実際のとこまったく得体が知れない、という
状態でここまできていた。ライブ動画や劇団とのコラボにまつわるドキュメンタリー、
PVなど見てなんとなーくようやく把握できた感が持てた。
いわゆるメタルパーカッション系に分類され、同時期に活動していた
アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンと比較されることの多いバンド(?)だ。
でも改めて見てみると両者の共通点はそれこそ「メタルパーカッションを使ってる」
くらいしかないと気づく。ノイバウテンはやはりかなり「ロックバンド的」なのに対し、
テストデプトは「パフォーマンス集団的」というか、ポップさがまるでなくてやたらと
政治色の強い、なおかつ青くないブルーマングループ、みたいな。
そうそう、政治色というか「反◯◯主義」みたいな部分も特徴のようだな。
なにしろアルバム「ショルダー・トゥ・ショルダー」は「南ウェールズストライキ炭鉱労働者合唱団」との
ダブルネームだし。ただ、反資本主義的な方向性はソ連崩壊後の彼らの作品からは薄れ、
キリスト教以前のイギリスというテーマに傾倒してどんどんクラシックと民俗音楽が合わさったような
方向に行ってしまう。(末期のSPKもそうなんだがヨーロッパ方面のノイズの人ってなんでちょっとほっとくと
クラシックくさくなっちゃうんだろ)劇団「ブリス・ゴフ」とのコラボ「Gododdin」なんかが特にその
傾向が強い。
さてもっかいノイバウテンと比較するとテストデプトはバンドっぽくない。なんか「パーカッション主体の『楽団』」