はてなキーワード: ブドウとは
元増田です。
思ったより反応あってびっくりした。
読者界隈のことを気にせずマンガを読んでる層の方が多いだろうから、マンガの評判に影響を出さないためにも、タイトルは当然伏せるよ。
面白いマンガで、いろんな所で紹介されたり、メディアミックス化もされているから、そういうの手当たり次第に読んでる奴は読んだことあると思う。
どのマンガか気付いても伏せといてくれよ。フリじゃなくさ。
以下に把握できている範囲の経緯を書く。
連載の途中で、Aというキャラが出てきた。
Aは既存の読者にもウケたが、Aのファンが積極的に布教活動をしたことにより、A目当てでマンガを読み始めた読者も少なくなく、Aは人気キャラになった。
そして、AファンとAアンチにより、SNSなどで口論がされていたらしい。
ここまでは、まあよくあることだと思ってあまり気にしていなかった。
そのうち、自称考察厨の変なAファンが現れ続け、Aファンからの支持を得ていった。
例えば。
「マンガの今後の展開でAは幸せになるが、AのライバルのBは不幸になる」というマンガの展開予想を垂れ流し続ける奴とか。
マンガとして描写されている内容については一切触れず、ちょっとしたパーツ1つ取り沙汰してラッスンゴレライみたいな荒唐無稽のこじつけをし、その自称考察を垂れ流し続ける奴とか。
マンガの最新話が理想と違うという主張を、パワポ風画像にまとめて毎回公開する奴とか。(ちなみにこいつはもうアカウントを消したっぽい。)
そして、AファンとAアンチの口論は、“A以外のキャラを叩きながらAの正当性を主張するAファン” VS “Aファン叩き”という構図に変わった。
Aのキャラアンチも居るだろうが、それ以上にAファンを嫌う人間がどんどん可視化されていった。
そして現在。
マンガの最新話で「Aの目的は表面上は失敗となり、失ったものもあるが、見方によっては得たものもある」というような展開になった。
個人的には面白いと思ったし、Aはかなり優遇されているキャラだなとも感じた。
そんな最新話に対して、「Aの目的に魅力を感じない」「こんな結末のマンガつまらない」「作者はマンガが下手」といった感想がAファンから噴き上がった。
(内容を伏せているので伝わり難いと思う。「すっぱいブドウ」の童話で想像してほしい。A=キツネで、Aの目的=ブドウ。Aファンは「ブドウが不味そう」と言っている。)
この1話だけならまだ良いが、Aが活躍した話以外で、Aファンはマンガへの不満を垂れ流し続けていた。
Aは人気キャラでファンが多いから、不満を垂れ流してないAファンも居るし、「流石にもうライン越えしている」と苦言を呈しているAファンも居る。
そうなると今度は「マンガを全肯定できないなら読むなと言うのか!」「全肯定しか許されない方が不健全だろう!」と猛反発している。
彼らは自分自身を、Aファンであり、マンガのアンチではないと定義したままでいる。
ちなみに、「全肯定できない奴は読むな」と言ってる意見を見たことはない。「そんなに嫌なら読まなきゃいいのに」と言ってる意見は見たことある。
だいたいは以上です。
…経緯を書いてみると、しょうもないなと感じるな。
でも実際に界隈の中に居ると、空気悪くて嫌な気分になるんだよ。増田に相談したくなるくらい、この不可解さが気持ち悪かった。書いてみたらしょーもなさ過ぎて、気持ちは書く前より落ち着いている。
タイトル伏せるために詳細は端折っているので、ここに書いた経緯だけを見るとよくある話のようにも感じるが、こんなに治安の悪い界隈そうそう無いとも思ってしまう。
元増田です。
思ったより反応あってびっくりした。
読者界隈のことを気にせずマンガを読んでる層の方が多いだろうから、マンガの評判に影響を出さないためにも、タイトルは当然伏せるよ。
面白いマンガで、いろんな所で紹介されたり、メディアミックス化もされているから、そういうの手当たり次第に読んでる奴は読んだことあると思う。
どのマンガか気付いても伏せといてくれよ。フリじゃなくさ。
以下に把握できている範囲の経緯を書く。
連載の途中で、Aというキャラが出てきた。
Aは既存の読者にもウケたが、Aのファンが積極的に布教活動をしたことにより、A目当てでマンガを読み始めた読者も少なくなく、Aは人気キャラになった。
そして、AファンとAアンチにより、SNSなどで口論がされていたらしい。
ここまでは、まあよくあることだと思ってあまり気にしていなかった。
そのうち、自称考察厨の変なAファンが現れ続け、Aファンからの支持を得ていった。
例えば。
「マンガの今後の展開でAは幸せになるが、AのライバルのBは不幸になる」というマンガの展開予想を垂れ流し続ける奴とか。
マンガとして描写されている内容については一切触れず、ちょっとしたパーツ1つ取り沙汰してラッスンゴレライみたいな荒唐無稽のこじつけをし、その自称考察を垂れ流し続ける奴とか。
マンガの最新話が理想と違うという主張を、パワポ風画像にまとめて毎回公開する奴とか。(ちなみにこいつはもうアカウントを消したっぽい。)
そして、AファンとAアンチの口論は、“A以外のキャラを叩きながらAの正当性を主張するAファン” VS “Aファン叩き”という構図に変わった。
Aのキャラアンチも居るだろうが、それ以上にAファンを嫌う人間がどんどん可視化されていった。
そして現在。
マンガの最新話で「Aの目的は表面上は失敗となり、失ったものもあるが、見方によっては得たものもある」というような展開になった。
個人的には面白いと思ったし、Aはかなり優遇されているキャラだなとも感じた。
そんな最新話に対して、「Aの目的に魅力を感じない」「こんな結末のマンガつまらない」「作者はマンガが下手」といった感想がAファンから噴き上がった。
(内容を伏せているので伝わり難いと思う。「すっぱいブドウ」の童話で想像してほしい。A=キツネで、Aの目的=ブドウ。Aファンは「ブドウが不味そう」と言っている。)
この1話だけならまだ良いが、Aが活躍した話以外で、Aファンはマンガへの不満を垂れ流し続けていた。
Aは人気キャラでファンが多いから、不満を垂れ流してないAファンも居るし、「流石にもうライン越えしている」と苦言を呈しているAファンも居る。
そうなると今度は「マンガを全肯定できないなら読むなと言うのか!」「全肯定しか許されない方が不健全だろう!」と猛反発している。
彼らは自分自身を、Aファンであり、マンガのアンチではないと定義したままでいる。
ちなみに、「全肯定できない奴は読むな」と言ってる意見を見たことはない。「そんなに嫌なら読まなきゃいいのに」と言ってる意見は見たことある。
だいたいは以上です。
…経緯を書いてみると、しょうもないなと感じるな。
でも実際に界隈の中に居ると、空気悪くて嫌な気分になるんだよ。増田に相談したくなるくらい、この不可解さが気持ち悪かった。書いてみたらしょーもなさ過ぎて、気持ちは書く前より落ち着いている。
タイトル伏せるために詳細は端折っているので、ここに書いた経緯だけを見るとよくある話のようにも感じるが、こんなに治安の悪い界隈そうそう無いとも思ってしまう。
元増田です。
思ったより反応あってびっくりした。
読者界隈のことを気にせずマンガを読んでる層の方が多いだろうから、マンガの評判に影響を出さないためにも、タイトルは当然伏せるよ。
面白いマンガで、いろんな所で紹介されたり、メディアミックス化もされているから、そういうの手当たり次第に読んでる奴は読んだことあると思う。
どのマンガか気付いても伏せといてくれよ。フリじゃなくさ。
以下に把握できている範囲の経緯を書く。
連載の途中で、Aというキャラが出てきた。
Aは既存の読者にもウケたが、Aのファンが積極的に布教活動をしたことにより、A目当てでマンガを読み始めた読者も少なくなく、Aは人気キャラになった。
そして、AファンとAアンチにより、SNSなどで口論がされていたらしい。
ここまでは、まあよくあることだと思ってあまり気にしていなかった。
そのうち、自称考察厨の変なAファンが現れ続け、Aファンからの支持を得ていった。
例えば。
「マンガの今後の展開でAは幸せになるが、AのライバルのBは不幸になる」というマンガの展開予想を垂れ流し続ける奴とか。
マンガとして描写されている内容については一切触れず、ちょっとしたパーツ1つ取り沙汰してラッスンゴレライみたいな荒唐無稽のこじつけをし、その自称考察を垂れ流し続ける奴とか。
マンガの最新話が理想と違うという主張を、パワポ風画像にまとめて毎回公開する奴とか。(ちなみにこいつはもうアカウントを消したっぽい。)
そして、AファンとAアンチの口論は、“A以外のキャラを叩きながらAの正当性を主張するAファン” VS “Aファン叩き”という構図に変わった。
Aのキャラアンチも居るだろうが、それ以上にAファンを嫌う人間がどんどん可視化されていった。
そして現在。
マンガの最新話で「Aの目的は表面上は失敗となり、失ったものもあるが、見方によっては得たものもある」というような展開になった。
個人的には面白いと思ったし、Aはかなり優遇されているキャラだなとも感じた。
そんな最新話に対して、「Aの目的に魅力を感じない」「こんな結末のマンガつまらない」「作者はマンガが下手」といった感想がAファンから噴き上がった。
(内容を伏せているので伝わり難いと思う。「すっぱいブドウ」の童話で想像してほしい。A=キツネで、Aの目的=ブドウ。Aファンは「ブドウが不味そう」と言っている。)
この1話だけならまだ良いが、Aが活躍した話以外で、Aファンはマンガへの不満を垂れ流し続けていた。
Aは人気キャラでファンが多いから、不満を垂れ流してないAファンも居るし、「流石にもうライン越えしている」と苦言を呈しているAファンも居る。
そうなると今度は「マンガを全肯定できないなら読むなと言うのか!」「全肯定しか許されない方が不健全だろう!」と猛反発している。
彼らは自分自身を、Aファンであり、マンガのアンチではないと定義したままでいる。
ちなみに、「全肯定できない奴は読むな」と言ってる意見を見たことはない。「そんなに嫌なら読まなきゃいいのに」と言ってる意見は見たことある。
だいたいは以上です。
…経緯を書いてみると、しょうもないなと感じるな。
でも実際に界隈の中に居ると、空気悪くて嫌な気分になるんだよ。増田に相談したくなるくらい、この不可解さが気持ち悪かった。書いてみたらしょーもなさ過ぎて、気持ちは書く前より落ち着いている。
タイトル伏せるために詳細は端折っているので、ここに書いた経緯だけを見るとよくある話のようにも感じるが、こんなに治安の悪い界隈そうそう無いとも思ってしまう。
働きたくないンゴねぇ……
働かずに金がないなりの暇潰しをして生きるよりもそれなりに良い暮らしをしたいから、それを秤にかけて嫌々働きはする。けどやっぱり労働はダルいって言ってんの。
それくらいの事もいちいち説明されねーと分かんねーのか?バカが。
そんな陳腐な相対化をした所でおれの心が瘉える訳でも余暇が増える訳でもないが?バカが。
そうやって謙虚さと弱腰を履き違えてる労働者が資本家をつけ上がらせてナメられんだよゴミが。
自分の欲求も分かってねえ弱虫、自ずから湧いてくる欲求もなくなった老人は感謝とか義務とか、外から与えてもらえる宗教がねーと働いてらんねーもんな。働いてねーと暇で仕方ねーもんな。雑魚が。
敵「金で得られる快楽やモノなんて虚しいよ?」
一億歩譲って浪費に飽きたド級の金持ちに言われるのならまだしも、テメーは誰なんだよ。
俺は車を乗り回す楽しみも高級時計を着ける満足感も知らねー。資本主義に刷り込まれた欲求だろうが、一度おれの心に入り込んだのならそれはもうおれのものなんだよ。
たとえ後になって虚しいものだと思ったとしても、それはおれが実際に体験して初めて納得が生まれんだよ。
手にした事のないものを最初から諦めて腐しても、それは酸っぱいブドウにしかならねーんだよカスが。
いくら金のかかんねー読書が素晴らしかろうが、知識が散歩を豊かにしようが、別種の飢えから目を逸らす言い訳にはならねーんだよゴミが。
ゴータマ・シッダールタが捨てるものすらなく最初から持たざる者だったら悟りを開けたか?自分を差し置いて豪邸の門の前で苦しむ者を見て、何かを思えたかよ?
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6469423
「ブドウ農家なら知ってる。房数を多くしすぎ、成らせすぎ、長く付けすぎ」←これがトップ。
他にも、新規参入を叩いたり、弟子入りして修行しろだの、原因がわかっても海外に流出するから公開するな、とかやばいコメントばっかり。
もしかして世の中の人は栽培技術を門外不出の職人技だと思ってる人が多いの?
栽培技術は農研機構や県の研究所が何千何万通りの栽培手法を、何年もかけて再現性を確かめてやっと普及させてる、ばりばり理系のものなんだけど。
今回のような原因不明な病気に対して農家自身が研究して次回実験するなんてしない。
自分で原因を断定して次作で試すなんて怖くてできないよ。
79Pに小さな折り紙みたいな紙が斜めにくっついているのを見つけてぎょっとしてしまった
その紙には頭に水玉模様の布を被ったお化けみたいなキャラクターが巨大なブドウを食べている絵が描かれている
最初から読む前にパラパラとめくって発見したので、何だこの変な落丁みたいなの?となった
そのページの短歌の内容とも関係なさそうだし、意味不明で、何かどこかに意味が書いてあるのかと探したら、
この歌集が31年前に出たときに美しい本にしたかった著者は、集めていたかわいいお菓子の包み紙を編集者やデザイナーに見せたらしい
この新装版を作る際にその話を聞いた方のアイデアで、本当にオリジナルデザインのキャンデーの包み紙を本の中に入れているとのこと
グレープ味、レモン味、ストロベリー味の三種があって、僕が買ったのはグレープ味だったようだ
献金額は目安は書いてあることもあるが、あくまで自己基準。仲間がいたらそれに合わすぐらいで、若者は1000円だとか、生活保護の人は何も支払わないと気になるという人がいるので100円だとか。色々ある。
各教会によって、常識の範囲でとなっているので、牧師、神父に相談するといい。
奉仕も人によってとか、そもそも教会によって結構違う。保育園併設の教会だと、父母の人が結構いるので、案外強く求められることが少なかったりする場合もある。逆に求められる場合もある。
意外と面白いのは生活保護の人が多い教会だと、必然的にアルコール中毒の人が多いので、聖餐式のワインもブドウジュースが用意されていたりと、結構地域性が反映されるので、自分が住んでいる所に近いのがいいのか、それとも自分に合う教会を巡ってみたりするのかなんてのも、いいかもしれない。
あと、礼拝堂建て替え時期のために積み立て献金をしているところがあったりするので、そっちは大きく献金していて、あんまり教会に来ないので、普段の献金はあまりしていないなんて人もいたりする。
要約「あのブドウは酸っぱくて美味しくないはずだ」
「単体でも存在できる価値」があって初めて「付与価値」は意味を成す。
まず権利を主張できる土地が存在し、そこで米が育ち、それを炊く釜が作られ、それらを売る人間がいる。
そうした権力構造がいつからか反転し、最終的に売る人間こそが市場原理を牛耳り始めた。
いつからかモノの値段は付与価値こそが本体となり、付与価値を稼げないものは畑でそのまま潰してしまった方が良いぐらいに価値が落ちていった。
たとえばシャインマスカット畑で生まれたけれどシャインマスカットを名乗れなかったブドウの価値は著しく落ちる。
これはシャインマスカットという称号そのものが強力な付与価値を持っていることの証左だ。
信用、ブランド、イメージ、雰囲気、様々な要素が実態としての味以上にブドウの商品価値を左右している。
そもそも食べ物は食べてみなければその味は分からず、それでいて値段は先払いでの取引時に決定される。
先払い中心の社会であることが商品の価値を実態よりも「予想される価値」によって決定される状況を作り出した。
そして「予想される価値」を決定する要素の多くが実態のない「付与価値」であるが故に、商品価値の主戦場は「付与価値」となっていったのである。
もちろんリピーターを見込むためには商品そのものの品質はやはり大事だ。
だがそこで重要なのも「実際に良かったのか」ではなく、顧客が「また買ってみたいと感じたか」なのだ。
たとえばギャンブルなんかは結果的にハズレの方を多く引いているはずなのに「次こそはあてて見せる」という感情を呼び起こす。
ギャンブルはこうして実態と乖離した付与価値を生み出し続けることで、そこに金を払わせることで商売を存続させることを可能としている。
こういった付与価値と実際の価値の不一致は今や当たり前のものとなり、如何にして幻想の価値を生み出すかが重要となってしまった。
この状況において、付与価値こそが市場の支配者となり、そこに謙虚な意識なんて最早ない。
売れるものこそがいい商品であり、いい製品であることは二の次となっていく。
付与価値による市場支配は一次産業や二次産業を蔑ろにするどころか、一次産業や二次産業が率先して幻想の付与価値を生み出そうとする市場を組み上げていった。
たとえば産地偽装といった行為は付与価値の創造という意味においては手法の違法性を除けば極めて効果的な一手だ。
付与価値というものが実態ではなく幻想を扱うからこそ成立するこれらの手法は、多くの業界において「真面目にやるだけ無駄」という空気を作り出していった。
付与価値こそが至高であるといった価値観、生産性の本質は付与価値であるという発想を一度考え直した方がいい。
価値を生み出すということと、価値があるかのように見せかけるということの区別をほとんど全ての人が失っている。
価値に対して対価を払うのではなく、つけられた値札に対して対価を払うということを当たり前にしすぎてはいないだろうか?
それが当たり前のことではないという感覚をいまや人々が失っていることが恐ろしい。